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みうらじゅん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイブームから転送)
みうら じゅん
第29回東京国際映画祭にて(2016年)
本名 三浦 純
生誕 (1958-02-01) 1958年2月1日(66歳)[1]
京都府京都市[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家イラストレータータレント
活動期間 1980年 -
ジャンル ギャグ漫画
代表作アイデン&ティティ
受賞

仏教伝道文化賞沼田奨励賞

本屋大賞発掘部門「超発掘本!」(「ない仕事」の作り方)
公式サイト http://www.miurajun.net/
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みうら じゅん (本名:三浦 純[2]1958年2月1日[1] - )は、日本漫画家イラストレーター

血液型:AB型[1]、ニックネームはMJ、じゅんちゃん、みうらさん。

妻はシンガーソングライターbird

京都府京都市出身[1]東山高等学校武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

職業については、エッセイスト小説家ミュージシャン評論家ラジオDJ編集長ライター解説者など幅広い分野で活動しており、公表している職業は「イラストレーターなど」。

亡き祖父は『拓本による京の句碑』を出版した饗庭蘆穂(あいば あしほ) [3]

来歴

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デビューまでの経緯

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小学生時代から仏像と怪獣が好きな少年で、京都や奈良の仏像をめぐる。仏像が好きすぎて仏教系の学校に入学したが、途中でエロに興味が出て仏像に飽きる。仏像が好きな理由は、怪獣のように見上げる迫力があったからだという。

高校一年生でカセットデビューしてオリジナルソングは全16巻450曲に及ぶ[4]

高校時代から絵描きを目指し、2浪後に武蔵野美術大学に入学する。在学中から、友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。

1980年代

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1980年に『ガロ』誌上でデビュー[2]。『ガロ』に持込をしたのは、他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断したためだが、それでも当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された[5]。初期の頃の画風は現在とは全く違い、デビュー前は和田誠を真似た絵だったので、ガロに持ち込みに行った時には渡辺和博に「和田誠って名前変えれば?」と言われた。それからひさうちみちおの絵を真似たり試行錯誤したことから、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった[6]

みうらとガロとの出会いは、小学生の頃に熱を出して学校を休んだ際、父親が貸本屋から希望してた『COM』と間違えて『ガロ』を借りてきてしまい、つげ義春の『ゲンセンカン主人』の温泉シーンで始まった(抜いた)と後年語っている[7]

1982年には講談社の発行する『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞する[2]。以後、『ビックリハウス』や『宝島』などの各雑誌で、関西ネタや怪獣ネタのエッセイイラストを執筆する。1986年に刊行された、糸井重里を「相談」役にすえた漫画集『見ぐるしいほど愛されたい』で、キャンプなものを題材とする現在のスタイルを確立した[要出典]本人曰く、漫画を描くのは大嫌いであるが、完成原稿を並べて俯瞰で見ることだけが楽しみで描いているという。一般的にゆるい絵柄で知られているが、それはカエルの絵などに限り、人物や仏像などは時間をかけて描くことが多い。[要出典]

1980年代後半からテレビ・ラジオでの出演も増え、多彩な活動を見せ始め、1989年には『いかすバンド天国』に喜国雅彦(漫画家)、滝本淳助(写真家)らと「大島渚」(由来は同名の映画監督大島渚より)という名のバンドを結成して出演し、『カリフォルニアの青いバカ』というオリジナル楽曲を披露した。

1990年代

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1991年ごろには女装に凝り、いとうせいこう安斎肇と「バギナーズ」という「女装バンド」を結成した。「ナオミ」の名でボーカルとギターを担当(安斎は「キャンディ・O」、いとうは「マリエ」)。バギナーズは外タレという設定で「遂に来日」「日本上陸」等と謳っていた[8]

1994年にはハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、映画俳優の田口トモロヲとユニット「ブロンソンズ」を結成。1996年にはいとうせいこうと「The Rock'n Roll Sliders」を結成し、みうらが撮影した写真にいとうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が初めて開催され、以後何度も開催される人気公演となる。

1996年には青林堂からみうら漫画のベスト選集『はんすう』が刊行された。渡辺和博が解説を書いているが、「初めてみうら先生のオフィスに玉稿をいただきにいった時は、非常に緊張した。みうら先生からは、卓越した漫画にたいする意見をいただいた」という、現実にまったく反するイヤミな内容が書かれている。

1997年自由国民社の『現代用語の基礎知識』による新語・流行語大賞のトップテンに「マイブーム」(後述)が選出され表彰される。

2000年代

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2003年には自伝的コミック『アイデン&ティティ』が、田口トモロヲの初監督作品として映画化され再び脚光を浴びる。『シベリア超特急』が縁で交流のある水野晴郎が世話人を務める日本映画批評家大賞では2004年度に功労賞を受賞。「勝手に観光協会」などのコラムの他、エッセイ、小説など文章の世界でも活躍中である。

歌手birdとの不倫(後にみうらの子を出産)が発覚し、前夫人と2007年春に離婚した。birdとは2006年末から「パートナー」という形で共同生活をしていたが、第2子の妊娠をきっかけに2009年に入籍をした[9]

2008年には興福寺創建1300年記念『国宝 阿修羅展』(2009年に東京福岡で開催)にともない発足する『阿修羅ファンクラブ』の会長となる。「阿修羅ファンクラブ」の公式ソング「愛の偶像(ラブ・アイドル)」(作曲:高見沢俊彦、作詞:みうらじゅん)は、高見沢のアルバム『Kaleidoscope』に収録。

テリー伊藤の司会を務めるNHKの視聴者参加番組『テレ遊びパフォー!』にて怪獣デザインマスターを名乗り、全国より怪獣デザインを公募、その中の一枚のデザインから『長髪大怪獣ゲハラ』のシナリオを執筆し、樋口真嗣制作総指揮の短編映画として完成するまでに携わった。

2018年10月4日 仏教伝道文化賞沼田奨励賞を受賞した。

2021年に、2015年に出版された『「ない仕事」の作り方』が本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞した。

人物

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仏教マニアとして

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  • 長きにわたる仏像マニアとして知られ、いとうせいこうと各地の仏像を見て回る『見仏記』は、書籍やDVDでシリーズ化されている。最近では、その流れから仏教に通ずる人生観を語ることもある。
  • 般若心経』に使用される278の漢字を市街地の看板などで使用されている文字から収集(各文字を写真撮影することによる『写経』)した「アウトドア般若心経」を完成させ、2006年秋の「タモリ倶楽部」で発表した。
  • いずれは出家する計画もある。さきの番組内では、インドア派であるみうらが撮影のためには外出が必要であり、「アウトドア」行動をとることが自らへの修行と位置づけられるため、家から出ることそのものを『出家』と表現していた。
  • 1992年日本テレビで放送された番組にて「大日本仏像連合」というバンドを結成し、不空羂索観音のコスプレをしながら自身が作詞した楽曲である『君は千手観音』を歌唱した。

音楽性

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  • 高校1年生になって、いくら仏像を熱く語ってもモテないということに気づき、モテてるのは誰だろう、と考えて吉田拓郎を知る[10][11][12]。吉田拓郎の初エッセイ集『気ままな絵日記』を読み「吉田拓郎になろう」と決めた[10][11][13]。400曲くらい歌を作ったが、ほとんど吉田拓郎のマネ[10]。みうらの名前がひらがな表記なのも、吉田拓郎の初期の名義が「よしだたくろう」だったことに由来している[11][14]。50代半ばにしてまだロン毛にしているのも、あの頃の拓郎さんを引きずっているからという[10][13][15]。『気ままな絵日記』はバイブルといい、自身の文体は、どんな文豪より吉田拓郎の影響を受けていると話している[11][16]
  • 吉田拓郎を通してボブ・ディランを知り、「人生の師匠」とまでリスペクトしており、ディラン関係のCDなどは(安売りの千円CDなどまで含めて)コンプリートに近くコレクションしている。「サングラスはボブ・ディラン、ロン毛は吉田拓郎と、考えて見たらボクは自分なんてものはなく、色んなものが合体してできあがっている」と話している[10][12]
  • ロックマニアでもあり、主にボブ・ディラントム・ジョーンズなどのキャラの濃いアーティストを愛好。また、半自伝的な漫画作品『アイデン&ティティ』シリーズでは、ウディ・アレンの映画『ボギー!俺も男だ』のハンフリー・ボガートのように、ディランが「主人公にだけ見える助言役」として、登場している。
  • 長髪(およびサングラス)がトレードマークだが、1980年代半ばの「トレンディ系コラムニスト・ブーム」の際は、その影響で短髪にしていた時代があった。1982年〜1983年頃はテクノカットにしていた。この際、糸井重里の「モッズヘアいいね」という言葉を聞き、どうやらモッズヘアと言えばテクノカットにしてくれると思い込み、高円寺床屋へ行って「モッズヘアにして下さい」と注文し店内を凍りつかせた伝説がある。だが、「本来の自分とは何か」と考え直し、長髪・サングラスの現在のスタイルに戻した。本人自身「自分が短髪だった『イカ天』が始まる前の1980年代は、すごく嫌いな時代だった」と語る[17]。2011年1月17日放送回のバラエティ番組『クイズ☆タレント名鑑』(TBS)のコーナーで、約20年ぶりにサングラスを外した素顔をテレビ番組で披露した。

その他サブカル関連

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  • ファミコンなど8bitCPU家庭用ゲーム機マニアでもあり、「クソゲー」は自分が生んだ言葉だと自認。
  • お笑い評論家としての顔も持ち合わせている。
  • エロ写真スクラップ収集家としても知られ、自作のスクラップ本は460冊を超えている。スクラップブック作成にはコクヨの「ラ40」とヤマト糊(L字タイプ)を使用している。みうら曰く「やはりエロは本能だから強い」。
  • 高校時代は「犬に似ているから」という理由で、ジョンというあだ名を付けられた。その後、長い間入院し退院して学校へ行ってみると、今度は「死にかけ」というあだ名を付けられた。
  • 堀江しのぶのファンであった。「日本の夏は堀江しのぶである」と力説して応援していたが、堀江は1988年にスキルス性胃がんのため23歳の若さで他界。その際にも「ボー然とした、ただ。そして生まれて初めて芸能人の死に対して泣けてきた」との言葉を残している[18]
  • 1979年有楽町日劇で行われたゴジラ大全集(東宝特撮日替わり上映)の際、館外に陳列されていた全長2メートルほどのディスプレイ用ゴジラ2体を酒に酔った勢いで友人らで盗んだことがある。12年後の1991年に、名古屋で宣伝用ゴジラぬいぐるみの盗難事件が起きたのをきっかけに、このエピソード『ゴジラの運搬』を漫画化して犯行を自白し、自身が所持していた1体を東宝に返却。「名古屋の君も早く返した方がいいよ」とコメントした[19]

主要活動履歴

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マイブーム

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マイブーム(my boom)はみうらによる造語である。「my」と「boom」を組み合わせた和製英語で「自分の中だけではやっている物や出来事」といった意味で使用される。みうらのマイブームのルーツは小学生時代にさかのぼる。小学校の社会科見学で奈良・京都の寺院を見学してから仏像に興味を持ちはじめ、寺院で配布されているパンフレットの仏像の写真を切り抜き仏像の感想を添えスクラップしていた。この仏像ブームがみうらの人生初のマイブームとなった。この言葉は「大ブーム」に語感が似ていることから思いついたという。

1994年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際に発言したのを機に、その語感の良さもあって一般に広まっていった。そして1997年に新語・流行語大賞で表彰された。同賞を受賞した言葉は、一般的にマスコミが多用する例はあるもののマスコミ外で流行したとは言い難いものがほとんどであり、その年限りの一過性に終わり死語と化すことも多い。その中で、「マイブーム」はマスコミ外でも広く使われており、受賞後も廃れることなく使用され続け、遂には2008年1月に発売された『広辞苑第六版』にも掲載されている珍しい例といえる(一方、2006年に彩図社より発売された『死語大全』にも掲載されており、みうら本人はダブル受賞だと喜んでいる)。

みうら自身はマイブームを、「自分だけのブームだけで終わらせず他人に広めること」としており、彼が注目した事柄は自身が出演する番組や著作などのかたちで面白おかしく紹介している。またそれらを世間に広める際は、みうらが考案した造語を用いる。またまったく流行らず埋もれてしまった“ナイブーム”もあったとのことである[20]。後述される、カニパンブーム、地獄表ブーム、バックオブエイジーズブーム、シンスブーム、AMAブーム、しびんブーム、男キッスブーム、テープカッターブームはナイブームとしてタモリ倶楽部内で検証された。

主なマイブーム

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  • 仏像ブーム
  • ブーム
  • 飛び出し坊やブーム
  • エロスクラップ作り
  • ムカエマ(ムカツク+絵馬
    • 読んでいるだけでムカツク=腹が立ってくる内容の絵馬のこと。みうらが紹介したものの一例:「田中と関わりがあることがないように」「秀さん生きてくれ!!○○生命一同」
  • いやげもの(嫌+土産物)
    • 悪趣味な置物やキーホルダー等、もらって困る土産物のこと。
  • カスハガ(カス+絵葉書
    • 絵葉書セットに混じっている、何をアピールしたいのか意図が全く不明であるカスのような絵葉書のこと。有名でもないただの建築物や風景、温泉の写真等が多い。
  • とんまつり(とんま+祭り
  • ゆるキャラ(ゆるい+キャラクター
  • らくがお(落書き+
    • 著名人の写真をベースにして、様々な落書きを施す遊び。元々は『小学四年生』でみうらが連載していたものだが、後に『どちら様も!!笑ってヨロシク』でもクイズの題材になるほど広まった。時の総理大臣:宮沢喜一も自身の写真を“らくがお”してもらうことを認めていたという。
  • 奥村チヨ再評価
    • 『CHIYO!COQUETTISH BOMB』(1994年・TOCT-8293〜4)の責任編集・選曲を担当。
  • シベリア超特急』(水野晴郎監督・脚本・主演)
    • 第1作目が制作/公開された当時は本当に一部のマニアにしか知られていない文字通りのカルトムービーだったが、みうらがきっかけの一つとなり広く話題となった。「シベ超」と略したのもみうらが最初である。なお、みうらは『映画秘宝』創刊者の町山智浩とは彼が『宝島』編集者だった時代からの長いつきあいであり、『映画秘宝』が創刊以来、一貫して「バカ映画」についての連載を持っている。町山によると、雑誌『映画秘宝』のキーワードのひとつでもある「バカ映画」は、みうらの命名だという。
  • 男キッス
    • 長い付き合いでも手さえ触れたことがない男友達が多い。そんな人達は友情を確認するために男同士でキッスするべきという考え。
  • シンスブーム
    • 店のロゴや看板等に添えられている、英語の“since ○○(創業年)”という表示を写真に収め、集めるブーム。ファッションブランドのBOAT HOUSEのSINCEが集めるきっかけとなった。ブームがこうじてSINCE Tシャツを制作したりヒヤシンスを育てたりしているとのこと。今年など新しすぎるものは最シンスという。
  • カニパンブーム
    • 蟹のパンフレットを集めるブーム。
  • 地獄表ブーム
    • バスの本数が地獄のように少ない時刻表に注目したブーム。
  • バック オブ エイジーズ ブーム
    • 文房具店などで売られている英文が印刷されている紙袋を集めるブーム。エイジーズは英字を意味する。
  • AMAブーム
    • 海女さんのフィギュアやグッズを集めるブーム。
  • しびんブーム
    • 世界中のしびんを集めるブーム。
  • テープカッターブーム
    • 通常は招待され参加するテープカットのイベントをみうら自ら参加を希望し、テープカットをするブーム。テープカットをするマイはさみとマイリボンを持参しているとのことである。

マイブーム詳細

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「みうらじゅん大図鑑」(宣伝会議)より

造語一例

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みうらがファミコンブーム時に雑誌で連載していたコラム「ゲロゲロゲームランド」から生まれた造語。元々はバカゲームと呼んでいたが、金払ってるんだからバカじゃ済まないぞということでクソゲーと呼ぶようになった。
人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。
えなりかずきを愛好する人のこと。
  • 『シベ超』
  • いやげもの
あげる人に嫌がれるお土産品。

みうらじゅん賞

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「この人にはだれも賞を贈らないだろう」というみうらの独断で選定・贈呈される賞。雑誌『宝島』で1994年に開始され、1999年までの7年間連載されたのち、同誌のリニューアルによって掲載が終了した。5年間のブランクを経て、「リリー・フランキーが『自分もみうらじゅん賞が欲しい』と言ったため」という理由で2005年から復活した。

歴代受賞者

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発表媒体 受賞者名
1994年(第1回) 宝島 杉作J太郎中野まり子(元おきゃんぴー、ライター)、カーツ佐藤(ライター)、いとうせいこう
1995年(第2回) 薮下秀樹(宝島社「VOW」担当、エビ天巨匠監督)、泉晴紀泉麻人田口トモロヲ
1996年(第3回) 金子修介樋口真嗣町山智浩水野晴郎安斎肇山田五郎
1997年(第4回) 宮本浩次吉田照美喜国雅彦谷ナオミ松崎しげる水道橋博士
1998年(第5回) スターシップ・トゥルーパーズミスターマッスル野坂昭如ヤセの断崖池田貴族
1999年(第6回) 遠藤賢司久住昌之ジョージ・ルーカス優香ニャンまげ
2000年(第7回) ケビン・ベーコン(『インビジブル』)、野沢直子井上陽水小林よしのり叶姉妹
2005年(第8回) GOLDEN TIMEJ-WAVE 熊田曜子井筒和幸猫ひろしリリー・フランキー峯田和伸(『アイデン&ティティ』)、ジャガーリチャード・ギア(『Shall We Dance?』)
2006年(第9回) みうらじゅん&安齋肇のなまはげ兄弟(EXエンタテイメント 高見沢俊彦(わんこそばギター)、スチャダラパー高田純次サミュエル・L・ジャクソン(『スネーク・フライト』)、二本松の菊人形大竹伸朗ギャル曽根
2007年(第10回) 田村正和(『ラストラブ』)、黒川晃彦(野外彫刻)、入水鍾乳洞(福島県)、キヨーレオピン俺たちフィギュアスケーターぽっちゃり王子(ゴルファー)、SAMTRF
2008年(第11回) みうらじゅんDSTBSチャンネル せんとくん笑福亭鶴光人間椅子高田文夫根本敬中井貴一(『次郎長三国志』)
2009年(第12回) イベント「みうらじゅんのDSショー」 チョー(『たんけんぼくのまち』)、ポール・スミス色即ぜねれいしょん松本清張ビーグル38
2010年(第13回) miurajunnet(Ustream 水嶋ヒロダニー・トレホ(『マチェーテ』)、YO-KING風間ゆみ、太田章(ニャン2倶楽部初代編集長)、松久淳
2011年(第14回) ニコニコ生放送 野口健前野健太わさおピンク・フロイドミゲル・ゲレイロ消臭力
2012年(第15回) 川勝正幸ドン小西糸井重里壇蜜オリエント工業(ラブドール)
2013年(第16回) タモリ土門拳真如海上人宮藤官九郎ねぎししろ4
2014年(第17回) 楳図かずお小谷元彦橋本マナミ渡辺祐リーアム・ニーソン(『フライト・ゲーム』)
2015年(第18回) 平田一式飾(島根県)、松本人志三浦憲治(写真家)、マッドマックス 怒りのデス・ロードGLIM SPANKY
2016年(第19回) GYAO! 安住紳一郎、Since 1624(赤坂四方)、月船さらら、御陣乗太鼓(石川県)、ボブ・ディラン
2017年(第20回) 冷マ(冷蔵庫のドアに貼るマグネット式販促チラシ)、伊集院光船越英一郎川上ゆう運慶
2018年(第21回) 峨嵋山イーサン・ハントミッション:インポッシブルシリーズ)、ヒックスヴィル仏教伝道協会沢口靖子
2019年(第22回) みうらじゅんチャンネルYouTube ロバート・ブロンジー(チャールズ・ブロンソンの激似俳優)、大竹まこと綾小路翔松本りんすSIXPAD
2020年(第23回) ジョンヨーココクヨアラビックヤマトルチアーノ・パヴァロッティ春川ナミオ伊藤政則ビル&テッド熱川バナナワニ園[21]
2021年(第24回) ダニエル・クレイグ、脊戸真由美(丸善書店 福岡店員)、巨人の星新谷学ほんとうのピノッキオ竹倉史人大槻ケンヂ
2022年(第25回) 「ワニがまわる タムラサトル」展 タムラサトル、RRR、茶平工業株式会社(メダリオン)、ピカソROLLY黄色い帽子のおじさん
2023年(第26回) カルピスアサヒ飲料)、M3GAN ミーガンNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)、牛頭天王奈良国立博物館)、ファイト最中(輪島功一)、サンボマスター

主な作品

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シリーズ化・文庫化されている作品はおもにシリーズ第1作・初出版時のものを挙げる。

漫画

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単著

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共著

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書籍

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単著

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共著

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音楽

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ソロ

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  • 『青春ノイローゼ』(1999年、88-LDKCD) - CDアルバム 主な収録曲:『とんまつりJAPAN』
  • 『DTF 童貞編』(2004年) - DVDアルバム 主な収録曲 : 『ぼくはかしこい‼︎』[22]
  • 『DTF 非童貞編』(2005年) - DVDアルバム 主な収録曲 : 『TOKYO・OGIKUBO・APARTMENT BLUES』

ユニット

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  • 『大島渚』(1990年) - CDアルバム (「大島渚」名義、ボーカル&ギターとして参加)
  • 『アイデン&ティティ』(1991年) - CDアルバム (「大島渚」名義)
  • 『シーモンキーズ』(1991年) - カセット (「シーモンキーズ」名義)
  • 『君は千手観音』(1992年) - テレビ番組内で披露(「大日本仏像連合」名義)
  • 『ビバ!バギナーズ』(1994年、TOCP-8332) - CDアルバム (「バギナーズ」名義、ボーカル&ギターとして参加)
  • 『SUPER MAGNUM』(1997年、TOCT-9768) - CDアルバム (「ブロンソンズ」名義)
  • とんまつりJAPAN』(2000年9月25日) - ビデオシングル(「みうらじゅん with 人間椅子」名義)
  • 『勝手に観光協会 vol.1』(2004年、LDCD-50012、第1作) - CDアルバム (「みうらじゅん&安斎肇」名義)

プロデュース

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  • OKAMANO KEN with スーパーホモンキーズ(みうらじゅんがプロデュースした名古屋の名物ホモ・ユニット)
    • 1stシングル『URAHARA』(作詞・作曲)
    • 2ndシングル『SNOW LIGHT LOVE』(作詞・作曲)
    • 3rdシングル『微熱が続いた夜』(作詞・作曲)

映画

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  • 『お笑い虎の穴』(1995年) - 企画・監督。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭出品作。
  • 『ダブルD・アベンジャー』- 字幕監修。
  • 色即ぜねれいしょん』(2009年) - 原作。
  • 長髪大怪獣ゲハラ』(2009年) - 企画・脚本。
  • 『みうらじゅんの正しい保健体育』(2011年) - 原作。監督は西巻正和。プロデューサーは森田健。
  • 『変態だ』(2016年) - 企画・原作・脚本。監督は安齋肇。
  • 『みうらじゅん&いとうせいこう 20th anniversary ザ・スライドショーがやって来る! 「レジェンド仲良し」の秘密』(2017年) - いとうせいこう、スライとのユニット、Rock'n Roll Slidersの20年間の活動のドキュメンタリー。[23]
  • 大仏廻国 The Great Buddha Arrival』(2018年) - アンバサダー

出演

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DVD・その他

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※みうらじゅんのぎゃふんソフト『はにいいんざすかい』紹介コーナー
※じゅんとカーツのてなもんや野球ゲームレビュー(カーツ佐藤と共演)
  • 『とんまつりJAPAN』(2000年) - VHSビデオ
  • 『テレビ見仏記1 京都編』(2002年、PIBW-7118、第1作) - DVD
  • 『みうらじゅんの伝説のゆるキャラショー』(2003年)- DVD
  • 全日本コール選手権 with みうらじゅん』(2005年、UPBH-1183) - DVD
  • 『みうらじゅん&安斎肇の「勝手に観光協会」 Vol.1』(2006年、AVBD-34318、第1作) - DVD
  • 『みうらじゅん・いとうせいこう めがね番長〜めがね上等!編〜』(2007年、PCBG-50961、第1作)-DVD
  • シンボルず』(2008年、MHBW-242、第1作) - DVD

主な開催イベント

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  • ザ・スライドショー(1996年・初開催) - いとうせいこうと共演
  • 日本崖っぷち大賞ライブ(1998年) - 安斎肇泉麻人山田五郎と共演
  • とんまつり祭り(2000年)
  • みうらじゅんのゆるキャラショー - 安斎肇、清水ミチコ、山田五郎と共演
  • みうらじゅんの勝手に JAPAN TOUR 2003(2003年) - 安斎肇と共演
  • みうらじゅん in 東京ドーム 郷土愛(きょうどラヴ) 2004(2004年)
  • みうらじゅん的映画祭(2005年)
  • みうらじゅんpresents 勝手に観光協会 ラジオショーUK.E(2006年) - 安斎肇、ウクレレえいじと共演
  • みうらじゅんのDSショー(2009年)-羽佐間道夫野沢雅子と共演

展覧会

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  • 大物産展 マイブームの国へようこそ(1998年、ラフォーレ原宿、1999年、扇町ミュージアムスクエア)
  • みうらじゅん キョーレツ!3本立!(2002年、ラフォーレ原宿他全国9か所) - 絵画、スクラップ、レコード
  • みうらじゅんのマイブーム・アート(2005年、枚方市民ギャラリー企画展)
  • 〜みうらじゅんジャンボリー〜[みうらじゅんの100冊展] Book On Rock'n Roll!(2009〜2010年、パルコファクトリー)- 原稿、フィギュ和、いやげ物、ゆるキャラ
  • MJ'S FES みうらじゅんフェス! マイブームの全貌展 SINCE 1958 - 川崎市民ミュージアム、富山市民プラザ(2018年)[25]
  • みうらじゅん マイ遺品展 - 大山崎山荘美術館(2021-2022年)[26]
  • みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都 - 美術館「えき」KYOTO(2024年)[27]

主な出演番組

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冠番組

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不定期・非レギュラー

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終了

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テレビ番組

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ラジオ番組

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テレビドラマ

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CM・広告

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  • ローソン (2000年) - いとうせいこう、しりあがり寿と共演
  • 全日本空輸 「LIVE/中国/ANA 竹の家篇」(2005年)- 山田五郎と共演
  • KDDIauの庭で。まとめる篇」(2008年)
長女役の仲間由紀恵、妻役の萬田久子、長男役の鈴木Q太郎ハイキングウォーキング)、次男役の子役少年と共演。家族揃って長く伸ばした黒髪が特徴。

脚注

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  1. ^ a b c d e みうらじゅんOFFICIAL SITE miurajun.net PROFILE
  2. ^ a b c 『新訂現代日本人名録2002』「みうら じゅん」2001年2月
  3. ^ 第2回 無理やり好きになってやる”. 考える人 (2018年10月31日). 2020年7月18日閲覧。
  4. ^ TR2 火曜日より。
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外部リンク

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