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ハリー・カーネイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハリー・カーネイ
左から順に、クリス・ゲージ、ルイ・ベルソン英語版、スタン・ "カドルス"・ジョンソン、トニー・ゲージ、フレーサー・マクファーソン英語版、ハリー・カーネイ
基本情報
出生名 ハリー・ハウエル・カーネイ
生誕 (1910-04-01) 1910年4月1日[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン[1]
死没

1974年10月8日(1974-10-08)(64歳没)

[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク[1]
ジャンル ジャズ
職業 ジャズ・ミュージシャン
担当楽器 バリトンサクソフォン, クラリネット
活動期間 1927年 - 1974年
共同作業者 デューク・エリントン

ハリー・ハウエル・カーネイ(Harry Howell Carney:1910年4月1日 - 1974年10月8日[1])はアメリカ合衆国ジャズ・ミュージシャン。主にデューク・エリントン楽団での45年間の活動で知られている。初期にはアルトサックスクラリネットバスクラリネットも演奏したが、後にバリトン・サックスを演奏するようになり、バリトン・サックスにおける名人芸は後進の世代に影響を与えた。

生涯

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デビュー前

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1910年4月10日にマサチューセッツ州ボストンで生まれ[1]、将来バンド仲間となる、4歳年上のジョニー・ホッジスと幼馴染として幼少期を過ごした[2]。6歳でピアノ、13歳でクラリネット、14歳でアルト・サックスを学んだ[1]。その後、ボストン市内のクラブにて、初めて演奏者として演奏した[1]

初期の演奏は、クラリネット奏者であるバスター・ベイリー英語版(Buster Bailey)やシドニー・ベシェドン・マレイ英語版(Don Murray)に影響を受けた[3]他、バリトン・サクソフォンの演奏については、コールマン・ホーキンスエイドリアン・ロリーニ英語版に影響を受けたと後に語っている[4]

デビュー後

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手前右のジョニー・ホッジスの右にいるのがカーネイ。その右はジャンゴ・ラインハルト(1946年NYC)

17歳でニューヨークで多くのギグをこなした後、1927年にボストンでエリントン・オーケストラへ招かれた[5][注 1]。加入直後である同年10月に行われた最初のセッションの場で、エリントンと録音した[5]。同年末からエリントン・オーケストラはニューヨークのコットン・クラブで活動し始めた[5]

オットー・ハードウィック英語版がバリトン・サックスを担当している間、クラリネットの他にアルト、ソプラノ・サックスを担当した。初期にはクラリネットでルビー・ジャクソン(Rudy Jackson)と、アルト、ソプラノ・サックスでハードウィックと比較された。一例にはカーネイがアルト、ソプラノを、ハードウィックがバリトンを担当した『Blue Bubbles』(1927)がある。

1928年に、エリントンが新たなメンバーを加えてから、カーネイはバリトン・サクソフォンを主に演奏するようになった[5]。このときから、バリトン・サクソフォン奏者としての地位を確立し、1940年代中盤にビバップが成立するまでは、右に並ぶ奏者はいなかった[7]。エリントン楽団の中でも、カーネイが明確に低いピッチで演奏するバリトンの音は、その音よりも高い音色のハーモニーを奏でる際に度々採用され、それによって、バンドの音色の質感が変化した[8]

ハードウィックが1928年にエリントン・オーケストラを去りヨーロッパに行くと、カーネイはリード・アルトを、ホッジスはアルト、ソプラノ・サックスをメインに演奏するようになった。カーネイは『Hot Feet』では、バーニー・ビガードから借り、珍しくテナー・サックスを吹いている。1928年から1942年まではビガードが花形クラリネット奏者だったが、たまにカーネイがクラリネット・ソロを取ることもあった。『Bugle Call Rag』『Rexatious (with Rex Stewart英語版)』『Creole Love Call』(1932)『I Don't Know What Kind of Blues I've Got』『It's Like Reaching For The Moon (with Teddy Wilson and Billie Holiday)』などがそうである。『Saddest Tale』でアルト・クラリネットを、『Blue Light』(1938)でバスクラリネットを吹いている。

1938年1月にカーネギー・ホールにて行われた、ベニー・グッドマン率いるバンドの演奏会に招待された[9]

エリントン・オーケストラがベン・ウェブスターなど五名のソロを大々的に扱うようになると、カーネイのソロは1930年代よりは減った。1939年後半にはウェブスターが、後にはポール・ゴンザルヴェスがテナーを吹いた。1940年代初頭にカーネイはアルトをやめ、ホッジスはソプラノを放棄した。カーネイが共作した『Rockin' in Rhythm英語版』ではクラリネットを吹き、ツアーではいつも人気曲であった。

1932年にハードウィックが戻るとアルトサックスでの演奏の機会は減った。ただ、スチュワートとの1940年のセッションでは『Linger Awhile』『My Sunday Gal』でアルトを担当した。1943年の小品『Symphony in Swing』でもアルトを担当したが、そのあとアルトをやめてしまった。デューク・エリントンの父であるマーサー・エリントン英語版は、自伝でこのことを「彼の音色がサックス・セクションを完全なものにしていたのに」と、残念がっている。

キャリアの後半において、バスクラリネットやクラリネットもたまに演奏したものの、カーネイはバリトン・サックスに専念した。1940年代には『Mood Indigo』『Creole Love Call』『Sugar Hill Penthouse』『The Mooche』『Rockin' in Rhythm』などでクラリネット・ソロを取っている。その後はRussell Procopeのニューオリンズ・スタイルのクラリネットに取って代わられた。

1944年頃には、バス・クラリネットに本腰を入れ[3]、同楽器のパイオニアの一人になった。

1957年に、カーネイはビリー・テイラー英語版が率いるバンドに加入し、Taylor Made Jazz英語版の演奏に参加した[10]

カーネイはエリントン・オーケストラに最も長く所属した[3]。デュークが休む時には楽団の指揮を務めた[要出典]。デュークとは親友だった。メンバーは通常ツアーバスで移動したが、デューク自身はカーネイの運転する車でそれぞれ移動していた[11]。こういった車の旅はジェフ・ダイヤー英語版『But Beautiful: A Book About Jazz|But Beautiful』(1991)(日本語訳:村上春樹訳、ジェフ・ダイヤー『バット・ビューティフル』新潮社2011年刊)でフィクションとして記録されている。

『Frustration』(1944)など多くの曲がカーネイのために書かれた。この曲は、特定のプレーヤーに合うように作曲するというデュークの姿勢が表れた典型の一つである。『Sophisticated Lady』『In a Mellow Tone』などではカーネイのガッシリした演奏をフィーチャーしている。1973年の『Third Sacred Concert英語版』はカーネイのバリトン・サックスを中心に構成された[12][13]

1974年にデュークが死去した際、カーネイは「デュークがいなけりゃ生きる意味がない」と発言した[5]。カーネイの最後の演奏は、アルバム『Continuum』において、マーサーの指揮下で行われる予定であった[3]

デュークの死去から4か月後になる1974年10月8日に、ニューヨークで亡くなった[1]

没後の影響

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ジミー・ハミルトンとハリー・カーネイ, Aquarium NYC, c. 1946年11月に ウィリアム・ゴットリーブが撮影

カーネイの演奏は後進の数世代に影響を与えた。キャリアを通して彼はC.G. Connの楽器を使い、好みのブランドに発注していた。マウスピースはニューヨークのウッドウィンド社(Woodwind Company)のものだった。種類はSparkle-Aire' 5である。大きなマウスピースとコン・ブランドは彼の巨大で豊かなトーンの秘密の一つだった。

彼は循環呼吸の提唱者だった[13]ハミエット・ブルイエット英語版は好きなバリトン演奏者としてカーネイを挙げており、その理由として、ハミエットが観に行ったカーネイのコンサートにて、観客が全員静かになっている状態で演奏しているのを見て「カーネイが時間を止める」と思ったからだと述べている[14]

カーネイはリーダー作品をいくつか残しており、ライオネル・ハンプトンとも録音した。

カーネイの死去から2か月後、ベーシストであるチャールズ・ミンガスは、サイ・ジョンソン英語版が作曲した哀歌『For Harry Carney』を演奏し、自身のアルバム『Changes Two英語版』に収録した[15]

作品

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指揮者として

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演奏者として

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ジョニー・ホッジスとの共作

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その他

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  • ビリー・テイラーと共作、『Taylor Made Jazz』 (Argo英語版, 1959)

出典:[16][17]

脚注

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注釈

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  1. ^ The Cambridge Companion to Duke Ellingtonでは、カーネイは1926年に一度加入した後、1927年に再加入したということが書かれている[6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Willard, Patricia (October 4, 2012), Carney, Harry (Howell), Grove Music Online. Oxford Music Online. Oxford University Press, doi:10.1093/gmo/9781561592630.article.A2227923 
  2. ^ Gioia, Ted (2011). The History of Jazz (2nd ed.). Oxford University Press. p. 119. ISBN 978-0-19-539970-7. https://archive.org/details/historyofjazz00gioia/page/119 
  3. ^ a b c d Harry Carney”. AllMusic. November 24, 2018閲覧。
  4. ^ Sudhalter, Richard M. (2001). Lost Chords: White Musicians and Their Contribution to Jazz, 1915?1945. Oxford University Press. p. 172 
  5. ^ a b c d e Lorre, Sean. “Carney, Harry”. September 19, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  6. ^ Spring, Evan (2014). “Duke Ellington Chronology”. In Green, Edward. The Cambridge Companion to Duke Ellington. Cambridge University Press. p. xiv. ISBN 978-0-521-88119-7 
  7. ^ Berendt, Joachim-Ernst; Huesmann, Gunther (2009). The Jazz Book: From Ragtime to the 21st Century (7th ed.). Lawrence Hill. pp. 339?340. ISBN 978-1-55652-820-0 
  8. ^ Williams, Martin (1993). The Jazz Tradition (2nd ed.). Oxford University Press. p. 101. ISBN 978-0-19-507815-2 
  9. ^ Berish, Andrew (2014). “Survival, Adaptation, and Experimentation: Duke Ellington and His Orchestra in the 1930s”. In Green, Edward. The Cambridge Companion to Duke Ellington. Cambridge University Press. p. 115. ISBN 978-0-521-88119-7 
  10. ^ Taylor, Billy (2013). The Jazz Life of Dr. Billy Taylor. Indiana University Press. p. 206. ISBN 978-0-253-00917-3 
  11. ^ James, Stephen D.; James, J. Walker (2014). “Conductor of Music and Men: Duke Ellington Through the Eyes of His Nephew”. In Green, Edward. The Cambridge Companion to Duke Ellington. Cambridge University Press. p. 44. ISBN 978-0-521-88119-7 
  12. ^ Concert of Sacred Music by Duke Ellington”. Earshot Jazz. 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月28日閲覧。
  13. ^ a b Cottrell, Stephen (2012). The Saxophone. Yale University Press. p. 199. ISBN 978-0-300-10041-9. https://archive.org/details/saxophone0000cott/page/199 
  14. ^ An Interview With Bluiett”. All About Jazz. 2005年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  15. ^ Santoro, Gene (2000). Myself When I Am Real: The Life and Music of Charles Mingus. Oxford University Press. p. 417. ISBN 978-0-19-509733-7. https://archive.org/details/lccn_99046734/page/417 
  16. ^ Cook, Richard; Morton, Brian (1992). The Penguin Guide to Jazz on CD, LP & Cassette (1st ed.). Penguin. ISBN 978-0-14-015364-4 
  17. ^ Cook, Richard; Morton, Brian (2008). The Penguin Guide to Jazz Recordings (9th ed.). Penguin. ISBN 978-0-141-03401-0