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ノート:田耕莘

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教区管理者

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中国語では枢機卿の職にあって、教区司教(教区長)を兼務する場合は教區署理主教というようですが、日本語の場合は(大)司教のままでよいのではないでしょうか。--トマス秋茄子会話2013年11月23日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

こんにちは、一昨日、本記事を編集したLorettibarrend と申します。
私も自分の編集に絶対の自信を持ってるわけではないのですが、田枢機卿の台北大司教区での聖職を「教区管理者」とした根拠は、記事本文の外部リンクにも加えたCatholic-hierarchy(英語)のサイトです。
それによると、田枢機卿は1946年5月10日に北京大司教(Archbishop of Beijing [Peking], China) に指名され(Appointed)、1967年に亡くなるまでその職位にあったとのことです(24 Jul 1967 76.8 Died Archbishop of Beijing [Peking])。この間、台北では台北大司教(Archbishop of Taipei) ではなく"Apostolic Administrator" となっています(20 Dec 1959 69.2 Appointed Apostolic Administrator of Taipei, Taiwan)。これを日本語で何と訳すかですが、例として岡田武夫・東京大司教について同サイトを見てみると[1]、"27 Jul 2013 71.8 Appointed Apostolic Administrator of Saitama, Japan" となっていて、これは今年(2013年)7月に谷大二司教がさいたま司教の職を退任したのを受けて、岡田大司教がさいたま教区の管理者に任命されたことを意味しているはずです。カトリック新聞オンラインの記事でも「教区管理者」と書かれています(【速報】さいたま教区の谷司教、退任)。
これらのことから、田枢機卿は1946年の指名から1967年に亡くなるまで北京大司教であり(実際は中国共産党政府から逃れて台湾に渡ったため、北京にはごく短期間しか居なかったとはいえ)、その間1959年から1966年までは台北大司教区管理者を兼任した、という意味だと考えました。(田枢機卿と岡田大司教、また台北大司教区とさいたま教区では事情は多少違うでしょうけど。)これらについての間違いやご指摘、他の資料等ありましたら、またお知らせください。これからもよろしくお願いします。 --Lorettibarrend会話2013年11月24日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
こんにちは。お手数をお掛けし恐縮です。
私はこれまでほとんど台湾側の資料ばかりを読んでいて、この違和感があったのですが、Catholic-hierarchyを参照すると田枢機卿は帰天されるまで北京大司教の任を解かれてはいないのは確かですね。となると他項目の台湾関係の記述も見直し、併せて中国台湾関係の特殊な事情についても触れておく必要性を感じました。
ご教示に感謝いたしますとともに、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。--トマス秋茄子会話2013年11月25日 (月) 00:41 (UTC)[返信]