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ノート:朝永振一郎/過去ログ1

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「筑波大学サイト内の朝永博士の紹介」を追加しましたが、私の記憶が正確であれば、朝永先生は東京教育大学の筑波移転に反対の立場でいらして、移転を主導した物理学者を厳しく批判され、筑波大学開学後は実質的に「出入り禁止」状態が続いたと思います。それから30年以上がたち、先生も故人となられたとはいえ、こういうページがあること自体に違和感を禁じ得ません。このあたりの事情に詳しい方のご協力をお願いいたします。--J-ishikawa 2007年5月7日 (月) 15:32 (UTC)


  • 朝永振一郎の母校である 錦林小学校には、錦林コーナーがあって、2人の大先輩 朝永振一郎とフランス文学者桑原武夫の写真・著作・資料等が展示されている--Mariemon 2010年5月22日 (土) 15:41 (UTC)
    • (コメント)Mariemonさん、上記のような文言を、この記事のノートページに書かれる真意は何でしょうか?そのような展示物等があるのであれば、その事実に対する出典を提示するなり、または脚注を用いて、当該記事内に加筆されれば良いのではありませんか?--さかおり 2010年5月23日 (日) 02:20 (UTC)
  • 事実ではありますが、書物的な出典が私の範囲では、見あたりませんので、どなたかが、さかおりさんの言われるようにしていただければと思い、記載したものです--Mariemon 2010年5月23日 (日) 02:59 (UTC)
    • (コメント)そういう事でしたら意味は分かりますが、それでしたら最初から「出典」を探しておられる趣旨を書いて頂ければよかったのではないかと思います。どなたか上記の件に関する文献等ございましたら宜しくお願い致します。--さかおり 2010年5月23日 (日) 03:47 (UTC)
そうであっても、それはその小学校についての特筆事項であって、朝永振一郎にとって重要とは思いがたいですが。少なくともそのために小学校の校舎の写真はイランでしょう。--Ks 2010年5月23日 (日) 03:55 (UTC)

独自研究 

[編集]

具体的な問題点を指摘してください。

IP:123.224.129.228会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集は全てが問題あります。私が読んで明らかに出典のない部分は要出典タグを貼っておくので、後は自分で考えなさい。あとIP:123.224.129.228会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん、ノートに書き込むときは署名しましょう。チルダ4つを入れるか或い編集ページの上にある鉛筆マークをクリックすれば署名できます。--115.176.166.140 2010年12月10日 (金) 17:37 (UTC)


  (意義と表面的記述)

タグ付けありがとうございました。お手数をかけました。

出典タグですぐ対応できるところは、対応しました。

編集は全てが問題あります--について。

 湯川・朝永・坂田・武谷とそのグループ(ひいては個人も)は、まとめて論じないと、歴史的意義がわかりません。

 科学研究は、歴史の中で生ずるものであり、過去のノーベル賞が特定の国に偏っているひとつの理由です。

 歴史とは、教育もありますし、経済もあります。しかし、学派といわれる伝統も、素粒子論の隆盛と衰退を見れば、3グループの違いを見れば明らかです。

 この学派とは、特定の大学の学閥とは全く別です。それは、仁科⇒湯川・朝永・坂田⇒京大-阪大(後藤)・東大-筑波大・名大と、大学を超えた連鎖が成り立っているのを見てもわかります。

 問題があるという指摘はわからないでもありませんが、過去の(歴史的意義という意味)人物を記述するのに、重要なのは、

 ①事実を伝える。

 ②単なる表面的な内容よりも、歴史の真実(歴史的事実の核)を伝える

ことではないかと思います。

この、歴史的事実の核を書かないのは、むしろ歪んだ像を記述することになります。

間違っているのでしょうか。

うっちゃん123.224.129.228 2010年12月10日 (金) 20:50 (UTC)


  (興味・大志・伝統)

私は、教育の最大の問題は、汗して勤勉努力し、下積みをもいとわず、大志を抱くという風が、すべて失われた為と思っています。 (内山龍雄での、教育問題について論じています。)

3つにより、本当の意味での学派は成立でき、どの条件が欠けても、うまく行きません。

しかし、これは、書けません。素粒子論の個々の学者とは別世界なのですから。また、独自研究ですから。

うっちゃん(練馬大根)123.224.129.228 2010年12月10日 (金) 21:11 (UTC)

過去に書かれた、朝永の記述「生涯」などを見ると、朝永など何の価値もない学者としてしか描かれたいません。研究方法も、業績も、共同研究も(あえて弟子という言葉を私はなるべく避けています。共同研究者として、若手は育ち、骨の髄から方法と考え方を取得するのですから。)

以前の朝永のwikipediaを読んで、朝永がかわいそうになり、筆を取りました。なぜ、こんなに貧弱で、理論も、歴史的意義も全くかかれていない、朝永を馬鹿にしたようなwikipediaが放置されてきたのかと思うと、悲しくなります。

できれば、超多時間論や、繰り込みのさわりだけでも書きたいのですが、場の量子論の初歩の初歩(一応、入門とはいえ、専門書を読み通しています)しか理解できていず、あきらめています。方法や、意義は、専門家や自伝でわかる範囲で書きました。

若い方たち(中学;高校、そしておませな小学生)が、朝永に興味を持ち、すごいと思い、素粒子論に興味を持てるように書いたつもりです。

練馬大根123.224.129.228 2010年12月10日 (金) 21:35 (UTC)

123.224.129.228さんは百科事典とは何かということがよく判っていないようですね。「単なる表面的な内容よりも、歴史の真実(歴史的事実の核)を伝える」「歴史的事実の核を書かないのは、むしろ歪んだ像を記述することになります」というのはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか及びWikipedia:独自研究は載せないに反します。百科事典というものは事実のみを淡々と伝える場所なのです。「朝永など何の価値もない学者としてしか描かれたいません」「朝永のwikipediaを読んで、朝永がかわいそうになり、筆を取りました。なぜ、こんなに貧弱で、理論も、歴史的意義も全くかかれていない、朝永を馬鹿にしたようなwikipediaが放置されてきたのかと思うと、悲しくなります」というあなたこそ、ウィキペディアを「馬鹿にし」ています。そういうことは伝記ですべきことです。123.224.129.228さんはインターネット上でも書籍でもいいですから「朝永振一郎伝」を著し、そこで「朝永に興味を持ち、すごいと思い、素粒子論に興味を持てるように書」けばいいと思います。

もう1つ、学派についてですが、書くなとはいいません。ただWikipedia:信頼できる情報源に基づく出典がなければ書いてはいけません。出典なしに学派・グループについて書くとWikipedia:独自研究は載せないに反するからです。出典なしに学派・グループについて記述すると、以下の例(今はリダイレクト化された天文学者の項目)のようになります。

           ↓

           ↓

           ↓

あなたが朝永先生や湯川秀樹先生、内山龍雄先生の項目で行っていることもかつての天文学者の項目で行われていた独自研究的な編集とよく似ています。なお私は上記天文学者の項目には一度もタッチしておりません。--115.176.166.140 2010年12月11日 (土) 04:59 (UTC)




書き方が悪かったかもしれませんが、事実のみに限定したつもりです。


(事実 ウェーバー ウィトゲンシュタイン 橋爪)


ウェーバーの批判にあるように、事実とは何かというのは、人の一定の理念により選び出されるものです。この点は、批判しようがない。無限の行為、その行為の意味づけによる更なる分岐、これが事実であり、この基本的な世界をわかっておられないように思います。 もちろん、ウィトゲンシュタインや橋爪のように、行為が世界観を形成し、解釈と行為が一体であるという意見はあります。しかし、それとて、行為が世界観を形成するのですから、ウェーバー・カントの立論を突き崩しているわけでは、ありません。

ちなみに、橋爪大三郎や、藤本隆弘の項も「書き加えて」います。この大学者にほとんどゼロの記述はかわいそうです。ただ、助走程度にしか過ぎませんが。

繰り返しますが、事実を並べて歴史とすることは出来ません。

恐らく、私の書いたことは、物理学者ならだれも反対できない事実である(橋爪は最後には、その社会で誰もが認める前提に行き当たるとしています。)素朴事実主義は、社会科学では、よほど変な学部生、ひいては学者でない限り、認識しています。(それでも、反対するしないは、その人の自由です。)


  (南部と 批判の非対称・都合のいい批判)


南部先生にも少し手を入れています。もっと本質を突いた書き方をしたかったのですが、湯川などを書いていくうちに、私にはその資格がないようになってきました。書き加えた内容は、朝永とのつながり、「20世紀後半の最重要な素粒子論研究者の一人である。」ことです。しかし、南部の理論と歴史的核とはほど遠いと思っています。(朝永のことを、南部先生のところに入れるべきではなかった。入れるとすれば、南部先生の全体像を書いた後、その一部のエピソードとしてです。南部先生を馬鹿にした書き方です。それにしても、なぜ、南部先生は世界有数の学者としたことに、独自研究を貼らないのでしょうか。また、私以外の人が書いた項目にも。)

南部先生は、湯川-朝永-坂田を合わせたような学者であり、超絶しています。しかし、日本で研究していず、湯川時代のようなダイナミックな交流は、朝永の研究会での参加、大阪市大時代しかなく、資料がありません。

ただし、南部先生にも欠点があり、それは、南部先生の日本での研究環境にもあるように思っています。しかし、これを書くと独自研究になってしまいます。


また、南部先生は歴史になっておられない。アレだけの大学者ですから、wikipediaももう少し書けばいいと思います。書くとすれば、南部理論に立ち入って書くしかないでしょう。

私には、その資格がありません。それは、繰り返しになりますが、湯川に入り込みすぎたこと、理論を理解していないことこの二つです。貴兄はその資格がおありでしょうし、また別の人物でもいい。

練馬大根114.164.26.70 2010年12月11日 (土) 13:30 (UTC)


   (書きすぎと、誰も反対できない前提 事実の核)


湯川・朝永・坂田・内山は書きすぎの面があります。私自身が修正しても、2/3-1/2にはなるでしょう。今は、書き込んだばかりで、どうすれば良いか、客観的になれません。

ここで客観的とは、いろいろな視点から不要物を取り除き、誰も反対できない前提にいたるということです。 私自身は、書いたことの概要は、素粒子論研究者、湯川の時代の素粒子論研究者ならだれもが認める事実であると考えています。これに反対するような資料はないように思います。

ひとつだけあり、仁科が独善的であったということも主張されています。理研の構造がよかったと。しかし、私は、仁科の基本は自由であったと確信しています。


  (反証を挙げてください  事実でないのか)


私の書いたことに対する反証があるなら、あげてみてください。

これは喧嘩を売っているのではなく、事実にもとづく討論を繰り返して、誰も反対できない前提にいたるためであり、橋爪先生を持ち出すまでもなく、世の中の常識でしょう。

あなた自身、独自研究と言っておられても、事実に反すると言っておられる訳ではありません。 逆に言えば、私は事実を並べて、書き直してきています。事実は独自研究ではないと思います。そこから先は、各人が判断されればよいことです。

どこで生まれたとか、いつ死んだとかは、それを重視する人にとっては、書くに値することです。別にかいてもかまいませんが、私は、湯川などに対する理解が深まったとは思えません。

練馬大根114.164.26.70 2010年12月11日 (土) 13:30 (UTC)

失礼いたします。喧嘩するほど仲が良いと言う仲になりたいと願っています。

アレだけの、物理学の興隆をwikiで省みれないとすれば、悲しいことです。また、興隆を起こした本人の項目に、その影もないとなれば。

失礼いたします。

練馬大根114.164.26.70 2010年12月11日 (土) 13:39 (UTC)



  (   事実に反することを独自研究とせず、事実に沿った書き方を独自研究とすることについて  )


補足、喧嘩を売っているのではなく、反論です。でも、喧嘩を売ることかもしれません。

ご自分の、立論が、しっかりしていないということです。まあ喧嘩と受け取られても、仕方がない。書かなければ、仙石になりますから。


  (朝永が可哀そう)


朝永が可哀そうと言ったのは、次があります。 仁科のところで、「朝永、湯川は仁科の弟子で、仁科が二人を育てきった」とありました。雑誌科学で、「仁科が朝永さんくらい、頭のいい人はいませんね」と言った事実を知っていた私(当時、中学生だったか?)は、違和感を覚えました。事実、研究会で紛糾した問題を最後に朝永に聞き、朝永の明快な答えにみんな納得すると言うことらしかった。

仁科の偉大なところは、「育てきった」ことではなく、湯川の中間子論の発表を、絶賛し湯川に勇気を与えたことです。もし、仁科がいなければ、湯川はなく、ひいては朝永も坂田もなかったかもしれません。

この意味で、湯川の業績の半分は仁科にあると言って過言ではありません。世界で全く評価されていない未発表の、発表後も評価されなかった業績を、世界に送り出す、論文投稿のきっかけを与えた。


   (内山との対比)


私の、内山に対する記述、孤立していたと言うのと、湯川との環境の違いに、皆さんは異議があるということですが、内山がかわいそうと思いませんか。ボスが、投稿しろ素晴らしいと言っていれば、内山も歴史的位置が大きく変化し、グループとして活発な研究が出ていたでしょう。

内山のために、これを書いてやることが必要ではないと言うのが、あなた方の意見です。そして、歴史は繰り返されます。

直接、書くのが難しいので、対比で書くしかないでしょうが、対比で書くと、なぜ余分なことを書くと文句が出ます。マッチ-ポンプです。自分の言ったことをお忘れなのでしょうか。


  ( 朝永が可哀そう 2 )


朝永をかわいそうと思った理由は、もうひとつあります。

朝永の項で、

  師匠仁科、

  弟子宇宙物理学者の早川    --のみ。南部や木庭、西島が欠けている!

仁科先生の項目に比べ、ダブルスタンダードですよね。皆さんは、この、ダブルスタンダードの事実に反することは、独自研究でないとされた。独自研究どころか、事実に反する。ひょっとして、朝永を書かれた(書き加えられたのは)独自研究をされた宇宙物理学者?

---

  (仁科の偉大さ)


仁科先生が、湯川の研究会での発表を高く評価したことは、最近知りました。仁科先生の項目に、是非書き加えたいと思っています。仁科先生は、日本の物理学の父と言われる理由の、大きな一項目でしょう。(仁科先生にも書き加えました。長岡、コペンハーゲンなど)

「湯川や、朝永を育てきった」などと、馬鹿なことをかくより、なぜこの事実を書かないのか。私は湯川-朝永を仁科先生の弟子とは思えません。大学を卒業し、最先端のレベルに二人は到達していたのが事実です。

朝永を最初書いた、もしくは書き加えた人は、悪意があるとしか考えられません。違いますか。

育て切ったと言うなら、学生時代の南部、木庭などが、仁科-朝永に育てきられた。(私はそうは思いませんが。)南部らは、やり方をみ、刺激は受けたでしょうが。(弟子の項目を残していますが、変えるべきと思っています。)

ダブルスタンダード、いや、事実を曲げたものは問題なく、事実にもとづいたものを、独自研究とするのでしょうか。


   (多数決)


多数決と言ったって、こんな議論に参加するのは、10人以下でしょう。wikipediaの湯川や朝永の項目にアクセスするのは、何十万人、どこが多数決なのですか。仲間内?

まあ、喧嘩ごしになってしまいましたが、宇宙の話が出ましたので。どんな話か私は全く興味がありません。宇宙の話など勝手にやってください。

宇宙論に、歴史的意味など私はないと思っています。概念、数式、構造、方法、触発、グループ、孤立などが、日本の宇宙論にあったとは思えません。分野自体がどうでもいいし、信じられない概念-式-考え方が出たとは到底思えません。数式の応用、シミュレーション技術、したがって、特定分野としての意味はあっても、人間活動としては、意味がない。まあ、こう考えています。

こんなことを書いたら、和解不可能。日本人の悪い癖です。ただし、すべて、反論になっています。ご理解を。一箇所、推定が入っていますが、否定してください。

失礼します。

練馬大根114.164.26.70 2010年12月11日 (土) 17:59 (UTC)

まだ、反論のない部分に、わかりやすいよう、修正を入れました。

練馬大根114.164.26.70 2010年12月11日 (土) 17:59 (UTC)

一月中旬まで、用事があり書き込みしません。

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 02:03 (UTC)

当面の、最後の修正。(見出し)をつける。(反批判のでる前の範囲)

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 03:07 (UTC)

未だ修正しています。

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 03:19 (UTC)

返答

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114.164.26.70さん(=123.224.129.228さん?)の言っている事は冗長過ぎて理解困難ですが(正直、文章が長すぎて何を言いたいのか理解に苦しみます)、返答できる箇所についてそれぞれ返答します。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

事実 ウェーバー ウィトゲンシュタイン 橋爪

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114.164.26.70さんは「繰り返しますが、事実を並べて歴史とすることは出来ません。」と言いますが、百科事典と歴史書は違います。114.164.26.70さんはウィキペディアを歴史書と勘違いしているのではないでしょうか?--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

南部と 批判の非対称・都合のいい批判

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南部陽一郎の項目において「20世紀後半の最重要な素粒子論研究者の一人である。」ということを書き加えたとのことですが、それなら単に「重要である」と書くのではなく、南部先生の検証可能な業績(要するに事実です)を列挙することによって重要であることを示すべきでしょう。Wikipedia:大言壮語をしないにも書いてありますが、“「これはこうだ」とじかに言うのではなく、「これはこうだ」ということを事実によって示す”ことによって南部先生の重要さを示すべきです。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

反証を挙げてください  事実でないのか

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Wikipedia:検証可能性にはこう書いてあります。“ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。”と。114.164.26.70さんはWikipedia:検証可能性を一字一句余すところ無く音読し理解に努めてください。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

事実に反することを独自研究とせず、事実に沿った書き方を独自研究とすることについて

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回答はこの節の回答と同じです。もし事実に反することが記載されているならば訂正するなり除去すれば良いだけです。ただその際に新たな事実を加筆する際は信頼できるソース(情報源)を出典として明示しなければいけません。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

朝永が可哀そう

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「朝永、湯川は仁科の弟子で、仁科が二人を育てきった」という表現に「違和感を覚え」たそうですが、朝永先生と湯川先生が仁科芳雄先生の弟子であることは『三省堂 日本史小事典 <第2版>』(三省堂編修所 編、三省堂1974年4月20日第1刷発行)で検証可能です。同書の265頁に「仁科芳雄」の項目がありますが、そこには「湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一武谷三男らを育てた」との記述があるからです。仁科先生が湯川先生の「世界で全く評価されていない未発表の、発表後も評価されなかった業績を、世界に送り出す、論文投稿のきっかけを与えた」というなら、信頼できる出典を提示した上でそれに基づき記述すれば良いだけです。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

内山との対比

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「内山のために、これを書いてやることが必要ではない」とは一言も言ってません。出典がないから駄目だと言っているだけで、出典があれば書くのは大歓迎です。「自分の言ったことをお忘れなのでしょうか」…私はあなたほどは頭が良くありません。私は鳥頭ですから。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

朝永が可哀そう 2

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たまたま出典のない師匠・弟子が除去されただけでしょう。「朝永を書かれた(書き加えられたのは)独自研究をされた宇宙物理学者?」…それこそ早川幸男先生を「馬鹿にしています」し「可哀そう」です。私が朝永先生や湯川先生、内山先生の記事の編集にかかわるようになったのはそもそも子供の頃から私は天文少年であり、そのことがきっかけで天文学、とりわけ高エネルギー天文学赤外線天文学の分野で大きな業績を残した物理学者・早川先生に関心を持つようになりました。そこから早川先生の弟子である奥田治之先生(私が初稿を執筆しました)や松本敏雄先生、さらには奥田先生の弟子(=早川先生の孫弟子)である舞原俊憲佐藤修二中川貴雄の3先生(佐藤先生の記事も奥田先生の記事同様私が初稿を執筆しました)、そして佐藤先生の弟子(=奥田先生の孫弟子=早川先生の曾孫弟子)である田村元秀先生にも関心を持つようになりました。一方で早川先生の師匠でもある朝永先生にも関心を持つようになりました。だが早川先生及びその弟子・孫弟子・曾孫弟子たちの記事は大きな問題はなかったのですが、朝永先生の記事を読み「Wikipedia:大言壮語をしないに反するのでは?」と思いました。そこで履歴を調べ、一連のIPユーザーの編集記録を見ていくと朝永先生だけではなく湯川先生、内山先生、後藤鉄男先生の記事でも同じような問題を発見したのです。そこから私がこの問題にかかわるようになりました。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

仁科の偉大さ

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「湯川-朝永を仁科先生の弟子とは思えません」というのが事実なら「仁科芳雄」の項目に「湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一・武谷三男らを育てた」との記述がある『三省堂 日本史小事典 <第2版>』は嘘が書かれているということになりますね。いっそ三省堂さんを裁判に訴えてはいかがですか? 「大学を卒業し、最先端のレベルに二人は到達していたのが事実」だったとしても、研究上何らかの指導は受けているでしょう。確かに師匠がいない学者がいるのも事実でしょう(日本天文学界の系図においても「たとえば一昔前の、いわゆる偉い先生の背中をみて育った世代でそういう例が結構あるようだ」や「研究グループの中で揉まれて育った結果、やはり師匠らしい師匠が見あたらない場合があるようだ」といった記述もあるようです)。でも朝永先生や湯川先生が仁科先生の教えを受けたのはWikipedia:検証可能性を十分に満たしております。--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

多数決

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Wikipedia:コメント依頼で呼びかけてみてはいかがですか。本来なら私が呼びかけても良いのですが、114.164.26.70さんの「宇宙論に、歴史的意味など私はないと思っています。概念、数式、構造、方法、触発、グループ、孤立などが、日本の宇宙論にあったとは思えません。分野自体がどうでもいいし、信じられない概念-式-考え方が出たとは到底思えません」という発言には非常に頭に来ましたので私からは呼びかけません。114.164.26.70さんのような独善的な方がウィキペディアの編集に参加するのは正直、迷惑です。 --115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 07:12 (UTC)

どうでもいいことなのですが、123.224.129.228=114.164.26.70氏の「多数決と言ったって、こんな議論に参加するのは、10人以下でしょう。wikipediaの湯川や朝永の項目にアクセスするのは、何十万人、どこが多数決なのですか。仲間内?」という発言は間違いですね。朝永振一郎という項目のアクセス数は一日あたり100~300程度です。どこから「何十万人」という数字が出てきたんだか。それはさておき、IP氏による出典のない記述、出典を逸脱した記述等は、そのうち削除しようと思いますがいかがでしょうか。Wikipediaの方針を理解してもらおうとノートページで対応するのも疲れました(115.176.166.140さんお疲れ様です)。123.224.129.228=114.164.26.70氏の関わる以前の版まで差し戻すのが一番手っ取り早いんですけどね。--NS5-brane 2010年12月12日 (日) 12:24 (UTC)
改めて123.224.129.228=114.164.26.70氏の編集と提示された出典を見比べてみると、やっぱりひどいですね。提示された出典が全然信用できない。出典をいくら見ても該当する記述が存在しない(「第一世代、第二世代」という分類は出典のどこにも見当たらない)ものもあれば、出典に記載があっても、執筆者により独自研究と呼べるレベルで料理されてるパターンが多いです。例えば出典元では「数学の達者な朝永は反動ならざる保守を自認し、新奇をてらう前に従来手法でとことん追求するのが常であった」という記述だったのが「朝永は場の量子論を徹底すると言う保守的理論家で、場の量子論を相対論化し、繰り込みで量子電磁気学の危機を救う。保守的理論家とは、確立した理論の数学形式を徹底的に追求し、式の隠された意味と、未完成の部分を見出し、新たな理論を作り出すという意味である」となってしまっています。「保守的理論家」という単語の解釈は、明らかに独自研究と見なされるものですね。123.224.129.228=114.164.26.70氏の編集は一旦全てを差し戻して、確認が取れた記述のみを出典を逸脱しない範囲で再度書き直すのが一番確実な気がします。--NS5-brane 2010年12月12日 (日) 13:54 (UTC)

論争が起こっていることを、朝永などの各ページの先頭に貼り付け、論争を開始してください。貼り付け後、2週間で論争が決着したら、修正、削除してください。

私は、言うべきことは言ったので、誰か弁護してくださる方がおられるなら、お願いします。

同じ人が、別人になりすますことを防ぐ手立てを明示してください。

この論争に参加する方法を、各ページの先頭に貼り付けてください。

朝永を読む人が、1日100-300人と言うことで、朝永などをあわせた人数、200人×14日×?人×5%(10%の過半数)=150人×?人に満たないときは、改めて議論しましょう。

削除したいなら、正式な手続きを踏んでください。

仕方がないので、14日ほどして再度訪れます。

辞典でも何でも、選択が入ります。編集委員会が選択します。私の主張はそれだけです。

 例 玉木などは、師匠ではないのですか?なぜ仁科なのですか?辞典に書いてないから?大学に在学し授業を受けたのに?

 例 書かれるべき弟子が書いていないことを問題にしているのです。

 例 なぜ、南部にタグをはらない? 後藤は読んだのに、南部は読まなかった?

 例 教えきった、を問題にしているのです。

根本的疑問をパスしておられる。

自分は、社会的地位が高いから、神様になれる?人間の活動は、道路掃除人でも、大学の大先生でも同じです。天文物理がそんなに尊い仕事なのですか?ガロアやアーベル、マクスウェルやハイゼンベルグはすごいと思いますが、天文学がそんなにすごい学問?学者は世界で200年とすれば1000万人を超えるのではないですか?

自分が歴史的などのような位置にいるか、考えたことがおありですか。湯川や南部のような優れた仕事が、天文学からでたのですか?田中さんのようなサラリーマンがノーベル賞候補に何人も挙げられていますが、どうですか?私の言ったことが、真実でなければ、笑えます。真実を突きつけられたから頭にきたのでしょう。

でも、傷つけたのなら誤ります。でも、客観的に見てください。そうでなければ、本当に優れた仕事はできません。大学の先生なのですから、世界が引っくり返るような仕事をしてください。悲しいではありませんか。

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 16:31 (UTC)

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 16:47 (UTC)

大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 17:06 (UTC)

114.164.26.70、いい加減にしろ! お前が日本の素粒子物理学者の記事においてWikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自研究は載せないに反する編集を執拗に続けていること、天文学を侮辱する暴言を繰り返していること(スブラマニアン・チャンドラセカールのようにノーベル賞を受賞した天文学者もいる。それにノーベル賞のみ特別視するお前の姿勢には俺は反対する…少なくとも文化勲章を受章した学者はノーベル賞を受賞していなくともそれと同じくらいの価値はあるはずだ)、俺やNS5-braneさんに対し個人攻撃を繰り返していること、全てWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに報告しておいたからな。分かったか!--115.176.166.140 2010年12月12日 (日) 17:55 (UTC)


私は、ノーベル賞を貰う学者は2流の学者だと思っています。文化勲章だって同じです。ノーベル賞は1分野で100年に300人、アインシュタイン、ハイゼンベルグは天才、それに準ずる数名の学者は超一流、数十人は一流、300人は2流です。この文明が3000年続けば、ノーベル賞学者は1万人になります。どうしてノーベル賞がそんなにすごいのでしょう。

退席すると言いながら、気になるので。

わかっておられるとは思うのですが、確認

例をいくつか挙げて説明します。

1.憲法  憲法は戦力の保持、交戦権を否定しています。しかし、憲法学者で自衛隊を違憲とするかたは少ないと聞いています。論拠はいろいろあるでしょうが、国際法で、自衛権が固有の権利として認められています。  自衛権の否定は、上位法に反する規定であり、効力がありません。  ちょうど、奴隷契約が無効とされるのと同じです。

ウィキペディアも、真実を書けとは書いていのかもしれませんが、真実は暗黙の前提です。

2.検察  検察が特定できない証拠は特定できないので無視し、一部の証拠だけで、犯人を決定して裁判員裁判で、無罪が出ています。  足跡が戸外で見つかり、その人物Aを特定できた。屋内には多数の特定できない指紋が多数あり、Aのものは見つからなかった。証拠はAのものだけであり、従って、特定できたAを犯人として裁判した。裁判官も、特定できた証拠で、Aを犯人として死刑に処した。

 あなた方のやろうとしていることは、これではありませんか。

3.辞書  辞書を書くとき、言語学者は数百の用例を、一生かけて集めます。その上で、単語の定義をしていきます。もしこれを、まともな調査もせずに、適当に目に付いたもので単語の定義をすればどうなるでしょうか。

 あなた方は、何をやろうとしておられるのでしょうか。

4.アメリカの裁判員裁判  アメリカでは、裁判員に対し、弁護側、検察側双方に拒否権があります。理由は、死刑廃止論者が死刑を求刑された犯人を裁くことは適切でないからです。また、クークラックスクランのような、黒人はすべて死刑にしろと言うような人を、黒人を裁く陪審員にすることは適切ではありません。

 お一人は、朝永は仁科先生に「育てきられた」とし、朝永の弟子を早川先生一人とするのに良心の呵責はなかった。

 もう一人の方は、後藤鉄男を5指に入る素粒子論研究者とするのに異議を唱え、南部先生を20世紀後半を代表とする学者であると言うことには異議を唱えられなかった。

 ダブルスタンダードとは、こういうことを言うのです。

 今回の裁判で、お二人とも、意見に偏りが見られます。裁判に係わる権利はありません。正式な議論が始まったら、議論から、退席してください。もちろん、投票も。

 私は、南部先生を書こうとしたのですが、朝永などを書いているうちに、南部先生の像が歪んでしまいました。その為、南部先生を書くのを断念しました。歪むとは、南部先生への湯川、朝永の像が大きくなりすぎたためです。この像が正しいか正しくないか解りませんが、私には南部先生を書く権利はなくなってしまいました。

 お二人は、どうなのでしょうか。

5.証拠の判別  証拠は直接証拠と、間接-状況証拠があります。直接証拠がない場合、間接証拠でまわりを固めていきます。この場合、細心の注意が必要です。

 あなた方は、間接証拠を認めないのですか。

6.要約  てにおはが変わるだけで、意味が逆転したりします。要約は細心の注意が必要ですが、大意が正しければ問題ないでしょう。

 保守的理論家には、いろいろな敷衍をつけていますし、文献も挙げ、問題ないと思っていました。間違いですか。

7.態度のシンメトリー  宇宙論に私は興味がありません。学問分野は1000くらいあるのではないでしょうか。いちいち興味をもつなどありえませんし、学問間に優劣をつけるのは私の勝手です。

 しかし、私が宇宙論を書く資格はありませんし、興味もありません。

 これに対し、お二人は朝永などを否定的に捉えておられることは、先に論じました。

 もし、宇宙論に否定的な私が宇宙論を書くことに異議を唱えられるなら、同様に、ご自分で朝永の記述に係わることに異議を唱え、関わることはおやめいただきたい。

ちなみに、私の知っている宇宙論の学者は、林(林フェーズ)、早川(雑誌科学)、吉井(テレビ)、佐藤(インフレーション)のみです。早川先生を馬鹿にしたわけではないことは、先に言いました。みな大学者でしょう。私が興味がないだけで、個人的意見としては素粒子論と同等というわけにはいかないということです。

8.最後に、  間違った朝永像にしてしまわれるのでなければ、修正して構いません。しかし、修正のルールを守ってください。

追加  300人/1日×朝永などの人数×14日=4000人 10%で400人 ランダムサンプリングでないので、倍くらい必要か?

 集まらなければ、3ヶ月

 300人/1日×朝永などの人数×90日=3万人 3%で1000人 集まらなければ、1年

 300人/1日×朝永などの人数×365日=10万人 1%で1000人 集まらなければ 3年

 300人/1日×朝永などの人数×1000日=30万人 0.3%で1000人

 別に、議論が正当であれば、人数にこだわりません。また、正当でなくても、多分集まらないでしょうから、少ない人数で不等と思われる結論でも従います。

 それより、私のような、文科系の素人より、お二人が自分の偏りを自覚し、数週間かけて朝永を調べられれば、深い理解がえられ、真の朝永像を確立できると思います。創造のダイナミズムが生の形で転がっているのですから、研究に多少なりとも役立つのではないでしょうか。

 そういう話なら、私などの出る幕はありません。真実を、しかも証拠に基づき描写してください。

大根114.165.43.199 2010年12月13日 (月) 00:50 (UTC)


お二人が、天文学者であることを告白してくださりありがとうございます。お知り合いなのですね。

失礼します。

大根114.165.43.199 2010年12月13日 (月) 01:27 (UTC)

お前の編集態度にはぶち切れた

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114.165.43.199=123.224.129.228=114.164.26.70の相も変わらず詭弁を用いて自己正当化を行いNS5-braneさんや俺を誹謗中傷し続ける姿勢に正直、激怒した。何が「お二人が自分の偏りを自覚し」だ? お前はいつからそんな偉い身分になったんだ? 大体、「大根」だの「うっちゃん」だの偽署名はやめてくれないか。正直、うざいんだよ。こんなに口が悪いけれど一応俺はお人好しなのでお前が上に書いたコメントに返答していく(Tomo suzukiさんに自分の会話ページで注意を受けたのでこれ以降は丁寧な言葉遣いにします)。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

ノーベル賞を貰う学者は2流の学者だと思っています。文化勲章だって同じです。

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それならそれらの「2流の学者」の項目はWikipedia:削除依頼に提出すべきです。「2流」だったらWikipedia:特筆性 (人物)を満たしませんからね。「天才」「超一流」「一流」以外の学者の項目をWikipedia:削除依頼に提出することもしないでここで傲慢な発言をするのは止めて貰いたいですね。あなたはそれだけ偉い人物なんですか。最も削除依頼に提出しても実際に削除されるかどうかは知りませんが。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

1.憲法

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あなたがウィキペディアのルールを全く理解する気がないということがよく判りました。あなたはウィキペディアを去ってYourpedia(ユアペディア)の編集を始めたらいかがでしょう。Yourpediaならウィキペディアと同じく百科事典ですし、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないといったルールはユアペディアにはないのでウィキペディアと異なりあなたの大好きな「真実」を思う存分書けます。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

2.検察、3.辞書

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あまりにも低レベルで下らない発言なのでまとめて返答します。あなたがいかに「自分を中心に世界が回っている」と勘違いしている卑劣な人間かということがよく判りました。話にもなりません。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

4.アメリカの裁判員裁判

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これもまた傲岸不遜な発言ですね。あなたは自分のことを神様天皇陛下だとでも思っているのでしょうか。「今回の裁判で、お二人とも、意見に偏りが見られます。裁判に係わる権利はありません。正式な議論が始まったら、議論から、退席してください。もちろん、投票も。」と言っていますが、あなたこそ議論・投票から退席してもらいたいですね。というより、正直あなたにはこの世から退席して頂きたいです。あなたがこの世にいること自体、ウィキペディアにとっても全ての人類にとっても迷惑なのですから。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

5.証拠の判別

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Wikipedia:法的な脅迫をしないをよく読みましょう。あなたのやっていることはWikipedia:法的な脅迫をしないにも反しています。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

6.要約

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あなたはNS5-braneさんの“出典に記載があっても、執筆者により独自研究と呼べるレベルで料理されてるパターンが多いです。”という発言を読みましたか? いくら参考文献(=出典)も挙げても「執筆者により独自研究と呼べるレベルで料理されて」は無意味です。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

7.態度のシンメトリー

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「学問間に優劣をつけるのは私の勝手です。」はWikipedia:中立的な観点に反する発言ですね。あなたはユアペディアにでも逝った方がいいでしょう。 それなりの業績を残している日本の天文学者114.165.43.199=123.224.129.228=114.164.26.70が挙げた人物の他にもいますが(但し宇宙論専攻とは限りません。ニュートリノ天文学を開拓した小柴昌俊先生のように宇宙論以外の天体物理学を専門としている研究者もいますし、古在由秀先生のように天体力学を専門としている研究者もいます)、知らないことについてはここで責めるつもりはありません。ただ個人的意見はウィキペディア上では記事の編集に持ち込んではいけません。「朝永などを否定的に捉えておられる」にいたってはあなたの妄想ですね。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)

8.最後に、追加

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重大な誤りがここでもあります。私は天文学者ではありませんし、NS5-braneさんと知り合いでもありません。NS5-braneさんの職業は知りませんが、利用者ページや投稿履歴を見た限りでは天文学・宇宙物理学ではなくあなたの大好きな素粒子物理学を専門としているようです。あなたは「文科系の素人」等と弁明されているようですが、それは私も同じです。何故なら、私の大学での専攻は日本政治史ですから(そのため日本政治史に関する項目も多少編集しています)。ただ既出のように子供の頃は天文少年で、大学時代から数年間変光星の観測をしていたこともある、ただそれだけです。そもそも私が早川先生に関心を持ったのも赤外線天文学・宇宙論・高エネルギー天文学における業績もさることながら、早川先生が私の好きな声優歌手水樹奈々さんと同郷(早川先生も奈々さんも愛媛県新居浜市出身です)というのもあるのです(まさに文系的発想です)。しかしそんな文系の私でも理系の項目を編集する際は(文系でもそうですが)きちんと信頼できる情報源を精読した上で、それを出典にして加筆しております。それは天文学・宇宙物理学関連の項目であってもそうですし、素粒子物理学関連の項目でも同じです。勿論日本政治史関連の項目でも奈々さん関連の項目でもこの原則を貫いております。何はともあれ、あなたのようなウィキペディアの基本方針を全く理解する気もないような者に議論を起こす資格は断じてありません。二度とウィキペディアには来ないで、ユアペディアで思う存分あなたの好きなように素粒子物理学の項目を執筆してはいかがでしょうか。--115.176.166.140 2010年12月13日 (月) 06:28 (UTC)


私の方からもコメントを。といっても、私は115.176.166.140さんのようにお人好しではないので、これ以上Wikipediaの基本方針について理解してもらえるように説得することは、もうしません。これまでのやりとりにより、Wikipediaの基本方針に従う意志がないものと判断して、これまでの独自研究編集を以前の状態に差し戻すだけです。問題IP氏(と仮に呼ぶことにする)の主張する「真実」や「ルール」ではなく「Wikipediaのルール」に従って粛々と。

ちなみに私は天文学者ではなく、115.176.166.140さんの推測通り素粒子論が専門です。若輩者ですのでエピソード等の歴史的なことは詳しくありません(だから即時削除ではなく独自研究タグで対応しました)が、問題の編集で扱われている物理そのものについては理解しているつもりです。なので、問題IP氏の「後藤鉄男が弦理論に関して、ゲージ場を扱う」のような編集を見ると目眩がしますし、「後藤鉄男は、湯川秀樹の直系としては、師匠の内山龍雄と並ぶ2大巨頭で~」という編集に関しては「後藤氏の業績について何も理解していないのに、よくこんなことが書けたもんだ」という感想です。こんな人から「真実」なんて単語が出るとは……

そういうわけで、もうしばらく様子を見た上で、記事の差し戻しを行うつもりです。--NS5-brane 2010年12月13日 (月) 09:12 (UTC)


誤解していた点については誤ります。

すこし意固地になった点はあり、修正はします。

おっしゃるように、理解しておりません。しかし、南部先生の2大業績とされる1つを後藤鉄男は独自に見出したのではないでしょうか。

2週間と言いながら、気になって戻ってきました。

論理学、数学などのアメリカのサイトを見ると、日本との違いに愕然とします。

また、朝永、南部などのアメリカのサイトは、日本人が書いたのでしょうが、日本のサイトと同等で、シュウィンガーなどのサイトの1/3とか1/4です。内容までは見ておりませんが。

何とかしてください。

数年すれば、場の量子論や超弦理論に本格的に取り掛かれるようになります。入門書は会社の行き返り往復2時間で、数週間で読みきれました。超弦は無理かもしれませんが、場の量子論の全体(細部は多分無理でしょうが)まではいけると思っています。

歪んだ、朝永や湯川、内山にはしていただきたくない。

大根122.16.116.60 2010年12月13日 (月) 15:04 (UTC)

「南部先生の2大業績とされる1つを後藤鉄男は独自に見出したのではないでしょうか」などという個人的な評価は、Wikipediaには不要です。検証可能性独自研究は載せないと言ったWikipediaの基本方針に従っていないという指摘についてのみお答えください。お答えいただけない限り、いずれ記事を差し戻すという私の考えは変わりません。
自分がどれだけ勉強したかというアピールも不要です。「往復2時間で、数週間で読みきれました」という程度ではむしろ逆効果ですが。--NS5-brane 2010年12月13日 (月) 15:23 (UTC)

最初から、入門書しか読んでいないといっております。

前回から、削除される意向は変えられないと了解しております。

( 法について )

永田鉄山?という軍人がいて、軍縮を認めたためか、皇道派の将校に惨殺されました。このためもあり日本は戦争に突入し、天皇制は消滅しました。鉄山の後、台頭したのが東條英機です。

山本七平が、東條英機がどうして台頭したか、説明しています。東條英機は法律を徹底的に研究した。軍人を含め、日本人は慣習法に従って行動しており、法を持ち出されるとどうしていいか解らなくなる。こうして登場した東條は、首相にまで上り詰めた。

法しか研究しなかった東條は、人間や人類、戦争と平和、戦略と戦術の研究をしなかったのでしょう。昭和天皇が、国際法や捕虜についてのジュネーブ協定?を守るように下達があったが、そんなもの守って戦争が出来るかと、伝えなかった。

法を振りかざす人間は、こういうものです。

(法の解釈と執行について)

私は法学部ではありませんし、法にはほとんど興味がありません。

法は、その立法精神、法源?に反するものには適用されません。素人には適用してもいいのではと思われるものにも、適用されません。

この為、法務官僚が法を取り仕切り、最終的には、弁護士、検事そして、裁判官が判決を下します。

ウィキは素人がやるのですから、文面通りでいいのか、いけないのか、私には解りません。

ただ、真理とは何か、根拠とは何かについての私の問いかけに、お答えになっているとは思えません。

要するに、ウィキの法律解釈が問題になっているのです。違いますか。私の言うことなど無視されるあなたは何者ですか。

(公開討論)

公開討論をお願いしているのに、どうして、論争が起こっていると言う呼びかけをされないのですか。

論争されていること、ウィキの内容は、私のような素人にもわかることです。

広く参加を呼びかけるべきでしょう。

(資格)

あなたは、素粒子論をやっていないものは、ウィキの朝永の項に参加する資格はないといっておられるのですか。 あなたは、素粒子論の権威とされているのですか。

それとも、ウィキの規定の解釈の権利は、私にはなく、あなたにのみあるといっておられるのですか。

すでに、私の書き込みから、1ヶ月はたっていて、閲覧者は、300人×30日×(南部、朝永、湯川、後藤、内山)で1万人近くになっています。ウィキ規定違反はお二人だけです。

少なくとも、お一人は、朝永にたいする態度に問題があります。あなたがどうかは、ご自分の良心に聞いてみてください。ウィキの規定を満たさないサイトは、1/3以上はあるのではないでしょうか。

(何をされたい)

後藤については、現状、代表的とされる学者を並べただけです。それ以上、何をされたいと思っておられるのですか。

(不毛な議論)

知性あるなら、真理とは何か、解釈とは何か、挙証とは何かという議論に、参加すべきです。

もし、そうではなく、世界的大先生であるあなたの言うことに従えと言うなら、あなたは法の解釈を独占する皇帝です。 それほどすごい業績を挙げておられるなら、示してみてください。

三流は、ノーベル賞に相当する業績であり、そこまで要求しません。ノーベル賞に次ぐ4流も要求しません。挙げてみて下さいよ。

(wikiのレベルの低さ)

日本のウィキはレベルが低すぎます。原因は、ウィキ条文の「キリスト教的原理主義」的な適用にも、あります。

(解釈としてのアメリカ)

ウィキはアメリカで起こっていて、条文解釈はアメリカの実例に従うべきでしょう。 あなたのような、解釈がアメリカでなされているとは、ウィキの内容を見る限り、思えません。

(下士官、官僚)

法を盾に、一歩も動かない地方の窓口-課長クラスの官僚のように見えます。

大根122.16.115.165 2010年12月15日 (水) 01:17 (UTC)

大根様、そろそろ引いた方がいいですよ。たしかに、Wikipediaには、納得しがたいこともあります。こんな当たり前のことが、どうして書けないんだろう、と言うような、ですね。でも、それは仕方がないのです。誰かわからない人間が、よってたかって作り上げる百科事典という、それ自体が奇妙なものに、正当性や信頼性を与えるための特別な仕組み、と言うことです。私は結構勝手をしていますが、そのことはわきまえていますし、だから、まずいことは消されても文句を言いません。それに対して、真実とか法とか、そんな大上段に振りかざして議論をしても、全く意味がないのです。それをやるんなら、Wikipediaとは違う、別のものを模索するまな板の上ですることです。すでに形と仕組みが出来ているこの場に入ってきて、それをやっても、「じゃあ、よそへ行けば?」としかなりません。
それから、素人であることを盛んにおっしゃっていますが、意味がわかりません。非専門家でも書けるのがこの場の特徴ではありますが、専門分野の判断は、やっぱり専門家でないと出来ない部分があります。少なくとも、その分野に近い分野に通じている必要が、ですね。だから、それについて、専門に近いひとからとがめられた場合は、素直に引くのが非専門家としての当たり前なやり方かと思います。--Ks 2010年12月15日 (水) 02:15 (UTC)

忠告ありがとうございます。感情的になった点も暗に指摘しておられる。

反省しております。でも、書いたものは残します。反省も半ば。

論争相手のお二人は、朝永や後藤に良心の痛みを感じないのでしょう。

大根122.17.142.193 2010年12月15日 (水) 03:30 (UTC)

上を修正

大根114.150.37.195 2010年12月15日 (水) 05:24 (UTC)

自分勝手な「後藤像」を公共の場であるWikipediaにルールを無視して書き連ねた上で、ルール違反に対する問題視に対して「朝永や後藤に良心の痛みを感じないのでしょう」などとは、厚顔無恥にもほどがありますね。「後藤鉄男が弦理論に関して、ゲージ場を扱う」などという知ったかぶり(もちろん間違いで、出典を元にする限り絶対にあり得ない)を堂々を書くことの方が、よほど後藤氏らを歪めています。私は問題IP氏の抱く「後藤像」などに興味はありませんし、良心の呵責もありません。
「南部先生を20世紀後半を代表とする学者であると言うことには異議を唱えられなかった」についてだけ反論しておきますが、私はこの編集を認めたことは一度もありません。「南部陽一郎」での編集は、11月14日の編集以来ずっと気になっていたのですが、面倒なので放置していただけです。Wikimedia財団からギャラをもらってるわけでもないですから、他人の編集をもれなくチェックして即座に対応なんてことはしませんよ。問題を認識しつつ、放置している項目は他にもいっぱいあります。その後の「湯川秀樹」等の編集が、それをさらに上回る勢いで酷くなっていったため、看過できずに独自研究タグで対応しただけです。ダブルスタンダード呼ばわりされるのは心外です。もちろん問題だとはずっと思っていたので、いずれ「南部陽一郎」も他の項目同様に差し戻すつもりでした。
公開討論についてですが、すでに115.176.166.140さんが「Wikipedia:コメント依頼で呼びかけてみてはいかがですか」と提案されています。方法はすでに提示されているのですから、公開討論を望む人が呼びかければいいわけです。誰も反対していません。「どうして、論争が起こっていると言う呼びかけをされないのですか」という言葉はそっくりそのまま問題IP氏にお返しします。--NS5-brane 2010年12月15日 (水) 08:36 (UTC)
重要なことを言うのを忘れていました。ウィキって略すな!--NS5-brane 2010年12月15日 (水) 09:02 (UTC)

了解しました。知ったかぶり、申し訳ありません。後藤についてはもう一度調べてみます。

大根124.85.40.136 2010年12月15日 (水) 11:56 (UTC)

おっしゃるとおりですね。ラグラジアンを出しただけですね。後藤-今村-シュウィンガーの場の理論の不定性と混同してしまいました。場と言えばゲージ場と思うのですが、それも、原論文をあたっていない私には解りません。申し訳ありませんでした。

非礼な言動とともに、謝ります。

破棄、好きにしてください。

大根124.85.40.136 2010年12月15日 (水) 12:23 (UTC)

同じものを再度読み、南部の弦理論を元に、後藤の論文が出来ていたことを理解しました。話になりません。

大根124.85.40.136 2010年12月15日 (水) 18:01 (UTC)

ネットで、後藤と南部は独立に発見したとあり、それの頭があり読み飛ばしていました。恥ずるところあります。 後藤先生の評価を誰としたのは当然です。私なら、消しています。申し訳ない。

遡り、私に関する大言壮語も消しました。消すのは許されないかもしれませんが。本音を言えば他も消したい。明日、後藤、湯川など直接係わる部分は消します。

大根124.85.40.136 2010年12月15日 (水) 18:15 (UTC)

すべて、消しました。

後藤先生、内山先生のノートを見ておりませんでした。見ていれば、対処は早かったと思います。

内山、湯川、仁科、南部先生については完全に元に戻したつもりです。後藤先生は、南部先生との前後関係がわかるように書きました。それ以外はすべて消しています。

朝永先生は、弟子と師匠以外は、元に戻しました。弟子と師匠はあまりに酷い意図的な改ざんだと考えています。

NS5-braneさんではありませんが、先ほど南部先生にアクセスして、南部先生の自伝にある部分を消しておきながら、20世紀後半の素粒子論研究者の有力な一人であるを、消していないのにはあきれました。ダブルスタンダードとはこういう人を言うのでしょう。

重力場の話は、超弦論の批判で、ご本人が超対称性から重力が導ける。超弦は意味がないと書いていたので、ご本人が創ったのかと思い書きました。私のミスです。改変されたと言うことで、見ていず、触っておりません。

いずれにしても、後藤先生関係を間違えたのが、湯川の非局所場にまでいたる誤りの始まりです。ゲージ場とラグラジアン程度の区別はつくのですが、申し訳ありません。

ただ、素粒子論の消費者であるつもりはありません。

大根124.85.40.136 2010年12月16日 (木) 16:10 (UTC)

  • 「朝永先生は、弟子と師匠以外は、元に戻しました。弟子と師匠はあまりに酷い意図的な改ざんだと考えています」
以前に弟子を全部削除(のちに他の人が早川幸男を追加)したのは私ですが、いきなり削除したわけではありません。要出典タグを貼って4ヶ月間様子を見た上で、誰からも出典の提示が無かったため削除しただけです。出典さえあれば何も文句はありません。4ヶ月間様子を見た上での削除という行為が問題だと思われるなら、Wikipedia:コメント依頼かどこかで議論して下さい。
「研究会に出席」することを以て即「弟子」と呼んでいいのかは今でも疑問で、「師匠」「弟子」の示す範囲は、ある程度の基準を取り決めた方がいいのではないかとは思っています。その意味で「朝永の研究会に参加している」と一言書いている問題IP氏の編集は正確だと思っています。
また、上の方で「仁科先生の項目に比べ、ダブルスタンダードですよね」と言っておられますが、単にそっちの方はチェックしてなかっただけです。「対応しない」ことを「ルールに則っていると認めた」と解釈するのはお止めください。また、同じく上の方での「弟子宇宙物理学者の早川    --のみ。南部や木庭、西島が欠けている!」ですが、「一人しか書いていない」からといって、編集者が「一人しかいない」ことにしていることにはなりません。私は「朝永に弟子はいない」という意味で削除したつもりはありません。単に発展途上の段階だっただけであり、情報を持っている人が出典を元に追記すればいいだけの話です。納得いかない編集があるなら、それこそノートページで問題を提起すればいいのではないでしょうか。
  • 「南部先生の自伝にある部分を消しておきながら(中略)ダブルスタンダードとはこういう人を言うのでしょう」
どの編集のことなのかわかりませんが、編集した人も、項目内の文章の一言一句まで漏れなくルールに適合しているかをチェックしているわけではないでしょう。私の編集に対する上記の件もそうですが、編集者の意図を編集者本人に確認したわけでもないのに、勝手な思い込みでダブルスタンダード呼ばわりするのは感心しません。あなたは自分勝手な思い込みが多すぎる。
  • 「重力場の話は(中略)ご本人が創ったのかと思い書きました」「後藤先生関係を間違えたのが、湯川の非局所場にまでいたる誤りの始まりです」
いずれもWikipedia:信頼できる情報源を出典として、独自研究にならない範囲の編集を心掛ける限り、そもそも起こりえないことです。この調子では、勉強しても同じことが起きるでしょうね。何故このような事態に陥ったのかという分析が出来ていないようで残念です。--NS5-brane 2010年12月17日 (金) 09:01 (UTC)

NS5-brane様

たびたび、ご迷惑をおかけしています。

この事態に陥った原因は、分析反省しています。もちろん、NS5-braneさんもお分かりと思いますが、一知半解であることが原因です。すこし調べただけで、正しいと思い込み、その思い込みを再度冷静に元データにあたり、周辺データと整合性があるかチェックもせずに、記載したことです。すべてがいい加減でした。

  すべてを理解しきり、チェックし、像を確立し、検証した後に、書くべきでした。

  経緯:朝永を読み、仁科先生が「朝永を育てきった」とあり、弟子は早川先生一人、朝永特有の優れた点が何も書いていない、に朝永先生がかわいそうになり、昔、雑誌科学をよみ知っていた範囲をもとに、「少し」調査して書き加えようとしました。

  「少し」が問題だった上に、調べて書いていくうちに、湯川、朝永、坂田、武谷がどのようにして彼らの方法を作り出し、何が問題だったかも書きたくなりました。独自研究を避けるために、工夫を少しはしましたが、問題が多々ありました。自分でも自覚していて、すべてを書いた後、削減・修正するつもりでした。

  これも問題で、ワードですべてを書き、修正後、投稿すべきでした。ウィキペデイアを下書きに使うなど間違っています。

  NS5-braneさんの指摘で、後藤先生を読み返し、南部先生が弦理論を提出された後、ラグラジアンについて、南部先生と後藤先生が独立して弦のラグラジアンを提出されたことがわかりました。話になりません。

  この誤解が、湯川の項で、「非局所場と弦理論」を追加してしまった理由です。南部先生と後藤先生(非局所場の研究者)が独立して、弦理論を提唱したなら、非局所場は、非局所場-弦-超弦と続く流れにあると思ってしまったのです、バカ。

  後藤先生の評価や、湯川非局所場の誤りは、すべてこの線上にあります。どうしようもない。お詫びします。

数々の、非礼、思い込みも。

NS5-braneさんの正しい像は頭ではわかっていたのですが、書いていくうちに、別の流れの中で、違うと頭の一部で思いながら、おかしなことを書いてきてしまいました。すみません。土下座したい気分です。

個別問題

弟子:私は11月が最初です。おっしゃるように、弟子は問題で、本当は本人が、自分は弟子であり、師匠はだれだと思っていないかぎり、師匠関係は成立しないと思います。玉木-湯川はこの意味で、師弟関係にありません。 普通は、今の大学院での教育(昔なら大学)が師弟関係を作るのでしょうが、それも、共同研究者としての側面が大きいと思っています。なるべく弟子の用語は使わず、どのような関係にあったのかを書こうとしています。

仁科:先ほど述べましたように、NS5-braneさんの本質は理解していたつもりです。今までも、心のそこでは、おっしゃる通りに受け止めていました。私が否定した場合、別の流れの中で、おきてしまいました。うそをついている場合、書きぶりでわかるつもりです。申し訳ない。

もう一人の方も、早川ひとり書き込んだのではないとわかり、誤解の半分は解りました。調査不十分で、早とちりです。この点では、申し訳ない。まだ、完全に誤るか、整理がついていません。すみません。

消去:私など、明らかに問題だと、すぐに書き換えてしまいます。断りなしに消されたこともあります。定義の問題では、抗議しても直らない場合、水掛け論になりその時点で退きます。ウィキペデイアを私物化している方は多い。我慢強いですね。

勝手な思い込み:そうですね。心の中ではわかっていたのですが。

朝永:猶予を与えられたのですから(ありがとうございます)、典拠、書き方を含め、順次直せる範囲で直します。お手数をおかけしますが、再度、指摘していただければ嬉しく思います。直接、消去、書き込まれたもかまいません。

雑誌科学などの典拠・修正は、1-2ヶ月後になります。お許しください。

たびたびの非礼お許しください。

大根124.85.40.136 2010年12月17日 (金) 21:56 (UTC)

湯川の非局所場の最低限の修正はしました。記述はかなり問題で、客観性にかけます。修正していきます。

SKT 大根を改めます。124.85.40.136 2010年12月17日 (金) 22:27 (UTC)

再度言いますが、専門分野の方からとがめられたのだから、非専門家であれば、手を引くべきです。この様子では、調べてもとんちんかんになるばかりの予想。「すべてを理解しきり、チェックし、像を確立し、検証した後に」なんていうことが可能と思うこと自体が不遜です。全てなんて有り得ないし、そのためには周辺の知識が必要。手を出さない、という判断を下していただきたい。現時点では「ウィキペデイアを私物化している方」はあなたになってます。このノートの独り言だけで、ずいぶんと無駄にスペースを使っているのです。出来れば、この場から引いてください。さらに言えば、これへの返信も書かないでいいです。より自分に適した場をお探しください。--Ks 2010年12月17日 (金) 23:22 (UTC)
「猶予を与えられた」というのは、「湯川秀樹」や「朝永振一郎」のこれまでの編集の削除が差し戻されたことを指しているのでしょうか?>IP氏
この差し戻しには、私は関知していません。このノートページでのやりとりを見ていない人が、理由無き削除として差し戻したのだと思われます。大幅な編集(特に削除)の際には「編集内容の要約」欄に編集(削除)の意図を書き込んでください。--NS5-brane 2010年12月17日 (金) 23:36 (UTC)

正直、疲れました & 過去ログ化の提案

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私は12月13日のコメントを最後に議論には参加しませんでした。理由は私のような日本政治史を専攻してきた「文科系の素人」よりも素粒子論の専門家であるNS5-braneさんの方がはるかに説得力のある意見が述べられることと、正直、SKT=大根=問題IP氏(私もNS5-braneさんに倣い以降はこう呼びます)の相手をするのに疲れたからです。それに「私に関する大言壮語も消しました。」等の発言からようやくウィキペディアのルールを少しでも理解できたかな、と淡い期待を抱いたからでもあります。でもその後のやり取りを見ると、残念ながら期待外れだったようです。色々言いたいこともあるけれど、もう私は何も言いません。 ただ、Ksさんの「より自分に適した場をお探しください。」というコメントを受けて私からSKT=大根=問題IP氏によりふさわしいサイトを紹介します。

Yourpedia(ユアペディア)ならウィキペディアとは異なり中立的な観点独自研究は載せない検証可能性も存在しないので、SKT=大根=問題IP氏の好きなように書くことが出来ます。2010年12月18日現在、Yourpediaには朝永・湯川・内山・南部・後藤の諸先生方の記事は存在しません。そちらで好きなようにお書きになって下さい。

あと、Ksさんは「このノートの独り言だけで、ずいぶんと無駄にスペースを使っているのです。」と発言されておりますが、この議論が一段落したら過去ログ化してはいかがでしょうか? 他のノートの例を挙げればノート:水樹奈々においても過去の議論は過去ログページに保存されております。最も水樹奈々さんのノートの過去ログページのバイト数は21,528バイトなのに対し、このノートは2010年12月17日 (金) 23:36 (UTC) 現在で80,102バイトと、実に4倍近くなっているので、バイト数だけで見ればとっくにこのノートを過去ログ化してもいいのですが…。--115.176.166.140 2010年12月18日 (土) 05:42 (UTC)

過去ログ化の提案に賛成です。
とりあえず、「湯川秀樹」、「朝永振一郎」の項目(ついでに「中西襄」も)を差し戻しました。--NS5-brane 2010年12月19日 (日) 08:09 (UTC)
坂田昌一」、「武谷三男」も差し戻しました。--NS5-brane 2010年12月19日 (日) 13:51 (UTC)

(インデント戻し)林忠四郎湯川秀樹とたどってこのノートにたどり着きました。提案者はIPユーザーなので移動できないようですし、NS5-braneさんも過去ログ化に賛成しているようなのでノート:朝永振一郎/過去ログ1に移動します。--コバルトブルーとターコイズブルー 2010年12月20日 (月) 12:11 (UTC)

移動しました。--コバルトブルーとターコイズブルー 2010年12月20日 (月) 12:23 (UTC)