コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

チャールズ・マンク (第4代マンク子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4代マンク子爵チャールズ・マンク(1880年頃)

第4代マンク子爵チャールズ・スタンリー・マンク英語: Charles Stanley Monck, 4th Viscount Monck, GCMG, PC1819年10月10日 - 1894年11月29日)は、イギリスアイルランドの政治家、貴族。最後のカナダ連合植民地総督英語版(在職1861年-1867年)、最初のカナダ総督(在職1867年-1868年)を務めた。

経歴

[編集]

1819年10月10日アイルランド貴族の第3代マンク子爵チャールズ・マンクとその妻ブリジット・マンク(旧姓ウィリントン, Bridget Willington)の間の長男として生まれる[1][2]

ダブリン大学トリニティ・カレッジで学び、1841年法廷弁護士の資格を取得した[2]。1849年4月20日に父の死により爵位を継承したが、アイルランド貴族であるため貴族院議員にはならず、1852年から1857年にかけてポーツマス選挙区英語版から選出されて自由党庶民院議員を務めた[2][3]1855年から1858年にかけて第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルの第一次内閣の下級大蔵卿英語版を務めた[2]

1861年11月28日からカナダ連合植民地総督英語版に就任した。就任直前にトレント号事件があり、アメリカ合衆国との関係が極度に悪化、米英開戦の危機が高まっていたので彼は影響力を行使してその危機を広めた。国内では保守派と改革派を和合させ、カナダ連邦創設を主導した。1867年に最初のカナダ総督に就任した。1868年にはケベック・シティー近くのスペンサーウッド(Spencerwood)にあった総督官邸英語版オタワリドー・ホール英語版に移した。1868年に退任した[4]

1866年7月12日連合王国貴族爵位マンク男爵に叙せられ[2]、貴族院議員に列した[3]

1869年から1881年にかけてアイルランド聖職委員英語版1872年から1894年にかけてアイルランドの国民教育委員(Commissioner of National Education)、1873年にはアイルランド高等法院裁判官英語版の一人となり、1874年から1892年にかけてはダブリン県統監英語版を務めた[2]

1894年11月29日に死去。爵位は長男ヘンリー・マンクが継承した[2]

栄典

[編集]

爵位

[編集]

1849年4月20日の父の死により以下の爵位を継承した[2]

  • ウェックスフォード県におけるバリートラモンの第4代マンク子爵 (4th Viscount Monck, of Ballytrammon in the County of Wexford)
    (1801年1月5日勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • ウェックスフォード県におけるバリートラモンの第4代マンク男爵 (4th Baron Monck, of Ballytrammon in the County of Wexford)
    (1797年11月23日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)

1866年7月12日に以下の爵位を新規に叙せられた[2]

  • ウェックスフォード県におけるバリートラモンの初代マンク男爵 (1st Baron Monck, of Ballytrammon in the County of Wexford)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

勲章

[編集]

1869年聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)[2]

家族

[編集]

伯父にあたる初代ラスダウン伯爵(2代マンク子爵)ヘンリー・マンクの娘エリザベス・ルイーザ・メアリー・マンク(Elizabeth Louise Mary Monck, 1814-1892)と結婚。彼女との間に以下の4子を儲ける[1][2]

  • 長男ヘンリー・パワー・チャールズ・スタンリー・マンク (Henry Power Charles Stanley Monck, 1849-1927) 第5代マンク子爵を継承。陸軍軍人
  • 次男リチャード・チャールズ・スタンリー・マウントジョイ・マンク (Richard Charles Stanley Mountjoy Monck,1858-1892) 陸軍軍人
  • 長女フランセス・メアリー・マンク (Frances Mary Monck ?-1930) リチャード・ピアースと結婚
  • 次女エリザベス・ルイーザ・メアリー・マンク (Elizabeth Louise Mary Monck, ?-1913) ジョン・ロイスと結婚

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b Lundy, Darryl. “Charles Stanley Monck, 4th Viscount Monck of Ballytrammon” (英語). thepeerage.com. 2018年1月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Monck, Viscount (I, 1801)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年1月23日閲覧。
  3. ^ a b UK Parliament. “Viscount Monck” (英語). HANSARD 1803–2005. 2018年1月23日閲覧。
  4. ^ カナダ総督府. “The Viscount Monck 1867-1868” (英語). 2018年1月23日閲覧。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ジョージ・ストートン準男爵英語版
フランシス・ベアリング
ポーツマス選挙区英語版選出庶民院議員
1852年英語版1857年英語版
同一選挙区同時当選者
フランシス・ベアリング
次代
サー・ダルリンプル=ホーン=エルフィンストン準男爵英語版
フランシス・ベアリング
公職
先代
アルフレッド・ハーヴィー英語版
エルチョ卿英語版
下級大蔵卿英語版
1855年–1858年
次代
ヘンリー・レノックス卿英語版
トマス・エドワード・タイラー英語版
ヘンリー・ホイットモア英語版
官職
先代
エドムンド・ウォーカー・ヘッド準男爵英語版
カナダ連合植民地総督英語版
1861年–1867年
廃止
カナダ植民地軍総司令官英語版
1861年–1867年
廃止
西カナダ副総督
1861年–1867年
次代
ヘンリー・ウィリアム・スティステッド英語版
東カナダ副総督
1861年–1867年
次代
Sir Narcisse-Fortunat Belleau
新設 カナダ総督
1867年–1868年
次代
初代リスガー男爵英語版
名誉職
先代
第3代ハウス伯爵
ダブリン統監
1874年–1892年
次代
イオン・ハミルトン英語版
アイルランドの爵位
先代
チャールズ・マンク
第4代マンク子爵
1849年–1894年
次代
ヘンリー・マンク
イギリスの爵位
爵位創設 初代マンク男爵
1866年–1894年
次代
ヘンリー・マンク