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リチャード・ラムリー=サンダーソン (第4代スカーバラ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代スカーバラ伯爵リチャード・ラムリー=サンダーソン英語: Richard Lumley-Saunderson, 4th Earl of Scarbrough PC1725年5月 – 1782年5月12日)は、グレートブリテン王国の廷臣、イングランド貴族王室金庫長官英語版(在任:1765年 – 1766年[1])、副軍務伯(在任:1765年 – 1777年)を歴任した[2]。1752年までラムリー子爵儀礼称号を使用した[2]

生涯

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第3代スカーバラ伯爵トマス・ラムリー=サンダーソンと妻フランシス(Frances、旧姓ハミルトン(Hamilton)、1772年12月27日没、初代オークニー伯爵ジョージ・ハミルトンの次女)の息子として、1725年5月に生まれた[2]。1748年春、ケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学した[3]

1752年3月15日に父が死去すると、スカーバラ伯爵位を継承した[2]庶民院の選挙区ではリンカーン選挙区英語版への影響力があり、1754年イギリス総選挙でジョン・チャップリン(John Chaplin)を、1761年イギリス総選挙でコニングスビー・シブソープ(Coningsby Sibthorp)を、1774年イギリス総選挙で長男ジョージ・オーガスタを当選させた[4]。しかし、スカーバラ伯爵家の影響力は決定的ではなく、1780年イギリス総選挙では同じく有力者であるモンソン男爵家と手を組んだことが反発を招き、ジョージ・オーガスタが落選するという結果になった[4]

1765年7月12日に枢密顧問官に任命された[5]。同日に王室金庫長官英語版に任命され、1766年12月10日までに退任した[1]。1765年10月から1777年9月まで副軍務伯を務めた[2]

1782年5月12日にメイフェアサウス・オードリー・ストリート英語版で死去、リンカンシャーサクシルビー英語版で埋葬された[2]。息子ジョージ・オーガスタが爵位を継承した[2]

家族

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1752年12月12日、バーバラ・サヴィル(Barbara Savile、1797年7月22日没、第7代準男爵サー・ジョージ・サヴィル英語版の娘)と結婚[2]、7男4女をもうけた[6]

  • ジョージ(1753年9月22日 – 1807年9月5日) - 第5代スカーバラ伯爵[2]
  • フランシス・バーバラ・ラッドロー(Frances Barbara Ludlow) - 夭折[6]
  • リチャード(1757年4月3日 – 1832年6月17日) - 第6代スカーバラ伯爵[2]
  • トマス・チャールズ(1758年[6] – 1782年9月3日) - 海軍士官、生涯未婚。戦列艦イシス英語版で戦死[2]
  • ジョン(1760年6月15日 – 1835年2月24日) - 第7代スカーバラ伯爵[2]
  • フレデリック(1761年10月17日 – 1831年9月20日) - 1786年2月20日、ハリエット・アン・ボディントン(Harriet Anne Boddington、1810年7月20日没、ジョン・ボディントンの娘)と結婚、1男フレデリックをもうけた。1819年3月25日、ジェーン・ブラッドビー(Jane Bradby、1825年6月9日没、ジェームズ・ブラッドビー提督の娘)と再婚、子供なし。第9代スカーバラ伯爵リチャード・ジョージ・ラムリー英語版の祖父[6]
  • メアリー・アラベラ(Mary Arabella、1763年 – 1817年5月1日[6]) - 1792年6月12日、庶民院議員フランシス・フェランド・フォルジャンブ英語版(1750年1月17日 – 1814年11月13日)と結婚、子供なし[7]
  • サヴィル・ヘンリー(1768年6月18日 – 1846年11月14日) - 1806年12月13日、メアリー・ヘンリエッタ・タワーディン(Mary Henrietta Tahourdin、1869年7月5日没、ヘンリー・タワーディンの娘)と結婚、子供なし[6]
  • ウィリアム英語版(1769年8月28日 – 1850年12月15日) - 陸軍軍人。1804年10月3日、メアリー・サザーランド(Mary Sutherland、1807年7月没、トマス・サザーランドの娘)と結婚、子供なし。1817年3月3日、ルイーザ・マーガレット・コットン(Louis Margaret Cotton、1859年9月11日没、ジョン・ロビンズの娘、リンチ・コットンの未亡人)と再婚[6]
  • ルイーザ(1773年 – 1811年) - 1798年2月26日、ウィンチコム・ヘンリー・ハートリー(Winchcombe Henry Hartley)と結婚[6]
  • ソフィア(1777年 – 1832年) - 生涯未婚[6]

出典

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  1. ^ a b Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: Sa - Sh". Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 1431–1465. British History Onlineより。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 76–77.
  3. ^ "Richard LUMLEY (LMLY748R)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ a b Cannon, J. A. (1964). "Lincoln". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月22日閲覧
  5. ^ "No. 10538". The London Gazette (英語). 9 July 1765. p. 1.
  6. ^ a b c d e f g h i Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1782.
  7. ^ Smith, E. A.; Thorne, R. G. (1986). "FOLJAMBE, Francis Ferrand (1750-1814), of Aldwark Hall, Yorks. and Bilby and Osberton, Notts.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月22日閲覧

外部リンク

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公職
先代
トモンド伯爵英語版
王室金庫長官英語版
1765年 – 1766年
次代
ハンス・スタンリー英語版
先代
サフォーク伯爵
軍務伯
1765年 – 1777年
次代
エフィンガム伯爵
イングランドの爵位
先代
トマス・ラムリー=サンダーソン
スカーバラ伯爵
1752年 – 1782年
次代
ジョージ・ラムリー=サンダーソン