フォーキア郡 (バージニア州)
バージニア州フォーキア郡 | |
---|---|
設立 | 1759年 |
郡名の由来 | フランシス・フォーキア |
郡庁所在地 | ウォーレントン |
面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
1,686 km2 (651 mi2) 1,683 km2 (650 mi2) 5 km2 (2 mi2), 0.26% |
人口 - (2010年) - 密度 |
65,203人 40.4人/km2 (105人/mi2) |
標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
ウェブサイト | www |
フォーキア郡(フォーキアぐん、英: Fauquier County、[fɔːˈkɪər])は、アメリカ合衆国バージニア州の北部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は65,203人であり、2000年の55,139人から18.3%増加した[1]。郡庁所在地はウォーレントン町(人口9,611人[2])であり、同郡で人口最大の町でもある。
フォーキア郡はワシントン大都市圏に属している。バージニアのワインと馬の中心地であり、農業の歴史が豊富で、現在も残っている。2011年時点で、アメリカ国内では収入の高い郡第8位になっている[3]。
歴史
[編集]フォーキア郡となった地域にヨーロッパ人が入ってきた時、スー語族マナホーク族の中の小部族ウォンケンティア族が住んでいた。1670年頃にイロコイ連邦のセネカ族に追い出された。セネカ族はこの地域に定住しなかった[4]。1697年から1699年の短期間コノイ族がザ・プレーンズに入っていた。イロコイ連邦の6部族は1722年のオルバニー条約でフォーキアを含む全地域をバージニア植民地に譲渡した。
フォーキア郡は1759年5月1日にプリンスウィリアム郡から分離して設立された。郡名は当時バージニア植民地副総督だったフランシス・フォーキアに因んで名付けられた。フォーキアは伝説に拠ればポーカーで土地を取得したと言われている。
郡内で起きた南北戦争の戦闘としては、第一次ラッパハノック・ステーションの戦い、サラフェアギャップの戦い、ケリーズフォードの戦い、アルディーの戦い、ミドルバーグの戦い、アッパービルの戦い、第一次と第二次オーバーンの戦い、バックランドミルズの戦い、第二次ラッパハノック・ステーションの戦いがあった。
フォーキア郡は2009年に、年間を通じた行事で創設250周年を祝った。最初は2月にアフリカ系アメリカ人歴史協会が黒人歴史月間を祝った。5月1日、メインストリートを招待客や住民が埋め、歴史家、実演、芸能、コンテスト、参加型行事、講義、子供のコーナー、生演奏などの娯楽を楽しむグランドイベントとなった。フォーキア食品分配同盟がバースデーケーキを積み上げ、配った。南軍の戦場跡など歴史探索ツアーがあった。地元の多くの教会が帰郷の催しで参加した。この祭りは12月31日のファーストナイト・ウォーレントンで終わった。この家族向け行事ではミュージカル公演、人形劇と奇術が出た。
地理
[編集]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は651平方マイル (1,686.1 km2)であり、このうち陸地650平方マイル (1,683.5 km2)、水域は2平方マイル (5.2 km2)で水域率は0.26%である[5]。
主要高規格道路
[編集]- 州間高速道路66号線
- アメリカ国道15号線
- アメリカ国道17号線
- アメリカ国道29号線
- アメリカ国道50号線
- アメリカ国道211号線
- バージニア州道28号線
- バージニア州道55号線
- バージニア州道245号線
隣接する郡
[編集]ウォーレン郡 | クラーク郡、ラウドン郡 | |||
ラッパハノック郡 | プリンスウィリアム郡 | |||
フォーキア郡 | ||||
カルペパー郡 | スタフォード郡 |
人口動態
[編集]人口推移 | |||
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年 | 人口 | %± | |
1790 | 17,892 | — | |
1800 | 21,329 | 19.2% | |
1810 | 22,689 | 6.4% | |
1820 | 23,103 | 1.8% | |
1830 | 26,086 | 12.9% | |
1840 | 21,897 | −16.1% | |
1850 | 20,868 | −4.7% | |
1860 | 21,706 | 4.0% | |
1870 | 19,690 | −9.3% | |
1880 | 22,993 | 16.8% | |
1890 | 22,590 | −1.8% | |
1900 | 23,374 | 3.5% | |
1910 | 22,526 | −3.6% | |
1920 | 21,869 | −2.9% | |
1930 | 21,071 | −3.6% | |
1940 | 21,039 | −0.2% | |
1950 | 21,248 | 1.0% | |
1960 | 24,066 | 13.3% | |
1970 | 26,375 | 9.6% | |
1980 | 35,889 | 36.1% | |
1990 | 48,741 | 35.8% | |
2000 | 55,139 | 13.1% | |
2010 | 65,203 | 18.3% |
基礎データ
人種別人口構成
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年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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収入[編集]収入と家計 |
フォーキア郡は田園と農業地帯である。幾らか工業があるが、最大雇用主は郡政府と病院である。2000年国勢調査で、住人の47%が郡外に就職していた。
町
[編集]法人化自治体
[編集]未編入の町
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教育
[編集]高校
[編集]- フォーキア高校
- リバティ高校
- サウスイースタン・オールターナティブ・スクール
- ケトルラン高校[7]
- マウンテンビスタ・ガバナーズスクール
高等教育機関
[編集]- ロードフェアファックス・コミュニティカレッジ
- ソープ・ハウス成人学習センター
著名な出身者
[編集]- ターナー・アシュビー、フォーキア郡生まれ、南北戦争の南軍の将軍[8]
- ウォルター・クライスラー・ジュニア、自動車開発者の息子、郡内のノースウェールズ農園を所有
- ロバート・デュヴァル、俳優、ザ・プレーンズで農園を所有
- エッパ・ハントン、アメリカ合衆国下院議員、同上院議員、ウォーレントンに生まれ、住んだ
- ジョン・マーシャル、フォーキア郡生まれ、アメリカ合衆国最高裁判所首席判事
- ポール・メロン、慈善事業家, アメリカ競馬名誉の殿堂博物館より「ホースマンの模範」として選出、ロークビー農園を所有
- ジョン・モスビー、ウォーレントンに住んだ、南北戦争の南軍でゲリラ戦と騎兵を指揮、ウォーレントン墓地に埋葬
- ウィラード・スコット、NBCの番組トゥデイの司会者、郡内のパリスに住んでいる
脚注
[編集]- ^ Quickfacts.census.gov - Fauquier County Archived 2011年7月10日, at WebCite - accessed 2011-12-06.
- ^ Quickfacts.census.gov - Warrenton, Virginia - accessed 2011-12-06.
- ^ Top 100 counties - Median household income, 2011
- ^ Swanton, John R. (1952), The Indian Tribes of North America, Smithsonian Institution, pp. 61–62, ISBN 0-8063-1730-2, OCLC 52230544
- ^ “Census 2010 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2013年4月13日閲覧。
- ^ American FactFinder
- ^ Kettle Run High School
- ^ Who Was Who in America, Historical Volume, 1607-1896. Chicago: Marquis Who's Who. (1963)
外部リンク
[編集]- Visit Fauquier County
- Fauquier County Government Site - 公式サイト
- Fauquier County Public Library
- Fauquier County Public Schools
- Fauquier County Chamber of Commerce
- Greater Warrenton Chamber of Commerce
- Fauquier Times-Democrat
- Fauquier County Fair
- Fauquier County Historical Society
- Fauquier County Businesses
- Fauquier County / Opal Weather Station
- Town of Remington Police Department
- Civil War in Fauquier County