ノート:血液型性格分類/過去ログ2
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「血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められない」の出典について
上記の文章の根拠として挙げられてる大学生のレポートは、あるひとつの性格分類がインチキであると言っているだけなので、性格分類は全て根拠がないと言うための論拠にはなってないと思われます。論拠となる出典が見つからない場合は、もっと弱い主張に書き換えるべきかもしれません。--AT(会話) 2014年6月8日 (日) 12:54 (UTC)
- 血液型診断をより網羅的に研究して否定した研究論文が見つかりましたので、後で出典に追加しておきます。疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性。あなたが問題にしている文章は私(および加筆してくれた人)が書いてきたものであり、この機会に改定しようかとも思いますが、否定する文脈を変えるつもりはありません。編集合戦を避けるため、あなたが問題提起をしたことを尊重して一日だけ待ちましょう。ご意見があるならお早めに。
血液型生活診断を否定する文脈を歴史をさかのぼれば、血液型性格診断は1933年ぐらいに日本の学会で否定されて研究が下火になった誤った仮説です。血液型性格診断のような疑似科学は学会に相手にされていませんしされるべきでもありませんが、日本社会に広まってしまったことある種の社会現象として研究されるにいったのですね。そもそも科学的に仮説は実証されるまで受け入れるわけにはいけません(STAF細胞の一件でよく知られるようになったと思います)。--Littlefox(会話) 2014年6月9日 (月) 00:03 (UTC)--Littlefox(会話) 2014年6月9日 (月) 02:01 (UTC)
- ありがとうございます。以前のものより説得力が上がったと思います。では、よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年6月9日 (月) 02:13 (UTC)
- 追記を読んで;肯定する結果で信頼のおけそうなものがなければ、否定的論調で構わないと思います。しかし例えば「第三者が統計の作法に従って統計的に検証してみても、有意な相関が認められない」や「血液型と性格には相関関係がないことが明らかになっている」などは、出典が見つからない限りは論調を弱めるか、削除するほかないと思われます。前者はソースがありそうですが、後者については私は見つけることができませんでした。--AT(会話) 2014年6月9日 (月) 05:53 (UTC)
- Littlefoxさんの見つけてこられた資料で相関関係の否定は成立し、否定の出典になりうると個人的には思います。
- それから、出典がある箇所も出典が消されて「要出典」に変わっていますが、これはどういう意図ですか?--G2g7need(会話) 2014年6月9日 (月) (UTC)
- Littlefoxさんの資料が言っているのは、「既存の個々の仮説が科学的とは言えない」ということであって、著者自身も「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できない」と書いています。そもそも相関関係どころか統計の話も出てきていません。
- 2行目は「ABO式以外の血液型と性格との関連をめぐって」がソースになっていた文章について仰ってるのでしょうか?そうだとすれば、これは文章の後半(差別うんぬん)のソースにはなっていますが、前半(相関関係がない)のソースにはなっていないので、前半に要出典を付けたわけです。--AT(会話) 2014年6月9日 (月) 13:03 (UTC)
- 血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められない[要出典]←私が申し上げているのはこの文章の出典に関してです。ここには最初、出典が取り付けられていましたが、それが消去されて要出典に変わっていますが、既存の出典の信憑性を問題視してるということですか?--G2g7need(会話) 2014年6月9日 (月) (UTC)
- その文章の元の出典にあった問題は一番上にも書いた通り、信憑性というよりは、出典としては不十分だったということです。Littlefoxさんがより良い出典を見つけてきてくれたので、その部分については、個人的にはもう問題ないと思われます。--AT(会話) 2014年6月9日 (月) 13:21 (UTC)
- Littlefoxさんへ。先の議論で気づいたことがあったので追記です。上記のように①「根拠が認められない」ことと「相関関係がないこと」は混同されやすいようであること及び、②その出典の著者も「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できない」と書いていることから考えて、「今のところは科学的に認められていない。ただし、そのことはなんらかの相関関係の存在を完全に否定するものではない」のような書き方にすれば、①のような誤謬が起こりにくく、出典の意図②もきちんと踏まえたバランス感覚のある記事になるのではないでしょうか。--AT(会話) 2014年6月9日 (月) 16:31 (UTC)
- いろいろ再考しましたが、Axiom of translationさんの意見に私は賛同できません。「根拠が認められない」という結果の中に相関関係の否定が内包されているというのが、私の見解です。>今のところは科学的に認められていない。ただし、そのことはなんらかの相関関係の存在を完全に否定するものではない」これも申し訳ないが、賛同できない。この論理を持ち出せば、世の中の全ての現象が「現段階での研究では確かにそうだが、将来的には別の考えに至る可能性があり、その可能性を現段階では完全否定しきれない」という論理になってしまいます。つまり、この論理を持ち出すとキリがないんじゃないでしょうか?これは推察ですが、過去の研究から察するに99%以上の確率で血液型と性格に関連性はないでしょう。Axiom of translationさんのおっしゃるように、1%以下の確率で今後、なんらかの調査などで関連性が証明される可能性も否定しきれないと私も思います。しかし、その1%のために、変な形でバランスのとれた文章、つまり「血液型と性格の関連性は今のところ発見できない、しかし可能性はある」というニュアンスの内容に改定してしまうと、閲覧者に誤解を与えるのではないかと懸念します。--G2g7need(会話) 2014年6月9日 (月) (UTC)
- 追記です。今の文章のままで「相関関係の否定」に関する出典の追記をするのが、一番合理的な解決策だと思います。資料が見つからずにやむなく改定する場合も「相関関係はないと考えるのが妥当であるが、完全否定まではしきれない」といったニュアンスにとどめるべきだと考えます。--G2g7need(会話) 2014年6月9日 (月) (UTC)
- まず追記のほうから回答します。私も相関関係を積極的に否定する出典があれば、それを追加するのが一番だと思います。見つからない場合についても基本的にはそのようなニュアンスで良いと思いますが、ただ「妥当」と言えるほどの強い結果が見つかるかは疑問です。相関関係を積極的に信じる理由はないが、というくらいが良いと思います。
- 最初の見解について。G2g7needさんの見解は資料の著者の見解とも異なるようですし、他の資料が見つからない限りは納得していただく他ないかと。例を挙げれば、原子論の科学的根拠は二千数百年以上なかったわけですが、その間も原子は存在していたのだということを考えればわかりやすいかもしれません。
- 「この論理を持ち出せば、~」について。他の科学理論のページにおいては実際、例えば「相対性理論は正しいことが明らかになっている」と100%断言するような書き方はしていないはずです。現に「反相対性理論」に対しても公平に「勢力を失った」としか書かれていません。「中立性」と「検証可能性」を満たしつつ、どちらの側に対する誤解も生じない書き方をしなくてはなりませんが、意見を総合して「相関関係を積極的に信じる理由は存在しないが、完全否定されているわけでもない」というニュアンスの文で良いのではないでしょうか。--AT(会話) 2014年6月10日 (火) 02:43 (UTC)
記事の執筆に関わった方々にご理解頂きたい最も重要な論点は、
- ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。
- ウィキぺディアは、あなた自身の考えや分析を発表したり、未発表の新情報を発表したりする場所ではありません。
という二つのWikipediaの方針です。つまり、編集者個人の見解と信頼できる資料の見解とが衝突した場合は後者を採用すべきであり、編集者がどれだけ強く真実だと信じている説であっても信頼できる資料なしに断定するのは許されないということです。 参考:検証可能性ウィキペディアは何ではないか--AT(会話) 2014年6月10日 (火) 06:58 (UTC)
- 論文の言い回しを、ATがどう読み解かれているかは別として、科学論文としては全否定と言っていい書き方ですよ、それは。今日の心理学会で血液型と性格に相関関係を認めるのは少数意見であるという事が分かります(医学会や社会学会でもそうでしょう)。そもそも論理学の基本として無い事の証明は困難であるから、あると主張するほうに立証責任があります。いうなれば血液型と性格に関連性がないとは言い切れないという意見は「STAF細胞がないとは証明できないとか」「ある日、神が舞い降りないとは言い切れない」とか「世界のどこかに雪男がいないとは言い切れないとか」と同レベルの意見ですなんです。
そして科学哲学の基本から反証可能性を満たす必要があります。血液型性格分類は統計的に優位な差が出なかったということで反証され、認められなくなりました。
よってWikipedia:中立的な観点の少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありませんの指針により、科学的な事実としてこの項目で否定してよいと思います。
占いや信仰がそうであるように、血液型性格分類を日本で広く信じられていることとして紹介することはありえますが、百科事典である以上、科学的には否定されているという記述は併記して、誤解と迷信、それに由来する根拠無き差別を助長しないよう配慮する必要があるでしょう。--Littlefox(会話) 2014年6月10日 (火) 23:20 (UTC)
- 論文の言い回しを、ATがどう読み解かれているかは別として、科学論文としては全否定と言っていい書き方ですよ、それは。今日の心理学会で血液型と性格に相関関係を認めるのは少数意見であるという事が分かります(医学会や社会学会でもそうでしょう)。そもそも論理学の基本として無い事の証明は困難であるから、あると主張するほうに立証責任があります。いうなれば血液型と性格に関連性がないとは言い切れないという意見は「STAF細胞がないとは証明できないとか」「ある日、神が舞い降りないとは言い切れない」とか「世界のどこかに雪男がいないとは言い切れないとか」と同レベルの意見ですなんです。
- >>どう読み解かれているかは別として、科学論文としては全否定と言っていい書き方
- 著者自身が「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できない」と書いているのにですか?上でも書きましたが、ここは我々がどう思うとかどう読み解くとかを披露する場所ではないのです。
- 立証責任については今回の議論とは関係がありません。なぜならそもそも誰も「相関関係が存在する」とは主張していないからです。あなたの言うことが正しければ、「STAP細胞は存在しないことが明らかになっている」とか「神は存在しないことが明らかになっている」とかを何のソースもなしに(あるいはソースに逆らって)書いて良いことになりますよ?
- 「肯定されていないこと」と「否定されていること」が別物だというのは、上でも書きましたが、原子論の科学的証拠が無かった古代ギリシャ時代にも原子は存在していたことを考えれば明らかでしょう。
- 中立的観点についてはその通りです。既存の血液型性格診断を支持する証拠がない以上、否定派と同じだけの説明は不要でしょう。しかしだからと言って、それとは全く別の事柄である「性格との相関関係」をソースなしに否定して良いということにはならないということだけ理解してください。同じページにある「意見を事実として記さない」「判断を下さない表現が好まれます。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください」なども参考になると思います。--AT(会話) 2014年6月11日 (水) 02:50 (UTC)
- 「科学的根拠がない」と「相関関係がない」が、別物であるというATさんの解釈。これは解釈の問題ですし、ここは一歩譲って別物だとしましょう。それでも相関関係の否定は成立しています「科学的根拠がない」にとどまらず「科学的に否定されている」が実態です。学会を筆頭に科学者は根拠がないという段階にとどめず、完全に否定しているのですよ。私の知る範囲では以前にテレビで医者や心理学者を筆頭とした20人以上の科学者が血液型性格分類をあらゆる角度から全否定していました。日本の学会でも正式に否定されています。ですから、このwikipediaという場においてもそれに従事した内容、すなわち完全に強く否定した内容にするのが妥当なのですよ。それからATさんのおっしゃる「完全否定はされてない」という言い分ですが、Littlefoxさんのおっしゃるように、完全否定の立証は困難です。ないものをあると主張するにはあると主張する側に立証責任が問われます。「悪魔の証明」をご存知ですか?例を挙げると「アフリカに蛇がいる」というのはアフリカから蛇を一匹採取すれば成立するので、立証は容易ですが、「アフリカにUFOが着陸したことはここ1000年間で一度もない」みたいなことは立証がほぼ不可能でしょう。これを調べて立証するには数百年はかかるでしょう。いや、数百年かかっても、完全否定できるだけの資料を揃えることは不可能だと少し考えれば誰にでもわかるはずです。ですからATさんの「相関関係の完全否定は成立していない」は悪魔の証明そのものだと言わざるをえない。論議などにおいて、この悪魔の証明を持ち出す側には基本的に大義名分が認められません。実際に血液型差別番組が放送されていた2004~2005年頃のテレビ局はクレームに対して「100%否定はできないでしょう、だから間違いとは言い切れない、だから放送する」という“論理”を盾にしていたようです。--DOLCE
- >>相関関係の否定は成立しています。
- 相関比や有意確率はいくらだったのですか? また、それらの数値はどの文献に書いてありますか?
- >>私の知る範囲では
- Wikipediaは編集者の知っていることを発表する場ではなく、検証可能なことを載せる場所です。ソースをお願いします。
- >>完全否定の立証は困難です。
- ①相関関係の有無は統計学を用いて立証し得ます。②検証不可能なことはWikipediaに書くべきではありません。③検証できないことなのに「明らかになっている」と書くのはそもそも間違っています。あなたの論理なら、アフリカの項目に「アフリカには宇宙人は存在しないことが明らかになっている」と執筆して良いことになります。
- >>ATさんのおっしゃる「完全否定はされてない」という言い分
- 私は血液型性格診断について何も主張しておりません。上にも書きましたが、それはソースの著者の主張です。
- 申し上げにくいですが、あなたの主張はLittlefoxさんともう一人の方が言っていることの繰り返しではないでしょうか(例えば、悪魔の証明についてはLittlefoxさんが既に述べ、私が反論をしています。他の論点についても同様です)。私も、同じことを何度も言う羽目に陥っています。このページは膨れてしまって探しにくいかもしれませんが、投稿する前にCtrl+Fで検索するなどして、既に反論が投稿されてないか調べてください。
- あなたこそなぜ相関関係うんぬんにここまでこだわるのかわかりませんね。件の論文は、すべての血液型性格診断は論理的な妥当性が認められない(どれもこれも理屈からしておかしくて話にならない)と言い切っていっているので、別に相関関係について言及しなくても、間違いであること伝わるかと思います。
なお、相関関係にいての文章は加筆した人が書いたもので、私自身が書いた文章ではありません。実は出典なしに言い切っていいかは私もちょっと引っかかりましたが、まあ相関関係がないのは事実なのでコミットした形です。何故ならば血液型性格診断が誕生してから一世紀にわたり、多くの血液型血液診断の信奉者が血液型と性格の相関関係を立証しようとして失敗しており、いまだ何一つ学会で認められる研究成果を出していないわけです。ゆえに「未だに相関関係は立証されていない」とでも書けば、それは自明の事実ですから記載可能でしょう。空が青いことに出典はいらないのです。--Littlefox(会話) 2014年6月13日 (金) 19:09 (UTC)
- あなたこそなぜ相関関係うんぬんにここまでこだわるのかわかりませんね。件の論文は、すべての血液型性格診断は論理的な妥当性が認められない(どれもこれも理屈からしておかしくて話にならない)と言い切っていっているので、別に相関関係について言及しなくても、間違いであること伝わるかと思います。
「血液型と性格には相関関係がないことが明らかになっている」について
「既存の血液型性格分類には科学的根拠がないこと」のソースなら存在するかもしれませんが、それよりもう一歩踏み込んだ主張である「血液型と性格には相関関係がないこと」のソースって存在するのでしょうか?--AT(会話) 2014年6月8日 (日) 13:16 (UTC)
- 相関関係があることについて立証されなければ相関関係が無いと看做せます。血液型についてはピグマリオン効果によって因果関係が無いのに相関関係はあるということはありえますが、それを学会などに発表するには立証責任が伴います。
穏当な言い方をすれば「科学的には相関関係(因果関係)が立証されていない」とでもなりましょうか。--Littlefox(会話) 2014年6月10日 (火) 23:57 (UTC)
- 上にも書きましたが、「ある事実が立証されていないこと」と「否定されていること」は全く別物なのです。もしそれが同一であれば、科学の新理論はもはや存在しないことになります。なぜなら、立証されていない理論は全て間違っていることになるからです。
- 3行目の書き方ならソースに反していないので問題ないと思われます。--AT(会話) 2014年6月11日 (水) 03:06 (UTC)
- 今後まだ、あなたの資料が相関関係の有無について何かを言っていると主張される場合は、「性格と血液型」の間の相関比がいくらであり、それは論文のどこに記述されているのかを書いてください。言うまでもないことですが、それが出せない限りは相関について何かを語るわけには行かないし、ましてや「明らかになっている」などと書いて良いはずもないのです。--AT(会話) 2014年6月11日 (水) 09:12 (UTC)
- お互い知っていることを確認しあうのはもう止めましょう。もともと相関関係についての記述は私の文ではなく加筆してくれた人のものです。私が書くならはじめから「穏当な書き方」にしています。そのほうが論理的にひっかるところがなくて気持ちいいですしね--Littlefox(会話) 2014年6月13日 (金) 21:05 (UTC)
- 今後まだ、あなたの資料が相関関係の有無について何かを言っていると主張される場合は、「性格と血液型」の間の相関比がいくらであり、それは論文のどこに記述されているのかを書いてください。言うまでもないことですが、それが出せない限りは相関について何かを語るわけには行かないし、ましてや「明らかになっている」などと書いて良いはずもないのです。--AT(会話) 2014年6月11日 (水) 09:12 (UTC)
Littlefoxさんの出典は相関関係について分析しているかについて
前の見出しが長大なものとなったので、現在の論点について新たな見出しを作ります。
数人の方が、「血液型と性格には相関関係がないことが明らかになっている」という文章の出典として以下の論文をあげられています。
しかしながら、
- その出典には相関関係について分析した節自体が存在しない。
- その出典の著者自身が「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できない」と述べている。
ことから考えて、相関関係をはっきり否定する論拠にはなっていないと思われます。
というわけで、なおもこの出典が相関関係について述べていると主張する場合は、相関比(あるいはクラメール係数)などの値がどこに記載されているかを示してください。できない場合は、他の出典を探すか、主張を弱めるしかないと思われます。
注1.複数の方が「悪魔の証明」や「立証責任」を引用されたので書きますが、
- Wikipediaの方針Wikipedia:検証可能性より、検証不可能なことであるならばそもそも書くべきではないし、ましてや「明らかになっている」と言う書き方をするわけにはいかない。
- 相関関係の有無は統計学的手法で立証し得る。
ことに注意してください(そもそも「悪魔の証明」は法律用語であって、様々な手法を有する現代の科学では使われてない用語なのですが、この話は議論がズレるのでやめましょう。本当かどうか気になる場合は各自調べてみてください。科学の文脈で使っている例は見つからないはずです。)。
注2.どちらか一方の立場に組み入って執筆することは、Wikipediaの様々な方針に反しています。Wikipedia:中立的な観点の「判断を下さない表現が好まれます。」「ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。」や、ウィキペディアは演説台ではありませんの「もしあなたが自身が是とする視点の長所を他人に説得したいのならば、ブログを始める」などを参考にしましょう。--AT(会話) 2014年6月12日 (木) 14:13 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年6月12日 (木) 17:05 (UTC)
- 私とLittleboxさん、G2g7needさんが現行の記事肯定派でATさんが反対派ときれいにわかれていますね。議論する場ですのでそのことに関して不服はもちろんありません。ただ、反対派の人たちが繰り返し挙げている「学会での正式な否定」「科学者からの否定的見解」には当然のことながら「相関関係の否定が含まれる」という事実をATさんはスルーしていませんか?血液型性格分類の本文を再度閲覧していただきたい。出典も明記されています。議論を読む限り、その部分にはあまり触れずにLitteboxさんの資料にある一文、「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できない」を盾にしている節がどうしても見え隠れしています。前にも書きましたが、この主張では血液型差別報道を正当化していた10年前のテレビ局と同じではないですか?あなたの人格をけなすわけではありませんが、誰が見てもそう解釈してしまうと思いますよ、これじゃあ。この主張を持ちだせば、立証責任を追及されるのが論議の正常な流れなのですが、そうすると今度は「検証不可能なことであるならばそもそも書くべきではない」とおっしゃる。ですから、だんだん論議自体がかみ合わなくなってきてるじゃないですか。--DOLCH
- >>反対派の人たちが繰り返し挙げている
- 議論を見返しても他の資料を挙げている人は一人もいないし、その様な有力な資料があるなら初めからそれを出典として挙げてもらいたかったです。具体的にどの資料のことを言っているのでしょうか?
- >>当然のことながら「相関関係の否定が含まれる」という事実をスルー
- そうはならないのだと何度も申し上げております。例も挙げて説明しています。むしろ私があなた方の反論待ちです。
- >>「検証不可能なことであるならばそもそも書くべきではない」とおっしゃる。
- これは私の主張ではなく、Wikipediaの方針なのだということを理解してください。
- DOLCHさん、自分の主張を繰り返すのではなく、異議申し立て者である私の議論にそって話してください。私は上で、「統計的データがどこにあるかを示すか、主張を弱めるか」のどちらかを求めています。相関関係がはっきりと否定されてるというからには統計データがあるはずだし、統計データが見つからないのならその様なことを書くべきではないのです。他の場所ならあなた方の主張が通りうるかもしれませんが、WikipediaではWikipediaのルールに従いましょう。
- 繰り返しますが、自分の主張を述べるのではなく、私がやっているように、相手が述べたことに対し反論しようとしてください。そうしないと議論が深まっていきません。--AT(会話) 2014年6月13日 (金) 04:55 (UTC)
- 追記です。DOLCHさんは下の見出しにある私の返答をご覧になりましたか?私の返答内の質問に対し回答されていない様なので、まだご覧になってないかと思います。チェックしてみてください。--AT(会話) 2014年6月13日 (金) 05:02 (UTC)
- 誰かが何かの情報源を持ち出しても、論点のすりかえばかりで、堂々めぐりになっていますので、今後、私は意見を発するつもりはありません。現行の記事の中に既に出典つきの文献が複数ございますので、これを客観的事実として掲載します。>当初は医学者、教育学者、心理学者などによって、新しい学説の候補として提案されたが、その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、紆余曲折を経た後、1933年日本法医学会総会で正式に否定された[3][4]。出典^ 松田薫『「血液型と性格」の社会史』^ 村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。』
>第二次世界大戦後は長らく取り上げられることがなかったが、上記のような批判にもかかわらず、1971年に古川に影響を受けた能見正比古が『血液型でわかる相性』[8]など一連の世間向けの著作を発表・出版。これによって世間に広く知られる元になった。この本で説を根拠づけるために能見正比古は様々な調査を挙げていき独自の理論を展開したが、これらも論拠を伴っていないものであり、多くの専門家や学会からは無視されている[8]^ >ある年度だけ見ると、わずかに相関があるかのようなデータも含まれることもまれにあるが、同一調査を4年、5年に渡って行うと、反対の向きの相関を示すかのようなデータも得られるのである。つまり、単なる統計的な偏りである。もしも毎年、5年でも10年でもコンスタントに一定方向の相関が見られるならば、相関があると言えるのだが、そのようなデータは得られていない^ a b c d 血液型性格判断の謎 現時点で流布している血液型性格分類は、科学的には支持されていない。血液型性格分類については実際に調査して仮説の真偽を判断せざるを得ないものなので、実際に再調査・追試験をせざるを得ないのである。結局、学者らによって実際に統計的調査が何度も行われているものの、その結果現在に至るまでいずれでも明らかな相関は見られないのが実情である[24]。^ 統計的に調査し、仮説を棄却している文献類。WU Kunher, LINDSTED Kristian D., LEE Jerry W., 2005, Blood type and the five factors of personality in Asia(血液型と外向性の間に相関があるかどうかを統計的に調査し、あるとの仮説を棄却している論文の1つ)村上 宣寛『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』日経BP社、2005/3、ISBN 4822244466 これで否定の論調を弱めるということはそれすなわち、客観的事実の改ざんということになりますよ。 --G2g7need(会話) 2014年6月13日 (金) (UTC)
- 確認です。Littlefoxさんの出典は取り下げて、[3][4][8][24]を新たに問題の文章の出典とするということで良いですか?
- [24]のabstractには、”no significant relationship between blood type and personality except for Type AB females”「AB型の女性を除いては有意な差は無かった」「人数が少なすぎたからだと思われる」と書いてあります。また、表題どおり、性格との相関ではなく、既存のひとつの節について検証しただけです。典拠にはなってないと思われます。
- また、[8]は個人が運営するコラムサイトです。Wikipediaの方針にある信頼の置ける情報源には当たらないはずです。
- もっと信頼が置けそうであり、かつ積極的に相関を否定しているといえそうな出典を見つけました。血液型と性格の無関連性 今月発表された論文なので評価は定まってないかもしれませんが、この論文であれば少なくとも、「性格と血液型は相関関係がないとする研究が(最近)なされた」というくらいには言えるのではないでしょうか?
- 皆さんを責めるつもりはありませんが、この論文には私の言った通り「“無関連である”ことを示した研究は(この論文以前には)存在しない。」とあります。つまり、皆さんが執筆された当時は実際存在していなかったわけです。そのため、「明らかになっているのにもかかわらず差別がある」という文脈は変更する必要があります。なぜなら、2014年6月1日までは明らかになっていなかったからです。
- ひとつの文章に5つの出典をつけるのは変だし、論文が言う通り皆さんの資料は論拠になっていない様なので、出典はこの論文だけでいいでしょうか?また、元の出典の不備をきちんと認識しているのも新たに出典を見つけてきたのも私である以上、自分で言うのも何ですが、記事本文を修正する適任者は今のところ私しかいいないと思われます(少なくとも元記事の不備がどういうものであったかをきちんと認識できている人でなくては不備を修正できるはずもないですよね)。任せていただけますでしょうか?もちろん新たな不備があれば指摘してもらって構いません。--AT(会話) 2014年6月13日 (金) 06:52 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年6月13日 (金) 10:07 (UTC)
- 取り下げるも何も私が提出した資料は、本文における血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められないへの要出典に対して提出したものです。貴方自身が「血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められない」という項目名にして、出典の提示を求めていたのだから、私の提出した出典もそれに対応するものと考えるのは当然ですよね。その上で「血液型性格診断が学問の場で全否定される過程で、あらゆる研究に有意な相関関係が認められなかった」とはっきりと書いていなくても出典から読み取れる自明の事実である(当たり前なので書かれていないだけ)。ゆえに記事中で相関関係を否定することもまた不可能ではないのではないかという判断を示しました。もちろん貴方が探してきた論文のように明示的に否定する出典があった方が良いですし、クレームがつけば編集合戦を避けるために穏当な書き方に留めるという妥協を行うことがあります
まあ、どうやら貴方は血液型性格診断を肯定したかったわけではなく、記事に厳密な検証可能性を付加させようとしているのだとわかってきました(途中で考えを変えたのでなければ)。しかし、いきなり削除や出典要求を行うという行動とその後の挑戦的な態度によって、「ATという人間が血液型性格診断の否定を拒み、否定する文章の削除を目論んでいるようだ」と、私を含めた他の編集者に疑われれ警戒されていたということは理解できているのでしょうか?その辺りのコミュニケーションの失敗に気付いていないのか「出典の不備をきちんと認識しているのが私だけなのだ」という発想に至るのは失礼ながら夜郎自大という言葉が浮かびました。
文章をより良いものとし多くの出典を集めるために、重箱の隅をつつくような粗探しを否定するものではありませんが、wikipediaは共同作業なのでいらぬ誤解を避けるのが賢いと思いませんか?それができない人間が「私が適任だ」と胸を張っても周りの人間は頷けるものではありません
今後の編集についてですが、冒頭文や概要は読者にざっくりとした理解を与えるために書いたものでありできるだけ平易でわかりやすい表現が選ばれるべきだと私は考えており、そう書いてきたつもりです(今回のように違う人が加筆してくれることも多いので、方針を維持するのは難しいですが)。理系項目に多いのですが、論文のような厳密な文章は一般読者にとって読みづらいものになってしまいます。貴方が有力な出典を見つけてきたことは敬意を示しますし、感謝しますからここは私に書かせてください。そして、また改善点があれば指摘してください。--Littlefox(会話) 2014年6月13日 (金) 20:55 (UTC)- 蛇足ですがG2g7needさんが適切に指摘してくれたような既存の出典も(不適切な出典の合成にならない範囲で)並列して関連付ける(付加する)つもりです。論文書き方からは複数の出典があるのはすっきりしませんが、wikipediaの性質上、文責が曖昧になりがちなのと、読者の検証可能な力に差があること(例えば論文を入手して読み解く能力)からできるだけ複数を付加する安全策が好みだからです--Littlefox(会話) 2014年6月13日 (金) 21:24 (UTC)
- 取り下げるも何も私が提出した資料は、本文における血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められないへの要出典に対して提出したものです。貴方自身が「血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められない」という項目名にして、出典の提示を求めていたのだから、私の提出した出典もそれに対応するものと考えるのは当然ですよね。その上で「血液型性格診断が学問の場で全否定される過程で、あらゆる研究に有意な相関関係が認められなかった」とはっきりと書いていなくても出典から読み取れる自明の事実である(当たり前なので書かれていないだけ)。ゆえに記事中で相関関係を否定することもまた不可能ではないのではないかという判断を示しました。もちろん貴方が探してきた論文のように明示的に否定する出典があった方が良いですし、クレームがつけば編集合戦を避けるために穏当な書き方に留めるという妥協を行うことがあります
- 記事肯定派5名中4名以上にソックパペットである強い疑いがあること(内2人は確定し既に投稿ブロック)コメント依頼/G2g7need 20140614。
- 礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:エチケットなどに反するようになってきていること。
- 中立的な観点検証可能性独自研究は載せない#ウィキペディアは演説台ではありませんなどを満たせるか嫌疑が生じていること。
- あなたが(私の認識では)元記事の不備についてまだ認識されていないようであること。
などを鑑みて、ソックパペットに関することが落ち着くまで一旦議論は凍結し、しかるのちに合意形成の為にコメント依頼に出しましょう。 ソックパペットが確定している者の発言については要約または削除をしてしまおうと思いますがよろしいですか? また、私はあなたの非礼や個人攻撃と取れる発言を許すし、私のそのように取れる言動についてお詫びいたしますので、今後は控えるようにして下さい。--AT(会話) 2014年6月14日 (土) 06:55 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年6月14日 (土) 10:54 (UTC)
議論を凍結するに際し、記事に問題が生じているということを利用者に対して明確にするため、複数の問題のテンプレートを貼って置きます。--AT(会話) 2014年6月14日 (土) 07:04 (UTC)
追記:24時間以上経過したので、議論の凍結、その後のコメント依頼、およびソックパペットの発言の削除について同意されたものとみなします。よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年6月15日 (日) 11:09 (UTC)
- 返信が遅れましたが、いったん議論凍結してもかまいません。あなたが私を疑っている状態では議論を真剣に行えないでしょうから。ソックマペットの嫌疑については私にはやましい事はなにもないのでどうぞご自由にお調べください
あなたが非礼だと感じたことについても謝罪します。私も、自分が名指しでwikipediaや科学の倫理を理解していないかのように書かれているのを見たことであなたに反感を持ってしまい、語調が強くなっていたようです。
あなたが非礼を問題にするならば、私にソックマペットの嫌疑をかけ、コメント依頼でコメントを呼びかけた事も非礼な行為です。しかしそれは許します。そのような行為が行われて有意義な議論を妨害される事の方が私にとって不快です。
今後、議論を再開する時の要望ですが、血液型性格診断は差別問題、いわゆるブラットタイプハラスメントというセンシティブな問題を含んでいることため、感情的な対立を引き起こさないように配慮してくれるとスムーズに議論が進むと思います。例えば人種差別の項目で「将来、人種間に能力差をあることが証明される可能性を否定できない」と書こうとすれば、それが事実であっても誤解を招き、感情的な対立を起こすでしょう。--Littlefox(会話) 2014年6月16日 (月) 00:14 (UTC)- 疑われるのが不愉快なのは良くわかりますが、コメント依頼がWikipediaにおける非礼な行為だとすればコメント依頼は禁止事項だということになってしまうということだけは申し上げておかなくてはなりません(今後も依頼しなければならないことがあるので)。また、あなたが疑われる原因を作ったのは私ではなくソックパペット使いです。私は、彼に関わってしまった者として半義務的にやらねばならないであろうことを、嫌々やっているだけなので、労をねぎらわれても非難されるいわれはないはずです。彼がいなければあなたが疑われることもなく、もう少し有意義な議論ができただろうし、こんなに無駄に長引くことも無かっただろうと思います。
- 差別について配慮する必要があるのは正しいと思いますが、そういう政治的意図の為に虚偽記載をするのは(善意に基づくものであっても)Wikipediaの方針に反している、というのが私の初めからのスタンスです。
- 議論凍結について了承頂きありがとうございます。しかし申し訳ないのですが、チェックユーザーはものすごく時間がかかりまたものすごく面倒な手順がいることがわかりました(1年後にやっと議論が始まったページもありました)。チェックが済むまでの長い間このページをこのまま凍結しておくか、疑いを晴らすのを諦め議論を再開するか、どちらが良いと思われますか?[1]によると、後者の場合、「紛争を解決するためであればあなたをパペットの一員とみなしても構わない」ということになるみたいです。もちろん私はあなたを無条件にパペットとみなすつもりは全くありませんが、紛争を解決するために合理的な疑いを持ち出すことはありえます。--AT(会話) 2014年6月16日 (月) 10:19 (UTC)
- 訴えられたことをあなたに感謝しろと?ずいぶんと面白いこというものです。礼儀を口にするのなら、相手の気持ちを想像してみてください(万一それが困難な発達障害等をお持ちなら、当事者の一人として配慮もいたします。研究の世界ではむしろ才能なので珍しいことではありません)。
ソックパペット使いが多数派工作を行ったらしいことはもちろん非難に値しますが、私に対するコメント依頼とチェックユーザー(CU)依頼はあなたが求めなければ通例行われないことです。これは親切心からくるアドバイスですが。あなたはことを大きくしすぎだ。刀は簡単に抜くものではありません。
あなたの私へのコメント依頼、CU依頼ととタイミングを合わせて私へのブロック依頼も提起されました。私はこのIPをあなたのソックパペットではないか、などとは言いません。おそらく私に恨みを持つものの便乗であって、あなたとは無関係でしょう。それに、wikipediaで根拠も無く「あいつはソックパペット使いだろう」と表明することは」ことは下品なことです。研究者が、根拠も無くあいつは論文を盗作してるのではないかとか証拠を捏造しているのではないかと言うのと同じぐらい下品なことです。だから私はあなたがソックパペット使いではないかなどとは決して言いません。--Littlefox(会話) 2014年6月18日 (水) 07:45 (UTC)
- 訴えられたことをあなたに感謝しろと?ずいぶんと面白いこというものです。礼儀を口にするのなら、相手の気持ちを想像してみてください(万一それが困難な発達障害等をお持ちなら、当事者の一人として配慮もいたします。研究の世界ではむしろ才能なので珍しいことではありません)。
- 返信が遅れましたが、いったん議論凍結してもかまいません。あなたが私を疑っている状態では議論を真剣に行えないでしょうから。ソックマペットの嫌疑については私にはやましい事はなにもないのでどうぞご自由にお調べください
- 私はまだあなたに対しブロック依頼を出してはいません。しかしながら、何度か警告したにも拘らず個人攻撃や方針に対する無理解などが止まないことを考慮し問題報告を検討したいと思います。
- 「私へのブロック依頼提起されました。」と言い切ってるのに「ソックパペットではないか、などとは言いません」というのは流石に矛盾していませんか。また、濁した言い方なら個人攻撃にならないと考えていらっしゃるのであれば、方針を熟読する期間を設けていただく必要があるように思われます。
- >>wikipediaで根拠も無く「あいつはソックパペット使いだろう」と表明
- あなたの場合は確かに根拠がありませんが、私の場合について言えば「同じ時期に同じページで全く同じような主張を繰り返していた5名の内4名がソックパペットであった」など複数の理由があったということは了解されていますよね。また、「警察に通報するな、容疑者の気持ちに配慮をしろ」式の理屈は、どんなに譲歩しても受け入れられるものではありません。くわえて、ソックパペットの存在を周知させることは、コミュニティ全体の利益にもなりうると考えます(そのための労力を考えれば義務とまでは思いませんが)。
- あと上でも質問しましたが、CUは継続と言うことでよろしいのですね?とにかく熱くならずに冷静になりましょう。
- あなたは「littlefoxがソックパペットの疑いがある」と声を大にして表明しているのに対して、私は「あなたがソックパペットの疑いがあるとはいわないし、実際違うと思う」と言っているのです。私の ほうが穏当な態度だとおもいませんか?そうであるにかわらず自分の告発はWikipediaのためになる正義の行動で、一方で私のコメントは個人攻撃だと断ずる態度はさすがにひどいダブルスタンダードです。実際にソックパペットをつかった人間が摘発されたことを鑑みてあなたの憤りに理解を示そうとしてきましたが、さすがに疲労を覚えます
CU依頼については許諾するのでしてもらってもかまわない旨を該当ページにコメントしておきました。しかし、そこにも書いたようにWikipediaの管理者やコミュニティに負担をかける行為です。いうなればWikipediaにおける最後の手段たるCUを使わなければいけない状況なのかよく考えてからCU依頼を継続してください--Littlefox(会話) 2014年6月1の日 (水) 09:38 (UTC) - 「同じ時期に同じページで全く同じような主張を繰り返していた5名の内4名がソックパペットであった」など複数の理由があったということは了解されていますよね。
とのことですがコメント依頼に書いたとおり、ATさんが私達の主張をまったく同じだと考えるのは誤解であり、表現などに差異があります(それもあなたが問題としている部分で)。そもそも主張が似通っているのは血液型性格診断を否定する記述を守ろうという立場を同じくしているため、彼のほうが私に同調したためでしょう。そのようなことは珍しくありません。そういう意味では、あなたの立場がわかりづらかったため対立関係のようになってしまったのは残念です。記事の信頼性向上という目的を同じくしているとわかっていたらもっと協調的に議論が進んだでしょう - 「警察に通報するな、容疑者の気持ちに配慮をしろ」式の理屈
犯罪者扱いされてることは別によいのですが、現実社会でも告発や訴訟を濫用するものは社会を疲弊させるものとして疎まれペナルティを受けます。wikipediaはほぼ匿名ですから告発を簡単にできてしまうという問題があり、節度をもって行わないと管理者やコミュニティの対応がおいつかなくなってしまいます。だから、極力善意にとることが方針で推奨されているのです。--Littlefox(会話) 2014年6月18日 (水) 10:13 (UTC)
- あなたは「littlefoxがソックパペットの疑いがある」と声を大にして表明しているのに対して、私は「あなたがソックパペットの疑いがあるとはいわないし、実際違うと思う」と言っているのです。私の ほうが穏当な態度だとおもいませんか?そうであるにかわらず自分の告発はWikipediaのためになる正義の行動で、一方で私のコメントは個人攻撃だと断ずる態度はさすがにひどいダブルスタンダードです。実際にソックパペットをつかった人間が摘発されたことを鑑みてあなたの憤りに理解を示そうとしてきましたが、さすがに疲労を覚えます
- 「通報の理由が全く存在しない」と考える立場からは濫用に見える、ということは理解できました。これは「立場によって捉え方が大きく異ってくる」ということでしかないようにも思われます。このことに関しては、我々の捉え方が真っ向から食い違っている以上もうやめませんか。--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 11:14 (UTC)
Ks aka 98さんの提言により、様々なことに気をつけながら再開をしたいと思います。しかしまずは心苦しいのですが、あなたに対し通報を行ったことを伝えておかなくてはなりません。[2] 非礼や濫用と思われては困るので、「議論を直ちに続けるのではなく通報に踏み切らねばいけなかった理由」を述べます。 主な理由は、私が何度も方針を引用しつつ訴えていることを、あなたがほとんどお認めにならないことです。これではどこまで言っても平行線で、議論を続けても無意味だろうと思ったことに加え、これ以上の個人攻撃や当てこすりに耐えるのは非常に困難であると思い、通報に踏み切った次第です。あなたからすれば不愉快であるのはわかりますが、様々な立場や捉え方があることをどうぞご理解ください。私はあなたの言うことに反論し続けているし、あなたが不快になるだろうという事は本当に理解できます。ただ、私がWikipediaの方針から外れておらず正当な行為を行っているとみなし得る場合は、たとえ不愉快に思ったとしてもご了承頂きたいというのが本音です。「相手が不快に思うから正当な行為だけどやめよう」というわけにはいかないと思うのです。--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 11:14 (UTC)
- 私は訴えを起こしたことは許すといっています。愉快なことではないですが、やましいことはないので身の潔白を証明してすっきりすることはやぶさかではありません。
ただあなたがコメント依頼までして、公然と私を非礼だと非難するもので、それを言うならあなたの行動も一般的にみれば非礼なことなのだと言ったまでです。
あなたはしきりに私の態度に問題があり、能力不足であり、修正するために罰する必要すらあるように訴えてますが、当の私にはなにを揉めているのかよくわからない状態です。私のあなたの立場はほとんど変わりませんし、同じような編集を結果になると思います。あなたが重大な問題点と認識している相関関係についての記述は、私は記述自体は出典から自明なのであってよいとおもうが、強い表現はより具体的な出典がでてからでいいし、それまで記述は穏当なものでかまわないという旨の意見を述べています。なぜあなたが私が検証可能性を理解していないと誤解するのかさっぱりわかりません。ソックパペットを疑いほかの人の意見と混同してるからでしょうか?しかもその問題点自体、より具体的な出典が見つかったのですから解決済みの問題です。
あなたは私が感情的になっているというが、自分こそ感情的になって私をやり込めようとしていないか自分を省みてください--Littlefox(会話)
- これはまあ雑談的なものなんですけど、解決の糸口になればと思い書きます。
- 議論を読み返して思ったのは、「理屈一辺倒 V.S. 感覚一辺倒」なんですよねこれ。
- 「ちゃんと理屈をつけて」「感覚でいいでしょ」「いや理屈がいるでしょ」「感覚で大丈夫だから」……と全ての議論が要約できるくらい噛み合ってない。
- さらに私は血液型性格分類を科学的興味の対象として見てて、Littlefoxさんは差別の温床と言う社会学的な見方をしている。
- だからお互いがお互いを「この人何でそんなこともわからないんだ?」と思うことにもなるわけです。
- 私は血液型診断の肯定否定どちらの側にも興味がなく、ただただ科学的な真実だけに興味があります。このページに来たのも、「そういや血液型診断って完全に否定されてるんだっけ」と思ったことがきっかけです。私としては、科学的に正しい記述になれば満足なわけです。そしてLittlefoxさんは差別をなくせれば満足なのではないかと思います。科学的真実は人間がどうこうできるものではないので、ときに差別的になりえます。そのときに、それを受け入れてもらえるかどうかがカギになると思います。
- あと、私が自分のバックグラウンドや目的について何も語らなかったり、あたかも感情を排しているかのように理屈を並べたのは、議論に直接関係のない無意味なことを言うのは(科学的)議論のマナーに反していると思ったからです。数学(理屈)の記事の場合はその方がうまく行くのですが、社会問題(感覚)が関わる記事ではうまく行くとは限らないということですね。
- 以上雑談でした。--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 20:46 (UTC)
それにしても今回の件でWikipediaの限界を見た気がします。 2年以上にもわたり大学生のレポートのみを出典とする偏った断定的口調の記事が放置されており(しかもそのレポートの出典はWikipediaの同記事、つまり出典ループ)、しかもそれが何故か削除依頼を回避しており、さらに2週間近くにわたる辛抱強い説得と管理者による仲裁がなければそれが改善できなかったわけですから。Wikipediaの病気についてのページは、90%が間違い:米医師調べという記事が出るのも、むべなるかなとの感があります。本物の百科事典ではおかしな記事を書いた人は何らかのペナルティを受けますがWikipediaではそういうことがない、それが問題の根幹と言う気もします。--AT(会話) 2014年6月21日 (土) 09:39 (UTC)
議論の凍結解除が合意されましたので続きをします。まず「相関関係が無い」という文言は改めるということで合意ができてきている(実ははじめから対立は無かった)のでこの論点は解決ということでよいと思います。ただ、補足しないと見てる人に誤解されそうだなと思うことに論文からATさんが繰り返し4回引用して自己の主張の根拠としている「将来に何かが見出される可能性までは否定できない」という文言があります。これだけ聞くとまるで筆者が血液型性格診断が正しい可能性を認めているように聞こえてしまいますが、これは一種の切抜きのようなものです。切り抜かずに文章全体を引用すると
「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できないが,心理学者がそうした可能性を無条件に受け入れる必要はない。」です
このように実際には「血液型性格診断が正しいという可能性を否定することは原理上不可能だが、そんなものを考慮する必要は無い」というとても否定的な意味であることが分かります。前後の文脈、論文全体と読む範囲を広げれば心理学上は全否定されているという現状を理解できると思いますい。読まれているかたはどうか誤解されないようにお願いします--Littlefox(会話) 2014年6月29日 (日) 14:08 (UTC)
2014年6月8日から14日までの議論について
ソックパペットの存在が判明したため、彼ら(利用者:G2g7need(会話 / 投稿記録 / 記録)、利用者:DOLCH(会話 / 投稿記録 / 記録)、利用者:180.27.73.233(会話 / 投稿記録 / 記録))の議論を要約して見やすくします。 要約前のページはこちら:[3]
- 公平性とわかりやすさを保ちつつ要約するのは困難と判断し、中止しました。--AT(会話) 2014年6月17日 (火) 05:55 (UTC)
記事本文に関する議論は、ソックパペット問題が収束するまで一旦凍結し、しかるのちに合意形成などの為にコメント依頼をします。--AT(会話) 2014年6月15日 (日) 11:55 (UTC)
どのアカウントがソックパペットだろうが、投票のような決定手段を用いず、装われた多数派に騙されなければ、本文の議論は成立するはずです。何よりも本文の議論を優先させてください。--Ks aka 98(会話) 2014年6月18日 (水) 09:39 (UTC)
- 了解しました。次のステップに進みたいと思います。--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 10:10 (UTC)
議論中の本文編集について
本文で差し戻し編集をしてるIPユーザーの行動について私からも反対を表明します。編集合戦を起こして保護措置を招くような行為はしないでください。第一無意味です。彼は私と近い立場の人間に見えるかもしれませんが私の味方ではなくありません。むしろ私のソックマペットと見せかけて心象を悪くする工作では無いかと疑い始めているぐらいです。実際に、私を追放しようとする人にそのような工作を仕掛けられたことがあります。--Littlefox(会話) 2014年6月18日 (水) 01:03 (UTC)
本文のほうに話を戻しましょう
- 特に詳しくないので、ざっとネットで読めるものだけさらってみました。
- 情報源てことだけなら、たとえば「血液型性格分類(血液型性格診断)には科学的な根拠が認められない」の部分は、「古川の提唱以降300 もの追試が行われた結果,学問的には妥当性がないと判断されるに至った(溝口,1994a ;佐藤,2002)。/能見の書が発刊された当時から,血液型性格関連説は科学的に正統な知識とはされていない。」(上村 晃弘、サトウ タツヤ「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」パーソナリティ研究 15(1), 33-47, 2006-08-30[4])とか、強調的な表現なら、「心理学の授業の中で、性格類型や性格検査等を講義する時に、血液型性格診断は科学的根拠がないことに一通りふれ、研究者の論評などのプリントを配布するなどして偽科学の迷妄に陥らないように注意を促すことを心掛けてきた。」(中村 廣光「血液型による人間の特性分類の検証と学生への人間科学教育」別府大学短期大学部紀要 (29), 33-38, 2010-02[5])とか見つかりますよね。太字は不要だと思います。
- 「実際に第三者が統計の作法に従って統計的に検証してみても、有意な相関が認められない」は、前段と重複しますし、本文中「血液型と気質の関連研究」に加筆が望ましい。松田薫『「血液型と性格」の社会史』で書けるはず。「誤った説であると断定できる」「つまり迷信の類であり、」というのは、言い過ぎというか、そういう表現を用いている情報源もあるとは思いますが、過剰な表現かな。「科学を装っている点では疑似科学や病的科学の類と言える」は、情報源と共に「される」にあらためる。前の「断定できる」と共に、執筆者の意見になってしまっているので。
- 「血液型と性格には相関関係がないことが明らかになっているにも関わらず」が不満なら、「関連性が見られないにもかかわらず、」に改める。「血液型と性格に関連があるかのように決めつけたり、特定の血液型の人間を疎外するといった差別が日本社会に存在し、人権問題にもなっている」と断定的に書くには、情報源の「BPO(放送倫理・番組向上機構)青少年委員会」は弱すぎ。ステレオタイプの影響は多く論文が読めるみたいですし[6]、せめて上村 晃弘 , サトウ タツヤ「血液型性格関連説の最近の動向と問題点(1)-(3)」、山岡 重行「P2-32 血液型のイメージの良さと血液型に由来する不快体験の関係(ポスター発表)」日本パーソナリティ心理学会大会発表論文集 (19), 108, 2010-10-10[7]や小馬 徹「「血液型信仰」批判再考 : 「人間」と「科学」の連接をめぐる試論」人文研究 : 神奈川大学人文学会誌 160, A105-A143, 2007[8]で書けるところを書く程度でしょうか。
- 信じてる人が一方にいて、疑似科学糾弾したい人が一方にいて、という話題ですので、中立的観点に沿って、情報源の評価もしつつ、記述は穏当に、と言う方向でお願いします。--Ks aka 98(会話) 2014年6月18日 (水) 13:18 (UTC)
- Ks aka 98さんありがとうございます!
- 以下試案です。
- 血液型性格分類(血液型性格診断)の多くは科学的でないとされており、[9]過去に能見説が流行した当初から、血液型性格関連説は科学的に正統な知識ではないとされていた[10]。それらのことから科学を装っているとして疑似科学や病的科学の類とされることもある[何か出典]。2014年に行なわれた分析によれば、日本とアメリカの大規模な社会調査データを用いて血液型と性格との関連を検討しても意味のあるデータは見出されなかった(ただし、分析に使われた質問項目が性格を調べる項目でなかったという点には留意する必要がある)[11] 。
- このように血液型と性格には関連が見られていないにもかかわらず、関連があるかのように決めつけたり、特定の血液型の人間を疎外するといった差別が日本社会に存在し、人権問題にもなっている[上記の論文いずれか]
- いかがでしょうか?試案ですので不恰好な文章になっているかもしれませんが、お手柔らかに。「古川の提唱以降……」は恐らく古川の説のみの否定だと思ったのでここでは使いませんでした。「心理学の授業の中で……」は入れるとすれば「病的科学の類とされることもある」の後でしょうね。--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 14:09 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年6月18日 (水) 16:39 (UTC)
- 48時間以上反対意見がないので、この試案のもとで編集したいと思います。--AT(会話) 2014年6月21日 (土) 08:07 (UTC)
- 記事本文の編集を完了いたしました。上記の試案で出典を指定していなかった箇所に関して、見つけてきた出典の内容に合わせ文言を少し変えましたが、大筋はそのままにしました。記事の改善にご協力頂いたKs aka 98さんには改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。--AT(会話) 2014年6月21日 (土) 08:57 (UTC)
- 中立的な観点をという提言は真摯に受け止めたいと思います。学問的には否定されていることさえ分かればあまり強い表現は必要ないと思います。科学と宗教、学問と文化が重複する項目でどちらを優先するかはいつも頭が痛い問題ですが、原則的に両方書いて興味あるほうを読んでもらうしかないと考えてます--Littlefox(会話) 2014年6月25日 (水) 16:19 (UTC)
改善案
以下現在の版に対する改善案です。現在の冒頭文は入り組み過ぎて読みづらくなってしまっているので冒頭文を整理して、本来概要を書くべき概要項目を増やし、さらに学術的な検証項目を設けて詳説を加える形にしました。こうすれば概説を行いたい人と厳密な検証を行いたい人双方が納得できるのではないかと思います。出典はほぼ上村・サトウ2006で事足りる書き方にしました。--Littlefox(会話) 2014年6月25日 (水) 16:08 (UTC)
- 冒頭文
血液型性格分類(けつえきがたせいかくぶんるい)とは血液型によって性格を分類できるとする考え方である。学問的には妥当な理論ではないと判断されており、擬似性格理論にあたる(詳しくは#学術的な検証を参照)。
学問的に正当と看做されていないため、学校などでは教えられていないが、一般の書籍やマスメディアを通して近代日本社会に広く流布した。そのため、日本では血液型性格診断に基づく偏見によって、差別や嫌がらせが起きることが問題になっている。 - 概要
現在知られている全ての血液型性格分類は論理的な妥当性をもたない。統計的にみても血液型と性格の間には有意な関連性は見出されていない。そうであるにもかかわらず、科学的あるいは統計的な根拠があるかのように喧伝される事があるため、疑似科学や病的科学にも数えられている(以下既存の冒頭文や概要項目文を基に、項目全体の概要を記述) - 学術的な検証
(ノートで提出してもらった出典を活用して厳密に検討)--Littlefox(会話) 2014年6月25日 (水) 16:08 (UTC)
私はいまだにATさんに敵視されているようなので、一週間ほど手を出さずに見守ってみました。しかし、現状ではわかりやすく読みやすい冒頭文を書くという私の目標が達成できていないので復帰することにしました。ノートでの対話がこんなことになってしまったせいか、Ks aka 98さん以外に新たに意見を書き込んでくれる人が加わらっておらず、現在の版で合意の形成がなされいるかわからない状態です。記事をよりよりものにするためにみなさんのお知恵をお借りしたいです。--Littlefox(会話) 2014年6月25日 (水) 16:08 (UTC)
- 読みづらさを解消するためだけなら、現状の「また、2014年に行なわれた分析によれば、……」の文を別のところに移したり、細かい文言を修正をするなどのマイナーチェンジで構わないと思います。
- またWikipediaには24時間反対意見がないことで合意に達したとみなす習慣があり、今回は3日近く反対意見が無かったわけですから、合意に達したとみなしてよいでしょう。それなのに即座に全面改訂を提案されては正直少し戸惑いを覚えます。合意のときには気付かなかった大きな問題点があるのでない限り、今の文章を基にしたマイナーチェンジで行きませんか。文章を三つに分けること自体には賛成です。--AT(会話) 2014年6月25日 (水) 16:57 (UTC)
- まずはじめに言っておきますが、私の提案は記事の整形を図るとともに、複数の編集者が力を合わせて活躍できるように設計することを意図しています。ATさんが考えた文章は無駄になるわけではなく学術的な検証項目に移設されることになると思います。そこでなら可読性をそれほど考えずに好きなだけ厳密な検証作業を行えるでしょう。ATさんは科学的思考の訓練をつんでるとお見受けするので、その方面で記事の品質向上を助けていただkればと思っています。棲み分けというわけです
Wikipediaには24時間反対意見がないことで合意に達したとみなす習慣があり~
いいかげん自分に都合よくWikipediaの習慣を解釈するのは止めていただけないでしょうか。それは性急な編集を控えるための習慣であって、本当の意味で合意が形成されたとは看做されません(だれも賛同していないのですから)。すなわち貴方が自分の草案を基に現在の版に編集したという行動を正当化するためのものです(つまり、この編集に差し戻し編集を行わない)。私が提案してるのはあくまでも今後の改善のための話し合いです。
賛同意見が無いのはそもそもノート参加者が少ないからでもあって、議論が学問的で難しいということ以外に、貴方の高圧的な態度が少なからず影響しています。もっと多くの人が気軽に話し合いをできる雰囲気作りをするという視点をもってほしいです。
--Littlefox(会話) 2014年6月25日 (水) 18:25 (UTC)
- まずはじめに言っておきますが、私の提案は記事の整形を図るとともに、複数の編集者が力を合わせて活躍できるように設計することを意図しています。ATさんが考えた文章は無駄になるわけではなく学術的な検証項目に移設されることになると思います。そこでなら可読性をそれほど考えずに好きなだけ厳密な検証作業を行えるでしょう。ATさんは科学的思考の訓練をつんでるとお見受けするので、その方面で記事の品質向上を助けていただkればと思っています。棲み分けというわけです
- 【質問1】記事の整形をするのは賛成ですが、個々の文章の位置を動かせば良い話で、文章そのものは論調を変えずにマイナーチェンジで構わないわけですよね。文章を全面的に書き換えなければいけない理由はありますか?私の試案はKs aka 98さんの提案も色々と組み込んでいるので、全面的に書き換えようと言うにはかなり強い理由が必要だと思います。
- 【質問2】あなたは特別な事情なく議論を放棄なさったわけだから、(他の人はともかく)すくなくともあなたは反対意見が無かったのだとみなされて当然ではありませんか?
- 【質問3】あなたが急にいなくなった状態で、どのように「本当の意味での合意形成」が可能だったのでしょうか?
- 議論をわかりやすくするために、できるだけ質問にピンポイントでお答えください。--AT(会話) 2014年6月25日 (水) 19:03 (UTC)
72時間以上経過しても音沙汰なしなので(他の記事を編集なさっているので、特別な事情はないものと思われます)、ひとまずは双方が合意している記事の整形を行いたいと思います。ご了承ください。--AT(会話) 2014年6月28日 (土) 20:27 (UTC)
- 反対が無いことを確認しての編集ということで問題ないと思います。ただし、あくまでも反対するものがいなかったというとても消極的で限定的な同意形成ですので、「内容が認められた」とか「自分の版で記事が(大筋で)確定する」とか思わないようにお願いします(あなたの言ではどうもそうのように誤解しているように読めてしまうので) 2014年6月29日 littlefoxによる投稿書名忘れを補記 (日) 12:58 --Littlefox(会話)
- 「同意形成が消極的なものになるのは議論を放棄する人がいるからだ」という認識はありますか。上の発言もそうですが、消極的にしている張本人が言うことではないように思います。消極的なものにしたくなければ、積極的に議論に参加しましょうよ。--AT(会話) 2014年6月29日 (日) 20:58 (UTC)
基本的に上の案の組み立てに従い、冒頭文をスリムにし、いくつかの文章を概要に移しました。また、重複している文章が多く見られたので、一つにまとめました。恐らくこれで冒頭文に関する問題は解消されたものと思われます。おつかれさまでした。--AT(会話) 2014年6月28日 (土) 20:35 (UTC)
- ピンポイントお答えよ、ですか。まるで「お前の意見はいいので、自分が聞きたいことだけに答えろ」といっているように聞こえますよ。今回はお答えしますが、高圧的な態度は控えるように心がけてください。
【回答1】
現在の版はまだまだ構造的な改善点があります。私が一番重要だと思っていることは学問的には否定されているということは冒頭文を読んだだけで誤解無く伝わることです。方針上の中立的観点とは否定肯定双方を対等に扱うことではなく、「勢力差が適切なレベルで反映される」ことなのですから、学問の世界では肯定派が極少数の観点にあたることが伝わなくてはいけません
現在の版でを読むとまだまだあいまいです。例えば血液型性格分類の多くが科学的でないというのはまるで「科学的な性格分類が少数であるが存在している」かのように読めてしまいます。他にも能見説が流行した当初からというのはそれ以前に提唱されて否定された優生学や古川説の歴史が無視された形ですが、学問にとってそういう蓄積が重要でしょう?つまり血液分類が学問上の検証の上否定されてきたという事実は、能見説が学問としてすら認められない代物だったということより重みがあってしかるべきだと思います。簡潔さと分かりやすさが要求される冒頭文においては、マイナーチェンジなどといって細かな修正を重ねていく手法はあまり適していません。これが詳細を書く場所なら多少冗長になってもよいわけですから、細かく加筆し続けるという手法が有効なのですが
【回答2】
あなたの態度と、私を糾弾する訴え(CU依頼、ブロック依頼)が特段の事情です。私のせいで議論が妨害されているというから意見を控えてみれば、一度議論を放棄したのだから以後の発言権は無いかのようにいうのは誠意がありません。あなたの態度について、直接注意するに留めているのは、私の寛容さに拠るものだということをそろそろ気付いてほしいです。だいたい純粋なボランティアで構成されるwikipediaでは一週間ぐらい忙しくてwikipediaに関われない時期があったからといって編集する資格が失われることはありません。あまり性急に物事をすすめないでください
【回答3】できるだけ多くの人の合意を得ることであり、これからでてくる意見とも合意形成を続けることです。現在の版は私の同意も、Ks aka 98さんの同意も、募るべきほかの参加者の同意も得れていないものです。
より重要なことはwikipediaの版はこれで完成というものは存在しないことです。wikipediaは多数の人の査読と加筆を経て、暫時的によりよい方向に向かっていく仕組みになっているのです。--Littlefox(会話) 2014年6月29日 (日) 15:00 (UTC)
- ピンポイントお答えよ、ですか。まるで「お前の意見はいいので、自分が聞きたいことだけに答えろ」といっているように聞こえますよ。今回はお答えしますが、高圧的な態度は控えるように心がけてください。
- 【提案1】つまり論調も変えたいということですね。それでは、「学問的には否定されているということは冒頭文を読んだだけで誤解無く伝わること」が達成されるような改善案と、誰がどう見ても文句なしに、その改善案の出典となっているといえる文献を挙げてみていただけませんか。「私には全否定しているように思える」というレベルではなく、「明示的に全否定をしている文章がそのまま抜き出せる」ものでお願いします。前者だと、誰かに「私には否定しているようには思えないなあ」と言われたら水掛け論になって何も言い返せないですよね。というわけで誰もが納得できる出典をお願いします!
- また、あなたにどんな考えがあったにせよ、やむにやまれぬ事情があって議論を放棄したわけではないのですから、以前の決定は尊重しましょう(突然いなくなって戻ってくるたびに、いなくなる前のところから議論を戻せというのは流石に無茶ですよね)。というわけで改善案を書く際には、Ks aka 98さんや私の書いたこともきちんと踏まえて頂くようお願いします。
- ご意見やご質問があればご自由に仰ってください。この形式は、議論がしっちゃかめっちゃかに散らばらないようにするためのものであって、意見を封殺するためのものではありません。ピンポイントで(はぐらかさずに)お答えいただけると議論が拡散せず、余計な労力も使わずに済みます。あと、こういう議論において深読みはあまり必要ないです。書いていることのみで判断してください。
- 【質問2-1】一般論ではなく、あなたの場合は他のページを何度も編集しているわけですから、「時間があるにもかかわらず意見を出してこない」「議論を放棄した」と思われても仕方ないってことはわかってますか?事情をきちんと書き込んでいる場合や事情が推察できる場合は当然待ちますが、今回はあなた以外の人は誰もあなたの「事情」を知らなかったということに注意してください。
- 【質問3-1】質問は、「(例えば今後またあなたが突然いなくなったときに、)どのようにあなたが言うところの『本物の合意』を得ればいいのか?」ということです。戻ってくるかもわからない様な突然消えた人をずっと(あるいは一週間?)待つべきでしょうか?今後のためにも具体的な方法をお答えください。--AT(会話) 2014年6月29日 (日) 16:27 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年6月29日 (日) 20:58 (UTC)
- 友好的に議論することを切に希望します。議論というのは本来協調的な作業です。議論というのは敵味方ではなく、互いに協調しあって最良の答えを導くプロセスだと思います。私はあなたのことを敵だと思ったことは本当に一度もないし、なぜそう思われてるかについても、失礼ながら深読みをされた結果ではないかとしか思えないんです。私もあなたも互いの発言にムッとすることはあるかもしれませんが、それが議論上どうしても必要と認められる場合は感情的になるのはやめにしませんか。私はあなたが正しいことを言えば賛成するし、正しくないと思えば論理的に反論を試みます。それ以上でもそれ以下でもなく、そこには良感情も悪感情もないものと考えて欲しいのです。とにかく問題の解決だけを目指していきましょう!--AT(会話) 2014年6月29日 (日) 20:58 (UTC)
- 高圧的な態度は避けてほしいと再三言っているのですが、あいかわらず「はぐらかさずにピンポイントに自分の聞きたいことに答えよ」とは失礼では有りませんか。あなたは「littlefoxが議論に参加する資格があるか」といった議論の本筋から外れた自分にとって都合のいいポイントに議論を誘導しているのですから、本来私には答える責任はありません。本筋と関係の無い質問をするのはそろそろやめて、コメント依頼などそれにふさわしい場所で行ってください
【提案1への回答】何度も言いますが上村・サトウ2006を読めばよほど捻くれた読み方をしていないかぎり学問的には否定されている事が分かります。この論文は現在知られている数々の説を検討したうえで「学術的に肯定できる論理が提出されているとは言いがたい」(44頁)と結論しています。
【質問2-1への回答】この一週間というもの私は大掛かりな編集はしていません。幾つか編集はしていますが、どれも細かな修正で数分程度でできるものです。一方でこの頁であなたとの議論を再開するには、格段に多くの時間と精神力が必要になります(今日の書き込みは、実際に書き始めてから投稿するまでだけでちょうど2時間かかりました。)。そもそも議論の参加者には連日付きっ切りにならなかったとしても、非難されるいわれはないとおもいます。
あなたが主張する「時間があるにもかかわらず意見を出してこない」「議論を放棄した」と思われても仕方ないというのはあなたの勝手な論理であって、そのような慣習はありません。Wikipedia:礼儀を忘れないではむしろ返事をわざと遅らせて、編集者が冷静を取り戻し回復できるよう時間を与え、争いのさらなる激化を避けるということが推奨されてすらいます。私が様子を見たのは、議論の冷却期間をもうけるためだったのですが、残念ながらあなたの態度はさらに高圧的になっているようです
【質問3-1】何度も言いますが、あなたは実際に私を待たずに自分の案を記事に反映する編集を実行したし、私はそのことを消極的に黙認しています。しかし、反論を書き込む人がいなかったということを盾にして、以後の議論を封殺するような過大な要求をするのを止めて下さい。私は以前の議論には目を通し、それを踏まえたうえで改善の提案を出しています--Littlefox(会話) 2014年7月2日 (水) 01:31 (UTC)
- 高圧的な態度は避けてほしいと再三言っているのですが、あいかわらず「はぐらかさずにピンポイントに自分の聞きたいことに答えよ」とは失礼では有りませんか。あなたは「littlefoxが議論に参加する資格があるか」といった議論の本筋から外れた自分にとって都合のいいポイントに議論を誘導しているのですから、本来私には答える責任はありません。本筋と関係の無い質問をするのはそろそろやめて、コメント依頼などそれにふさわしい場所で行ってください
>>「littlefoxが議論に参加する資格があるか」
私がそのようなことを一度も言ってないということは、よく読み返していただければわかると思いますが、こちらの書き方も悪かったかもしれません。言いたかったのは、「あなたがいなかったときに決まったことであってももっと尊重してほしい」ということでした。 あと、「高圧的」というのはどうも互いが互いに対して感じていることのようです。相手の態度に敏感にならずに、大人の話し合いをしませんか。
>>本筋と関係の無い質問はやめて
それでは提案1だけに話を絞りましょう。
【提案1について】Littlefoxさんの主観だけでは全ての人を納得させることはできません。例えば誰かが「よほど偏った読み方をしない限りそうは言えない」と反論してきたら水掛け論にしかならないですよね。水掛け論にしないために、誰がどう読んでもそう書いてるとしか言えない文章を使いましょうといってるわけです。 私のこの理屈に間違いがあれば何でも仰ってください。その代わり間違いを指摘できなかった場合は納得して頂けないでしょうか。議論を強制するのは失礼というお考えのようですが、私にとっては議論に乗ってこないほうが失礼に感じるのです(誤魔化されているように感じます)。どっちの感じ方が正しいということではなく、互いの感性に大きな違いがあることはわかっているのだから、感情を問題にするのはやめて、もっと歩み寄ってくださいませんか。議論を前に進ませるため、何卒よろしくお願いします!--AT(会話) 2014年7月2日 (水) 01:58 (UTC)
- 論文といえども数式ではなく日本語(という自然言語)で書かれている以上、捉え方には個人差があるのは仕方ありません。しかし今回の論文は、10人が読めば9人以上が「血液型性格診断は学問的に否定されている、あるいは学問的に検討される資格が無い」という主張の論文と読み取るでしょう。
あなたは論文中の「血液型と性格の関係について,将来に何かが見出される可能性までは否定できないが,心理学者がそうした可能性を無条件に受け入れる必要はない。」(44頁)という文章の「将来何かが見出される可能性は否定できない」の文言に注目して、否定されているとは言い切れないというという主張をしています。しかしながら文脈上、筆者達は心理学上そのような可能性は無視してよいといっているのであえて考慮するべきではでは無いでしょう。論文によれば(筆者達が把握している)全ての血液型性格分類は論理的な妥当性がなく、科学としての扱う規準を満たしていないとのことですから、科学上も認められていないとしてかまわないと思います。
科学として提唱された血液型分類(優生学、古川説)も半世紀前以上には存在しましたが、それは学会で正式に否定されているのですからやはり認められていないとしてかまわないと思います。常識的な事柄なので書いて問題ないと思いますが、血液型性格診断の歴史をあつかった他の出典を付加すれば万全でしょう--Littlefox(会話) 2014年7月2日 (水) 02:37 (UTC)
- 一応現在の版にも「能見説が流行した当初から血液型性格関連説が科学的に正統な知識と認められたことはない」とあるので、科学上認められていないことは書いたつもりです。「能身説が流行した当初から」を「発表(考案、提案)された当初から」などに改めましょうか?その場合は、能身より前の説を全て非科学的としている出典(これは沢山あるはず)を追加すれば問題なさそうです。--AT(会話) 2014年7月2日 (水) 02:53 (UTC)
- 厳密さを担保するために言い回しが難しいと思います。私やあなたはわかりますが読者には読みづらいです。出典の論文に目を通していない読者にも伝わりやすいように平易な文章で書きたいです。私はどちらかと言えば血液型占いに影響され、信じてしまいやすい小中学生や教育を受けていない人たちに読んで欲しいのです。血液型性格診断は学問的に立証されず、心理学的には「まがい物」の理論である擬似理論であるとされる事柄ですので、血液型と性格は関係がないと断定的に書くことは可能であるはずです。--Littlefox(会話) 2014年8月12日 (火) 21:52 (UTC)
- 追記です。「いや、この論文の主張は『TVでやっていた血液型診断はすべて学術的とはいえない』である」と言われたらやはり水掛け論にしかならないと思います。問題は、「主張を読み取る」という行為には必ず主観が入り込むことです。主観が入り込まないようにするためには、やはり(全体の主張や論調ではなく)具体的な文言について論じなくてはならないと思いますが、いかが思われますか?恐らくこれが一番重要な論点だと思いますので、ぜひご回答ください。--AT(会話) 2014年7月2日 (水) 10:24 (UTC)
- 百科事典は科学の定理のように森羅万象を網羅する必要はありません。百科事典に載せるだけの特筆性がある説だけを対応すればそれで十分です。現在、学問的な検討に値する血液型性格診断はなく、心理学で擬似性格理論の批判的検討のために研究されているにすぎないのですから。現在提唱されている血液型性格診断は科学たりえず占いや信仰の領域である。科学としてあつかいたいならば提唱者が立証責任を果たすべきなのであって我々はその義務を負いません。wikipediaのような百科事典ではなおさらです--Littlefox(会話) 2014年8月12日 (火) 21:52 (UTC)
- 一応現在の版にも「能見説が流行した当初から血液型性格関連説が科学的に正統な知識と認められたことはない」とあるので、科学上認められていないことは書いたつもりです。「能身説が流行した当初から」を「発表(考案、提案)された当初から」などに改めましょうか?その場合は、能身より前の説を全て非科学的としている出典(これは沢山あるはず)を追加すれば問題なさそうです。--AT(会話) 2014年7月2日 (水) 02:53 (UTC)
一つ目の返信について。
お久しぶりです。 平易さの問題と主張の強さの問題を分けて考えましょう。平易さの問題について、どの点が難しいと思われますか? 主張の強さの問題については、「あなたの出典がきちんとその強い主張のソースになっているか」が議題になっていたはずです。どうなのでしょうか。
二つ目の返信について。
我々は確か「あなたの出典はあなたの主張の根拠となっているのか」について話をしていたはずです(あなたの主張がソースのいらない自明なことだとすれば、自明なことをわざわざ統計的に検証しようとしている研究者たちがいることになっておかしいですよね)。そこをスルーされてしまうと堂々巡りになって議論が深まっていかないと思います。どうか前の質問についてご回答ください。 あと、自分の信念に合わない出典をすべて差し戻して消してしまうというのは流石にちょっとまずいと思います。--AT(会話) 2014年8月13日 (水) 04:59 (UTC)
追記です。
>>血液型と性格は関係がないと断定的に書くことは可能であるはずです。
これもまた残念ながら堂々巡りの一例です。こういう「立証できないから間違い」式の論法は現代の科学では詭弁でしかないと何度か申し上げたはずです。 もしそんな簡単に反証が成り立つなら、反対派の心理学者たちは何のために今でも論文を書いているのかってことになりますよね。 今後は、堂々巡りに陥りそうな場合、「いついつにその答えは書きました」とだけ書くことにします。
また、いつまでもこのページをゴチャゴチャさせておくのは良くないと思います。もしまた返答に一ヶ月近くかかるとすると、いつまでもこのページが過去ログ化されず、他の人の議論の妨げになります。せめて返答期日のめどを書き込むくらいのことはして頂けないでしょうか?問題は、あなたが議論を放棄したのかそれとも考え中なのか、他の人には判断がつきようもないということです。今後は、期日の書き込みなしに2週間以上経過した場合、解決したものとみなし過去ログ化してしまいたいと思います(2週間は妥当なラインだと思いますが、不服なら仰ってください)。
おかしな点があれば何でも仰ってください。また、上にも書きましたが、私が一ヶ月前にした質問にもきちんとお答えください。 それでは、よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年8月13日 (水) 10:19 (UTC)
この議論も何度目かわかりませんが、重要なことなので繰り返します。
「現在関連性が立証されていないし、将来その見込もない」ことを一般な表現で「関係ない」というのです。
表現が学問的なのか一般的なのかの違いに過ぎず。主張の強さはほぼ同等だと思います。
一例として、例の日米一万人調査の論文を取り上げた読売新聞
の記事(血液型と性格「無関係」日米1万人データ解析)
では表題で無関係と断言しています。「まだ証明されていない」というような回りくどい言い方では一般読者に誤読されるからでしょう。心理学者が根拠が無いと言い続けているのに、血液型性格診断が大衆に広がってしまっている現状がその傍証かと思います
一般人にとって特筆性があるのは正しいのか間違いなのかなのです。そして、読者が間違いと思われる分野をいちいち精査する必要は無いと考えています。私は読者に時間を無駄にしてほしくないので結論を先に書きます。学問上(出典の分野で言うと心理学)は正しくないとみなされている、これが一番大事だと考えています。ですから冒頭文はそうすべきだと考えています。
wikipedia編集で他人との共同作業ですので、出典が認められるなどして合意が達成されるまで穏当な書き方にする妥協は行います。私はそろそろ誠意のある編集者ならばならば、端的に関係ないと書くことが問題ないというぐらい
出典の精査が進んできたと考えています。--Littlefox(会話) 2014年8月13日 (水) 16:25 (UTC)
ATさんは質問や問題提起が多すぎて、全てには応え切れないのですが、あくまで自分の質問に答えよと要求されて負担に思っています。さしあたって直近のコメントの問題提起について個別にいくつかお答えします
問題提起への回答1>自明なことをわざわざ統計的に検証しようとしている研究者たちがいることになっておかしいですよねについて
いいえ、おかしくありません。学問上はとっくに決着がついている議題ですが、一般社会での影響力が大きいのでやむを得ず統計をとって学問的な定説を補強しているのです。件の論文の冒頭にちゃんと書いてあります。
国内外共に、これまでの心理学の研究では、血液型と性格(パーソナリティ)には関連性がみられないことが指摘されてきた。本研究では、これらの知見の頑健性を高め、さらに血液型と性格が無関係であることの積極的根拠を示すことを目的に、日米の大規模社会調査による実証的な根拠を提示する。
すでに心理学上では血液型が性格と関係が見られないとことが定説(多数意見)なのですが、「経験的に正しい」とか「統計的に正しい」とかいう人が後をたたないので積極的に証拠を提示していこうということでしょう。--Littlefox(会話) 2014年8月13日 (水) 16:42 (UTC)
問題提起への回答2>自分の信念に合わない出典をすべて差し戻して消してしまうというのは流石にちょっとまずいと思います。について
不当なクレームです。この差し戻し措置[12]について正当性を主張します。私が差し戻す前の版では「その一方、統計的な相関が見られたという報告も複数存在している」などと、まるで出典が血液型性格診断の正しさを補強しているかのように書かれていました。実際には、「相関がみられるのはテレビをよく見る生徒のみであるため、性格と血液型の違いは現実のものではなく、テレビに影響された思い込みに過ぎない」と結論づけた出典です(すなわち、自己成就予言であり、ピグマリオン効果だということです)。その主旨を切り落として「相関が見られた」という部分だけ切り抜くのは悪質なミスリードであると判断しました。この出典はもともと私がこの記事項目に追加した出典なので、すぐに気づくことが出来ましたが、知らない読者が見れば誤解してしまうでしょう。このようなごまかしを許してはなりません。以下引用
TV番組低受容群では主効果が認められないことから、
血液型による性格の違いは、現実のものではなく、マスコミ情
報に影響された思い込みであると結論づけられる。
ミスリードを行った投稿者は血液型関連の記事しか編集しておらず、一時的な捨てアカウントと推測されます。そしてノートでの議論に未参加です。差し戻しに不満があるのならばノートで正当性を主張すればよいわけでATさんが肩を持つ必要性はないのではないでしょうか。ただ、ATさんがその正当性を代弁するというなら止めません--Littlefox(会話) 2014年8月13日 (水) 17:14 (UTC)
- 差し戻しの件についてだけ先に回答しておきます。
- その編集が誤った解釈によるものでありミスリードを招くものだったという点について、Littlefoxさんの見解に全面的に賛成します。
- ただ、彼の編集の問題はその点だけであり、そこも説明を加えれば解決することだったと思います。そのため差し戻しは不適当ではと思った次第です。まだ何か回答を書かれている場合はどうぞ続けてください。--AT(会話) 2014年8月13日 (水) 17:26 (UTC)
問題提起3いつまでもこのページをゴチャゴチャさせておくのは良くないと思います。もしまた返答に一ヶ月近くかかるとすると、いつまでもこのページが過去ログ化されず、他の人の議論の妨げになります。せめて返答期日のめどを書き込むくらいのことはして頂けないでしょうか?問題は、あなたが議論を放棄したのかそれとも考え中なのか、他の人には判断がつきようもないということです。今後は、期日の書き込みなしに2週間以上経過した場合、解決したものとみなし過去ログ化してしまいたいと思いますについて
まずはATさんが望む速度で返信をできないことを謝っておきます。私にとってWikipedia編集は余暇に行う趣味なので、余裕があるときでないと論争に対応する気になれないのです。
ノートでの議論は現在進行形で行われている編集に関することにについてのものですので、当面は過去ログ化の必要はないと思います。そして議論が停止しているとみなす期間が最終投稿後2週間というのはいかにも短い。wikipediaで明確な定義が示されているわけではありませんがこの辺りでは一ヶ月としています。wikipediaでは解決までに数年かかるような議論もあるので、期間のみをもって機械的に過去ログ化する必要は無いと思います。このページの分量が多いのは確かなので、私も他の人に読んでもらうために要約したほうが良いように思えますが、双方合意出来る形で中立的に要約するのも難しいものです。見やすく新たな論争の種になるぐらいならこのままで良いと思います。文章が長くて読むのが大変なので見やすく章立てるなどの工夫をしたほうが良いのかもしれません
もっとも、このノートの文章の分量は、ATさんの事細かな質問・問題提起に応える形で増えていっているのですから、他者の可読性を気遣うならもう少し歩み寄ってほしいです。特に私の態度への批判などは記事とは直接関係なくコメント依頼などで行うべき案件です。なんでしたら自分でコメント依頼を設置しようかと思いますがよろしいか--Littlefox(会話) 2014年8月13日 (水) 18:24 (UTC)
- ご返信ありがとうございます。記事の見出しであれば、簡潔性やわかりやすさが優先されるのは当然です。しかし百科事典で最も重要なことは簡潔性ではなく正確性でしょう。実際Wikipedia:五本の柱でも正確性が重視されています。また、そのニュース記事本文でも「無関係である」と断言するのを避けていますね。(あと「将来その見込もない」というのは、これは個人的な見解ですよね。独自見解を入れずに証明された事実だけで話し合いましょう)
- 小中学生などへのわかりやすさのために正確性を犠牲にするのはWikipediaがやることではありません。「主張の強さは同じ」だと言うなら、正確なほうを採用すべきです。
- あと冒頭文には「科学的に正統な知識と認められたことはない」と書いています。具体的に満足の行かない点はどこなのですか?
- 回答1について
- つまり、「多数意見」=「科学的真実」という考え方に基づけばおかしくはないということですね。あなたのその立場は理解しました。問題は、百科時点を書く際にそのような立場を取るべきかどうかということになってくると思います。あと一応言っておくと、「関係を調査した研究の結果はまちまちである」と言ってる論文もあります。[13]
- 回答2について
- それぞれペースがあるのでそれは仕方がないと思います。
- それでは「一ヶ月間音沙汰なしの場合は解決されたものとみなす」でよろしいでしょうか?返答はできなくても期日を書き込むくらいのことは可能ですよね。
- >>このノートの文章の分量は、
- あなたの目線からするとそうなるのですね。私からすれば「問題が多すぎるから問題提起をせざるを得ない」&「本来は一瞬で解決するような単純な問題すら中々解決しない」からなのですが、確かに枝葉にこだわりすぎる部分はあると思うので気をつけます。
- 「態度の批判」をした覚えはありません。むしろ「相手の態度に敏感になりすぎるのはやめてくれ」と言ったのが私だったはずです。まあこの件は何にしろ枝葉に過ぎないのでやめましょう。
- グダグダにならないように論点をまとめておきます。
- 簡潔性や小中学生が読んだときのにわかりやすさよりも、正確性を重視するべきでは?正確性を犠牲にしてまで子供向けに書かねばならない理由は?
- 冒頭文の不満な点は(具体的に)?
- 「一ヶ月以上音沙汰なしの場合、放棄したものとみなす」でO.K.?
- 以上3点です。よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年8月14日 (木) 07:01 (UTC)
- 質問に応えます
Q簡潔性や小中学生が読んだときのにわかりやすさよりも、正確性を重視するべきでは?正確性を犠牲にしてまで子供向けに書かねばならない理由は?
これは私が「小中学生や教育を受けていない人たちに読んで欲しいのです。」と書いたことにたいする反応ですね。(文脈を読めばわかりますが)私はwikipediaを子供向けに書くべきというより科学的なリテラシーを持っていない人でもわかるように書くべきだと言っているのです。あまり専門用語や独特の言い回しを使わずに平易に書けばいいのです。特にすべての人が読むことを想定する冒頭部分はそうあるとよいです。あくまでも血液型性格診断を科学の立場から取り扱いたいというATさんのような人にはそういう項目内で行えば良いと思います。しかし、項目全体を科学的文法を使って書く必要はない。なぜなら学問の場から血液型性格診断は科学として扱われていないからです(この点は合意されてると思います)
それを踏まえて、科学的な言い回しから一般的な言葉に言い換えただけで正確性が損なわれるというのは大げさな懸念だと私は受け取っています。
来月以降に修正第二案を提出しようと思っているので細かな表現はその時にで批評されればよろしいかと思います。
Q冒頭文の不満な点は(具体的に)?
何度も言いますがわかりにくいことです。私はよりわかりやすく誤解されない書き方を目指します。より良い方を採用すれば良いと思います。wikipediaではATさんのいうような「書いた時反対がなかったから」という理由で現状維持が選択されることはないのでそこは勘違いされないようにお願いします
Q「一ヶ月以上音沙汰なしの場合、放棄したものと」でO.K.? あまりに返信が遅れるのは悪いと思ってますが、議論の過去ログ化を急ぐ理由が理解できないので過去ログ化には賛同しません。議論が進行中で現在編集する人間の参考になることが書いてあればしばらく提示しておいて良いのでは。こんな長いノートを編集者は全部読むべきとは言いませんが軽く目を通すぐらいは可能だと思います ちなみに私がノートで議論するときに期限を設けたことはありません。--Littlefox(会話) 2014年8月24日 (日) 20:26 (UTC)
- 【回答1について】「血液型診断の否定」は少なくとも科学的な論文でしょう。「科学でない」といって無視したら論文の著者達に失礼です。というか、疑似科学を疑似科学的な手法で反駁しても無意味なんですよ。疑似科学を否定したいなら尚更、徹底的に厳密に科学的にやらねばなりません。「具体的にどこにそう書いてあるとは言えないけど何となくそう読めると思う」みたいな主張をしていたら能見氏を笑うことはできませんよ。彼のほうがまだ科学的でしょう。
- また平易さと正確さは両立しえます。実際、冒頭文の趣旨はそのままで推敲すれば十分わかりやすくなるのではないでしょうか?具体的にどこが難解だと思うのか(何度も尋ねているのに)ご回答頂けないみたいなので、改善のしようもないというのが現状です。「専門用語」や「独特の言い回し」とは具体的に何を指すのでしょうか?
- さらに私が上で言ってるのは、平易さと正確さが仮にぶつかるとしても百科事典では正確さを重視しなければならないと言うことです。「一般人にはわかりづらいと思うから適当なことを書こう」は通らないのです。通っている例が科学的記事でもしあれば教えてください。
- 【回答2について】文章のどの部分がどうわかりにくくてどう改善すれば良いのかなどを聞きたいのです。
- 【回答3について】過去ログ化に反対ならそれでも構いません。あなたが引用した例のように「議論停止一ヶ月後」を期限とすることについてはどうされるのですか?
- まとめると、
- :事実を曲げてまで平易さを優先しなければいけない理由は?重大な事実関係を平易さのために捻じ曲げている科学記事は存在する?
- :冒頭文の具体的な問題点は?
- 「議論停止一ヶ月後」が期限でO.K.?
- の3つです。できるだけ具体的にハッキリ回答していただけると議論がスムーズに運ぶと思います。よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年8月25日 (月) 20:48 (UTC) 編集:--AT(会話) 2014年8月26日 (火) 00:32 (UTC)
- 以前言ったことの繰り返しになりますがご説明します。『血液型と性格のの無関係性』縄田(2014)という論文、およびそれを元にした読売新聞の記事『血液型と性格「関連なし」…九大講師調査』を出典に「(統計的にも)血液型と性格は関係が認められない」と書くつもりです。科学的
ところがATさんが無関係と言い切るのは科学的ではなく正確性を損なうと主張しているので、編集を待っている状態です。むしろあなたが出典に元に加筆することに反対する合理的な理由を説明するべきではないのですか。あなたはそのニュース記事本文でも「無関係である」と断言するのを避けていますねとそういう記事でないとおっしゃっていますが、この記事はどう見ても無関係であるという趣旨で書いてあります。また厚生労働省が「全く関係ない」と言っているとも書いてありますね。それともこの論文と記事は「科学的」とは認められないのですか?--Littlefox(会話) 2014年8月26日 (火) 15:46 (UTC) - 既存文の問題点(わかりにくい。まわりくどい)を具体的に示せとおっしゃるので、繰り返しなりますがもう一度言います。既存の血液型性格分類の多くが科学的でないとされており、過去に能見説が流行した当初から血液型性格関連説が科学的に正統な知識と認められたことはないの部分です。まるで少数は科学的と認められた血液型性格診断があるかのように誤読されるおそれがあると思いました。ただ、どうも話を聞いていると「血液型性格診断は多くは科学的ですらなく、能見説は科学的だと自称しているが正統とはされていない」という意味ではないかと思います。私ですら意味が取りづらく誤解してしまう文章が、前提知識のない読者に誤解なく伝わるとは到底思えないです。誤解無いように「現在知られているすべての血液型性格診断は、学問の場から(あるいは心理学の主流派たる「心理学会」から)科学的根拠が認められていない」などと言い換えることはなぜ許されないのでしょうか。--Littlefox(会話) 2014年8月26日 (火) 17:09 (UTC)
- 以前言ったことの繰り返しになりますがご説明します。『血液型と性格のの無関係性』縄田(2014)という論文、およびそれを元にした読売新聞の記事『血液型と性格「関連なし」…九大講師調査』を出典に「(統計的にも)血液型と性格は関係が認められない」と書くつもりです。科学的
>>以前言ったことの繰り返し
以前は、
>>出典はほぼ上村・サトウ2006で事足りる書き方にしました。
と言っていましたよね。だから反対していたのですが。
その後も「改善案の出典となっているといえる文献を挙げて」と私が言ったところ
>>何度も言いますが上村・サトウ2006を読めばよほど捻くれた読み方をしていないかぎり学問的には否定されている事が分かります。
と返答されています。縄田を使うなどとは一度も言っていません。Ctrl+Fで検索すればそのまま出てくるので確認してみてください。
下の差し戻しの件や前の「立証責任」の件もそうですが、Littlefoxさんはちょいちょいご自身の発言や行動に関する事実誤認があります(いちいち突っ込んでないですが、あなたが前言と食い違ってることを言うのはこれで少なくとも4回目です)。悪気はないのだと思いますが(悪気があるとすると、ちょっと読み返せばわかるような嘘をつく理由がわかりません)、議論が荒れたり滞ったりする原因になると思うので、次からはきちんと自分の発言を読み返すなどして誤認がないようにお願いします。
で、縄田論文の件について。私としては2ヶ月前に出たばっかりで評価が定まっていない論文を使うのは時期尚早かなという気もしますが、「2014年の論文では~関係ないとされている」くらいの穏当な書き方ならひとまず問題はないかなと思います。Littlefoxさんの断言口調はWikipediaには相応しくありません。あなたが挙げたニュースでも断言しているのは見出しだけで、「科学的根拠はないとする」「「無関連であることを強く示した」と結論づけた。」などと穏当な書き方をしています。あなた自身が挙げたその記事を見習っていただければ私としては何の文句もないのですが‥‥
既存文の問題について。「上村・サトウ2006」だけから書こうとするなら、あのような書き方にならざるを得ません。あれはTVでやってた血液型診断は科学的でないっぽいと言っているだけで、とても包括的に調べた資料とはいえないでしょう。つまり「現在知られているすべての」と書くことができないと言っているのではなくて、もうちょっと包括的な他の資料がいるということです。Littlefoxさんはどこかでそう言い切っている資料を見ているからこそ、そう書こうとしているわけですよね?その資料を教えていただければすぐに解決する問題だと思います。
Littlefoxさんは「現在関連性が立証されていないし、将来その見込もない」とか、他にもソースが存在しないことを何回も断言しています。我々は科学の議論をしているのですから、どうか科学における慣習に従い「ソースをきちんと中立的に読む」ということを徹底してください。これをやってもらえない限りどこまでも平行線で議論は永久に終わらないでしょう。
議論の期限について、なぜお答えいただけないのでしょうか?議論に期限を設けない、つまり「相手が戻るまで永久に待たねばならずその間は議論が生じている箇所について勝手に編集をしてはいけない」というほうが良いと仰るなら私はそれで構わないのですが。
まとめると、
- 縄田を使うなら、発表時期なども考慮して穏当な書き方をしよう
- 改善案を作るなら必ずきちんとしたソースをつけよう できない場合はできる人に任せよう
- はぐらかしたり無視したりせず誠実に議論をしよう(期限に関する質問などに答えよう)
- 事実を曲げてまで平易さを優先しなければいけない積極的な理由は?重大な事実関係を平易さのために捻じ曲げている科学記事は存在する?
ということです。よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年8月27日 (水) 03:52 (UTC)
冒頭文を編集しました。あなたが上で述べた問題は解決したと思います。まだ何か問題点はあるでしょうか? また、付け加えたい文などがあれば是非ここに書いてください。--AT(会話) 2014年8月27日 (水) 04:19 (UTC)
- こんにちは。割り込む形で恐縮ですが、意見を述べさせて頂きます。
- 賛成 Littlefoxさんのご意見「言い回しが難しいと思います。私やあなたはわかりますが読者には読みづらいです。出典の論文に目を通していない読者にも伝わりやすいように平易な文章で書きたいです。正確さを損ねない範囲で、わかりやすい言葉に置き換えていく必要性を感じます」。確かに私も初めて訪れたとき、同じ印象を持ちました(ページ全体として)。ただしATさんのご指摘の通り、書き換えで正確さや事実関係を損ねるようなことがあってはならないと思います。実際に色々な個所を編集されてみてはいかがですか?問題がある場合には私を含め他の利用者が修正したり、ノートで議論したりすればいいことですから。ツールとしてWeblio類語辞典などの使用がおすすめです。
- コメント 合意形成の期限に関して「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります」という規定がありますので(WP:CON)、一つの参考としてみてもいいかもしれません。
- 提案 冒頭文と概要節は内容が重複しているため、統合してシンプルにしてみてもいいかと存じます。冒頭文を定義(~なコンテンツのこと)だけにして、残りは概要節にうまく組み込めないものでしょうか。--Anosola(会話) 2014年8月29日 (金) 16:43 (UTC)
- 賛成 ノート上の推移を見るに冒頭文にいろいろ盛り込むと合意が難しいので冒頭文は定義のみにしても良いかと思います。ただしその定義には、性格を扱う心理学会では擬似性格分類と定義されている(看做されている)ことを盛り込んでもよいのではないかと思います。中立性への配慮として(少数の)研究者は科学的手法であると主張している旨は盛り込んでもいいかとと考えています--Littlefox(会話) 2014年9月1日 (月) 15:17 (UTC)
- 合意形成の期限についてはLittlefox氏が「2週間では短すぎる」と仰ったので一ヶ月を提案しましたが、やはり(氏が可能な限り)もっと短いほうが望ましいとは感じています。特別な事情がない限り、私としては1週間程度にして頂きたいところです。編集は義務ではないし、時間に余裕ができるまで議論を他の人に任せるという方法もあると思います。
- この議論は長大で当該コメントを探しにくいと思うので引用しておきます。「wikipediaでは一週間ぐらい忙しくてwikipediaに関われない時期があったからといって...」「2週間というのはいかにも短い。wikipediaで明確な定義が示されているわけではありませんがこの辺りでは一ヶ月としています。」--AT(会話) 2014年8月29日 (金) 23:48 (UTC)
- ATさんは私が違うことに対して発言したコメントを合意形成について言ったかのように引用しています。私が合意形成にそんな長期間が必要だとは思っていません(通例一週間ぐらいでしょう)。
一週間は・・・というのはノートでの質問に一週間後にが遅いことをATさんに責められたことに対しての発言です。ちょうどその期間にATさんが、自分が提案した加筆に72時間異論がなかったから合意形成されたとみなして編集したとして発言しましたが、私はちゃんとそれを認めています。ただ、ATさんは合意形成を拡大解釈して、自分の版に手を加えるのは合意違反という風なこと言い始めたので、それは違うと申し上げたまでです。ATさん曰く「全面的に書き換えようと言うにはかなり強い理由が必要」なのだそうです。原則的にwikipediaは常に編集することが認められていて、その版で固定というわけではありません。編集方針にたいして何らかの合意が形成されていたあるならあるていど考慮しますが、反対がなかった程度の合意形成でその後の編集を制限できるというのはとんでもない勘違いにしか思えません。
「一ヶ月」にいたってはその議論が終わったものとみなして過去ログ化する期間のことであって、合意形成とは関係ない話です。いったん合意形成に至ったとしても、その旨を告知し次の議論の参考にするためにしばらくはノートを掲示するのが普通です
善意にとらえて誤読・勘違いだと思っておきますが、人の名誉に関わることで、事実関係と異なること、曲解した事を人に言いつけるのはかなりいけないことですよ。
このノートは編集者個人の態度を議論する場所ではないのでこれぐらいにしておいて、コメント依頼を出してもよろしいか。以前にも私の編集姿勢についての質問が長いので、私がコメント依頼を出すのでそこでやってよいか以前に聞いたのですがお返事がありません。はっきり言えばATさんは私に編集者としての資質がないというような主張を続けているのは不快ですし、失礼なことだと思うので、あまりこのノート上でしてほしくないんです。--Littlefox(会話) 2014年8月30日 (土) 14:00 (UTC)
- ATさんは私が違うことに対して発言したコメントを合意形成について言ったかのように引用しています。私が合意形成にそんな長期間が必要だとは思っていません(通例一週間ぐらいでしょう)。
- 合意形成の期限についてはLittlefox氏が「2週間では短すぎる」と仰ったので一ヶ月を提案しましたが、やはり(氏が可能な限り)もっと短いほうが望ましいとは感じています。特別な事情がない限り、私としては1週間程度にして頂きたいところです。編集は義務ではないし、時間に余裕ができるまで議論を他の人に任せるという方法もあると思います。
- Littlefoxさん、もうそういう言い訳はやめませんか。ご自身の正当性を長々と主張しなきゃ気が済まないのかもしれませんが、議論の本筋から完全にズレてますよね。あなたが本来やるべきなのは、Anosolaさんの提案に返答することでしょう。 私もあえてあなたの間違いを指摘しません。読む人が読めばわかることですし。
- 私からも確認です。「一週間現われなかったら議論が解決したものとみなす(つまり、その後すぐに議論を無視した改善案を提案したりしない)」でよろしいのですね?こんな当たり前のことについて何度も確認を取る必要は本来ないはずなのですが‥‥
- ご自身の行為についてコメント依頼を出すというのはあまりに奇想天外なのでスルーしていました。「Littelfox - いつまでも納得しない対話姿勢、おかしな理屈などについて」などと御自身で書くおつもりですか? あなたが私に対してコメント依頼を出すというほうがまだ筋に適っていると思います。あなたは私の「同意形成」の捕らえ方などについて異論を持っているのだから、依頼をしたいのならあなたが私に出せば良い事ではないでしょうか。--AT(会話) 2014年8月30日 (土) 17:16 (UTC)
- 失礼の物言いはやめるように再三お願いしているのですが私が言っても聞く耳を持たないようです。コメント依頼やむなしです。私の名誉に関わることですので、もう一度言いますが私は議論を無視していない。「一人で発言して誰も返答しなかったこと」普通は議論と呼ばないからです。反論がなかったこと自体は尊重してその範囲は合意形成とみなしあなたの編集を黙認しています。あなたの編集によって私達の書いて数ヶ月反論がなかった文章は消されましたが、あなたみたいに「反論しなかったのに後から編集するのは合意違反など」自己中心的なことは言いませんよ。その自信がどこからくるのかしりませんが、随時編集を行うwikipediaの営みに無理解すぎるので勉強してほしいですね-Littlefox(会話) 2014年9月1日 (月) 15:17 (UTC)
ご自身を糾弾される件、了解しました。 私の質問やAnosolaさんのご提案にお返事いただけないことから察するに、この議論は一旦終了したものと見てよろしいですね。 依頼が解決されたあと、まだ記事に問題があると感じられるようでしたら、そのときに改めて新たな見出しを作成して問題提起されるとよろしいかと思われます。 それではまた。--AT(会話) 2014年9月1日 (月) 16:26 (UTC)
血液型別の性格の一覧に関して
本文中以下の記述に関しまして、現時点での掲載は慎重にご判断されてもいいかと思い、ご意見申し上げます。
- 古川竹二による血液型別気質の例
O型 | A型 | B型 | AB型 |
---|---|---|---|
落付いている人 (非暗示性の少ない人) 感情に駆られない人 |
遠慮深い人 |
気軽で、あっさりした人 |
内省はA型 |
- O型の特性例
- 生きる欲望、バイタリティが強い。
- 強い目的志向性。目的が決ると直進し、達成力も随一。
- ロマンチックと、強い現実性の二本立て。
- 仲間にはスキンシップな愛を持つ。家族思い。親友には裸の開放性、親分性もある。
- 反面、仲間外や未知の人に強い警戒心を持つ。
- A型の特性例
- “何かのため”に生きる生き甲斐を求める。
- 周囲に細かく気と使い、相手や周囲との間に波風が起るのを、特に嫌う。
- 感情や欲求は抑制する方。そっとした思いやりや察しあいを大切にする。
- ルール、慣習、秩序を重視、極端さを避け、羽目を外さぬ。反面、やや型にはまる。
- 筋を通し、ものごとのケジメ、白黒をハッキリつける。シンは一番ガンコで短気。
- B型の特性例
- マイペースの行動。しばられ、抑制されることを、ことにいやがる。
- 柔軟な考え方、新しいことや、自分と違った相手への理解力に富むアイデア性。
- 周囲の影響を最も受けず、また、気にしない。無用心さも一番。
- ブアイソか、ザックバラン型。だが、すぐ心を開く開放性あり。差別なく親しむ。
- 総じて、ものごとにケジメが乏しい。
- AB型の特性例
- ドライに見えるほど合理的な考え方。
- 反面、空想的、非日常的、メルヘンチックな趣味性を持つ。
- 情緒の安定した面と、不定気ままな面と、はっきり分れた二面性。
- 人との応待はニコヤカでソツなく、頼まれたらイヤといえぬ親切さ。やや調子よさも。
- 反面、人とのつきあいに距離をおく感じ。
これらの記述は学術的に全ての真偽が判明しているわけではなく、否定的な論文が肯定的な論文の数を上回っているであろう現状を考えますと、中立性の観点から掲載には慎重な判断が必要かと存じます(WP:NPOV)。仮に「このような説もある」「参考」のような注意書きを添えたとしても、特筆性を満たすかどうかは疑問に感じてしまいます。また、これだけの内容が出典の明記なく一括表示されていることにも違和感を感じた次第です(WP:CITE)。記事を加筆して頂いたUmibeさんにおかれましては、お気を悪くされましたら申し訳ございませんが、ご再考頂けますと幸いです。--Anosola(会話) 2014年8月24日 (日) 12:44 (UTC)
- 私も学会で否定された古川説について、目立つ図表を使ってまで解説する必要性が疑問であり、特筆性がないように感じます--Littlefox(会話) 2014年8月24日 (日) 21:15 (UTC)。
- 例えば「概要」の項に書かれていたとすれば明らかに中立性に反しますが、これはあくまでも歴史を解説する項に書かれているわけですよね。歴史としてこういうものがあったのは紛れもない事実なので、中立性の各基準には反していないと思われます。例えば、優生学のページには様々な呆れた理論が載せられていますが、これは歴史として解説しているわけであって事実として記載しているわけではありません。
- ただ、特筆性があるかどうかについては疑問の余地がありそうです。歴史上重要なのは明らかだし血液型診断の歴史をくわしく調べたい人には役立つと思いますが、少し詳細すぎるかもしれません。--AT(会話) 2014年8月25日 (月) 21:05 (UTC)
- かつて古川氏が血液型で性格分類されるという説を唱え、それが血液型性格診断の祖となった事には特筆性があり記載されるべきですし、以前から記載されていました。しかし今回の加筆のようにその内容を詳説までするには特筆性が不足していると思います。例に上げた優生学の記事にしても個々の説を詳しく解説することには価値を見出しておらず、その説が社会に与えた影響に重点をおいて必要と思われる分量のみ記述されているように見えます。逆に言えばあれだけ実社会に影響を与えてしまった優生学の学説ですら(総合的な)優生学項目ではあの程度の記述が適当とされているといえるのではないでしょうか。
どうしても詳説を加えたいなら記事を分割して古川式性格診断の独立項目を作るなどして特筆性がある状態を作ればどうでしょうか。私には疑似科学の内容に価値を見いだせないのでやりませんが、wikipediaは特筆性さえあれば宗教や占いについての記載は許されていますので仕方ありません。ただし、その場合でも学問的に否定されていることは目立つ場所に記載するべきでしょう。何故ならば学説の真偽には高い特筆性があるからです。--Littlefox(会話) 2014年8月26日 (火) 16:33 (UTC)
- かつて古川氏が血液型で性格分類されるという説を唱え、それが血液型性格診断の祖となった事には特筆性があり記載されるべきですし、以前から記載されていました。しかし今回の加筆のようにその内容を詳説までするには特筆性が不足していると思います。例に上げた優生学の記事にしても個々の説を詳しく解説することには価値を見出しておらず、その説が社会に与えた影響に重点をおいて必要と思われる分量のみ記述されているように見えます。逆に言えばあれだけ実社会に影響を与えてしまった優生学の学説ですら(総合的な)優生学項目ではあの程度の記述が適当とされているといえるのではないでしょうか。
- 確かに、フロギストン説のように独立したページを作りこのページからはリンクするだけにするという方法もありそうですね。
- あと気づいたのは、このページって「血液型性格分類」のページなのに血液型性格分類の仕方について全く触れてない状態になっていますね。上の図表がやりすぎだとしても、各血液型に対し一つか二つの代表例くらいは書いておいたほうが調べに来た人に親切かなと思いました(もちろん過去の説だということはわかるようにして)。--AT(会話) 2014年8月27日 (水) 04:48 (UTC)
基本的にはATさんのご意見に賛成です。ただし、もう既に能見正比古のページがフロギストン説のページのような役割を果たしているようですので、それで十分かと思います(能見のページ編集には関わるつもりはございませんが、独自研究タグだけ貼らせて頂きました)。--Anosola(会話) 2014年8月29日 (金) 16:43 (UTC)
- 能見正比古のページに既に同じことが書かれているわけですね。そうであれば私もこのページに詳細を書く必要はないと思います。--AT(会話) 2014年8月29日 (金) 23:05 (UTC)
出典の利用に関して
本文中以下の記述に関しまして、ご意見申し上げます。
一方で、山岡(6600人)、坂元ら(3万人余り)など、血液型診断に対する認知度に応じて統計的な相関が見られたという報告も複数存在している[1]。
- ^ 統計的な相関が見られたという報告の例
- 山岡重行(2006)「血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響」日本社会心理学会第47回大会発表論文集, 76–77.
- 山岡重行 (2009) 血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 日本パーソナリティ心理学会大会 - 1999年から2009年までの6600人を調べたところ、多くの項目で有意差が出た。
- Sakamoto, A., & Yamazaki, K. (2004). Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy: A natural experiment with time-series data of 1978–1988. Progress in Asian Social Psychology, 4, 239–262.
- Beom Jun Kim et al (2007). Blood-type Distribution, Physica A: Statistical and Theoretical Physics, 373(1), 533-540.
- 工藤恵理子 (2009). 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響. 日本心理学会第73会発表論文集 - 全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
- 大村政男, 浮谷秀一, 藤田主一 (2010). 続:衆議院議員に血液型の特徴は見られるか I. 日本心理学会第75回発表論文集 - 首相はO型が多い
これらの出典は、血液型と性格に統計的な相関が出ていないことに対する反論の根拠として示されていましたが、その様な主旨の論文ではないかと存じます。
- 山岡(2006)、山岡(2009)、Sakamoto, A., & Yamazaki, K. (2004)、工藤(2009)が示しているのは、血液型性格分類にステレオタイプのある(血液型性格分類を信じ込んでいる)者が、そのステレオタイプに沿った性格だと自己評価する傾向がある(ステレオタイプのない者の場合は、その様な傾向はない)、というものです。
- Beom Jun Kim et al.(2007)においては、はカイ2乗検定において血液型とMBTI(性格分類)における独立性の仮定を棄却できていません。これはB型男性以外のすべての条件において、相関関係がないことを意味しています。
- 大村政男, 浮谷秀一, 藤田主一 (2010)に関しては論文を入手できなかったため判断できませんが、それ以外の論文に関しては「血液型と性格に統計的な相関が見られない」という結論が含まれており、この主旨に沿った出典の利用が適切であると考えます。
予言の自己成就に関する記述でも同様に主旨と異なる出典が利用されており、まとめ方も独自研究に該当する可能性があったため(WP:NOR)、コメントアウトさせて頂きました。
個人的には、血液型と性格はある程度は関係があるという立場を取っておりますが、上記の様な論の展開には違和感を感じてしまいます。むしろ肯定論に対する疑念を深めてしまう可能性があり、中立的な観点からも問題があると考えます。--Anosola(会話) 2014年8月25日 (月) 11:25 (UTC)
- 私も同様の提議をしようとおもっていたので賛成です。以前同じ理由で差し戻したのですが相手にしてもらえず、ノートでの議論に疲れて先延ばしにしていました --Littlefox(会話) 2014年8月26日 (火) 15:06 (UTC)
私はIPで編集しているもので、ノートに書き込む資格があるのかはわかりませんが、少し書かせていただいてよろしいですか? これが違反行為に該当するなら指摘していただいて結構です。Anosola|さんは血液型と性格の関連がある程度あるという立場だとおっっしゃておりますが、これだけ科学的に批判されている血液型性格分類の記事を書くに当たりそのような人が編集するのはいかがなものですか?中立的な立場からこの時点で、ずれていると私は考えます。現に少しでも否定する根拠が不十分だと考える記事は容赦なく削除しているのに対してわずかにしか相関がみられないような文献を記事として記載しておられますが、このような記述だと『血液型性格分類は賛否両論がある説』と閲覧者に誤解を与えると私は考えます。要約すると『血液型性格分類否定記事は少しで根拠があいまいになると削除している』に対し『血液型性格分類肯定記事は、わずかな相関が見られる程度で記載している』ということです。Anosola|さんを否定するつもりはありませんが、私が記事を読むか限りでは、このページは血液型性格分類否定の論調がずいぶん弱く、その一方で数少ない肯定記事を律儀に載せていると感じるのですが・・・・いかがでしょうか?
--IP利用者--以上の署名のないコメントは、114.161.107.14(会話)さんが 2014年8月30日 (土) 00:03(UTC) に投稿したものです(VeryBasicBassist(会話)による付記)。
追記です。Anosola|さんご自身には何も不満もございませんし、批判するつもりは毛頭ないことを繰り返しておきます。私が疑問を感じるのは血液型性格分類否定記事は少しあやふやな点があれば、削除するのに対し、数少ない肯定記事を積極的にページに反映させている点です。 例えば人類学の見地から見た血液型性格分類の批判を全削除されておりますが、出典もあり有用なデータだと思われますが、削除の根拠はなんでしょうか?また、「散見される」や「という声もある」レベルの物は特筆性が低く、信用できるデータを削除して、このような記事を掲載するのはさすがに、中立的な編集とは私個人としては思えないというのが結論です。勿論、Anosola|さんにも考えがあっての編集でしょうが、それを私としては他の編集者にもわかるように説明する必要があるのではないかと感じる次第です。
--IP利用者--以上の署名のないコメントは、114.161.107.14(会話)さんが 2014年8月30日 (土) 02:45(UTC) に投稿したものです(VeryBasicBassist(会話)による付記)。
- こんにちは。人類学の記述につきましては削除に異論があるとのことで、該当記事を復帰いたしました。前半部分は血液型性格分類に対する否定論、後半部分は肯定論の立場での記述になっていました。今回復帰したのは前半部分となりますが出典が示されておりませんので、追加にご協力願います。出典が示されない場合は、再び削除される可能性もあることをご承知おきください。
- 中立ではない立場の人物が記事の編集を行うことに関しては、問題はないと考えます。その人物がどの様な考え方の持ち主であっても、Wikipediaのルールに沿って編集を行うことは認められています。また、色々な立場の人間が意見をすり合わせていくことで、中立的な記事を目指すことが重要です。ご提案ですが、IPを取得されて実際に記事の編集に参加されてみてはいかがですか?--Anosola(会話) 2014年8月30日 (土) 04:44 (UTC)
Anosola|さんこんばんわ。ご返信ありがとうございます。そうですね。アカウントの取得をして私も編集に参加することも考えたのですが、私の性格上、あまり表舞台(実際に編集に参加するという意味です)に出るより、編集能力のある方に編集をお願いして私は「こうしてはいかがでしょうか?」などという具合に提案などをする方が、いいかと存じます。私は能力的にも編集者としての適性があるのかも疑問ですので(笑)やはりそれ相応の能力をお持ちの方に編集はお任せしようかと思います。また、何かわたくしから提案することもあるかもしれませんが、お互い、この記事をよりよい物にするためにがんばりましょう。それでは失礼します。 --IP利用者--以上の署名のないコメントは、61.45.196.15(会話)さんが 2014年8月30日 (土) 11:09(UTC) に投稿したものです(VeryBasicBassist(会話)による付記)。
- 私は中立でない事自体は問題でないと考えています。私も「血液型と性格は関係性がみられない」という立場で編集していますから中立ではありません。最終的に記事が中立的な観点で書かれていればそれでよいのです。そもそもwikipedia編集者とは、なにかに思い入れがあるからその項目を編集しようと思うわけで編集者が本当に中立的であることは少ないでしょう。むしろ自分で「中立的」とか「不偏不党」などという人は少々信用ならない気がします。Anosonaさんが現在の立ち位置を明らかにされていることに対しては信頼できるという印象を持ちました。
一方でIP利用者さんのおっしゃることにも、共感します。性格を取り扱う心理学会では、血液型性格分類にたいして否定派・懐疑派が明らかに多数派ですから、記事も懐疑的な意見が多く盛り込まれている状態が自然だと思います。中立的観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかが参考になると思います。心理学者の血液型性格診断に対する批判的検討が数多く出版もしくはWEB公開されているので、それを逐次記事に反映させていけばよいと思っています--Littlefox(会話) 2014年8月30日 (土) 14:35 (UTC)
Littlefoxさんこんばんわ。確かに中立的でなくても記事が中立的記述になれば、それでよろしいかと私も再考した結果、そのような結論に至りました。そこで問題になるのはやはり『否定の論調の弱さ』だと私は思いますね。記事全体を何度も読み返しましたが、伝わってくるニュアンスが『今のところは関連性が見られない』『根拠はないが否定はしきれない』といった具合ですかね。学会でほぼ完全否定に近い状態ですので、そのニュアンスを閲覧者に伝わるようにしないといけないと私は考えます。つまり、学会で完全否定に近い状態なのでこのページでもその現状を閲覧者にわかりやすくするのが編集者の義務だと思います。そうした上で、肯定記事も参考程度に載せるのが一番合理的ではないでしょうか? --IP利用者--以上の署名のないコメントは、114.161.107.14(会話)さんが 2014年8月30日 (土) 16:08(UTC) に投稿したものです(VeryBasicBassist(会話)による付記)。
- 皆さんこんばんは。「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」の方針により、私も肯定派の主張を少数派のものとして紹介することに賛成です。ただ、中立性の方針の「判断を下さない表現が好まれます」も無視できません。「判断を下した断定的な書き方にしないとニュアンスがわかりにくい」ということみたいですが、そこはどうにか工夫するしかありません。
- 正しい「ニュアンス」を伝える最良かつ正当な方法は、Wikipediaの方針にもありますが、良質なソースを探してくることだと思います。特にIP利用者さんが学会の雰囲気がわかる資料をお持ちであれば、それを抜き出して書けば良いだけなので非常に助かります。編集はできずとも、良いソースを探してくるという形で記事の改善作業に加わることが可能です。
- ちなみに私は「信用ならない」と言われた「中立派」に最も近いようです。というか血液型と性格が関連してようがしてまいが自分にはどうでも良い、関連していれば面白いし、関連していないことが証明されればそれも興味深い、つまりは科学的真実であればどちらにしろ面白いという感じです。どちらに賭けるか、と言われれば「関係ない」ほうに賭けると思いますが。--AT(会話) 2014年8月30日 (土) 18:19 (UTC)
報告です。やはり「IP利用者」(IP:114.161.107.14(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois))はこのページを以前からずっと荒らしていたソックパペットによるブロック破りだったようです。 つきましては彼の誘導による編集は一旦差し戻します。このページは半保護されている以上、これからはIPの利用者に対してはアカウント登録を勧めるなどの対応をしたほうがいいでしょうね。実際彼はもう9回以上もブロックされています。これからも荒らしに来るかもしれないので、その際は適切な対応をお願いします。--AT(会話) 2014年9月1日 (月) 03:05 (UTC)
- ブロック破りのような行為はご自身の支持される意見への心象を悪くだけなので本当にやめて頂きたい。Wikipedia:投稿ブロック解除依頼作成の手引きを参考に、謝罪と反省の意を示し、ブロック解除を認められてから参加してください。正統な形での議論への参加は歓迎します。ぜひお願いします--Littlefox(会話) 2014年9月1日 (月) 15:31 (UTC)
- IP利用者の件、了解致しました。さて、もう一件「ミスリード」と思われる出典の利用が見つかりました。
研究者らによって統計的調査・再調査・追試験が何度も行われているものの、現在に至るまで、統計的に差があるかなどについても結論の一致が見られないのが実情である[1]
- ^ WU Kunher, LINDSTED Kristian D., LEE Jerry W. (2005). Blood type and the five factors of personality in Asia - 台湾の論文。この調査では、血液型と外向性の関連性を否定する結果が出た。そのかわり、女性のBMI(=肥満度)と外向性の間に関連性あり、との結果が出た。Wuらは、"Research investigating the association of blood type with personality has yielded mixed results."と述べている。
- この論文も統計的に有意差がないと結論付けており、"Research investigating the association of blood type with personality has yielded mixed results."と書かれた部分は研究の結論ではありません(英語の論文で現在完了形が使われている場合は、基本的には先行研究を指します)。よって、この部分を根拠として「結論の一致が見られない」とすることには違和感があり、該当部分を取り除かせて頂きました。肯定派の論拠として、明らかに相応しい出典が今後見つかれば加えていきたいと思います。--Anosola(会話) 2014年9月1日 (月) 12:33 (UTC)
- 引用された部分について、Anosolaさんの仰るとおりだと思います。異論はありません。肯定している論文としては、[14]の3パラグラフ目に「自己成就だけでは説明できないとする意見もある」と書いているあたりが使えるかもしれません。
- ひとつ提案が。「心理学の分野において血液型と性格(パーソナリティ)について因果関係を示す結果は出ていない」とすると肯定する論文がひとつも出ていないように読めてしまうかもしれません。いくつか出てはいるけど広く認められてはいないということだと思うので「因果関係は認められていない」「示されていない」というニュアンスでどうでしょうか。--AT(会話) 2014年9月1日 (月) 13:56 (UTC)
- ひとまず編集しておきました。問題がありそうであれば教えてください。--AT(会話) 2014年9月1日 (月) 14:17 (UTC)
- 賛成 ミスリード除去に対する編集に合意します。英語論文は確認出来る人が少ないので助かります--Littlefox(会話) 2014年9月1日 (月) 15:20 (UTC)
改訂報告
ノート上での私の編集姿勢や能力について疑問があがっていたので編集を見合わせていたのですが、正確さが損なわれない範囲での改定は構わないという合意が得られたとみなして編集を行いました[15]。なんなりとご意見ください
主な変更点
- 冒頭文を定義のみに絞って概要に移設。概要が増えたので読みやすく整理
- 表現を平易なものに書き換え。概要ぐらいは学生でも理解できることを目指す
- ノート上で性格と血液型の関連性を否定できるのか否かについて、表現面での論争が続き、また一般的にも誤解が多いところだと思うので、科学的表現と一般的表現の差であることを出典を付加した上で追記。--Littlefox(会話)
- ざっと読んだだけですが、きちんとソースが付けられていて科学的にも正確な記事になっているように思いました。
- ただ細かいですが1点だけ気になったところがあります。「(アジア以外では)性格と血液型との関連性があると考える人はほとんど見られない」という文章のソースについてです。私も話としてはそうだと聞いているので疑っているわけではありません。ただ、何かわかりやすいソースがあればより良い記事になると思います。
- 細かい文言の修正などをさせていただきました。内容に変化はないと思いますが、もし問題があれば修正のほうよろしくお願いします。--AT(会話) 2014年9月1日 (月) 18:42 (UTC)
- 要出典の箇所について海外では一般的でないということを示すニュース記事を幾つか出典に貼ってみました。自分の血液型を知らないものだという事を書いた書籍も見つけたので出典に追加しておきます--Littlefox(会話) 2014年9月3日 (水) 05:45 (UTC)
- ありがとうございます。良い出典になっていると思われます。私もひとつ見つけたものがあったので出典に追加しておきました("most of us don't think about our blood group much, unless we need a transfusion."と書いてあります)。Littlefoxさんが編集した箇所について、個人的にはもう問題は感じられません。概要も二つに分けたことでわかりやすく読みやすくなっていると思います。ソックパペットにより議論がメチャクチャになるなど様々な困難が付きまといましたが、記事改善のための議論に長くお付き合い頂きありがとうございました。それではまた。--AT(会話) 2014年9月3日 (水) 08:28 (UTC)
anosoraさんが加筆をされました[19]。読みやすさという点で改善されたように思いますので、anosoraさんの文章をうまく記事に残していきたいと思います。特に「概要/社会の視点から」の部分は読みやすくなったと思います。社会問題についてはブラッドタイプ・ハラスメントの記事に拡充し、そこにリンクするなど良い判断だと思います。ただそれと引き換えに正確性が落ちてしまう点もあるので再度加筆させていただきたいと思います。
残念ながら私とATさんの版[20]
に比べて、概要/科学の視点の部分は簡潔でなくってしまったとおもいます。anohanaさんが「確かに性格と血液型に関係を示すデータがある」ことをなんとか概要に盛り込もうとした結果だと思います。私はanosoraさんがきちんと自制的な書き方をされていることは評価したいのです。血液型と性格に関連性が認められる事はある(ただしいずれもステレオタイプによる自己成就予言と考えられる)事自体は事実なので記事のどこかに盛り込みたいと思っています。
私が特に復帰させたいのは、以前に提案したうえ[21]で加筆した「ほとんどの心理学者は血液型と性格の間に関係があるとは考えていない」事です。信頼できる出典があり、「性格理論の専門家の間では否定的である」ことがわかる点で特筆性が高いと思います。この一文で簡潔に概ね血液型性格分類が信頼できる理論なのかどうか読者は把握できるはずだからです。こういうと権威主義的に聞こえるかもしれませんが、wikipediaとは埋もれた真実を追い求める場所ではないのでしかたありません。現在の心理学会は科学的な手法にのっとって研究された論文を扱い、お互いの研究を批評してるので信頼できる意見として扱うべきでしょう。そのため目立つところに復帰させたいと思います。記事の冒頭部で合意をえれないのでしたら、概要/科学の視点からの冒頭でもかまわないかと思います
最後にこまかな表現の話ですが、私は科学的な根拠がなしに性格を判断することを「決めつけると」書いていましたが「判断する」に置き換えてあるところをみると中立的でないとみなされたと考えてよいでしょうか。確かに批判的な表現なので、私も言葉が強いかなとは思いました。ただ社会問題としてブラッドタイプハラスメントをとりあげるなら何が問題かを明らかにするために「決めつける」がニュアンスとして正しいように思えます。どうでしょうか?--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 06:10 (UTC)
- ご意見を踏まえて編集を行いましたが、いかがでしょうか。「社会的な視点から」の中にも科学的根拠の話が入っていたりしたため、章立てはしない形式に校正させて頂きました。概要節は全体的な文量もそれほど多くないので、分けない方がシンプルで見やすいとも思います。「決めつける」という表現に関しては、それでも構わないとは思います。ただし、決めつける意図がない(悪気がない)場合でも、ブラッドメント・ハラスメントは成立するというニュアンスを出したかったため、この様な表現に致しました。--Anosola(会話) 2014年9月6日 (土) 14:12 (UTC)
- 編集お疲れ様でした。大半は問題無いと感じます
今のところを私が概要項目を社会的視点と科学的視点に分けたのは、読みやすくするためであると同時に、(擬似)科学ではなく占いとして楽しんでいるという立場(個人的にはそれでも嫌ですが)に配慮するためと、概要で科学哲学の話を書いても大丈夫か不安であったからです。ただ概要項目が「科学的に正しいとは認められていない」で始まるように、概要項目全体が科学と無縁で書けないので、他の方問題ないなら概要項目は一つに統合されて良いと思います。
「決めつける」という表現についてですが、そう言われると確かに判断すること自体がブラハラと看做されると書いたほうが、誤解が無い気がします。個人的には現在の血液型性格診断はすべて科学根拠が無いという立場から決めつけるという言葉を推したいと思っていました(「判断する」は血液型性格診断が正しい場合にもつかえる表現)。しかしブラハラをしている当人は軽い気持ちでやっていることが多いので「自分は決めつけていない」と思ってしまう人がいるやもしれません。できるだけ多くの人に届く言葉が好ましいです。
ただ問題の科学的データを血液型と性格の関連を示す科学的なデータを示している人たちもいるが、多くの研究者はそれが「確実な証拠」だとは認めていないの部分ですが、この書き方はやはり誤解をまねきはしないか心配です。能見さん達が科学的だと主張しているデータがあるが科学的だと認められていないという旨を書くならそれはよいとおもうのですが、「血液型へのステレオタイプの強さによる自己成就予言を扱った研究」はノートで議論して合意に達したとおり取り扱い注意な出典です。まるで血液型で性格が決まるという科学的データが存在する(しかし主流派には認められてない)と読める書き方をする根拠には使うべきではないと思います。血液型性格診断は統計学的手法をとっていますが、統計学の基本にして陥りやすい罠に「相関関係と因果関係は異なる」があります。件の論文は若干の相関関係が認められたが、それは予言の自己成就によるもので血液型と性格に因果関係はないとしています(ステレオタイプが強い人に相関がみられる)。その辺りの誤解されがちな話題を説明なしに概要項目に放り込むのはミスリードを招きかねないため難しいのではないかと思います。研究自体は特筆性と信頼性があると思うのでページ内で、きちんと解説すれば良いのでないのでしょうか--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 15:22 (UTC)
- 編集お疲れ様でした。大半は問題無いと感じます
- ご指摘の箇所に関しまして、少し言い回しを変更してみました。ご報告申し上げます。--Anosola(会話) 2014年9月8日 (月) 13:49 (UTC)
ナチスドイツの血液型差別に関する根拠
ナチス・ドイツが血液型分類を採用していたことについては疑問が残ります。まず海外のwikipediaやサイトでもありますが、ナチスが血液型を使って差別を行っていたことについては書かれていません。 またその証拠となる出典にも真偽の程が伺えます。優生学についてですが、これはアーリアン学説を採用しただけで血液型分類は採用していないと思われます。 血液型分類が海外にも存在するという記述がありますが、それは学説と取り違えているとも思えます。 血液型分類は日本とその影響を受けた台湾韓国独特の文化とされています。海外のwikipediaではABO型血液型研究者については差別を行った…とはされていません。 この記事についての編集を行っておきたいところです。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 07:14 (UTC)
- ちょうど出典になっている本を借りているので確認したところ間違いなく書いてあります。WEBでも閲覧できます[22]。私は出典に基づいた意見であり独自研究ではないと解釈します。よって編集を差し戻します。出典に基づいた意見の削除は慎重に行ってください。--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 10:48 (UTC)
- 現在の世界で日本周辺以外で血液型性格診断が行われないことはすでに概要に書いておきましたが、過去には人種差別が横行しそれを正当化する優生学が流布していたことは否定しがたい事実です。現代の観点からは明らかに間違った基準で人が区別されており、その中に血液型が含まれたことは歴史的事実として私達が覚えておくべき事柄です。すくなくとも血液型性格診断の歴史を書くなら特筆性があるはずです。血液型性格診断が科学的根拠がなく、また先天的な特徴で人を特徴付ける差別的な性格を持っている以上、現在の欧米で忘れ去れられている自然なことでしょう。私は「○○はナチスと同類」というようなレッテル貼りは嫌いですが、欧米で血液型性格分類を主張すればナチスのような差別主義者と思われることを覚悟する必要があるでしょう。--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 11:05 (UTC)
- 該当部分を削除した編集を差し戻したことを報告します[23]--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 11:09 (UTC)
- フェーリさんが欧米での血液型診断の歴史を一部の研究者の意見にすぎないとする旨の編集を続けていますが、ノートで合意を形成する努力をしてから編集を行ってください。明らかな意見の相違があるのに編集を行っても編集合戦をまねくだけです--Littlefox(会話) 2014年9月6日 (土) 15:27 (UTC)
- 夜分失礼致します。ではまずナチス及び欧米の血液型診断の件ですが、ナチス・ドイツが実際に血液型診断による人類判断を行っており、血液型研究者は血液型によって優劣をどうかを決めていたかについての証明は、正確な出典を確保しなければ出来ません。ナチスはアーリア人学説に基づいていますが、血液型によって分類を行っていたかについては公にされていません。日本だけに留まらず、海外から血液型分類によって差別を行っていたというデータが無ければそれは事実とは異なってしまいます。差別主義者についてはナチスのような存在と思われることであって、ナチスそのものではないのですが、私が問題としているのは血液型研究者が果たして血液型によって優劣を決めていたか、ナチス自体が血液型分類を行い、それを根拠にホロコーストや差別を行ったことに関する真偽についてです。中立的な観点に基づき、日本だけこのような見方をしているのでは無いか、海外では実際に行われたとされているのかどうかを調べ、記事の編集を行いたいと考えております。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 15:57 (UTC)
- コメント 横から失礼します。「(ナチスが)人種差別を正当化するために、血液型性格診断を利用していた」ことの証明にはなりませんが、当時のドイツで人種と血液型の相関を調べる疑似科学的研究が支持されていたことは事実のようです。ちょっと調べれば、ワイマールおよびナチス時代のドイツの人種理論に血液型研究で影響を与えた
オットー・レッヘオットー・レッヒェという人類学者がいたことがわかります。未見ですが、Racial Hygiene - Medicine Under the Nazis という本で触れられているようです。--Doomreaper(会話) 2014年9月6日 (土) 17:20 (UTC) 人名表記を変更しました。--Doomreaper(会話) 2014年9月6日 (土) 22:14 (UTC)- 追記:プロクターの前掲書 Racial Hygiene (『人種衛生学 -ナチス政権下の医学-』)は残念ながら邦訳されていないようですけれど、こちらのページで同書の内容が出版社の許可の下で抜粋されていました。それによるとオットー・レッヒェ(優生学の記事ではレーヒェと表記)らは、「ヨーロッパ系人種は本来A型を特徴とし、アジアに起源をもつ人種はB型を特徴とし、人種間結婚によって人種が混交していった」とし、「ユダヤ人はヨーロッパ人よりも比較的アジア系のB型が多いが、AとBのように相反する血液型が婚姻によって混血するがままにしておくと良くない結果につながる」と考え、「私生児の本当の父親がユダヤ人かゲルマン人かは血液型を調べれば分かる場合があり、たとえ人種と血液型に必然的な相関がなくとも、血液型研究はナチス国家の人種政策にとって重要な意義をもつ」と信じていたようです。このような考えが実際の政策運用に反映されたかどうかまでは分かりませんでしたが、ゲルマン人の純血を推進するナチスの人種イデオロギーを補強する理論の一つとなったであろうことは容易に考えられます。そのあたりについて詳細に書かれた日本語文献があるのよいのですが。--Doomreaper(会話) 2014年9月8日 (月) 15:53 (UTC)
- 興味深い出典のご紹介ありがとうございます。英語文献なら読める人が多いので記事を書くための出典に使えるのではないでしょうか。--Littlefox(会話) 2014年9月9日 (火) 16:52 (UTC)
- 資料有難うございます。成程…人類差別を行うために血液型分類を採用したとは拡大解釈にも取れなくはないものですね。確かに血液型が発見された時期から日が浅く、人種と血液型の相関でしたら興味を示す人物はいるのかもしれませんね。しかし問題なのは(日本の噂によると)でナチスがA型は西洋系で、B型はアジア系として優劣を決めて差別した・・・というものが流行っていることです。また軍隊はA型の人間が多かったというものもありますが、そのことについては海外等のサイトを調べても掲載されてはいませんでした。ナチスが血液型性格分類を採用し差別を行った及び血液型研究者は血液型により○型は優等と考えたことに関しては未だに真相は分かりませんね。少なくとも人類と血液型の相関は支持されていたとは思いますが、差別のために採用したということを決めつけるのには曖昧な部分があると考えております。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 20:33 (UTC)
- 追伸ですが、ナチスのSS隊員には血液型の刺青がなされています。しかしこれは差別的な意味合いではなく、緊急時の輸血のためであることが分かっています。紹介されていたものを読ませていただきましたが、書いてあることは特定の血液型がヨーロッパ系よりもアジア系やユダヤ人に比較的多い程度で、これが差別に使用されたとは明確になされていませんでした。関連する資料も調べましたがユダヤ系の血液型を調べるのは実際には困難であったこともあったり、日本の固有の現象と呼ばれることもありました。関連性がすこしばかりあったとは言えこじつけではないのではとも思えます。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 21:10 (UTC)
- 日本で言われているのではなく、ドイツでは実際に「東洋人は白人よりも B 型が多い,チンパンジー以外の動物には B 型が多い,東洋人は白人よりも劣り動物に近い」等と言われていたのです。出典はWEBで確認できます[http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/52/52-5.pdf]。この論文の出典となっている『血液型と性格』(大村政男著1998)に書いてあるそうです。この本は最近新装版が出版されていて入手困難ではありません。こういう本を確認してから「資料が見つからないから存在しないに違いない」というような主張するべきではないのですか。最低限、記事に付加されている出典を確認してから削除や否定的な加筆を行っていただきたい。話を聞いた限りではWEBを検索しただけで見当たらないと主張しておられる--Littlefox(会話) 2014年9月7日 (日) 01:23 (UTC)
- コメント 横から失礼します。「(ナチスが)人種差別を正当化するために、血液型性格診断を利用していた」ことの証明にはなりませんが、当時のドイツで人種と血液型の相関を調べる疑似科学的研究が支持されていたことは事実のようです。ちょっと調べれば、ワイマールおよびナチス時代のドイツの人種理論に血液型研究で影響を与えた
- 夜分失礼致します。ではまずナチス及び欧米の血液型診断の件ですが、ナチス・ドイツが実際に血液型診断による人類判断を行っており、血液型研究者は血液型によって優劣をどうかを決めていたかについての証明は、正確な出典を確保しなければ出来ません。ナチスはアーリア人学説に基づいていますが、血液型によって分類を行っていたかについては公にされていません。日本だけに留まらず、海外から血液型分類によって差別を行っていたというデータが無ければそれは事実とは異なってしまいます。差別主義者についてはナチスのような存在と思われることであって、ナチスそのものではないのですが、私が問題としているのは血液型研究者が果たして血液型によって優劣を決めていたか、ナチス自体が血液型分類を行い、それを根拠にホロコーストや差別を行ったことに関する真偽についてです。中立的な観点に基づき、日本だけこのような見方をしているのでは無いか、海外では実際に行われたとされているのかどうかを調べ、記事の編集を行いたいと考えております。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 15:57 (UTC)
- 少なくとも血液型性格診断をナチスが採用したことについての真偽は不明ですが、血液型研究者においては人類判断の疑似科学的判断はあったと思われます。--フェーリ(会話) 2014年9月6日 (土) 23:18 (UTC)
- 出典にも記事にもナチスが(人事などに)採用していたとは書いておらず、ナチスは人種差別を正当化するために利用したと書いてあるのみです(もっとも非アーリア人であることは実際に人事で不利になりましたので、アーリア人に少ないB型の心象はわるかったでしょうね)。誤読ではないでしょうか。
そもそも正式に採用しなければ、差別に利用したと言えないという時点でフェーリさんの独自の見解です。出典などがあるのですか。日本でさえ血液型性格分類を人事などに利用していると公表している組織は現在では少ないです(過去はもっと多かったようですが、現在がしないように学会が呼びかけたり行政が指導して減ったようです)。だからといって血液型性格診断が日本で利用されていないと主張するのは無理がある話です。--Littlefox(会話) 2014年9月7日 (日) 01:23 (UTC)
- 出典にも記事にもナチスが(人事などに)採用していたとは書いておらず、ナチスは人種差別を正当化するために利用したと書いてあるのみです(もっとも非アーリア人であることは実際に人事で不利になりましたので、アーリア人に少ないB型の心象はわるかったでしょうね)。誤読ではないでしょうか。
血液型の具体例について
具体的にA型は~とかB型は~ということを誤解を生むので書くべきではないとする意見を頂きました[24]。ではどうすればよいかについてご意見いただきたいと思います。
似た例として、以前に古川式性格分類の具体的内容の一覧表が掲載されたときは、私も特筆性がないと思ったので削除に賛成しました。--Littlefox(会話) 2014年9月13日 (土) 07:35 (UTC)
欧州における血液型分類の内容についての特筆性
血液型性格診断の歴史を語る上で、欧米で隆盛を極めた優生学に利用される形で研究が始まったことは特筆性があると思います。そして彼らにとって、西洋人に少なく東洋人に多いB型を原始的あるいは劣っていると位置づける動機がありました。血液型研究で功績のあるデュンゲルンからして「東洋人は白人よりも B 型が多い,チンパンジー以外の動物には B 型が多い,東洋人は白人よりも劣り動物に近い」[25]といったそうです。背景を調べるために『新訂・血液型と性格』(大村政男)と『血液型の社会史』(松田薫)を読みましたが、やはり欧州では人種差別を肯定するために、血液型分類が唱えられた経緯があります。しかも日本で研究の始まりは、そのような人種差別に反発する形で、B型はA型にまさるとも劣らないということを証明しようということが一つの動機だったというのです。つまりは、A型とB型の対比関係を主軸にして血液型性格分類は生み出されてしまったのであって、血液型の歴史を解説する上で避けては通れないのではないかと思うわけです。--Littlefox(会話) 2014年9月13日 (土) 07:35 (UTC)
ではどのように表現するか
人種差別のために特定の血液型と性格を結びつけたことに特筆性があったとして、どのように表現すればよいでしょうか単にx型のように伏せ字にするという方法もありますが、A型を「西洋人に多い血液型」B型を「東洋人に多い血液型」と言い替えるとよいかもしれません。
個人的には、昔の人が劣った人種にB型が多いと言っていたからといって、そんなの信じる人はいないだろうと思っていたのでそのまま書きました。しかし、世の中には科学的な見方ができない人、差別が好きな人も多く、だからこそ血液型性格分類がこうも世の中に広まってしまったとも言えます。ですから配慮を行いたいと思いますので、ご意見を募集します--Littlefox(会話) 2014年9月13日 (土) 07:35 (UTC)
「ABO型以外にもRh型やMN型など様々な分け方があり、ゆえにABO型だけ気にするのがおかしいとされる」等について
題名となっている記述ですが、これはWikipedia:独自研究は載せないにある「オリジナルのアイデア」に当たると思われます(そのような論理展開をしている信頼できるソースがあれば別ですが)。 例えば、ABO型だけが特別他の血液型よりも強い影響力を持っている論理的可能性だってあるわけです(私自身がそう思っているわけではなく、その可能性がないとも言いきれないということです)。 また、「とされる。」と書くのであれば、やはり「誰がそうしているのか」ということも書くべきでしょう。
「血液型が変化した場合には、性格も変わるのかという疑問点が生じる。」などについても同様です。
「仮にある人の血液型を言い当てられたとしても~」については、ソースはありませんが簡単な算数でわかることなので残しておきました。--AT(会話) 2014年11月8日 (土) 00:58 (UTC)
>>血液型の分類法はABO形式が有名なだけで何百種類もあるのは常識です。骨髄の移植で性格が変わらないのは医学界の常識です。わざわざそれでも出典を探せとおっしゃ
巨人大鵬卵焼きさんのこのコメントを読んで、一応補足しておきます。 「出典の明記+独自研究」と指摘されているのは「血液型の分類法は何百種類もあること」ではなく、「ゆえに~おかしい」という論理展開の部分でしょう。 「ABO以外にも血液型は沢山あるからABOは性格に大きな影響を与えない」というのは、「太陽以外にも星は沢山あるから太陽は地球の運行に大きな影響を与えない」と言っているようなもので、あまり論理的とはいえません。
また「常識的なことに出典は必要か」という疑問についてはWikipedia:空が青いということに出典は要るが参考になると思います。
新規参加者の方には色々わかりづらいルールなどもあると思いますが、よろしくお願いします。--AT(会話) 2014年11月8日 (土) 07:34 (UTC)
医学的見解
いわゆる「血液型性格分類」について直接的に論じた研究がほとんどないため、記事内での扱いを縮小しました。ストレス耐性などの気質や体質との関連性を論じたものが中心であり、本記事とは論点が少しずれているようにも思われます。出典にも使われている論文、Personality traits of aggression-submissiveness and perfectionism associate with ABO blood groups through catecholamine activitiesですら"there is not yet scientific consensus that ABO blood type does relate to personality"と述べていますから。
章見出しは「血液型性格分類に対する評価」でもいいとは思います。ただし一般世間では「評価」という言葉は肯定的なニュアンスで使う場合も多く、「今のところ血液型と性格に関係があるとは言えない」という記事の主旨を直感的に捉えづらくなってしまうように思います。--Anosola(会話) 2014年11月8日 (土) 14:41 (UTC)
- 「評価」は確かに日常生活では肯定寄りに使われることも多いので、より中立的に「位置付け」としてみました。
- また体質に関しては、「すい臓がん」を削除し性格に関連している特質のみに絞りました。
- それではよろしくお願いします。--AT(会話) 2014年11月8日 (土) 22:45 (UTC)
- 概要節で”学問的な位置づけ”が論じられているので、こちらの節の見出しは「血液型性格分類に関する研究」に変更させて頂きました。また、概要節中に触れられている内容順(人々の反応→ブラハラ→学問)に章立てを変更し、うまくループするような記事構成を意図しました。--Anosola(会話) 2014年12月10日 (水) 14:15 (UTC)
- 「に関する研究」は中立かつ簡潔で良いですね。
- 概要説の内容順は厳密に言うと(学問→人々の反応→ブラハラ→学問)となっていると思います。変更された順に合わせ学問を一つに統合してみます。--AT(会話) 2014年12月10日 (水) 22:31 (UTC)