フレッシュ・アンド・ブラッド (ロキシー・ミュージックのアルバム)
『フレッシュ・アンド・ブラッド』 | ||||
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ロキシー・ミュージック の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1979年-1980年 ロンドン、ベイシング・ストリート・スタジオ ギャラリー・スタジオ | |||
時間 | ||||
レーベル | EGレコード | |||
プロデュース | ロキシー・ミュージック、レット・デイヴィス | |||
ロキシー・ミュージック アルバム 年表 | ||||
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『フレッシュ・アンド・ブラッド』(Flesh and Blood)は、ロキシー・ミュージックが1980年に発表したアルバム。通算7作目のスタジオ・アルバムに相当する。
解説
[編集]経緯
[編集]約2年半の解散を経て1979年2月に発表された前作『マニフェスト』は、全英アルバムチャートで最高位7位[1]を記録してチャートに34週間に渡って登場し続け、全米チャートでも最高位23位[2]を記録した。アルバム発表に伴なって行なわれたワールド・ツアー[注釈 1]も成功に終わった。
その年の後半、新作アルバムの制作が始まる前にドラマーのポール・トンプソン[注釈 2]が音楽の違いを理由に脱退した[3]。トンプソンを失ったロキシー・ミュージックはブライアン・フェリー(ヴォーカル、キーボード)、フィル・マンザネラ(ギター)、アンディ・マッケィ(オーボエ、サクソフォーン)の3人になった。彼等はベーシスト、キーボーディストに加えて[注釈 3]ドラマーもアラン・シュワルツバーグ、サイモン・フィリップス、アンディ・ニューマークといったセッション・ミュージシャンを起用して本作を制作した。
内容
[編集]本作では、ロキシー・ミュージックのオリジナル・アルバムの中で唯一、他人の曲が取り上げられている[注釈 4]。「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」はウィルソン・ピケットとスティーヴ・クロッパーの共作で、ピケットが1965年に発表した同名アルバム[4]に収録された。「霧の8マイル」はザ・バーズが1966年に発表したヒット曲である。
収録曲
[編集]- LP
- CD
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「イン・ザ・ミッドナイト・アワー(In the Midnight Hour)」 | スティーヴ・クロッパー、ウィルソン・ピケット | |
2. | 「オー・イエー(Oh Yeah)」 | ブライアン・フェリー | |
3. | 「セイム・オールド・シーン(Same Old Scene)」 | フェリー | |
4. | 「フレッシュ・アンド・ブラッド(Flesh and Blood)」 | フェリー | |
5. | 「マイ・オンリー・ラヴ(My Only Love)」 | フェリー | |
6. | 「オーヴァー・ユー(Over You)」 | フェリー、フィル・マンザネラ | |
7. | 「霧の8マイル(Eight Miles High)」 | ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、ロジャー・マッギン | |
8. | 「レイン・レイン・レイン(Rain Rain Rain)」 | フェリー | |
9. | 「ノー・ストレイト・ディライト(No Straight Delight)」 | フェリー、マンザネラ | |
10. | 「ランニング・ワイルド(Running Wild)」 | フェリー、マンザネラ | |
合計時間: |
参加メンバー
[編集]ミュージシャン
[編集]※番号はCDのトラック・ナンバーを示す。
- ブライアン・フェリー - ヴォーカル、キーボード、ギター(4)
- フィル・マンザネラ - ギター
- アンディ・マッケイ - オーボエ、サクソフォーン
- アラン・シュワルツバーグ - ドラム(1-3、6-10)、パーカッション(4、5)
- アンディ・ニューマーク - ドラム(4、5)
- ゲイリー・ティブス - ベース(1)
- アラン・スペナー - ベース(3、4、5、8、10)
- 二ール・ジェイソン - ベース(2、7、9)
- サイモン・フィリップス - パーカッション(5)
- ニール・ハバード - ギター(1、5、7、8)、リズム・ギター(2、10)
- ポール・キャラック - ストリングス(2)、ピアノ(10)、オルガン(10)
制作
[編集]- エンジニアリング - レット・デイヴィス
- ミキシング - ボブ・クリアマウンテン
- マスタリング - ロバート・C・ラドウィック
- プロデューシング - ロキシー・ミュージック、レット・デイヴィス
ツアー
[編集]本作発表後のツアーに際して、ロキシー・ミュージックは既に脱退していたトンプソンの助力を仰いで同意を得ていた。しかしトンプソンはツアーが始まる前にバイクの事故で親指を負傷してしまったので、結局参加できなかった[5]。
1980年5月末に始まったツアーはフェリー、マンザネラ、マッケイ、ポール・キャラック(キーボード)、アンディ・ニューマーク(ドラム)、ニール・ハバード(ギター)の顔ぶれで行なわれた。彼等は7月中旬までヨーロッパ各国、引き続いて8月上旬までイギリス国内でコンサートを行なった[6]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Buckley (2004), p. 234.
- ^ Buckley (2004), p. 237.
- ^ Chronicle, Evening (6 February 2009). “Interview: Roxy Music's Paul Thompson”. 27 February 2013閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年3月16日閲覧。
- ^ Buckley (2004), pp. 238–239.
- ^ Buckley (2004), pp. 239–240.
注釈
[編集]- ^ 同年4月末には初の日本公演を行なった。ブライアン・フェリー、フィル・マンザネラ、ポール・トンプソンにとっては、1977年のフェリーのソロ公演に続く2度目の来日だった。
- ^ トンプソンはデビュー以来、堅実なドラミングでロキシー・ミュージックの屋台骨を支えて、ファンからは"The Great Paul Thompson"と称され高い人気を得ていた。
- ^ ロキシー・ミュージックは、オリジナル・メンバーのグラハム・シンプソンがデビュー・アルバム(1972年)発表後に脱退してからは、ベーシストの正式メンバーが不在のままで活動してきた。1979年の再結成ではフェリー、マンザネラ、マッケイ、トンプソンの4人が集まり、前作『マニフェスト』とそのツアーでは、準メンバーとして契約したセッション・ミュージシャン達がベースやキーボードを演奏した。
- ^ 彼等は1974年以後のツアーでは、フェリーがソロ・アルバムで取り上げた「はげしい雨が降る」や「ジ・イン・クラウド」を披露していた。
引用文献
[編集]- Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9