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フィッセルヘーヴェデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡: ローテンブルク(ヴュンメ)郡
緯度経度: 北緯52度59分05秒 東経09度34分42秒 / 北緯52.98472度 東経9.57833度 / 52.98472; 9.57833座標: 北緯52度59分05秒 東経09度34分42秒 / 北緯52.98472度 東経9.57833度 / 52.98472; 9.57833
標高: 海抜 70 m
面積: 159.2 km2
人口:

9,747人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 61 人/km2
郵便番号: 27374
市外局番: 04262
ナンバープレート: ROW, BRV
自治体コード:

03 3 57 051

行政庁舎の住所: Marktplatz 2
27374 Visselhövede
ウェブサイト: www.visselhoevede.de
首長: アンドレ・リューデマン (André Lüdemann)
郡内の位置
地図
地図

フィッセルヘーヴェデドイツ語: Visselhövede, ドイツ語発音: [fisl̩ˈhøːvədə][2]低地ドイツ語: Visselhöövd)は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ローテンブルク(ヴュンメ)郡に属す小都市である。リューネブルガー・ハイデに位置する。

地理

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位置

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フィッセルヘーヴェデはブレーメンハンブルクハノーファーの三都市の中心であるリューネブルガー・ハイデ辺縁部フィッセル川(フィッセルバッハ川ともいう)沿いに位置する。市域は主に農業用地が占めている (107.09km2)。26.44km2が森林、5.22km2が建築・公用地である。この街は海抜70mに位置する。市内の最高地点はドレーゲンボステル市区のヘレンベルクで93.4mである。中核市区からフィッセル川、ヒディンゲン市区からローダウ川が湧出する。アラー川右岸の支流である全長22kmのレールデ川も市内に湧出する。

市の構成

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フィッセルヘーヴェデは中核市区の他、14の周辺市区からなる。ブレックヴェーデル、ブーフホルツ、ドレーセル、ドレーゲンボステル、ヒディンゲン、イェディンゲン、ケッテンブルク、リューディンゲン、ニンドルフ、オッティンゲン、ローゼブルーフ、シュヴィッチェン、ヴェーンゼン、ヴィットロフである。住民のほぼ半数が中核市区、残りの半数が周辺市区に分かれて住んでいる。

隣接する市町村

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フィッセルヘーヴェデ市と直接境を接する市町村は、キルヒリンテルンフェルデン郡)、ザムトゲマインデ・ボテルノイエンキルヒェンゾルタウボムリッツヴァルスローデ(以上、4つはハイデクライス郡

ボテル (14km)
ローテンブルク (ヴュンメ) (19km)
トーシュテット (51km) ノイエンキルヒェン (11km)
シュネーファーディンゲン (21km)
フェルデン (アラー) (26km)
ブレーメン (66km)
ゾルタウ (21km)
ニーンブルク (ヴェーザー) (62km) ヴァルスローデ (15km)
ハノーファー (77km)
バート・ファリングボステル (17km)

歴史

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中世

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フィッセルヘーヴェデはフィッセル川の水源の周りに発展した。ここには異教の霊場があった。現存するこの街の最初の文献記録は1258年のものである。1288年の文献は、フィッセルヘーヴェデの下位統治権がフェルデン司教コンラートに移った事を示している。

1432年にフィッセルヘーヴェデ教会区は戦闘によって甚大な被害を受け、中核部は焼失した。フェルデン司教ヨハンは城壁と堀を備え、出入りを2つの門に限定した新しい町を建設した(1450年)。これによってこの町は「フレッケン」の称号を獲得した。

近世

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1567年宗教改革がなされた。1629年皇帝復旧勅令によってカトリックに復帰したが、1631年に最終的にプロテスタントの町となった。

1645年にフィッセルヘーヴェデは他のフェルデン公領とともにスウェーデン領となった。1712年デンマーク領となった後、1719年ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがフェルデン公領とともにこの町を獲得した。1805年から1813年までの間はナポレオンに占領され、フランス領となった。1813年10月12日にプロイセン軍によってフランス支配から解放された。その後、フィッセルヘーヴェデはハノーファー王国に属した。1866年以降80年間はプロイセンに属したが、この体制は1946年に戦勝国によって解体された。

19世紀から20世紀

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1874年のアメリカ線建設により、フィッセルヘーヴェデは鉄道網に結びついた。1890年ヴァルスローデを経由してハノーファーに向かう路線(1986年廃止)が、1906年にはブロッケルを経由してローテンブルク (ヴュンメ) に至る路線(1974年から1982年の間に廃止)が開通した。

1938年にフィッセルヘーヴェデは「都市」の称号を得た。1974年に市町村再編のために近隣の14の町村が合併した。

行政

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市議会は26議席からなる。

紋章

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フィッセルヘーヴェデの紋章は銀地に黒いナーゲル十字(下端が尖った十字)。その中央に金のボウルが置かれ、その中に洗礼者ヨハネの首が描かれている。

この紋章は1948年から公式な市章として使われている。これ以前、司教領主エーバーハルト・フォン・ホレ統治下の1581年には別の紋章が用いられていたことが分かっている。

文化と見所

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聖ヨハニス教会

この町の見所としては、マルクト広場や小径がある旧市街、12世紀建造の聖ヨハニス教会、フィッセル川水源地や市庁舎が挙げられる。

ブルク通りの修復された旧ビュルガーハウス(ブルジョア階級の市民の家)は、現在フィッセルヘーヴェデ文化・郷土協会の本部となっている。2006年に歴史的なハイデ倉庫周辺がフィッセルホーフとして整備された。

都市近代化整備の一環で、当時あったハチミツミツロウ製造のゾンネンタウは高さ27mの水道塔を一部修復した。水道塔と当時の事務棟には現在、現代美術のギャラリーとアトリエが造られている。2007年からは戸籍役場の出張所が水道塔内に設けられている。結婚する者はここで手続きができる[3]

宗教

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プロテスタント・ルター派

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信仰を持つ住民の多くはプロテスタントルター派教会(フィッセルヘーヴェデ区の聖ヨハニス教会、ヴィットロフ区の礼拝堂)に属す。これらはブロッケルの聖十字教会、キルヒヴァルゼーデの聖バルトロメウス教会とともにローテンブルク/ヴュンメ教会クライスのフィッセルヘーヴェデ教会地域を形成している。

ローマ・カトリック教会

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カトリック教会はフィッセルヘーヴェデ(ヘルツ・イェズ教会)、ヴァルスローデバート・ファリングボステルボムリッツ=ベーネフェルトの教会が教会組織を形成している。

イスラム教

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イスラム教の信者は主にトルコ人クルド人の家族であるが、アラブ人イラン人パキスタン人の家族もいる。彼らはローテンブルク (ヴュンメ)、フェルデン (アラー)、ブレーメンあるいはヴァルスローデの組織に属す。

その他の宗教

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これらの他に新使徒派教会の組織もある。フィッセルヘーヴェデでは、ドイツ全土がそうであるように無宗教の割合が増加している。

経済と社会資本

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フィッセルヘーヴェデは工業が乏しい街である。かつてこの街にはマッチ製造、ボンボン菓子製造、乗り物製造の工場があった。現在の最も重要な会社は鉱油卸の企業である。

フィッセルヘーヴェデは連邦軍の所在地である。レーンスハイデ兵舎(2006年1月まではメルダース兵舎という名称であった)には 第285災害救護大隊が配置されている。1972年から1992年まではここにコントロール・アンド・レポーティング・センターもあった。

NDR超短波テレビの送信所を運営している。アンテナの高さは167mで、1974年に建設された。NDRの放送だけでなく、ヒットラジオ・アンテナや ffn といった民放プログラムや、イギリスのBFBS 1も放送している。

社会施設

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フィッセルヘーヴェデは大規模な養護施設の所在地である。最寄りの病院はローテンブルク (ヴュンメ) のディアコニー病院、ヴァルスローデのハイデ郡病院およびフェルデンのアラー=ヴェーザー病院である。健康保険医の救急医療業務については、フィッセルヘーヴェデはヴァルスローデ管区に属す。フィッセルヘーヴェデにはドイツ赤十字社の救急本部があり、ヨハニター事故救急連盟の救護隊詰め所や継続教育に利用される本部がある。健康保険医の救急業務はヴァルスローデ病院の救命救急医が担当する。

交通

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フィッセルヘーヴェデ駅

鉄道

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フィッセルヘーヴェデには、ユルツェン - ラングヴェーデル線の駅がある。この路線はかつては複線であったが、1987年から単線となり、電化はされていない。以前は、ヴィットルフブロッケルを経由してローテンブルク (ヴュンメ) に至る路線と、ヴァルスローデ行きのブレーマーフェルデ - ヴァルスローデ線もあったが、現在ではこれらの路線は撤去されている。

道路

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フィッセルヘーヴェデは連邦道B440号線(ローテンブルク (ヴュンメ) - ドルフマルク)と州道L171号線(フェルデン (アラー) - ノイエンキルヒェン)に面している。周辺のアウトバーンは、ハンブルク方面へはバート・ファリングボステル=ドルフマルク経由でA7号線を利用するか、ラーデ経由でA1号線を利用する。A27号線を使ってブレーメン方面へ向かうにはフェルデン経由、ハノーファー方面に向かうにはヴァルスローデを経由してこれを利用する。

近郊旅客交通

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市内交通は基本的に市民バスシステムが担っている。本数が少なかったヴァルスローデ行きのバスは2004年の末に廃止された。これ以外ではヴェーザー=エムス・バスGmbHがローテンブルク (ヴュンメ)行きのバスを運行している。

人物

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出身者

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引用

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  1. ^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2023
  2. ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 823. ISBN 978-3-411-04066-7 
  3. ^ Rotenburger Rundschau, 14.05.2007

参考文献

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  • Klaus Heinzel: Visselhövede: Chronik einer Stadt, Geiger-Verlag, 1999, ISBN 3-89570-568-3.
  • Hrsg. Fremdenverkehrsverein Visselhövede e. V.: Aus dem Werdegang und der Geschichte der Stadt Visselhövede, Züclam, 1988.