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マルグリット・ド・ヴァロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルグリット・ド・ヴァロワ
Marguerite de Valois
ナバラ王妃
フランス王妃
在位

ナバラ王妃:
1572年8月18日 - 1599年12月17日

フランス王妃:
1589年8月2日 - 1599年12月17日

別称 マルゴ(Margot)
出生 (1553-05-14) 1553年5月14日
フランス王国
サン=ジェルマン=アン=レー
死去 (1615-05-27) 1615年5月27日(62歳没)
フランス王国
パリ
埋葬 フランス王国
サン=ドニ大聖堂
結婚 1572年8月17日パリ
配偶者 アンリ4世
家名 ヴァロワ=アングレーム家
父親 フランス王アンリ2世
母親 カトリーヌ・ド・メディシス
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マルグリット・ド・ヴァロワ(Marguerite de Valois)またはマルグリット・ド・フランス(Marguerite de France, 1553年5月14日 - 1615年5月27日)は、フランスアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの娘。フランソワ2世シャルル9世アンリ3世の3人のフランス王の妹であり、ナバラ王、のちフランス王となったアンリ4世の最初の王妃である。マルゴ王妃(La Reine Margot)と呼ばれ、アレクサンドル・デュマ・ペール歴史小説王妃マルゴ』のヒロインになった。

生い立ち

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1553年5月14日パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レーの城で、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの三女として生まれた。ニックネームのマルゴは、後にそれぞれフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世となった3人の兄たちによって名づけられた。幼い頃から際立つ美貌と、教養がありギリシャ語ラテン語などの語学や哲学などにも造詣が深い彼女は、宮廷の華として誰もが憧れる絶世の美女として成長していった。

政略結婚とサン・バルテルミの虐殺

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何不自由なく成長したマルグリットには、大勢の男性が求婚をした。彼女が結婚したいと願ったのは、ギーズ公アンリであった。しかし、彼女の望みは母カトリーヌ・ド・メディシスによって打ち砕かれる。母は、激化するカトリックユグノーの宗教対立を解消するため、ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレに、ジャンヌの息子アンリ・ド・ブルボンとマルグリットの縁談を持ちかけた。

当初、カトリック教徒と息子との結婚に反対していたジャンヌ・ダルブレも、カトリーヌの宗教対立解消という考えに同調し、縁談はまとまった。しかしジャンヌは婚礼の直前、1572年6月9日に急死する。一説にはカトリーヌ・ド・メディシスによる毒殺ともささやかれる不審な死であったが、婚礼は予定通り同年8月17日にパリで行われた。

しかし婚礼の6日後の8月24日、サン・バルテルミの虐殺が発生する。マルグリットとナバラ王となったアンリ(母の死後に王位を継承)の婚礼のためにパリに集まっていた大勢のユグノー教徒たちは次々に惨殺され、アンリ自身も幽閉されることとなった。1576年、幽閉の身であったナバラ王アンリがパリの宮廷から脱走すると、マルグリットは兄のアンリ3世の許に残された。

その後、マルグリットはナバラ王アンリの許に送り届けられたが、それぞれが公然と幾多の愛人を抱え、夫婦仲は冷え切っていた。マルグリットは病に伏した後、1582年に再びパリの宮廷に戻ったが、兄アンリ3世と仲違いをして宮廷を去った[1]

離婚と晩年

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1589年にアンリ3世が暗殺された後、ナバラ王アンリはアンリ4世としてフランス王位に就いた。マルグリットとの間に子供はなく、仲も疎遠になっていて、1599年に2人は正式に離婚した。その後アンリ4世は、マルグリットの母方の遠縁であるメディチ家マリー・ド・メディシスと再婚した。

マルグリットは離婚後も、アンリ4世やその一家との関係は、友人として良好だったという。特にアンリ4世とマリー妃との子であるルイ13世を可愛がり、館と領地を遺贈した。

私生活

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マルグリットは派手な男性遍歴で有名であり、兄弟たちと近親相姦の関係にあったという噂もある。弟フランソワの政界工作のためフランドルに赴いた際、ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアを魅了し、ドン・フアンは「あれは、男を救うというよりは、破滅させるたぐいの美しさだ」[2]という言葉を残した。

日本語文献

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  • 『マルグリット・ド・ヴァロワ回想録』鍛冶義弘訳、水声社、2023年
  • 渡辺一夫『戦国明暗二人妃』中央公論社、1972年、中公文庫、1988年

マルグリット・ド・ヴァロワを主人公とした作品

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参考文献

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  1. ^ P・シャンピオン『わが懐かしき街』図書出版社、1992年、359頁。 
  2. ^ アレクサンドル・デュマ 作、鹿島茂 編訳『王妃マルゴ』 文藝春秋、1994年、p. 557 - 558