トマス西
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聖トマス西 | |
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ドミニコ会司祭 | |
教会 | カトリック教会 |
聖職 | |
司祭叙階 | 1626年 |
個人情報 | |
出生 |
1590年 豊臣政権 肥前国 松浦郡 生月島 (現・ 日本 長崎県平戸市) |
死去 |
1634年(寛永11年) 江戸幕府 肥前国 長崎 西坂 |
両親 |
父:ガスパル西 母:ウルスラ・トイ |
聖人 | |
記念日 | 9月28日 |
崇敬教派 | カトリック教会 |
称号 | 殉教者 |
列福 |
1981年2月18日 フィリピン マニラ |
列福決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
列聖 |
1987年10月18日 ローマ |
列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 - 1634年(寛永11年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教(カトリック)の司祭。1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人としてカトリック教会の聖人に列せられた。
生涯
[編集]1590年(天正18年)、ガスパル西の次男として肥前国松浦郡生月島(現在の長崎県平戸市)で誕生。母はウルスラ・トイ。両親は敬虔なキリシタンであり、自身もカトリックの幼児洗礼を受けた。幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)のセミナリオで勉学に励み、同宿(教会や修道院で奉仕する人)になり、1620年にマニラに渡る。1624年、ドミニコ会に入り「ロザリオのトマス」の修道名を授かる。1626年、司祭に叙階され、帰国して迫害に苦しむ信者たちを励まし秘跡を授け、江戸幕府の役人の目から逃れてきた。しかし、ともに司牧にあたっていた同会のジョルダーノ・アンサローネ神父を看病している最中に捕らえられ、長崎に連行された。拷問を受け棄教を迫られたがそれに屈せず信仰を貫き、1634年(寛永11年)11月17日、西坂の丘で逆さ吊りの刑を受け殉教(死去)した[1]。
同時期に殉教したドミニコ会関係者15人とともに、1981年にマニラでカトリック教会の福者にあげられ、6年後の1987年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された[1]。同時に列聖されたヤコボ朝長、ビセンテ塩塚とともに、日本人司祭として初めての聖人となった。
脚注
[編集]- ^ a b “聖トマス西と15殉教者”. カトリック中央協議会 (1988年8月30日). 2022年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 『キリストの証し人』 フーベルト・チースリク著 聖母の騎士社
外部リンク
[編集]- “生月の殉教者 ガスパル西玄可とその家族”:カトリック中央協議会
- “生月学講座 No.076「ガスパル西玄可の殉教」”:島の館