モード・オブ・ランカスター (レスター伯爵夫人)
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モード・オブ・ランカスター Maud of Lancaster | |
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称号 |
レスター伯爵夫人 下バイエルン=シュトラウビング公妃 エノー伯妃 |
出生 |
1340年4月4日 イングランド王国、リンジー、ボリンブロク城 |
死去 |
1362年4月10日(22歳没) イングランド王国 |
配偶者 | ラルフ・スタッフォード |
下バイエルン=シュトラウビング公ヴィルヘルム1世 | |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | 初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモント |
母親 | イザベラ・オブ・ボーモント |
モード・オブ・ランカスター(Maud of Lancaster, Countess of Leicester, 1340年4月4日 - 1362年4月10日)またはエノー伯妃マティルダ(Matilda, Countess of Hainault)は、14世紀のイングランド貴族女性。初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントとイザベラ・オブ・ボーモントの長女としてボリンブロク城で生まれた。
生涯
[編集]モードはまだ幼い頃、1344年11月1日に初代スタッフォード伯ラルフ・スタッフォードの長男ラルフ・スタッフォードと最初に結婚した[1]。夫の死後の1352年に、ヴィッテルスバッハ家の下バイエルン=シュトラウビング公ヴィルヘルム1世と2度目の結婚をした。ヴィルヘルム1世との間には娘が1人生まれたが1356年に早世した。
ランカスター公位(第一次創設)は1361年の父の死とともに断絶したが、モードは妹のブランシュ・オブ・ランカスターとともに父の領地と他の称号の共同相続人となった[2]。レスター伯位は精神異常のため1358年から1389年に死去するまで幽閉されていたモードの2番目の夫ヴィルヘルム1世に継承され、ランカスター伯位は妹の夫ジョン・オブ・ゴーントに継承された。モードは1年後に子女を残すことなく死去した。そのため、モードの死とともに父の遺産は妹ブランシュとその夫ジョン・オブ・ゴーントに継承された[2]。この遺産はランカスター家の政治的、財政的基盤となった。ランカスター家のイングランド王ヘンリー4世はモードの甥にあたる。