フアン・コボ
フアン・コボ(Juan Cobo、1546年? - 1592年)は、スペインのドミニコ会修道士、中国学者。フィリピンの中国人居住区で宣教活動を行った。1592年に豊臣秀吉に対する使節として日本を訪れた。中国名は高母羨(Gāomǔ Xiàn、福建語:ko-bó soān)。
略歴
[編集]コボはコンスエグラに生まれたが、フィリピンに渡る以前の経歴についてはよくわからない。メキシコ経由で1588年にフィリピンに渡り、マニラのパリアン(中国人居住区)の教会で働いた[1]。コボはそこで中国語(福建語)を学び、中国にはいって宣教することを目指していた[2]。
1592年に豊臣秀吉はフィリピンに対して降伏と朝貢を要求してきた。フィリピン総督のゴメス・ペレス・ダスマリニャスはコボをその答使として日本に送った。コボは名護屋で秀吉に面会したが、フィリピンに帰る途中、船は遭難して台湾に漂着し、コボを含む一行の大部分は原住民に殺害された[1]。
主な著書
[編集]コボは『明心宝鑑』(Beng Sim Po Cam)をスペイン語に翻訳した(印刷されず、スペイン国立図書館蔵)。これは知られるかぎり漢籍の最古の西洋近代語訳である[3]。
- Libro chino intitulado Beng Sim Po Cam que quiere decir Espejo rico del claro corazón. (ca. 1590) (Biblioteca Digital Hispánica)
『Doctrina Cristiana en Letra y Lengua China』は1593年にマニラで出版されたキリスト教の入門書の中国語版で、フィリピンで最初に出版された書物のひとつ。著者名は記されていないがコボによると考えられている[4]。
- Doctrina Christiana en letra y lengua china. (1593) (University of Santo Tomas, 後ろから読む)
『実録』(辯正教真伝実録)は1593年にマニラで出版された対話形式のカテキズムで、中国語で書かれたカテキズムとしてはミケーレ・ルッジェーリの『天主実録』についで二番目に古い[5][6]。単なる宗教的な内容以外に、天文・地理・生物に関する科学的な説明を図解入りで含む[7]。
- 『辯正教真伝実録』民希臘、1593年 。 (Biblioteca Digital Hispánica)
脚注
[編集]- ^ a b Borao Mateo (2000) p.104
- ^ Liu (2004) p.45
- ^ Fan/Cobo [transl.]: Libro chino intitulado Beng Sim Po Cam …, Bibliotheca Sinica 2.0
- ^ Wolf (1947)
- ^ Liu (2004) p.48
- ^ Cobo: 辯正教真傳實録 – Apología de la verdadera religión, Bibliotheca Sinica 2.0
- ^ Liu (2004) pp.48-49
参考文献
[編集]- Borao Mateo, José Eugenio (2000). “The Catholic Dominican Missionaries in Taiwan, 1626-1642”. Leuven Chinese Studies (Special issue on Missionary Approaches and Linguistic in Mainland China and Taiwan): 101-132 .
- Liu, Dun (2004). “Western Knowledge of Geography Reflected in Juan Cobo's Shilu 实录 (1593)”. In Luís Saraiva. History of Mathematical Sciences: Portugal and East Asia II. World Scientific. pp. 45-57. ISBN 981270230X
- Wolf, Edwin, 2nd, ed (1947). Doctrina Christiana: The first book printed in the Philippines, Manila, 1593. (Project Gutenberg)
外部リンク
[編集]- 潘貝頎『高母羨和玫瑰省道明會傳教方法研探』天主教會台灣地區主教團、1999年 。