フセスラフ・ミクリチ
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フセスラフ・ミクリチ Всеслав Микулич | |
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ロゴジュスク公 | |
在位 | ? - 1186年以前 |
死去 |
1186年以前 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ミクラ・ダヴィドヴィチ |
フセスラフ・ミクリチ(ニコラエヴィチ)(ロシア語: Всеслав Микулич (Николаевич)、? - 1186年以前)は、リューリク朝、ポロツク・イジャスラフ家(ru)出身の公(クニャージ)である。史料上、ロゴジュスク公として最初に言及されている人物である[1]。
概要
[編集]フセスラフの出自は明らかではない。父ミクラの名は、フセフラフの父称から割り出されたものであり、ポロツク公ダヴィドの孫にあたるのではないかと推測されている。
1180年、他のポロツク・イジャスラフ家の諸公と共に、チェルニゴフ公スヴャトスラフに助成して、スモレンスク公ダヴィドと戦ったことが記されている[2]。
フセスラフのその後は明らかではないが、『イパーチー年代記』の1186年の項には、ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチという人物がロゴジュスク公として言及されている。
出典
[編集]- ^ Алексеев, 1966, с. 76.
- ^ 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172~1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、260頁、CRID 1390572174762668032、doi:10.15099/00017841、hdl:10110/00017841、ISSN 03865975。
参考文献
[編集]- Полное собрание русских летописей.— Т. II. — С. 124.
- Довнар-Запольский. «Очерк истории Кривичской и Дреговичской земель до XIII века». — С. 140, 157.
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