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ノート:第三国人

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阪神教育事件

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阪神教育事件がダメなら新潟日報社襲撃事件でも直江津駅事件でもいいですけどね? Codeworld 2004年7月29日 (木) 22:19 (UTC)[返信]

阪神教育事件で暴力を受けたのは朝鮮人の側でしょう。論拠を示して書くなら別記事にせよと書いているんですが。朝鮮人が起こしたとされる事件を並べれば差別が正当化されるという論法は成り立たない。以上johncapistrano 2004年7月30日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
暴力を受けた側がなぜか軍事裁判受けて、なぜか国外退去させられているわけですな(笑)。ウリナラフィルターもたいがいにしておいたほうがいいですよ。大本の「三国人」という言葉自体には明らかに差別感はないのに、差別用語とされるにいたった経緯には必要な説明ですが日本人学生の諸民族に対する好悪 1939-1949Codeworld 2004年7月30日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

あなたの論拠はこれのようですがこれの論拠は何処にあるのでしょう? 「ウリナラフィルター」などという侮辱は赦しません。事実に基づいて記述してください。johncapistrano 2004年7月30日 (金) 15:19 (UTC)[返信]

赦してもらう謂れはミリほどもありませんので悪しからず。あ、それとなんですかこれは?Codeworld 2004年7月30日 (金) 15:38 (UTC)[返信]

リンクが消えていますが“根拠なし”と言う事でよろしいですね?--61.125.192.86 2005年5月13日 (金) 03:03 (UTC)[返信]

あなたの書き込みと大変よく似ていたのでそれと思ったのですが別にあるのであれば示してください。こちらが論拠で上は無関係でしょうか?johncapistrano 2004年7月30日 (金) 16:11 (UTC)[返信]

「本文」の項を再読される事をお勧めします。そのページ「jijisama.org」自体がBiased POVです。--211.13.148.177 2005年11月12日 (土) 03:29 (UTC)[返信]
jijisama.orgも消えてますね(ドメイン放棄済)--220.157.194.79 2006年6月8日 (木) 14:28 (UTC)[返信]

先行の議論

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いろんなところに角がたつ記事で、また角たてないと別の人からおこられるという記事ですが、このぐらいの角の立て方でどうでしょうか。Ykosub 03:56 2004年2月11日 (UTC)

異論の存在を黙殺し、強制連行であることを自明とするかのような表現は中立性の観点からみて問題があるのでは。--nachi 05:20 2004年2月11日 (UTC)

併記されてるのでは? 否定論のみが強調される方がおかしいと思いますが。別項目を立てた方がいいと思いますが。Johncapistrano 05:31 2004年2月11日 (UTC)

お返事ありがとうございます。13:54 2004年2月11日(JST)の編集では否定論を強調したつもりは毛頭なく、むしろ現在の記述こそ否定論の存在を考慮しないものに感じられます。別項目も検討させて頂きますが、本項目自体に何の注釈もなく「強制連行」とある限り本項目の中立性は保てないものと愚考します。--nachi 06:20 2004年2月11日 (UTC)

本来の意味は法律上の区分であって、自称でも蔑称でもないのではないでしょうか?
Hachi 10:20 2004年2月11日 (UTC)

法律上の区分と言うのはなかったと思います。少なくとも始めて聞きました。
今回Revertしたのは、残留が差別用語であるからではなく、正確さを欠いているためです。また、中国人犯罪者として記事を立てる意味もありませんし、強調するものでもありません。kzhr 13:18 2004年2月11日 (UTC)
「強制連行」という言い方は、↓の本から言い出されたものだとされているかと思います。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01713333
法律上の用語は「徴用」ですが、「強制連行」という場合はもっと広い範囲を指しているようです。--Kadzuwo 08:33 2004年4月3日 (UTC)

あの白書の転載は問題ないかどうか分からないですが、とりあえず「残留」については帰国を強要されるのはおかしい。野球選手ではないのだし。Johncapistrano 13:29 2004年2月11日 (UTC)

改めて少し調べてみました。
GHQによって作られた区分で、そこから自称や蔑称が派生しているというのは、ある程度流布している説だと思います。たとえば、次の毎日新聞記事など。 http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/ishihara/200004/0423-1.html
しかし、「連合国起源説」には次のような反論もあるようです。
「「三国人」という言葉の起源を考える」[1]
「石原「第三国人」発言批判声明・解説」[2]
「石原「三国人」発言関係文献」 [3](上記ページの文献紹介)
Hachi 20:04 2004年2月13日 (UTC)

文章がうまくつながらなくなっていたので、
「とする者もいるが」を「言葉であるが」に、とりあえず戻しました。
Hachi 17:14 2004年2月14日 (UTC)

英文ページ (@o@;)

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これも英文ページがスゴいですね。北朝鮮の人のみを言うかのようになってるし……。--Kadzuwo 08:33 2004年4月3日 (UTC)

日本版のほうが幾分公正ですねー。--Kanata 2005年7月9日 (土) 17:22 (UTC)[返信]

「削除依頼」を消すよう依頼

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本件の削除依頼は以下の如く決着しています。現在、記事本文の編集ができませんので、管理者の方は「削除依頼」の文を消すよう依頼します。魁!
「終了: 削除で解決する問題ではありませんし、そもそも削除の方針から外れています。よってこの件は終了します。 Kzhr 2004年8月22日 (日) 」

本文

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この一文は不要と考えます。
>>一般的には死語であるが、差別の意図を以て用いる者がある。--以上の署名のないコメントは、220.210.179.99会話/Whois)さんが 2004年11月23日 (火) 15:59 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「転化」の項にあるリンク「jijisama.org」は「大日本史番外編 朝鮮の巻」という有名なヘイトサイトです。中立性の観点から相応しからざる文献と考えます。--61.125.192.166 2005年5月30日 (月) 06:02 (UTC)[返信]

私もこの一文は削除すべきと主張します。 差別用語かつ死語であるこの一文はある有名人が使うだけて成り立つことは中立性観点といえるなら、「小日本鬼子」も掲示すべきです。しかし、そのようなものは本当に中立性の観点とはいえません。--以上の署名のないコメントは、219.111.59.84会話/Whois)さんが 2005年9月27日 (火) 09:37 (UTC) に投稿したものです。[返信]

主観的な表現を刈り込んでみました。「三国人」という言葉がそもそも、いつ頃から、どのような理由で差別的な意味合いを持つようになったのか、詳しく分析した資料があればぜひ編集をお願いします。
あと、国連人権委員会はあまり信用しないほうがよろしいかと。 最近メンバーになった国のリストには、リビア、スーダン、ジンバブエ、中国、キューバなど、読んで眩暈がするような面子がその名を連ねています(苦笑)
こーゆー国は放置しておいて、年中行事の様にイスラエルに対する糾弾決議を行っているような委員会を、少なくとも私は信用できませんね。--以上の署名のないコメントは、221.22.137.17会話/Whois)さんが 2005年11月9日 (水) 20:43 (UTC) に投稿したものです。[返信]

Johncapistrano氏へ

  1. 何が「マルチポスト」なのですか? アイヌの項目でもドゥドゥ・ディエン氏の報告についての編集を削除されていたようですが、あちらはまったく別の方の編集です。そもそもIPが違います。あなたこそ特定の思想の元に複数項目への削除のマルチポストを行っているのではありませんか?
  2. 森喜朗氏が総理大臣当時「三国人」発言を行ったというソースを示してください。少なくとも私は発見できませんでした。
  3. wikipediaの記事内で「誹謗中傷」「差別煽動」「不当」という言葉を用いるのは、相当の根拠が必要であると承知しております。所謂三国人による事件・騒乱がある程度あったということは、あなたが今回付け加えたリンクの文章内でも否定はされていません。問題は本当にそれだけが、所謂三国人という言葉に対する否定的イメージの生成の原因だったか否か、であり、その点に関しては未だ定説は無いはずです。上記のように断定的な表現を用いられるのであれば、是非根拠を示してください。

以上三点、お答えいただければ幸いです。24時間後もお答えが無ければ編集を元に戻します。--221.22.137.17 2005年11月10日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

ドゥドゥ・ディエン(というよりは彼を案内した武者小路公秀の経歴へのイチャモン)への批判はこの項目と無関係でしょう。日本の民族問題に既に記載されているので無駄に重複した記述を行わないようにお願いします。森喜朗に関しては彼自身も同内容の発言をして批判されているが、公には「三国人」という語は使っていないかもしれません。ただ首相在任中の石原発言に対して遺憾の意を表明したに過ぎなかったとして批判されています。johncapistrano 2005年11月10日 (木) 08:39 (UTC)[返信]
早速のお返事、ありがとうございます。
  1. 国連人権委員会及びドゥドゥ・ディエン氏の報告を取り上げるならば、当然彼らの中立性についても議論が行われるべきだと考えます。既に記載されている記事があるとの事ですので、「一部からは政治的中立性が疑われている」との表記と共に日本の民族問題へリンクを張る、ということではいかがでしょうか?
  2. では、「森喜朗総理大臣(当時)の三国人発言」という表記は削除する、ということで、この点については合意ということでよろしいでしょうか?
  3. この点についての根拠が未だ示されていません。確かに一方的に「戦後に暴れた三国人の自業自得」と完全に決め付けるのは疑問ではありますが、さりとてそれを「誹謗中傷」「差別煽動」「不当」としてしまうのも根拠に欠けると考えます。(その影響の大きさはさておき)実際に騒乱・衝突が起きていること、現在のところは定説は確立されていないことから、両論を併記するのが中立性の観点からは望ましいと考えます。--221.22.137.17 2005年11月10日 (木) 09:20 (UTC)[返信]
1.は同意、2.は発言への対応に換える、3.は併記ならばいいですが、置き換えられていたので戻しましたが、詳細は別記事でという方がいいかと。(何を念頭に置いているかにも依りますが)johncapistrano 2005年11月10日 (木) 09:41 (UTC)[返信]
早速のお返事、ありがとうございます。
  1. については、早速反映しておきました
  2. については、都道府県知事に対して直接の責任を負っていない当時の総理大臣としては、「遺憾」の表明以外に可能な行動は事実上無いはずです。 また、他の政府高官・官僚の発言に「三国人」が使用された例も特に見受けられません。2000年4月9日の石原都知事の発言を例示するだけで十分ではないでしょうか?
  3. では、以下のような内容ではいかがでしょうか?
  • 朝鮮人・中国人・台湾人による騒乱・衝突は存在したが、それだけが「三国人」という言葉に対する否定的イメージの生成の原因とは言い切れない
  • 「『三国人』という言葉は日本の政治家・官僚が作った」とする見方からは、戦後の混乱の原因の一端を彼らに追わせようとする意図があった、とする指摘もある
  • そもそも、2000年4月9日の石原都知事の発言以前には研究対象とされた例はほとんどないので、現在のところ定説は確立されていない。--221.22.137.17 2005年11月10日 (木) 11:15 (UTC)[返信]
2.指摘したのがドゥドゥ・ディエンであろうとなかろうと、また指摘されるまでもなく、日本の対外国人政策を変える権限があったでしょう。石原の有力な対立候補がいないとしても(遺憾といっても実質的に弁護だろうし)。3.そのぐらいならいいかと。ただ説の4.は資料に基づいているから確定だと思いますが? さっきのもスタイルに不満があります。johncapistrano 2005年11月10日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
  1. 修正すべき点があれば御指摘ください。ただし「利害関係当事者が関与している」という指摘には(少なくとも指摘そのものが存在することには)触れないわけにはいかないと思います。
  2. それは御指摘のあった日本の民族問題をはじめとする日本の外国人政策に関係する記事で指摘すべき事項であり、この記事においては(1.と同様の理由から)「三国人」という言葉に関連する範囲にとどめておくべきだと考えます。ただし、(これも1.と同様に)該当記事の紹介とリンクの設置には反対しません。また、他の政府高官・官僚が公式発言や文書内で「三国人」という言葉を用いた、という近年の事例(10~20年前までくらいが適当でしょうか?)があれば、それを追加することにも反対しません。
  3. 指摘されたリンクで確認できる事は「『三国人』という言葉が公式文書内で確認されたのはここまで遡れる」ということだけです。まぁ、GHQは当初「non-japanese(非日本人)」という表現を使っていたということですので、GHQ由来説は(否定とまでは言わないまでも)かなり根拠が弱くなった、とは言えるでしょう。しかしこの説は、記事内「語源について」の1.「自称説」の否定にはならないと考えます。(※「三国人」という言葉に否定的イメージを植えつけようとした、という点に関しては否定していない点には御留意ください。この点については上記したとおり、未だ定説は確定されていないと考えています)--221.22.137.17 2005年11月10日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

上記三点を元に修正しておきました。修正すべき点がありましたら御指摘ください。--221.22.137.17 2005年11月10日 (木) 20:06 (UTC)[返信]

ディエン報告に関する「『日本の民族問題』を参照のこと」は保護解除後に削除を要します(該当項目には既に記述がありません)--220.157.194.79 2006年6月8日 (木) 14:31 (UTC)[返信]

ノート:日本の民族問題での議論が収束するまでお待ちください。保護対象となったのは、まさにこの問題についてのRevert合戦が理由です。……ちなみにjohncapistrano氏は、あちらでは該当する記述を削除する立場に立っておられます。なんともはや……。--Stranger non general person 2006年6月8日 (木) 19:27 (UTC)[返信]

保護対象の理由となった編集合戦では、その点はまだ争点になっていなかったと思います。履歴をご覧ください。編集合戦になったのは、まず差別扇動で占められた1段落ができてからで、そこに平和系多重氏が介入。同・扇動段落をメインにその他の小さな記述箇所のすべてがセットになってしまい、Peace系多重氏vs.それ以外とがリバート合戦になったので保護されたと理解しています。--Iosif 2006年6月9日 (金) 21:07 (UTC)[返信]
そうですね。無関係では無いにしろ、「まさにこの問題についてのRevert合戦が理由」という表現は、厳密には正しくないかもしれません。が、ノートで議論されているのはこの問題ですので、その点も含めて、記事・ノート両方の履歴をご参照ください、と訂正しておきましょう。フォロー、ありがとうございました。--Stranger non general person 2006年6月11日 (日) 11:16 (UTC)[返信]

「中国人も三国人」説あり

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(参考の為、念のため)中国人(無論台湾人は除く)も三国人との説あり。 石原慎太郎東京都知事の誤用発言を受けてのもの(氏自身は誤用に気付き自ら撤回) 石原都知事の発言ならば何でも正当化せずにいられない人物の妄説と見なすのが妥当であり、一般に左右両派にも支持されていないものと見られる。 下記の「中国人=三国人」説のサンプル参照の事。 http://sakura7of9.cocolog-nifty.com/tkc/2006/09/post_7af2.html--以上の署名のないコメントは、125.2.108.8会話/Whois)さんが 2006年9月24日 (日) 04:00 (UTC) に投稿したものです。[返信]

保護解除の提案

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この記事は2006年1月27日より、長期荒らしとの編集合戦により無期限保護[4]されていますが、保護期間が2年半と長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。また長期荒らしが来たら来たで対処、ということで。

特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年7月29日 (火) 05:32 (UTC)[返信]

「朝鮮進駐軍」等

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お問い合わせの返事も含めてこちらに信頼できる情報源をよくご覧下さい。藤永・水野ら朝鮮史研究会の論文より嫌韓流の主張が優先されるのはおかしいです。検証可能性もよく確認して下さい。「朝鮮人が自称した」と主張されていることは確認できても自称したことを証明する資料は示されていません。johncapistrano 2010年1月13日 (水) 08:59 (UTC)[返信]

嫌韓流は、朝鮮人の自称のはなし、水野らの研究は三国人を誰が最初に使ったかの話です。違う話です。まったく、関係ありません。なお、三国人を誰が使い始めたか、その意図が何であったかと、三国人に実際に否定的イメージが付いたのは何であったかは全く別の話です。いわゆる在日朝鮮人などの三国人犯罪が頻発しなければ、否定的イメージはつけるのはかなり難しいでしょう。そこら辺の区別もできていません。水野の研究は断言してますがそこの論理が飛んでます。だから、参照にとどめた方がいいでしょう。とりあえず、落ち着いていつの話が問題になってるのか、整理してから書き込んでください。黒潮 2010年1月14日 (木) 18:11 (UTC)[返信]
藤永の解説で充分に時系列に沿って説明されているでしょう。『嫌韓流』の記述が学術的に評価されているというならその出典を示すべきでしょう。朝鮮人が「三国人」を使って書籍を出している例もありますが、大分後の話です。あと気に入らないからといって出典の付いている記述を消さないで下さい。「自称した」と主張されているのは事実ですが地の文に自称したと記述するためには充分に検証可能な出典をお願いします。johncapistrano 2010年1月15日 (金) 07:52 (UTC)[返信]

改名提案

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Wikipedia:ページの改名方針に沿って、「三国人」から「第三国人」への改名を提案します。理由の詳細は、以下の通りです。

  • 記事の本文を見ても、出典を見ても、記事が対象としている概念の本来の名称が「第三国人」であり、「三国人」は派生した省略形であることが明らかです。Wikipedia:記事名の付け方方針によれば、記事名は原則として正式名称を用いることとされています。「第三国人」は、厳密には「正式名称」とは言えないかも知れませんが、方針の趣旨である、本来の名称を使用するという観点からは「正式名称」に準ずるものと考えてよいと思われます。
  • 記事の対象は、本来「戦勝国でも敗戦国でもないサードパーティ」という概念で、「第三国」「第三国人」という名称はそれを誤解なく表現しています。「三国」は古来から日本において「三つの国」の意味で用いられており(「三国一の花嫁」「三国峠」等)、「三国人」も「三ヶ国の国民」と誤読される傾向があります。正確さ、一意性という点でも「第三国人」を項目名として掲げる方が問題が少ないと言えます。

以上、方針に照らしての原則論的にも、実用性の観点からも、「第三国人」への改名が適切であると考え、この提案を行います。本日より1週間の告知期間を設けます。告知期間中に明確な異論がない場合、移動先の「第三国人」が他履歴のないリダイレクトのみなので、移動機能により改名作業を行います。移動後に、「第三国人」に対する俗称・スラングとして「三国人」を「第三国人」へのリダイレクトとして復活することには反対しません)。--J Stalin 2011年11月18日 (金) 03:05 (UTC)[返信]

反対  本記事が解説の対象としているのは、あくまでも「敗戦後の日本において朝鮮人らを指して使われるようになった呼称」、すなわち固有名詞としての「三国人」であると考えられるから。逆に、「第三国人」を「正式」とするのであれば、それは「A国人でもB国人でもない人民」という意味での一般名詞であり、ウィキペディア記事として不適切(辞書的)

尚、提案途中の「三国は古来から日本において、、云々」のくだりは、提案者が改名必要性のサポートの為についでに付け足しただけのようですが、特に理論的とは思えず、いたずらに議論を混乱させています--Ch0331 2011年11月19日 (土) 10:00 (UTC)[返信]

コメントご参考までに、デジタル大辞泉小学館系)では、三国人第三国人大辞林三省堂)では、三国人第三国人となっています。--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 10:56 (UTC)[返信]
追記:当時の資料の引用(孫引き)です。「第八軍(中略)は(中略)神奈川県警察部長に(中略)指示を出した。(中略、以下引用文)第三国人に対する捜査、(後略)」(金太基 『戦後日本政治と在日朝鮮人問題-SCAPの対在日朝鮮人政策1945~1952年-』 勁草書房、1997年、p.278)。--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 11:11 (UTC)[返信]
追記2:さらにもう一つ、翻訳書です。「『第三国人』への偏見が強まり、」(ジョン・ダワー 『敗北を抱きしめて-第二次大戦後の日本人-上 増補版』、岩波書店、2004年、p.165)。1999年ピュリッツァー賞受賞作品([5])。訳語としての適否の検討を経たものと思われます。--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 11:37 (UTC)--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 12:03 (UTC)(リンクを追加。)[返信]
追記3:これも翻訳書ですが、「訳註」部分です。「『第三国人』というような」。続いて引用があり、「『第三国人』のことを」(リチャード・H・ミッチェル 『在日朝鮮人の歴史』 彩流社、1981年、p.139)。--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 12:43 (UTC)[返信]
賛成 上記に示した5つの資料を提案理由の典拠とし、提案に賛成します。--Yamanosora 2011年11月19日 (土) 12:43 (UTC)[返信]
コメント Yamanosoraさん、資料のご提示ありがとうございます。掲載はしていませんでしたが、私があらかじめ裏取りをしていたのは、小学館『日本国語大辞典』(十巻本)1982年の縮刷第一版第四刷ですが、【三国人】当事国以外の国籍の人。第三国人。【第三国人】(1)関係国以外の国の人。第三国の人。(2)第二次世界大戦後の占領時代、かつて日本の統治下にあった諸国民(以下引用を略しますがやや詳しい説明が続きます)となっており、Yamanosoraさんの提示されたオンライン辞書と本質的な違いはないと思います。さて、そうなりますと、Ch0331さんの言われる、「三国人」が固有名詞的で「第三国人」は一般名詞的という解釈は、これまで挙げられている国語辞典による定義とマッチしないようです。そこでCh0331さんにお願いですが(他の方が代わりになさってもいいのですが)、Ch0331さんの「三国人」「第三国人」の使い分けに関する解釈を裏付けるような、文献資料の提出をしていただけないでしょうか。--J Stalin 2011年11月19日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

コメント 私自身はこの件に深くコミットするつもりはありませんので悪しからず。一方、ここで出典資料の出し合いなどをするというような状況こそが、少なくとも、「本日より1週間の告知期間を設けます。告知期間中に明確な異論がない場合、改名作業を行います」というような、高圧的で一方的で独善的な改名提案の不適切を証明しているのではないでしょうか--Ch0331 2011年11月19日 (土) 13:42 (UTC)[返信]

コメント第三国の人についての言葉ですから第三国人でよろしいのではないでしょうか?第三国人がメインで三国人がリダイレクトということでどうでしょう。--Chichiii 2011年11月19日 (土) 15:27 (UTC)[返信]

コメントどちらも間違えではないし、どちらでも良いという感じですね。ただ、Ch0331さんの仰るとおり、異論が出たので、ルール上、とりあえず改名は難しい状況となったというところでしょう。--218.226.121.140 2011年11月19日 (土) 22:41 (UTC)[返信]

コメント この改名提案につきましては、理由につきましても、手続きにつきましても、Wikipediaの公式方針である「Wikipedia:記事名の付け方」と「Wikipedia:ページの改名」に忠実に準拠するよう努めたつもりなのですが、Ch0331さんから『本日より1週間の告知期間を設けます。告知期間中に明確な異論がない場合、改名作業を行います」というような、高圧的で一方的で独善的な改名提案の不適切』とのクレームを頂戴しているようです。Ch0331さんの御意に沿わぬ点として、本改名提案にどのような瑕疵があったのか、具体的にご指摘いただければ幸いです。なお、ご指摘いただく際には、該当するWikipedia方針の箇所をお示しいただけますとよろしいかと存じます。また、『ここで出典資料の出し合いなどをするというような状況』とありますが、百科事典の編集行為とは、主として信頼できる二次資料に基づく三次資料の作成行為に他ならないので、出典の出し合いは議論の中心の一つであって決して余計なことでも異常なことでもありません。この点に関しても、ご不満の点があるのでしたら、具体的にお示し下さい。--J Stalin 2011年11月20日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

コメント ひとつ前のJ Stalinさん(改名提案者)の「コメント」に関してです。小学館『日本国語大辞典』第2版(2001年)を見ました。結論から言って、「第三国人」と「三国人」、同等の扱いに見えます。かえって「第三国人」のほうの語義に「俗称」とあり、「三国人」にはありません。これは辞書編纂上の整合性の問題かとも思われます。用例はどちらにも複数あり、すべて小説あるいはエッセーらしきものからです。かんたんなメモをとっただけなので、まずはご報告まで。--Yamanosora 2011年11月21日 (月) 07:58 (UTC)[返信]
追記:さらに典拠とすべき資料がありました。「在日コリアン辞典」(国際高麗学会日本支部『在日コリアン辞典』編集委員会編〈代表 朴一〉、明石書店、2010年)です。項目として「第三国人」 (pp.259-260) と「三国人発言」 (p.210) があり、「第三国人」では横2段組での50行ほどの説明、「三国人発言」では30行ほど、こちらは石原慎太郎都知事の発言引用から始まる説明となっています。「三国人発言」の項目でも、説明文では「三国人」でなく「第三国人」が使われています。両項目とも「第三国人」をかぎかっこでくくった表記にしています。--Yamanosora 2011年11月22日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

コメント 辞書関係の調査結果を表にしました。いろいろと面白い考察が可能ですが、まずは表を作った時点でUPします。

国語辞典における「第三国人」と「三国人」
辞典 「第三国人」の扱い方 「三国人」の扱い方 備考
小学館 日本国語大辞典
* 縮刷第一版第四刷(1981.5.20)
(1)一般名
(2)「第二次世界大戦後」「占領時代」「かつて日本の統治下にあった諸国の国民」「朝鮮人・台湾人」「一般の外国人とは異なる法律上の取り扱いを受けた」「俗称」
一般名
→第三国人
小学館 大辞泉
* デジタル大辞泉
* 増補・新装版(1998.11.20)
(1)一般名
(2)「第二次大戦後」「米国占領下の日本に在留」「朝鮮人・中国人」
→第三国人 WEB・書籍とも同内容
三省堂 新明解国語辞典
* 第六版(2005.2.10)
「敗戦後の一時期」「在日朝鮮人・同中国人」 →第三国人
三省堂 大辞林
* YAHOO辞書
* 第三版(2006.10.27)
(1)一般名
(2)「第二次大戦前および大戦中、日本の統治下にあった諸国の国民」「日本国内に居住した人々」「敗戦後の一時期」「台湾出身の中国人や、朝鮮人」「俗称」
→第三国人 WEB・書籍とも同内容
小学館 日本国語大辞典
* 第二版第一刷(2001.6-8)
(1)一般名
(2)「第二次世界大戦後の一時期」「日本の植民地支配を受けた」「台湾と朝鮮の人々」「在日していた人々」「外国人登録令の発布まで」「法律の上で一般の外国人とは異なった扱い」「俗称」
(1)一般名
(2)「第二次世界大戦の米国占領下時代」「日本に在留」「主として朝鮮人と中国人(特に台湾人)」
東京堂出版 日本俗語大辞典
* 三版(2006.2.1)
「日本の支配地・植民地」「朝鮮・中国・台湾から強制連行されてきた人」「戦後こう呼んだ」「当初は侮蔑の意味はなかったが、その後、侮蔑の意味が加わった」
岩波書店 広辞苑
* 第六版(2008.1.11)
「第二次大戦後」「日本国内に居住」「朝鮮・台湾など」「旧日本植民地の出身者」「俗称」
講談社 カラー版日本語大辞典
* 第二版第六刷(2000.8.4)
一般名

なお、日本国語大辞典については、用例(この辞書は可能な限り初出の用例を掲載しようとするはず)にも面白いことがあるのですが、それも後日UPします。--J Stalin 2011年11月22日 (火) 13:48 (UTC) 誤字修正--J Stalin 2011年11月22日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

コメント ウィキペディアは百科事典なので国語辞典はウィキペディアの項目名に関する典拠としてはいかがとの疑念がわき、あらためて『日本国語大辞典』第二版第1巻の「凡例」を見ましたところ、「各分野における専門用語…などの固有名詞を含んでいる。」(「編集方針」凡例 p.(4))とあり、第1巻巻頭の「第二版刊行のことば」に「百科項目については…各分野の専門家に逐一執筆あるいは校閲をお願いした。」とあるのを見るにおよび、百科項目を含むいわゆる中型・大型国語辞典類もウィキペディアの項目名に関する典拠とするに十分な資料と理解するに至りました。また、用例の初出の件ですが、『日本国語大辞典』第二版では「用例…選択の基準は…(イ)…その意味・用法について、もっとも古いと思われるもの…」「(ロ)語釈のたすけ…」「(ハ)…分野の異なるもの…」「(ニ)…」とあり、本辞典が第二版であることを考慮すると初出の典拠としてまずあげるべき資料の一つあるいは最良の資料と考えるべきかと思います。
なお、以下の資料には「第三国人」と「三国人」のいずれも項目がなく、索引にも見当たりません。
  • 下中直人編 『世界大百科事典』 第31巻、平凡社、1988年初版、2004年版。「索引」。
  • 日本歴史大辞典編集委員会編 『普及新版 日本歴史大辞典』 第10巻、河出書房新社、1985年初版、1986年再版。「索引」。
  • 『戦後史大事典 増補新版』 三省堂、2005年。
  • 『新版 昭和史辞典』 毎日新聞社、1986年。
  • 『共同研究 日本占領研究事典』 現代史出版会、1978年。
--Yamanosora 2011年11月23日 (水) 07:11 (UTC)[返信]
コメント 国語辞典と百科事典 -- 非常に大雑把に言いますと、「語」と「概念」の結びつき(を用例の収集に基づいて)示すのが国語辞典等の「辞書」の役割であり、「概念」の内容についての知識を(既知の専門的知識源に基づいて)提供するのが、百科事典の役割と理解しています。この改名提案について言いますと、記述内容(概念の内容)を議題にしているのではなく、項目名としての最適化(見出し語と概念の対応)を図ろうとしていますので、国語辞典は重要な資料と思います。また、この項目のように、歴史上の特定のタイミングで出現して多用された語の場合、文献上の初出を挙げてくれる辞書は、なかなか有用なものだと思います。
コメント 初出用例 -- 『日本国語大辞典』第二版の用例は、2見出し語についてそれぞれ2例ずつ挙げられています。
  • 第三国人
    • 田中英光『夜狐』(1949)「これもやはり第三国人の経営だという、ビルの二階の大きな酒場だった」
    • 梅崎春生『ボロ家の春秋』(1954)「肥った男が名刺を出しましたが、それによるとこれは刑事ではなく、陳根頑といふ第三国人でした」
  • 三国人
    • 井上友一郎『菜の花ざかり』(1956)「お前、三国人の手先きになって、もう日本が負ける気になってンのか」
    • 阿川弘之『歪んだ自画像』(1963)「いわゆる三国人に対して何の偏見も私は持っていなかったが、かと言って、朝鮮系の人や台湾系の人々に格別の親交があったわけでは無かった」
また上記のうち「三国人」の用例として挙げられている『菜の花ざかり』には、非常に興味深い点が2点あります。
  • 同作品中には、上記「三国人」の用例1箇所のほか、実は「第三国人」の用例が2箇所あります。
    • 「竹彦は、その金を手中に入れると、すぐさま東京へ舞ひ戻り、かねて意中の第三国人との共同で、敗戦直後の一儲けを秘かに企んでゐるのだった。」
    • 「竹彦のやうな人間には、戦後のごたごたを極めた時期こそ、生き甲斐があったと見えて、例の玉突きの玉を集めた第三国人の手先きとなり、ろくでもない生活を送った代りに、一時は栄耀栄華も極めたらしい。」
日国の引用箇所が登場人物の台詞であるのに対して、上に引用した2箇所はいずれも地の文です。少ない例で断言するのはどうかとも思いますが、作家の意識として「第三国人」に対して「三国人」はより口語的・俗語的なニュアンスを示すものとして使い分けられていた可能性はあります。
  • 「第三国人」「三国人」合わせて全3箇所の用例のうち、前2箇所は戦時中(昭和18年頃)の時制で書かれています。「第三国人」「三国人」の由来からすると、戦時中にこれらの語が「不良外国人」的なニュアンスで使われているのはおかしいのですが、小説中とはいえ戦後10年あまりで既にこのような錯誤が発生しているというのは面白い現象です。
コメント 辞書の記述の傾向 -- 『日本国語大辞典』第一版および第二版の両項目を見比べて気づくことは、第二版の「第三国人」項目がある程度第一版の記述の継承を含んでいるのに対し、「三国人」項目は、「第三国人」項目と同じことを述べるのにも言い回しが悉く異なっています。つまり、第二版編集時点で、両項目の執筆者は別々の人があてられ、「三国人」項目担当者は「第三国人」項目との文言の調整をしておらず、もしかすると第一版の「第三国人」を参照していない可能性もあります。もう一歩踏み込んで言うと、この不細工な状態は、「三国人」項目が急いで加筆された痕跡と言えるかも知れません(「つまり~かも知れません」はまったくの“独自研究”でございますが、はい)。なお、日本俗語大辞典や広辞苑第六版のような、「第三国人」を立てずに「三国人」を項目とする辞書が2000年代に少数ながら出現しているのも、時代背景としては共通しているのではないでしょうか。ヒントは、日本俗語大辞典の掲げる用例にあるのですが、それはまた後日のお楽しみ。よろしければ、自由に推理してみて下さい。もともと俗語的用法と認識されており、戦後半世紀を経て半ば死語に近い扱いだったこの語に俄かにスポットライトをあて、一部の辞書編集者を慌てさせた出来事とは何か。--J Stalin 2011年11月23日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
たいへん興味ぶかく有益な調査、ありがとうございます。言語・社会・政治などにわたる問題点を含むようで、いろいろとむつかしい点があります。国語と百科事典のご説明も今までぼんやりとしか考えていなかったので刺激的でした。つづきが楽しみです。--Yamanosora 2011年11月23日 (水) 13:53 (UTC)[返信]
追記:確認してみたら、石原慎太郎都知事の発言が2000年4月ですね。『日本国語大辞典 第二版』の発行日が2001年6月から8月とのこと。辞書編纂の実際は知りませんが、都知事発言を受けて、編集担当者が「三国人」を項目として立てるかを検討、会議、執筆者選考、依頼、ホットな話題なので学者が固辞、同分野の人脈を使ってさらに依頼、執筆者が決まり原稿を査読すると、意見百出、第一版「第三国人」との整合性をとった原稿はついに没。広告を出して発売日が決まった時点でなお原稿さえ編集者の手元にない。自宅を訪ねて、うばうようにして取って来た原稿を第一版の「第三国人」との不統一には気づいたものの、執筆者との応対をしている時間、余裕はない。とにもかくにも項目に穴はあけられないと仕立て上げたのが、この第二版の「三国人」の項目ということでしょうか。さきほど、つづきが楽しみですなんていったさきから……またちょっとですぎたでしょうか。失礼。--Yamanosora 2011年11月23日 (水) 14:34 (UTC)--Yamanosora 2011年11月23日 (水) 14:38 (UTC)(1か所訂正。)--Yamanosora 2011年11月23日 (水) 14:43 (UTC)(1か所訂正。)--Yamanosora 2011年11月24日 (木) 07:31 (UTC)「を」1か所を「の」に訂正。[返信]

提案者ご改名のお知らせ

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本日、提案者「J Stalin」さんが「すたすた坊主」さんに、ご改名されました。ここに、お知らせ致します。--Yamanosora 2011年11月25日 (金) 03:58 (UTC)[返信]

コメント どうもどうも、Yamanosoraさんのおかげで、平和な姿となりました。さて、石原慎太郎氏についてのYamanosoraさんのご推察は、私の想像とほぼ同じでございます。実際、『日本俗語大辞典』は、用例として石原発言に対する朝日新聞の記事を掲げています。各辞書の書きぶりからすると、そもそも「第三国人」の(1)から(2)への転用自体が、時事的な俗語であり、かつ戦後約半世紀経ってほぼ死語化しつつあったこと、また「三国人」は「第三国人」(2)から更に派生した省略形であることが、1990年代までに概ね常識化しつつあったと思われます。ところがそこに石原発言があってマスコミが一斉に食いついたことにより、死語が時事ネタ的に一時復活した、ただしその際に「第三国人」よりも石原発言中の語形である「三国人」が目立つ形で取り上げられたということになります。また、世の中に少なからず存在する石原ファンとしては、彼が言った「三国人」の形を是非尊重したいという心情があり、この項目が(本文中は「第三国人」で占められているのに)「三国人」名で立項されたのも、そうした背景があってのことかも知れません。ただ、ここでは石原語録の編集をしているわけではなく、占領下の事象についての説明をするのが項目の目的であるならば、当時より正式な語に近かった「第三国人」(2)を用いるのが妥当でしょう。--J Stalinあらためすたすた坊主 2011年11月25日 (金) 05:15 (UTC)[返信]

議論期間の延長について

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情報 提案後の一週間のうちに、Ch0331さんから異論がありまして、ただ一方では「この件に深くコミットするつもりはありません」とも言われています。提案と議論の進め方について、ご不満があるようにも見えましたので、現在のところ J Stalin 2011年11月20日 (日) 03:57 (UTC) にてCh0331さんにご不満の点をお教えいただくようお願いしています。Ch0331さんが熟慮中なのか、議論から離脱されたのかはまだわかりませんので、とりあえず、議論期間をあと一週間延長し、その間にCh0331さんからの再表明があるか、あるいは他の方から新たな異論が出るか、待ってみようと思いますがいかがでしょうか。--J Stalinあらためすたすた坊主 2011年11月25日 (金) 10:04 (UTC)[返信]

議論期間の延長に賛成します。さらに提案者のすたすた坊主さんにお願いなのですが、今まで出された資料や意見などをふまえて改名提案理由を再提示していただくとよいと思います。その際には、わたしの出した資料の扱いについてはおまかせします。必要とあれば、わたしが補足します。「深くコミット」されない方でも簡潔明快な改名提案理由に対する意見表明はしていただけるのではないでしょうか。あるいは提案理由が当初の提案理由と大きく変わるならば、再提案としていただいてもよいと思います。--Yamanosora 2011年11月25日 (金) 11:09 (UTC)[返信]

改名提案理由の再確認

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Yamanosoraさんのおすすめもあり、改名提案理由の再確認をしたいと思います。とは言いましても、本質的には本節冒頭に掲げた理由と変わりはないのですが、その後のYamanosoraさんのご助力もいただいた資料収集により、もっとわかりやすい表現にできそうなので、以下に書き直してみます。

  • 第二次大戦後の占領期において、日本に在留していた、朝鮮人および台湾出身者を中心とした中国人を表す言葉として、本来は当事国以外の国民を指す語「第三国人」(1)から意味が転化して「第三国人」(2)という語が用いられていた。更に「第三国人」の省略形として「三国人」の語形が口語的に用いられるようになった。本来、意味の転化によってできた語なので、「正式名称」と呼べるかどうかは微妙だが、この意味におけるよりオリジナルに近い語形は「第三国人」であると言える。国語辞典類やそこに提示されている用例を見ても、「第三国人」が先行し、「三国人」が派生形であると思われる。Wikipedia:記事名の付け方方針は「正式名称」を求めており、それにより近いものとして、「第三国人」を採用するのが適切である。
  • 現行の記事本文においても、文中表記は「第三国人」が多数を占めており、事実上「第三国人」の語を説明する項目となっている。項目名が項目内容をより的確に表わすべきという観点からも、「第三国人」を採用するのが適切である。
ということでいかがでしょう。かえってわかりにくくなってしまったでしょうか?--すたすた坊主 2011年11月26日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
補足します。結論:「第三国人」が適切。以下に理由を示します。戦後の在日朝鮮人問題を扱った研究書で、用語としてかぎかっこ付きの「第三国人」を使っている(上記、金太基 p.v(目次)、p.260, p.272)。ピュリッツァー賞受賞作品で岩波書店出版の戦後の日本人についての本の翻訳書でも、訳語としてかぎかっこ付きの「第三国人」を採用している(上記、ダワー p.137, p.165, p.168; 〈上巻注[原書の注の訳] p.366 〉)。ミッチェルの『在日朝鮮人の歴史』の翻訳でも、翻訳者はかぎかっこ付きの「第三国人」を用語として採用、同書での引用文中にも同じく「第三国人」とある(上記、ミッチェル p.139)。以上3点の関係書籍で用語としてすべて「第三国人」を採用している。3点とも前後関係から当事国以外の第三の国の人の意味ではないのは明らかであり、ことごとくかぎかっこでくくっている点から、著者として適切な用語として使用しているのではなく、「いわゆる」付きの用語として採用していることが分かる。3書で「三国人」の用語は見られない点と、管見では他に研究書、概説書の類で「第三国人」「三国人」ともに見当たらないことを考え合わせると、百科事典の項目として立項するならば「第三国人」が適切といえる。以上。--Yamanosora 2011年11月26日 (土) 15:33 (UTC)--Yamanosora 2011年11月29日 (火) 07:01 (UTC)(ダワー著の該当ページを追加。)[返信]
補足の追記:『在日コリアン辞典』を忘れていました。上記2011年11月22日に私自身が言及しています。「管見では…見当たらない」などと書きましたが、まさに管見でした。訂正してお詫び致します。--Yamanosora 2011年11月28日 (月) 06:04 (UTC)[返信]

移動のお知らせ

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記事名称が「第三国人」に、「三国人」が「第三国人」へのリダイレクトとなっております。戻すことも可能ですが、再度変更を提起される場合には、ノートにてご提案下さい。--すたすた坊主 2011年12月2日 (金) 09:01 (UTC)[返信]