アウグスタの海戦
表示
アウグスタの海戦 | |
---|---|
アウグスタの海戦、アンブロワーズ・ルイ・ガルネレー作、19世紀。 | |
戦争:仏蘭戦争 | |
年月日:1676年4月22日 | |
場所:シチリア王国、アウグスタ沖 | |
結果:戦術的には決着せず、戦略的にはフランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
ネーデルラント連邦共和国 スペイン王国 |
フランス王国 |
指導者・指揮官 | |
ミヒール・デ・ロイテル (DOW) | アブラハム・デュケーヌ |
戦力 | |
オランダ:戦列艦13隻、フリゲート4隻 スペイン:戦列艦4隻、フリゲート5隻 |
戦列艦29隻 |
| |
アウグスタの海戦(アウグスタのかいせん、英語: Battle of Augusta)は仏蘭戦争中の1676年4月22日、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)とスペイン王国の連合艦隊とフランス王国の艦隊の間の戦闘。戦闘はシチリア島の海岸、シラクサ近くで行われた。
歴史
[編集]ストロンボリの海戦の後、オランダとスペインの連合艦隊はフランス艦隊と再び相対した。アブラハム・デュケーヌ率いるフランス艦隊は戦列艦29隻で合計2,200門であった。ミヒール・デ・ロイテル率いる連合艦隊は戦列艦17隻(うち4隻はスペイン船)とフリゲート9隻(うち5隻はスペイン船)だった。
連合艦隊の前衛はすぐにフランス艦隊を攻撃、フランス船数隻を離脱させたが、連合艦隊の中央にいるスペイン船が退いたためオランダ艦隊はフランス艦隊に押された。しかしヤン・デン・ハーン率いるオランダ艦隊の後衛が勇猛に戦ったおかげで前衛が救われた。
戦闘は決着つかないまま終結したが、ロイテルは重傷を負って数日後に死亡、オランダ艦隊は最も重要な指揮官を失った。
両艦隊は同年のパレルモの海戦で三たび戦った。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Gerard Brandt: Het leven en het bedrijf van den Heere Michiel de Ruyter. Een zeer uitgebreide biographie die met medewerking van de Ruyters weduwe en kinderen werd geschreven. Amsterdam 1687.
- Charles Ralph Boxer: The Anglo-Dutch Wars of the 17th Century, Her Majesty's Stationery Office, London 1974.
- Bruijn, Jaap R. (1998) (オランダ語). Varend Verleden. De Nederlandse Oorlogsvloot in de 17e en 18e Eeuw. Amsterdam: Balans. ISBN 90-5018-407-3
- Pemsel, Helmut (2005) (ドイツ語). Weltgeschichte der Seefahrt. 2. Wien
- Blackmore, David S. T. (2011) (英語). Warfare on the Mediterranean in the Age of Sail: A History, 1571-1866. McFarland. pp. 98-99. ISBN 978-0-7864-4799-2