メレオロジー
メレオロジー(英語: mereology)とは、数理論理学・言語学・哲学の専門用語で、部分と全体の関係(part-whole relation)を扱う理論・視座のこと。もともとはスタニスワフ・レシニェフスキが数理論理学の文脈で用いた造語だが[1]、のちにそこから派生して様々な文脈で用いられるようになった。語源は古典ギリシア語で「部分」を意味する「メロス」(μέρος)から。形容詞形は「メレオロジー的」「メレオロジカルな」(mereological)。
数理論理学
[編集]20世紀初頭ポーランドのレシニェフスキが、数学基礎論・数学の哲学の文脈で「メレオロジー」を提唱した。この場合のメレオロジーは集合論と対比される。20世紀中期米国のグッドマンやクワインもメレオロジーを論じた。
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言語学
[編集]言語学における意味論(語彙意味論)の文脈で、単語間の階層関係についての説明として、メレオロジーを念頭に「メロニミー」(meronymy)または「メロノミー」(meronomy)という用語で総称される単語群がある[2][3]。例えば「車」にとっての「車輪」がこれにあたる。メロニミーは、「ハイポニミー」(hyponymy)すなわち「車」にとっての「バス」と対比される。また、「ホロニミー」(holonymy)すなわち「車輪」にとっての「車」とも対比される。メロニミーと関連する用語として、換喩(メトニミー)や提喩(シネクドキ)といった修辞技法の用語がある。
また、言語学における形式意味論および哲学における言語哲学の文脈で[4]、英語における不可算名詞(mass noun、質量名詞、物質名詞)や複数(plural)についての説明の仕方の一つとしてメレオロジーが用いられることもある[1][5][6]。それと関連して、「質量名詞仮説」(mass noun hypothesis)という仮説がある[7][8]。すなわち、日本語・朝鮮語・中国語といった、文法上の数をもたない代わりに助数詞をもつ言語について、これらの言語はすべての名詞が不可算名詞であり、後述の一元論のように世界を捉えている、とする仮説である[8]。この仮説は、1968年のクワインによって、「ガヴァガイ」で知られる翻訳の不確定性と関連して提唱された[9]。しかしその後、1990年代の飯田隆によって否定され[10]、クワイン自身もその否定を受け容れている[9]。
哲学
[編集]主に現代の分析形而上学において様々な文脈で論じられる。わかりやすい応用例・喩え話として、「砂山のパラドックス」「テセウスの船」「粘土と像」(statue and lump of clay)[11]、「ティブルスのパラドックス」(Tibbles, 猫のティブルス)[12]、『ミリンダ王の問い』の冒頭[13]などがある。主な論点・トピックとして以下がある。
- 部分とは何か、全体とは何か、部分と全体の関係、部分同士の関係とは何か
- 全部分(部分の総和・総体)と全体との関係とは何か。「全体は部分の総和にすぎない[14]」のか、それとも「全体は部分の総和以上のものである」のか。
- 「全体は部分の総和にすぎない」ならば、あらゆるものは人間が作り出したまぼろし、名前だけの存在であり、この世には何ものも実在しない(メレオロジー的虚無主義、mereological nihilism)[15]。何ものかが実在するとしても、それは極めて単純なもの(simple)、すなわち無数の最小不可分な原子だけである(原子論)。もしくは無数の原子というより一個のひたすら巨大な「どろどろねばねばの塊[16]」としての世界だけである(一元論、ブロブ、blob、blobject)。もしくは原子ですら無い無限に分割可能な「ずぶずぶの底なし沼[16]」としての世界だけである(多元論、ガンク、gunk、atomless gunk)
- ものの同一性(通時的同一性)が、部分の増減・変化を受けても「持続する」(persistence)ということについての諸説。例えば、ものにとっての時間もまた部分の一種(時間的部分、temporal parts)であるとみなし、それにより、ものの同一性を三次元ではなく四次元の観点から説明する説(四次元主義、four-dimensionalism)。四次元主義は、延続主義(延続説、perdurantism)と重なる。四次元主義・延続主義は、耐続主義(耐続説、endurantism)・三次元主義(three-dimensionalism)・メレオロジー的本質主義、mereological essentialism)と対比される。
- 部分が全体を「構成する」(複合的なものを作る、composition)ということについての諸説。例えば、どんなものでも部分になって任意の全体(メレオロジー的和、mereological sum)を無制限に作ることができる(メレオロジー的普遍主義、universalism)のか、無制限に作ることはできない(メレオロジー的制限主義、restrictivism)のか。
- クラスや類種関係、現代普遍論争(problem of universals)、抽象的対象全般といった、他のトピックへのメレオロジーの応用
また、哲学史研究の視座の一つとしてメレオロジーが応用されることもある[17]。例えば、古代ギリシア哲学において「メロス」(部分)は「ホロン」(全体、男性形: ホロス、ὅλος)や「パン」(総て、πᾶν)や「ストイケイオン」(構成要素・元素、στοιχεῖον)などと一緒に言及されており、プラトンやアリストテレスにおいても言及されている[18]。アリストテレスは類種関係をメレオロジーと結びつけている[19]。その他、ソクラテス以前の哲学者・古代原子論者や、トマス・アクィナスなどの西洋中世哲学[20][21]、フッサールの現象学(いわゆる大陸哲学)、ライプニッツやホワイトヘッドの思想のうちにメレオロジーが見出されることもある。さらに、『ミリンダ王の問い』冒頭の「ナーガセーナ」と「車」の喩えなどの仏教思想や[13]、ニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派の思想[22]、諸子百家の『荘子』「丘里之言」章や名家の思想[23][24][25]といった、東洋哲学のうちにメレオロジーが見出されることもある。
脚注
[編集]- ^ a b 飯田 2019, p. Kindleの位置No.600-602(「複数表現の論理への二つのアプローチ」節).
- ^ “#2811. 部分語と全体語 - hellog~英語史ブログ”. 堀田隆一(慶應義塾大学サーバー内). 2020年4月26日閲覧。
- ^ さらに別の表記として「パートノミー」(Partonomy)および「パート二ミー」(Partonymy)がある。
- ^ 飯田 2019, まえがき.
- ^ Nicolas, David (2018). Zalta, Edward N.. ed. The Logic of Mass Expressions (Winter 2018 ed.). スタンフォード哲学百科事典
- ^ Linnebo, Øystein (2017). Zalta, Edward N.. ed. Plural Quantification (Summer 2017 ed.). スタンフォード哲学百科事典
- ^ 飯田隆「ワークショップ : "The mass-count distinction: philosophical, linguistic, and psychologicalperspectives"(6月8日 三田キャンパス東館6階 G-SECLab)」『Newsletter』第9巻、慶應義塾大学グローバルCOEプログラム論理と感性の先端的教育研究拠点、2009年。
- ^ a b 飯田 2019, p. Kindleの位置No.239.
- ^ a b 丹治信春 (2009) [1997]. クワイン ホーリズムの哲学. 平凡社〈平凡社ライブラリー〉(講談社〈現代思想の冒険者たち〉の増補版). pp. 243-247
- ^ 飯田隆 (1998). “Professor Quine on Japanese Classifiers”. Annals of the Japan Association for Philosophy of Science (科学基礎論学会) 9-3: 111-118(1996年のクワインの京都賞受賞記念ワークショップにおける発表原稿). doi:10.4288/jafpos1956.9.111.
- ^ セオドア・サイダー 著 / 中山康雄 監訳 / 小山虎、齋藤暢人、鈴木生郎 訳 2007, p. 27-29.
- ^ セオドア・サイダー 著 / 中山康雄 監訳 / 小山虎、齋藤暢人、鈴木生郎 訳 2007, p. 255.
- ^ a b Henry, Desmond Paul (1989). “Mereology and Metaphysics: From Boethius of Dacia to Leśniewski”. The Vienna Circle and the Lvov-Warsaw School. 38. Dordrecht: Springer Netherlands. pp. 203–224. doi:10.1007/978-94-009-2829-9_11. ISBN 978-94-010-7773-6
- ^ スティーヴン・マンフォード 著、秋葉剛史、北村直彰 訳 2017, 第3章 全体は部分の総和にすぎないのか.
- ^ 「メレオロジー的虚無主義」のより正確な定義は、「複合的なもの(真部分をもつもの)は実在しないのだ、とする立場」。Sider, Theodore (2013). “Against Parthood”. Oxford Studies in Metaphysics 8: 237–293 . "composite entities (entities with proper parts) do not exist."
- ^ a b 柏端 2017, p. 53.
- ^ 松田毅 編 2014.
- ^ テアイテトス_(対話篇)#「真なる思いなし+言論」についての問答 / パルメニデス_(対話篇)#内容 / 形而上学_(アリストテレス)#第5巻_-_哲学用語辞典
- ^ 加地 2023, p. 200.
- ^ 加藤雅人『意味論の内と外 ―アクィナス 言語分析 メレオロジー』関西大学出版部、2019年。ISBN 978-4873546902。
- ^ Arlig, Andrew (2019). Zalta, Edward N.. ed. Medieval Mereology (Fall 2019 ed.). スタンフォード哲学百科事典
- ^ 村田純一、小野基 1998, p. 960.
- ^ Fraser, Chris (2018). Zalta, Edward N.. ed. Mohist Canons (Winter 2018 ed.). スタンフォード哲学百科事典
- ^ アンヌ・チャン 著、志野好伸・中島隆博・廣瀬玲子 訳『中国思想史』知泉書館、2010年、132-143頁。ISBN 978-4862850850。
- ^ 『荘子』則陽篇(リンク)、『墨子』墨経(リンク) - 中国哲学書電子化計画
関連文献
[編集]- Mumford, Stephen (2012), Metaphysics: A Very Short Introduction, オックスフォード大学出版局, ISBN 978-0199657124
- スティーヴン・マンフォード 著、秋葉剛史、北村直彰 訳『哲学がわかる 形而上学』岩波書店、2017年。ISBN 978-4000612401。
- Sider, Theodore (2002), Four Dimensionalism: An Ontology of Persistence and Time, Clarendon Press, ISBN 978-0199244430
- セオドア・サイダー 著 / 中山康雄 監訳 / 小山虎、齋藤暢人、鈴木生郎 訳『四次元主義の哲学 持続と時間の存在論』春秋社〈現代哲学への招待〉、2007年。ISBN 978-4393323137。
- 飯田隆『日本語と論理 哲学者、その謎に挑む』NHK出版新書、2019年。ISBN 978-4140886007。
- 大畑浩志「時間論入門 第2回 変化とは何か—延続説・耐続説・段階説—」『フィルカル4(2) 分析哲学と文化をつなぐ』株式会社ミュー、2019年。ISBN 978-4943995227。
- 加地大介『穴と境界 存在論的探究 増補版』春秋社〈現代哲学への招待〉、2023年(原著2008年)。ISBN 9784393329078。
- 柏端達也『現代形而上学入門』勁草書房、2017年。ISBN 978-4326154494。
- 柏端達也、青山拓央、谷川卓 編訳『現代形而上学論文集』勁草書房、2006年。ISBN 978-4326199488
- 倉田剛『現代存在論講義 I ファンダメンタルズ』新曜社、2017年4月。ISBN 978-4788515185。
- 倉田剛『現代存在論講義 II 物質的対象・種・虚構』新曜社、2017年10月。ISBN 978-4788515444。
- 鈴木生郎、秋葉剛史、谷川卓、倉田剛『ワードマップ現代形而上学』新曜社、2014年。ISBN 978-4788513662。
- 中山康雄『言語哲学から形而上学へ: 四次元主義哲学の新展開』勁草書房、2019年。ISBN 978-4326154623。
- 松田毅 編『部分と全体の哲学: 歴史と現在』春秋社、2014年。ISBN 978-4393323595。
- 村田純一、小野基 著「全体/部分」、廣松渉ほか 編『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年、959f頁。ISBN 9784000800891。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]スタンフォード哲学百科事典(SEP)の多くの項目で "mereology" または "mereological" の語が出てくる(検索結果)。
- Mereology - スタンフォード哲学百科事典「メレオロジー」の項目。
- Identity Over Time - 同「通時的同一性」の項目。
- Temporal Parts - 同「時間的部分」の項目。