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フジワラプロダクションズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社フジワラプロダクションズ
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 フジワラプロ
本社所在地 日本の旗 日本
160-0012
東京都新宿区南元町14
設立 1921年 藤原商会創立
1959年 設立
業種 サービス業
事業内容 ドキュメンタリー映画の撮影・製作
CF・PRビデオの制作請負
代表者 藤原照雄
資本金 10,000,000円
関係する人物 藤原幸三郎
外部リンク fujiwara-pro.com
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株式会社フジワラプロダクションズは、日本の映像制作プロダクションである[1]。1921年(大正10年)に撮影技師藤原幸三郎藤原商会(ふじわらしょうかい)として設立し、ドキュメンタリー映画教育映画を手がけた[2]

データ

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略歴・概要

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霞ヶ浦航空隊基地に来航したツェッペリン伯号。

吉沢商会を経て日活向島撮影所で「技手」として、撮影技師・編集技師を兼ねた仕事をし、同撮影所の技師長を務めた藤原幸三郎が独立し、1921年(大正10年)、青山に設立した映画の現像場・藤原商会が前身である[1][2]。当時の日活向島の技手は、撮影・現像・編集を兼ねていたので[3]、藤原には機材と現像場があれば撮影の仕事は可能であった。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際には、その記録映画を製作した[1]。1929年(昭和4年)の飛行船ツェッペリン伯号来日の際には『ツェッペリン飛行船来日記録』を撮影した[1]

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月、強制疎開のため現像場を閉鎖した[1]

戦後1959年(昭和34年)、株式会社化し、株式会社フジワラプロダクションズとして設立、テレビCFを中心に制作を行う[1]ノンスメル白元)、ハトヤ、富久娘(富久娘酒造)等のCFを手がけた。

1998年(平成10年)11月、日本映画建碑委員会が、日活向島撮影所の跡地である墨田区立堤小学校に「近代映画スタジオ発祥の地」の碑を交流する際、墨田区教育委員会日本映画テレビ技術協会日本大学藝術学部日活とともに協賛に名を連ねた[4]

関連事項

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  1. ^ a b c d e f 会社概要、フジワラプロダクションズ、2009年12月14日閲覧。
  2. ^ a b 『日本教育映画発達史』、田中純一郎蝸牛社、1979年、p.54.
  3. ^ 『日本映画史発掘』、田中純一郎、冬樹社、1980年、p.128-132.
  4. ^ 「近代映画スタジオ発祥の地」碑文。

外部リンク

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