ブラデ・ディバッツ
2016年のディバッツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ポジション | C | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
セルビア語 | Владе Дивац | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | セルビア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1968年2月3日(56歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 セルビア ズラティボル郡プリポリェ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長(現役時) | 216cm (7 ft 1 in) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重(現役時) | 110kg (243 lb) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身 | パルチザン・ベオグラード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドラフト | 1989年 26位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永久欠番 | キングス 21 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980-1982 1982-1986 1986-1989 1989-1996 1996-1998 1998-1999 1999-2004 2004-2005 |
KK Elan Prijepolje KK Sloga Kraljevo パルチザン・ベオグラード ロサンゼルス・レイカーズ シャーロット・ホーネッツ KK Crvena Zvezda サクラメント・キングス ロサンゼルス・レイカーズ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キャップ | 1986-2002 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ブラデ・ディバッツ(英:Vlade Divac,(セルビア語: Владе Дивац, [ˈvlaːdɛ ˈdiːvats]) 1968年2月3日 - )は、旧ユーゴスラビアセルビア社会主義共和国ズラティボル郡プリポリェ出身の元プロバスケットボール選手。アメリカに渡りNBAのロサンゼルス・レイカーズやサクラメント・キングスなどでプレーした。216cm,120kg。ポジションはセンター。サクラメント・キングスの球団社長を務めていた。
来歴
[編集]マドリードで行われた1986年バスケットボール世界選手権にユーゴスラビア代表として出場した。この大会の準決勝でソビエト連邦相手にチームは残り45秒で9点リードしていたが3ポイントシュート2本を決められ3点差、ファウルゲームを避けてパスを回して時間を費やそうとしたが残り14秒で彼のダブルドリブルによって相手ボールとなり同点の3ポイントシュートを決められオーバータイムの末敗れ銅メダルとなった[1]。翌1987年のバスケットボール世界ジュニア選手権ではディノ・ラジャやトニー・クーコッチと共に優勝、1988年のソウルオリンピックでは銀メダルを獲得、1989年、1991年のユーロバスケットを連覇、1990年バスケットボール世界選手権を制した[1]。
彼は機動力もありボールコントロールにも優れ、中距離からのシュート能力を備えている当時としては珍しいタイプのセンターであった。
1989年のNBAドラフト1巡目全体26位でロサンゼルス・レイカーズに指名され、その後コービーブライアントとトレードされホーネッツに入団する[2]、アメリカ国内の大学でプレーしたことのない選手としてはドラゼン・ペトロビッチに続いてヨーロッパ人選手として史上2人目のNBA選手となった[3]。当初、英語を全く話せなかったにもかかわらず彼はすぐにチームへ溶け込み、その才能を如何なく発揮する。結果、この年彼はオールルーキーファーストチームに選ばれた[1][2]。
2年目の1991年にはシカゴ・ブルズとのNBAファイナルに出場したがチームは1勝4敗で敗れチャンピオンリングを逃した。
その後1996年のNBAドラフトの際、コービー・ブライアントとのトレードでシャーロット・ホーネッツに移籍し2シーズンをホーネッツで過ごした。1998年にオーナー側のロックアウトがされた際にはセルビアで2試合プレーした。その後サクラメント・キングスに加入しクリス・ウェバーやペジャ・ストヤコヴィッチと共にドアマットチームだったキングスをウェスタンカンファレンスの強豪に押し上げプレーオフの常連とした。
その後、キングスとの契約延長を望んでいたがチームとの話が進まず6シーズン在籍したキングスを退団、NBAファイナルで敗れ、シャキール・オニール、ゲイリー・ペイトン、カール・マローン、デレック・フィッシャーの退団したレイカーズに復帰した。しかし背中の負傷で彼は十分なプレーをできず、この年15試合に出場、平均9分の出場で2.3得点、2.1リバウンドに終わった。2005年7月14日に現役引退を発表した。
NBAで13,000得点以上、9,000リバウンド以上、3,000アシスト以上、1,500ブロックショット以上の成績を残している6人の選手の1人で他にこの記録を達成したのはカリーム・アブドゥル=ジャバー、ティム・ダンカン、シャキール・オニール、ケビン・ガーネット、アキーム・オラジュワンである。
2009年3月31日、サクラメント・キングス時代の背番号21が永久欠番とされるセレモニーがアルコアリーナで開催された[4]。
2020年8月15日、サクラメント・キングスの球団CEOを辞任すると発表。
プレースタイル
[編集]216cm120kg大柄な体格を生かしたパワーにポストプレーの上手さやパスセンスに優れていた。 ヨーロッパ人選手として初めてシーズン成績でダブル・ダブルを記録するなど、ヨーロッパ人選手の先駆けとして活躍をしFIBAの殿堂入りを果たした。[5]
個人成績
[編集]略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
レギュラーシーズン
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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1989–90 | LAL | 82* | 5 | 19.6 | .499 | .000 | .708 | 6.2 | .9 | 1.0 | 1.4 | 1.3 | 8.5 |
1990–91 | 82* | 81 | 28.2 | .565 | .357 | .703 | 8.1 | 1.1 | 1.3 | 1.5 | 1.8 | 11.2 | |
1991–92 | 36 | 18 | 27.2 | .495 | .263 | .768 | 6.9 | 1.7 | 1.5 | 1.0 | 2.4 | 11.3 | |
1992–93 | 82 | 69 | 30.8 | .485 | .280 | .689 | 8.9 | 2.8 | 1.6 | 1.7 | 2.6 | 12.8 | |
1993–94 | 79 | 73 | 34.0 | .506 | .191 | .686 | 10.8 | 3.9 | 1.2 | 1.4 | 2.4 | 14.2 | |
1994–95 | 80 | 80 | 35.1 | .507 | .189 | .777 | 10.4 | 4.1 | 1.4 | 2.2 | 2.6 | 16.0 | |
1995–96 | 79 | 79 | 31.3 | .513 | .167 | .641 | 8.6 | 3.3 | 1.0 | 1.7 | 2.5 | 12.9 | |
1996–97 | CHH | 81 | 80 | 35.1 | .494 | .234 | .683 | 9.0 | 3.7 | 1.3 | 2.2 | 2.4 | 12.6 |
1997–98 | 64 | 41 | 28.1 | .498 | .214 | .691 | 8.1 | 2.7 | 1.3 | 1.5 | 1.8 | 10.4 | |
1998–99 | SAC | 50* | 50* | 35.2 | .470 | .256 | .702 | 10.0 | 4.3 | .9 | 1.0 | 2.6 | 14.3 |
1999–00 | 82 | 81 | 29.0 | .503 | .269 | .691 | 8.0 | 3.0 | 1.3 | 1.3 | 2.3 | 12.3 | |
2000–01 | 81 | 81 | 29.9 | .482 | .286 | .691 | 8.3 | 2.9 | 1.1 | 1.1 | 2.4 | 12.0 | |
2001–02 | 80 | 80 | 30.3 | .472 | .231 | .615 | 8.4 | 3.7 | 1.0 | 1.2 | 2.0 | 11.1 | |
2002–03 | 80 | 80 | 29.8 | .466 | .240 | .713 | 7.2 | 3.4 | 1.0 | 1.3 | 1.9 | 9.9 | |
2003–04 | 81 | 81 | 28.6 | .470 | .154 | .654 | 5.7 | 5.3 | .7 | 1.0 | 2.1 | 9.9 | |
2004–05 | LAL | 15 | 0 | 8.7 | .419 | --- | .667 | 2.1 | 1.3 | .3 | .1 | .9 | 2.3 |
通算 | 1134 | 979 | 29.8 | .495 | .235 | .692 | 8.2 | 3.1 | 1.1 | 1.4 | 2.2 | 11.8 | |
オールスター | 1 | 0 | 9.0 | .667 | .000 | --- | 3.0 | 1.0 | 2.0 | .0 | 1.0 | 8.0 |
- 1998-99シーズンは50試合で打ち切り
プレーオフ
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | LAL | 9 | 1 | 19.4 | .727 | .500 | .895 | 5.3 | 1.1 | .9 | 1.7 | 1.4 | 9.1 |
1991 | 19 | 19 | 32.1 | .564 | .167 | .803 | 6.7 | 1.1 | 1.4 | 2.2 | 2.2 | 13.3 | |
1992 | 4 | 4 | 35.8 | .349 | .000 | .900 | 5.5 | 3.8 | 1.3 | .8 | 4.5 | 9.8 | |
1993 | 5 | 5 | 33.4 | .500 | .444 | .545 | 9.4 | 5.6 | 1.2 | 2.4 | 2.2 | 18.0 | |
1995 | 10 | 10 | 38.8 | .467 | .222 | .645 | 8.5 | 3.1 | .8 | 1.3 | 2.8 | 15.6 | |
1996 | 4 | 4 | 28.8 | .429 | .200 | .625 | 7.5 | 2.0 | .0 | 1.3 | 2.0 | 9.0 | |
1997 | CHH | 3 | 3 | 38.7 | .457 | .000 | .800 | 8.7 | 3.3 | 1.0 | 2.0 | 2.0 | 18.0 |
1998 | 9 | 9 | 38.3 | .483 | .000 | .606 | 10.9 | 3.4 | .8 | 1.6 | 2.4 | 11.6 | |
1999 | SAC | 5 | 5 | 39.6 | .446 | .200 | .833 | 10.0 | 4.6 | 1.6 | .8 | 3.8 | 16.2 |
2000 | 5 | 5 | 32.0 | .357 | .000 | .696 | 7.2 | 2.8 | 1.4 | .8 | 1.8 | 11.2 | |
2001 | 8 | 8 | 28.1 | .350 | .333 | .763 | 8.4 | 2.4 | 1.0 | 1.5 | 2.3 | 10.8 | |
2002 | 16 | 16 | 33.4 | .464 | .286 | .755 | 9.3 | 1.7 | 1.1 | 1.3 | 2.3 | 13.5 | |
2003 | 12 | 12 | 26.4 | .560 | --- | .673 | 5.8 | 2.3 | .7 | .9 | 1.3 | 11.4 | |
2004 | 12 | 12 | 19.6 | .437 | --- | .739 | 4.9 | 1.8 | .3 | .4 | 1.2 | 6.6 | |
通算 | 121 | 113 | 30.8 | .480 | .241 | .731 | 7.5 | 2.4 | 1.0 | 1.4 | 2.1 | 12.1 |
映画出演
[編集]コート外
[編集]- 1990年、レイカーズのチームメート、A・C・グリーン、マイカル・トンプソンと共にシックのCMに出演した。
- 妻との間に2人の息子とコソボ解放軍に両親を殺された養女がいる。
脚注
[編集]- ^ a b c Slobodan Georgijev (2007年9月20日). “Srbin broj jedan van Srbije” (Serbian). Vreme. 2010年4月26日閲覧。
- ^ a b 塚本清彦 (2009年12月4日). “NBAへの道vol.2”. Jスポーツ. 2010年4月26日閲覧。
- ^ “コートの 内外 で 、偉業を成し遂げるブラディー・ディバッツとペジャ・ストヤコビッチ”. nba.com. 2010年4月26日閲覧。
- ^ “ブラデ ディバッツ、キングスの永久欠番に”. BASKETBALLNAVI (2009年3月31日). 2010年4月26日閲覧。
- ^ [1] アルビダス・サボニス、シェリル・ミラーらと共にFIBAの殿堂入りを果たす nba.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、ESPN、Eurobasket、RealGM
- ユーロリーグ50-ブラデ・ディバッツ-
- interbasket.netプロフィール