ミクラ・ダヴィドヴィチ
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ミクラ・ダヴィドヴィチ Микула Давыдович | |
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クニャージ | |
在位 | 12世紀 |
子女 |
フセスラフ イジャスラフ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ポロツク公ダヴィド? |
ミクラ・ダヴィドヴィチ(ロシア語: Микула Давыдович)は、12世紀の、ポロツク公家(ポロツク・イジャスラフ家(ru))出身のクニャージ(公)である。
12世紀末のロゴジュスク公フセスラフの父称(ミクリチ)より、ミクラという名が確認できる。E.ザゴルリスキー(ru)は1994年の著書において、ミクラをポロツク公ダヴィドの子とし[1]、後(1998年)にミンスク公グレプの子か孫、あるいはグレプの子フセヴォロド(be)と同一人物(フセヴォロドの聖名がミクラ)である可能性をも示唆した[2]。V.ノセヴィチ(ru)もまたミンスク公グレプの子と推測している。また、O.ラポフ(ru)はイジャスラヴリ公ヴォロドシャの子ではないかと論じている。
ミクラの子としては、上記のフセスラフとイジャスラフ(異説あり)が挙げられるが、ミクラの孫・子孫に関しては明らかではない。