コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:高橋洋一 (経済学者)/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

窃盗容疑

[編集]

私は、この人の主張には共感する部分が多いですし、この人を貶めようという気持ちは全くないのですが、窃盗容疑で逮捕された件について本文に何も書かれていない(削除されている)事には、非常に違和感を覚えます。マスメディアで大きく報道されたという経緯があり、公知の事実だと思うのですが、何故なのでしょうか?--124.155.56.181 2009年9月27日 (日) 12:20 (UTC)

私も同感です。2009年8月29日 (土) 07:48 に「ネットへの書き込みを学級新聞とか同人誌と勘違いされてる方は注意したほうがいい。それとも訴訟覚悟なのかな?」というコメントつきで削除編集がなされていますが、ほぼメディア報道に準拠して記事が書かれているのに、メディアよりも先にウィキペディアの記述にこだわるところもどうも解せません。最近は本人周辺から冤罪説も出ているようですし、そのあたりも併せて書いておけばなお宜しいのではないかと思いますけどね。--Ryota7906 2009年10月7日 (水) 18:18 (UTC)

真相はどうであれ、窃盗容疑で起訴猶予になったことで大学教授を懲戒免職にさせたという事実が存在し、結果として著名活動に大きな影響をきたした事件である以上記載すべきでしょう。冤罪主張や名誉毀損回復があるのであれば、それも記載すればいいと思います。--経済準学士 2009年10月7日 (水) 21:48 (UTC)

冤罪説主張について、やむを得ず出典を増やしておきました。私自身この冤罪説を信じているわけではありませんが、Aremakorya さんは編集前に Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン あたりをよく読んでおいてください。--Ryota7906 2009年10月22日 (木) 17:23 (UTC)

「冤罪」については、単に本人が周辺に口頭で主張しているだけで、単なる「言い訳」に過ぎないと判断できます。出典も一般にマスメディアと認識されているものは皆無です。本当に冤罪であるなら、しかるべき法的手段をとるはずです。単に口で言うだけなら誰でも出来ます。また「冤罪だ」と主張するだけなら、司法サイドも特別にリアクションを起こさないでしょう。世にいる冤罪で闘っている受刑者とはまったく異なっています。いたずらに出典を多くしても、何も証明できていません。現在の記述をあらためるべきと考えます。--Backspace2000 2009年11月13日 (金) 00:14 (UTC)
Ryota7906は、2009年10月20日16:19の編集の際、「編集は自分の考えの反映ではなく主だった他人の主張の提示であるべき。冤罪説主張者はJ-CASTでなく高橋・竹内・池田の3氏であることもお間違えのないように」と書いているが、いずれも「高橋サイドの人間」でありまったく客観性がない。彼らが冤罪であるかどうか事実検証したわけではなく、高橋の「言い訳」を垂れ流しているに過ぎない。まして、J-CASTは「主張」しているのではなく高橋サイドの主張を掲載したのみである。もともとJ-CASTは、他のテレビ報道や2chの記述を丸写ししている程度のメディアでニュースソースとすることは甚だ疑問である。これらに基づいて「冤罪」などと記述するのは極めて客観性、中立性を欠く。Ryota7906こそが、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:論争のある記事に関するガイドラインを熟読する必要がある。--Backspace2000 2009年11月13日 (金) 21:12 (UTC)

Backspace2000さんは、Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(特に「この事実関係を確認するという過程は、ウィキペディアでは提供できません。それゆえに、独自研究は載せないという方針と検証可能なことのみ載せるという方針が大変重要となるのです。(注:要するに、査読に相当する機能はウィキペディアの外部に求めよということ)」の部分)、Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン#論争を記述する(たとえば「論争のある人物ないし団体に関する記事は、その人物ないし団体の見解がいかに誤解を含みまた反発を感じさせるものであったとしても、それを正確に記述すべきです。」の部分)などをよくお読みください。真実性の判断や証明、事実検証はウィキペディアで行うべきことではありませんので、ホームページかブログでやるか、自分で原稿を書いて報道機関に持ち込むなりされてはいかがでしょう。

あと J-CAST については、Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン#主張に出典を明記するの「もし情報源自体の立脚点が問題とされているのなら、その情報源の説明を一切避けるのが最善です。かわりに、その情報源について対立する複数の観点を論じている記事へのリンクを(可能であれば)貼るべきです。」の部分でも適用したらいいんですかね。--Ryota7906 2009年11月14日 (土) 17:39 (UTC)

Ryota7906のこういう自分勝手な屁理屈がwikipediaを駄目にするのでしょう。そもそもRyota7906が情報源として提示したものが、単に当事者である高橋洋一の「言い訳」に過ぎなく、その言い訳を垂れ流した取り巻き連中を複数乗せることで、あたかも「情報源が複数ある」と装っているに過ぎません。また「自分で原稿を書いて・・・」など意味不明な煽り文句を書きたてる程度の人間であり、そもそも議論すら出来ない人間であり、話になりませんね。もっとマトモな議論が出来る方の意見をお聞きしたいと思います。--Backspace2000 2009年11月15日 (日) 00:32 (UTC)
Ryota7906が、高橋洋一本人の取り巻き連中の意見を五つも羅列して「出典を増やした」と大威張りで「冤罪説」なるものを記述したので、逆の意見を掲載しました。まさか、今更「個人のブログは出典にならない」などとは言わないでしょうね(笑)。--Backspace2000 2009年11月15日 (日) 00:43 (UTC)

あーあ面倒なことになりましたねえ。実は個人のブログの大部分は出典にならないのです。Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源にこうあります。

自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には、個人のウェブサイトや自費出版業者からの出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。


自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません

というわけで私としても竹内薫氏、池田信夫氏のブログについては、Aremakoryaさんのようなゴリ押しな方がいらっしゃるためやむを得ず出典としたまでのことで、本来は避けたほうがいいわけです。大変残念ですが匿名のブログならなおさらダメだということになります。別に出典の数を増やすことに大して意味もないですし、高橋氏の本(自費出版でなく講談社から出版されているので問題はありません)とJ-CASTだけにしましょうか。正直高橋氏に義理立てする気などさらさらなくただウィキペディアのルールに則ろうととしただけなのですがね。

ところであなた伊丹十三に興味はありませんか。ノート:伊丹十三を見ていただければお分かりかと思いますが、こちらのほうがよっぽど理不尽がまかり通っている気がするんですけど。--Ryota7906 2009年11月16日 (月) 11:40 (UTC)

大変失礼しました。Backspace2000さんが出典としたブログは匿名かと思ったら、切込隊長の項目にあるとおり本名も公表されており、このブログは賞まで受賞しているとのこと。であればWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源
匿名の個人による報告や信頼性を評価するための公表に至る履歴がない報告は、評判を得たことが明らかになるまではまったく引用に値しません。評判を得たことが明らかになった場合は、1つのPOVとして記すことができます。
の最後の文に該当しますね。1つのPOVとしてなら使ってもよいということになります。--Ryota7906 2009年11月16日 (月) 16:24 (UTC)

冤罪説について加筆しました。--はるみエリー会話2017年7月25日 (火) 11:04 (UTC)

「窃盗心理学」?

[編集]

2010年6月17日 (木) 21:54時点IP:202.239.71.176会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏によって「窃盗心理学」なる記述がなされましたが [1]。こんな学問はあるのでしょうか?多分ないと思いますが。--人権 2010年6月21日 (月) 08:14 (UTC)

現在の記事名 「高橋洋一 (官僚)」

[編集]

「(官僚)」という括弧付けですが、(1) 既に退官していること、(2) 人物としての著名性は「官僚」としてではないこと、から、記事名としていささか不適切に思われます。なにか良い対案はないものでしょうか。例えば、「高橋洋一 (経済学者)」など?--Eros618 2010年7月26日 (月) 06:02 (UTC)

改名されました。--219.105.45.224 2010年10月14日 (木) 16:37 (UTC)

不適切なコメントアウト

[編集]

出典がある本人に否定的ではない情報を即刻除去できません。不適切なコメントアウトは行わないで下さい。--はるみエリー会話2017年7月25日 (火) 13:16 (UTC)

不適切なコメントアウトではありません。むしろ、はるみエリーさんの記述内容はWP:POVに反する恐れがあります。そのような記述は不適切な編集です。ご注意ください。--Okiifstation会話2017年7月25日 (火) 14:11 (UTC)
いずれにせよ編集対応により修正してください。Okiifstationさんの基準は、ダブルスタンダードが激しいと感じていますし、コメントアウトは不適切です。--はるみエリー会話2017年7月25日 (火) 14:30 (UTC)
どの記事のどの編集かを特定せず、私という個人そのもの(より正確には、私の全般的な編集基準を指していると推察します)を指して、「Okiifstationさんの基準は、ダブルスタンダードが激しいと感じています」はWP:NPA(個人攻撃は絶対に行ってはなりません。いかなる場合であっても、他の投稿者を攻撃する理由はありません。)に該当する可能性が極めて高いです。くれぐれも、個人攻撃は厳に慎んでください。また、コメントアウトが不適切という指摘は、どの点が不適切か、および不適切な理由を述べてください。本記事の本節に関しては、コメントアウト理由が異なるため、きちんと2段階に分けてコメントアウトしました。1点目の一部ついては、はるみエリーさんもおおむね同意されたようで、ご理解を頂いたため問題ありません。しかし、残課題の二次資料乃至は専門家の見解が記された出典の求めは、未だに提示がありません(私も探したが見つけきれなかったので、まだ提示がないからといってはるみエリーさんを非難することは、今のところ考えていません。現在、探していらっしゃる可能性もあるので。もしそうなら、ゆっくり時間を掛けて探していただいて結構です)。また、2点目の中立性観点(同一出典のみに基づく節のため観点タグを付したこと、同一記事内での異なる見解・当事者(高橋氏)本人の見解を併記したこと)について、いずれも即刻除去されました。中立性の観点から問題があるとの認識はございませんか。また、はるみエリーさんの弁によれば、「出典がある本人に否定的ではない情報を即刻除去できません。」とのことですが、高橋氏自身の見解(多くの人に迷惑をかけたという反省の表明)は否定的ではなく、むしろ当事者本人からの否定的な状況を詫びて自身の名誉を回復する肯定的な情報と考えられます。すなわち、あなたのノートにおける編集方針の見解は矛盾が見られます。あと、本ノートの議論名「不適切なコメントアウト」も、はるみエリーさんが絶対的に正しく、私のコメントアウトが疑いようもなく不適切と読めます。これについて、はるみエリーさんは元より私のコメントアウトが不適切との見解の基づいて議論を始められたからだと思いますが、ノートにおいてはニュートラルな議論名にされた方がよいと考えます(今更、変えなくても結構です。大事なのは議論の中身なので)。--Okiifstation会話2017年7月25日 (火) 15:46 (UTC)
個人の編集方針について批判することが、すべて個人攻撃となるわけではありません。コメントアウトとは、即刻除去に近いと考えていますが、即刻除去しなければならない方針上の理由が示されていません。「高橋氏自身の見解(多くの人に迷惑をかけたという反省の表明)」については、二箇所に重複記載されていたので一箇所のみ(記事の上部)を残しました。--はるみエリー会話2017年7月25日 (火) 16:01 (UTC)
WP活動を行うにあたり編集方針の主な点は目を通したつもりですが、色々な方に指摘(かなり初歩的な指摘も受けました)やお叱りを受けつつ、種々の議論等を学んでいる最中です。自らの不知を承知で、新参者であることに免じてご教授ください。「個人の編集方針について批判することが、すべて個人攻撃となるわけではありません。」は、どのWP方針に基づくのでしょうか。「コメントアウトとは、即刻除去に近い」というのは、はるみエリーさんの私的な見解ですか、WPの公的な見解ですか、それとも議論が尽くされて一応の結論に至った通説ですか。お手数ですが、ご教示いただければ幸甚です。--Okiifstation会話2017年7月25日 (火) 16:14 (UTC)
高橋氏の重複記載については了解しました。ところで、「Okiifstationさんの基準は、ダブルスタンダードが激しいと感じています」について、個人攻撃か否かを問合せ中ですが、仮にWPのいずれかの方針に「個人攻撃ではない」と規定されていても、私はかなりショックを受けています。WPの編集活動が知的好奇心を満たすと思い、ここ最近は折をみて編集活動をしていましたが、同時に自分の編集方針の不知等により、不適切な編集や議論などをして指摘・お叱りを受けてきました。それについては、「やむを得ない、隅々までWP方針を把握していない自分が悪い」と思い、指摘された事項に関する編集方針や議論などを読んできました。それで自分なりに気を付けて編集活動に参加してきたつもりですが、まだ至らない点があるようです。編集は数十回程度はしていると思いますが、まだまだ未熟者だとの思いで、正直心が折れました。ただ、ここでWP活動をやめるというのも違う気がするので、前向きに自分の至らぬ点は積極的に教えを請うて学びたいと考えています。はるみエリーさんから私の基準(編集方針でしょうか?合意形成の仕方でしょうか?はるみエリーさんのコメントからは明定出来ませんでした)がダブルスタンダードが激しいとのご指摘があったので、お手数ですが、3つ、4つ、具体例を挙げていただけないでしょうか。ダブルスタンダードが激しいと指摘されても、数十回以上は編集している記憶があるので、具体例を複数挙げていただかないと思い出せません。「あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。」と私の会話ページにコメントを残されたはるみエリーさんに、ぜひ私の至らぬ点をご教示いただけばと思います。--Okiifstation会話2017年7月25日 (火) 17:26 (UTC)
コメントアウトには、即刻除去のような使用をされることもありますが、他の用途にも使用されます。即刻除去は、Wikipedia:存命人物の伝記存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです)とか、Wikipedia:検証可能性を満たさない記述、Wikipedia:独自研究は載せないに反した記述などに限られると思います。Wikipedia:中立的な観点に反している場合には、Templateを使用したり、偏った記述は帰属化・明確化したり(あまりにもひどい場合は除去する場合もある)、加筆などの編集対応をするべきだと思います。Wikipedia:中立的な観点を理由に、出典がある記述を除去(コメントアウト)して良いという方針ではないことをご確認ください。--はるみエリー会話2017年7月26日 (水) 14:49 (UTC)
「コメントアウトとは、即刻除去に近い」に関し、はるみエリーさんの解説で逆の意味も述べられていて(コメントアウトには(略)他の用途にも使用されます)、やや混乱しましたが、挙げられたWPの方針(『存命人物の伝記』→否定的情報が無出典または貧弱な情報源なら即刻除去、『検証可能性』→出典のない記述は除去されても文句は言えない、『独自研究は載せない』→ゴンリの事例)を読んで、即刻除去について『は』理解しました。はるみエリーさんの指摘を少し補うとすると「3つのWP方針で特に即刻除去に相当するものは、即刻除去。コメントアウトは使い方は複数あるが、記事本文から記述が不可視にされるという観点では、即刻除去とほぼ同じ。」というところでしょうか。このような理解であれば、概ね同意見です。但し、機能としては使い分け(記事から不可視にするが、理由や傍論を書くには編集の要約欄に収まらないので、コメントアウトで記述を不可視にするとともに理由等を書くなど)ができそうです。単純にリバート(簡単な編集の要約付き)では、編集合戦が起こりやすくなるように思います。WP:中立的な観点について、出典が偏っているから観点タグを付し、異論を追記しました。異論についてははるみエリーさんの編集で追加されましたが、観点タグは除去されました。依然としてJ-cast出典のみに偏っているので、単に観点タグを除去するのではなく、はるみエリーさんが適切な貼付箇所へ観点タグの位置移動の編集対応をされればよかったのではないでしょうか。--Okiifstation会話2017年7月29日 (土) 07:09 (UTC)
「Okiifstationさんの基準は、ダブルスタンダードが激しいと感じています」という見解については、まだ回答がありません。私のコメントで、基準とは「私の全般的な編集基準」という推察を挙げましたが、はるみエリーさんからは、(1)Yesとも(2)Noとも、または(3)Yesかつ他の基準も含むとも、はっきる分かるような回答をいただいておりません。頂いたコメント「個人の編集方針について批判することが、すべて個人攻撃となるわけではありません。」から、「Okiifstationさんの基準」とは「個人の編集方針」と解釈できそうなので、(2)ではないかな、と思われますが、確信がありません。それ以前に依然として(1)か(3)かは判然としません。正直、私の基準がダブルスタンダードとのご指摘を受けて以来、私はものすごくWP活動で萎縮しております。私にはそのような意図はないのですが、無意識のうちにダブルスタンダードなことを行っており、記事の品質劣化やコミュニティの迷惑になっているかも知れません。はるみエリーさんから、Wikipedia:コメント依頼「利用者の行為についてコメント」を求めてもらえませんか。自ら信を問うということもできるようですが、はるみエリーさんのダブルスタンダードの意図が分からないし、「激しい」とは何かもわからないため、私から適切なコメント依頼が出せません。「激しい」とは、回数が多いとこちらで勝手に解釈し、よって3つ、4つ具体例を挙げてほしいとお願いしましたが、それも勘違いかも知れません(3つ、4つ具体例を挙げてほしいというお願いは取り消します)。お手数ですが、「利用者(Okiifstation)の行為についてコメント」依頼をお願いします。--Okiifstation会話2017年7月29日 (土) 07:17 (UTC)
一例をあげると、安倍晋三に関する否定的な情報を安易に「経歴」に書き込まれた一方で、高橋洋一に擁護的な記述を即刻除去する、という行為はダブルスタンダードだと感じました。なお、このノートの議論を通じてご理解頂ければコメント依頼を提出する必要があるとは思いませんが、どうしても出して欲しいということであれば、準備期間を要します。--はるみエリー会話2017年7月30日 (日) 04:33 (UTC)
一例の紹介ありがとうございました。今から所用があるため、後で内容を確認します。コメント依頼は、よろしくお願いいたします。私が意図せず、はるみエリーさんのいうところの『激しいダブルスタンダード』を行っているかを確認し、指摘があれば、お詫び・釈明、補足ないし反論・問題点の了承の旨(ケースによって異なると思います。私の非もあれば、コメント者の誤解もあると思うので)、を行いたいと考えております。--Okiifstation会話2017年7月30日 (日) 05:35 (UTC)