リチャード・ウィンフィールド (第3代ポーズコート子爵)
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第3代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド(英語: Richard Wingfield, 3rd Viscount Powerscourt、1730年12月24日洗礼 – 1788年8月8日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。
生涯
[編集]初代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールドと2人目の妻ドロシー・ベレスフォード・ローリー(Dorothy Beresford Rowley、1785年7月21日没、ハーキュリーズ・ローリーの娘)の息子として生まれ、1730年12月24日に洗礼を受けた[1]。1746年6月27日、ミドル・テンプルに入学した[1]。1751年に父が死去すると、遺言状で6,000ポンドを受け取った[1]。
1761年から1764年までウィックロー・カウンティ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務め、1764年5月6日に兄エドワードが死去するとポーズコート子爵位を継承、10月22日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。
1788年8月8日にダブリンで死去、ポーズコートで埋葬された[1]。長男リチャードが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1760年9月7日、アメリア・ストラトフォード(Amelia Stratford、1831年10月11日没、初代アルドバラ伯爵ジョン・ストラトフォードの娘)と結婚、3男3女をもうけた[2]。
- リチャード(1762年 – 1809年) - 第4代ポーズコート子爵
- ジョン(1772年8月2日 – 1850年8月9日) - 1797年4月25日、フランシス・バーソロミュー(Frances Bartholomew、1827年7月13日没、レオナード・バーソロミューの娘)と結婚、子供あり。1832年8月1日、ハリエット・グラント(Harriette、1863年3月28日没、ヘンリー・グラントの娘)と再婚
- エドワード(1772年8月2日 – 1859年8月24日) - 1797年4月17日、ハリエット・エスター・ウェステンラー(Harriet Esther Westenra、1858年12月16日没、庶民院議員ヘンリー・ウェステンラーの娘)と結婚、子供あり
- マーサ(1844年9月13日没)
- エミリア(Emilia、1840年6月6日没) - 1817年、ロバート・ディーン・スプレッド(Robert Deane Spread、1840年2月5日没)と結婚
- ハリエット(1800年没)
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 289–290.
- ^ "Powerscourt, Viscount (I, 1743)". Cracroft's Peerage (英語). 31 August 2015. 2020年1月18日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 リチャード・チャペル・ウェーリー アンソニー・ブラバゾン |
庶民院議員(ウィックロー・カウンティ選挙区選出) 1761年 – 1764年 同職:ラルフ・ハワード |
次代 ラルフ・ハワード ウィリアム・ブラバゾン |
アイルランドの爵位 | ||
先代 エドワード・ウィンフィールド |
ポーズコート子爵 1764年 – 1788年 |
次代 リチャード・ウィンフィールド |