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プロジェクト‐ノート:人物伝/過去ログ1

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人物伝の記事におけるカテゴリの基本的な課題について

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現在、「Wikipedia:削除依頼/LGBTの人物関連 Category」でカテゴリに関する削除依頼が提出されています。議論になっているカテゴリが抱えている課題には、「人物の性向をもとにカテゴリを設定することの是非」という倫理的な側面と、「記事の整理」というテクニカルな側面とがあります。倫理的な課題についてはひとまずおくこととし、以下にテクニカルな課題について説明します。

「美輪明宏」には何個のカテゴリが付与されるか

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削除依頼が提出されている「Category:アメリカ合衆国のLGBTの人物」、「Category:イギリスのLGBTの人物」、「Category:日本のLGBTの人物」、「Category:LGBTの政治家」、「Category:LGBTの俳優」、「Category:LGBTのミュージシャン」が、カテゴリとして許容されるものとしましょう。同じやり方で自由にカテゴリを作成したり付与したりして良いとするならば、記事「美輪明宏」には果たして何個のカテゴリが付与されることになるか考えてみましょう。

まず、「Category:LGBTの人物」と同じような、1種類の属性をもとに設定されるカテゴリを考えます。条件としては、現在カテゴリがあるかないかに関わらずカテゴリを考えてよいものとします。ただし包含関係にあるカテゴリは除外します(例えば、「Category:長崎県出身の人物」は「Category:日本出身の人物」に包含されるので、「Category:日本出身の人物」は除外します)。こうした条件のもとにカテゴリを設定していったら、記事「美輪明宏」に対して何個のカテゴリが設定されるでしょうか。

私は20個思いつきました。他にも作れると思います。

次に、「LGBTの人物」と「政治家」の2軸のクロスで「Category:LGBTの政治家」が作成されるのと同じ理屈で、2軸のクロスでカテゴリを設定して良いものとしたときに、記事「美輪明宏」に設定されるカテゴリを考えます。「Category:長崎県出身の歌手」、「Category:長崎県出身の作曲家」、「Category:作曲家の歌手」・・・まだまだ作れます。組み合わせの数は n(n-1)/2 ですからカテゴリは190個になります。

ガイドラインの案

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記事「美輪明宏」に対して190個のカテゴリを付与することがウィキペディアの進歩・充実なのだ、とする意見は少数意見でしょう。わけがわからなくなるだけであると思います。従って、カテゴリは、思いつくままに自由に作成されるべきではなく、何らかの歯止めをかける必要があります。しかし、現状では、歯止めに関する明確なガイドラインは存在しません。

そこで、以下のようなガイドラインを提案します。

  • 上記以外の付加的な情報に関するカテゴリ(Category:LGBTの人物がその例だが、Category:ソニーの人物Category:ノーベル賞受賞者なども含まれる)は、以下のように取り扱う。
    • この種の情報は原則、一覧記事で足りる。カテゴリの作成は一律に不可というわけではないが、思いつくままに自由に作成することは認めない。何らかの基準を設け、既存のカテゴリでも基準を逸脱するものは廃止する。
    • この種のカテゴリをその分野内において細分化するのはかまわないが(Category:ノーベル賞受賞者の子カテゴリにCategory:ノーベル化学賞受賞者を作成するなど)、他の軸とのクロスのカテゴリ(Category:LGBTの政治家など)は、カテゴリの構造をいたずらに複雑にするため認めない。

意見

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(意見をお願いします)

  • 削除依頼のノートに記していますが(削除依頼ノート)、人物記事に必要なカテゴリは、種類としては、
  1. 「どこの人か(地理的な情報)」:出身地や、主要な活動を行った土地など、人物ごとで判断するが、基本的に1カテゴリか、特に必要な場合、もう一つ追加カテゴリ。
  2. 「何時頃の人か(時間的な情報)」:生年、没年カテゴリの他、ザラスシュトラのような何時の人かよく分からない人については、世紀とか、日本人だと、戦国時代とか奈良時代などのカテゴリを使う場合もありえる(必ずしも、生年、没年はすべての人については分からないことあある)。
  3. なぜ、その人が百科事典に掲載されているのか、その理由に関係するカテゴリ。デイヴィッド・ライマーは、彼自身で何かの業績を残したのではないが、ジェンダーやセクシュアリティの研究において大きな意味を持つので、記事となる。現在、Category:自殺した人物とかいうカテゴリも付いているが、Category:ジェンダー(これも現在付いている)かそれに近縁するカテゴリが相応しい。というか、それ以外、何に関係した人かのカテゴリ設定が難しい。「自殺した人物」というカテゴリも不適切である(自殺した人は一杯いるのと、これがあると他にも「死亡形態カテゴリ」が考えられる)。あるいは、ゾフィー・フォン・キューンとかアリス・プレザンス・リデルとかは、何で百科事典に載っているのか、この項目設定が難しい。ゾフィーには「少女愛」のカテゴリを与えているが、アリス・リデルも、「少女愛」のカテゴリがよいのかも知れない。
青島幸男などは、「政治家」、「作家」、「直木賞受賞者」、「俳優」、「漫才脚本家」など色々とカテゴリが付いてくる。タレントの場合、「俳優」、「歌手」、「声優」、「作家」など、色々なカテゴリが付けられるような場合もあるが、その分野だけでも、百科事典に記載する価値のある分野だけに絞る。--Maris stella 2006年12月24日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
自殺した人物が"不適当"かどうかは見解が分かれると思います。該当する人物の数が多いからこそ、カテゴリーが必要と考える人もいます。(人数が多いからこそカテゴリーが必要なのでは?)--Kk8998982 2007年3月24日 (土) 23:32 (UTC)[返信]
  • カテゴリを作成する場合は、特定の文化圏や国々、地域などではうまく適用できるが、インターナショナルに適用しようとすると、ニュートラルでなくなるものは、作成しない。Category:LGBTの人物が典型的で、LGBTはアメリカ・カナダ・イギリスを中心とする欧米の社会運動で、欧米以外の、LGBTの運動などがない地域や文化圏の人物にも適用しようとすると、おかしいことになる。--Maris stella 2006年12月24日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

上記の私の提案をもう少し具体化すると次のようになります。

  • Category:人物」の下に、「Category:分野別の人物」(※名称は要検討)「Category:各国の人物」「Category:生年」「Category:没年」「Category:テーマ別の人物」(※名称は要検討)を置く。
  • 「Category:分野別の人物」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリである。人物伝に関する全ての記事には「Category:分野別の人物」のサブカテゴリ(「学者」「芸能人」など)が最低1個付与される。上限は要検討だがなるべく増やさない。
  • Category:各国の人物」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリである。全ての記事には「Category:各国の人物」のサブカテゴリが最低1個付与される。上限は要検討だがなるべく増やさない。
  • Category:生年」はMECEに運用されるカテゴリである。全ての記事には「Category:生年」のサブカテゴリが1個付与される。※生年不詳の人物は要検討。
  • Category:没年」は存命の人物を除けばMECEに運用されるカテゴリである。存命の人物を除いて、全ての記事には「Category:没年」のサブカテゴリが1個付与される。※没年不詳の人物は要検討。
  • 「Category:テーマ別の人物」ではMECEであることは考慮しない。このカテゴリ下のには「分野別」と「国別」以外の属性に関するカテゴリ(「××時代の人物」「××した人物」「××の人物」など)が置かれる。これらのカテゴリは該当する記事にのみ付与すれば良い。
    • ただし思いつくままに自由に作成することは認めない。何らかの基準を設け、既存のカテゴリでも基準を逸脱するものは廃止する。
    • また、他の軸とのクロスのカテゴリはカテゴリ構造をいたずらに複雑にするため認めない。

Maris stella さんのお考えははっきりとわからない点もあるのですが、上記に加えて、MECEな軸としてもう一つ「Category:時代別の人物」(※名称は要検討)を設定し、全ての記事にサブカテゴリが付与されるようにするということでしょうか。いずれにせよこの案は他の方から提案される可能性がありますので予めコメントしておくと、2点課題がありまして、(1)学者や芸術家は「どこの国の人か」より「いつの時代の人か」が重要で、君主や政治家は逆。従って「Category:18世紀の数学者」は良いが「Category:18世紀の国王」はあまり意味がない、(2)今現在活躍している人物を「Category:21世紀の俳優」などと分類するのはあまり意味がない。

「分野別」での分類が難しい人物は他にも西施だとかお市の方といった例があります。現状、これらの人物に関しては「Category:○○史の人物」という便利なカテゴリが使われているのですが、このカテゴリも位置づけがあいまいなので改めて検討する必要がありそうです。--猪山人 2006年12月27日 (水) 17:39 (UTC)[返信]

こんにちは。興味深く見ていたのですが、議論があまり進まないようなので残念に思っています。猪山人さん(Cave cattumさん)の問題提起とガイドライン案、悪くないのではないかと受け取っています。(ただ、これをこのまま進めると、修正・削除すべきカテゴリが多数ありそうで、影響範囲が見えづらいのが懸念事項です)--Yas 2007年3月27日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

思想・信教・性向などに基づくカテゴリの一般原則について

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人物の思想・信教・性向などに基づくカテゴリについては、これまでも削除依頼で取り上げられ議論となってきました(例えばWikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒)。今回この場で、「思想・信教・性向などに基づくカテゴリは作成しない」という一般原則を明確化すべきと提案します。

思想・信教・性向などに基づくカテゴリが不適切である理由は以下の通りです。

  • 思想・信教・性向は人物の内面的な問題であり客観的な検証が困難である。
  • 人物はいくつもの思想・信教・性向を同時に併せ持っている。一人の人物が民主主義者かつ資本主義者かつ国家主義者かつキリスト教徒かつ菜食主義者かつサッカーファンかつ愛犬家などということはよくあることである。それらの全てについてカテゴリ分類を完遂することなど不可能である。
  • 思想・信教・性向は生涯の間にしばしば変わる。共産主義から資本主義に転向したなどということはよくあることである。
  • Maris stella さんが指摘されている通り、特定の文化圏などではうまく適用できるが、インターナショナルに適用しようとするとニュートラルでなくなる場合がある。

ただし、思想や宗教の提唱・普及の面で功績を残した人物についてはカテゴリ設定が可能でしょう。カテゴリは「○○教指導者」「○○主義思想家」といった名称になるはずです。

LGBTの例でいえば、Category:LGBT人権活動家はカテゴリ設定可能、Category:LGBTの人物は不可となります。--猪山人 2006年12月29日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)

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はじめまして、海衛士と申します。人物に関する項目について若干、問題意識があり参加させて頂きました。参加にあたりご挨拶及び問題意識を披露したく思います。私はWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)に忠実な記事作成を心がけております。もちろん、「スタイルマニュアル (人物伝)が画一的かつ唯一の黄金律ではない」ことは承知しておりますし、スタイルマニュアルを重視しないユーザーも少なからずいることも承知しております。しかし、あまりに人物ごとのスタイルが異なり過ぎる点に、かねてより若干の問題意識を感じておりました。 Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)に基づいた記事にしようと試みた場合、そうでない考え方の方と、編集合戦寸前になったこともあります。強制力や権威がないとはいえ、スタイルマニュアルというひとつの指針がある以上、同マニュアルが一定の尊重を受けるための工夫ないし努力が必要なのかなと思っております。あくまで、具体的なアウトプットとしてではなく、感想まで。 また、スタイルマニュアル (人物伝)の説明も導入部についての部分は改善の余地があると考えます。例えば、導入部について称号がある場合は称号を、生年月日がある場合は…とそのフォーマットの案内がありますが、その例示としてあげられている徳川家康や野口英世などの人物があげられています。しかし、この例示では、フォーマットに忠実とはいえず、例示としては不十分であると愚考しました。 例えばですが、スタイルマニュアルの導入の一番はじめに、「称号があれば称号を…」とあります。人物の持つ称号で一般的なのは、博士号などの学位や名誉市民などの称号が一般的であろうと思いますが、例示を上げるならこうした称号を有する人物から挙げた方がスタイルマニュアルに基づいた記事執筆・編集をしようと思う人にも優しい説明になるのではないかと考えます。そういった意味でスタイルマニュアル(人物伝)がより尊重されるための努力、そして、スタイルマニュアルをよりわかりやすくする努力に向けて、意見提言をしてまいりたいと思います。--海衛士 2007年1月7日 (日) 04:29 (UTC)[返信]

一応、このプロジェクトは立ち上げ時に「カテゴリやテンプレートなど、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)で扱うにはなじまない問題点について検討する」と定義しています。スタイルマニュアルの方での議論と重複になるかもしれません。もちろん、議論を行う場所が複数あっても問題はありませんので、議論を提起していただくことは何ら妨げません。--猪山人 2007年1月13日 (土) 12:09 (UTC)[返信]

「○○と生年月日が同じ」という記述について

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当初、井戸端で質問され、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人でも提案されかけたのですが、特定版削除に巻き込まれたのと、芸能人だけではない問題と考え、こちらで提案します。現状、書く人物の記事にそれぞれ、見出しのような記述がなされるケースが多々有るのですが…正直、日付記事が有るのなら、そちらの「誕生日」見出し一覧で記述出来ると考えられます。ただし、これをやりすぎると、今度は日付記事の方で整理が必要になってくる、という問題も有りますが、ここはまた別に議論する内容、と考えます。--なっしゅびる 2007年1月9日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

『トリビアの泉』のネタのような話ですが、誕生日が同じ人物はウィキペディアに記事がある人物だけでも何十人もいるわけですからキリがないですね。「○○と生年月日が同じ、と記述するのではなく日付記事のほうを充実させるのにご協力ください」ということをガイドライン化すべきでしょうか?--猪山人 2007年1月13日 (土) 12:16 (UTC)[返信]
細部記述に関わる話ではありますが、記事のメンテナンス性を上げるという点で、注意としての一文は入れておいても良い、と考えます。さらに人物伝記事においては、スタイルマニュアルとして、生年月日の月日に、日付記事へのリンクを行うようなフォーマットを提示していますしねぇ。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
自分もたまに投稿するのですが、記事にその一文を載せても問題ないと思いました。確かに「誕生日」見出し一覧で記述する方法もあるのですが、やはりその記事にあった方がより印象に残ると思ってそうしました。実際は重複するところもありますけどね。ただPica氏の多量削除はいくら規定の範囲内とはいえやり過ぎかなと思いました。しかもただ冷淡に削除している感じがしたので。今度からは記事ではなくて誕生年日の見出しに記載しようかと思います。--58.3.162.38 2007年1月14日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
利用者:Pica会話 / 投稿記録氏の投稿履歴が今回のきっかけ、ですね。人物記事の中で書く場合、それに繋がる出来事などが存在しない場合、「特に必要の無いもの」として扱われる可能性は高いですし、私もそのように考えて提案した次第です。なお、日付記事については、Wikipedia:各日のスタイルガイドがガイドラインとして存在するようです。ご参考まで。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 15:18 (UTC)[返信]
議論されつくした話だったら申し訳ありませんが、単純に「Category:○月○日生」のようなものを作ればよいのではないでしょうか? カテゴリなら人数が増えてもソートキーをつけておけばきれいに並んでくれるし、日付記事のほうには有名な人物や大きな功績を残した人物だけを載せておけば、肥大化して読みづらくなることも無いと思うのですが・・・。--Monox 2007年1月16日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
Template‐ノート:生没年,Wikipedia:削除依頼/誕生日・命日関連カテゴリ--Los688 2007年1月16日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
さっそくありがとうございます。なるほどそういう経緯があったのですね。--Monox 2007年1月16日 (火) 16:26 (UTC)[返信]
「○○と生年月日が同じ」という記述は、原則不要と考えます。誕生日の一致などは単なる偶然であり、その人物の説明に寄与する所は少ないと思います。--Yas 2007年3月27日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

項目冒頭部分

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項目冒頭部分の記述に関して、執筆者・編集者の趣向により大きな相違があり統一されていません。そもそものスタイルマニュアル及び人物事典等の類に即し、冒頭部分のガイドラインを策定すべきように感じます。

  • 方法としては、歴史人物については、
例:武田晴信(たけだはるのぶ、生年月日)、は日本戦国大名

(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人 (正室)三条夫人(子女)武田義信…。

  • 現代の人物については
現代太郎(読み仮名、生没年月日)(学歴)(経歴)その他履歴。
その他の履歴。学位・爵位その他の称号。位階勲等。賞歴。主な業績やエピソード。あだ名や異名。

等を記し、以下に別項目に年表や詳細な事象を概説するのがよいのではないかと考えます。--海衛士 2007年3月4日 (日) 08:53 (UTC)[返信]

記事となる人物も様々ですし、不特定多数の人が執筆し、かつ、全体的な監修者がいない点から考えても、1つの型にはめるのはなかなか難しいことだろうと思いますが、海衛士さんの提案の感想を書かせていただきます。
まず、歴史人物について。一概に言うのはなかなか難しいのですが、目次が出るほどの大きな記事であれば、冒頭部にはもう少しその人物の簡単な紹介があった方が便利だと思います。例えば、武田信玄ならば、風林火山、甲斐、信濃、上杉謙信、徳川家康、川中島の戦いといったキーワードは欲しいです。これは、その後の本文で必ず重複することになる情報ですが、例えば、記事全体を読む時間はとれないがとりあえずどんな人物か確認しておきたい場合や、別の記事を読んでいる途中で出てきた人物についてちょっと寄り道的に概要だけチェックして直ちに元の記事に戻りたい場合などに、目次の前の部分だけ数分で把握できると便利ですよね。また、王侯貴族について特に、親子関係や婚姻関係で記事をたどっていく場合に、冒頭部に並べてあるよりも、別に節が作ってある記事の方が見つけやすくて便利だと感じています。
次に、現代の人物についてですが、そこにあげられているものは、記事の内容のほとんど全てのような気がします。具体的に、モデルとなるような記事があると分かりやすいと思うのですが。--oxhop 2007年3月5日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

例にとった武田信玄について取り上げてみると、(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人、(正室)三条夫人(子女)武田義信…。のようなことは書いてあり、その下に一応の人物の概要は記述されていますね。その意味で、プラスアルファをつけるとすれば、人物の概要でしょうか。 これは、このフォーマットで統一するために余分なものは排除するという意図ではないので、そのあたり確認まで。 現代の人物については、

私は冒頭部分はその人のプロフィールを学歴なら学歴、保有資格、賞歴、主な代表作、異名など端的に書くタイプなのですが、一方でいきなり冒頭部分から、「~(人物)は、大学を卒業し、その後、大学院に進学。博士号を取得、以後大学講師として…」などと、区切らずに文章で書く表現の記事とありますよね。

冒頭に関し、概要として文章を載せるにせよ、前半はプロフィールの要点を端的にまとめた方がよいという意見なので、あのように書きました。--海衛士 2007年3月8日 (木) 08:15 (UTC)[返信]

人物伝の記事の導入部のガイドラインでしたらWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部に既にありますが、これよりもさらに詳細なガイドラインを制定すべきというお考えでしょうか。分野等を超えたあらゆる人物に関する、これよりも詳細なガイドラインを考えることが可能でしょうかね。正直なところやや疑問です。--Cave cattum 2007年3月10日 (土) 02:56 (UTC)[返信]

歴史上の人物は、本姓や家系、官位を掲載するケースがありますが、現代の人物とは当然表記が異なることが考えられます。事典の記事の人物がたまたま徳川や織田など本姓がある家系の方でも現代人なら本姓は平氏とは書かないのと同様、詳細とはいかないまでにも一定の細分化は必要と考えました。まして、ルールではないのなら、推奨するだけの説得性も欲しいところであえて提案した次第。--海衛士 2007年3月25日 (日) 02:48 (UTC)[返信]

定義部の記述内容は項目名である氏名と読み仮名、生没年月日、そしてその人物の特徴を一言で表現したものが第1段落にあれば良いのではないでしょうか? あまり細々としたことを一々調べないと書けないようでは記事を執筆するというウキペディアへのかかわり方の敷居を必要以上に高くしてしまうのではないかと思います。ただ海衛士さんの問題意識も活かしたいですね。そのためにはテンプレートを整備するのが良策だと思います。第2段落以下はその人物の業績や評価についての概略が記載されていれば良いのではないでしょうか。赤い飛行船 2007年5月18日 (金) 11:34 (UTC)[返信]

質問なのですが・・

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このプロジェクトは、en:Wikipedia:WikiProject Biographyとは別ものなのでしょうか。--航汰 2007年3月10日 (土) 12:34 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。本プロジェクトは直接その英語版から導入されたものではないのですが、目的としているところは同じであると思います。interwikiを記入しました。--Cave cattum 2007年3月10日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

差別を助長するおそれがあるカテゴリの扱いについて

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現在Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物が提起されているように、人物伝の記事に関して、差別を助長するおそれがあるのではないかと考えられるカテゴリが付与される事例があります。類型としては以下のようなものがあります。

  1. 人種など、身体的特徴に基づくカテゴリ(例:Category:障害を持つ人物
  2. 身分や門地など、出生時の環境に基づくカテゴリ
  3. 思想、信教、性向など、ある程度本人の選択に起因する属性に基づくカテゴリ(例:Category:LGBTの人物

2. 3. の扱いについては引き続き議論するとして(個人的には全部不要と考えますが)、1. については付与を制限するガイドラインを制定しても良いのではないでしょうか。制限の方法にも、(A)存命中の人物・歴史上の人物ともに付与禁止、(B)存命中の人物には付与禁止だが歴史上の人物には付与可能、といった運用がありえます。ご意見よろしくお願いします。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月15日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

  • (1は不要)一言で言えば「何のためにわざわざ振り分ける必要があるのですか?」、です。『必要』とおっしゃる方がいらっしゃるならば、「振り分けが必要な理由」を明示して頂きたい。(理由は後述)東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 東武経験者さんの発言中の「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます。こういう文脈で「わざわざ」という言葉を用いる場合、「本来不要であるはずなのに、あえて」という意味で用いられており、一方的な偏見を含める目的があるはずです。荒らしでもない限り、その人(今回は私ですが)が必要だと思ったからカテゴリを作ったわけで、いくら東武経験者さんがそのカテゴリを不要だと思ったとしても、そのようなカテゴリを「わざわざ」という言葉で表現するのは「必要だと思って作った人」に対してあまりにも礼を失しているのではないでしょうか。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月15日 (木) 19:50 (UTC)[返信]

身分や門地ですが、慎重を期すべき問題です。百科事典といえども法的な人権を越える価値というのは存在しないから。と断った上で、しかし、身分や門地を完全否定しても支障をきたさないともいえない。基準が必要だろうと思いますが如何でしょう。 部落差別・人種差別等は一国のみならず世界的課題ですし、意図を問わず結果的であっても、特定の人物の権利侵害や不利益を蒙る恐れはすみやかに除かれるべきでしょう。 但し、例えば徳川家のように徳川恒孝氏が何故、江戸幕府の歴史を扱う財団の長なのか人権と関わりない面でのエピソードは許容しえる範囲に思えます。

ただ、この問題提起に疑問があります。それは率直に「人物伝」とは何ぞやということです。つまり、人物伝の対象が亡くなった方のみとはいいきれませんが、多分に歴史的な事実において関わりある人物を挙げるのが人物伝の意義であるように思えるからです。歴史未満の事象に登場する人物については、人物伝の範疇に入れるべきではないと思う。キング牧師が黒人差別と戦った人権の歴史などもあると、むしろ出自をかかずばなるまい場面もあり、歴史と現代政治・現代社会とはわける必要を感じます。--海衛士 2007年3月17日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

上記のうち1の身体的特徴に基づくカテゴリは明らかに不適切であると思われるのですが、2,3についてはCategory:日本の皇族のような、該当するか微妙な例もあるわけですから、要・不要の判断基準について引き続き検討が必要であると思われます。
「ウィキプロジェクト ”人物伝”」という名称は、設置者である私の意図としては、「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」との連携を考えて、あえて名づけています。名称は「ウィキプロジェクト 人物」でも良かったかもしれません。本プロジェクトはWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を補足する意図で設置したものですから、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)が、カバーする範囲として歴史上の人物と存命中の人物の両方を含んでいる以上は、本プロジェクトとしても存命中の人物を扱うべきで、「プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定する」という方向性にはあまり賛成できません。さらに、本プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定した場合、存命中の人物について扱うプロジェクトがどこにもなくなってしまう、という問題もあります。
本プロジェクトの範疇で検討するガイドライン等は、歴史上の人物と存命中の人物とで区分して問題提起しても良いわけですし、必要であれば「ウィキプロジェクト 歴史上の人物」を新たに設置しても良いわけですから、現状の枠組みに特に問題は感じられません。
なお私個人としては、人物伝の記事は、亡くなって30年くらい経って評価が定まってから作成するくらいが、百科事典としては適切であると考えています。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月18日 (日) 01:54 (UTC)[返信]
  • (1と2については条件付で賛成。3は『思想、信教』は不要、『性向』については条件付で賛成)Wikipedia‐ノート:削除依頼/Category:障害を持つ人物で議論をする中で気付いたのですが、「自ら公表した人物の場合にはカテゴリーのリストに明記してもいいのではないか?」との考え方に変わりました。当然、カテゴリー自体の名称変更も必要でしょう(Category‐ノート:障害を持つ人物内で提言させて頂いております。Category:帰化日本人の人物Category:在日コリアンの人物も同様かと)。本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。重要なことなので繰り返し書かせて頂きますが、本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべきと思います。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 但し、『思想、信教』の場合には国政などへの影響も強いのは明白ですし、憎悪感を懐いている者(組織的なものも含む)の意図的(謀略や姦策目的で)な記事の改ざんや書き込みなどを誘導する危険性が極めて高い(実際にそのような動きが見受けられます)ので、速やかに削除すべきと思います。
      • 『「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます』ですが、それ以前に、Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物においても、「名称の理由」は述べて下さいましたが、「振り分けが必要な理由」については明示して頂けなかったことは残念です。これ以上ここで「わざわざ」云々について議論するのは控えさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
        • 「振り分けが必要な理由」ですか?「障害者は社会的に健常者と区別(「差別」ではありません)されることが多いから」です。社会的に公然と健常者と障害者の区別が行われているのに、ウィキペディアでは障害者個人のみのカテゴリを作ってはいけないという、社会の現状と異なることを東武経験者さんをはじめとする複数の方が主張されるほうが不思議なくらいです。だから今までこの点については書くつもりがなかったのですが、東武経験者さんが「振り分けが必要な理由が明示されなかったことが残念だ」とおっしゃったので書くことにいたしました。障害者個人のみのカテゴリを作ることは「区別」ではなく「差別」につながるから障害者個人のみのカテゴリを作るのを禁止するというのが東武経験者さんたちの主張ですが、紙の百科事典で「差別」につながるから障害者であること(例えば隻眼、隻腕とか)をあえて記載しないものがあったでしょうか?そして、人物伝の本文中で障害者であることを記載することと、本文中で障害者であることが記載されている人物をすべてまとめたカテゴリを作ることとの間にどれほどの違いがあるというのでしょうか?--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 01:18 (UTC)[返信]
  • 紙の百科事典でも『(本人が公表していないのに勝手に作成された)障害者名簿』なる物は見たことがありません。もし、そのような書物を作成・販売したらどうなるかは火を見るよりも明らかです。一方では、自らの障害や疾患を公表している人物もいる。それに気付いたので「本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべき」と再三再四述べさせて頂いているのです。これで私が何を言いたいかお解り頂けるかと思います。
    • もし、「自分が作成したカテゴリーを削除されたり名称を変更されるのが嫌だから」の理由だけで反論を繰り返しているのであれば「それは筋違いで論外です」と申し上げさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 03:31 (UTC)[返信]
      • それでは現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?それはいいとして、基本的にウィキペディアの記事はすべて「公表されたもの」のみに基づいて書かれている(もしそうでなければプライバシーの侵害です)ということをご理解いただきたいと思います。東武経験者さんが主張していることは「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。これはウィキペディアで公表されている情報自体に制限を加えるということであり、中立的な観点に違反します。ウィキペディアのあるところで既に公表されている情報であるにもかかわらず、別のところでは「公表を認めない」とすることが、正しい執筆方針であるとは私は思いません。なお私はカテゴリ名の変更には反対しておりません。あまり長い名前になるのは利便性を損ねると思いますが、それは本論ではありませんので。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 10:34 (UTC)[返信]
  • 本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。の箇所は読んで頂けたのでしょうか?
    • 「現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?」とのことですが、「別に無くても差し支えはないんじゃないですか?」ですね。曲解して頂きたくはありませんが。裏を返せば、「既に個別に該当人物のリストが存在しているのであれば、わざわざそれらを一纏めにしたカテゴリーの存在自体が不要でしょう」とも言えますね。かえって重複して煩わしくなるだけですし。
      • そして、ご自身の『「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。』の記述の中の『障害者』を、ご自身が下記の場所で例に挙げた、『在日コリアン』に置き換えてみた上で改めて熟考してみて下さい。ここはそのような場です。障害者のみに限定した議論をされたいのであればWikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物へ。他の方々のご迷惑になりますので。東武経験者 2007年3月23日 (金) 11:19 (UTC)[返信]

※差し戻しの上、一部の記述をCategory‐ノート:障害を持つ人物にコピー&ペースト。東武経験者 2007年3月23日 (金) 13:14 (UTC)罠に嵌められたような形になってしまいました…東武経験者 2007年3月24日 (土) 07:33 (UTC)[返信]

  • 改めてCategory:障害を持つ人物の親カテゴリーであるCategory:障害者を見てみたら、「他の場所で合意を形成した上で作成されています」とのことであればお詫び申し上げますが、Category‐ノート:障害者など(他に作成議論が出来る場所があれば教えて頂きたいのですが)での議論をせずに独断で作成されたカテゴリーのようです。これはここに取り上げられている他のカテゴリーにも言えることではないでしょうか?
    • このような事態を防ぐためにも、差別を助長するおそれがあるもののみならず、『議論を経ての合意を得ずにカテゴリーを作成することは禁止する』くらいの、極論ですが、規則の制定も必要なのかもしれません。そして、『誰もが分かり易い(目立つ場所)にカテゴリー作成議論が行なわれている項目のノートなどを案内するシステム』の設定も必要かと思われます。様々な問題は出てくるかとは思いますが、少なくとも「一個人での判断によるカテゴリー作成は回避出来る」と思います。同時に、差別を助長するおそれがあるカテゴリーの作成を抑制することも可能かと思われます。いかがでしょうか?東武経験者 2007年3月24日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
  • 私は"斜視"を持っておりますが、仮に"斜視を持っている人物"と言うカテゴリーがあって、そこに歴史に名を残したような人物があれば、励みにして生きていこうという気持ちになると思います。障害のカテゴリーが即不要との考えや、必要性が無いと切り捨てることには反対致します。--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 00:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)当事者の方のご意見が伺えて幸いです。Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物への参加や投票もお願い申し上げます。現状を見ますと健常者寄りの記述が目立ちますので。(追記)ご存知でしたね…失礼致しました。

Category:引揚者というカテゴリが作られていますので、関係プロジェクトであるこちらに報告いたします。以前から気になっていたCategory:被爆者も、ここで扱うべきカテゴリでしょうか?引揚体験も被爆体験も決して恥ずべきことではありませんが。--125.173.57.210 2007年4月23日 (月) 03:26 (UTC)[返信]

  • 引揚者は出生時の場所。被爆者はそれに起因する身体的外傷などによる差別を想定してるのでしょうが、各々のノートで議論して差別に当たるとなったらこちらへ持ってくるのがいいと思う。--Mmm25967 2007年4月24日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

宗教別有名人一覧は必要か?

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ウィキプロジェクト 芸能人』にも質問させて頂いたのですが、こちらでも質問させて頂きます。宜しく御願いします。今のところ、『日本のクリスチャン有名人一覧』が目に入って、宗教別の有名人一覧はこれのみの様なのですが、これを機に、他の宗教の有名人一覧も増えていくかもしれない事を考えていくと、有名人の今後の活動やプライバシー、他の人(特に別の宗教の人や宗教を嫌いな人/芸能人だったら、芸能界での交流もそうですが一般視聴者やファンも対象となるかと思います)との交流などに何か問題がありそうな気がするのですが、一覧にする分には問題無いのでしょうか?宗教に詳しく無い私の考え過ぎでしょうか?御手数ですが、御意見どうぞ宜しく御願いします。--Thats-you 2007年4月4日 (水) 21:03 (UTC)[返信]

ご苦労様です。私はこのような一覧記事は不適切であると考えます。理由は以下の通りです。
1.「クリスチャン有名人一覧」がOKならば、「××学会信者一覧」「××の科学信者一覧」といった一覧記事も認めなければならない。この種の情報は個人の内面にかかわる情報であり、プライバシー等の問題がある。
2.宗教の指導者であるならば、百科事典に掲載すべき業績であると言えるので、「××教指導者の一覧」といった一覧記事を作成することは差し支えない。しかし、宗教の信者であるというだけならば、誰でもなれるのであるから百科事典に掲載すべき業績とは言えない。「阪神ファン一覧」「自民党支持者一覧」なども同様である。
3.思想や信教は個人の内面の問題であるから客観的な検証が不可能である。また思想や信教はしばしば変わる。
現在は、「信者であることを広く公表しているのであれば掲載しても良いのではないか」といった考え方もあるようでして、私のような考え方がコンセンサスを得ているわけではないようです。ですが、もし削除依頼を提出されるのであれば私は削除に賛成します。--Cave cattum 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]

お忙しいところ申し訳ありません、御多忙中、貴重な御意見有難う御座います。私も1の拡大化、次に2の自由の尊重を妨げないか危惧しております。先ほど、『日本のクリスチャン有名人一覧』ページの作成者様(Blessing様)のページに削除の件も含め、御意見伺おうかと思い、出向いてみたのですが、ウィキブレイクに入られておられる様でした。この場合は、『日本のクリスチャン有名人一覧』の現在メインに編集されている方にもお伺いたてた方が宜しいでしょうか?--Thats-you 2007年4月7日 (土) 04:54 (UTC)[返信]

すいません、自由の尊重は2でなく3でした(改宗の自由)…--Thats-you 2007年4月8日 (日) 06:41 (UTC)[返信]
削除依頼にあたって、事前に関係者に確認することは特に義務ではありませんが、この記事の削除依頼では意見が割れる可能性が高いので、削除の審議を円滑に進めたいのであれば事前確認したほうがベターでしょう。--Cave cattum 2007年4月7日 (土) 14:23 (UTC)[返信]

削除依頼の件も含め、こちらのページについて御連絡しました。--Thats-you 2007年4月7日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

編集作業をしている人のご意見

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(注:私はこのページの作成者ではありません右記は誤認ですよ!Yuichiokubo > 「作成者側のご意見」)

こんばんわThats-youさん Cave cattumさん 「クリスチャン有名人一覧」をメインに編集(?)しているyuichiokuboです。この仕事(編集)をライフワークにしようと思っておりましたので削除依頼などをお出しになったら人権侵害で訴えますよ(半分は冗談です・・笑)。

もう、時刻が遅いのである程度書いて、またあとでとなりそうですがご容赦ください。

>有名人の今後の活動やプライバシー、他の人(特に別の宗教の人や宗教を 嫌いな人/芸能人だったら、芸能界での交流もそうですが一般視聴者やファ ンも対象となるかと思います)との交流などに何か問題がありそうな気が するのですが、一覧にする分には問題無いのでしょうか? 宗教に詳しく無い私の考え過ぎでしょうか?

はっきり申し上げてそのよう(考え過ぎ)に思います。「考え過ぎ」と言うより「考える角度がズレている」の方が適切かもしれません。といっても宗教に詳しくないのはThats-youさんのみならず、日本人のほとんどがそうだと思います。

日本では「~さんは~教をやってる」みたいな表現をよく耳にしますが、これは宗教が「得体の知れない団体(極端な話たとえばオウム)」でその団体に入って理解不能の活動をしているというイメージが「やってる」という表現につながるのではと考えます。つまり信仰心を持つ者は「変わり者」ということです(正確には「だった」)。

しかし、以下のような逸話が身近にありました。私の友人の某大手電機メーカーのスタッフが中東に赴任して現地人から「宗教は何?」と訊かれて「無宗教」と答えたら幽霊を見るような目で「それじゃ何も入っていない箱ではないか、どうやって動いているんだ?」と言われたそうです。つまり人間が「PC本体」だとしたら宗教は「OS」でOSが入っていないPC本体がマトモに作動するはずがない・・ということなのでしょう。現地の人は「ボクもイスラム教徒です」という答えを期待していたはずがなく「どんなOS(宗教)で作動しているのか」を訊きたかったのでしょう。特に中東は自然環境が苛酷ですからちゃんとしたOS(宗教)が入っていなくて生きられるということに想像がつかないのではないのでしょうか。

ひるがえって、私たちの住む日本ですがどうでしょうか??? 1990年代の半ばぐらいから社会のバランスがおかしくなりはじめて最近は「日々異常さの度を深めている」という状況にあると感じています。

たしか・・東大の中根千枝教授の社会学の本であったと思うのですが「自律社会」と「他律社会」を対比させて論じたモノがありました。それで日本人は他律社会に生きてきたというわけです。ムラ社会ではムラ長を中心としたムラのオキテが支配し秩序を保つのです。だから個人はムラのオキテに身をまかせていれば自動的に生きていけるわけで、自分で良し悪しを考える必要がない・・つまり他律の状態であるわけです。

実際そうですよね。「終身雇用の会社内の論理」「かつての役所(人材の出入りが無い)」「各業界(法を無視した内部のオキテで自治)」・・など数え上げたらきりがありません。それで経済の右肩上がりがそれを正当化するので「擬似宗教(擬似os)」が存在する時期が戦後高度成長とともに始まりました。「日本右肩上がり教」とでも申しましょうか。しかし、これは使用期限ありの仮ソフトで右肩上がりの終焉とともに消滅しました。そしてムラ社会は崩壊の一途です。

「ムラ社会」と「日本右肩上がり教」に身をまかせて「他律」の状態でいればよかった日本人は「自律」ができません。つまり今は「マトモに作動」しない状態なのです。

Thats-youさんの懸念は「日本右肩上がり教(無宗教)」が最もマトモで胸を張れる当たり前の状態であった過去から引きずり続けている「(キリスト教)信仰などをもつ」という「恥ずかしい趣味」「隠しておくべき恥部」という無意識が「隠れた前提」に存在するうえの懸念事項だと考えられますがいかがでしょうか。

Cave cattumさんの意見も同様に「わが国独特のピントのズレ」に無意識のうちに意見の9割方を影響されてしまいつつ発しているように思われます。

冷静にふりかえってそのあたりの「かつてから最近までの日本のアブノーマルさ」とご自分の意見の形成過程の混同具合を計ってみてくだるようお願いいたします。


次に・・・・・ >「クリスチャン有名人一覧」がOKならば、「××学会信者一覧」「××の科学信者一覧」といった一覧記事も認めなければならない。 ・・・・・とありますが、

「××学会」ははたして宗教なのでしょうか???私の記憶では仏教のとある宗派の信徒団体だったと思います。で、実態は「互助会」に近いのではないでしょうか??また「××学会」に所属する芸能人は評判が悪くなることを恐れて(なぜかは知りません)所属をひた隠しにする人が多いと聞きますが、この状態の人物ではソースが取得できなくて「~人物一覧」に載せること自体難しいと思われますがいかがでしょうか。もし、作成されたならばソースが多く確実で載ることに違和感が無い人だけ載るようになるのでは・・・。


それに対して・・・キリスト教の事情は正反対に近いでしょうね・・・・・ 麻生太郎外務大臣などは国会の議事録中に「こう見えて(おそらくガラが悪いという意味)も私は敬虔なカトリックだから、そのように信じてほしい」とか「地方財源の三位一体論を本来の神学上の三位一体と対比させて熱心に解説する」などのくだりが多数あり、「政治家麻生太郎」と「カトリック信仰」は切っても切れないモノに考えられます。

山崎パンの創業者を一覧に書きましたが現在の社長の信仰生活も非常に有名で、会社を挙げて広報しています。「××学会」の人が他社のパンを買うかも・・なんて心配していません。事業活動もエネルギッシュに伸びているのは周知のとおりです。

ライオン、白洋舎(創業者がクリスチャン)も上記同様です。

>千野志麻(ちの しお、本名:横手志麻、(旧姓:千野)、1977年8月9日 -)は平成期の元フジテレビアナウンサー・・・敬虔なクリスチャンである両親が聖書の「地の塩」から引用、人間にとってかかせない存在になってほしいとの願いが込められている。-Wikipedia

上記の人などは隠すどころか本名自体キリスト教信仰が形になったモノです。両親と本人のキリスト教信仰とアナウンサーとしての頑張りは強くリンクしていると観察できます。紹介でその部分を抜きにしたら「画龍点睛を欠く」ですね。

また、山田五郎氏などもJ-WAVEの自分の番組でカトリック信仰のことや教会(聖イグナチオ教会)の様子を非常に頻繁に話しますし、他のJ-WAVEナビゲーターも自分がクリスチャンであることを非常にオープンにしています。


作家、音楽家、ミュージシャン、俳優、歌手・・などに多いことでは、その人の作品や活動自体がキリスト教信仰を抜きにしてはほとんど語れないという場合が多いです。こういう人をキリスト教信仰の説明抜きで語るのは「中核部分丸抜け」で無責任です。

多くのクリスチャン首相や大臣なども同様で「画龍点睛を欠く」か「中核部分丸抜け」の無責任な説明になります。なぜその人が「ある決断」をしたのか、なぜその人は信念を貫いたのか・・・など信仰の解説が無いと無意味のものが多いです。


記入する候補の人物はいまのところ表示の軽く10倍以上おりますが、吟味(目利き)しつつ挙げております。明らかに表示を望まない人、キリスト教徒だが載せる意味が見出しづらい人などは避けています。 これは私自身がキリスト教徒ですので自分なりの「目利き」ができますがそうでない人には少々難しい作業かもしれません。 また私は公人(経営者)の部分があり、自分のブログなどではさりげなくそう(キリスト教徒)であると書いておりますよ。

まったく途中ですが、「続き」は後ほどとします。


繰り返しますが削除依頼を出すなどということは断じて止めていただきたくお願いしますよ。出すと考えるまでのロジックが日本的な病理を含んでいて変なのです。 ただ、無理も無いことなので「強い非難」ではなく「指摘」と受け取って下さい。 Yuichiokubo2007年4月7日 (土) 22:04 (UTC)[返信]

こんにちは、存命中の人物に適用しようとした場合は、カテゴリの場合もそうですが、聖職者等に限定されるべきだと思います。親など家族がある宗教だった場合にあたかも本人が積極的な活動をしていなくても無理やり記載しようとする人がいて多くの記事が保護されることを考えると安易にこうした記事一覧が作られることには反対です。本人が公表している例なので問題ないのではと私が判断したCategory:イスラム教徒のバスケットボール選手では、Wikipedia:削除依頼/Category:イスラム教徒のバスケットボール選手で削除となっています。--Tiyoringo 2007年4月7日 (土) 23:02 (UTC)[返信]
(※適宜節を分けました)人物の記事にクリスチャンであることを記載することと、クリスチャンの一覧記事を作成することとは全く別の話です。麻生大臣や千野志麻や山田五郎の逸話については、どうぞそれぞれの記事に思う存分記載してください。一覧記事を作ろうとすると、上記のようないろいろな問題が出てくるということです。--Cave cattum 2007年4月8日 (日) 03:32 (UTC)[返信]
【Re:】Yuichiokubo様へ、御意見有難う御座います。個人的には『Yuichiokubo様のノート』に「御意見か何か、ございましたら、『Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝』の方にお寄せ頂ければ幸いです」と書かせて頂いた返事が「削除依頼などをお出しになったら人権侵害として訴えます」は半分冗談でも“=半分本気”ですから、生まれて初めてそういう脅しのような御意見を受けた身としては寂しゅうございました…。冗談でも、ガイドラインにあります『Wikipedia:法的な脅迫をしない』を御参照頂けると幸いです…。
■ひとまず、Yuichiokubo様に御案内させて頂くにあたり書かせて頂きました『利用者‐会話:Yuichiokubo』の文章をもう一度改めて書かせていただきますが、“Wikipedia:削除依頼』の場で更に広く御意見を得られるかと思い、一度提出を考えております”と書きました。『Wikipedia:削除依頼』の方針を今一度御覧になっていただけますでしょうか、削除依頼は出したら問答無用で即削除というわけではなく、提出された場で多くの人の論議を経て、削除か存続かを決定します。ここでは恐らく多くの方の目には入らないだろうと考えて、多くの人の目に入る可能性の高い削除依頼の提案に賛同しました。私の言っている“詳しく無い”とは、漫画・ゲームで出て来る神話伝説精霊神器など、宗教にまつわるアイテムや用語を(あとは年中行事のイベントを)オール宗教で好む反面、概念を全く知らないからです(もしくはそれが宗教的概念と知らずに無意識に受け入れている可能性もありますが、それだけ私の中ではフランク且つ曖昧です)。私よりも、個々の宗教概念に詳しく(あくまでも知識であり、意見を持っていらっしゃる方という意味ではありません)、『wikipediaの方針』をより良くご理解されていらっしゃる方に御意見仰いだ方がより良い結論が出ると思いましたので、質問させていただいています。個人の宗教への考えよりも“wikipediaに載せる上でどうなのか”が問われると思います。『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか』になりますが、個人論を持ってくる場所では無いと考えた上で多くの人の判断の伺える見込みのある“削除依頼”を提案しております(もしくは質問の場の候補に考えていた『Wikipedia:井戸端』も多くの方の判断を伺える場です。今現在のノートを話し合いの場にするのであれば、『Wikipedia:コメント依頼』で他のページの編集をされていらっしゃる方にこちらのページに目を通して頂ける様、呼びかけも出来ます)。又、Yuichiokubo様が日本のクリスチャンの一例として上げた人物に関しては本人のページだけで良いのでは無いでしょうか?一覧化する必要は無いと考えております。私の『宗教別』という書き方がいけなかったのですが、あらゆる思想の一覧化に繋がりかねない事も考えると、wikipediaでメリットのある一覧とは私には思えません。--Thats-you 2007年4月8日 (日) 06:41 (UTC)[返信]
削除依頼、コメント依頼に出してもいいと思います。ただ個人的にCategory:日本のキリスト教の人物の中に含まれ、そこからピックアップされてることを考えると許容範囲内と思える。仏教・神道ではそもそも人物記事が少なくて一覧化は無意味です。主に編集されてる方の常識を信じます。--Mmm25967 2007年4月8日 (日) 10:21 (UTC)[返信]

コメント依頼を見ました。yuichiokuboさんの意見を拝見しましたが、それだけであればそのような一覧を作ることには賛成できません。

>作家、音楽家、ミュージシャン、俳優、歌手・・などに多いことでは、その人の作品や活動自体がキリスト教信仰を抜きにしてはほとんど語れないという場合が多いです。こういう人をキリスト教信仰の説明抜きで語るのは「中核部分丸抜け」で無責任です。

>多くのクリスチャン首相や大臣なども同様で「画龍点睛を欠く」か「中核部分丸抜け」の無責任な説明になります。なぜその人が「ある決断」をしたのか、なぜその人は信念を貫いたのか・・・など信仰の解説が無いと無意味のものが多いです。

人物を理解するためにその人物がクリスチャンであるというキーワードが必要な場面がある、という部分には同意できます。がしかし、だからといってそれはクリスチャンのリストを作るということを正当化することにはならないと思います。人物を理解するために彼(彼女)がクリスチャンであるということが必要不可欠な場合、人物の記事中に彼(彼女)がクリスチャンである旨を書き、解説するのは理解できます。しかし、クリスチャンのリストを作ることに意義があるとすれば、そのリストを見ることによって、クリスチャンとは大雑把にいってどのような人たちなのか、キリスト教とは大雑把に言ってどのような宗教なのか、ということを理解するのに役立つ場合に限ると思われます。少なくとも、キリスト教に詳しくない私は、あのリストを見て、キリスト教とはどのような宗教なのかを理解することはできませんでした。--しゃっふる。 2007年4月8日 (日) 14:46 (UTC)[返信]


編集作業をしている人のご意見

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(注:私はこのページの作成者ではありません右記は誤認ですよ!Yuichiokubo > 「作成者側のご意見」)

おはようございます。Thats-youさん

私のノートへの連絡ありがとうございます。今、朝の8時半ぐらいですので手短にします。

> 生まれて初めてそういう脅しのような御意見を受けた身としては寂しゅうございました…。

ははは、そうですか。 それではそのことにつき「遺憾の意」を表明いたします。

ただ、「寂しゅうございました」は私もほぼ同じに感じているとご理解いただけますでしょうか。 というのは・・・・・

「私はこのページの作成者ではありません。」

「私はこのページの作成者ではありません。」

「私はこのページの作成者ではありません。」

「私はこのページの作成者ではありません。」

「私はこのページの作成者ではありません。」

強調のため5回くりかえし(意見を書いている人たちの誤認が激しすぎるようですので・・)ます。

私はつい最近このページの存在を知りました。いつから存在しているかは全く知りません。しかし、このページの存在を知った以上、「私の全精力を傾けて完成度が極めて高いモノにライフワーク的に作業していこう!!」・・と決意して編集作業に加わった次第なのですよっ。

ところが、それを始めたとたんに「ドコかのドナタか」がThats-youさんに削除云々という連絡をしたということですよね???。(ちがっていますかねぇ?) どれぐらいの期間かは知りませんが「既存のページ」として存在してきたモノに「誰か(つまり私)が完成度を高くしようと作業を始めたとたん・・というタイミング」に消滅させようと言う意図がアクションとして出てきたことに背筋が寒くなるような悪意を感じました。

まるで、通り魔に背中を刺されたような感じですねぇ・・・。できればその「ドコかのドナタか」に直接お会いして真意を糺したいという心境です。

ということで・・つづきは夕方以降にさせてください。 Yuichiokubo2007年4月9日 (月) 00:21 (UTC)[返信]

■Re:■私のノートの書き方がまずかったでしょうか、私だけでなく、論議(私の質問)にお答えくださっている皆様の御意見も含めて御覧頂ければ幸いです。また、私も上の方に書いていますが、「お忙しいところ申し訳ありません、御多忙中、貴重な御意見有難う御座います。私も1の拡大化、次に2の自由の尊重を妨げないか危惧しております。先ほど、『日本のクリスチャン有名人一覧』ページの作成者様(Blessing様)のページに削除の件も含め、御意見伺おうかと思い、出向いてみたのですが、ウィキブレイクに入られておられる様でした。この場合は、『日本のクリスチャン有名人一覧』の現在メインに編集されている方にもお伺いたてた方が宜しいでしょうか?--Thats-you 2007年4月7日 (土) 04:54 (UTC)すいません、自由の尊重は2でなく3でした(改宗の自由)…--Thats-you 2007年4月8日 (日) 06:41 (UTC)」と記しています。少なくとも私は作成者と思ってません(履歴の見方はご存知でしょうか)。又、Yuichiokubo様の履歴を拝見すると「つづきは夕方以降」と書いてらっしゃいますが、この記述をされた後も一覧を編集していらっしゃいますね(利用者:Yuichiokubo会話 / 投稿記録)、意見のやり取りに真剣になって下さっていないようで残念です。また、今回の件は報告を受けた覚えも御座いませんし、私が発見したまでです。私は一般初心者のウィキペディア参加者で、普段は「落語」と完全に『日本のクリスチャン有名人一覧‎』からかけ離れた過疎ジャンルを、何人かの見知らぬ方と特に何の交流も無く、ほそぼそと編集をしております。では何で目に入ったのか?ウォッチリストの落語家さんがピックアップされて目に入ったのですが、「三遊亭楽太郎」の最下の関連項目にコレが入ったのを丁度目にしたからです(履歴)この編集をなさったのが現在ウィキブレイクされた、この一覧の作成者様(Blessing様)です。このノートで私が一番最初に質問した際に「『ウィキプロジェクト 芸能人』にも質問させて頂いたのですが」と書いています。一覧を発見した後に質問したのは『Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 芸能人#宗教別有名人一覧は必要か?』であり、ここでの質問は3月28日に提出しております。タイミングに関しては私の目に入ったから(+この一覧は必要なのか?と疑問を抱いたから)としか言いようがありません。また、「つづきは夕方」と書いておいでなのに今も一覧の編集なさってらっしゃるという行動は私には申し訳ありませんが理解できません。やりとりに積極的で無いと解釈し、削除依頼の提出に踏み切ろうと思います。また、今一度『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか』も御覧下さい。--Thats-you 2007年4月9日 (月) 02:39 (UTC)[返信]
削除依頼提出を支持します。
Yuichiokuboさんへ。ウィキケットの原則に、「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」とあります。ウィキペディアはそれほど中立性を重んじる百科辞典だということです。あなたがライフワークにしたいとまで考えておられる記事も、方針に照らして削除が適切だとコミュニティが判断すれば、あっけなく削除されてしまいます。そうなった時、そこまで思い詰めておられるあなたが心配です。これは心からのアドバイスですが、そんなに大切な記事でしたら、ご自身の個人サイトなどで続きを執筆なさってはいかがかと存じます。私ならそうします。--bcjp 2007年4月9日 (月) 05:35 (UTC)[返信]
>私はこのページの作成者ではありません右記は誤認ですよ!
>「私はこのページの作成者ではありません。」
「作成者」と呼ぶか「編集作業をしている人」と呼ぶかはどちらでも結構ですが、GFDL上は初版の作成者も第2版以降の作成者もともに作成者に該当しますので念のため。慣例としてウィキペディアでは記事を最初に作成した人は「初版投稿者」とか「新規投稿者」と呼ばれ、第2版以降の作成者と区別されます。--Cave cattum 2007年4月9日 (月) 11:10 (UTC)[返信]


こんばんわYuichiokuboです。

>:■Re:■私のノートの書き方がまずかったでしょうか(Thats-youさん記述)

まずかった・・というよりも多少のボタンの掛け違いがあるように思いますねぇ。 私はこの議論ページでの初回の記述の最後のあたりに下記のように書いているのですよ。

>まったく途中ですが、「続き」は後ほどとします。(私の記述)

それで「続き」があるということは、それをを書き終わる前にたたみ掛けられると音声会話の議論で言うところの「言い終わる前に話を遮られて決め付け的なことを言われている」という状態に陥ってしまっているのです。

たとえば・・しゃっふる。 さんの記述は私の「続き」を待って書いてくださっていれば違った内容になるだろうなぁ・・という感じなのです。しかし、結果的に言い終わってない時点で「揚げ足取り」をされたカッコになっているのですよ。でも私は・・・・・

「続きを書くまでは、ややこしくなるから何も言わないでくれ。」

・・・・・とまでは念を押しませんでした。 だから、しゃっふる。さんが人がモノを言い終わってないのを知りつつ故意に「揚げ足取りをした」とは解釈しておりません。「続き」があるという私の記述を単に見落としてお書きになっているだけだろうと思って解釈しています。それで、しゃっふる。さんの記述へのコメントや反論は自重したのですよ。

>私だけでなく、論議(私の質問)にお答えくださっている皆様の御意見も含めて御覧頂ければ幸いです。(Thats-youさん記述)

上記についても同様で「どう書いたら議論のズレを回避できるか」を困惑しつつ考えて、いまさら・・「続きを書くまでは、ややこしくなるから何も言わないでくれ。」・・と言おうかどうかどうか迷っていました。

しかし、正直言って「ズレズレのことを言われる不快感」はディープに味わっておりまして、このページの2日目時点で「少々気持ち悪い」というのが本当のところです。

>また、「つづきは夕方」と書いておいでなのに今も一覧の編集なさってらっしゃるという行動は私には申し訳ありませんが理解できません。やりとりに積極的で無いと解釈し、削除依頼の提出に踏み切ろうと思います。

それで・・上記は駄目ですよ・・・。問題だと思います。私はThats-youさんにストーカーをされているような恐怖感を感じましたよ・・。

私が「夕方以降」と書いたのは「このページはそれまで見たくない」ということです。

初日の記述で書きましたとおり、私は企業経営者ですので「経営判断」が仕事です。だから判断材料を集めるためにWikiを参考資料として検索することもありますし、編集に参加しているページに淡々とかつ慎重に加筆することも集中力やインスピレーションにつながり私の立場の業務にとってはプラスなのですよ。これはご理解いただけますか???。

しかし「Wikiのどこかを開いているならばこのページに来て書けよ」という理屈は乱暴であり「やりとりに積極的で無いと解釈し」は極端な表現ですと・・女性をつけまわして「おまえ、二股かけてんだろ、他の男と会ってるのを見たぞ!!」と凄む男・・の脅威に曝された女性の心境のようです(私は女性じゃありませんが)。

自分が同じ目に遭ったらどうかを少し考えてくれませんか?????

『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか』の中の「それらの利用者を悩ませたり、怖がらせたりしないでください。知的に接し、丁寧に議論に招待してください。」という部分に ・・「私の履歴を追ってストーカー的に追求すること」が大きく抵触しませんか??。 今のところThats-youさんは概ね知的で丁寧だと思っておりますが・・。

ここでさらに感じたことは・・・・・・・・

>私は一般初心者のウィキペディア参加者で、普段は「落語」と完全に『日本のクリスチャン有名人一覧‎』からかけ離れた過疎ジャンルを、何人かの見知らぬ方と特に何の交流も無く、ほそぼそと編集をしております。

・・・・・・とあるのですが、Thats-youさんは『日本のクリスチャン有名人一覧‎』からかけはなれているとお書きになりながらかなり執拗に関与しようとされている印象です。それで、何かの「管理者的な役割」で動いておられるのかなぁ・・と思っておりました。ところが「私は一般初心者のウィキペディア参加者で、普段は「落語」と」ということです。

私は自分がかけ離れている「落語」の方に行って、執拗な何らかの追求をして「落語」の方のジャンルで編集をしている人を困らせるようなことはしませんがねぇ・・。

>「三遊亭楽太郎」の最下の関連項目にコレが入ったのを丁度目にしたからです

それだけで、なぜここまで執拗になれるのですかぁ?????

私は以前から存在した『日本のクリスチャン有名人一覧‎』を発見し『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか』のガイドラインに沿って「できうるかぎり客観的かつバランスよく」かつ「淡々と平和に」編集したいだけなのですよ・・。

肝心の「続き」まで書けておりませんが、本日これ以上このページで書くのは心身に良くなさそうです。一度失礼してまた戻ってくることにいたします。 --Yuichiokubo2007年4月9日 (月) 21:22 (UTC)[返信]

Thats-youさんは記事の問題点を指摘されているのであって貴殿の編集態度や人格を問題視しているわけではありません。個人攻撃はおやめください。以前から存在していた記事を発見し加筆しただけだということでしたら、淡々と平和に記事の削除にご協力ください。--Cave cattum 2007年4月9日 (月) 22:19 (UTC)[返信]
脇から失礼します。
残念ながら、Yuichiokuboさんの編集態度も問題視せざるを得ない状況のようです。
自ら、議論継続中(本人が「続きがある」と言っている以上、議論継続中)であるとする記事を編集するという行為は、企業において「社員が社内で検討中の事案について、独断専行で動く」行為にあたります。事の重大性を認識下さい。(コミュニティを企業とした場合、ただし同僚に注意されているものとご認識下さい。wikipediaは管理者含め、全ての編集者は平等ですので。)
参加した議論の記事履歴くらいは普通見るものです。(企業に置いても、議事録くらいは見ますよね?同様に記事履歴くらいは見ます。)wikipediaは編集履歴がバッチリ残ります。Yuichiokuboさんがした行為は、別段、個人の編集履歴をみたりせずとも、嫌が応にも目に付く行為であることをご認識下さい。(公共の場での行為をプライバシーの侵害と言っているようなものです。)
議論中でない記事の加筆は、別段問題視していませんので、どうぞ、仕事中にも加筆してください。貴殿のインスピレーションに役立つということで、内容共々、とても期待しています。--218.251.125.114 2007年4月10日 (火) 06:13 (UTC)[返信]
■Re:■Yuichiokubo様、繰り返しますが、私は“wikipediaに載せる上でどうなのか”と上でも書きました。私は、『落語』を編集するウィキペディアンとしてでなく、一人のウィキペディアンとして書かせて頂いています(※念のため書いておきますが、Yuichiokubo様もまたウィキペディアンです)。wikipediaは「無料で閲覧出来、無料で編集に誰でも参加出来る辞書」ですが、無料で使えるに当たり、ルールブックよろしくのガイドラインが存在します。掲示板のように、個々の意見を自由に書ける空間とは少し違います。Yuichiokubo様の御覧になった『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか』はガイドラインの一部に過ぎません。このやりとりで感じましたが、Yuichiokubo様はガイドライン(ルールブックとも言えなくもないです)を全部お読みになってないのでは無いでしょうか?読んでると思って「御意見ありましたらノートに」と書いたのですが、私は「Yuichiokubo様のこの一覧作成にかける意気込みや熱意を聞かせて下さい」と言いたかったのではなく、「削除依頼に出すにおいて、反対意見としてこの一覧が“wikipediaにいかに必要か”、意見があったら御願いします」という意味でお伺い立てました。ガイドラインはかなり長くて、沢山あって、面倒臭いほどに、読む量は半端ではありません。ですが、是非お読みください。個人個人の意見や考えを常に出した世界では円滑な編集作業は出来ないと思われます。それを円滑にする意味でもガイドラインは存在するのだと思います。履歴については事実確認に必要とされます。何故他人の履歴の参照出来る機能が存在するのか、又、個々のウォッチリストも何故編集者の名前と時間の記録が記載されるかを御理解下さい。
また、これは私情も含めて申し上げますが、
実際にストーカーの被害に遭った事の無い人が、他人に「ストーカーをされているよう」などという発言を投げつけないで頂けませんでしょうか。恐怖の二文字では済まされない事もわかってらっしゃらないのでしょう。被害に遭った人がこれを読んだら・言われたら、どんな気分になるかも考えて書いてらっしゃいますか。フラッシュバックなどのトラウマになっている人もいるんです。忘れよう、忘れようと頑張っているのに何かのきっかけで思い出してしまう人だっているんです。否、忘れられるような傷ではありませんし、「邪魔」の一言でも済まされません。精神的なところまでズタズタになった被害者は被害から開放されてからも加害者の生きておられる限り不安がついて廻りますし、たとえ加害者が遠方や隔離状態となっても、加害者の性別側の人間が大抵信じられません。
wikipediaは誰もが読める・編集出来る場所ですが、だからこそ、色んな人がいらっしゃいます。心の傷を隠し持っていらっしゃる人も大勢いらっしゃるはずです。少なくとも、冗談にしても犯罪の名を他人にぶつけるのはマナーとしてどうなのでしょうか。--Thats-you 2007年4月11日 (水) 03:06 (UTC)[返信]


こんにちわYuichiokuboです。

このページに書きたくない時間ですので断片的な返答になることをあらかじめ了承ください。


Thats-you さんは一切の根拠もないままで、私を実際にストーカーの被害に遭った事の無い人と決め付けましたね。何をもってそのような根拠なしの決め付けができるのでしょうか??。 根拠無しの決め付けはよくないと思いませんか?????。

私はストーカーの被害に遭った事がありますよ。

「ストーカー」という言葉が社会に定着する前だと思いますけどね。だから警察が取り合ってくれるとは思わずに相談もしませんでしたが・・。

20代前半のサラリーマン時代に約3ヶ月の間「今朝は~色の上着でお出かけでしたね」とか「昨日持ち帰ったビッグカメラの包装の大きな包みは新しいビデオデッキでしょうか」「この3日は帰りがすごく遅いので心配です」・・・・・という具合に当時住んでいたワンルームマンション(部屋の位置は1階)のドアにほぼ毎日のように道で1回遇っただけの女性のメモが入っていましたよ。おそらくどこかから監視されていたのでしょうね。

「セキをしてましたね・・云々・・」と書いてマフラーを新聞受けに入れられもしました。それ以外のプレゼントも・・。

もちろん、そうなる3ヶ月間の前にはっきりと交際の拒絶を明言しました。道で会っただけの人に迫られたのですから当然ですがねぇ・・・。

命の危険までは感じませんでしたが「このままだと私は死んだほうがよいのでしょうか」との旨のメモには閉口して、困惑の極みで、当然ながら大きな苦痛を感じましたよ。

それ以後の今日まで真冬でもマフラーをしたことがありません。何故だか忘れていましたが思い出させてくれてありがとうございます。

プレゼントをもらうときにいつも「何かの違和感」を感じるのですが、何故だか思い出せませんでした。思い出させてくれてありがとうございます。

小さなメモ紙のメッセージを読むのがなぜか苦痛なのですが、何故だか忘れていました。思い出させてくれてありがとうございます。

いまだに独身ですが何故そうしているのか自分でも理由がまとまりませんでした。理由の1つを認識させてくれてありがとうございます。


おかげさま(上記のThats-youさんがお書きになった 根拠なしの決め付けによる衝撃)で隠れていたトラウマを認識できましたよ。 --Yuichiokubo2007年4月11日 (水) 08:44 (UTC)[返信]

■Re■:書きたくなかったのですが、私もあるから書いたんです。私情と書きましたよね。
私にとっては思い出したくないからこそ表現すらしてほしくない表記です。
Yuichiokubo様も被害の経験がおありでしたらお詫びいたします。
ですが、むやみに「ストーカー」などと書くのはおやめください。
私が言ってるのは犯罪の言葉を他人に投げるけるのは良くないと言ってるんです。
誰もプライベートを書けといってません、私は語りたくもありません。
もう嫌です。

--Thats-you 2007年4月11日 (水) 08:57 (UTC)[返信]

両者とも、ウィキプロジェクトの議論から脱線していますよ。お互い思うところはあると思いますが『ウィキプロジェクト 人物伝』をどうするかという視点で仕切りなおす事を提案します(仕切りなおしを明記して節を新しく作る事などを例として提示します)。またユーザーの行動に対して問題点があると思った場合はコメント依頼の方へ投げてください。--秋月 智絵沙 2007年4月11日 (水) 09:42 (UTC)[返信]

ちょっと拝見しましたが、素直な感想は、皮肉ではなくって「お二人とも繊細で素直な良い方だなあ」ということです。行き違いだと思いますので、少し散歩などされて、気分転換してみませんか?私が言うと、説得力が皆無(苦笑)なのですが・・・--Album 2007年4月11日 (水) 09:49 (UTC)[返信]

仕切りなおし

[編集]

話題がずれてしまって進まなくなっていますので、とりあえず、ここまでに出た意見をまとめましょう。この節に書き込まれた内容をそのまま引用し、番号だけ振らせていただきます。番号は議論を進めやすくするための便宜です。

  • 「削除」寄り、または「不要」寄り
  1. これを機に、他の宗教の有名人一覧も増えていくかもしれない事を考えていくと、有名人の今後の活動やプライバシー、他の人(特に別の宗教の人や宗教を嫌いな人/芸能人だったら、芸能界での交流もそうですが一般視聴者やファンも対象となるかと思います)との交流などに何か問題がありそうな気がする Thats-youさん 2007年4月4日 (水) 21:03 (UTC)[返信]
  2. 「クリスチャン有名人一覧」がOKならば、「××学会信者一覧」「××の科学信者一覧」といった一覧記事も認めなければならない。この種の情報は個人の内面にかかわる情報であり、プライバシー等の問題がある。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  3. 宗教の指導者であるならば、百科事典に掲載すべき業績であると言えるので、「××教指導者の一覧」といった一覧記事を作成することは差し支えない。しかし、宗教の信者であるというだけならば、誰でもなれるのであるから百科事典に掲載すべき業績とは言えない。「阪神ファン一覧」「自民党支持者一覧」なども同様である。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  4. 思想や信教は個人の内面の問題であるから客観的な検証が不可能である。また思想や信教はしばしば変わる。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  5. 存命中の人物に適用しようとした場合は、カテゴリの場合もそうですが、聖職者等に限定されるべきだと思います。親など家族がある宗教だった場合にあたかも本人が積極的な活動をしていなくても無理やり記載しようとする人がいて多くの記事が保護されることを考えると安易にこうした記事一覧が作られることには反対です。本人が公表している例なので問題ないのではと私が判断したCategory:イスラム教徒のバスケットボール選手では、Wikipedia:削除依頼/Category:イスラム教徒のバスケットボール選手で削除となっています。--Tiyoringoさん 2007年4月7日 (土) 23:02 (UTC)[返信]
  6. 人物を理解するためにその人物がクリスチャンであるというキーワードが必要な場面がある、という部分には同意できます。がしかし、だからといってそれはクリスチャンのリストを作るということを正当化することにはならないと思います。人物を理解するために彼(彼女)がクリスチャンであるということが必要不可欠な場合、人物の記事中に彼(彼女)がクリスチャンである旨を書き、解説するのは理解できます。しかし、クリスチャンのリストを作ることに意義があるとすれば、そのリストを見ることによって、クリスチャンとは大雑把にいってどのような人たちなのか、キリスト教とは大雑把に言ってどのような宗教なのか、ということを理解するのに役立つ場合に限ると思われます。少なくとも、キリスト教に詳しくない私は、あのリストを見て、キリスト教とはどのような宗教なのかを理解することはできませんでした。--しゃっふる。 2007年4月8日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
  • 「存続」寄り、または「必要」寄り
  1. 作家、音楽家、ミュージシャン、俳優、歌手・・などに多いことでは、その人の作品や活動自体がキリスト教信仰を抜きにしてはほとんど語れないという場合が多いです。こういう人をキリスト教信仰の説明抜きで語るのは「中核部分丸抜け」で無責任です。
    多くのクリスチャン首相や大臣なども同様で「画龍点睛を欠く」か「中核部分丸抜け」の無責任な説明になります。なぜその人が「ある決断」をしたのか、なぜその人は信念を貫いたのか・・・など信仰の解説が無いと無意味のものが多いです。
    記入する候補の人物はいまのところ表示の軽く10倍以上おりますが、吟味(目利き)しつつ挙げております。明らかに表示を望まない人、キリスト教徒だが載せる意味が見出しづらい人などは避けています。これは私自身がキリスト教徒ですので自分なりの「目利き」ができますがそうでない人には少々難しい作業かもしれません。Yuichiokuboさん 2007年4月7日 (土) 22:04 (UTC)[返信]

私が見た限り、議論を進めるための題材となりうる有効な投稿(のエッセンス部分)はこれぐらいだと思います。が、もちろん抜き出し方が適当でないとのご意見は受け付けます。くれぐれも熱くなりすぎず、「よい百科事典を作る」ことだけを目標に粛々と進めていきましょう。--しゃっふる。 2007年4月11日 (水) 15:16 (UTC)[返信]


こんばんわYuichiokuboです。

しゃっふる。さん、仕切りなおしのマトメをしてくださりありがとうございます。下記のメッセージについて、ごもっともだと同意いたします。

>くれぐれも熱くなりすぎず、「よい百科事典を作る」ことだけを目標に粛々と進めていきましょう。(しゃっふる。さん記述)

また、私が当該ページの編集に参加しようと思ったのも「よい百科事典を作る」というところに動機があります。これは方便ではありません。「キリスト教徒がキリスト教のPRをしたいのだろうに・・」というような勘繰りはなさらないようお願いしたく切に希望します。

さらに、私は「天理教徒の有名人一覧」とか「立正佼成会信徒の有名人一覧」「生長の家信徒の有名人一覧」・・・なども、もし存在するならば目を通して、そこで見つけて興味をもった人物の業績、人生史や価値観などについて掘り下げて研究してみたいと思います。

ただ、それを編集するのは、たとえば「天理教信徒の有名人一覧」ならば天理教信徒の方でなければ難しいと思います。その人(有名人)についての「ニュアンス」を把握できなくて一覧に挙げれば部外者が「ランダムに羅列しただけ」の状態になってしまうと思うからです。

>まったく途中ですが、「続き」は後ほどとします。

さて、私は初回の記述で上記を最後のあたりに書いたのですが、「入念な念押し」をしなかったために「続き」が存在しないことが前提と思われる(私の感想です)ような意見をいただきました。それで、途方に暮れて困惑した旨を「仕切りなおし前」の記述の中で書きました。

そして、「続き」を書きます(もう書き始めています)が、まず、一回では書ききれないと思いますことをあらかじめ申しておきます。

また、効率的に議論を進めるために仕切りなおし前に私あてに記述してくださった方々のご意見につき、コメントしながらの「続き」を構成するように工夫してみます。また、個人的なコト(紙の百科事典は~を愛用・・とか)も多少交えますが、それは記述の意図を誤解されないための予防情報だとご理解ください。

まず、私は当該ページを発見して、その編集を「ライフワーク」にしようと決意して編集に参加した・・という旨を書いたところ、bcjp さんから下記のご指摘をいただきました。

・・・ウィキケットの原則に、「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」とあります。・・・そこまで思い詰めておられるあなたが心配です。これは心からのアドバイスですが、そんなに大切な記事でしたら、ご自身の個人サイトなどで続きを執筆なさってはいかがかと存じます。・・・(bcjpさん記述の抜粋)

それで、これについては私の表現が多少「稚拙」だったのかも知れませんが、ああ、完全に誤解されてしまったなぁ・・という感じでして・・・・・

「ライフワーク」にしようと決意=あまりにも情熱を持っている(つまりパッション)

・・・・・ではありません。より適切な表現をするならば「ことわざどおり・・継続は力なり・・だよなぁ・・」というような「テンションを低く抑えて・・細く長く・・」という静かな決意なのですよ。

「そこまで思い詰めておられるあなたが心配です。」という親身かつ感謝すべき心配をさせてしまいbcjpさん記述)に悪いことをしたなぁ・・という感じです。

実は・・編集を「ライフワーク」にしようと決意したページは当該ページ以外にもいろいろありまして・・ペンネームを取得以前から延々と書いているモノもあります。

たとえば香港上海銀行などがそうで、ペンネーム取得なんて全く意識しないで気軽に「ああ~、ああ~、間違いが多いなぁ・・書き直さずにいられないなぁ・・」という感じで「編集」をポンとおしたら書けるみたいなので加筆や訂正をしました。で「細く長く、ライフワーク的にやろう」という決意をしました。その、たしか2~3年後に「ペンネームを取得したほうが良いみただなぁ」と何かのきっかけで知りまして、かなり遅くにペンネームを取ったという次第なのですよ(ラフな記憶です)。


なぜ香港上海銀行なのかと申しますと、父が公立高校の世界史の教員でしたので実家には世界史関係(地理も)の本が山のようにありまして物心つくと同時にそれらを遊びで読み漁っておりました。その中の「近代中国史」関係のモノの記述に「香港上海銀行の成立とその背景」という「章」を見つけて読んだのが小学校高学年ぐらいで、それ以来約30年ぐらいの間「自称香港上海銀行研究家」をしております。

その間の社会人1年目には香港上海銀行の株を少し買ったのですが、そのときの「証券会社の窓口の女性の怪訝な顔」は今でも覚えております。たぶん「注文する以上は応対するけどぉ、某国の1植民地に本店がある銀行の株を注文するなんて、この人は変人じゃないのぉ」という感じだったのでしょうねぇ・・。

それが、つい先日(07.03.29)発表の Foebes Global 2000(世界の大企業ベスト2000社)最新版では全業種通算で世界第3位の企業になっていまして、同じ興味(おそらく)で編集している同士が書いた前年度の順位(5位)を訂正して順位の出所を加筆しました。これは HSBC Holdings PLC(持ち株会社)の順位です。

香港上海銀行は現在ロンドンに本拠地がある持ち株会社 HSBC Holdings PLCの傘下の1銀行ですがHSBC USA、 HSBC CANADA、HSBC FRANCE・・・と世界中で統一された現地法人名ルールで HSBC HONGKONG とせず、グループ発祥の大本であるという歴史から唯一 The Hongkong and Shanghai Banking Corporation と名乗る名誉と特権を持っています。

私が加筆を始めた前後に多くの同士が参加して、写真などの資料も充実し、「安心して目を離していられる」状態です・・(笑)・・・・・。


話題が脱線してると言わないでくださいね。

何を言いたかったかといいますと、約30年間研究している香港上海銀行HSBCについては、胸を張って「ライフワーク」と言い切ります。しかし・・・ウィキケットの原則に、「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」とあります。・・・には該当しませんよね、この場合の私のプライドは・・。

そのように、当該ページについても私は同じようなスタンスなのです。

また、香港上海銀行の株は持ち株会社方式の経営の発表と同時にHSBC Holdings PLC の株と交換されて、その後も徐々に買い増ししながら持っております。しかし、株価が上がってほしいあまりに「事実以上に良く書く」つもりは全くありません。そういうことは約30年間観察している立場のプライドが許しません。

同様に幼稚園以来の35年超のキリスト教徒の立場のプライド上、紹介することに疑問符が付くような「人気タレント(であるだけのような・・)」のクリスチャンを誰かが加筆した場合、当該ページの趣旨や意義(それをまだ語っておりませんが)に照らして疑問を呈する場合もあるかと思いますよ。

当該ページの存在はガイドラインに照らしても(まだ隅々までは読んでませんが)「必要不可欠である」と私は考えております。

しかし、その論拠までを書くのは、本日は無理ですので1回筆を置かせていただきます。


ということで・・「途中ですよ~」「途中ですよ~」「途中ですよ~」・・と念押ししておきますね。 --Yuichiokubo2007年4月11日 (水) 23:08 (UTC)[返信]

途中ということですが、私の発言に関わる部分のみ返信させて下さい。「あまりにも情熱を持っている事柄…」の件ですが、Yuichiokuboさんは、「情熱」とはいわゆる「ほとばしる熱いパッション」のようなモノと解釈しておられるようですね。私の解釈は違います。あなたの仰っている「プライド」がすでにそれに該当しています。特定宗教に関する記事は、その宗教を信じる人にしか良いものは書けないというのも、失礼ですが単なる思い込みだと思います。確かに、信徒の方は事情にお詳しく、きめ細かな点にも愛情をもって執筆なさると思いますし、それは素晴らしいことだと思います。ただしそれが百科事典として良い記事になるかどうかは別の問題だと思います。
それから、畏れ入りますが、議論の時はなるべく文章を簡潔に、1度でご主張を短くまとめていただけますようお願い致します。拝読する側の立場としては、いつも「途中」ではご主張の全貌がわからずまとまった返答ができません。議案の早期解決のためご考慮いただけますようお願い致します。--bcjp 2007年4月12日 (木) 00:48 (UTC)[返信]
「プライド」の解釈も人それぞれなので、今回の「情熱」に当たるかどうかは分かりかねますが、ウィキケットには、「中立性を保つため情熱を持つ記事には加わらない方がよい」と書いてあったと思います。明確な解釈がないので以降、私見になりますが「wikipediaの性質上、自分の書いた記事を否定する編集が行われることがある。否定された場合、記事の事柄に一定以上の思い入れがあった場合、過度に反応してしまうことが多い。だから、一定以上の思い入れがある事柄への加筆は控えよう」ということかと認識しています。冗談とは書いてありますが、Yuichiokuboさんは「削除依頼などをお出しになったら人権侵害で訴えますよ」などの発言をしているので、ちょっと反応過剰かなという気はしています。
「途中」の「続き」を表記される際は『日本語版wikipediaで、本カテゴリ分けを行うことにより、どのような事について理解が深まるか?』について是非表明していただきたく思います。--218.251.125.114 2007年4月12日 (木) 03:00 (UTC)[返信]


こんばんわYuichiokuboです。


ご意見の記述ありがとうございます。

ちょっと、今夜は書く時間がとれませんでした・・はあ、はあ、はあ・・げふっ・・。

必ず書きます(ASAPで)ので、よろしくおねがいします。 --Yuichiokubo2007年4月12日 (木) 20:46 (UTC)[返信]


えーと。しゃっふる。さんの、仕切り直しを機会に発言させてください。 現在Yuichiokuboさんが執筆を進められている「クリスチャン有名人一覧」 はWikipedia:検証可能性を満たすのでしょうか?

Wikipedia:ウィキペディアは何でないかによれば「ウィキペディアは単なるナレッジデータベースではありません」から、単にキリスト教徒というだけで並べるのは意味がありません。それでは、どういう人を並べるのか。たとえば現在、円谷英二もリストにあがっています。日本の特撮映画界で神話的貢献を行ったことで円谷英二は百科事典に載るべき人物ですが、彼の特撮映画にキリスト教の影響を指摘した信頼に足る文献は、私の知るかぎりありません。またキリスト教信仰が円谷英二の内面をどのように支えたのかという話は、キリスト教信者リスト一覧に載せる理由にはなりません。これは、すでに指摘されているとおりです。

これが遠藤周作になると、キリスト教関連の著作も発言も盛んに行い、キリスト教に関する一種の啓蒙活動を行った人ですからリストに載っても当然かなと思います。

この切り分けに関してはYuichiokuboさんは 「これは私自身がキリスト教徒ですので自分なりの「目利き」ができます」 と発言しています。 「私は信者だから判断できる」 ということですね。それは「だれでも検証できる事柄」から逸脱しているのではないでしょうか。 第一、信者同士でも意見が一致するかどうかは疑わしいです。現に私は信者歴40年を越してますが、 現在のリストのほとんどは載せるべきでないと判断しています。

結局のところ、Yuichiokuboさんの意図がどうあれ今のままでは 「この有名人も、あの有名人も、み~んなキリスト教徒なんだよ~ん。スゴイでしょ」 という自派宣伝にしか見えないのです。 「他宗教・宗派もこれをやりはじめたら大変だ」と皆様が思うのも無理はありません。 リストを作るのなら信者以外の方でも検証可能な基準を設けるべきです。 「私がルールブック」というのは、有り得ません。

おーた 2007年4月13日 (金) 03:43 (UTC)[返信]

一覧が必要か否かの話し合いは削除依頼でして下さい。意識してお願いします。おーたさんもそこまで言われるなら編集に少しは携った方がいい。ちなみにこの一覧は初稿が3月3日です。--Mmm25967 2007年4月13日 (金) 05:48 (UTC)[返信]


こんにちわYuichiokuboです。

時刻的に断片的な書き込みになることを了承よろしくおねがいしま~す。

Mmm25967さんが少しお書きですが おーたさんの唐突なご意見は、僭越ながら、はっきり感想を言わせていただくとすれば、ちょっと非難に値すると申し上げても良さそうですねぇ・・。

まず、論旨の核心部分にかかわることにつき人が言う前に揚げ足取りしてますので、流れを全く見ずに、どこからか唐突に入って来ておられていますよねぇ。

で「私がルールブック」なんて誰が言ったのでしょうか???。

まだ1回もWikiの編集に参加してないのですか??? (Mmm25967さんの上記記述から察しまして・・・)

それで、ここでの唐突なご参加ですかぁ?・・はぁ?・・ふぅ~ん。

それに「私は信者歴40年を越して・・」はユング心理学などの解釈に照らすと「嘘(ウソ)」と推定すべき記述(確定ではなく推定です。推定のメカニズムは専門用語を要して長くなりますので省略とします。)となりますですよぉ。

実は私はプロの臨床心理学専門家の大学の先生(なぜか仏教系の大学の先生ですが・・)に、この7年ぐらいの間毎月1回、会社組織のメンタルヘルスを良好に維持するための心理学の特訓を受けております。

だから、人の発言の「真意の読み取り」はセミプロ級とまでは言いませんが・・・です。

「キリスト教に関する一種の啓蒙活動を行った人」は聖職者の一覧(すでにあります)に載るべきでむしろ当該ページには「載るべきでない(啓蒙活動のみの人は)」に近いと考えるところであります。これはまだ書いていない核心部分なのでここで中途半端に書くのはやめることにしますね・・。

予定時間外発言は以上とします。チョイ出で失礼いたしました。 --Yuichiokubo2007年4月13日 (金) 07:05 (UTC)[返信]

え~三者とも挑発的な投稿はやめるように。勝手な推測で他人を卑下することはやめてください。おーたさんはキリスト教関連の項目に多数投稿を行っています。おーたさんがこのカテゴリの編集に携わらないのは、削除賛成だからではないかと思います。


おーたさん、おっしゃりたいことは理解できます。NPOVの観点ですね。確かにこのカテゴリーはNPOVの観点から削除するのが妥当とすることもできるものです。しかし現状は、早急に手を打たなければならない状況ではないので、まずは落ち着いて、Yuichiokuboさんの論旨を聞いてみるべきかと思います。そのうえで、論破する事が尤も良いのではないでしょうか?因みに、私はおーたさんの発言は挑発的ではないと感じていますが、Yuichiokuboさんにとっては挑発的だろうと思っています。


Yuichiokuboさん、苦言を呈するのは、非常に心苦しいのですが、Yuichiokuboさんの今回の投稿は、露骨に挑発的です。以前自身が苦言を呈しておられた「他者に対する決めつけ」までおこなってしまっています。反論を行わないのはその主旨を認めたようで我慢ならないかもしれませんが、Yuichiokuboさんがご自身の論旨を述べてくださっていない以上(表現が悪いことはご容赦下さい)、誤解は生じてしかるべきものです。(核心部分はまた後で。という表現は、あまりプラスの印象を与えないですよね?)相手の発言が挑発的だと感じたのであれば、半日以上の時間をおいて、冷静に対処するようにしてください。売り言葉に買い言葉では喧嘩になるだけではないですか?
再度のお願いになりますが、次回の編集では、是非、Yuichiokuboさんが主張する核心部分について伺いたく思います。まったりとお待ちしております。--218.251.125.114 2007年4月13日 (金) 08:50 (UTC)[返信]
私の書き方がYuichiokuboさんの気に障ったようで、この点は申し訳ありません。言いたかったことは、Wikipediaに相応しい検証可能な開かれた記事にするためには、リスト掲載の基準を明らかにしないと話が始まらないということでした。
その基準をうまく設定すれば、しゃっふる。さんがまとめた、「削除寄り」「否定寄り」意見の1~6もクリアできる可能性があります。そういうことまできちんと書くべきでした。(昼休みのタイム・リミットっつーものもありまして、、、)
編集参加についても、先の投稿をした時点で「ここまで書いちゃったんだから、お邪魔ながらもリスト掲載基準の作成と、現リストの再選定をお手伝いしなくちゃイカンだろうな」と漠然と考えていたのですが、Yuichiokuboさんの反応を読んで悟りました。Yuichiokuboさん相手に熱くなって議論を書き込む私の姿がリアルに脳裏に浮かんだのです。これは「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」という事態に該当するものと思われます。従って、Mmm25967さんからの編集参加のお勧めではありますが今回のコメントをもって私は退きます。お騒がせして申し訳なかったです。うまく掲載基準作成が合意できるとよいですが、もしそれが叶わず削除依頼が出た場合は淡々と投票させていただきます。
最後に、意見1と4への補足です。有名人の方で何かの拍子にキリスト教徒であることが知られていても、それをこうした場で書かれるのは、すごく嫌だと感じる方はいらっしゃるでしょうね。それは、十分に考慮すべき事柄だと考えます。
おーた 2007年4月13日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

参考程度にまで。英語版にはen:List of Christiansがあり、宗派ごとに、笑えるくらい細分化されてます。他の宗教の一覧記事が出来るかもしれないから削除というのは全くのナンセンスだと思います。それだったら、既にwikipedia内で無意味に増幅している各漫画・アニメの○○一覧から切り崩していくべき。まぁ、当然カテゴリ&テンプレートの削除依頼を出した某氏のように手酷い逆襲にあうと思いますけど。

センシティブな問題だから・・・という指摘もありますが、それなら、まず在日の○○や帰化系日本人の○○、障害者の○○などから切り崩していくべきだと思います。あまり喧伝されたくない人も多いだろうし、ね。それが出来ないのは「実際そうじゃん」という見切りと事実そうだからというカテゴライズなわけですよね。

宗教絡みになると「これは宣伝である or 貢献度によりカテゴライズしなきゃ」という発想になるのがいまいち理解できません。削除依頼に出されたら十中八九通ると思うけど、一応削除依頼には反対を表明しておきます。--Blueroses5327 2007年4月13日 (金) 19:36 (UTC)[返信]

Blueroses5327さんへ。あるキャラクターがある作品に出ていることも、ある人が在日外国人であることも、ある人が障害者手帳の発行を受けていることも検証可能ですが、宗教は…? という疑問符を投げかけておきます。リストに載せるか載せないかのしきい値はどうやって決めるんでしょうか。主な英語圏である英米と、主な日本語圏である日本では、宗教事情がかなり違います。英語版がどういう基準で一覧化しているかは知りませんが、そこそこの有名人なら、キリスト教テレビ番組に出演したり、教会で講演を開いたりがあって、これらは一定範囲で「クリスチャンとしての公的な活動歴」とみなせそうです。日本語版ではどのような基準を用いるべきでしょうか。--bcjp 2007年4月13日 (金) 20:19 (UTC)[返信]
>ある人が在日外国人であることも、ある人が障害者手帳の発行を受けていることも検証可能ですが、宗教は・・・?
えーっ、そりゃないでしょう、戸籍とか勝手に覗き見る地方公務員みたいな事をするんですか(笑)その前提がありなら、宗教だって、宗教団体に押しかけて信者名簿をぶんどってこればいいだけの話です。現実的に考えてそれはありえませんよね。検証可能性は独自調査によるものじゃなくて、信頼の置けるソースに基づいたものに拠るはずだった気がするんですが。基準を考えるって言っても「有名人」という曖昧だけど、明確な枠があるわけで、「そういや近所の山田さんはクリスチャンだったな、このリストに入れよう」「三丁目の教会の牧師さんはいい人だからこのリストに入れよう」という事はありえないんだし、現状で充分だと思います。
そもそも、今問題になっている一覧記事の是非と個別記事に対する検証可能性は別問題だし、日本の宗教事情が欧米とかなり違うのもそりゃ百も承知ですけど、ここは日本語版であって、日本版じゃないというのを理解してほしいわけです。「クリスチャンとしての公的な活動歴」というカテゴライズも面白いかもしれないけど、それじゃあ「在日の○○」や「帰化系日本人の○○」、「障害者の○○」などは、○○系テレビ番組に出演したり、関係施設で講演を開いたりがあって、公的な活動してるのかと言うと、そんなことは当然ありえないわけで・・・
Yuichiさんが最初に指摘してる「日本の病理」っていうのが今揉めてる一番の原因じゃないかなぁ。削除依頼には反対。--Blueroses5327 2007年4月13日 (金) 21:40 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。誤解を招いたかも知れませんが、私は宗教関係だけではなく、在日他国人や障害者の一覧化にも反対です。書き方が悪かったようですのでお詫び致します。Blueroses5327さんのご主張は、宗教よりも先に切り崩していくべき」ものがあるという主旨かと受けとめました。ご指摘には共感いたしますが、だからといってそれが今回の記事を削除しない理由にはならないと思い、それを申し上げたのです。削除するべきものがあるのでしたら、優先順位の低いものを先にやってはいけないとは思いません。優先順位の高いものから先になるのが望ましいとは思いますが、順番待ちをしてまで守らなければいけないものでしょうか。宗教事情についてですが、記述対象となる人物が在住している国が日本である以上、日本の事情に影響されることはやむをえないと思いますがどうでしょうか(日本語版において「アメリカのクリスチャン有名人一覧」を記述する場合は、アメリカの宗教事情に影響されるでしょう)。--bcjp 2007年4月14日 (土) 06:43 (UTC)[返信]
英語版にはen:List of Christiansがあり、宗派ごとに、笑えるくらい細分化されてます(Blueroses5327 2007年4月13日 (金) 19:36 (UTC))とのご指摘ですが、英語版の状況をご説明します。en:List of Christiansに並んでいる一覧記事は次の通りです。
エチオピア正教の大司教一覧、ローマ教皇の一覧聖者の一覧、バプティスト派の人物の一覧、司教および大司教の一覧、聖書の登場人物の一覧、政治に関係している牧師の一覧、伝道者の一覧、聖公会音楽の作曲家の一覧、クリスチャンの芸能人・有名人一覧、キリスト教メディアの出演者一覧、キリスト教の宣教師一覧、キリスト教の神学者一覧、キリスト教自然科学者の一覧、英国国教会の人物一覧、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの人物一覧、クリスチャン・サイエンスの人物一覧、キリスト教への転向者一覧、東方正教会の人物一覧、福音派教会の人物一覧、エホバの証人の人物一覧、末日聖徒イエス・キリスト教会の人物一覧、ルーテル教会の人物一覧、メノナイトの人物一覧、メソジストの司教一覧、メソジストの神学者一覧、メソジストの人物一覧、アメリカ長老派教会の人物一覧、プロテスタントの著者一覧、ピューリタンの人物一覧、クエーカーの人物一覧、復帰運動に関係した人物の一覧、ローマ・カトリックの人物一覧、セブンスデー・アドベンチスト教会の人物一覧、ブラジルのテレビ説教者一覧、アメリカのテレビ説教者一覧
ローマ教皇の一覧聖者の一覧は日本語版にも既にありますね。上記の通り、en:List of Christiansに掲載されている人物の大部分は宗教指導者や宗教運動家です。そして、日本語版においてこうした人物の一覧記事を作ることはこれまでも特に反対は出ていません。
現在我々が議論している「日本のクリスチャン有名人一覧」は、「宗教家以外のキリスト教徒(クリスチャン)の人物の一覧」と定義されていますね。これに相当する英語版の記事はen:List of Christians in entertainment and media(クリスチャンの芸能人・有名人一覧)でしょう。英語版のこの記事にはいろいろとルールが設定されていまして、「信者であることを自ら進んで公表した人物が含まれる」「ノートで出典を明示しない限り加えたり除去したりしないこと」などと明記されています。信者であれば誰もかれも掲載されているわけではありません。そして、この記事に掲載されている人物はわずか214人に過ぎません。
英語版では他に宗派別の一覧記事にも芸能人の人名が記載されているものがありますが、いずれも原則、信者として著名活動を行った人物のみが記載されています。--Cave cattum 2007年4月23日 (月) 13:20 (UTC)[返信]


こんにちわYuichiokuboです。


218.251.125.114さん、「まったりとお待ちしております。(下記より)」とのメッセージありがたく感謝いたします。上記メッセージをいただく前は「ガイドライン」を腰を落ち着けて読む余裕もありませんでした・・正直言って・・。

>再度のお願いになりますが、次回の編集では、是非、Yuichiokuboさんが主張する核心部分について伺いたく思います。まったりとお待ちしております。(218.251.125.114さんの2007年4月13日の記述)

ちょっと安心しました(生きた心地がやっと戻って・・)ので「メインページ」から「Wikipedia:ガイドブック」・・などなど・・を落ち着いて再度よく読んでうえで「核心部分」をまとめますので「しばしの猶予」をみなさまにお願い申し上げます(「まったりしすぎないように」するつもりであることは言うまでもありませんが)。


また、下記のアドバイスなどについても深く感謝申し上げます、218.251.125.114さん。

>反論を行わないのはその主旨を認めたようで我慢ならないかもしれませんが・・・・・相手の発言が挑発的だと感じたのであれば、半日以上の時間をおいて、冷静に対処するようにしてください。

おーたさん、後からの丁寧な書き込みありがとうございます。時間を置かずに「ああ、あ、クレームマニアさんがおいでなさったなぁ・・」と推測したのは申し訳なかったですね。後から(「おーたさんの昼休み」でなく)お書きの文章を見て「ああ、思慮が深い方でお会いしてみたいなぁ」とも思いましたよ・・。


で、さらに、ほとんど全てのみなさまがそうだとおもいます。実際にお会いしたら「お互いに学び合える」方々ばかりだろうなぁ・・・と思います。 --Yuichiokubo2007年4月14日 (土) 08:01 (UTC)[返信]


こんばんわYuichiokuboです。

ほとんど、まったりせずに・・必死・・いや、冷静に読んでおります。

「明日までに本年度の給与体系の細部を決めていただけなければ、入力に支障を来たしますから、そうなったら社長を百叩きの刑に処しますよ!!。」と財務経理の責任者X女史(都市銀・外銀OGのサディスト<あまり真剣に読まないでください)に強烈なプレッシャーをかけられつつも・・読んで、読んで、読んで・・おります。

改めて全体を「メインページ」から「Wikipedia:ガイドブック」・・など、など、など、など・・および、そこから派生する膨大(広くかつ深い)な「Wikipediaの全体像を説明する役割の部分」を読みながら、深遠なる思想や哲学とも言える面に深く感動しつつ、必死ながらも適正な理解のために、できる限りのリラックスにつとめ、冷静に読み進めております。

・・・・・という状況でして、述べるつもりの「中核部分」をASAPでお約束どおり、きっちり書きます。・・ということで・・さぼっておりませんで、みなさま、その旨ご理解くださ~い。 --Yuichiokubo2007年4月16日 (月) 20:44 (UTC)[返信]

まとめへ向けて

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こんにちは。意見表明が止まっているようですので、そろそろまとめに入りたいと思います。あと1週間程度様子を見て、賛否両論の論点を整理し、削除依頼を提出したいと思います。ご承知の通り、削除依頼を提出したからといって削除が決定されるわけではありませんが、意見のある方はこの場で早めに表明された方が良いのではないかと思います。それではよろしくお願いします。--Cave cattum 2007年4月19日 (木) 15:52 (UTC)[返信]


Yuichiokuboです。


Cave cattumさん、私は「メインページ以下を丹念に読み込んでから、きっちり書く」とはっきり念を押して申しております。それで、現在は記述が細切れにならないように下書きを始めている段階であります。

現在は全くもって、意見表明が止まっている・・という状況ではなくて、私が「待ってほしい」とお願いしたことにつき、みなさまが誠実にご協力くださっている、という状況であると思いますよ。

なにぶんにも早合点はなさらないように、切に切に・・切に、お願いいたします。

>削除依頼を提出したからといって削除が決定されるわけではありませんが・・・

また、丁寧に上記のようにお書きではありますが、この件を流れ作業の1件の処理(表現が適切でなければお詫び申し上げます)であるかのように扱うことはなさらないでください。


また、以前、奇しくもCave cattumさんは下記(問題の中核に近い記述)のようにお書きになられているのです。

>以前から存在していた記事を発見し加筆しただけだということでしたら、淡々と平和に記事の削除にご協力ください。--Cave cattum 2007年4月9日 (月) 22:19 (UTC)

その時点でよっぽど申し上げようかと思いつつ、Cave cattumさんは「無意識にお書きなってしまっただけであろう(つまり失言)」・・かつ・・「他意は無いのだろう(潜在意識にはあると思われる)」・・と思うように決めて、深く深く意識しつつ強いブレーキをかけてコメントを自重したのですが・・上記の記述は「このノートにとどまらない重大な意味」を含んでいるのだろう・・と、その時点から考えておりましたところであるのです。

(多くの場合で観察できますが失言には本音が色濃く表れるという特徴があります。)

また、問題の核心はそのあたりにあるのだろうと考えつつ、Wikipedia全体に対する理解を深めてから語ろうと考えていたところでもあるわけです。


ちょっとだけ申しますと・・「Wikipediaの基本原則に真っ向から反している記述」・・であろう(上記が・・)ということなのです。


Cave cattumさんのここでの発言は、私にとって「全くイレギュラーな事態」であるため、緊急避難的に、まとめている文中で言うべきことを「ちょっとだけ出さざるを得なくなった」次第です。したがって、挑発の意図などは全く存在しないことをご理解ください。また、Cave cattumさんのプロジェクトへ真面目に取り組む意気込みは深く尊敬しているところです。

とにかく、詳しくはまとめている「核心部分」の中で申し上げることといたしたく存じますので、それをお待ちいただけるよう重ねてお願い申し上げます。

また、現時点で、削除依頼の提出云々というお話を軽々しくなさることは厳に一切しないでいただきたく(方向性のバイアスは完全除去されて然るべきだと思います)、慎重なるご注意を切に切にお願い申し上げる次第であります。


くりかえしますがCave cattumさんのプロジェクト推進意欲は尊敬しております。さらに、私も全く同等の立場にあるとお考えくださるよう希望いたします。つまり、取りまとめを「している者」と取りまとめの「対象になっている者」という立場の区別は全くあり得ないということは厳然と明白でありまして、Cave cattumさんにそこから何らかの逸脱をしてしまったようなご意識が「いつの間にやら」存在しているならば、心苦しいところではありますが、深く自省を促したく希望する旨も申しあげさせていただく所存であります。 ・・というということで、しゃっふる。さん記述の弁を下記に引用します。

>くれぐれも熱くなりすぎず、「よい百科事典を作る」ことだけを目標に粛々と進めていきましょう。(しゃっふる。さん記述)


親愛なるみなさまに、重ね重ねで恐縮ですが、まとめの最中の「核心部分」をお待ちくださるようにお願いいたします。 --Yuichiokubo2007年4月19日 (木) 22:50 (UTC)[返信]

私は#宗教別有名人一覧は必要か?の冒頭から削除賛成と言っていますので今さら失言も何もないです。議論のまとめは本議論を最初に提起されたThats-youさんからの依頼を受けて行っています。--Cave cattum 2007年4月24日 (火) 16:45 (UTC)[返信]

そろそろまとめ

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さて、そろそろまとめを行いたいと思います。まずは、「削除寄り」「存続寄り」双方の意見を引用します。番号は便宜上のものです。投稿者の敬称は省略させていただきました。また、下記には必要に応じて追加していただいて結構です。--Cave cattum 2007年5月4日 (金) 01:41 (UTC)[返信]

  • 「削除」寄り、または「不要」寄り
  1. これを機に、他の宗教の有名人一覧も増えていくかもしれない事を考えていくと、有名人の今後の活動やプライバシー、他の人(特に別の宗教の人や宗教を嫌いな人/芸能人だったら、芸能界での交流もそうですが一般視聴者やファンも対象となるかと思います)との交流などに何か問題がありそうな気がする Thats-youさん 2007年4月4日 (水) 21:03 (UTC)[返信]
  2. 「クリスチャン有名人一覧」がOKならば、「××学会信者一覧」「××の科学信者一覧」といった一覧記事も認めなければならない。この種の情報は個人の内面にかかわる情報であり、プライバシー等の問題がある。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  3. 宗教の指導者であるならば、百科事典に掲載すべき業績であると言えるので、「××教指導者の一覧」といった一覧記事を作成することは差し支えない。しかし、宗教の信者であるというだけならば、誰でもなれるのであるから百科事典に掲載すべき業績とは言えない。「阪神ファン一覧」「自民党支持者一覧」なども同様である。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  4. 思想や信教は個人の内面の問題であるから客観的な検証が不可能である。また思想や信教はしばしば変わる。Cave cattumさん 2007年4月6日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  5. 存命中の人物に適用しようとした場合は、カテゴリの場合もそうですが、聖職者等に限定されるべきだと思います。親など家族がある宗教だった場合にあたかも本人が積極的な活動をしていなくても無理やり記載しようとする人がいて多くの記事が保護されることを考えると安易にこうした記事一覧が作られることには反対です。本人が公表している例なので問題ないのではと私が判断したCategory:イスラム教徒のバスケットボール選手では、Wikipedia:削除依頼/Category:イスラム教徒のバスケットボール選手で削除となっています。--Tiyoringoさん 2007年4月7日 (土) 23:02 (UTC)[返信]
  6. 人物を理解するためにその人物がクリスチャンであるというキーワードが必要な場面がある、という部分には同意できます。がしかし、だからといってそれはクリスチャンのリストを作るということを正当化することにはならないと思います。人物を理解するために彼(彼女)がクリスチャンであるということが必要不可欠な場合、人物の記事中に彼(彼女)がクリスチャンである旨を書き、解説するのは理解できます。しかし、クリスチャンのリストを作ることに意義があるとすれば、そのリストを見ることによって、クリスチャンとは大雑把にいってどのような人たちなのか、キリスト教とは大雑把に言ってどのような宗教なのか、ということを理解するのに役立つ場合に限ると思われます。少なくとも、キリスト教に詳しくない私は、あのリストを見て、キリスト教とはどのような宗教なのかを理解することはできませんでした。--しゃっふる。 2007年4月8日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
  7. 「この有名人も、あの有名人も、み~んなキリスト教徒なんだよ~ん。スゴイでしょ」という自派宣伝にしか見えないのです。「他宗教・宗派もこれをやりはじめたら大変だ」と皆様が思うのも無理はありません。リストを作るのなら信者以外の方でも検証可能な基準を設けるべきです。--おーた 2007年4月13日 (金) 03:43 (UTC)[返信]
  8. 有名人の方で何かの拍子にキリスト教徒であることが知られていても、それをこうした場で書かれるのは、すごく嫌だと感じる方はいらっしゃるでしょうね。それは、十分に考慮すべき事柄だと考えます。--おーた 2007年4月13日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
  9. 英語版がどういう基準で一覧化しているかは知りませんが、そこそこの有名人なら、キリスト教テレビ番組に出演したり、教会で講演を開いたりがあって、これらは一定範囲で「クリスチャンとしての公的な活動歴」とみなせそうです。日本語版ではどのような基準を用いるべきでしょうか。--bcjp 2007年4月13日 (金) 20:19 (UTC)[返信]
  10. 現在我々が議論している「日本のクリスチャン有名人一覧」は、「宗教家以外のキリスト教徒(クリスチャン)の人物の一覧」と定義されていますね。これに相当する英語版の記事はen:List of Christians in entertainment and media(クリスチャンの芸能人・有名人一覧)でしょう。英語版のこの記事にはいろいろとルールが設定されていまして、「信者であることを自ら進んで公表した人物が含まれる」「ノートで出典を明示しない限り加えたり除去したりしないこと」などと明記されています。信者であれば誰もかれも掲載されているわけではありません。そして、この記事に掲載されている人物はわずか214人に過ぎません。--Cave cattum 2007年4月23日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
  • 「存続」寄り、または「必要」寄り
  1. 作家、音楽家、ミュージシャン、俳優、歌手・・などに多いことでは、その人の作品や活動自体がキリスト教信仰を抜きにしてはほとんど語れないという場合が多いです。こういう人をキリスト教信仰の説明抜きで語るのは「中核部分丸抜け」で無責任です。
    多くのクリスチャン首相や大臣なども同様で「画龍点睛を欠く」か「中核部分丸抜け」の無責任な説明になります。なぜその人が「ある決断」をしたのか、なぜその人は信念を貫いたのか・・・など信仰の解説が無いと無意味のものが多いです。
    記入する候補の人物はいまのところ表示の軽く10倍以上おりますが、吟味(目利き)しつつ挙げております。明らかに表示を望まない人、キリスト教徒だが載せる意味が見出しづらい人などは避けています。これは私自身がキリスト教徒ですので自分なりの「目利き」ができますがそうでない人には少々難しい作業かもしれません。Yuichiokuboさん 2007年4月7日 (土) 22:04 (UTC)[返信]
  2. 英語版にはen:List of Christiansがあり、宗派ごとに、笑えるくらい細分化されてます。他の宗教の一覧記事が出来るかもしれないから削除というのは全くのナンセンスだと思います。--Blueroses5327 2007年4月13日 (金) 19:36 (UTC)[返信]
  3. そうです「Wikipediaの理念(基本精神)」に真っ向から反しているおかしさなのです。 ここで、再度の掲載をします。「つねに前向きの姿勢を忘れずに知の可能性を追求していこう」 「ネット百科事典ならではのダイナミズムを積極活用して発達しよう」 「リスクを取ることを恐れずに内容の充実に向けて絶え間なく前進しよう」 それで、当該記事の削除依頼云々・・という話は。Blueroses5327 さんもご指摘のように「完全にナンセンス」なのです。--Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 21:41 (UTC)[返信]

さて、「日本のクリスチャン有名人一覧」を存続すべきか削除すべきか、存続するとして誰をリストに掲載すべきかの判断基準として、これまでの議論において以下の考え方が示されたものと思われます。私の方で便宜的に名前をつけて整理してみました。これらの基準は相互に排他的なものではなく、2つ以上の基準を併用して採用することもありえます。

  • 1. 執筆者基準は、Yuichiokuboさんが「私自身がキリスト教徒ですので自分なりの「目利き」ができます」とおっしゃっているように、執筆者が「この人物はリストに掲載すべきだ」と判断すれば、掲載してよいという考え方です。
  • 2. 検証可能性基準は、検証可能な出典が示されれば、人物をリストに掲載してよいという考え方です。Wikipedia:検証可能性の「信頼できる情報源から公表されている事実だけを収録してください」というルールに対応します。
  • 3. プライバシー基準は、キリスト教徒であることを本人が積極的に公表しているのであれば、その人物をリストに掲載してよいという考え方です。Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してにおいて、著名人本人が積極的に公開していない個人的情報が削除対象となっていることに対応します。この基準に従えば、週刊誌が信者であることを暴露したといった場合は掲載不可となります。
  • 4. notable基準は、リストに掲載する価値のある人物であればリストに掲載されるべきだという考え方です。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの「ウィキペディアの伝記は大きな業績を残した人物についてのみ取り上げられるべきです」というルールに対応します。この基準はさらに細かく段階に分かれます。
    • 4-1. 弱いnotable基準は、「著名人がキリスト教徒であるならそのこと自体がnotableであるから、ウィキペディアに掲載されるレベルの著名人であり、かつキリスト教徒であるなら、リストに掲載してよい」とする考え方です。この基準に従えば「芸能人の××は実はキリスト教徒だった」といった場合でも、本人が特に隠していないなら掲載可能となります。
    • 4-2. 中程度のnotable基準は、「キリスト教徒には誰でもなれるのだから、そのこと自体はnotableではない。キリスト教徒としてnotableといえる業績を残しているならリストに掲載してよい」とする考え方です。この基準に従えば、芸能人が宗教の集会で表に出たりした実績があるなら掲載可能となります。また、この基準を採用するならば、「日本のクリスチャン有名人一覧」という記事名は適切ではなく、「日本のキリスト教運動家一覧」といった記事名の方が適切であるといえるでしょう。
    • 4-3. 強いnotable基準は、「キリスト教徒であることを主な理由としてウィキペディアに掲載されている人物のみを一覧にも掲載すべきだ」とする考え方です。この基準に従えば、聖職者などの人物のみがリストに掲載されることになります。また、記事名は「日本のキリスト教指導者一覧」の方が適切であるといえるでしょう。

英語版でどのような判断基準がとられているかというと、en:List of Christiansには「キリスト教徒であることを公表したか、影響を与えたことによってnotableである人物のリストである」と定義されています。列挙されている人物を見ても、上記の「プライバシー基準」と「中程度のnotable基準」を併用した基準を採用しているように見えます。

日本のクリスチャン有名人一覧」の扱いですが、「検証可能性基準」の観点からは、列挙されている人物それぞれについて出典の明示が必要となりますが、記事の削除までは必要ないという判断になります。「プライバシー基準」の観点からは、人物を列挙したことがプライバシー侵害にあたるのでれば削除が必要となります。「中程度のnotable基準」および「強いnotable基準」の観点からは、記事の改名を検討したほうが良いという判断になるでしょう。--Cave cattum 2007年5月4日 (金) 01:41 (UTC)[返信]


ノートの末尾のあたりばかりを注視しておりましたので、ここに新しい節がつくられたことに今まで気が付きませんでした。Cave cattumさん、上記のマトメ的記述ありがとうございます。後ほど(今晩あたり)目を通させていただきます。--Yuichiokubo2007年5月17日 (木) 07:32 (UTC)[返信]

話し合いを無駄に終わらせないため一度、削除依頼に出します。主筆者だったYuichiokuboさんに代わってページが作られてますが、議論はあちらのほうでお願いします。--Mmm25967 2007年5月23日 (水) 10:43 (UTC)[返信]

「日本のキリスト教運動家一覧」への改名あたりで合意できるのではないかと考えていたのですが、そのへんも含めて削除依頼で検討しますか。--Cave cattum 2007年5月23日 (水) 12:26 (UTC)[返信]

Yuichiokubo氏の執筆態度の件

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今まで上の議論の内容を見守ってまいりましたが、Yuichiokubo氏の態度には大いに疑問を感じざるを得ません。コメント依頼を提出いたしましたのでお知らせいたします。
Yuichiokuboさんの執筆態度に関して、またそのことに対しYuichiokuboさん自身が弁明をされる場合は、コメント依頼の場でご発言願います。--Kk8998982 2007年4月22日 (日) 01:40 (UTC)[返信]


このノートから見える「Wikipedia日本版」の課題について

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上記は意識して「Wikipedia日本語版」ではなく「Wikipedia日本版」としました。 そのようにするべき明確な理由が「Wikipediaの全体像」を読み込んで(読む時間をありがとうございます)明確に見えてきたからです。

私は意見の中核部分をまとめるために一生懸命に、読んで、読んで、読んで・・・そして下書きを 書き始めて、書いて、書いて・・今、そのまとめの最終段階です。

結論はだいたい「A4版3枚以内ぐらい」になりそうです(現在書いてある下書きをコンパクトにまとめたとして)。

理由は上記のとおり当該記事の存在云々ということを論じるだけでは全く意味が無さそうだからです。

文章のメリハリと読みやすさには最大限の配慮をしてまとている最中です。その旨あらかじめご了承くださるように切にお願い申し上げます。 --Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 07:15 (UTC)[返信]

(誘導)本ノートでは、「日本のクリスチャン有名人一覧」という記事の是非について検討しております。ウィキペディア日本語版全体に関してのご見解を開陳されたいのであればWikipedia:井戸端が適当ではないかと思われます。--Cave cattum 2007年4月22日 (日) 07:30 (UTC)[返信]


Cave cattumさん、「誘導」の記述ありがとうございました。 日本のクリスチャン有名人一覧」という記事の是非についての結論を述べるうえで「このノートから見える「Wikipedia日本版」の課題について」が不可欠であるわけです。

Wikipedia:井戸端の方で書くべきだと考えるモノは、いづれかの日に、そちらに書くことにします。 --Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 18:11 (UTC)[返信]



たいへんお待たせしました「中核部分」をここから記述します。


A4で3枚以内にマトメようと懸命に目指したのですが、無理なようですので、総論を先に書いてみなさまがコメントできるようにします(待たせることに息が詰まっておりました)。コメントしやすいように適当な長さで区切っておきますね。総論で網羅できない情報などの部分は各論として後から補足していくことにいたします。


総論の主張は「日本の常識、世界の非常識」とは言えど「日本のWikipediaの常識、世界のWikipediaの非常識」を認めるべきではない・・・です。

「当該記事の件」へのメインメッセージは・・「当該記事の削除依頼云々という話は・・完全にナンセンス・・です」・・というコトです。「ナンセンス」と同時に「Wikipediaの理念(基本精神)」を踏みにじることになっているとも明白に思われます。


Wikipediaには「Wikipediaの理念(基本精神)」など無いよ・・・と現時点で思う人がいらしたら、性急なる発言の前に熟考をお願いいたします(MBAホルダーの人などは即座にご理解なさると思いますが・・)。


そうだろうとの予想はしておりましたが、Blueroses5327さんがあっさりと見てこられて(私は留学経験もありませんし、ビジネス英語程度の語学力です)、「ああ、やっぱりそうかぁ」「まあ、そうだよなぁ」という感じであります。

>参考程度にまで。英語版にはen:List of Christiansがあり、宗派ごとに、笑えるくらい細分化されてます。他の宗教の一覧記事が出来るかもしれないから削除というのは全くのナンセンスだと思います。(Blueroses5327さん記述)


それで「Wikipediaの理念(基本精神)」をコンパクトに要約すると下記の3行あたりになるだろうと私は特定しました(ほぼ同じ意味でもっときれいな言葉にマトメられる人もいると思います)。


「つねに前向きの姿勢を忘れずに知の可能性を追求していこう」

「ネット百科事典ならではのダイナミズムを積極活用して発達しよう」

「リスクを取ることを恐れずに内容の充実に向けて絶え間なく前進しよう」


なぜ理念・・「Wikipediaの理念(基本精神)」・・が重要なのかと申しますと「Wikipedia:基本方針とガイドライン」以下に連なる項目や文言の解釈は全て理念・・「Wikipediaの理念(基本精神)」・・に従って行われるべきなのです。


この読み取りには「ビジネス・スクール(経営大学院)」の教育で使用する「ケース・スタディ」から問題の本質を導き出す手法(そのメカニズムは後ほど別に書きます)などを援用しました。

問題の本質を導き出すには字面表面的に語られていること目の前の人間関係・・など・・に煩わされずに、その奥を洞察的に読まなければ解りません。表面的に語られていることに答えはほとんど存在しないのです。 --Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 21:24 (UTC)[返信]



それで「Wikipediaの思想」の全体像を把握するための読み込みに時間をいただくことになりました。

ここで、重要なのは暗記的に読んでは駄目なのです。根底に流れる思想と文面の整合性を意識しつつ読まなければ読んだことにはなりません。くりかえし基本精神を読み取るための集中をすれば上記の3行が浮かんできます。

そうすれば中立性の概念・・その他・・などの解釈に迷いがない状態で読めるようになります。


>宗教絡みになると「これは宣伝である or 貢献度によりカテゴライズしなきゃ」という発想になるのがいまいち理解できません。(Blueroses5327 さん記述)

上記のBlueroses5327さんによる記述の中にあり私も全く同様に感じた「そこはかとなく感じる発想のおかしさ」も明確になってきました。

そうです「Wikipediaの理念(基本精神)」に真っ向から反しているおかしさなのです。

ここで、再度の掲載をします。


「つねに前向きの姿勢を忘れずに知の可能性を追求していこう」

「ネット百科事典ならではのダイナミズムを積極活用して発達しよう」

「リスクを取ることを恐れずに内容の充実に向けて絶え間なく前進しよう」


それで、当該記事の削除依頼云々・・という話は。Blueroses5327 さんもご指摘のように「完全にナンセンス」なのです。

「ナンセンス」であるだけでなく、明文規定の・・「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」・・などなどにも抵触します。

・ 意味のある記述を削除してしまうこと

ある記述が偏っているとか、あまり校閲されていないなどという理由で記述をまるごと削除してしまうのは、あまり勧められない行為です。偏っているなら偏りを取り除けばいいし・・・・・

・・とありまして、削除は「最後の最後に考えればよい」ことなのだ、と諭しています。

「すでに存在しているならば加筆などで良いものに発展させていけばよい。前向きに考えろ。」という主旨です。何が大切なのかを忘れて官僚的になることは厳に慎みなさい・・という主旨でありましょう。


上記の明文規定特定作業で割り出した上記の「Wikipediaの理念(基本精神)」に完全に沿っていると考えられます。 --Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 21:41 (UTC)[返信]



さらに、当該記事を削除依頼に出すどころか、削除依頼すべきという「意見が出てくる土壌自体」「深刻な病理」が進行しつつあり、このままでは「不治の病」に進行しかねない状況である、ということを親愛なるみなさまとお互いに考察していきたく存するところであります。


「不治の病」とは・・「いかがなものか症候群」「自粛のための自粛症候群」「前例はありますか症候群」・・などなど・・などなど・・などなど・・「悪しき日本風」の要素を基本(根本)的に大切な「Wikipediaの理念(基本精神)」をすっかり忘れて優先するようになり、枝葉末節にこだわって本末転倒な判断に終始して、それが当たり前になり、おかしいなぁ・・と思う人はいるけれど元に戻れず・・・・・という「日本社会の典型図」みたいな状況のことなのですよ。

このことを「当該記事の件」でこのノートに呼び出されたと同時に直観(直感ではありません)として状況把握した次第であります。それを適切なに言葉にするための作業がたいへんでした。


しかし、誤解してほしくないことは私はこのことを高みから言うつもりはありません。私もそのような悪癖を持つ日本社会の構成員であるからです。私も「~症候群」の一翼を担っているかも知れません。

したがって・・・・・これらを「再認識してリフレッシュしつつ」の前提で・・・

>くれぐれも熱くなりすぎず、「よい百科事典を作る」ことだけを目標に粛々と進めていきましょう。(しゃっふる。さん記述)

・・・という上記記述と同様のことを申し上げたいのです。


ここで・・「優秀な管理者さんたちがいるのだから「Wikipediaの理念(基本精神)」のキープは任せておけばいいんじゃないの」とか「私たちにとって意識するほど大切なモノではないんじゃないの」・・などの「他人まかせ感」が存在するとすればそれは「ありがちな大間違い」であると考える次第です。


そしてこういう件については「他人まかせ感」が至る所に充満しているのが、はっきり申し上げるところの「日本社会の実情」であると深く思うところです。


「Wikipediaの理念(基本精神)」を守り、常に意識していることは私たち一人一人に課せられた使命なのであります。そうでなければ管理者さんたちがいかに優秀であろうとも「おかしな方向」つまり「Wikipedia日本版」に向かってズレていくと考えられます。 しかし、私たちの日本社会は残念ながらそのあたりに「あまりにも鈍感」であるという特徴を持っているようです。(各論でその例示などをします)

で、「日本の常識、世界の非常識」ならぬ「日本のWikipediaの常識、世界のWikipediaの非常識」というような状況がそこここに野放し状態なのでしょうねぇ。


だからといって、そのことを・・あきらめたり無視したり開き直ったり場当たりな手当てをしたり・・ではいけないと思うのです。

私は自らが属する社会の「これらの特徴」を克服するために、自らが何らかの参加をする良い機会ではないかなぁと「当該記事の件」をきっかけに思う次第であるところです。 --Yuichiokubo2007年4月22日 (日) 22:14 (UTC)[返信]

Yuichiokuboさん、おっしゃっりたいことは、WIKIPEDIAに削除主義を適用する事への懸念、つまり、『記事を削除するのではなく、加筆することで対応するのがwikipediaの基本理念である。様々な問題を抱えたwikipediaに対して、「日本のクリスチャン一覧」が百科事典として必要かどうかはともかく、この記事が良いきっかけを与えていくだろう』ということでよろしいでしょうか?
本文中への反論ですが、「最後に考えればいいこと」は思いっきり「他人任せ」ですよね?それは矛盾してはいませんか?Wikipediaは100年プロジェクトである以上、我々が生きている間は決して完成しない百科事典です。記事を作っていく上で、「最後に行き着く先」を見越していくことも「責任」なのではないでしょうか?
私が該当記事から感じるのは、このカテゴリ分けの行き着く先は、膨大な人数の日本のクリスチャンを一覧としたもので、何かが明らかになる訳ではないものではないか?という懸念です。カテゴリー分けをする以上は、何かがはっきりと区別できなくてはなりません。たとえば、宗教を人間のOSであるとするなら、OSそのものや、派生のものについて記述する意味はあるでしょうが、個別の筐体について一覧として記述する意味はあるのでしょうか?また、千差万別である個体について一覧化することで何がわかるのでしょうか?つまり今回、『この記事は「百科事典」として必要であるか?』ということを問題にしているのです。カテゴリ分けをせずに、個別の記事にクリスチャンである事を記述する以上に、このカテゴリを作らねばならない意味をどうかお考え下さい。
最後に、私が伺いたかったことは、この「日本のクリスチャン一覧」の「最後に行き着く先」がWikipediaに何故必要なのか?であり、Wikipediaの病理であるとか、精神ではないということを表明しておきます。--218.251.125.114 2007年4月23日 (月) 02:00 (UTC)[返信]
ここで「Wikipedia日本語版の課題」を議論することについて、どうなのかなあと。218.251.125.114さんが仰るように、「日本のクリスチャン一覧の百科事典としての必要性」を示していただきたいです。簡潔に。Yuichiokuboさんの文章は些か冗長で、字面を追うだけで疲れてしまいます。Yuichiokuboさんが幾ら理屈で正しいことを仰っていても、文体の所為で読む側の心証が悪くなってしまうような気がしましたので、横からですが発言させていただきました。--ましたん 2007年4月23日 (月) 09:40 (UTC)[返信]
内容の充実に向けて絶え間なく前進するのは結構なことなのですが、プライバシー侵害のリスクは恐れたほうが良いと思います。--Cave cattum 2007年4月23日 (月) 10:15 (UTC)[返信]
病理や精神に話しが行ってもその場の雰囲気でしょうから私は構いません。一覧の必要性を私は感じさせて頂きました。ただ何方かが削除依頼を出したようです。間違いでしたらすみません。--Mmm25967 2007年4月24日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

何故か僕の書き込みの一部が引用されたのでざっと見て、再び書き込み。

「一覧からキリスト教の全容が見えてこない」って、何か勘違いしているのでは。一覧は所詮一覧にすぎないし、そこから意味を取り出そうとするのはナンセンスだと思うんですが。この記事の場合は親記事としてキリスト教徒があって、そこからから派生してるのだから、キリスト教を知りたいなら、そっちを見ればいいだけです。アニメや漫画関係の○○一覧記事だってそうでしょう。

かつてキリスト教徒というカテゴリが消されましたが(Wikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒)、今現在ここで言われてるのと同じような理由で削除なんですよね。なんとなくそういう方向で議論が収縮して行きそうな気は大いにしますが(笑)改めて反対票を投じておきます。(個人的信条で削除依頼出されたとしても、そこで反対票を出すことはありませんが)

「百科事典的でない」っていう突っ込みに関しては、それを言い出したら全ての一覧記事が百科事典的じゃないし、「他の宗教が~」っていう突っ込みに関しても、出来てもいない項目のために何故削除? それなら既に乱立してるアニメや漫画の一覧記事の存在はどうなるのかなぁ、と、素朴な疑問が出て来るわけです。それとこれとは話が別っていう人が多いですが・・・。

Yuichiokuboさんの書き込みが冗長でコミュニティを疲弊させるってのは、まぁ、正直同意だけど、「議論を見守ってましたが埒があかないのでコメント依頼を出す」ってのは正直どうなんでしょーか?コメント依頼の本質から大きく逸脱してるような気がするんですが。--Blueroses5327 2007年4月24日 (火) 11:40 (UTC)[返信]


こんばんわYuichiokubo(冗長人)です。


えっっ!、ん、ん、ん・・!?・・ん・・!?!?!?・・・・・・・。

たった今、気がついたのですが、Blueroses5327さんの上記記述中のリンク(Wikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒)をちょっと見に行ったら・・・・・

> 繰り返しますが、「キリスト教の人物」といったカテゴリを作ることには反対しません。本カテゴリは明らかな名称不適切。--猪山人 2006年10月13日 (金) 15:29 (UTC)

・・・・・とありましたけど、これはいったいどういうことでしょうか!?!?!?!?!?。

たしか・・・猪山人=Cave cattum さん・・・ですよねぇ???。

--Yuichiokubo2007年4月24日 (火) 17:21 (UTC)[返信]


それで・・、私(冗長人)の記述へのご意見ご質問ありがとうございます。

それらについては、まだ書いていない「各論」など・・と合わせてお答えしたりいたします。

「つねに前向きの姿勢を忘れずに知の可能性を追求していこう」

「ネット百科事典ならではのダイナミズムを積極活用して発達しよう」

「リスクを取ることを恐れずに内容の充実に向けて絶え間なく前進しよう」

--Yuichiokubo2007年4月24日 (火) 18:01 (UTC)[返信]

聖職者や神学者などキリスト教において指導的立場を務めた人物を含むカテゴリは必要であり、キリスト教徒全部を含むカテゴリは不適切と考えています。--Cave cattum 2007年4月25日 (水) 12:58 (UTC)[返信]


上記のようなことはリンク先では一切書かれておられませんよね。こちらのページで、しかも「改名」なさってから初めて書かれておられるようにしか見えません。このような言動は「Wikipedia」よりも、むしろ「2ちゃんねる」とかにふさわしいのでは・・と思います。 --Yuichiokubo2007年4月25日 (水) 18:04 (UTC)[返信]


この節全体が、このウィキプロジェクトで扱う内容ではないと思惟します。予めにそのことは、Cave cattum 氏も指摘し警告してもいたことだと理解しています。まず、この節全体をサブページを造るか、またはどこか別の適切な場所に移動するのが望ましく思います。

もう一つ、「長い文章」「冗長な文章」は、主張したい内容上どうしても長くなる場合や、文章を書き慣れていない人の場合、冗長となるということはあります。しかし、User:Yuichiokubo 氏に関しては、議論の進行が分かるように、インデントを付けるとか、空行を使わないようにするとか、主張内容のまとまりに応じて、番号を振るとか、他の人が読みやすくなるようにする努力がまったく窺えません。ウィキペディアは共同作業であり、それに向かない人もいますが、参加する限りは、できるだけ共同作業ということをよくよく考慮する必要があります。また「ウィキペディアの原則」等は、公式の文章として既に存在しており、自分の意見を述べるも悪いことではありませんが、自分の利用者ページにサブページを造って、そこに書いてリンクで「このような意見を記しました」と誘導するとか、こういう方法を取るべきものです。更に、「中核部分」を書いたと述べて、今度は「各論」を記すと予告したり、当人に悪意がないとは思いますが、あるいは狡猾な荒らしの可能性も疑われます。

こういう「疑い」も出てくるということを考えて、よく反省し考慮して戴きたく思います。コメント依頼においても、わたしの行った移動操作を元に戻し、何故移動したのか理解されているのですか、という趣旨の質問もしましたが無視されています。また、移動操作において「ケアレスミス」を犯したなど、出鱈目というか、思慮の欠如の故の誤解(あるいは、状況から云うと、個人攻撃にも見える)を断言してはばからないなど、問題が多すぎます。User:Yuichiokubo 氏は、本当に、他の人がどういう風に議論しているか、どういうことを述べているか、よく読まれ学ばれ、せめて、インデントを入れ、記述にメリハリを造るなど努力してください。でないと、「コミュニティを疲弊させるユーザー」ということになります。これはアドヴァイスであると共に警告です。--Maris stella 2007年4月25日 (水) 14:21 (UTC)[返信]


表紙と中身、看板のノリと店内のノリ、ブランドの意味するものと実際の商品(サービス)・・は一致していなければなりません。

下記は「Wikipedia:ガイドブック」の冒頭部分の抜粋です。 これ(下記の雰囲気)って [ Let's enjoy Wikipedia !! ] ということですよねぇ・・。 それで「下記の雰囲気」「現場の雰囲気」は一致していなければなりません。(英語が間違っていたらすみません)

>このガイドブックではウィキペディアの全般的な案内をしてゆきます。個々の詳細はそれぞれの関連文書を御覧下さい。 あなたも興味を持ったら、是非参加してみてください。あまりの楽しさにはまりこみ、ウィキペディア中毒になる人が続出中です。 人によっては勉強や仕事が手につかなくなることもありますので、ご了承の上、御利用下さい。

この「冒頭の雰囲気」「現場のノリ」にギャップを感じる人があれば・・たとえば「帰国子女が数日で登校できなくなるような学校の雰囲気」・・みたいなモノが感じられれば、もう駄目(官僚的硬直化や崩壊しかかっている・・ということ)なのですよ。それで、私は「登校できなくなる雰囲気」を十分に感じます

管理者さんの何人かの自己紹介でのポリシー、さらに・・Blueroses5327さんの自己紹介、そして、見えざる多くの方々(おそらく)もポリシーとして抱いておられる・・「Wikipedia日本語版」が「Wikipedia日本版」状態になることがあってはいけない・・ということは上記のギャップ(ブランドとしての崩壊)を防止したいということことだと容易に考えられます。ブランドの重要性は営利企業だけのモノではありません。そして、ブランドは理念(基本精神)に沿った活動で形成されます。


「つねに前向きの姿勢を忘れずに知の可能性を追求していこう」

「ネット百科事典ならではのダイナミズムを積極活用して発達しよう」

「リスクを取ることを恐れずに内容の充実に向けて絶え間なく前進しよう」


「Wikipediaの理念(基本精神)」は常に全ての場の根底に流れていなければ脱線状態ということなのですよ。「ナンセンス」が優先される場は決してあってはいけないのです。にもかかわらず、重箱の隅を突付くような「ナンセンス」で迷惑な言動が野放しであるのは多くの健全な参加者にとって極めて不幸であると思います。

[ Let's enjoy Wikipedia !! ] で始まっている以上は最後まで[ Let's enjoy Wikipedia !! ]ということで終始一貫なのですよ。しかし、それが崩されている。

蛇足ですが、この憂うべき状況に深い懸念を抱き、全体像の読み込みの途中にて、私は Wikimedia Japan の法人化のための「発起人および運営協力者」として志願してまいりました。 --Yuichiokubo2007年4月25日 (水) 18:53 (UTC)[返信]

コミュニティで作業をする以上、誰か一人が「enjoy」することがコミュニティの「enjoy」を妨げるのならば、その一人の「enjoy」が抑圧されることも時と場合によってはあるでしょう。今まさにあなたの「enjoy」がコミュニティの「enjoy」を妨げているのは理解していますか?
あと、その3つの精神とやらを挙げていらっしゃいますが、あなたの勝手な解釈ですよね?あなたの勝手な解釈である以上、あなたの主張の補強には何の役にも立っていませんよ。特に、方針文書をよく読めばわかりますが、Wikipediaはかなり「リスクを取ることを恐れ」る方向で動いています。--しゃっふる。 2007年4月26日 (木) 03:46 (UTC)[返信]


上記のしゃっふる。さん文中「enjoy」はニュアンスの解釈などがかなり日本的になっておられるのでは・・と思います。

「Wikipediaの理念(基本精神)」を3行でまとめたことについては「同じような意味でもっとうまくマトメられる人もいると思う」と書いて、その理由や意義も述べており、全く「勝手な解釈」ではないのですが・・。MBA(ビジネススクール・経営大学院)の人などは即座に理解できるはず・・とも説明しました。

さらに申し添えますと、創始者でプロジェクトリーダーのジミー・ウェールズ氏は「記事を書いている人々が社会全体の典型的な人ではなく、何らかの偏りがある」「典型的な人ではない」などとの指摘をしております。(私も書いている以上は「自分は含まれない」とは申しませんが・・笑)

それで、最近、彼は「方針転換」を発表したようですね。 --Yuichiokubo2007年4月26日 (木) 05:29 (UTC)[返信]

学位の取扱について

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人物の項目における学位の取り扱いの問題について。日本では学士の学位が一般的過ぎて明記する習慣がありませんが、私はWIkipeidaの日本語版であり、国際的な百科事典であることを考慮し、また、保有称号があれば明記すると案内しているスタイルマニュアルの趣旨に基づき、学士の学位を含めたプロフィールの記述をしています。 そこでよく問題になるのですが、1991年の学校教育法及び学位規則改正により旧制の学士号は称号であり、改正後の学士の学位と区別する観点から、従前の学士号は学位でないとの理由を以って記述を改めたり削除する動きがまま見られます。

例えば、学位は経済学士(東京大学)とあるところ、記述をすべて消すか、或いは学士とのみ明記することがよくあります。 しかし、学校教育法の一部を改正する法律(平成3年法律第23号)附則第4項では従前の学士号は学位と看做す旨、明記されており、旧制の学士号も含めて学位として取り扱われるべきだと思います。 特に学位を学士とのみ表記することについて。確かに法律上、学士号は学士が正式ですが、学位規則上は専門分野を括弧付きで併記することが可能とされており、卒業証書・学位記では括弧付きとし、ディプロマミルとの区別のため、授与機関(大学等)を併記することが一般的であると思います。そのため、学士号は旧制の場合、●●学士(授与機関名)とし新制の場合学士(専門領域)(授与機関名)と表記すべきだと考えますが皆様のご見解は如何でしょうか。--海衛士 2007年5月9日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

その人物についての「紹介記述の流れに沿って自然でかつ前向きな説明」になるのがよいのではないでしょうか。その人物が「経済学を修めた」ということが「その人物についての積極的で判りやすい紹介記述」をする上で重要であると考えられるならば「博士」や「修士」でなくとも「何を専攻したか(旧制、新制にかかわらず)」を適切な記述で表記するのが自然だと思います。「授与機関名」の併記は必要でしょうねぇ(おそらく無いと不自然でしょうから)。--Yuichiokubo2007年5月11日 (金) 17:29 (UTC)[返信]

質問:享年の扱いについて

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はじめまして。ミュージシャンの項目をあれこれ見ていたのですが、享年XX歳という表記を見ました。享年というのは、年齢ではなく、天から賜わった年数といった意味で、享年XX と表記するのが正しいと教わった記憶があります。一般の出版物でも表記はまちまちですが、こちらではどのようにしているのでしょうか? 統一されているのでしょうか? 教えてください。 --88keys 2007年5月9日 (水) 16:32 (UTC)[返信]

享年の記事を読めば大体のことはつかめると思います。結論から言えば「つけてもつけなくてもかまわない」ということです。現在のところ、ウィキペディア日本語版では没年齢の記述について統一された方針はありません。--蒼い眼の女神の【春野秋葉】 2007年5月9日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
統一された方針はありませんが、享年という表現は極力使わないようにするのが良いと思います。享年という言葉は仏教用語であり仏教徒に用いるのは構わないのですが、他の宗教を信仰していた人に用いるのはうまくありません。特に必要がない限り宗教について触れる必要はないでしょう。してみれば、享年という表現を使わないでも死没時の年齢を表記することはできるのですから、避けるべきと考えます。もし使われるのであれば、本来は88keysさんの言われるように歳をつけないものですから、そのように対応するのが良いと思います。ただし、わざわざ歳を取るだけの編集をすることはすべきでありません。他の編集のついでに修正するに留めておいて構わないと思います。赤い飛行船 2007年5月10日 (木) 00:27 (UTC)[返信]

分野によりけりだと思います。歴史学分野とりわけ近代史でそのルールを適用されてはたまらないのです。ほぼすべて享年の概念を使う史料が多いのですから。ケースバイケースであるべき。--海衛士 2007年5月16日 (水) 01:37 (UTC)[返信]

海衛士さんが何を心配されているのかわかりません。「享年」という表現を絶対使うなと言っているわけでもないし、享年という言葉の意味合いを理解するなら、その使用は当然ケースバイケースになるでしょう。また新規に執筆される場合には「歳」をつけずにおけばいいのであって、既存の記事からわざわざ「歳」を取るだけの編集するをするような緊急性のあるものでもないと思います。ついでのときに本来の使い方である歳のない形にすればいいのですから。ところで、本来享年は数え年で用いるのですが、今は満年齢で使われることが一般化していますね。さてさてどうしたものか・・・。 赤い飛行船 2007年5月16日 (水) 12:52 (UTC)[返信]

ぞんざいな表現で失礼しました。特に大袈裟な心配はしていません。そのように仰せ下さるなら特に何もありません。ただ、懸案とされる享年の年齢についてですが、現代人は完全に満でいいと思います。余計な混乱がないので。幕末あたりの人物は太陽暦と太陰暦の暦を併用する機会もあり、年齢の数えも現代と違うので、満年齢と数え年を併記するのがいいと思います。--海衛士 2007年5月17日 (木) 01:42 (UTC)[返信]

どうみても仏教徒でない人の記事にまで「享年」としている無神経な記事が散見されますので「享年を避ける」としたのですが、私の意図よりも強い調子と受け止められたのかもしれませんね。配慮が足りませんでした。ごめんなさい。一言言わせていただいたわけは先述のとおりです。年齢の数え方は基本的に満年齢にしておきますかね。数え年の場合は断り書きを入れておくと。赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]


そういえば、人物関係の何かのテンプレートに生年月日と没年月日を両方入力すると、自動で(享年○○)と表示するものがあったはずです。存命の人物の記事に、荒らしが勝手にその日の日付を没年月日として入力していたので気がついたのですが。しかも数え年で計算していたので、完全に仏教を前提にしているとしか思えません。惜しむらくは、どの記事だったのかもどのテンプレートだったのかも忘れてしまったのでどれがそうだとはいえないことなのですが。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 10:14 (UTC)[返信]

うわっ、そんなテンプレートがあるんですか?特定されてから考えましょうか? 赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
Google検索でざっと見ただけでもTemplate:ActorActressTemplate:声優Template:女性モデルTemplate:AV女優の4つも見つかりました。わざわざ表示例で「100歳(享年101)」なんて出しています。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
それは「享年」のみ外してもらうしかないでしょう。ところでそのテンブレ作った人は享年とは数え年で勘定するものと捕らえているようですね。赤い飛行船 2007年5月20日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

Checkuserの提案

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おーたと申します。 以前、この「ノート:ウィキプロジェクト 人物伝」において 日本のクリスチャン有名人一覧についてコメントさせていただいたところ Yuichiokubo氏から猛烈な反発を食らってしまい、私にはそれ以上 建設的な議論が出来そうにもないと判断して、 その時点でいったん議論から退かせていただいています。

その後、事態はWikipedia:コメント依頼/Yuichiokuboへ進み、さらには Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧に進みました。 「削除依頼という事態になれば淡々と投票させてもらいます」と書いたことも あって、先刻、削除賛成票を投じたのですが「削除反対」票を投じている二つの アカウントが気になりました。

AINURさんと はるすみれさんなのですが、 投稿履歴を見たところ、その「削除反対」しか投稿歴がありませんでした。つまり、Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧で削除反対を行うために登録されたアカウントとしか思えないのです。投稿歴50回以下なので賛否のカウント対象にはなりませんから、どうということは無いのかもしれませんが、これは多重アカウントの不正使用に該当すると考えられます。

事を荒立てるべきかどうか、かなり迷って井戸端でも相談していましたが、AINURさんの振る舞いを見て、これはきちんと対応すべきフェーズに入っているのだろうと判断しました。以下の3つのアカウントに対してCHECKUSER申請を提案します。

私の思い過ごしであれば、Yuichiokuboさんには大変な失礼な提案ですが疑義が生じた以上、ご協力いただければと思います。多重アカウントが確認された場合の対処は

で良いかと思います おーた 2007年5月25日 (金) 14:46 (UTC)[返信]

Yuichiokuboさんは、ご本人には失礼ではありますが、そこまで手の込んだことのできる方ではないという印象があります。一方でAINURさんの「wikipedia財団」という言葉遣いがこの編集に一致していることも気にかかります。規定上では、CU依頼は削除依頼の有権者3名の賛同があれば提出可能であり、さらに本ノートなどの議論ページで合意が形成されていることを示せばCU係殿は依頼に応じてくれるとのことです。私はCUに賛成しますので1票分としてカウントしてください。ただ現在CU係はいろいろあって人手不足らしく、依頼に応じてくれるかは不透明です。--Cave cattum 2007年5月25日 (金) 15:20 (UTC)[返信]
Yuichiokuboさんには、単純な書き換え荒らしのような粗暴さはないものだと考えておりました。提示された編集はその意味で善意の編集と考えるべきだと思います。それほど一般的な間違いであるかというとやや疑問ですので、調査する価値はあるように思います。--Aphaia 2007年5月25日 (金) 17:07 (UTC)[返信]
おーたさんのお誘いを受け久しぶりにこのページにやって来ました。私にはソックパペットかどうかは判断致しかねますが、削除依頼での発言が無効となったのであれば粛々と議論を進めたので良いように思います。--Kk8998982 2007年5月25日 (金) 21:26 (UTC)[返信]
Thats-youさんのお誘いを受けて参りました。確かに、私も人違いであれば失礼とは思いますが、コメントをさせて頂きます。確かに、「ウィキメディア財団」を「ウィキペディア財団」と勘違いするあたり、若干怪しいところがあると思います。いきなり削除討論に参加するというのもどこか怪しい点がありますね。方針を熟読されているIPユーザーの方が、たまたまアカウントを取得した、という事なのであれば、その方は自分の編集回数不足で討論できないことぐらい分かっているはずですが…。兎に角、調査する価値はあると思いますので、CUに賛成いたします。Cave cattumさんとApahiaさん、そして私の賛成3票が整いましたので、CUを依頼したいと思いますが、如何でしょうか。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年5月27日 (日) 12:25 (UTC)[返信]
おーたです。3票整い、反対意見もなく合意されたということなのでCU依頼してみます。皆様のご意見ありがとうございます。おーた 2007年5月28日 (月) 13:53 (UTC)[返信]

上記にある多重アカウント云々ということはどういうことでしょうか????? 私はアカウントを1つしか保持しておりませんよ(確実に)。 しかし、私は自宅に来た友人に自宅のPC上で日本のクリスチャン有名人一覧の存在を見せて知らせておりますよ。それで、「これ存在してもいいよねぇ~」という話はずっと以前からしていますよ。 もしかして、そういう行為(自分が記述したページや箇所を知人に知らせるなど)をも問題だと定義するつもりなのですか????? --Yuichiokubo2007年5月27日 (日) 21:04 (UTC)[返信]

我々は、誰も「日本のクリスチャン有名人一覧」の存在を友人に告知することを問題とは言っておりませんが、何かお取り違いをされているのではないでしょうか?--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年5月28日 (月) 09:25 (UTC)[返信]
>誰も「日本のクリスチャン有名人一覧」の存在を友人に告知することを問題とは言っておりません・・・
それならよいのですが、何かの因縁(言葉が悪くてスイマセン)をつけられるとすればいろいろ思い返してそれぐらいしか無いからそう書いたのです。このしばらくの間に記事の存在を知せた多くの友人の中に自分なりの意見表明をした人がもしもいたとしたら、それすらも「多重なんとか」と騒ぎ立てられてしまうのだろうか・・と思ったまでです。--Yuichiokubo2007年5月28日 (月) 10:06 (UTC)[返信]
おーたです。多重アカウントの件ですが、突如投票に参加したAINURさんとはるすみれの投稿履歴が不審を抱かせるに足りるものでした。投票権はありませんから実害はないのですが、なんらかの理由でそれまでの活動歴を隠して削除反対票を投じに来たように見えるのです。あまり愉快な事態ではありませんので、井戸端で相談しましたところ、CUして見てはどうかと薦められました。
そのとき、私はYuichiokuboさんの名前を出していないのですが、「AINURさんとはるすみれさんとYuichiokuboの3人をCUするべし」というお勧めが返ってきたことに留意ください。つまり、AINURさんとはるすみれさんとYuichiokuboさんに関連がある可能性を第3者が抱いてしまうということです。これはYuichiokuboさんにとっても愉快ではない事態だと思います。
もしCUでYuichiokuboさんと、無効票を投じられた方々が無関係であるということがはっきりすれば、そういった嫌疑はスッキリ晴れますし、削除依頼におけるYuichiokuboさんの削除反対票も生きます。そう考えて、CUの結果を見守っていただければと思います。おーた 2007年5月28日 (月) 13:53 (UTC)[返信]

ノートをみて思ったのですが「しかし、私は自宅に来た友人に自宅のPC上で日本のクリスチャン有名人一覧の存在を見せて知らせておりますよ。それで、「これ存在してもいいよねぇ~」という話はずっと以前からしていますよ。」が、投票依頼行為であったのだとすれば、これは大いに問題だと思います。cf w:WP:CANVASS。CUの結果、同一人物でないという結論が出た場合でも、投票行為のみのために作成されたアカウントであるということになれば、無期限ブロック相当であると考えます。--Aphaia 2007年5月28日 (月) 14:06 (UTC)[返信]


なるほど・・・どうにかして私が「1人で3人を装った」と疑いたい(決め付けたい?)のですねぇ。そんな器用なことはしてないので安心して傍観してますよ。--Yuichiokubo2007年5月28日 (月) 16:13 (UTC)[返信]

おーたです。不愉快でしょうけれど、そうお願いします。ただ、Aphaiaさんの指摘もありますのでAINURさんやはるすみれさんなどについてYuichiokuboさんに思い当たることがあるのであれば、ご説明頂ければと思います。もっとも、CUの結果が出る前に削除依頼の結論が出てしまうかもしれません。--おーた 2007年5月28日 (月) 22:04 (UTC)[返信]
おーたさん、ご丁寧に申していただいておりますが、削除依頼の結果は淡々と受け入れるつもりでありますよ。で、Aphaiaさんの指摘云々は「彼の昨日の朝の行動」がそうであったように、土足で踏み荒らされたようでただただ不快に思うと申し上げるのみです(おーたさんが同時に加わっていなかったということは下記にて確認しました)。--Yuichiokubo2007年5月29日 (火) 17:35 (UTC)[返信]
もし、Yuichiokuboさんの依頼でどなたかが「日本のクリスチャン有名人一覧」の削除反対票を出すだけのためにアカウントを取得してそれを実行したのならば、それは多重アカウントの不正使用に準ずる問題のある行為だということは理解されたほうが良いです。Yuichiokuboさんがいくら不快であっても、そのことから目を逸らしてたのではYuichiokuboさんの状況を悪くするだけだと思いますけれど。--おーた 2007年5月29日 (火) 22:00 (UTC)[返信]


おーたさん、あのですねぇ、「依頼で」とか「目を逸らす」とか印象を悪くするような言葉をわざわざ選んでお使いの印象なのですがね(それが故意なのかどうかは図りかねますが)。 一覧記事の存在情報はビジネススクールの修了生のメーリングの話題に載せた(削除依頼が出されるずっと前です)モノなどをふくめれば200~300人にわたっているはずですよ。 確認できませんが、その中にご自分なりのご意見を持って書かれた人がいるならば、私は誇りに思うのみです。変な表現はやめていただきたく思いますよ!!。--Yuichiokubo2007年5月30日 (水) 07:24 (UTC)[返信]

ご説明、ありがとうございました。以前は、自宅でご友人の方々に日本のクリスチャン有名人一覧についての啓蒙活動を行ったとご説明されていましたが、そのほかにもご自身が所属するメーリングリストでも啓蒙されておられたのですね。
しかし、もしAINURさんや はるすみれさんがそういった方々の中から自発的に行動に出た方々だというなら、御一方は日本のクリスチャン有名人一覧について削除反対票を投稿しただけですし、もう一方は削除反対票を投じて無効化されるとそれにクレームをつけてるうちに投稿ブロックされています。彼らが、それまでwikipedia体験がなくて今回初めてアカウント登録しての行為だったのか、IPユーザー歴はあってYuichiokuboさんの啓蒙活動の結果新たにアカウント登録しての行為だったのか、別アカウントでの活動歴があった上に新しいアカウントを作っての行為だったのか分りませんけれど、いずれにしても不幸なwikipedia体験だったと思わざるを得ません。
ともかくも、日本のクリスチャン有名人一覧削除の件については結果は出ました。CUの件が残っていますので、その結果が出たときは何か書くかもしれませんが、基本的には私が書いておこうと思ったことは書き終わりました。お騒がせしたことを、このノートの読者の皆様にお詫びします。--おーた 2007年5月31日 (木) 15:10 (UTC)[返信]

なにをこそこそやっているのですか???

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こちらのノートから目を離していたら何をこそこそやっているのですか?? 恥を知ってください。 特におーた さんとAphaiaさんは恥を知らないのですか??? ノートに抗議を書き込んだらこそこそと消してしまうなど。 --Yuichiokubo2007年5月27日 (日) 22:09 (UTC)[返信]

おーたです。私は何にもこそこそやっていませんよ。私の投稿履歴の通り、すべて誰もが閲覧可能な場所に書いているだけです。それから、私のノートに書かれたYuichiokuboさんの抗議を私は削除していませんし(履歴を調べてください)、利用者のノートはその利用者への連絡用ですので、その利用者が残す必要が無いと判断すれば削除して何も問題はありません。AphaiaさんもYuichiokuboさんの「抗議」を遺す必要も無いと判断して削除しただけの話ですし、ついでに私のところへの「抗議」も一緒に削除していただいたようです。おーた 2007年5月28日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
「恥を知れ」という表現は日本語ではかなりキツイ言葉ですが、そういう言葉を使って人を責めたてたことについてYuichiokuboさんは何とも思わないのでしょうか?少し時間を置いたら考えていただけるかと思ったのですが、どうもそのままにして「傍観」なさるようですね。Wikipediaの理念がどうしたこうしたを語る以前に考えるべき問題だと思うのですが。--おーた 2007年5月28日 (月) 22:15 (UTC)[返信]
おーたさんの説明ですと記述を消した行動は全てAphaiaさんの行動である旨はよくわかりました。しかしおーたさんのノートも消すのは率直に申し上げて2人3脚も極まっているなぁという印象をもちました。また「抗議を書き込んだらこそこそと消してしまうなど」と「など」をつけたのですが、削除版への私の追記を執拗に消そうとされて閉口したことも含んでいると申し添えます。--Yuichiokubo2007年5月29日 (火) 16:53 (UTC)[返信]
Yuichiokuboさんが削除依頼ページに何度も書いて何度も削除されていたのは、単にあそこで書くべきでない脱線投稿をYuichiokuboさんが繰り返したからにすぎません。私にはYuichiokuboさんが「削除されて不愉快」という感情に身を任せて、認識すべきことを認識されておられないように思えます。Yuichiokuboさんが不愉快であることは大体理解できますから、多くの人が「不快でしょうけれど」と前置きをつけながらYuichiokuboさんへ意見を書いていますし、時には謝りもします。しかし、今回の「恥を知れ」の一件も、Yuichiokuboさんは話をまたしても逸らしてしまいましたよね。Yuichiokuboさんのそうしたスタイルは、たいへん傲慢で不誠実に見えているということはご理解されたほうがよろしいです。--おーた 2007年5月29日 (火) 22:10 (UTC)[返信]


おーたさん、百歩譲って「傲慢」であることは認めましょう。申し訳ないですね。はっきり言って傲慢な立場で長年やっておりますので。

しかしですよ、あなたは「削除依頼ページに何度も書いて何度も削除されていたのは・・・」なんて表現しています。これは「何かちがうモノ」を私の記述であると決め付け(あなたの故意や悪意かどうかわかりません)ようとしているように読めますねぇ。 私は追記を「昨日の朝に1箇所だけ書いた」のですよ。記述はそれだけです。それをあなたのお友達に書いてる脇から邪魔するように2回消されたんです。それで「なにをこそこそ」と抗議したんですよ。そしたら3回目のこそこそ消しが止まったのですよ。--Yuichiokubo2007年5月30日 (水) 13:37 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧において、2007年5月27日 (日) 19:36に(コメントのコメント)と称して書き込んでAphaiaさんに削除されて、それでも懲りずに(コメント)と称して2007年5月27日 (日) 21:31に同じ内容の書き込みを行い、それをリバートされると、(追記)と称して同じ内容の書き込みを2007年5月27日 (日) 22:37を行ったのはYuichiokuboさんと私は認識しております。この認識に誤りがあるのなら指摘ください。そこでAphaiaさんが削除を止めたのは、「過度の編集合戦は控える」というWikipedia編集者の慣例に従っているに過ぎません。
それから。文面が同じ抗議文章をあちこちの利用者ページに書き込むのは「荒らし」行為と見なされることはご理解ください。Yuichiokuboさんがご自身の行為をどう認識されているか分りませんが、傍から見るとあれは「荒らし」行為に見えます。削除されたのを懲りずにもう一度書き直すのもそうです。「荒らし」行為は即刻削除というのも慣例であり、Yuichiokuboさんがご自身の行為をどう認識されているかとは別に、傍から見ると私のページからも即刻削除されたのも無理ない話だと思っています。--おーた 2007年5月31日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
おーたさん、具体的な時系列の記述などありがとうございます。記述の順番などのあなたの認識に特に間違いは無いと思います。それで、あなたのお友達の行為のメカニズムについての説明については「なるほどそうですか」との事務的な面での一応の理解をいたしましょう。しかし、そのときの私の印象では「相当に強引で執拗な執着的意思をもっての行為」という蓋然性をそのタイミングなどから強く感じさせられたことを率直に申し上げておきます。Yuichiokubo2007年5月31日 (木) 19:19 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧でのCheckUser依頼を出しました

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おーたです。Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧の投票をめぐる一件について、 皆様のサポートがありましたのでCheckUser依頼を出しました。依頼の方法がイマイチ分っていないところがあるので、不備があるかもしれませんが、ページは

Wikipedia:CheckUser依頼/「日本のクリスチャン有名人一覧」投票

です。投票お願いします。おーた 2007年5月28日 (月) 15:00 (UTC)[返信]

了解しました。CU賛成の方に賛成票を投じておきました。依頼自体は不備は無いと思います。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年5月29日 (火) 09:48 (UTC)[返信]


議論終結の提案

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Wikipedia:削除依頼/日本のクリスチャン有名人一覧で削除が決定しましたので、「日本のクリスチャン有名人一覧」に関連した一連の議論は終結したと判断します。あと数日様子を見た後に、関連する議論をまとめて過去ログ化し、当ノートを整理します。--Cave cattum 2007年5月31日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

一連の処置、ご苦労様でした。議論に参加した一人として、まとめ役を果たしていただいたCave cattumさんに感謝の言葉を捧げます。ありがとうございました。--おーた 2007年5月31日 (木) 15:15 (UTC)[返信]
そういえば、今回の一連の経過については、過去ログ化するだけでなくWikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝の本文に要旨を記載したいと思います。信教別人物一覧記事の必要性について疑問が提示され、これに対して検証可能性、プライバシー侵害のおそれ等から削除が適当であるとの見解が寄せられ、削除依頼を経て削除されたという経過は、直ちに先例としてガイドライン的な効力を持つものではないとしても、今後同種の問題が発生した際には参考事例となると思います。皆様も議論に参加いただきありがとうございました。--Cave cattum 2007年6月1日 (金) 09:32 (UTC)[返信]


Cave cattumさん、ごくろうさま。上記についてですが誤読解や安易な解釈を避けてほしいので 「議論で検証可能性やプライバシー侵害のおそれについて言及する人が存在したが、その結論はいまだ出ていないままである」ということを明記していただきたいです。--Yuichiokubo2007年6月2日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

本文にWikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝#これまでの検討事項を記載しました。ついでに「準備中」の表記を除去しました。本ノートは数日後に過去ログ化します。--Cave cattum 2007年6月4日 (月) 13:13 (UTC)[返信]