ポール・デポデスタ
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ポール・デポデスタ(Paul DePodesta 1972年12月16日 - )は、NFLのクリーブランド・ブラウンズのCSO(2016年1月 - )。
来歴
[編集]バージニア州アレクサンドリア生まれ。後にミネソタ・ツインズのGMとなるサド・レバインは幼馴染である。
ハーバード大学で経済学を学び、卒業後はCFLのボルチモア・スタリオンズとAHLのボルチモア・バンディッツで経営の手腕を磨いていった。
1996年からクリーブランド・インディアンスのフロント入りし、当時のGMであるジョン・ハートの下で3年間フロント・オフィスに従事した。1999年にはオークランド・アスレチックスへ移り、ここではGM補佐としてGMのビリー・ビーンを5年間支えた[1]。
2004年にはロサンゼルス・ドジャースのGMに就任し、積極的にトレードを敢行しながら9年ぶりの地区優勝を果たした。翌2005年は地区優勝を逸し、ジム・トレーシーの後任の監督探しが遅々として進まなかった責任もあり、10月に解任された[2]。
その後はサンディエゴ・パドレスの球団特別補佐、ニューヨーク・メッツの副社長兼育成・スカウト部長を務めた。
2016年1月からはNFLのクリーブランド・ブラウンズのCSOを務める[3]。
エピソード
[編集]2011年に公開された映画『マネーボール』では、主人公のビリー・ビーンの補佐役でイェール大学卒業となっているピーター・ブランドという人物がいるが、モデルはこのデポデスタである。この映画化にあたり、あまりに自分とは異なる外見の俳優がキャスティングされたこと、データおたくのようなキャラの描かれ方に納得できず、実名の使用を拒否している。
脚注
[編集]- ^ 永田潤「ポール・ディポデスタ/若き天才GMの名門再建計画」『月刊メジャー・リーグ』 2005年7月号 ベースボール・マガジン社 16-17頁
- ^ 「30球団マンスリー・リポート ロサンゼルス・ドジャース」『月刊メジャー・リーグ』 2005年12月号 ベースボール・マガジン社 82頁
- ^ “『マネーボール』の手法はアメフットでも通用するのか デポデスタ氏がNFLに挑戦”. Zakzak (2016年1月8日). 2020年3月9日閲覧。