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ノート:金子安次/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

証言内容の細かい部分ですが、私の記述が正確です。理由は ①出典である本ではそうなっており、Iceboat氏の記述はなんらかの短縮版で中途が飛んでいるから ②これはリンク先である程度確認できる、金子氏の証言が記載されているこの本から女性戦犯法廷の部分をほぼそのまま転記したのがリンク先です。OzuYasu3rou 2007年4月25日 (水) 15:44 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

要出典ほかについて

1件は出典提示あり存続、1件は出典による具体的な情報源が示され存続、1件は検証の結果出典とみなせず除去。

金子ら中国からの帰還者は思想的危険人物として、帰還時には警察による常時のあからさまな監視を受けた。 - {{要出典}}を貼る

  • なんらかの出典をお示しください。当人がそう語っているといった資料でもいいです。 --Hatukanezumi 2007年11月21日 (水) 14:18 (UTC)
    • (コメント)いまのところ出典を発見できていません。奥村和一については、出演した映画の監督との座談会などで上のような体験が語られています。しかし、金子については発見できていません。したがって、見つかる見込みがあるというかたがいなければ上の記述は除去としたいと考えます。 --Hatukanezumi 2007年12月16日 (日) 08:57 (UTC)
  • チェック 出典が示されましたので (#秦郁彦の批判についての節参照)、存続とします。

こうした、証言の矛盾や疑問、およびその思想的背景に対する疑問から、証言の信憑性を疑うものが少なくない。 - {{}}を貼る

  • 「…と主張する者もいる」「…と主張する者が多い」といった表現ではなく、具体的にそのような主張をしている人物と、その人物の主張の内容を書いてください。 --Hatukanezumi 2007年11月21日 (水) 14:18 (UTC)
  • 追記。Wikipedia:言葉を濁さないも参考にしてください。 --Hatukanezumi 2007年11月29日 (木) 04:21 (UTC)
    • チェック 記述は改善されました。具体的に主張をしている人物が、出典とともにしめされました。修正後の記述は下のとおりです。なお、存命人物の伝記の出典としての適否の判断、および主張の記述が出典に基づいているかどうかの検証については、別途当ノートで議論ください。 --Hatukanezumi 2007年12月1日 (土) 03:13 (UTC)
      田辺敏雄や秦郁彦は、証言に矛盾や疑問点があり、思想的背景にも疑問があるとして、証言の信憑性を疑問視している。(出典2件)

しかし、南京事件は1937年のことであり、金子が従軍する以前であるなど(1940年に志願)、証言は多くの矛盾や疑問が指摘されている。 - {{要検証}}を貼る

  • 出典として示されている秦の論説に基づいて、金子が南京事件に関わっていたと証言していることが確認できるかどうかの検証を求めます。検証によって確認がができなかった場合は、検証可能な情報源にもとづいて確認ができる別の出典を明記してください。それもできない場合は、該当記述ならびに出典として示された書誌の両方が適切ではありません。 --Hatukanezumi 2007年11月24日 (土) 09:18 (UTC) 追加しました
秦郁彦の「諸君!」1998年11月の記事は概略以下のようなもので金子安次さんにかんする記述はありません。
終戦番組で日本軍の悪行の語り部として登場する人は繰り返し出てくる人がいる、野田正彰の「戦争と罪責」にはそうした元兵士が出てくる。朝日新聞は7回シリーズで元兵士の語りを掲載した。吉田清治は空想虚言症と聞いた。マクドガル報告書には強姦所と書いてある。「戦争と罪責」には金子氏と同じ経験をした方が含まれていますが、個人名はないし、彼らの反省と謝罪は演技だ、という程度で証言内容が怪しいとは書いていません。ただ読んだ人は勿論洗脳されたから嘘を言っているのだと感じるように書いてあります。ゆうなんた 2007年12月3日 (月) 16:24 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)
  • 要するに、金子の証言にはなにもふれていないということですね。ならばわたしは記述の除去に同意します。ほかに異論のあるかたがなさそうなら、この件は「済」としたいとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年12月4日 (火) 00:15 (UTC)

コメント

あと、なんだかこの手の記事にはやたら秦郁彦を登場させたがるかたがいるようですが、そうであれば「秦がこのように主張した」とだけ書いてください。秦が主張していることとたくさんのひとが主張しているかどうかとは、関係ないです。

記述に適切な改善がおこなわれた場合は、テンプレートをはがしてください。数日たっても適切な改善が行われない場合、記述を除去します。 --Hatukanezumi 2007年11月21日 (水) 14:18 (UTC)

秦を特別扱いしたいようですが、そもそも、40年に志願している金子が37年の南京大虐殺に参加したという証言をだれか歴史家で信用できる人が引用してるんでしょうか?これは、矛盾として自明だと思います。Hatukanezumiさんに、信用できるソースで金子の証言を補強できるソースを求めます。そうでなければ、一人の信用できる歴史家の証言で金子の論駁は十分です。JohnSmith 2007年11月22日 (木) 11:49 (UTC)
金子の証言を補強したり論駁したりする必要はありません。ウィキペディアは真実を追究する場所ではありません。淡々と、出典に基づいて検証できることのみを書けばいいのです。
ですから、秦の主張を特別扱いする必要もありません。「秦がこのように主張した」ということだけを書けばいいのです。上に挙げたような記述は、誰が主張しているのかあきらかでないのであれば、余分なことですので書く必要はありません。
そういうわけでわたしは、秦の主張についての記述は除去する必要を感じていません。上に挙げたような記述については、出典が示されないのなら除去されるべきです。
ご理解いただけたでしょうか。 --Hatukanezumi 2007年11月22日 (木) 14:47 (UTC)
秦は信頼できる2次ソースですが、一次ソースから従軍以前に南京事件が起こっていることは自明です。両者から金子の証言は論駁されているのです。秦とあえて書く理由はありません。JohnSmith 2007年11月22日 (木) 15:24 (UTC)
いや。当記事の現在の記述では、「1940年に志願して従軍した」という記述の出典も、秦の『諸君!』での論説なんですよ。だからなおさら、秦の主張の記述を削るわけにはいかない。
それはそうと、くりかえしますが、「秦がこう言っている」ということを書いた上で、「ほかにも同様の主張がたくさんある (だれがそう主張しているとは書かない)」と書くのはまずいです。それは、誘導ですから。上で問題にしているのは、そういう記述です。
そういう書きかたをすると、きちんと記事を読む読者にはかえって「この記事に書いてあることは全部、信用ならない」とおもわれてしまいます。 --Hatukanezumi 2007年11月22日 (木) 15:36 (UTC)
繰り返しますが、秦は信頼できる2次ソースですが、一次ソースから従軍以前に南京事件が起こっていることは自明です。両者から金子の証言は論駁されているのです。秦とあえて書く理由はありません。金子が1940年に志願してるのは秦だけがかいているわけではありません。たしかに、ウィキペディアは二次ソースを重視しますが、解釈の余地のない一次ソースも使うことが出来ます。1937年に起こった事件に1940年から参加した人間が関与は出来ません。これは解釈の余地がない事実です。JohnSmith 2007年11月22日 (木) 15:48 (UTC)

ちょっと落ち着いていただけませんか。えーと、わたしは上で挙げた「警察の監視」についての言及は、てっきり金子擁護側のひとが書いたんだとおもってました。「金子はダンアツされたが自分の主張を変えなかった」ということを書こうとしたんだとおもったのね。でも、JohnSmithさんは逆の意味で受け取ってるわけですね。いずれにしても、ウィキペディアは自分の考えを宣伝する場所ではないんですよ。だから、どっちの解釈でも、出典がない以上は書くべきではないんです。以下、次の節へ続く。 --Hatukanezumi 2007年11月22日 (木) 15:59 (UTC)

履歴みるとわかると思いますけど、警察の監視は私の文章ではないですよ。あなたが要引用書いてるから同意してますが?JohnSmith 2007年11月22日 (木) 16:04 (UTC)

私は金子さんの話を今年3回聞いてそこでの話を書いたのですが拙かったかな?3回とは、平和遺族会全国連絡会結成記念の集い(7/7)、平和のための戦争展(8/14)[1]、輝け9条!世界へ未来へフェスティバル2007、より「戦争の真実を語り継ぐ・元戦犯たちの告白」(9/29)[2]です。 ノートを見ると金子さんが警察につけ回された話は、8/14の時に「警察につけ回され勤め先でソ連にいたというだけで首になった」となってます。金子さんはたくさん証言活動をしているので中帰連の雑誌や新聞とかにもこの話は載っているかもしれません。また同じ中国帰還者の奥村和一(映画「蟻の兵隊」の主人公)が同じ目にあったのは、池谷監督が話していたし何かの雑誌に書いていました。ただこれではどうも皆さんに削除されそうなので何か本に書いてないか探してみましょう。

金子さんは女を殺した、犯す手伝いした、ガス弾使った、無理やり女を集めたとは言ってたけど、南京事件に関わったとは言ってないですよ、話し方は徴兵から中国での戦場の話まで順番にしてたけど、南京は出てきません。従って冒頭の南京事件の部分も嘘?だし当然秦の批判もあり得ないでしょう。これは本屋で金子さんの本を確認します。

一般論でこうした帰還者を疑う文章をどっかで読んだけど、それは曖昧な書き方でしたし出典も示せません。従って証言への矛盾が指摘されてはいないと思います。そして証言は多くの矛盾や疑問が指摘されている[出典2]と書いた人はその1998年の「諸君」を読んでいないように思う。だって履歴を見るとこの人それ以前に書いてあった引用をここに当てはめただけに見えます。1998年の雑誌を読むのは難しいですね、来週もしかして国会図書館に行ければ確認しますけど。これを書いた人は具体的に説明してください。ゆうなんた 2007年11月22日 (木) 17:15 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

お手数おかけします。わたしもちょっと調べてみます。8/14の話については、雑誌なんかで収録しているものがあるかもしれませんね。警察の話は、映画『蟻の兵隊』のなかでしてるのなら、そのシーンの時間がわかれば出典にできるとおもいます (観たのがだいぶ前なんで内容をよくおぼえてません)。池谷による単行本をさがして見てみます。『諸君!』のほうは、わたしは平日昼間動けないんで確認は無理かもしれません。 --Hatukanezumi 2007年11月23日 (金) 16:19 (UTC)

お願い

  • {{要出典}}、{{}}、{{要検証}}等のテンプレートを議論なく取り去るのはおやめください。なぜこれらのテンプレートが貼られているか、また取り去るためにはどうすべきかは、当ノートで説明されております。正当な理由なくテンプレートを取り去ることは、当ノートでの対話を無視した行為となるとおもわれます。 --Hatukanezumi 2007年11月27日 (火) 01:21 (UTC)
  • (コメント)お願いしているにもかかわらず、あいかわらず対話なく{{}}を取り去ることを繰り返しておられるかたがあります。管理者伝言板に報告しておくことにします。 --Hatukanezumi 2007年11月30日 (金) 03:45 (UTC)
  • (コメント)誰が批判しているかは参照をあげて説明しているにもかかわらず、Hatukanezumi さんは、会話をしようともせず、私を荒らしとして報告するという暴挙にでました。そもそも、下記のように議論がつづいているのにもかからず、Hatukanezumi さんは、参加しておられません。したがって、Hatukanezumi さんこそ荒らしであるので、管理者伝言板に報告させていただきました。JohnSmith 2007年11月30日 (金) 07:22 (UTC)

記事の構成について

さて、記事の構成としては、これは金子安次の記事ですから、「金子はこういう人物だ」(こういう主張をしている)、「しかるに、他人から見た金子はこうだ」(金子の主張に対してはこういう反論がある)、となるのが自然だとおもいます。そういうわけで[3]の編集のように、証言への反論を「証言」の節の小節として独立させてみました。いかがでしょうか。ご意見をください。 --Hatukanezumi 2007年11月22日 (木) 15:59 (UTC)

総論でなぜ、主張だけ載せて反論を書かないんでしょうか?全体の要約になるべきです。金子の証言が批判されていることが見えにくくする意図にしか見えませんが?POVですよ。JohnSmith 2007年11月22日 (木) 16:06 (UTC)

どうもふたりだけの応酬になってますので (といってもここ1日のことですが)、ほかのかたの意見も伺いたいとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年11月22日 (木) 16:35 (UTC)

金子さんの証言への反論の「存在自体が曖昧」なものなので、Hatukanezumiさんの構成の方がいいと思います。ゆうなんた 2007年11月22日 (木) 17:22 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

反論の存在自体があいまいとはどういうことですか?秦を知らないなら、編集するだけの知識がないと思いますので知識をいれてから、もしやりたければお願いします。JohnSmith 2007年11月22日 (木) 18:21 (UTC)

金子さんの話を聞いた人間として、存在も曖昧な変な言いがかりを書かせたくありませんね。重ねて書いておきますが、秦が金子さんが南京事件と関係ないと書いたというのは、本文にそれを書いた人の嘘だと思いますよ。書いた人は説明すべきです。何にせよ調べればわかることです。ゆうなんた 2007年11月23日 (金) 12:54 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

すくなくとも、本に書いてあることとあなたの感想とではウィキペディアは本に書いてあることを選ぶというのが決まりです。[[4]]を熟読して編集する前に理解してください。JohnSmith 2007年11月28日 (水) 05:39 (UTC)
秦の本をあげているのにそれはないでしょ。日本語大丈夫ですか?JohnSmith 2007年11月29日 (木) 18:29 (UTC)

JohnSmith氏が書いているソースはいずれもWikipedia:信頼できる情報源における「自己公表された情報源」であると思われます。査読を経た学会の論文や権威のある機関が行った調査等とは異なり、それ自体では純然たる人類の英知として広くられているとする出典とは言えないと思います。特定の個人の「自己公表された情報源」のみをソースとして存命の人物の証言を否定する内容を執筆するのはWikipediaの方針と合致するとは思えません。Wikipedia:存命人物の伝記には「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません。」とあります。Wikipediaの方針に従うのであれば、そのようなソースに基づく記述は削除されるべきです。Checkthere 2007年11月30日 (金) 08:23 (UTC)

Wikipedia:存命人物の伝記では、信頼できる公刊情報があり批判者が存在することについて記述を明確にみとめています。「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。」。秦が書いていることを記述するのは何ら問題はありません。この記載は、客観的な疑問が提示されているという事実を述べているにとどまります。JohnSmith 2007年11月30日 (金) 08:37 (UTC)
話は2つあり、1つは「自己公表された情報源」である本や新聞の記述をもってWikipedia:存命人物の伝記にいう信頼できる情報源といえるかということであり、もう1つは「疑問から証言の信憑性が疑問視されている。」という書き方が、「疑問が提示されている」という事実の主張にのみとどまるかということです。
「疑問が提示されている」という事実の主張するのであれば、「秦らは....証言に疑問を呈している」という書き方となるでしょう。「疑問視されている。」では百科事典のWikipediaが秦らの主張を正当として、金子の証言が疑問視されているという状態が人類の英知として広くられているということを主張することになります。少なくとも現在この問題について議論する誰もが、金子の証言が疑問視される存在である考えているとは思えないので、現在の記述は「どこにも偏らない書き方で」との条件に反します。
また、前者についてはWikipedia:信頼できる情報源における定義から、出版時に査読が入らない著書は自主公表された本として取り扱うべきであり、通常の場合においては著者が専門家としての権威を持っていることによって出典として扱えことができるが、Wikipedia:存命人物の伝記においては求められる出典のハードルが前述の通り高いので、出典として取り扱うこと許されないと思われます。Checkthere 2007年11月30日 (金) 13:37 (UTC)
(コメント)上で「記述は改善されました」と宣言していますが、「改善」というのは、とりあえずWikipedia:言葉を濁さないにのっとった形式的なチェックだけにもとづく判定です。情報源の信頼性については考慮していません。情報源の信頼性については引き続き討論ください。 --Hatukanezumi 2007年12月1日 (土) 18:13 (UTC)

秦郁彦が金子安次を南京事件に参加しているはずないとして批判した文を削除しました。1998年の「諸君!」の記事を国会図書館で見たらそんなこと書いてないです。眠いからともかくもう寝ますけど、なんか不満があったら書いておいて下さい、明日答えます。ゆうなんた 2007年12月2日 (日) 15:50 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

私は管理者伝言板のほうに報告があったので、ちらっと拝見してどうも出典の書き方とかどうかな、と思いましたので、手を入れさせてもらいました。批判云々についても、上の方にHatukanezumiさんが書いていらっしゃるように「誰?」状態のところをきれいにしただけです。特に秦がどうのこうのと入れたかったわけではありませんので、その旨ご了承ください。ただまだJapan Timesなどいくつか出典が必要なものがありますし、すでに提示されているものもページ数が明示されておらず、必ずしもきちんとした典拠表示とは言えない状態ですので、この点は適宜見つけ次第というかやる気が出たら調べてみることにします。--Kotoito 2007年12月2日 (日) 15:55 (UTC)

田中氏は元撫順守備隊中隊長という肩書の人物であり、近現代史の研究家ではなく、彼の著者は専門家の記述としての権威を持っているとは言い難いです。よって、現時点で、彼の著作しか出典が無いのであれば、当該の記述は削除されるべきであると考えます。Checkthere 2007年12月2日 (日) 17:11 (UTC)

Kotoitoさんには不快に思われたのでしたらすみません。もちろん、秦の主張に対する態度を問題にしているのではありません。情報源の信頼性を理由に修正をもとめるのなら相応の議論が必要だとおもったので、ノートで意見表明するようお願いしました。つい先日この記事も、テンプレートを貼られたことで激昂してしまわれたかたがいますし、同様の事例はよく見かけます。個人的には、修正要請系のテンプレートを貼るのなら、貼った当人からノートなどで十分な説明が必要だと感じています。それはともかく、
情報源の信頼性と、検証可能性は分けて考えるべきだとおもいます。
  • ゆうなんたさんの除去は「提示された出典からは記述されている事実を確認できない」という理由によるもので、検証可能性をみたさないことによる除去です。
  • Wikipedia:信頼できる情報源はドラフトであり、日本語版ウィキペディアの大多数の記事の水準からみるとかなり厳しい規範でもあるとおもいます。いっぽう、Wikipedia:検証可能性では、「その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。」としています。そういうわけで、{{}}を貼られた記述に関しては、「田辺や秦が述べた」ということを示せば存続してもよいのではないかとおもいます。除去するとすれば「この記事では重要でない記述かどうか」という判断によるのがよいのではないかとおもいます。
当節の最初の提案に戻りますが、わたしの意見としては、「出典が示されているものをあえて除去する必要はない。ただし記事の主題からは枝葉にあたる話題なので、冒頭定義文中に置くべきではない」と考えます。なので「証言」の節の下に「反論」の小節を設けてそこへ移動すればよいでしょう。 --Hatukanezumi 2007年12月3日 (月) 03:48 (UTC)
追記。ゆうなんたさんの処置に不満はないですけど、「実際にはどんなことが書いてあったのか」を簡単に報告いただければ、今後の再発を防げるのではないかとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年12月3日 (月) 03:52 (UTC)
Kotoitoです。特に不快とかそういうことは全くありませんのでどうぞお気遣いなく。わたくしも構成についてはHatukanezumiさんと同様に考えます。情報精査が必要な際はアクセスは比較的容易な環境におりますのでおっしゃっていただければと思います。--Kotoito 2007年12月3日 (月) 05:39 (UTC)

インデントを戻します。私が問題にしているのは、Wikipedia:信頼できる情報源ではなく、Wikipedia:存命人物の伝記との整合性です。Wikipedia:存命人物の伝記はまだ公式な方針として決定していませんが、公式な方針の試験段階に入った草案であり、すべての利用者が従うべきだと考えられているものであり、項目の執筆に際して守られるべき方針文書であるとおもいます。繰り返しになりますが、Wikipedia:存命人物の伝記には「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません。」とあります。近現代史の専門家でない田中氏の著作はその内容について査読が入っていない出版であり、自主公表された本として存命人物の記述の出典として望ましくないと考えます。また、同文書は存命中の人物の評価を落とすような、「証言に矛盾や疑問点があり、思想的背景にも疑問があるとして、信憑性を疑問視している」といった記述をする際には「信頼できる第三者によって公表された情報源を要求し、項目本人の著名性に関連が深いものであることを証明するよう」求めています。田中氏の著書は信頼できる第三者によって公表された情報源とは思えません。田中氏の疑問の提示の事実については記載すべしとの考えについても、例えば、特定の政治家の項目について某小林氏の著書の存在をもって同様の記述を行われるのはとても容認しがたいと思うのですが`Checkthere 2007年12月3日 (月) 07:28 (UTC)

ここにあった発言を上の#要出典ほかについてへ移動しました。

今Checkthere氏の意見を読んで何が言いたいかようやっとわかりました。要はウイキペディアでは存命中の人物に関する項目では、出典の信頼性などの点でその他より厳しい基準が適用された、という事ですね。その人物に関する批判を書くなら、査読のあるような論文で書かれた事だけに限るという事ですね わかりました! ===>さて現在、JohnSmithさんにより田辺敏雄氏を出典として、金子さんを批判する記述になっているますが、これは明らかに査読されたものじゃありません。実は国会図書館に行ったときに斜め読みしましたが、なんというか秦郁彦と同じような感じの本で、著者の意見が書いてあるだけであり、要は撫順にいたから信用できないとしか書いていません。またおそらく金子安次さんの名前も出てこないと思います。従って削除しました。ゆうなんた 2007年12月3日 (月) 16:48 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

すみません説明がよくわかりません。金子安次が信用されていないことは確かなようですし、証言内容にも頭の悪さが出てしまっているのは一般人にもよく分かります。削除じゃなく思うところの文章を改める方向で提案してはどうですかね。煙幕 2007年12月3日 (月) 17:18 (UTC)

存命人物の伝記に対する典拠の扱いについてはすこし検討してみたいので、数日時間をください。それまでは情報源の信頼性を根拠とした除去はひかえてもらえませんか。個人的には、完全に除去しないほうが、この手の質の悪い記述の増殖を予防できる場合もあるとおもうんだが(笑)。 --Hatukanezumi 2007年12月4日 (火) 00:20 (UTC)


2点申し上げます。 1点目 Wikipedia:存命人物の伝記の「自主公表された本や...」ですが、英文を確認してみると自主公表は自己出版の意味のみのようです。よって、この項に言及した私の発言はお詫びして取り下げます。ただし、「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。」とある以上、存命中の人物の項目についての執筆には出典の信頼性などの点でその他より厳しい基準を適用しなくてはならないという方針は厳然として存在し、近現代史の専門家でない田中氏の著作は信頼できる第三者情報源ということができず、また、田中氏の著作が当該人物について出版・公表したものでない以上この方針が存在する以上は当該記述は削除されるべきであるとの考えは変わりません。

2点目 Wikipedia:存命人物の伝記には、「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。 他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。」、「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。」とあり、「情報源の信頼性を根拠とした除去はひかえてもらえませんか。」とのお話は賛成できません。Checkthere 2007年12月4日 (火) 05:39 (UTC)

数日も待てませんかね。性急な編集 (それがよいものであっても) による記述除去が、下のように議論するふりだけして記事にいたずらをする輩を呼び寄せているように思えてならないのですが。要するに、編集合戦をあおる結果になっているとおもいます。記事を保護に持ち込みたいですか?
いま考えていることを簡単に書いておきます。金子の来歴はともかく、証言そのものは「伝記」にあたるのかどうか疑問に思っています。しかし、もうすこし検討してみますので、この投稿へのコメントはいいです。とにかく、考える時間をください。 --Hatukanezumi 2007年12月4日 (火) 11:07 (UTC) 訂正 --Hatukanezumi 2007年12月4日 (火) 11:10 (UTC)
私個人が「数日も待て」ないと考えているかどうかは、先のノートでのコメントの前後にこの項目の編集として何をしたか、しなかったかで理解していただければよいと思いますが、Wikipedia:存命人物の伝記が求めていることは取りあえず、項目の本人にとって不愉快かもしれないことがらについて、記述の可否や内容の真偽正誤が判然とするまで、そのままの表示内容でまってということではないでしょうということが言いたいわけです。この方針は「良い百科事典の内容を作る」ということを目的としたというよりは、この「百科事典を作る活動を守る」ことと「百科事典を作る活動によって結果的に被害を受ける記述される人を守る」を目的とした方針ですから、適用は厳格であるべきであると思います。
なお、私が来て、PEACE氏が来たのではなく、少なくともPeace氏の靴下であるEurope氏がリバートを繰り返していた後に私のリバートがあったことは申し上げておきます。Peace氏の靴下は自身が以前何らかの編集を行うか、自身の靴下をブロックしたり、編集を妨げる活動を行った人の他の編集の妨害を行うので、この項目にはおそらく、Peace氏の靴下が既に編集を行ったことがあったのであろうと考えています。このことが意味することは、おそらく今後もPeace氏の靴下はこの項目の編集を行うであろうし、その人物は問答無用でリバートするということです。それに対して、異なる名前のPeace氏の靴下が来るたびに、意思の疎通を試みるため、数日間正しいとは思えない状態で項目の内容を放置することは、一年なりのスパンで見れば、結局、氏の正しいとは思えない記述を長期にわたって表示せしめる結果にしかならないというのが、私の理解です。それが、Wikipediaの方針なのであればともかく、Wikipedia:存命人物の伝記はそのような状況が続くことを正しいとはしていませんので、必要ならリバートにて正しくない編集を除去し、さらには問題行動を続ける当該人物をブロックするのが正しい行動と思っております。保護についてはむしろこちらがお聞きしたいくらいなのですが、現行のブロックの方針には「編集合戦や編集合戦が予想されるために記事を保護する場合、この利用者による投稿は差し戻された状態で保護することになります。」とありますが、現状でPeace氏の靴下として無期限ブロックされたユーザによりなされた投稿が差し戻された状態で保護されていないケースも多いです。これが、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案の試験的運用のためなのか、それとも同条項の適用に際しては管理者掲示板等にしかるべくアピールする必要があるのか、それともPeace氏の靴下として無期限ブロックされた利用者が、ノートでの議論もなく一方的に行ったリバートに端を発した編集合戦がこの条項の適応のない編集合戦と管理者に理解されているのか、それとも私の理解していない全く別の理由によるのか全くわかりません。何れにせよ、Peace氏の靴下が来襲した場合、その記事の保護を全く当てにしないということは難しいことであると思っております。以上コメントは不要と言われましたが、思うところを申し上げました。Checkthere 2007年12月4日 (火) 12:35 (UTC)
基本的に君の編集がウィキペディアで不可侵(ユーザー間の合意でも覆せない)の方針に反したMY RULEで行ったものや、編集合戦相手の内容より劣っている場合は重視されません。あれこれ難癖付けて史実や対立する歴史認識、言説の隠蔽を行うのは反日サヨクや在日君の得意とする手段だけれども、ウィキペディアの目標とは相容れないのだから、ウィキぺが一般国民に浸透するのに比例していずれは敗北するのです。おわかり?Hotshachi 2007年12月4日 (火) 13:06 (UTC)
報告 利用者:Hotshachi会話 / 投稿記録 / 記録PEACE系の利用者として2007年12月4日 (火) 13:08に無期限ブロックされました。 --Hatukanezumi 2007年12月4日 (火) 16:11 (UTC)

信頼できるできないと思うのは個人差があります。どうしても削除したいならWikipedia:存命人物の伝記のノートで議論し方針文に詳細な指針を加えたうえで、「公式方針」となってからです。公式でない方針をまず充実させることが先決です。煙幕 2007年12月4日 (火) 09:11 (UTC)

Hatukanezumiさん、Checkthereさんご免なさい、みんな私が悪いんです。私が最初にいい加減な事を書いたせいでそこにつけ込まれちゃったんです。これは結構大事な議論な気がするのでノートで合意が取れるまでは田辺敏雄さんのはそのままにしておきます。警察の監視を受けたというのの出典も確認してないし、時間取って本を探しに行くことにします。田辺敏雄さんの本は、斜めに読んだだけなのですが、金子安次という名前は出てこないかもしれないと思ってます、それも確認します。ゆうなんた 2007年12月4日 (火) 15:34 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

煙幕さんへ。田辺敏雄さんの本は斜め読みなのですが、「証言に矛盾や疑問点がある」というような説明は発見できませんでした。なんというか、書いてあることが曖昧なんです。煙幕さんがこの本をご存じなら金子安次について、どこでなんという形で出てくるか教えてください。ゆうなんた 2007年12月4日 (火) 15:44 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

煙幕氏はHotshachi氏等とともに現在Peace氏の靴下として無期限ブロックされています。失礼ながらPeace氏の文献調査能力は高いとは言えない上に最近ではブラフでそれっぽい出典を出すこともあるので、詳細は今後Peace氏の靴下が来た時に確認すれば良いという気もしますが、Hatukanezumi氏、ゆうなんた氏がしばらく現状維持を考えておられるようなので、それに反対はいたしません。

上でも少し書いたのですが、Europe氏以前にSerich2007氏がPeace氏のようですから、少なくとも、ゆうなんたさんが執筆されるよりも前に、Peace氏はこの項目に目を付けていたということになります。ゆうなんたさんが悪いということではないと思います。WP:PEACEを見るとわかりますが、Peace氏と学術的な協調を行うことは極めて困難です。Checkthere 2007年12月4日 (火) 16:27 (UTC)

あなたが学術的かどうかはおいておいて、とてもじゃないけど協調的とは言えないでしょう。ノート:慰安所でIP氏が指摘されているとおりの荒らしにしか見えませんよ。Oppm 2007年12月4日 (火) 16:43 (UTC)

Oppmさんへ。あなたは秦郁彦の記事について私の説明では不十分だと要約欄で書いていますが、何が不十分なのですか?幾らでも説明しますよ。もし私への質問もなしに批判の出典に秦郁彦を書くようなら、あなたはそれこそ、根も葉もない事を事典に書く荒らしになってしまいますよ。ゆうなんた 2007年12月4日 (火) 17:57 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

CheckThereさんへの応答。
この項目は、金子安次について解説するものです。ですから金子の私生活のあれやこれやをとりあげることは、Wikipedia:存命人物の伝記に抵触するでしょう。そのような点について「本人にとって不愉快かもしれないことがら」(Checkthere 2007年12月4日 (火) 12:35 (UTC)) を記載すべきではありません。
しかし、金子の証言活動自体は、公的な活動として行われているとおもいます。実際、女性国際戦犯法廷で証言者となり、その証言内容は公刊されています。民衆法廷とはいえ法廷ですから、行われた証言に対して批判や疑問がだされていることに対して「不愉快かもしれない」かどうかは、我々が忖度すべきことではありません。つまり、「証言する金子」はWikipedia:存命人物の伝記における「公人」の扱いを受けるに足りると考えます。
ですので、証言活動についての批判や疑問が出されているのなら (そしてそれが本当に信頼できる情報源によって確認できるのなら)、それは掲載されるべきだとおもうのですよ。その場合に記述を存続するかしないかは、(1)記事にとって重要でない記述かどうか、(2)出典が示されているかどうか、(2)示された情報源で検証可能かどうか、で判断できると考えます。 --Hatukanezumi 2007年12月8日 (土) 11:35 (UTC)

基本的には賛成ですが、「証言する金子」が「公人」であったとして、信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、その記述は除去せねばならないです。現在、秦の著書には「金子の証言には矛盾や疑問点がある」とか、「金子の思想的背景には疑問がある」とか、「金子の証言には信憑性に疑問がある」という明確な記述がないことが分かっています。また、JohnSmithさんにより田辺敏雄氏を出典として、金子さんを批判する記述が現在も残っていますが、田辺敏雄氏が現代史の専門家でなく、氏の著述は信頼できる情報源でも、第三者的情報源でもありません。よっていずれにしろこの記述は削除せねばなりません。田辺敏雄氏が著作において、「金子証言に疑念をもっている」と明白に主張しており、かつその主張を掲載することが一定の意義をもつのであれば田辺敏雄氏が著作において、なにがしかの主張をしていることの記述を付け加えることは反対しませんが、それにはまず、田辺敏雄氏のどの著作の何ページに何々という記述があるので「金子証言に疑念をもっている」と明白に主張しているということが確認でき、かつ氏の主張を掲載することが一定の意義をもつのということについての、第三者による信頼される出典が必要です。両方があるのであれば反対はしません。Checkthere 2007年12月13日 (木) 16:52 (UTC)

金子安次さんへの批判は削除するのに賛成です。秦郁彦のはそんな出典はないから、田辺敏雄のは第3者によるものではなく百科事典の存命中の個人の記述に書くだけの信頼性にかけるから、です。ゆうなんた 2007年12月13日 (木) 17:33 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

保護について

保護されちゃいましたね。ちぇっ。議論は保護中もできますので、これまでの議論を継続し、合意形成に至りたいと考えます。ご参加ください (多重アカウントの目的外利用者やブロック逃れの利用者は除く)。

で、提案と保護が後先になってしまいましたが、荒らし対処についてです。リバートはもっと緩慢にやってもいいのではないかとおもいます。特に、確信犯的に記事を改変する輩に対しては、即座にリバートしてもかえって喜ばせ、活動を活発にさせるだけだとおもいます (むしろ、まじめな編集でこそ、間違いがあったら即座にリバートすべきなのではないですか)。記事がしばらくの間破壊されたとしても、長期間保護されるよりはましです。つぎのことを提案します。

  1. 当記事では、荒らしとみられる編集へのリバートは1日1回までとする。だれかがリバートしたら、それをふたたび荒らしとみられる利用者に差し戻されても、すくなくとも次の日までは放置する (長期荒らしの場合はいずれブロックされるので、ブロックを待ってから差し戻すのもひとつの考えかたである)。
  2. ノートや要約欄で、「為にする議論」をしかけられたら、むきになって反論しない。単に無視する。
  3. 当ノートでは、荒らし利用者をいちいち非難しない。また、だれがだれの靴下であるかといったことは当ノートでは詮索しない。そういうことが気になるのであれば、管理者伝言板に報告するか、投稿ブロック依頼を提出する。

以上。ただ、こんなことよりも上のほうの節で行われている議論のほうが優先度がたかいです。 --Hatukanezumi 2007年12月5日 (水) 12:24 (UTC)

わたしの理解は上記の通りで、リバートを緩慢にすることをルールとして決めたとしても、Peace氏の靴下はそれを守らないことが容易に想像できますから、このようなローカルルールはWikipediaとして正しくない内容、つまりPeace氏がwikipediaの権威とページビューを利用して一般の閲覧者に発信することを企図している内容を、wikipediaとして発信しつづるける時間を増やすという状況をもたらすものでしかない以上、反対いたします。 Peace氏は連続してリバートし続ける実際上十分な靴下を常に有しているわけではなく、過去に執筆した全ての項目を常にリバートするわけでもありません。すすんでリバート合戦を引き起こす必要はありませんが、彼がwikipediaの権威とページビューを利用して彼が一般の閲覧者に発信することを企図している、Wikipediaの諸方針に反した内容を、一日のある期間以外発信させ続ける必要はありません。Wikipediaの内容は、Wikipediaの諸方針に従った内容にすべきです。

Peace氏の目的はwikipediaの権威とページビューを利用して一般の閲覧者に氏の主張を発信することと思われますから、自分の書いた内容がリバートされることを喜び、いよいよ活動を活発にさせるわけではありません。靴下の消費が結果的に激しくなるので、沢山の靴下を出し続け、活発に活動しているように見えても、手持ちの靴下を使い果たすと、IPでの活動しかできなくなり、それも制約されるとノートで毒を吐くくらいしかできなくなります。彼にとってもブロックは痛手であり、最近では3rr違反にならないよう注意しているふしさえ伺えます。彼の無法を嫌うあまり、彼の編集内容の存続を結果的に認め、Wikipediaの諸方針に反した内容を、一日のある期間以外発信させ続けることはまさしく、彼の望む所そのものであり、たとえ一か所でもそのような項目ができれば、他の項目についても同様にしようとより過激に行動するようになることは明らかです。Wikipediaの内容は、Wikipediaの諸方針に従った内容にするためには、個々の項目で正しくない内容にはノーを言い続ける必要があると思います。

「むきになって反論しない。単に無視する」「荒らし利用者をいちいち非難しない。また、だれがだれの靴下であるかといったことは当ノートでは詮索しない。」の2点については執筆者の合意があるのであれば、ローカルルールとして決定することには異議はありません。Checkthere 2007年12月5日 (水) 17:56 (UTC)

冒頭の要約?部分の修正案

記事冒頭の「金子 安次(かねこ やすじ、1920年 -)は、…戦争犯罪者」の部分、「戦争犯罪者」は削って良いと思いますよ。A級戦犯クラスなら別ですが、一兵卒つかまえて、「戦争犯罪者」っていうのはどうだかなあ、と思います。(そもそもPeaceさんと思しきユーザーが加筆した部分ですし。)また、長期荒らしのユーザーへの対処法としては、ノート:南京大虐殺あたりのローカルルールを参考にしては如何でしょうか。... Kanoe 2007年12月5日 (水) 13:26 (UTC)

金子さんが戦犯なのは事実ですが確かに記述方法を変えた方がいいように思います。彼を戦犯と呼ぶなら中国戦線に参加した日本軍兵士の少なからぬ数がそう呼ばれるべきでしょう。ゆうなんた 2007年12月5日 (水) 16:12 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)
「「戦争犯罪者」は削って良い」に賛成いたします。Checkthere 2007年12月5日 (水) 17:23 (UTC)
そうやって紛れも無い事実を隠滅しようとするから編集合戦になるんですよ。戦犯収容所に入れられた中帰連の本人が犯罪を証言しているのだから削る理由はありません。反日擁韓擁中に都合の悪いことを隠そうとするサヨクの真似事は印象が悪いのでお止めなさい。61.205.94.166 2007年12月5日 (水) 22:23 (UTC)
user:61.205.94.166さん、以下の質問にお答え下さい。
  1. 過去の投稿履歴から判断して、user:61.205.94.166さんは長期荒らしのPeaceさんと思うのですが。user:61.205.94.166さんはPeaceさんですか?
  2. 「反日擁韓擁中に都合の悪いことを隠そうとするサヨクの真似事」とはどういうことですか? 私には良く分かりませんので、今回の修正案がどうして「反日擁韓擁中」(の人?)にとって「都合の悪い」のかもう少し具体的かつ論理的にお願いします。
  3. user:61.205.94.166さんのスタンスだと、A級戦犯から始まって末端の一兵卒に至るまで戦犯になった人は、「戦争犯罪者」と冒頭に記述すべきと言うことだと思うのですが。その様な理解で正しいですか?... Kanoe 2007年12月6日 (木) 07:32 (UTC)

事実であるなら記述して当然。ウィキペディアに記載する以上は、それだけの著名性があるということ。著名性の条件を満たしている限りはA級戦犯だろうと「末端の一兵卒」だろうと何だろうと特別扱いする所以は無い。--Saintjust 2007年12月11日 (火) 00:33 (UTC)

(導入部への現行の形での記載には反対、本文で言及なら保留)A級戦犯とされる人物の記事をいくつか見てみましたが、定義部に戦争犯罪者、または戦争犯罪人という記述が行われている記事は見た範囲には見当たりませんでした。また、戦争犯罪者というのは主な活動とは呼べず、定義も広いため導入部での記載には反対します(Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)参照)。--水原怜雅 2007年12月11日 (火) 00:58 (UTC)
他に特筆すべき属性もない人物なのだから書いて当然だろう。舛添要一(国際政治学者、タレント、参議院議員、自由民主党参議院政策審議会長…)など、導入部で肩書きがずらりと並ぶ人物記事は幾らでもある。--Saintjust 2007年12月11日 (火) 04:40 (UTC)
「戦争犯罪者」という呼称が何を表しているのかわかりません。「戦犯」あるいは「戦争犯罪人」であれば、なんらかの法廷で裁かれた結果、戦争犯罪を認定された人のことでしょうけれど。仮に当人が自称しているのならそう書くべきでしょうが、その場合も「自称である」と明記すべきです。
そもそも、百科事典では、このようなキャッチフレーズ的な短い語句を提示することで読者の想像力にたよって言外のイメージを喚起するべきではなく、事実関係を具体的に叙述した客観的な文章を書くべきです。
「戦争犯罪者」という表記は不要でしょう。 --Hatukanezumi 2007年12月11日 (火) 04:56 (UTC)
追記。ローカルルールですが、ある程度議論に参加するひとが多ければ、手続き的規定をつくってもいいとおもいます。上の提案をしたときはそれほどでもなかったので、各人の倫理規定みたいなものを考えました。おいおい考えましょうか。 --Hatukanezumi 2007年12月11日 (火) 05:03 (UTC)

まず、戦争犯罪人とは何を指す呼称でしょうか。そして、その呼称で当該人物を呼ぶべきことは中立な第三者の研究によって保証されていることですか。保証されているのであればそもそも、そのような記述をするのであれば、まず出典をを出してください。出典なく事実といわれても事実とは認められないです。また、Wikipediaの方針である存命中人物についての伝記にあたる記事が高いレべル出典を要求していることにご留意ください。Checkthere 2007年12月11日 (火) 15:01 (UTC)

user:Saintjustさんへお返事です。
>事実であるなら記述して当然。
著名性の条件を満たしている限りは…特別扱いする所以は無い」というのと、「他に特筆すべき属性もない人物なのだから書いて当然」というのは矛盾しませんか? 後者は、「特筆すべき属性」があれば、「戦争犯罪者」と書かなくても良い、という論理だと理解しているのですが(私の誤解であるのならば、もう少し私でも理解できるようにご説明下さい。)。
>特別扱いする所以は無い
はい、「特別扱い」などするつもりは一切ありません。むしろ、「特別扱い」しないから、「金子安次」の冒頭には書かないのが妥当である、と主張しているつもりなのですが。実際、洋の東西を問わず「A級戦犯から始まって末端の一兵卒に至るまで」「戦争犯罪者」と冒頭に大書されているのは、「特別扱いされている「金子安次」だけです(見落としがあったらすみません)。... Kanoe 2007年12月11日 (火) 13:56 (UTC)

やはり私も戦争犯罪者と書くべきではないと思います。本文では「日中戦争での残虐行為を問われ戦犯として収容所に6年間収容された」とすべきだと思います。というのは、中国側そして金子さん自身も戦犯と呼んでいますが、実際には金子さんは起訴猶予になっており、正式に彼を戦犯とする法的根拠はないからです。「金子さんの戦争」にはこうあります。”被告席には安次さんたち撫順戦犯管理所の295名、太原戦犯管理所から来た40名がいる。(略)検察官が文書を読み始めた(略)ここに寛大処理を行い起訴を免じて即時釈放するものである”(p183)。結局約1000名の日本軍人などに対し、有罪判決が出たのは将軍や満州国の高級官僚ら45名で、それも最高20年の懲役刑でした。金子さんたちは裁判開始まで6年間収容所にいましたがそれは刑罰ではありません。これは中国の研究者による瀋陽裁判の研究(程凱「二つの戦後」と改造事件、現代思想、2007年8月号)でも同じです。ゆうなんた 2007年12月17日 (月) 17:34 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

ゆうなんたさんの変更案に賛成いたします。この案に反論が出ないのであれば、当面の執筆についての異論はなくなりますので、保護解除依頼を行い、その上で変更案のように変更したらどうかと思います。Checkthere 2007年12月18日 (火) 10:45 (UTC)
一応表明しておきますが、(提案者なので当たり前ですが、)削除には賛成です。但し、削除すべき、とする理由はまた別です(私の意見は上述)。解除依頼には反対しませんが、その場合、上で少し触れているローカルルールの様なものの導入をした方が良いと思います(Peaceさんの場合、ローカルルールすら無視する傾向がありますが)。もしくは、(Peaceさんの)ほとぼりが冷めるまで解除は先延ばしし、合意が得られている部分については管理者の方に保護状態のまま、編集をお願いすればよいと思います(多分、後者の方が無難でしょう)。... Kanoe 2007年12月21日 (金) 13:17 (UTC)
ゆうなんたさんの変更案で合意がとれたということで、管理者の方に保護状態のまま、編集をお願いすることとに賛成いたします。Checkthere 2007年12月21日 (金) 15:03 (UTC)
うーん。これまでの例をみると、記事の内容に踏み込んだ編集は、「単純な修正ではない」ということでWP:AN#保護ページの編集依頼では受けつけてくれないみたいなんですね。
またわたしは、WP:PEACEを理由としての解除の先延ばしには反対です。保護の理由は「編集合戦」ですから、いまは合意形成のために編集をとめられているのだと認識しています。合意ができたのなら解除したいです (予防的な保護依頼は認められていないということもありますし)。
ただ心配はたしかにあるので、合意ついでに(?)、ローカルルール (のようなもの) の話も詰めましょうか。よかったらどなたか節を立ててくださいませんか。 --Hatukanezumi 2007年12月21日 (金) 15:46 (UTC)
確かに、Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼に単純な修正云々、とありますね。気が付きませんでした。私は、Wikipedia:保護依頼#保護状態での編集にある、「保護されたページを保護状態のまま編集する」「合意が得られている」場合、「管理者伝言板へ依頼してください」という文言を受けて上の様にコメントしたのですが…。個人的には、(時系列からして)後者の方が正しい気がします。この辺りが元になっている気がしますので、少しその辺り(?)で相談してみます。... Kanoe 2007年12月22日 (土) 11:47 (UTC)すみません、修正しました... Kanoe 2007年12月23日 (日) 10:04 (UTC)

インデントを戻します。それでは、単に金子が戦争犯罪人であるとの記述を方針に反する記述として、単に削除を要望するのではどうでしょうか。このままというのはよろしくないと思います。Checkthere 2007年12月23日 (日) 09:09 (UTC)

とりあえず、私はuser:Calveroさんのお返事待ち、という感じです。ですが、是非とも削除したいのであれば、(この件(冒頭の文面)以外の修正については対応が難しいと思うのですが、)Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼に、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックに基づいた依頼として、「この利用者(投稿ブロック済みユーザー―注:Kanoe)による投稿(「戦争犯罪者」と記載された版)(記載者の無期限ブロックのログ)を「除去すること」を依頼すれば良いと思います。... Kanoe 2007年12月23日 (日) 10:02 (UTC)
Kanoeさんのアドバイスに従い、依頼をしました。Checkthere 2007年12月23日 (日) 10:43 (UTC)

Saintjust氏のご意見に賛同しておられる[5] 、ここでKanoe氏が除去されているHighhappy氏の意見に同意します。編集姿勢の指針としてKanoe氏の回答が大変重要であろうと考えます。また回答に窮して話題を変更していることや削除依頼までもして回答回避されていることからも興味があります。ただ、現状での対応については水原怜雅氏の提案が落としどころとしては妥当かと思います。Kanoe氏は導入部分だけではなく、本文中でさえも金子安次が戦犯であるという事実を隠匿すべきとするご意見のようで、そこまですると逆の意味で金子安次だけ(または戦犯の内、中帰連という戦犯組織だけ)を「特別扱い」することになってしまいます。狂大 2007年12月24日 (月) 20:45 (UTC)

えーと。だれかさんのソックパペットはお呼びでないんですがね。保護中の編集については、管理者に編集を代行させることになりかねないので、いまの抑制的な運用にわたしはあまり反対ではないです。で、やっぱり保護解除にはローカルルールの策定が必要な気がしてきました。週末 (もう年末か!?) にでも節を立てます。 --Hatukanezumi 2007年12月25日 (火) 12:38 (UTC) とか書いて、よく見たら上の発言者もWP:PEACEとしてブロックですか。やれやれ。 --Hatukanezumi 2007年12月25日 (火) 14:02 (UTC)

user:Michey.Mさんの裁量で修正して頂けました。杞憂ではありますが、「戦争犯罪者」の記述が名誉毀損に当たる可能性を回避する場合には削除依頼へ、とのコメントを頂きました。... Kanoe 2007年12月27日 (木) 08:01 (UTC)

真に「自虐史観主義者こそが歴史修正主義者也」の実演で御座いました。(笑 

秦郁彦の批判について

(秦郁彦は、金子など自分の犯罪、加害行為を告白する兵士を「一部の極悪人」と発言している。それらを日本軍兵士全体の犯罪とすべきでないという考え方である)は、間違いです。引用された雑誌記事にはそうした記述はありません。引用文献では、「焼き打ちや虐殺をやったと称する『極悪人』が今頃になって次々に出現する」です。従ってここは、(秦郁彦は、金子など自分の犯罪、加害行為を告白する兵士を『極悪人』と書いている)とすべきだと思います。また、念のために書いておきますが、この雑誌記事には金子安次さんの名前はありません。ゆうなんた 2007年12月6日 (木) 16:00 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

意見に異論はないんですが、文献を参照したときは「書誌」を正確に記すようにしていただけませんか。つぎのような情報です:
著者、タイトル、雑誌名と巻号 (雑誌掲載記事の場合)、発行年月、出版者、ページ。
上のような情報がそろっていれば、検証する気のあるひとなら容易に検証できるようになります。また、ネット上でみかけた不正確な引用を孫引きして記事を書くようなひともへっていくでしょう。 --Hatukanezumi 2007年12月16日 (日) 09:05 (UTC)

上記で問題になっているのは、秦郁彦 “「空想虚言症」の記憶にさいなまれる『朝日新聞』”、雑誌「諸君!」 (1998年11月号)です。極悪人と書いてある場所はp98です。ゆうなんた 2007年12月17日 (月) 16:13 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

次に熊谷伸一郎「金子さんの戦争:中国戦線の現実」リトルモア、2005年ですが、この中では金子さんへの聞き書きの形で彼の体験が述べられていますが、住民や捕虜の殺害、略奪、強制連行、毒ガス戦をしたとは書いてありますが、朝鮮半島の慰安婦強制連行、731部隊、南京事件に関わったとは書いてありません。金子さんが徴兵検査通知を受けたのは1940年4月(p44)であり、南京事件に関わったなどあり得ない事です。また

・""彼らへの警察の監視も厳しかった。例えば元特務として戦犯となった岩崎賢吉さんは語る「私服の警察官が来て、最近調子はどうですかと言う。なにげなく質問して様子を探る。近所の人達に威圧感を与える。かつて私がやっていた仕事ですよ」多くの元戦犯たちが警察の監視もとで職を失い、近隣の人々から偏見の眼で見られることとなった""(p197)
・""「警察の監視はずっとあったんだよ、奴ら何でも知っているんだ。金子さん何日どこそこに行きましたねって」「約2年間だねその間はずっと警察の監視があったよ、みんなそうさ」警察の監視と社会からの偏見という逆風の中で生活を再建するのは容易ではなかった""(p199)

とあり、「警察による常時のあからさまな監視」が金子さんを含め撫順からの帰還者全体にあったことが述べられています。ゆうなんた 2007年12月17日 (月) 16:45 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)

そして池谷薫「蟻の兵隊:日本兵2600人山西省残留の真相」新潮社, 2007年では、映画「蟻の兵隊」の主人公奥村和一についても「警察による常時のあからさまな監視」が同じようにおきていた事が奥村和一さんからの聞き書きの形で述べられています。

""生まれ故郷ではさらに追い討ちをかけるような出来事が待っていた。私服の公安刑事に毎日のようにつきまとわれたのである。(略)「刑事は家の座敷まで上がり込んできました。そして中共の話が聞きたいと言うのです。そう言われても収容所の生活を知るだけなのでよくわかりません」(略)後でわかったのですが刑事たちは私が行く先々で、あいつは何をしていたのかと聞き込みをしていたのです。しまいには店の入り口にまで立つようになりました。刑事が見張っていてはとても商売になりません。仕方なく私は故郷を離れることにしたのです」""(p181)ゆうなんた 2007年12月17日 (月) 16:58 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月6日 (日) 05:37 (UTC)
『金子さんの戦争』も『蟻の兵隊』も、わたしはまだ閲覧できてないんです。近所の図書館では予約待ち状態だし、書店でも品切れなもんで。それはどうでもよくて、#要出典ほかについての残っていた懸案はゆうなんたさんが示した『金子さんの戦争』で解決ですね。上の節は解決済みとしておきます。
ちなみに、当記事とははなれますが、奥村については、池谷薫「蟻の兵隊を語る」『シネ・フロント』2006年9月、シネ・フロント社、pp.5-11。にもみつけました。池谷へのインタビュー記事です。問題の事象についてはp.6にでています。 --Hatukanezumi 2007年12月18日 (火) 12:32 (UTC)

ローカルルールについての提案

えーと。そういうわけで (どういうわけだ)、ノートまで編集合戦模様ですので、合意があるからといってこのまま保護解除しても、再発は必至とおもわれます。ローカルルールの策定を提案します。

(A案) まずは倫理規定タイプ。上で提案したものですが、再掲します。

(B案) 手続き規定タイプ。ちょっと長めです。

どちらがいいでしょうか。また、それぞれの案に対する修正案もお願いします。

さて、こちらでは、今年のわたしの投稿はこれで終わりとします。皆様よいお年を (多重アカウントの目的外利用者やブロック逃れの利用者は除く)。 --Hatukanezumi 2007年12月31日 (月) 07:54 (UTC)

ご苦労様です&明けましておめでとうございます。多分、私は以降の編集には参加しないで、傍観と言う感じになるとは思うのですが、一読した感想を少し。
(B案)の2の差し戻しのローカルルールについて
A、Bをユーザー名とします:Aが編集→Bが差し戻す&ノートに差し戻しの理由を提示、という案だと思います。ですが、「Aが編集」する前が合意を得られている正常の版であるのならば、Aが編集→Bが差し戻す→Aがノートに編集の理由を提示、というのが正しい流れではないでしょうか(多分、正常に機能すれば本質的には両者の違いはない気もしますが…)。
(B案)の2の差し戻しのローカルルールについて:差し戻す頻度は、一箇所の記述について1人1日1回
まず、「一箇所」の定義が曖昧ではないかと思います(例えば、無関係な箇所の微妙な言い回しを変えたりする事で「一箇所」が拡大したり縮小したりするのではないでしょうか)。と言っても、「拡大」や「縮小」によって何が出来るのか、と言われても直ちには思いつかないのですが…。あと、「1人1日1回」も多重アカウントユーザーがアカウントを乱発していると対処しきれない気がします。結局、荒らしが荒らしである、と判定され確定されるには管理者の方のブロックを待つ以外にないわけですが、最近の傾向ではその「確定」には数日かかってしまうのが一般的であると思うのです。その場合、「1人1日1回」規定が通常の(荒らしでない)ユーザーにとっての足かせとなってしまうのではないでしょうか(と言っても、長期的にはそうでもないと思います)。... Kanoe 2008年1月1日 (火) 03:18 (UTC)
(B案)の4ローカルルールからの逸脱について
4-2の方が良いと思います。私の主観でしかないですが、「管理者伝言板」はブロック依頼と違って管理者の方に提供される情報が少ない感があり、長期荒らしに対するブロックが速やかに行なわれていない気がします。... Kanoe 2008年1月1日 (火) 03:18 (UTC)

すでに書いた理由から、どちらの案についても反対します。こうした案は結局のところPeace氏の記述が長期間掲載されるお手伝いとなるものです。--Checkthere 2008年1月2日 (水) 10:59 (UTC)

おめでとうございます。さて、2. ですが、1. で述べているようにこのルール(案)は差し戻しに焦点を絞っています。有意(かどうかわからないが)な編集については好きにやってくれということです。ですので、「単なる差し戻しには理由を提示」という流れになっています。もちろん、編集には理由はいらないということではありません。
おっしゃるとおり、2.1.3.1. があるため、Aが編集→Bが差し戻す&ノートに差し戻しの理由を提示、となった時点で議論に移行します。逆に 2.1. がないと、議論が終結するまではAの編集は記事中に残ったままになってしまいます。
ただ、こういうふうに理想的に進むとはかぎらないのはたしかなので、もうすこし意見をうかがいたいとおもいます。
実質的に差し戻しなのに微妙な修正を加えている場合は、差し戻しとはなりません。そのようなものを制限しようとすると、相互編集の結果 (ノートでの議論によらず) みなし合意が得られるような道を、閉ざしてしまうようにおもいました。
多重アカウントユーザのソックパペット乱発ですが、そういうものに一生懸命対応してあげることこそ、彼らの活力の源ですんで、むしろ緩慢に対応してあげるほうがいいとおもいます。本来、荒らし対応というのは、記事の品質向上とは関係ないことです。それにエネルギーを浪費するのは避けたい、というのが、今回の提案の根底にある考えかたでしょうかね。
4.2. の前に 4.1. があるのも同様で、対応する側に時間的、心理的な余裕をもたせようとするものです。また、長期の確信犯/愉快犯的荒らしに対する対策には情報収集も必要ですので、そのための時間かせぎの意味もあります。 --Hatukanezumi 2008年1月2日 (水) 14:35 (UTC)

結局のところ、変な内容について書き込んだ人がいてもその人がローカルルールを守らない限り、その人はリバートしますから、そのルールに従えば、A正しくない記載→B正しくない記載除去→A正しくない記載で確定します。勿論常にCとかDとか別の人が出てくれば別ですが、それは期待できることではないです。他方Peace氏は常に3-5人分の人形を持っていますから、あちらはルールに表面上従っても問題ないことになります。だいたい、Peace氏を持ち出すまでもなく、「合意は拘束する」というのは、法諺ですが、一度合意した内容での記述を何のかんのいって言って直後に破る人など山ほどいます。私が直接関与しなかろうが、Hatukanezumi氏がどんなに丁寧に相手に説明し、下手に出て話をしても、合意を反故にする人は、結局のところ、「そんなルールは**さん達のわがままです。どこにそんな方針やガイドラインが?」とか言って平然と書き戻すでしょう。RFCを出して外部から意見をとっても穏健な人はルールに従って1回しかリバートしないのに、ルールを守らない側はすぐにそれをリバートできるのですから、結局のところ守ると正しい記述が残せなくなるルールということになります。一般にローカルルールは無法な書き込みについてそれを除去する根拠となるように作るものですが、このルールは正しい記述へのリバートを行わせないようにしています。究極の平和主義とは思いますが、その平和主義で百科事典の正しさが失われては話があべこべです。 ノートでの議論に誘導しということのようですが、記載が自分の考える通りに固定できていれば、最近はPeaceさんでさえノートで表面上の対話をしますから、半年とか一年とかその状態を続ければ良いのです。相手はのらりくらり話をするようなしないようなして、記述を除去されたらリバートしていればいいのですから、名目上のノートでの対話には応じるでしょう。それは正しい項目の執筆姿勢ではありません。--Checkthere 2008年1月3日 (木) 10:31 (UTC)

恐れ入りますが、Checkthereさんの編集態度についてはコメント依頼も出ていますし、事実、これまでもたびたび編集合戦を引き起こしてご自身がブロックされていらっしゃいますね。ほかのひとの忠告をよく聞いて内省すべきときなのに、あなたは相変わらず、某所で編集合戦を引き起こそうとしていらっしゃるようです。そんなあなたの意見は聞くに足りません。
数日から数週ほど、ウィキペディアでの編集や議論への参加は見合わせていただくよう、強くお願いいたします。この調子では短期ブロックではすまなくなりますよ。 --Hatukanezumi 2008年1月3日 (木) 11:16 (UTC)

文意をとりやすいように推敲しました

731部隊関連については出典が必要

捕虜として抑留されたが、その後は戦争犯罪者として収容されたことと、秦の主張の文意がわかりやすいように推敲しました。Reuser 2008年6月20日 (金) 15:44 (UTC)

上の節のとおり、「戦争犯罪者」という記述はいったん除去されたわけですが、執拗に再加筆なさっていますね。
会話ページでの問いにお答えください。論点をそらしつづけ、誠意をもって議論なさらないのでしたら、ウィキペディアでの編集はおやめください。 --Hatukanezumi 2008年6月21日 (土) 02:27 (UTC)

(以下利用者‐会話:Hatukanezumiより移行)

「敗戦を中国で迎え5年間シベリア捕虜として抑留されたが、その後、戦争犯罪者として中国の撫順戦犯管理所に収容された元日本兵。」

あなたはこの文の「戦争犯罪者として」の事実を書きたくないだけです。捕虜として抑留されていた対比として明示した意味もあります。もうひとつ、

秦郁彦は、金子のように自身の犯罪・加害行為を告白する元兵士を「一部の極悪人」と評し、日本軍の方針ではなく個人的なものだと見ている)

あなたがわすれている「かっこ」までつけて文意をわかりやすくしてあるのに何度も差し戻して下のような変な文章にしましたね。

秦郁彦は、日本軍兵士の犯罪・加害行為が軍の方針ではなく個人的なものだと見ており、金子のように自身の行為を告白する元兵士を「一部の極悪人」と評している。「確かに我々は極悪人だったよ。被害者にしてみれば鬼に見えただろうね。~」

これだと秦が戦争での日本軍兵士の犯罪・加害行為の全てが金子のような一部の極悪人によるものと言っているかのような変な文章です。秦は金子らのような犯罪証言について言っているのです。Reuser 2008年6月22日 (日) 15:46 (UTC)

まず、秦の見解についてです。
わたしの書き換えと、それに対するあなたの書き換えをくらべてみると、ご指摘のように、
  • わたしのは、〈秦は「行為」が軍の方針ではなく個人的なものだと述べた〉という文章になっている。
  • Reuserさんのは、〈秦は「告白」が軍の方針ではなく個人的なものだと述べた〉という文章になっている。
というのはわかりました。
しかし、秦が否定しているのは〈「告白」したことが軍の方針であること〉だ、という説明は、ちょっと理解しがたいです。「極悪人」という評は、告白したという事実について言っているのではなく、犯罪・加害行為を行ったという事実について言っているのではないですか。
つぎに、「戦争犯罪者」の記載についてです。
まず、ノート:金子安次#冒頭の要約?部分の修正案での議論をお読み下さい。このなかで、わたしは「戦争犯罪を認定された人物である」ということを記載すること自体には反対していません。そうではなく、「『戦争犯罪者』という呼称が何を表しているのかわかりません」(上記議論でのわたしの発言) ということを問題にしています。わかるように書けばいいのです。
記事の導入部 (冒頭の部分) では、「その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にすることを目的とします」(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)) とされています。ですから、ここには、記事のなかで解説することを手短かに書く必要があります。ところが、記事の本文中では、金子がどのように「戦争犯罪者」とされたのかについての説明が、なされていません。
  • 例を出します。宮崎勤の記事の導入部に「宮崎勤は、犯罪者である。」と書いてあっても、解説として意味がないでしょう。実際、この記事では「宮崎勤……は○○事件の犯人として逮捕、起訴され、……」のように、具体的で客観的な事実を書いています。
  • 金子についても同様の書きかたをするというのなら、理解できます。単に「犯罪者」と書いても、それは解説として意味がありません。具体的にどんな罪状を認定されたのか、またどんな法廷で認定されたのか、などの情報を追加するのなら、わたしは反対ではありません。
現在の解説は、「敗戦を中国で迎え5年間シベリアに捕虜として抑留され、その後、中国の撫順戦犯管理所に収容された元日本兵」のようになっています。ここの「その後」のあとに、上に述べたようなことを加筆なさるというのはいかがでしょうか。 --Hatukanezumi 2008年6月23日 (月) 04:46 (UTC)

「戦争犯罪者」の記載について

Hatukanezumiさんが何度も差し戻ししたので「戦争犯罪者」の記載を拒否していると思っていましたがそういうことだったんですか。「捕虜として抑留されていた対比として明示した意味」はあなたが求める「金子がどのように「戦争犯罪者」とされたのかについての説明」と共通点があります。「当初は捕虜だったのになぜ中国では戦争犯罪者としてなのか」からつながってきます。

自分の考えとしては、導入部ということもあって、その説明は後の「年譜」や金子の「証言内容」などで加筆されて充実されるべきと考えました。手短にまとめるには自分では難しいように思います。Hatukanezumiさんによい文案があれば助かります。Reuser 2008年6月23日 (月) 15:38 (UTC)

ご理解いただき、ありがとうございます。事実関係をもう一度調べて文案を考えます (いま参考書類がてもとにないので、図書館で借りる)。少々お待ちください。 --Hatukanezumi 2008年6月24日 (火) 23:30 (UTC)
お手数を掛けます。Reuser 2008年6月26日 (木) 14:57 (UTC)
とりあえず『金子さんの戦争』を見ようとおもったんですが、近所の図書館でだいぶん前からずっと貸し出し中になってます。しかたがないので注文しました。すみませんが、あと1、2週間ほどお待ちください。
ところで、編集内容については合意が形成されたとおもいますので、記事の保護の理由とされた編集合戦は今後起こらないものと考えます。Reuserさんが賛成してくださるのなら、保護解除依頼を出そうとおもいますが、いかがでしょうか。 --Hatukanezumi 2008年6月29日 (日) 18:10 (UTC)
了解しました。保護解除にも賛成します。Hatukanezumiさんの文案ができてからでもどちらでもいいと思ってます。Reuser 2008年7月1日 (火) 14:51 (UTC)
とりあえず保護は解除されました。記述内容の検討は続行します。
で、『金子さんの戦争』が届いたんで読んでるんですが、どうも記事の記述とあっていません。
  • 当記事には「志願して従軍した」とありますが、同書を読むかぎり、通常の徴兵手続きによって動員され、従軍しています (p.46ff)。当人も入隊することに否定的ではなかったのは事実ですが、志願して入隊したわけではないです。
  • 同書では「戦犯」(釈放された後は「元戦犯」) という表現が多用されているのですが、実際には、捕虜としてシベリアへ移送されたときから撫順戦犯管理所を出るまでの間に、犯罪事実を認定する公判は開かれていないようです。シベリア時代に調書を取られている可能性がありますが本人は不知です (p.156)。戦犯管理所ではいわゆる「認罪運動」が実施されたし、そのなかで本人も供述書を提出しています (pp.170ff) が、検察官は最終的に不起訴として釈放の決定を出しています (pp.183f)。つまり、戦犯管理所の時期は未決囚の扱いだったことになります。
  • ちなみに、「戦争犯罪者」という表現は上の検察官の決定通知 (当然日本語訳で、しかも要約ですが) のみに出てきます。ほかはすべて「戦犯」で、本人の発言の紹介および著者の記述のなかに出てきます。
どうしたものかな。 --Hatukanezumi 2008年7月19日 (土) 10:59 (UTC)

秦の見解について

「秦が戦争での日本軍兵士の犯罪・加害行為の全てが金子のような一部の極悪人によるものと言っているかのような変な文章」はわかってもらえると思うんですが、確かにあの文は「極悪人」という評が告白したという事実について言っているかのように読めてしまいますので文章を改めてみました。

秦郁彦は、金子ら元兵士が告白した自身の犯罪・加害行為について、日本軍の方針ではなく個人的なものであるとし、彼らを「一部の極悪人」と評した)

この文を提案します。Reuser 2008年6月23日 (月) 15:38 (UTC)

賛成です。その文章ならわたしも意味がわかります。なお、(……)はあってもなくてもかまわないです。 --Hatukanezumi 2008年6月24日 (火) 23:30 (UTC)
提案に賛成いただきありがとうございます。Reuser 2008年6月26日 (木) 14:57 (UTC)

整理

だいぶ間があきましたが、大幅に整理してみました。

  • 従軍歴を加筆しました。また、証言活動をはじめたのは帰国後すぐではなく、引退した後の1990年代になってからですので、そのことを明確にしました。
  • 44大隊に配属されたことは事実のようですが、「コレラをまいた」という証言の出典はなんでしょうか。{{要出典}}を貼りました。信頼できる資料の提示を求めます。またしばらくして出典が示されなければ、記述を除去してください。
    • さらに、これが事実でもただちに731部隊の実験に参加したとはいえませんので、そのような記述は除去しました。信頼できる資料を出典として示しての再加筆は歓迎します。
  • 朝鮮半島での従軍慰安婦の強制連行にかかわった旨の記述がありましたが、金子は中国戦線に派遣されたはずです。「中国大陸」に修正しました。
  • 女性国際戦犯法廷での証言が引用されていますが、同法廷の記録は出版されていますので、そちらを出典として示すようにしてほしいです。ウェブ上で読めることを紹介すること自体はかまいませんが、一次資料を示すほうが信頼性は向上します。
  • 全体として、戦地での活動が「従軍慰安婦の移送にかかわった」ということのみ強調されるかたちになってしまっています。もうすこし解説が必要とおもいます。

以上。当節は解決ずみとします。 --Hatukanezumi 2008年10月12日 (日) 03:19 (UTC)