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フセスラフ・ミクリチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フセスラフ・ミクリチ
Всеслав Микулич
ロゴジュスク公
在位 ? - 1186年以前

死去 1186年以前
家名 リューリク家
父親 ミクラ・ダヴィドヴィチ
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フセスラフ・ミクリチ(ニコラエヴィチ)ロシア語: Всеслав Микулич (Николаевич)、? - 1186年以前)は、リューリク朝、ポロツク・イジャスラフ家(ru)出身の公(クニャージ)である。史料上、ロゴジュスク公として最初に言及されている人物である[1]

概要

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フセスラフの出自は明らかではない。父ミクラの名は、フセフラフの父称から割り出されたものであり、ポロツク公ダヴィドの孫にあたるのではないかと推測されている。

1180年、他のポロツク・イジャスラフ家の諸公と共に、チェルニゴフ公スヴャトスラフに助成して、スモレンスク公ダヴィドと戦ったことが記されている[2]

フセスラフのその後は明らかではないが、『イパーチー年代記』の1186年の項には、ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチという人物がロゴジュスク公として言及されている。

出典

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  1. ^ Алексеев, 1966, с. 76.
  2. ^ 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172~1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、260頁、CRID 1390572174762668032doi:10.15099/00017841hdl:10110/00017841ISSN 03865975 

参考文献

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先代
ロゴジュスク公
? - 1186年以前
次代
ヴァシリコベラルーシ語版