チャールズ・マンク (第3代マンク子爵)
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第3代マンク子爵チャールズ・ジョセフ・ケリー・マンク(英語: Charles Joseph Kelly Monck, 3rd Viscount Monck、1791年7月12日 – 1849年4月20日)は、アイルランド貴族、イギリス陸軍の軍人。
生涯
[編集]初代マンク子爵チャールズ・スタンリー・マンクとアン・クィン(Anne Quin、1823年12月20日没、ヘンリー・クィンの娘)の息子として、1791年7月12日に生まれた[1]。1799年よりラグビー校で教育を受けた[1]。
イギリス陸軍に入隊して第43軽歩兵連隊の中尉になり、半島戦争のビトリアの戦い、ピレネーの戦い、ニヴェル川の戦い、ニーヴ川の戦い(いずれも1813年)、トゥールーズの戦い(1814年)に参戦した[1]。
1848年9月20日に兄にあたる初代ラスダウン伯爵ヘンリー・マンクが死去すると、ラスダウン伯爵位は廃絶したが、従属爵位であるマンク子爵位はチャールズが継承した[1]。
1849年4月20日にダブリンのメリオン・スクエアで死去、息子チャールズ・スタンリーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1817年11月29日、ブリジット・ウィリントン(Bridget Willington、1843年1月22日没、ジョン・ウィリントンの娘)と結婚[1]、4男4女をもうけた[2]。
- チャールズ・スタンリー(1819年 – 1894年) - 第4代マンク子爵
- ジョン・ウィリントン(1820年 – 1850年7月12日)
- ウィリアム(1823年2月28日 – 1854年9月20日) - クリミア戦争のアルマ川の戦いで戦死
- アン(1853年9月23日没) - 1841年5月、ジェームズ・ネイピア・ウェブ(James Napier Webb、ダニエル・ジェームズ・ウェブの息子)と結婚
- イザベラ・ブリジット(1866年9月16日没)
- ヘンリエッタ(1911年5月6日没) - 1848年11月18日、フランシス・リチャード・ブルック(Francis Richard Brooke、1817年8月24日 – 1867年3月2日、ジョージ・フレデリック・ブルックの息子)と結婚、子供あり
- エリザベス(1829年頃 – 1888年1月5日)
- リチャード(1829年10月23日 – 1904年10月7日) - 1861年8月13日、フランシス・エリザベス・オーウェン・コール(Frances Elizabeth Owen Cole、1919年7月31日没、オーウェン・ブレイニー・コールの娘)と結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 328–329.
- ^ "Monck, Viscount (I, 1801)". Cracroft's Peerage (英語). 6 June 2010. 2020年4月17日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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先代 ヘンリー・スタンリー・マンク |
マンク子爵 1848年 – 1849年 |
次代 チャールズ・スタンリー・マンク |