コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:願証寺

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改名提案

[編集]

現在の記事名は願証寺ですが、これを正式な記述である「願寺」に改名することを提案します。

「證」は「証」の正字ですが、まず当該寺院が「願證寺」という字を使用しており、桑名市のサイトにおいても同様です。「證」についてはJIS X 0208(JIS基本漢字)に含まれており、Wikipedia:記事名の付け方の問題も無いと考えます。なお、「願証寺」および「願證寺」については本記事の三重県桑名市のほか、三重県松阪市、岐阜県不破郡垂井町、滋賀県蒲生郡日野町、茨城県北茨城市にあることを確認しているため、本記事はとし、願証寺願證寺へのリダイレクト化した上で願證寺を曖昧さ回避化することを検討しています。--KAMUI会話2012年6月10日 (日) 11:12 (UTC)[返信]

  • コメント 桑名市のについては私も気になっていました。ですから願證寺への改名はいいと思うのですが、松坂市・日野町・北茨城市のはどうも願証寺表記のようで、垂井のは平尾御坊願證寺が正式名称らしく、そうなると単に願證寺表記なのは桑名市だけになってしまい、括弧が要るのかというのが一点目。しかし、今の願証寺の記事は定義は桑名の寺のことになっていますが、歴史の節ではかつて存在した長島願証寺の起こりと、それがどうなったかということが書かれており、桑名の願證寺は長島願証寺の直接の系譜を引くものではなく、本来願証寺という記事は長島願証寺について書くべき項目ではないか(長島願証寺も歴史的に当然願證寺表記であったわけですが、現代の歴史書では大抵願証寺と表記されています。もっとも、長島願証寺という記事名にするという手もありますが)というのが二点目。しかし、今の願証寺から長島願証寺の記述を分割してしまうと双方スタブになってしまいますので、当面はこのままにした方がいい。これらを考えますと、今の願証寺は願證寺か願證寺 (桑名市)に改名し、願証寺をひとまず曖昧さ回避ページにする。願證寺 (桑名市)に改名した場合は、願證寺を願証寺へのリダイレクトとする(曖昧さ回避ページへのリダイレクトというのはよかったのか、ちょっと失念。だめだったら、再検討します)。将来、長島願証寺についての説明が分割統合、もしくは新規執筆されるようなことがあった場合は願証寺をその先とし、新たに願証寺 (曖昧さ回避)を作ったらどうかと思います。ややこしくてすみません。--立花左近会話2012年6月10日 (日) 17:06 (UTC)[返信]
    • (コメント)まず、垂井町の寺院についてですが「願證寺が正式名称」については垂井町観光ガイドで確認できます。そもそも「御坊」は尊称ですし、寺院がいわゆる通称・尊称で呼ばれている例は複数ありますが(宝生院→大須観音長福寺→七寺)「平尾御坊」での検索で2,000件少々、ブログを除去すると700件ほどになってしまい、それほど使われていない呼称のようにも思われます。また、日野町の寺院については真宗大谷派京都教区 教区内寺院紹介、で「願證寺」と明記されているようです。なお、松阪市と北茨城市の寺院については「願證寺」と「願証寺」いずれについても完全に確認するに至っていませんが、それほど有為な差が無いように見えますね。
      あと、長島の旧願證寺と現在の願證寺は別の寺院であったのは確かですが、じゃあ別に書けるかというと現時点では無理です。そもそも木曽川下流河川事務所のこちらのページによると旧願證寺は江戸時代を通じて再建されなかったようですし、現在の願證寺(旧・祐泉寺)は旧願證寺の門徒の通い寺として創建されたものですが、江戸時代の資料が全然見当たりません。つ~か、当の寺院が旧願證寺との寺縁について積極的に掲げてる状態なので(^_^;--KAMUI会話2012年6月10日 (日) 21:40 (UTC)[返信]
      • コメント 名称については了解しました。では、改名先は願證寺 (桑名市)でいいとして、曖昧さ回避の方はやはり願証寺にしておく方がいいように思います。明確なルールはないと思いますが、願証寺表記のものがある可能性が残されているなら、新字体で作っておき、定義部分で旧字体も併記しておく方がいいと思います。長島願証寺は、長島一向一揆とかぶりますが、そのことで書けることは多くありますし、私自身が書くかもしれません。桑名の願證寺も、最近訪れたことがあるので事情は承知しておりますし、内容に手を加えようと思っていたところです(最低でも画像はアップしようと思っています)。--立花左近会話2012年6月10日 (日) 23:09 (UTC)[返信]
(追記) 他には、顕証寺本證寺(現時点では本証寺表記のものは載っておらず、そうした寺院があるのかは未確認)と両方の例があるようです。また、願証寺へのリンク元は複数あり、全て長島願証寺についての記述上でのリンクでした。願證寺へのリンク元は今のところこのノートしかありませんでした。もし、願証寺を願證寺 (桑名市)に改名すると、現状では願証寺へのリンク先は全て願證寺 (桑名市)に付け替えざるを得ませんが、将来的には長島願証寺について説明した記事を作った方が望ましいと思いました。それでふと思ったのですが、桑名の願證寺が長島願証寺と直接のつながりはないとしても、関係が深いのは確かですし、現状で両者についての説明が同居しているとなると、長島願証寺を主として桑名の願證寺を従にした記事に修正するという方法もあるのではないでしょうか。その場合は改名は不要で、今のところ他の願証寺/願證寺の項目はありませんし、できたとしても1、2個ならotherusesを使えばよく、他に作る必要が出てきたときには願証寺 (曖昧さ回避)を作ればいいと思うのですが、いかがでしょう。あくまで大元は長島願証寺ですので。--立花左近会話2012年6月10日 (日) 23:49 (UTC)[返信]
  • (コメント)曖昧さ回避については「願証寺」と「願證寺」両方の用例があるのでもう一寸勘考すべきかも知れません。なお現在の願証寺の記述はそもそも「旧願證寺が主、現在の願證寺が従」になっているように思われますが・・・定義文と先日私が追加した記述以外は旧願證寺に関する説明ですし、「長島願證寺」の記事が必要とのご意見には同意します。長島町が桑名市と合併して桑名市長島町になってるのでちょっと紛らわしいのがアレですけど。--KAMUI会話2012年6月11日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
    • コメント 考えをまとめました。元々の立項とは異なり定義変更となってしまいますが、今の願証寺の記事を長島願証寺(過去に伊勢長島に存在した願証寺を意味します。願證寺でなく願証寺にした理由は前述の通り)を第一義とした記事に改稿する。桑名市長島町に現在ある願證寺の記述は、十分な独立記事にできるほどの記述や出典が不足しているので、ひとまず願証寺に節を設けて残す(分割できるような状態になったら、改めて願證寺 (桑名市)への分割を検討する)。願證寺は改稿後の願証寺へのリダイレクトとする。現状では他に願証寺/願證寺の記事はなく、将来できても一つ二つの場合は願証寺にotherusesをつける。もっと増えた場合、あるいはどうしても他に必要だと思われる場合は願証寺 (曖昧さ回避)を作る。以上でいかがでしょうか。--立花左近会話2012年6月11日 (月) 12:15 (UTC)[返信]
      • (コメント)基本的には同意出来るのですが桑名・垂井いずれも寺号は「願證寺」なので、現在の願証寺の記事を長島願証寺の内容に置き換えるとなると、それこそ願證寺表記にしないとマズいような気がしなくもありません。今「願証寺」にリンクしている記事は30件ほどしかなく「リンク書き換えるにしても大した仕事量じゃないなぁ」とか思っちゃうので尚更に(^_^;--KAMUI会話2012年6月12日 (火) 10:02 (UTC)[返信]
        • コメント 固有名詞の記事名に旧字体と新字体のどちらを使うかは、Wikipedia:表記ガイド#漢字にもあるように議論がまとまっていないようなのですが、現代において寺側が旧字体を使っていたり、第三者出典でも旧字体で表記されている場合が多いものは旧字体の方がいいと思います。しかし、長島願証寺の場合は新字体ができる以前に消滅しており、現代の二次資料では私の知る限りですが「願証寺」表記ですし(探せば願證寺もあるかもしれませんが)、リンク先の執筆者も願証寺でよしとしていたわけですから、わざわざ願證寺にしたり、リンクを書き換えたりする必要性が感じられないのですが。もちろん、桑名市長島町に現在ある寺については、願証寺の記事内でも願證寺表記にします。垂井の場合も同様です。混乱する人がいらっしゃるかもしれませんので、願証寺の記事の定義部分には両表記を書いておくのがいいと思います。--立花左近会話2012年6月12日 (火) 13:51 (UTC)[返信]
          • (コメント)「證」を新字体で「証」と表記するようになったのはここ何十年かなので、私は逆に「新字体が出来る以前に消滅している」ことがらについては可能ならば代用表記しなくてもいいんじゃないか?と。本提案の冒頭で示した桑名市のサイトや、輪中の郷が公開している資料、あと一寸古い記事ですが朝日新聞の「東海の古戦場をゆく」でも願證寺と表記しているように、現在では正字の「證」も普通に使われていますので。まぁ、拘ってると言われればそうなんですけどね。--KAMUI会話2012年6月13日 (水) 12:55 (UTC)[返信]
            • コメント 例えば、平凡社の『世界大百科事典』第六巻(2005年改訂版)381頁の項目名および記述内の表記は「願証寺」です。現代でも旧字体で書く例が明らかに多いのでない限り、積極的に使わない方がいいと私は思っています。しかしこれは、前述したように一般的な議論がまとまっているわけではないので、個々の記事ごとに合意して決めるしかないです。--立花左近会話2012年6月13日 (水) 13:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)私と立花さんしか議論してないってのがアレですが、現時点での対応としては「改名はしない」ということになりますかねぇ。
  1. 願証寺を歴史上の長島願證寺に書き換える。
  2. 桑名市にある願證寺については願証寺に付記。
  3. 願證寺願証寺へのリダイレクト化。
  4. 「願證寺 (hoge)」が将来立項された場合は Otheruses。

立項の可能性としては願證寺 (垂井町)が比較的に高いとは思いますし、長島願證寺と現・願證寺との併記はなるべく早く解消すべきでしょう。ところで立花さんがお持ちの資料には本記事にある「慶長年間に七世准恵が復興し~」に関する記述はありますでしょうか? これだと先に貼った外部リンクの「天正2年(1574年)に信長に攻め落とされて、天正13年(1586年)の天正大地震と翌年の洪水にあった」「その後再興されず、明治の三川分流で故地が長良川の底になった」という記述と整合が取れませんし。--KAMUI会話2012年6月14日 (木) 21:33 (UTC)[返信]

  • コメント 手持ちの資料ではありませんが、雄山閣出版『日本名刹大事典』によると、天正年間に清洲に願証寺が再建され、後に名古屋に移転。慶長年間には桑名に願証寺が再興(この本には准恵の名はでてきません)され、長島と松坂に願証寺通寺が設けられて、名古屋の願証寺も通寺となった(享保3年に西派の名古屋別院となる)。長島の願証寺は寛永年間に祐泉寺、承応年間に誓来寺と改称するが、願証寺の寺号も兼帯していた。正徳5年に桑名願証寺が高田派に転派し松坂願証寺もこれに倣ったが、残る二寺(長島と名古屋)は西派に残った。誓来寺は明治9年に誓来寺の寺号を捨て願証寺と称したということです。元々の願証寺があった場所には寺は再建されず、その地は水没したということでしょう。この本だけでは、本文にある全ての記述の出典とするには不足していますし、本提案の結論がまだ出ていないので、加筆訂正はまだやめておきます。ちなみに、この『日本名刹大事典』は、全ての寺を「願証寺」で表記していました。--立花左近会話2012年6月15日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
  • (コメント)一応、こちらでもいくつか資料を当たってみました。
    まず、1915年(大正4年)の『名古屋市史 社寺編』の本願寺別院の項ですが「もと清須に在りて桑名願證寺三通所の一たり、願證寺は初め伊勢長島杉江村に在り、蓮如上人の時、長島門徒の創建なり」と言った記述が見られます。まぁこれは新字体が出来る前のものなので正字を使っているのは当然なのですが。次に1987年(昭和62年)の『総合佛教大辞典 上(あ~し)』では願証寺表記です。ただし、垂井町と日野町の寺についても同字を使用しています。最後に本願寺名古屋別院が自ら編集・発行した1990年(平成2年)の『名古屋別院史 通史編』ですが、こちらでは長島一揆の節で「長島御堂とも称される願證寺」と正字による表記をしています。--KAMUI会話2012年6月17日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)木曽川下流河川事務所の『KISSO』という広報誌があるのですが、こちらの3号(1992年7月)でも「長島の杉江にある願證寺」と正字ですね。立花さんが示された『日本名刹大事典』は同時期の1992年8月です。20年前の時点では両方とも使われていたということになります。
    他に何かしらの記載がありそうなのは『長島町史』(上巻・1981年、下巻・1989年)と『垂井町史 通史編』 (1969年)、『新修垂井町史 通史編』(1996年)辺りではないかと。流石に週明けたばかりで調べに行く時間を取れませんけど(^_^;--KAMUI会話2012年6月18日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
  • コメント 今すぐ正確にはお示しできないのですが、信長関係の本とか、通史の長島一向一揆についての記載とかは大抵「願証寺」表記なんですよね。まあ、そのあたりは単に常用漢字を優先する編集方針でそうなっているだけだと思いますが。ですので、この件に限って言えば単純に出典での使用例の頻度に拠るのはどうかと思わないでもないですし、何を基準に決めるかですね。--立花左近会話2012年6月18日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)当の寺院、本願寺側とそれぞれの地元では(少なくとも現在は)正字ということかな、と・・・まぁ、自分のところは「願證寺」と書いて系譜が繋がるとしている長島の寺を「願証寺」と書き分けたりはしないでしょうし。--KAMUI会話2012年6月18日 (月) 21:14 (UTC)[返信]
  • コメント 本願寺側や地元はさもありなんですが、やはり第三者視点は必要と思います。現存する寺院で「願證寺」と称している寺院についてはその標記とすることに異論はないのですが、消滅した元々の寺についてそうするのはどうも躊躇を覚えます。少なくとも、リンク元の各記事において一律に書き換えることには反対です。--立花左近会話2012年6月19日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
  • (コメント)結局のところ、寺院側が示したものに則って正字の「願證寺」表記か、新字体の資料に合わせて「願証寺」か、という話にループしちゃうのか・・・。元々は正字の「願證寺」表記であったことは『名古屋市史 社寺編』など古い資料から疑うべくもないとは思いますが、本などを書く際に新字体の「願証寺」表記の資料を元に記述すればそこから後は「願証寺」になるでしょうし、もしも「常用漢字を優先する編集方針」があったら尚更でしょう。その「資料」とされるであろう『総合佛教大辞典』では、垂井の寺について「琢誓の転派によって乱れたため、東本願寺は当地にあった真徳寺を願証寺と改め」、日野町の寺については「長島願証寺が信長に攻められたので住持顕忍は逃れて(中略)前寺号を称した」としており、今の桑名市長島の寺についても「現長島町又木の浄土真宗本願寺派願証寺はこの系譜を引く」といずれも消滅した寺の名を引き継いでいると記しています。
    第三者視点として前述した自治体による表記や新聞記事、木曽川下流河川事務所など公的機関による表記では不足ですかね?--KAMUI会話2012年6月19日 (火) 21:55 (UTC)[返信]

(インデント戻す)どちらにしても併記は避けられないと思います。「願證寺」意見が多数になるようであれば反対はしませんが、現時点では気が進みません。--立花左近会話2012年6月20日 (水) 00:49 (UTC)[返信]

  • (コメント)併記は当然必要です。極論すれば
願証寺(がんしょうじ)は伊勢国桑名郡長島にあった浄土真宗の寺院。願證寺とも表記される。
願證寺(がんしょうじ)は伊勢国桑名郡長島にあった浄土真宗の寺院。願証寺とも表記される。
どちらを定義文にするか・・・という話ですから。既に10日経過しましたがこのまま2人で続けても埒があきそうにありませんし、ひとつコメント依頼を出してみます。当然「願証寺」の意見が多ければ、こちらが提案を取り下げることになります。--KAMUI会話2012年6月20日 (水) 09:31 (UTC)[返信]
コメント現状の「願証寺」のままで、改名の必要はないと思います。本記事の「歴史」節に記載されており、歴史上著名な寺院は「願証寺」と表記するのが普通です。戦後の史学界で、固有名詞で常用漢字(当用漢字)が制定されている文字については、常用漢字(当用漢字)で表記する、という原則によるものです。歴史上著名な「願証寺」を継承している現存の寺院が「願證寺」という表記を使用していることは、記事の中でその旨を記述すれば済むことで、記事名をわざわざ「現在、一般的でない表記」に変える理由とはならないでしょう。--Pooh456会話2012年6月20日 (水) 11:59 (UTC)[返信]
コメント長島一向一揆で退転したという歴史上の寺院と、現在桑名市長島町又木にある寺院のいずれを主題とするのかによって、寺名表記の問題も変わってくると思います(現存する寺院は、歴史上の寺院の寺籍を正式に継いだものではないようです)。どちらを主題にするのかがはっきりしないと、この問題は堂々巡りになると思います。「新字体が出来る以前に消滅していることがらについては可能ならば代用表記しなくてもいいんじゃないか」との意見には賛成いたしかねます。現に宗教法人として存続している寺院の場合は、当該法人が公式サイト等で対外的に使用している呼称を尊重すべきかもしれませんが、近代以前に退転した、歴史上の寺院については、常用漢字で表記し、現代かなづかいでふりがなを振るのが原則だと思います。近代以前に没した人物、消滅したことがらなどの表記について、「新字体と旧字体のどちらが正式か」ということを議論してもあまり意味がないと思いますし、JAWPのノートページでユーザー同士議論して決めることがらではないと思います。桑名市長島町又木に現存する寺院は公式サイトを開設していないようです。よって、当該寺院の法人名が「願證寺」であるか否かを確認するには三重県の宗教法人名簿を確認するしかないと思います(宗教法人名簿をネットで公開している県もありますが、三重県のそれはないようです)。上の方でたびたび言及されている「桑名市のサイト」等は学術的なものではなく、「願證寺」が正しいと断定する根拠たりうるか疑問です。まずは、歴史上の寺院と、その寺号を引き継いだ現存寺院のいずれを主題とするのかを決めるべきであり、そこが決まらないのであれば、改名議論はいったん中止し、当面現行のページ名のままにしておけばよいと思います。-Urania会話2012年6月23日 (土) 09:52 (UTC)[返信]
コメント Pooh456さん、Uraniaさん、コメントありがとうございます。桑名市長島町又木にある寺院ですが、門前の表柱が「願證寺」表記になっており、議論が落ち着きましたら画像のアップも考えておりますので、それで一応の確認はできるものと考えております。--立花左近会話2012年6月23日 (土) 13:44 (UTC)[返信]

(提案取り下げ)Pooh456さん、Uraniaさんのご意見もありましたので、本提案については取り下げて願證寺願証寺へのリダイレクト化します。なお、本記事を長島一向一揆における願証寺(杉江の願証寺)の記事とし、現在桑名市長島町又木にある願證寺は(将来的に)別記事とすることについては立花さんと上の方で議論しておりますので、基本的にはその方向です。
・・・ところで、Pooh456さんが述べておられる「戦後の史学界~常用漢字(当用漢字)で表記」の原則って、何年頃からそうなったんでしょう?その辺りはチト興味がありますね。--KAMUI会話2012年6月26日 (火) 10:28 (UTC)[返信]

提案取り下げ恐縮です。その他の諸々の点を含め、今後はいかがいたしましょう。(なお、Pooh456さんは、現在編集を自粛されていらっしゃるようですね)--立花左近会話2012年6月27日 (水) 02:22 (UTC)[返信]
改名提案テンプレートを除去するのに合わせて、定義文は杉江の願証寺を指すように修正しています。また、こちらでも先日挙げた書籍などを元に少しは加筆出来るかと。--KAMUI会話2012年6月27日 (水) 10:05 (UTC)[返信]
了解しました。現存の長島町又木の願證寺は節を設けて別に記載した方がいいと思うのですが、現状では記述量が不十分でしょうかね。こちらも資料を渉猟してみますが、当面はお任せいたしますので、よろしくお願いいたします。--立花左近会話2012年6月27日 (水) 12:30 (UTC)[返信]
議論は終わっているようなので感想だけですが、記事の主体は長島一向一揆に関連した部分に比重があるように思います。記事を書くために利用した文献の表記名が気になるところですが、たぶん現代表記が多いんじゃないかな、と思いました。将来的には歴史的寺院と現代の寺院の記事は分かれるべきですが、今のところは歴史的寺院を主体記事に現代の寺院記事が付属記事とする形をとるのが良いと思います。記事や出典の比重にあわせて定義文を整えるとよいかもしれません。--Jaszmars会話2012年6月28日 (木) 07:34 (UTC)[返信]
Jaszmarsさん、コメントありがとうございます。KAMUIさん、いくつか資料を当たり加筆しましたが、なお不明な部分があります。他の資料で修正・加筆いただけるようでしたら、よろしくお願いいたします。--立花左近会話2012年7月1日 (日) 13:12 (UTC)[返信]
書くべきであろうことは立花さんが加筆されたようですので、気休め程度に加筆しました :) --KAMUI会話2012年7月2日 (月) 11:06 (UTC)[返信]