ブザンソン包囲戦
表示
ブザンソン包囲戦 | |
---|---|
ブザンソン包囲戦における ルイ14世、アダム・フランス・ファン・デル・メーレン作、1674年。 | |
戦争:仏蘭戦争 | |
年月日:1674年4月19日 - 5月22日 | |
場所:ブルゴーニュ伯領(スペイン領)ブザンソン | |
結果:フランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | ネーデルラント連邦共和国 スペイン王国 |
指導者・指揮官 | |
ルイ14世 セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン |
|
戦力 | |
70,000 | |
| |
ブザンソン包囲戦(ブザンソンほういせん、英語: Siege of Besançon)は仏蘭戦争中の1674年4月19日から5月22日にかけて行われた、フランス王国によるブザンソンの包囲。
背景
[編集]1672年に開戦した仏蘭戦争はその2年目まで主にネーデルラント連邦共和国を戦場としたが、1673年に反フランス同盟が結成され、さらにイングランド王国が1674年2月にフランス支持を撤回すると[1]、フランス軍は撤退を余儀なくされた。1674年春、フランス王ルイ14世は軍勢7万を率いてフランシュ=コンテに侵攻した。ルーヴォワ侯爵はサラン=レ=バンとドルを落としてからブザンソンを攻撃しようとしたが、ヴォーバンはブザンソンを先に落とすべきだと進言、結局ヴォーバンの意見が採用された[2]。
包囲
[編集]4月26日にブザンソンに到着すると、ヴォーバンは大砲36門をブザンソンの西にあり、城塞を眺望できるショーダンヌ山に設置しようとした。大砲は夜中、ラバと兵士によって山上に運ばれ[3]、それ以降ブザンソンは絶え間なくフランス軍の砲撃に晒された。ブザンソンの町は5月15日に、城塞は22日に降伏した。
止血帯の使用
[編集]ブザンソン包囲戦の最中、フランス軍の軍医エティエンヌ・J・モレル(Etienne J. Morel)が負傷による出血を止めるために止血帯を使い、止血帯がはじめて使われる例となった[4]。
脚注
[編集]- ^ Collectif. Sous la direction de Jacques Garnier. Dictionnaire Perrin des guerres et des batailles de l'histoire de France, Paris, Perrin, 2004, 906 p. (ISBN 2262008299), pp. 144-145.
- ^ Bernard Pujo, Vauban, Paris, Albin Michel, 1991, 374 p. (ISBN 222605250X), p. 74.
- ^ Bernard Pujo, Vauban, Paris, Albin Michel, 1991, 374 p. (ISBN 222605250X), p. 75.
- ^ “A History of Prosthetics and Amputation Surgery”. Prosthetics.org.uk. 2017年10月7日閲覧。