ジョン・ラムリー=サヴィル (第7代スカーバラ伯爵)
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第7代スカーバラ伯爵ジョン・ラムリー=サヴィル(英語: John Lumley-Savile, 7th Earl of Scarbrough、出生名ジョン・ラムリー(John Lumley)、1760年6月15日 – 1835年2月24日)は、イギリスの貴族、聖職者。
生涯
[編集]第4代スカーバラ伯爵リチャード・ラムリー=サンダーソンと妻バーバラ(Barbara、旧姓サヴィル(Savile)、1797年7月22日没、第7代準男爵サー・ジョージ・サヴィルの娘)の四男として、1760年6月15日にサンドベックで生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた後、1780年3月31日にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学、1782年にM.A.の学位を修得した[2]。
聖職者としての道を歩み、1784年9月27日にウィンタリンガムの教区牧師に、1793年6月14日にソーンヒルの教区牧師に任命された[3]。
1807年9月28日、国王の認可状を受けて「サヴィル」を姓に加えた[1]。
1832年6月17日に兄リチャードが死去すると、スカーバラ伯爵位を継承した[1]。
1835年2月24日、ドンカスター近くで狩猟しているときに落馬事故を起こして死亡、リンカンシャーのサクシルビーで埋葬された[1]。息子ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1785年11月5日、アンナ・マリア・ヘリング(Anna Maria Herring、1766年3月1日 – 1850年3月16日、ジュリネス・ヘリングの娘)と結婚[1]、3男4女をもうけた[4]。
- ジョージ・オーガスタス(1786年 – 1807年[4])
- ジョン(1788年7月18日 – 1856年10月29日) - 第8代スカーバラ伯爵[1]
- アンナ・マリア(1789年 – ?) - 夭折[4]
- アンナ・マリア(1791年 – 1840年5月5日[4])
- ルイーザ・フランシス(1794年 – 1885年1月7日) - 1825年9月25日、トマス・カター(Thomas Cator、1864年8月24日没)と結婚、子供あり[4]
- ヘンリエッタ・バーバラ(1796年 – 1864年7月27日) - 1821年9月2日、フレデリック・マナーズ=サットン(Frederick Manners-Sutton、ジョン・マナーズ=サットンの息子)と結婚。1837年8月24日、ジョン・ロッジ・エラートン(John Lodge Ellerton)と再婚[4]
- リチャード(1800年9月16日 – 1818年7月17日[4])
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 76–77.
- ^ "Lumley [alias Saunderson], the Hon. John. (LMLY780J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "Lumley, John (1784–1808) (CCEd Person ID 53341)". The Clergy of the Church of England Database 1540–1835 (英語). 2021年8月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1782.
外部リンク
[編集]- "ジョン・ラムリー=サヴィルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
イングランドの爵位 | ||
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スカーバラ伯爵 1832年 – 1835年 |
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