ブリッタ・ハイデマン
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獲得メダル | ||
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ブリッタ・ハイデマン 2012 | ||
ドイツ | ||
女子 フェンシング | ||
オリンピック | ||
金 | 2008 北京 | エペ個人 |
銀 | 2004 アテネ | エペ団体 |
銀 | 2012 ロンドン | エペ個人 |
フェンシング世界選手権 | ||
金 | 2007 サンクトペテルブルク | エペ個人 |
銅 | 2013 ブダペスト | エペ個人 |
銅 | 2005 ライプツィヒ | エペ団体 |
銅 | 2006 トリノ | エペ団体 |
銅 | 2007 サンクトペテルブルク | エペ団体 |
銅 | 2008 北京 | エペ団体 |
ブリッタ・ハイデマン(Britta Heidemann 1982年12月22日 - )は、ドイツのケルン出身の女子フェンシング選手。種目はエペ。2012年5月現在の世界ランキングは22位[1]。
経歴
[編集]14歳のときに両親と広西チワン族自治区桂林市や香港を観光、中国文化の魅力に取り付かれて中国語を学んだ[2]。
バイエル社に所属し[3]、2004年のアテネオリンピックではクラウディア・ボーケル、イムケ・デュプリッツァとのエペ団体で銀メダルを獲得した[4]。
2007年のフェンシング世界選手権のエペ個人で金メダルを獲得した。そして2008年の北京オリンピックのエペ個人では第1シードとして出場し、準決勝で中国の李娜を15-13で[5]、決勝でルーマニアのアナ・ブランザを15-11で破り金メダルを獲得した[6]。
2011年には欧州委員会の中国青少年大使も務めた[7]。この年の世界選手権では初戦で敗れた[1]。
2012年のロンドンオリンピックの出場をかけては、ドイツの女子チームが最終予選大会で順位をあげたことで出場が決定した[1]。そして、2012年のロンドンオリンピックのエペ個人の準決勝で韓国の申雅嵐を相手に勝利し、決勝戦でウクライナのヤナ・シェミャキナに破れ銀メダルを獲得した。この準決勝の結果については最後の1秒の判定を巡って申が抗議の座り込みを行い、ハイデマンのフェイスブックが韓国からの書き込みで炎上するなど、誤審議論を巻き起こした[8]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c クリスティアーネ・モラヴェッツ (2012年5月4日). “「私はロンドン五輪の先のことまで夢見ています」”. magazin-deutschland.de. 2012年6月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “ヌード披露の美人選手 中国語ペラペラ-フェンシング”. サーチナ. 2012年6月4日閲覧。
- ^ “アテネ・オリンピックでバイエルの選手が大活躍!” (PDF). バイエル (2004年9月). 2012年6月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ブリッタ・ハイデマン”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月4日閲覧。
- ^ “フェンシング 女子エペ個人準決勝サマリ”. サンケイスポーツ (2008年8月13日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月4日閲覧。
- ^ “フェンシング 女子エペ個人”. 読売新聞 (2008年8月13日). 2012年6月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “2011 EU-China Year of Youth: new horizons for cooperation and dialogue”. 欧州委員会 (2011年1月11日). 2012年6月4日閲覧。
- ^ Jens Hungermann (2012年7月30日). “「Degenfechterin Britta Heidemann gewinnt nach Krimi Silber」”. morgenpost.de. 2012年7月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Britta Heidemann
- ブリッタ・ハイデマン - 国際オリンピック委員会
- ブリッタ・ハイデマン - 国際オリンピック委員会
- ブリッタ・ハイデマン - オリンピックチャンネル
- ブリッタ・ハイデマン - ドイツオリンピック委員会
- ブリッタ・ハイデマン - Olympedia
- ブリッタ・ハイデマン - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ブリッタ・ハイデマン - FIE
- ブリッタ・ハイデマン - European Fencing Confederation
- ブリッタ・ハイデマン - Munzinger Sports Archives