リチャード・ウィンフィールド (初代ポーズコート子爵、1697-1751)
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初代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド(英語: Richard Wingfield, 1st Viscount Powerscourt PC (Ire)、1697年8月19日洗礼 – 1751年10月21日)は、アイルランド王国の政治家、貴族。
生涯
[編集]エドワード・ウィンフィールド(Edward Wingfield、1728年1月7日没)と1人目の妻エレノア・ゴア(Eleanor Gore、初代準男爵サー・アーサー・ゴアの娘)の息子として生まれ、1697年8月19日にダブリンの聖マイケル教会で洗礼を受けた[1]。
1727年から1744年までボイル選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務め[2]、1744年2月4日にアイルランド貴族であるウェックスフォード県ウィンフィールドのウィンフィールド男爵とウィックロー県におけるポーズコートのポーズコート子爵に叙された[1]。その後、1746年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
1751年10月21日にチェルシーで死去、11月17日にポーズコートで埋葬された[1]。長男エドワードが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1721年8月30日、アン・アッシャー(Anne Usher、クリストファー・アッシャーの娘)と結婚した[3]。
1727年4月13日、ドロシー・ベレスフォード・ローリー(Dorothy Beresford Rowley、1785年7月21日没、ハーキュリーズ・ローリーの娘)と再婚、2男2女をもうけた[3]。
- フランシス(1728年6月2日 – 1794年7月31日) - 1747年11月26日、ジョン・ゴア(後の初代アナリー男爵)と結婚
- エドワード(1729年 – 1764年) - 第2代ポーズコート子爵
- リチャード(1730年 – 1788年) - 第3代ポーズコート子爵
- イザベラ(Isabella、1808年9月24日没) - 1770年3月7日、第5代準男爵サー・チャールズ・スタイルと結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 289.
- ^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年1月18日閲覧。
- ^ a b "Powerscourt, Viscount (I, 1743)". Cracroft's Peerage (英語). 31 August 2015. 2020年1月18日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 サー・ヘンリー・キング準男爵 ロバート・サンドフォード |
庶民院議員(ボイル選挙区選出) 1727年 – 1744年 同職:アーサー・フレンチ |
次代 アーサー・フレンチ サー・ロバート・キング準男爵 |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | ポーズコート子爵 1743年 – 1751年 |
次代 エドワード・ウィンフィールド |