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佐藤修二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 修二
(さとう しゅうじ)
生誕 (1945-04-09) 1945年4月9日(79歳)
日本の旗 日本 福岡県
研究分野 赤外線天文学
研究機関 京都大学
東京大学
国立天文台
名古屋大学
出身校 京都大学
プロジェクト:人物伝
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佐藤 修二(さとう しゅうじ、1945年4月9日[1] - )は、日本の天文学者名古屋大学理学部名誉教授。専門は赤外線天文学

来歴・人物

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福岡県出身[1]1968年京都大学理学部物理学科卒業[1]1973年京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了[1]理学博士号を取得した[1]。同年京都大学理学部助手[1]1987年東京大学附属東京天文台助教授[1]、翌1988年国立天文台光学・赤外線天文学研究系助教授[1]1992年名古屋大学理学部教授[1]2003年名古屋大学大学院理学研究科教授[1]

大学院時代は宇宙線研究室に所属し[2]奥田治之に師事した[3]。佐藤の弟子に田村元秀がいる[3]日本天文学会アメリカ天文学会会員[1]

業績

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 1970年代、天体赤外線望遠鏡を長野県上松町の山中に建設して、我が国の赤外線天文学の端緒を拓いた。1980年代、ハワイ・マウナケア山頂の望遠鏡(UH/UKIRT)、オーストラリア(ストロムロ、サイディングスプリング)、米国本土(アリゾナ、ワイオミング)等に自前の装置を展開して観測研究を行なった。1987年東京大学東京天文台(現在の国立天文台)に異動、アメリカ合衆国ハワイ州マウナケアに建設することになる「すばる」望遠鏡のための開発基盤を整備した。1992年名古屋大学に転勤して、“可視赤外撮像分光偏光測定装置“(TRISPEC;Triple-Range Imager and SPECtrograph with Polarimetry)を制作[4]、それを用いて2000〜03年にマウナケアおよび岡山で観測研究を行なった。2004年から広島大学に協力して東広島にかなた望遠鏡を建設、TRISPECを搭載して観測研究を行なった[5]。 1998年から赤外線掃天装置(IRSF+SIRIUS)を制作、2000年に南アフリカ・サザーランド観測所に設置して観測研究を行なった[6]。2009年以降、小型観測装置(可視3色偏光測定装置;TRIPOL; Triple-Range Imager with POLarimetry)を東アジア(台湾、韓国、中国、NZ、日本)に6台配置して共同研究を実施中[7]

脚注・出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 日外アソシエーツ 編 『新訂 現代日本人名録 2002 2.かな - せ』 日外アソシエーツ、2002年1月28日第1刷発行、ISBN 4-8169-1695-4、1325頁
  2. ^ 超極秘情報!! 宇宙線研究室の偉大なる歴史(since 1965)
  3. ^ a b 日本の天文学者の系図
  4. ^ Publications of the Astronomical Society of the Pacific 117, 870 (2005).
  5. ^ Nature 463, 919 (2010).
  6. ^ Proc. SPIE 4841, 459 (2003).
  7. ^ Astrophysical Journal Letter 911, L24 (2021).

外部リンク

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