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ノート:皐月賞

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歴史節における過剰な加筆、および出典のない記述の整理について

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今般、「歴史」節に各回の優勝馬などを詳述する編集がログインユーザーによって行われましたが、すでに「歴代優勝馬」の一覧表もある中で重複する記述が多くあるうえ、出典も一切示されておらず信頼性や検証可能性の担保ができません。当該ユーザーには呼びかけを行いましたが出典の提示はなされていないため、この際加筆前の版まで巻き戻すことを提案いたします。

また、「歴史」節に限らず記事全体として出典のない独自研究や百科辞典的ではない記述が多く含まれているため、これらの記述を整理することもあわせて提案いたします。

上記の2点については、既にノート:天皇賞#歴史節への優勝馬の詳述についてで議論が行われていますので、議論は天皇賞のノートで一括してとりまとめたいと思います。ご意見がありましたら、ノート:天皇賞#天皇賞と同様の加筆が行われた他記事の取り扱いについてにお寄せいただきたく思います。とくに異論がなければ、概ね1週間後をめどとして作業に着手したいと思います。--HOPE会話2014年4月14日 (月) 09:44 (UTC)[返信]

出典添付作業に伴う発見事項について

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出典添付を終えて、次の内容について掲示されていた表と出典に齟齬がありました。

  • 1939年優勝馬主:伊藤慶蔵→伊藤桂蔵
    • 変換ミスか元になった表が間違っていたかでしょう。複数出典で「桂蔵」を確認。
  • 1983年優勝馬主:(株)丸沼温泉ホテル、1984年優勝馬主:和田農林(有)
    • 個人的には「間違ってはいないんだろうけど……」という感想ですが、今回参考にした『優駿』の表、突きあわせてみた馬主会の史誌でいずれも「千明牧場」、「シンボリ牧場」となっているので、最初に書いた方はかっちりした出典を持ってきて下さい。
  • 1996年優勝馬主:(株)イシジマ→(株)イシノ
    • これが面倒くさいのですが、当時の『優駿』と馬主会の史誌では「(株)イシノ」、netkeibaでは(株)がつかない「イシノ」、JBISのみ「(株)イシジマ」となっています。石嶋清人氏の名義なので「イシジマ」でも「それっぽい」のですが、言ってもJBISしかそう記していないので、多数決で「(株)イシノ」としました。
  • 2004年優勝馬主:大城慶三→大和商事(株)
    • 当時の『優駿』がちょっと手元にないのですが、馬主会史誌、JBIS、netkeibaいずれも「大和商事(注:netkeibaには(株)がつかない)」となっています。調べると、この記事に最初に馬主欄が添えられたときは「大和商事(株)」になっていたようですが、おそらく誰かが「大城氏のことだから」と書き換えたのではないかと推察します(そもそも昔の仮定名称しかり、法人名がある個人を表すと判断してリンクを張るのはむにゃむにゃむにゃ……ではないかという考えもあるのですが、ここでする話ではないのでやめます)。

ざっくり、「いま書いてあることと出典に書いてあることが違う」のは以上の例でした。それと個人的に「netkeibaを出典にするときアレだし、(株)とか(有)とか省いていいんじゃないか」という感想も抱きました。ダイナコスモスで「(有)社台レースホース」なのにnetkeiba出典でジェニュインその他からいきなり「(有)」がつかなくなるのもアレかなとJBISを出典にしたのですが、イシジマの例を見つけたあとだけに強く推しづらいところ。--Unmaokur会話2015年5月31日 (日) 04:08 (UTC)[返信]

出典の明記、内容過剰については作業がほぼ完了していると見ています。1週間待って異議がなければ「複数の問題」は除去しますのでご承知おき願います。--CornBoard会話2016年4月5日 (火) 00:22 (UTC)[返信]

賛成 おっしゃるとおり、「出典の明記」「内容過剰」については解決しているようですね。「複数の問題」除去に賛成します。--柒月例祭会話2016年4月5日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

「はやい馬が勝つ」

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ひとまず個人の記憶レベルでいいますけれど、「皐月賞は一番はやい馬が勝つ」という言い回しは、「スピードが速い」と「仕上がりが早い(成長が早い)」のダブルミーニングであるはずです。(出足がはやい=先行馬、的な意味もあるかも)少なくとも2005年の版の頃からそういう趣旨のことが書かれているので、この記憶は私だけのものでは無いハズなんですが・・・。

まあ要するにそういう出典を示す必要があるのですが、現状の出典は確かに「速い」と書いているものの、この出典はJRAのPDF=一次資料であり、「○○と言われている」というような「評価」の出典には用いるべきではないものです。

同じような部分として「1939年に2000ギニーを範として創設」もちょっと怪しいなあとは感じています(距離違うし)。とどのつまり、適切な出典をもってくる必要があるのはもちろんなのですが。たとえ現在のJRAが「2000ギニーを範として創設したんだ」と主張しても、それは一次情報源であり、別の由縁を示す二次情報源や、反する情報を示す一次資料が出てきた際には書き方を変える必要があるかもしれません。

確か「日本競馬会」とJRAには連続性がない、という建前だったはずと思いますが(まあ実際は連続性があるとみなすのが当たり前だと思いますけど)、もしも当時の日本競馬会の情報源が「2000ギニーを範として創設するよ」と言っていなければ、JRAのあとづけ、ということになるかもしれません。これこれこうだが、当事者は今はこうだと主張している、というような書き方になるでしょう。(優駿牝馬の前身は秋に2700mでやっていたことなんかもそうなんですが、まるで「最初からイギリス三冠を模して設計した」みたいな事になっていますけど、本当はそんなこと無いんじゃないの?って感じです。(どちらかというと、種馬選定・能力検定という考え方はフランスやドイツ的です。)--柒月例祭会話2016年4月5日 (火) 10:01 (UTC)[返信]

コメント 皐月賞特集(レースガイド)(netkeiba,com)によれば、「イギリスのクラシック競走2000ギニーを模範に」「創設当時から日本ダービー、京都農林省賞典4歳呼馬(後の菊花賞)と共に、牡馬クラシック三冠レースの第1戦として位置付けられている」と書かれていますね。「もっとも速い馬が勝つ」は記載がありません。--HOPE会話2016年4月5日 (火) 15:27 (UTC)[返信]

『日本競馬史』3巻・5巻あたりに何百ページもかけて創設時のことが書かれていました。ザックリ言うと『日本競馬史』を出典に「2000ギニーをモデルとした」と書いてもいいかなあ程度の言及はありました。実は日本競馬史では、1939年の「横浜農林省賞典四歳呼馬」の2年前からやっていた前身レースにもチラリと触れていたりします。(日本競馬史をJRAの一時情報源とみなすかどうかは、うーんどうするかなあ、という感じで、私だったら「JRAは皐月賞は2000ギニーをモデルに創設したと主張している」的な書き方をするけど、まあいいや。)
記述はあっちこっちに散らばっているんですが、特に5巻p127から約700ページぶんあたりが核心部分ですね。大雑把に言うと、英仏独に2年間留学した佐藤繁信(私の中では有名人です)企画長が、イギリス・ドイツ・フランスの競馬の実情をベースに267条の基礎案を出し、それをもとに話し合って4歳レース体系(ほかにも色々と)を決めた。(議事録を見ると佐藤氏は割と自説をゴリ押ししている。)しかしその「原案」というのは『日本競馬史』が編纂された当時(昭和40年代)にはもう現存しないそうで、「なぜ1600mの2000ギニーをモデルにしているのに1600mではなく1850mにしたのか?」に関する明確なこと、詳しい経緯は不詳でした。同時に決定した桜花賞も1000ギニー(1600m)をモデルにしてるのに1800mで行うなんて、おかしいじゃないですか、ねえ。
私はこの佐藤氏の報告書を持っていて(200ページ×数冊なので、全部を熟読してませんけどね)、佐藤氏が距離についてどう考えていたか、生産者のニーズがどうで、実用馬のニーズがどうで、軍部の要求がどうで、最終的に距離決定にどう影響を与えたのか、まとめてみるのは楽しそうだなとは思いましたが、まあウィキペディア向きではないですね。
そこらへんの細かい経緯をすっ飛ばすと、5巻393ページあたりが手っ取り早い出典になるかな。注意深くよーく読むと、当時の議事録や当時の発言には「2000ギニー」なんて出てこないんだけど、昭和45年の『日本競馬史』は「これは2000ギニーのことだ」みたいに書いてます。(まあ、この場ではこれ以上はいいです。)
ここらへんをまとめると、日本の五大競走のルーツについて書けるのですが、さて・・・。--柒月例祭会話2016年4月5日 (火) 17:15 (UTC)[返信]