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ブリヤート共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブリヤート共和国
Республика Бурятия
Буряад Улас
ブリヤート共和国の旗ブリヤート共和国の紋章
ブリヤート共和国の国旗ブリヤート共和国の国章
ブリヤート共和国の位置
国歌Бүгэдэ Найрамдаха Буряад Уласай дуулал
ブリヤート共和国国歌
公用語ロシア語ブリヤート語
首府ウラン・ウデ
首長アレクセイ・ツィデノフロシア語版
首相(1994年廃止)
構成体種別共和国
連邦管区極東連邦管区
経済地区東シベリア経済地区
面積
 - 総計
国内第15位
351,334km2
人口(2021年国勢調査)
 - 総計
 - 人口密度
 - 都市/地方比率
国内第54位
978,588人
2.79人/km2
59.1% : 40.9%
時間帯UTC +8(DST: なし)
イルクーツク時間
ISO 3166-2:RURU-BU
番号03
ウェブサイトegov-buryatia.ru/

ブリヤート共和国(ブリヤートきょうわこく、ロシア語: Республика Бурятияブリヤート語: Буряад Улас)は、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。バイカル湖の南東部に位置する。

概要

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首都はウラン・ウデ(人口43万4000人[1])。シベリア連邦管区に属していたが、2018年11月に極東連邦管区へ移管された[2]。北はイルクーツク州、東はザバイカリエ地方、南はモンゴル国、西はトゥヴァ共和国と接する。

国土の8割以上がバイカル湖北部のバイカル山脈ヤブロノヴイ山脈などの山岳地帯に位置している。

ブリヤート共和国の位置

標準時

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この地域は、イルクーツク時間帯標準時を使用している。時差はUTC+8時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+8で夏時間がUTC+9、同年3月から2014年10月までは通年UTC+9であった)

歴史

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元々はモンゴル系のブリヤート人の居住地であり、伝統的な牧畜などが営まれていた。政治的には1206年モンゴル帝国チンギス・ハーンに服属し、以後は各部族が歴代のモンゴル高原の支配者に服属していた。

16世紀になるとと毛皮を求めてバイカル湖から東進してきたロシア帝国の領域に組み込まれた。1666年ウダ川の河畔にできた要塞はヴェルフネウジンスク(後のウラン・ウデ)と名付けられ、地域の中心となった。1689年との間で締結されたネルチンスク条約により、この地域は正式にロシア領となった。17世紀チベット仏教が入る[3]

その後、1917年ロシア革命後には反革命軍がこの地域を制圧し、シベリア出兵により日本が占領した後の1920年には極東共和国の首都がヴェルフネウジンスクに置かれたが、1922年ソビエト政権の支配下に入り、1923年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内のブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国となった[3]

第二次世界大戦後、ガラドークに第28収容地区(ラーゲリ)が、ウランウデに第30収容地区が設置されて、シベリア抑留の対象となった日本人捕虜が収容された[4]

1958年にはブリヤート自治ソビエト社会主義共和国となった。20世紀初頭にはチベット仏教の僧侶が1万人ほどいたとされるが、ソビエトによって宗教活動は抑えられていた[3]

ソビエト末期の1990年10月8日には主権宣言を行い、1991年5月27日には国名を現在のブリヤート共和国に改称した。同年12月25日のソビエト連邦崩壊後にはロシア連邦共和国の構成体となり、1994年には史上初の民選大統領レオニード・ポタポフが選出された。1992年ダライ・ラマ14世が首都を訪問した[3]

2018年11月にシベリア連邦管区から極東連邦管区へ移管された。

2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナに向けて多数のブリヤート共和国出身の兵士が動員され、同年8月時点で235人が戦死しており、モスクワ州の60倍、国家でもトップレベルに戦死者が出ている[5][6]

民族

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教育

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産業

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鉱物資源

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行政区分

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ブリヤート共和国は、直轄市ウラン・ウデ及び所属の2町を併せたウラン・ウデ市行政区と、直轄市セヴェロバイカリスク市、その他の21地区から成る。

  • ウラン・ウデ市行政区
  • セヴェロバイカリスク市
  • 北バイカル地区
  • ムヤ地区
  • クルムカン地区
  • バウント・エヴェンキ地区
  • バルグジン地区
  • オカ地区
  • 沿バイカル地区
  • ホリンスク地区
  • エラヴノエ地区
  • トゥンカ地区
  • カバンスク地区
  • イヴォルギンスク地区
  • タルバガタイ地区
  • ザイグラエヴォ地区
  • キジンガ地区
  • ザカーメンスク地区
  • ジダ地区
  • セレンガ地区
  • ムホルシビリ地区
  • ビチュラ地区
  • キャフタ地区

脚注

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出典

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  1. ^ Администрация города Улан-Удэ”. 2020年1月27日閲覧。
  2. ^ 2連邦構成体を編入、ロシア極東地域が拡大(中国、モンゴル、ロシア) | ビジネス短信 - ジェトロ”. www.jetro.go.jp. 2020年1月27日閲覧。
  3. ^ a b c d “ロシア・ブリヤート共和国:「チンギス・ハンの子孫」も生活変化 伝統の継承困難”. 毎日新聞. (2008年11月15日) 
  4. ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、187頁。ISBN 9784562049318 
  5. ^ ロシア戦死者、少数民族地域が突出…「激戦地への投入」差別的と反発の動き”. 読売新聞 (2022年8月13日). 2022年8月16日閲覧。
  6. ^ NHK. “NHKスペシャル 「調査報告・ロシア軍 ~“プーチンの軍隊”で何が~」 -NHKオンデマンド”. NHKオンデマンド. 2023年3月4日閲覧。
  7. ^ Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года

関連項目

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外部リンク

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