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リチャード・テンプル=グレンヴィル (第3代バッキンガム=シャンドス公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第3代バッキンガム=シャンドス公爵
リチャード・テンプル=グレンヴィル
Richard Temple-Grenville, 3rd Duke of Buckingham and Chandos
生年月日 1823年9月10日
没年月日 1889年3月26日 (満65歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス イングランドロンドンメリルボーン
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党 保守党
称号 第3代バッキンガム=シャンドス公爵枢密顧問官(PC)、インドの星勲章ナイト・グランド・コマンダー(GCSI)

内閣 第三次ダービー伯爵内閣
在任期間 1866年7月6日 - 1867年3月8日

内閣 第三次ダービー伯爵内閣第一次ディズレーリ内閣
在任期間 1867年3月8日 - 1868年12月3日[1]

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 バッキンガム選挙区英語版[2]
在任期間 1846年2月11日 - 1857年3月27日[2]

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1861年7月29日 - 1889年3月26日[2]
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第3代バッキンガム=シャンドス公爵リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル: Richard Plantagenet Campbell Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville, 3rd Duke of Buckingham and Chandos, GCSI, PC, DL1823年9月10日 - 1889年3月26日)は、イギリスの政治家、貴族。

ヴィクトリア朝保守党政権で閣僚職を務めた。

生誕から父が爵位を継承する1839年までテンプル伯爵(Earl Temple)、1839年から自身が爵位を継承する1861年までシャンドス侯爵(Marquis of Chandos)の儀礼称号を使用した[3]

経歴

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1875年5月29日の『バニティ・フェア』誌に描かれたバッキンガム=シャンドス公の似顔絵

1823年9月10日、後に第2代バッキンガム=シャンドス公爵位を継承するシャンドス侯爵(儀礼称号)リチャード・テンプル=グレンヴィルとその妻メアリー(初代ブレッダルベーン侯爵ジョン・キャンベル英語版の娘)の間の長男として生まれる[4][5]

イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学[3][4]

1846年から1857年にかけてバッキンガム選挙区英語版から選出されて保守党庶民院議員を務める[4][5]1852年から1853年にかけて皇太子王璽尚書(Privy Seal to the Prince of Wales)を務める[4][6]。また1852年から1861年までロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道英語版の社長を務める[4]

1861年7月29日に父からバッキンガム=シャンドス公爵位を継承し[4]貴族院議員に列する[4]

1866年7月から1867年2月まで第三次ダービー伯爵内閣に枢密院議長として入閣[4]1867年3月から植民地大臣に転じる。続く第一次ディズレーリ内閣でも留任し、同内閣が終わる1868年12月まで務めた[1]

1868年7月21日の貴族院でスコットランド貴族爵位キンロス卿は彼が継承していたことが確認された[3][7]

第二次ディズレーリ内閣期の1875年から1880年にかけてイギリス領インド帝国マドラス知事英語版に就任。在任中にマドラスは大飢饉英語版に襲われたため、その対策に追われた[3]

1889年3月26日、ロンドン・メリルボーンシャンドス・ハウス英語版で死去した[4]

男子がなかったため、バッキンガム=シャンドス公爵はじめ保有爵位の多くは廃絶したが、特別継承規定がある爵位をいくつか残した。キンロス卿は長女メアリーコバム子爵は親族の第5代リトルトン男爵英語版チャールズ・リトルトン英語版ストーのテンプル伯爵は甥のウィリアム・ゴア=ラントン英語版がそれぞれ継承した[4][5][8][9][10]

栄典

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爵位

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1861年7月29日に父リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィルの死により以下の爵位を継承した[4][5][8][9][10]

1868年7月21日に以下の爵位を父の死とともに継承していたことが確認された[4][5][7]

勲章

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名誉職その他

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家族

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1851年にキャロライン・ハーヴィー(ロバート・ハーヴィーの娘)と結婚し、彼女との間に以下の3子を儲けた[4]

  • 第1子(長女)第11代キンロス女卿メアリー(1852-1944)
  • 第2子(次女)アン(1853-1890)
  • 第3子(三女)キャロライン・ジェマイマ・エリザベス(1858-1946)

1874年にキャロラインと死別し、1885年にアリス・アン・グラハム=モントゴメリー(サー・グラハム・グラハム=モントゴメリー準男爵英語版の娘)と再婚したが、彼女との間に子供はない[4]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 秦(2001) p.510
  2. ^ a b c UK Parliament. “Marquess of Chandos” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年6月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e Boase, George Clement (1890). "Grenville, Richard Temple Plantagenet Campbell Nugent Brydges Chandos" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 23. London: Smith, Elder & Co. p. 131. 2014年6月2日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Lundy, Darryl. “Richard Plantagenet Campbell Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville, 3rd Duke of Buckingham and Chando” (英語). thepeerage.com. 2014年6月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Buckingham and Chandos, Duke of (UK, 1822 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月15日閲覧。
  6. ^ "No. 21303". The London Gazette (英語). 23 March 1852. p. 869.
  7. ^ a b Heraldic Media Limited. “Kinloss, Lord (S, 1601/2)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月16日閲覧。
  8. ^ a b Heraldic Media Limited. “Temple, Earl (GB, 1749 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月16日閲覧。
  9. ^ a b Heraldic Media Limited. “Temple of Stowe, Earl (UK, 1822)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月16日閲覧。
  10. ^ a b Heraldic Media Limited. “Cobham, Viscount (GB, 1718)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月16日閲覧。
  11. ^ "No. 20568". The London Gazette (英語). 6 February 1846. p. 411.
  12. ^ "No. 21297". The London Gazette (英語). 24 February 1846. p. 670.
  13. ^ "No. 20609". The London Gazette (英語). 29 May 1846. p. 1981.

参考文献

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外部リンク

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公職
先代
第2代グランヴィル伯爵
イギリスの旗 枢密院議長
1866年 - 1867年
次代
第7代マールバラ公爵
先代
第4代カーナーヴォン伯爵
イギリスの旗 植民地大臣
1867年 - 1868年
次代
第2代グランヴィル伯爵
先代
ホバート卿英語版
イギリス領インド帝国の旗 マドラス知事英語版
1875年 - 1880年
次代
ウィリアム・パトリック・アダム英語版
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
サー・トマス・フレマントル准男爵英語版
ジョン・ホール英語版
バッキンガム選挙区英語版選出庶民院議員
1846年 - 1857年
同一選挙区同時当選者
ジョン・ホール英語版
次代
ジョン・ホール英語版
サー・ハリー・ヴァーニー准男爵英語版
名誉職
先代
第2代キャリントン男爵英語版
バッキンガムシャー知事英語版
1868年 - 1889年
次代
初代ロスチャイルド男爵
イギリスの爵位
先代
リチャード・テンプル=グレンヴィル
第3代バッキンガム=シャンドス公爵
1861年 - 1889年
廃絶
ストーの第3代テンプル伯爵
1861年 - 1889年
次代
ウィリアム・ゴア・ラントン英語版
グレートブリテンの爵位
先代
リチャード・テンプル=グレンヴィル
第4代バッキンガム侯爵
1861年 - 1889年
廃絶
第6代テンプル伯爵
1861年 - 1889年
第7代コバム子爵
1861年 - 1889年
次代
チャールズ・リトルトン英語版
アイルランドの爵位
先代
リチャード・テンプル=グレンヴィル
第5代ニュージェント伯爵英語版
1861年 - 1889年
廃絶
スコットランドの爵位
先代
リチャード・テンプル=グレンヴィル
(デ・ジュリ)
第10代キンロス卿
(1868年に確認)

1861年 - 1889年
次代
メアリー・モーガン=グレンヴィル