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モーデカイ・ブラウン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーデカイ・ブラウン
Mordecai Brown
モーデカイ・ブラウン(1911年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州ナイズビル
生年月日 1876年10月19日
没年月日 (1948-02-14) 1948年2月14日(71歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
初出場 1903年4月19日
最終出場 1916年9月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴:
監督歴:
殿堂表彰者
選出年 1949年
選出方法 ベテランズ委員会選出

モーデカイ・ピーター・センテニアル・ブラウン(Mordecai Peter Centennial Brown、1876年10月19日 - 1948年2月14日)は、アメリカ合衆国野球選手。主なポジションは投手インディアナ州生まれ。右投両打。

ニックネームは"Three Finger"(スリーフィンガー)。手にハンディキャップを負いながら、メジャーリーグで239勝を挙げた。通算防御率は2010年現在メジャー歴代3位である。

経歴

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ブラウンは7歳の時、叔父の農場にあったトウモロコシ粉砕機に手を挟まれ、人差し指と小指の先を切断する重傷を負い、さらに指の骨折が重なって中指が小指方向に曲がった状態でボールを投げていた。

ブラウンの右手の状態と球の握り方

インディアナで鉱夫をしていたブラウンは、1901年にインディアナ州のマイナーリーグで好成績を残した後、1903年に26歳でセントルイス・カージナルスからメジャーデビューする。ストレートのほかにチェンジアップと、大きく落ちる変化球を投げていたとされ、多くの書物ではその球種を「カーブ」としている。しかしブラウンの手の状態から横に曲がる変化球が投げにくかったことは想像に難くなく、またワールドシリーズで彼と対戦したタイ・カッブは自伝の中で、「ブラウンはフォークを投げていた」と証言している。

シカゴ・カブス移籍後の1904年から安定した投球を続け、この年防御率1.86をマーク。以後1910年までの7年のうち、6シーズンは防御率1点台という活躍をする。この間カブスは1906年から1908年までリーグを3連覇し、1907年と1908年のワールドシリーズタイ・カッブらを要するデトロイト・タイガースを2年連続で破りワールドシリーズ連覇を達成した。同じ殿堂入り投手であるクリスティ・マシューソンとの投げ合いが有名で、投手部門リーグ1位の回数はマシューソンの方が多いが、二人が投げ合う試合においては逆にブラウンの方が戦績がよく、9連勝したこともある。

1911年にはメジャーリーグ史上初の年間2桁セーブ(13)を挙げた。

1914年には、新興のフェデラル・リーグに移り、リーグ消滅後の1916年にカブスに戻り、現役を引退する。ブラウンの最後の登板は1916年9月4日のことで、奇しくも相手のクリスティ・マシューソンもこの試合が現役最後の登板だった。引退後は故郷インディアナに戻って1945年まで給油所を経営していたり、地元マイナーリーグの監督やコーチをしながら、ゲームやエキシビションで10年以上投げ続けていたという。晩年は糖尿病脳卒中を患っていた。

1948年、インディアナ州で死去。翌1949年、ベテランス委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

投手としての球種はビックカーブ(大きいカーブ)、カーブ、スローボール(現在のチェンジアップ)。投球フォームはオーバーハンド、サイドアーム、アンダーハンド。(米書 「guide to pitchers」より)

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1903 STL 26 24 19 1 [1]1 9 13 0 -- .409 854 201.0 231 7 59 -- 6 83 6 0 105 58 2.60 1.44
1904 CHC 26 23 21 4 [2]2 15 10 1 -- .600 833 212.1 155 1 50 -- 6 81 5 0 74 44 1.86 0.97
1905 30 24 24 4 [3]5 18 12 0 -- .600 975 249.0 219 3 44 -- 1 89 2 1 89 60 2.17 1.06
1906 36 32 27 9 [4]3 26 6 3 -- .813 1044 277.1 198 1 61 -- 4 144 2 1 56 32 1.04 0.93
1907 34 27 20 6 [5]2 20 6 3 -- .769 861 233.0 180 2 40 -- 6 107 4 0 51 36 1.39 0.94
1908 44 31 27 9 [6]7 29 9 5 -- .763 1153 312.1 214 1 49 -- 5 123 6 0 64 51 1.47 0.84
1909 50 34 32 8 [7]6 27 9 7 -- .750 1280 342.2 246 1 53 -- 7 172 9 0 78 50 1.31 0.87
1910 46 31 27 6 [8]5 25 14 7 -- .641 1170 295.1 256 3 64 -- 4 143 6 0 95 61 1.86 1.08
1911 53 27 21 0 [9]6 21 11 13 -- .656 1082 270.0 267 5 55 -- 6 129 5 0 110 84 2.80 1.19
1912 15 8 5 2 [10]1 5 6 0 -- .455 366 88.2 92 2 20 -- 1 34 0 0 35 26 2.64 1.26
1913 CIN 39 16 11 1 [11]1 11 12 6 -- .478 702 173.1 174 7 44 -- 1 41 1 1 79 56 2.91 1.26
1914 SLM 26 18 13 2 [12]1 12 6 0 -- .667 722 175.0 172 7 43 -- 3 81 5 1 73 64 3.29 1.23
BTT 9 8 5 0 0 2 5 0 -- .286 246 57.2 63 1 18 -- 0 32 2 0 33 27 4.21 1.41
'14計| 35 26 18 2 1 14 11 0 -- .560 968 232.2 235 8 61 -- 3 113 7 1 106 91 3.52 1.27
1915 CHI 35 25 17 3 [13]3 17 8 4 -- .680 931 236.1 189 2 64 -- 7 95 6 0 75 55 2.09 1.07
1916 CHC 12 4 2 0 [14]1 2 3 0 -- .400 203 48.1 52 0 9 -- 4 21 2 0 27 21 3.91 1.26
MLB:14年 481 332 271 55 44 239 130 49 -- .648 12422 3172.1 2708 43 673 -- 61 1375 61 4 1044 725 2.06 1.07
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

打撃成績

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  • 通算成績:493試合、1143打数235安打、本塁打2、打点74、三振75 (+)、打率.206

獲得タイトル・記録

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監督としての戦績

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1914年 STT FL 114 50 63 .442 8位 開幕~8月21日
通算成績 114 50 63 .442

出典

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外部リンク

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先代
クリスティ・マシューソン
ナ・リーグ最優秀防御率
1906年
次代
ジャック・フィースター
先代
クリスティ・マシューソン
ナ・リーグ最多勝利
1909年
次代
クリスティ・マシューソン