ヘンリー・マンク (初代ラスダウン伯爵)
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初代ラスダウン伯爵ヘンリー・スタンリー・マンク(英語: Henry Stanley Monck, 1st Earl of Rathdowne、1785年7月26日 – 1848年9月20日)は、アイルランド貴族。
生涯
[編集]初代マンク子爵チャールズ・スタンリー・マンクとアン・クィン(Anne Quin、1823年12月20日没、ヘンリー・クィンの娘)の息子として、1785年7月26日に生まれた[1]。
1802年6月9日に父が死去すると、マンク子爵位を継承した[1]。
1822年1月12日、アイルランド貴族であるラスダウン伯爵に叙された[1]。
1848年9月20日に死去、ラスダウン伯爵位は廃絶、マンク子爵位は弟チャールズ・ジョセフ・ケリーが継承した[1]。
家族
[編集]1806年7月28日、フランシス・トレンチ(Frances Trench、1787年10月 – 1843年11月22日、初代クランカーティ伯爵ウィリアム・トレンチの娘)と結婚[1]、2男11女をもうけた[2]。
- アン・フロリンダ(Anne Florinda、1807年9月18日[2] – 1876年10月29日[3])
- フランシス・イザベラ(1809年7月20日[2] – 1871年6月9日) - 1834年8月25日、オーウェン・ブレイニー・コール(Owen Blayney Cole、1886年11月26日没)と結婚、子供あり[3]
- ハリエット(1811年1月7日 – 1812年2月[2])
- チャールズ・スタンリー・スペンサー・パーシヴァル(1812年5月 – 1813年4月[2])
- エリザベス・ルイーズ・メアリー(1814年3月1日 – 1892年6月16日) - 1844年7月22日、叔父の息子にあたる第4代マンク子爵チャールズ・マンクと結婚、子供あり[3]
- ウィリアム・パワー(1816年3月 – 1816年5月[2])
- エミリー(1818年4月5日 – 1837年11月21日) - 1837年2月7日、ウィリアム・バーロウ・スミス(William Barlow Smythe)と結婚[2]
- ルイーザ・ドロシア(1820年3月3日[2] – 1870年5月16日[3])
- ジョージアナ・エレン(Georgiana Ellen、1821年6月30日[2] – 1887年3月20日) - 1841年5月17日、エドワード・クロッカー(Edward Croker)と結婚、子供あり[3]
- キャロライン・レティシア(1823年4月20日[2] – 1890年3月1日[3])
- ヘンリエッタ・マーガレット(1825年3月26日[2] – 1899年4月8日[3])
- メアリー(1828年9月17日[2] – 1881年6月3日[3])
- セリナ・ガートルード(1828年9月17日 – 1830年1月15日[2])
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 328–329.
- ^ a b c d e f g h i j k l m Lodge, Edmund, ed. (1846). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (15th ed.). London: Saunders and Otley. p. 440.
- ^ a b c d e f g h "Monck, Viscount (I, 1801)". Cracroft's Peerage (英語). 6 June 2010. 2020年4月17日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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爵位創設 | ラスダウン伯爵 1822年 – 1848年 |
廃絶 |
先代 チャールズ・スタンリー・マンク |
マンク子爵 1802年 – 1848年 |
次代 チャールズ・ジョセフ・ケリー・マンク |