プリンスジョージ郡 (バージニア州)
バージニア州プリンスジョージ郡 | |
---|---|
設立 | 1703年 |
郡庁所在地 | プリンスジョージ |
面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
730 km2 (282 mi2) 689 km2 (266 mi2) 41 km2 (16 mi2), 5.76% |
人口 - (2010年) - 密度 |
35,725人 48人/km2 (124人/mi2) |
標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
ウェブサイト | www |
プリンスジョージ郡(プリンスジョージぐん、英: Prince George County)は、アメリカ合衆国バージニア州の南東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は35,725人であり、2000年の33,047人から8.1%増加した[1]。郡庁所在地は国勢調査指定地域のプリンスジョージ(人口2,066人[2])であり、同郡に法人化された町は無く、人口最大の町はやはり国勢調査指定地域で軍事基地でもあるフォートリー(人口3,393人[3])である。
プリンスジョージ郡はリッチモンド・ピーターズバーグ地域の中のピーターズバーグ市を中心とするトリシティーズ地域にあり、都市圏としてはリッチモンド大都市圏に属している。
歴史
[編集]プリンスジョージ郡は1703年に、バージニア植民地のチャールズシティ郡から分離して設立された。郡名はイギリス女王アンの夫であり、ジョージ・オブ・デンマークと呼ばれたカンバーランド公ジョージに因んで名付けられた。
これに先立つ1619年、バージニア植民地が設立した「ボロ」4つの1つとして「チャールズシティ」が作られていた。チャールズシティ郡の初代郡庁舎は、ジェームズ川沿い、ウェストーバーとシティポイントにあった。1624年にバージニア会社がその認証を失い、バージニアは王室領植民地となった。
1634年、イングランド王チャールズ1世の命令で、「チャールズシティ・シャイア」が作られた。1643年にはチャールズシティ郡となり、1634年に作られ、現在まで実質的にその政体を続けている5つのシャイアの1つと見なされている。
チャールズシティ、チャールズシティ・シャイア、チャールズシティ郡は全てジェームズ川の両岸にあり、ジェームズ川が17世紀を通じてバージニア植民地の主要な交通路になった。チャールズシティ郡当初の中心都市がチャールズシティポイントであり、ジェームズ川がアポマトックス川と合流する点の南にあった。その名前は後に短縮され、シティポイントとなった。
1703年、チャールズシティ郡のジェームズ川南の地域が分離されてプリンスジョージ郡となり、その後幾つかの郡が生まれた。シティポイントは後にプリンスジョージ郡の法人化町となった。1923年、シティポイントは独立市のホープウェルに併合された。
地理
[編集]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は282平方マイル (730 km2)であり、このうち陸地266平方マイル (688 km2)、水域は16平方マイル (42 km2)で水域率は5.76%である[4]。郡の北西隅は独立市のホープウェルやピーターズバーグに近く、フォートリーはその郊外部にあるが、その他の郡域は農業と製材業に使われる田園部である。
交通
[編集]州間高速道路95号線と同295号線が郡内を通り、アメリカ国道301号線が南北に、同460号線が東西に走っている。バージニア州道10号線がジェームズ川南岸を通り、ジェームズ川プランテーションの幾つかの近くを抜けている。
貨物列車をCSXトランスポーテーションが運行しており、ピーターズバーグでノーフォーク・サザン鉄道と接続している。1850年代にウィリアム・マホーンが建設した元ノーフォーク・アンド・ピーターズバーグ鉄道の、ピーターズバーグとサフォーク間の直線鉄道線52マイル (83 km) が、ノーフォーク・サザン鉄道体系の重要な部分となっている。近くにはノーフォーク・サザン鉄道の自動車積み替え施設がある。将来的には鉄道とトラックの大規模インターモーダル輸送施設を建設する計画がある。
主要高規格道路
[編集]隣接する郡と独立市
[編集]- ピーターズバーグ市 - 北西
- チェスターフィールド郡 - 北西
- ホープウェル市 - 北西
- チャールズシティ郡 - 北
- サリー郡 - 東
- サセックス郡 - 南
- ディンウィディ郡 - 西
- コロニアルハイツ市 - 東
ピーターズバーグ市、チェスターフィールド郡、ホープウェル市 | チャールズシティ郡 | |||
ディンウィディ郡 | サリー郡、コロニアルハイツ市 | |||
プリンスジョージ郡 | ||||
サセックス郡 |
国立保護地域
[編集]- ジェームズ川国立野生生物保護区
- ピーターズバーグ国立戦場跡公園(部分)
経済
[編集]主要雇用主
[編集]プリンスジョージ郡の2009年包括的財務報告書に拠れば、市内の主要雇用主は次の通りである[5]。
順位 | 雇用主 | 従業員数 |
---|---|---|
1 | アメリカ合衆国国防総省 | 1,000+ |
2 | プリンスジョージ郡 | 1,000+ |
3 | フード・ライオン | 500-999 |
4 | アメリカ合衆国司法省 | 500-999 |
5 | スタンダード・モーター・プロダクツ | 250-499 |
6 | アメリカ陸軍 | 250-499 |
7 | リバーサイド地域監獄 | 250-499 |
8 | パーデュー・ファームズ | 250-499 |
9 | アメリカ合衆国陸軍省とアメリカ空軍 | 250-499 |
10 | エース・ハードウェア | 100-249 |
郡政府
[編集]郡内に中心となる都市や町は無い。プリンスジョージという住所を使うプリンスジョージ郡庁舎が郡政府の中心である。選挙で選ばれる委員で構成される郡政委員会が統治し、郡管理官が日々の管理を行っている。
警察組織
[編集]プリンスジョージ郡は主にプリンスジョージ郡警察署とプリンスジョージ郡保安官事務所が法執行を行っている。その任務は州法と地方条例の執行である。保安官事務所の主たる任務は裁判所の安全保障と刑事、民事事件の書類管理である。第二の任務として州法の執行における警察署の支援もある[6]。
人口動態
[編集]人口推移 | |||
---|---|---|---|
年 | 人口 | %± | |
1790 | 8,173 | — | |
1800 | 7,425 | −9.2% | |
1810 | 8,050 | 8.4% | |
1820 | 8,030 | −0.2% | |
1830 | 8,367 | 4.2% | |
1840 | 7,175 | −14.2% | |
1850 | 7,596 | 5.9% | |
1860 | 8,411 | 10.7% | |
1870 | 7,820 | −7.0% | |
1880 | 10,054 | 28.6% | |
1890 | 7,872 | −21.7% | |
1900 | 7,752 | −1.5% | |
1910 | 7,848 | 1.2% | |
1920 | 12,915 | 64.6% | |
1930 | 10,311 | −20.2% | |
1940 | 12,226 | 18.6% | |
1950 | 19,679 | 61.0% | |
1960 | 20,270 | 3.0% | |
1970 | 29,092 | 43.5% | |
1980 | 25,733 | −11.5% | |
1990 | 27,394 | 6.5% | |
2000 | 33,047 | 20.6% | |
2010 | 35,725 | 8.1% |
基礎データ
人種別人口構成
|
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
|
収入[編集]収入と家計 |
町
[編集]郡内に法人化された町は無い。下記リストは国勢調査指定地域を含め未編入の町である。
|
|
プリンスジョージ郡は独立市のピーターズバーグ、ホープウェル、コロニアルハイツ各市に近接し、リッチモンド・ピーターズバーグ地域(リッチモンド大都市圏)のトリシティーズ地域にあると見なされている。他に5つの郡に接している。
教育
[編集]- プリンスジョージ高校
- クレメンツ・ジュニア高校
- J・E・J・ムーア中学校
- ハリソン小学校
- ノース小学校
- サウス小学校
- L・L・ビーズリー
- W・A・ウォルトン小学校
その他
[編集]- 小さな町のディスプタンタは、鉄道建設者のウィリアム・マホーンとその教養ある妻オテリア・バトラー・マホーンが名付けたと言われている。二人はスミスフィールド出身であり、トリシティーズ地域の著名で特徴ある性格を持った人物と見なされてきた。ウィリアム・マホーン(ニックネームはリトル・ビリー)は、南北戦争のクレーターの戦いで英雄となり、後にはピーターズバーグ市長、アメリカ合衆国上院議員となり、バージニア州立大学創設に貢献した。
- 裕福なプランテーション所有者で奴隷を所有し、熱心な分離主義者だったエドマンド・ラフィンは、サムター要塞の戦いで最初の一発を放った人物とされている。これが南北戦争の始まりとなった。プリンスジョージ郡の住民である。
- ホープウェル市憲章に記された文章によって、市が接するアポマトックス川岸の一部はプリンスジョージ郡内にある。チェスターフィールド郡からホープウェル市に架かる州道10号線のチャールズ・ハーダウェイ・マークス橋はプリンスジョージ郡の水域のみに掛かっており、そのことが標識に表示されている。この橋は元跳ね橋であり、1935年12月22日のバス事故で13人が死んだことで知られている[7]。
脚注
[編集]- ^ Quickfacts.census.gov - Prince George County - accessed 2011-12-06.
- ^ American FactFinder - Prince George, Virginia - accessed 2011-12-06.
- ^ American FactFinder - Fort Lee, Virginia - accessed 2011-12-06.
- ^ “Census 2010 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2013年4月13日閲覧。
- ^ County of Prince George CAFR
- ^ Prince George County : Sheriff's Office
- ^ [1]