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ノート:新幹線/過去ログ1

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「アメリカに許可」の部分に関して

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100系の記事に続き、こちらも100系引退後の状態に変更しました。
それでは失礼致します。
新幹線は乗客を取り戻せるか? 12:43 2003年9月15日

歴史部分にある「アメリカに許可を」とは何をさしているのでしょうか?0null0 04:40 2003年10月1日 (UTC)

関連するかも知れませんが、「アメリカ軍の命令で」というのは、単なる米軍というより、占領統治機構としての「GHQの命令で」というのが適切ではないでしょうか?

上海トランスラピッドについて

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上海のリニアモーターカーは仮開業って本当ですか?
浮上式高速鉄道にも書いてあったのですが、やはり仮開業と書いてあります。
前にニュースで中国でリニアモーターカーが開業したような事を聞きました。
そのとき500系が世界一の座を奪われたのかと思いましたが、何処にも500系は世界一早いと書いてあるので、聞き間違いかと思いました。
本当だけど仮開業とはどういう事でしょうか?
御解答下さい。
219.111.193.249 12:01 2003年10月15日 (UTC)

おはようございます。上海のリニアですが、浮上式高速鉄道の外部リンク記事にありますように、2003年の開通は正式営業開始ではなく、しかも今年になって送電線に不具合を生じたため一時運行を休止、正式営業も2004年に延期されました。しかし、修理が済んだので仮営業を再開したということのようです。仮営業とはいえ、自由にきっぷを買って乗れるようですから「2004年開通予定」の表現では不十分なので修正したものです。日本では余りない営業形態ですね。幾つかリンクを示しておきます→ [1] [2] sphl 23:22 2003年10月15日 (UTC)

日本もやってますよ。東北・上越新幹線は大宮「暫定」開業でした。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 16:47 (UTC)

周波数について

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ふと気になったのですが、確か交流の周波数は東海道筋ですでに4:6程度の割合であるから60Hzになったという話を聞いたのですがどうなんでしょうか。

それが6:4だったとしても、山陽新幹線をにらんで60Hzにしたと思われる。複周波数機器の開発がもっと早ければ、流れは違っていただろうが。
山陽新幹線の計画は後付ではないでしょうか?昭和40年代の新全総に初めて盛り込まれているのと、東海道新幹線が「新東海道線」つまり、在来線の増設線という位置づけで建設された側面がありますから。220.144.137.184 08:42 2003年11月21日 (UTC)
正式にはそうなるのでしょうが、技術サイドでは東海道線線増を名目に過去からの懸案であった広軌(標準軌)鉄道の夢を叶えるという側面は有ったわけで、当然の事ながら東海道区間だけの計画ではなく将来を見越しているのは自明のことです。それは新大阪駅の構造が明確に証明しているとは言えませんか?

最高速度記録について

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最近買ってきた本によると、500系の世界一の座を奪ったのは、ドイツのICEの、最高速度330km/hだそうです。
世界のスピードランキングはこのようになります。

  1. 中国のリニア。最高速度430km/h。
  2. ドイツのICE。最高速度330km/h。
  3. フランスのTGV。最高速度320km/h。
  4. 500系のぞみ。最高速度300km/h。

219.111.193.249 04:43 2003年11月11日 (UTC)

リニアとTGVは(とにかく路線の一部では)最高速で走っているみたいですが、ICEは300km/h以上の運転は行っていない様です。又、500系の運転可能最高速度は320km/hと書いている所もあるのですが。 - Masato 11:20 2004年10月27日 (CEST)

500系は車両の能力としては320km/hまで営業運転が可能です。しかしダイヤ上では300km/h営業です。 実際の営業速度と車両スペックの違いです。 221.247.106.198 2005年11月13日 (日) 11:05 (UTC)

並行在来線について

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本文中の>また、新幹線と並行在来線は原則として同一路線とみなされる。よって、片道乗車券の経路に、新幹線と、それに対応する区間の並行在来線の両方を含むことはできない。ただし、並行在来線と接しない新幹線駅を含む区間(例えば品川~新横浜、新横浜~小田原)については別の路線とすることができる。・・・・意味分かりません。誰か分かる方もっと分かりやすく編集していただけませんか?ロリ 06:56 2003年11月19日 (UTC)

新幹線関連法について

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確か、新幹線を定義する法律があったような気がするのですが。東海道新幹線完成時に、「高速鉄道」としての新幹線の安全運行を第一義としていたのでそのような法律を制定したと思いましたが。220.144.137.184 08:42 2003年11月21日 (UTC)

「新幹線鉄道の安全運行・・・云々」と言う名前です。「法庫」でも行けば見られます。

英語版サイトについて

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Wiki英語版の外部リンクに「びゅんびゅん新幹線」なるサイトがあります。恐らく海外サイトなのにこの充実ぶり(特に写真)には驚いた。実験車両300Xのテスト走行時の写真もある。ぜひ見て下さい。http://www.h2.dion.ne.jp/~dajf/byunbyun/

あっ、アドレス見ると日本でした。でも作ってるのはデイヴ・フォセットなる外人のようだ。日本に住んでる外人新幹線オタクか?しかし、「びゅん2」と言うのは少し「きょん2」を真似たいかにも外人らしいネーミングだ。ロリ 17:25 2003年12月1日 (UTC)

最高速度記録についてと中国輸出に関して

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219.111.193.249氏がTGVやICEが300km/h超運転をしていると書き換えているのですが、気になってぐぐってみるとICE3(ドイツとスペイン)/TGV Atlanticで計画はあるものの、まだ営業運転に入っていないようです。時間の問題でしょうが、今現在間違っていてもまずいので、どなたか実情を確認できる方いらっしゃいますか?sphl 09:38 2004年1月6日 (UTC)

いろいろしらべて見ましたが営業運転開始の情報は見つかりませんでした。本年には始めるようなのでニュースになったら更新することにして、現状に合わせて修正をしました。なお、JR東日本の360km/h対応車両の報道が日経D&Mの記事(無料登録が必要)と読売新聞にありここでも現在は日仏独で300km/h運転と明記されています。
また、中国への新幹線売り込みに関する段落は客観性に疑問があり、そこを薄めると(「~といわれている」という書き方はせずに)この段落自体の意味が薄れるためコメントアウトとしました。信頼できる根拠や具体的な発言者等を示して再度編集していただくようお願いします。sphl 03:07 2004年2月11日 (UTC)

中国への新幹線の売りこみは今最も注目されていることで、すぐにでも決定しなければオリンピックに間に合わないものです。削除すべきではないと思います。内容に関しては読売、サンケイ新聞に書いてあった内容を自分なりに編集したものです。ロリ 08:35 2004年2月11日 (UTC)

コメントありがとうございます。この件がこのところ注目されていることは承知しています。それだけに、なおさら記事の内容には客観性と具体性が求められます。新聞記事の内容も「意見」と「事実」を見極めて記事にまとめる必要があると思います。例をあげると(引用前後しているところがあります)、
>中国の場合新幹線システムの分割発注となるので、安全が保証されず
>相互のあらゆる接続部でトラブルが発生し安全性にも問題が残る可能性がある。
一般に「安全を保証できない交通システム」などそもそも建設できません。また、工事を分割発注することは特に珍しいことでもないでしょう。なにか懸念される事柄があるようなら、具体的にソースを示して説明するほうが読み手に親切と思います。
>日本の売りこみは消極的である
国土交通大臣や経団連会長が売り込みに訪中しています。それはポーズで、実は熱心ではない、ということであればその根拠が要るのではないでしょうか。もっとも、これは高度な政治的判断(本音と建前)であり、ソースなど無いのかもしれません。それなら、せめて『(識者の名前)は「国土交通大臣や経団連会長が売り込みに訪中したが、それは見せ掛けで、実は日本の売りこみは消極的である」と語った』というような引用にしたほうがよろしいと思います。
>中国の分割発注の目的は高速鉄道技術の獲得にあるとされ、
そういう主張をネットのどこかで見たことはありますが、中立的な立場からは、誰の意見を入れたほうが良いのではないでしょうか?
>車両、軌道、架線、信号(ATC)、発券システムなどを分割発注されると、輸出側は技術の核心部分まで相互に提出しなければならず
分割の切り分け方やインターフェースの方法にもよりますが、通常は全部さらけ出すような分割はやらないものです。やや情緒的な意見に感じられますがいかがでしょうか。もし中国の受注条件としてそういうことを余儀なくされるようなものがあるのなら、それを書くとより具体性が増します。
上記の点すべて具体化しなければ記事に取り上げるべきではないとまでは主張しませんが、いくつかの点で改善ができれば、目下の話題に関心のある読者にとって有益性が増すものと考えます。もし具体的なソース等教えてくだされば、私のほうでも記事の加筆をしてみようと思います。sphl 10:07

2004年2月11日 (UTC)

長編のコメントありがとうございます。

>一般に「安全を保証できない交通システム」などそもそも建設できません。また、工事を分割発注することは特に珍しいことでもないでしょう。なにか懸念される事柄があるようなら、具体的にソースを示して説明するほうが読み手に親切と思います。

もちろん安全でなければいけないのですが、トラブルの起こる確率が高くなると言うことです。一般の工事の分割発注は普通ですが、高度な技術を持ったものはいろいろと問題があるということです。台湾新幹線も土木工事については分割されていますが、車両や信号など主要なシステムについては日本が単独で受注しています。
扇元大臣やトヨタの奥田会長なんかも訪問してますが、フランスは大統領が、ドイツはシュレーダー首相が上海リニアの時にも訪問しています。また肝心のJRは熱が冷めてますし、奥田会長に関してはトヨタの売り込みのついでとも思えます。彼はそういう人です。
中国が欲しがっているのは日本のリニアです。高速鉄道であれば人民に反日感情のある中国が無理に日本の新幹線を使わなくてもよいとも考えられるからです。 記事に関しては、上述のように新聞を編集したものですから、誰がどう言ったという具体的なことまでは書いていませんでした。
表現に問題がありそうであれば、削除ではなくご自身の観点から加筆修正されれば如何でしょうか。ロリ 13:56 2004年2月11日 (UTC)

なるほど。そういった背景をうまく表現できると良いのですが、私も直接的なソースを記録していませんので、あとで調べて何か書けることがあったら書いてみようと思います。その際はまたよろしくです(現状さらに追加編集があったようですが、私はとりあえず調査するまで再編集は控えておきます)。sphl 14:26 2004年2月11日 (UTC)

少し冷静になって考えればわかるかと思いますが、高速リニアは維持コストがバカ高くて実用的ではないんですよ。日本は実験線は続けてますが、ほとんどやる気ありませんからね。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 17:04 (UTC)

東海道・山陽新幹線が正式名称かについて

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東海道・山陽新幹線の記事で正式名称であるかどうか調べてみました。国土交通省鉄道局鉄道いろいろデータ集のJRの欄(リンクをクリックするとそこに出ます。)を見ると、会社が別のため東海道新幹線と山陽新幹線は別に記載されております。正式名称であるという根拠はどこにあるんでしょうか?旧国鉄時代の資料であるならばそれを明示して貰えますでしょうか?220.144.143.96 16:21 2004年3月7日 (UTC)

正式名ではなく乗り継ぎなしに一本で運用されていると言う意味ではないでしょうか?ロリ 17:26 2004年3月7日 (UTC)

ロリさんがそう考えるのであれば、正式名称と記載された方はそういう形に文章を直せばよいのではないかと思いますが。なぜかというと、最近2路線以上を運行する記事を作成される方が多く、それぞれの記事を運用面だけで統合した内容で製作されている場合が多く、且つ「統合」表示(但し知らない方が多いのか不明だが、)を出さないで作成される方が多いためです。また、これ自体もWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道で論議を行っている事項ですので、少し神経質になっているという事情があります。220.144.137.226 08:54 2004年3月8日 (UTC)

こんばんは、私はrevert合戦に陥りそうだったのでコメントしただけで、そんなにこだわっていませんのでどちらでもいいと思っています。それとどなたの意見かわからないので、ログインしていただけるとわかりやすいのですが・・・最近ステハン書き逃げがおおいいので。sorry.ロリ 10:31 2004年3月8日 (UTC)

政治家の影響について

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「政治家の影響」の例として、大野睦伴と岐阜羽島駅の例を挙げ「わざわざ田圃の真中の岐阜羽島に線路を引っ張って」と書いてありますが、例えば『驀進』(斎藤雅雄著・鉄道ジャーナル社刊)では大野の役割を、名古屋~米原間を直線で結ぼうとする国鉄と、岐阜駅への新幹線駅併設を求める地元との間を調停したものとしており、地図でみても「わざわざ(略)線路を引っ張って」とは言いがたいと思います。「政治家の影響」であること自体を否定するものではありませんし、これが真相だと主張して本文を変えることもしませんが、疑念提示まで。(匿名) 2004/03/20 18:03JST

関ケ原の雪問題
ご指摘、ありがとうございました。
何度新幹線で東京・大阪を往復したか思い出せませんが、つい最近まで(新幹線開業後も長らく)岐阜羽島あたりは木曽川と長良川にはさまれた、のどかな田園地帯でした。
そもそも、東海道新幹線は降雪の少ない東海道を通る新線として計画されたため雪への対策は計画に入っていませんでした。建設計画を取り仕切った国鉄技師長島秀雄は最初から、関ケ原はおろか米原も通らない「鈴鹿トンネル経由」を主張していました。こちらのほうが、時間も短縮でき、降雪の影響も少ないからです。岐阜・米原を通らないルートを考えていた国鉄に対し、「わざわざ」需要もろくすっぽ無い我田に「ひっぱった」のです。その結果、新幹線は雪の多い関ケ原を通ることになってしまいました。東北・上越新幹線は雪への対策(スラブ軌道など)が万全なので、あれほどの雪でもびくともしませんが、東海道新幹線は想定外の路線を走らされたため、わずかな雪でも遅れますね?Miya 12:19 2004年3月20日 (UTC)

鈴鹿トンネルルートは、トンネルが長大になりすぎ、また高低差をクリアするのが困難であったため断念されたそうですが。また、米原経由であれば北陸方面への連絡も容易であったというメリットもあります。東海道新幹線は、早くから東京-北陸西部の幹線ルートともなっています。
「悪者らしき人物があまりにもはっきりし過ぎている構図」は、却って冷静に再検証した方がいいと思いますよ。金沢 12:29 2004年3月20日 (UTC)

トンネルについては私の不勉強でした(本に書いてあることを鵜呑みにしておりました)。ご教授感謝。ただ、岐阜羽島駅の必要性についてはやはり疑問です。Miya 12:37 2004年3月20日 (UTC)

まあ、私も岐阜羽島駅の存在意義は疑問なのですが、浦佐や安中榛名や沼宮内の惨状を見せられると、正直コメントする気がなくなりました。頭が痛くなりそうで。金沢 12:43 2004年3月20日 (UTC)

岐阜羽島駅は、地元の希望である岐阜経由では無く、十河総裁と大野代議士との政治決着で名古屋・米原間を一直線に結ぶ中間点に退避のための駅を設置したものです。『鉄道ジャーナル』1994年10月116ページSei 13:11 2004年3月20日 (UTC)

上越新幹線についてですが、つい最近在来線特急「とき」の雑誌記事を読み返したため改めて思ったのですが、本当に建設緊急度が低かった(のに、田中角栄のごり押しで・・・)と言っても良いのか?と疑問が湧いた。輸送量としては確かに多かったとまで言えないのかもしれないが、豪雪の中満身創痍で新幹線の完成までつないでいた181系特急等の事を考えれば、逆にシステムとして完璧な耐雪構造を持った鉄道というのは、もうその時点で必須だったのかもしれません。列島改造論の政治的な評価について、結論を出す気も有りませんが、政治というのは国土の将来像を描いて、先取りして行かねばならないということを考えれば、田中自身の地元でのグループ企業などの利権云々はさておき、「裏日本」新潟をいつまで放置して良かったのでしょうか?現在、赤字解消のため必死のセールスの結果なのかもしれませんが、首都圏近郊のレジャー地としての、越後湯沢地域等のスキー場の賑わいは経済効果なのではないでしょうか?ほくほく線ルート利用の上越・富山地域への速達連絡の実現はどうなのでしょう?昭和57に開通させるのが尚早だったのなら、いつが良かったのでしょう。このごろ、マスコミの整備新幹線に対する二枚舌の批判「作ると言えば政治の利権を非難し、止めると言えば地元住民の期待を裏切ると批判する」などと見ても、安直な我田引鉄批判には賛成できない気もしています。

越後湯沢地域等のスキー場の賑わいに貢献したのは上越新幹線より関越自動車道レオーネだと思いますが。逆に、手軽に使えた上越急行の全滅以降はだいぶ鉄道利用者は離れたと思います。--210.147.134.233 2005年7月10日 (日) 13:15 (UTC)

「とき」末期には183系1000番台が投入されています。基本的に関東用のクルマですがサロ3MG方式でトラブルはほとんどありませんでした。それに、現在は基本的に東海道様として製造された車両の小改良版である185系200番台が何の問題もなく冬の越後湯沢まで突っ込んでます。485系とそれをベースにした489系ももともとは暖地向けです。さすがに583系にはきついようですが。上越に限定しないならキハ80系も暖地用ベースで最後には北海道まで進出していますね。旧形の70系なんかタイフォンの位置変えただけ。165系いたっては東海道と共通でなんら問題なし。在来線レベルなら200系ほどの重装備は必要ありませんし、というか200系はそもそも東北新幹線北海道延伸を見据えたもので上越用には過剰装備なんですよ。JR東時代の車両には200系ほどの重装備はされていません。「上越新幹線をつくったから、200系は本来の目的地である函館の地を踏むことなく、淘汰期を迎えた」という見方さえできますが、なにか?
それに「田中角栄の上越新幹線私物化論」は「在来線時代は停車すらしなかった燕三条になぜ「あさひ」までとまらにゃならんのか」という確固とした裏づけがあります。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 16:47 (UTC)

弾丸列車と大陸延伸計画について

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ロリさん、大陸への直通は「弾丸列車」の正式な計画ではなかったのです。あくまで一部の人々が将来のドリームプランとして立案したに過ぎません(関門トンネル掘削がやっとの時代に、対馬海峡を長大な海底トンネルでぶち抜けるような技術的裏付けはまだなかったのです。戦前の鉄道人だって、そう無謀ではない)。直接計画に着手したのは国内の区間のみです。従って現実に認可された国内区間と、将来の一案である大陸直通を一体のプランとして表記する訳には参りません。金沢 22:19 2004年3月22日 (UTC)

確かに対馬海峡の海底トンネルはドリームプランですが、下関からプサンまで船で渡り、北京、新京というのが弾丸列車計画のようですよ。着手したのは国内ですが、計画は北京、新京というのが本当のようです。ロリ 06:58 2004年3月23日 (UTC)

発券システムと安全性の関連、軍事性について

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新幹線の発券システムと安全性は無関係なのでは? それに、日本が受注しない分ドイツやフランスが受注するので、日本の行動に関係なく中国は高速鉄道の技術を手に入れられます。論理展開が変です。航空機や自動車の未発達で大量輸送手段は鉄道しかなかった第1次大戦ごろならいざしらず、現在の高速鉄道は旅客輸送に特化しているのだから、高速鉄道の軍事利用自体がどのような形態でありうるのか疑問です 219.101.141.180 08:58 2004年4月20日 (UTC)

遅れ馳せながらご返答を。発券システムの安全性とは新幹線がひっくり返ると言ったような意味ではありません。システムが大規模に混乱する経済の動脈が麻痺し、経済的な影響が発生すると言ったような意味です。中国が技術を手に入れやすくなるのは、分割発注すると他の分野の受注メーカーなどに自己の技術を相互に提出する必要があります。もちろん中国にも技術が漏れる可能性があるわけで、一社が独占受注すれば漏れる可能性が極めて低くなるわけです。中国は当然技術の獲得を目指しています。鉄道以外の分野で中国が海外メーカーを多く進出させているのは、雇用の確保だけではなく技術の導入を条件にしています。ロリ 2004年12月7日 (火) 15:47 (UTC)

高速鉄道に限らず、未だに鉄路は重要な軍事輸送手段であることは代りありません。近年の兵力展開において、武器・弾薬・車両等を事前集積しておき、兵員を中心に短時間で輸送し、戦力化することが一般的になるつつあると言えるでしょう。(具体例では米軍はインド洋-ディエゴガルシア島、西太平洋-グアム島などを中心に常に重装備旅団単位の物資を常に搭載した事前物資集積船を配備していたはずです。現在の再編で少し変わっているかも知れません。)高速鉄道は戦闘になれば役に立たないと思われるかも知れませんが、戦闘開始前の兵力展開という点で大きな影響を及ぼすことは間違いないでしょう。特に中国の場合、首都である北京軍管区が常に最も優秀といわれており、上海ー北京間の高速鉄道に軍事利用の影が付きまとうのはこのためです。なお、国や兵科によって構成は異なりますが、新幹線の場合は1編成に最大1600席あるため、一個歩兵連隊程度の人員を輸送することは可能かと思われます。(日本は普通化連隊で1000人程度、ロシアは1500~1600程度というのを見た記憶が…) また、高速鉄道=旅客輸送である最も大きな理由はコストであり事業収益性だといえます。現在、日本では旅客輸送=電化=動力分散方式が大部分を占めるので誤解されてるのかも知れませんが、貨物列車は全世界で基本的に動力集中式となります。この場合、加減速性能が劣ること(ダイアの密度に関係)、最高速が劣ることからJR貨物は動力分散式のスーパー・レール・カーゴ(4M12T)を開発し一般的な路線の最高速である130K運用を達成していたはずです。旅客JR各社から架線取得電流の制限を受けていてのデータだと思うので、決して高速貨物輸送が不可能なわけではないでしょう。軍事というのはコストは2の次である以上、軍事利用は想定しておくべきでしょう。

日本は動力集中式ヘッタクソなので(粘着特性改善に関して言うならEF62のレベルでストップしたまんま)、過去においてはともかく現在では道路事情のほうがはるかに良く、また柔軟性も高いので、専守防衛しかしない日本において爆撃されたら終わりの新幹線の軍事利用など話にもならないプランだと一笑に付すしかありません。在来線の方が迂回路が用意できる分まだマシです。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 16:53 (UTC)

追記。 軍事というのはコストは2の次である以上、軍事利用は想定しておくべきでしょう。 古今東西その理論で兵器を開発して戦争をした国で勝ったところはありません。2ちゃんの軍事板あたりで揉まれてきてください。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 17:07 (UTC)


開業当初、路盤が固まるまでの営業速度

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本文中、開業当初、路盤が固まるまでの営業速度について、200km/hという記述と、180km/hという記述があります。どちらが正なのでしょうか。--Njt 2004年10月1日 (金) 15:43 (UTC)

最高速度(営業運転中に出す物理的な速度)と表定速度(営業キロ÷所要時間)が混ざってしまっているのではないかと思います。ちなみに路盤が固まるまでの目標は速度よりも「東京~大阪間3時間30分」が重かったと思います。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 16:32 (UTC)


新幹線の安全神話に関して

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222.13.112.81 さんがヤケに感情的なコメントをされていましたが、あの部分は6月下旬から僕も含めた数人でちょっと編集合戦気味になっています。金沢さんの編集は元の文が必要以上に危険性をほのめかす内容だったのを中立的な方向に修正したもので(コメントアウトで残しておく必要があるかどうかはともかく)、特に問題はないと思いますが。それと他の利用者を工作員呼ばわりするのはお止め下さい。ここは2ちゃんねるではありません。--West 2005年7月8日 (金) 17:17 (UTC)

それなら実際の被害と後の傾向については当該災害及び鉄道事故の項目に任せ、新幹線の項目での技術的云々は避けたほうがいいのではないでしょうか? それと、ナショナリズム云々の一文は削除させていただきました。2ちゃんと違って工作員はいないそうなので不要でしょう。あと、フランスのTGVが日本の技術の模写だけでつくられたというのは単純にそれ以前以後のフランス国鉄と日本国鉄の動向を見れば判ることです。日本の交流電化開発に当たって両者の間でどのようなやり取りがあったか調べてから反論することをお勧めします。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 17:40 (UTC)

TGVに関して反論したつもりはありません。工作員うんぬんは……いないとまでは言い切れませんが、根拠もなく決め付けるのは失礼でしょう。--West 2005年7月10日 (日) 02:05 (UTC)

みな, なかよく書こうね。
とんちゃん

101系電車と新幹線

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マスコミなどもそう報道することが多いので80系から直接151系、新幹線に飛んでしまう人がかなり多いですが、実際には技術的に101系電車を抜きにしては新幹線を語ることは不可能かと思います。101系は通勤電車というイメージがありますが、登場当時中央快速は電車としてはかなりのロングランで、明らかにこれ以上となると身内の80系、70系と東武日光・鬼怒川ロマンスカーぐらいしかないかと思います(名阪特急はまだ名古屋線改軌前)。定格速度も103系よりかなり高いですし(201系以降は制御方式の改善により「定格速度の領域」自体を高速側に拡大した)。
ちなみにマスコミの方々は80系と153系と111系の区別はつきません。この前の「湘南電車引退」の特集ではっきりしています。「狭義の湘南電車=80系」はとっくの昔に姿を消していますし、「広義の湘南電車=湘南色の東海道線電車」なら211系やE231系500も立派に「湘南電車」でしょう。
101系がポシャッていたら動力集中派が勢力を取り戻してHSTやTGVのような「弾丸列車」になっていた可能性はかなり高いでしょう。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 17:31 (UTC)

訂正。登場時は「中央快速」ではなく中央急電でした。--222.13.112.81 2005年7月8日 (金) 17:49 (UTC)

222.13.112.81さんのご発言にいささか疑問な点を感じましたので、自分としての意見を述べさせていただきます。

101系を「新幹線」までの系譜上における重要な存在として大きく扱うのは、私は余り賛成しません。大手私鉄から外来技術を核とした電車の近代化・高性能化(カルダン駆動の導入など)が始まり、国鉄も101系でその潮流に加わったことを簡単に述べればよいかと思います。

101系の中空軸平行カルダン駆動は新幹線には採用されませんでしたし、軽量低重心の高速車両としては151系に先立って小田急3000形「SE車」が出現しており、国鉄もこれを研究しています(101系と共にスピードトライアルを行って145km/hを達成したのはよく知られているとおりです)。

で、初代新幹線車両0系の個別機構を見ると、国鉄在来線新性能電車から直接使われた基幹技術というのはあまり多くないのですね。その発祥を見ると、タップ制御は交流電気機関車、WNカルダンとミンデン系台車は私鉄電車(特に阪急。150kW超に対応したWNカルダンを1960年に実現している)、ヒートポンプ空調は三菱の新規開発、などなど。在来線電車での実用経験がダイレクトに生かされたとすればディスクブレーキぐらいでしょうか。

151系の場合、電動カム軸による直並列抵抗制御、中空軸平行カルダン、ペデスタル式ウィングバネ台車、東芝ユニットクーラーと別体の電熱ヒーター、と機構の個別要素は新幹線とだいぶ異なっています。

これをかんがみるに、1950年代に国鉄・私鉄・メーカーの各者がそれぞれに蓄積していった広範な鉄道技術を集大成した結果が新幹線車両なので、80系→101系→151系→0系という単純図式で理解するのは適切でないように感じます(101系を抜けば、国鉄における長距離高速電車の思想的発展のステップとしてそのディテールを理解することも可能でしょうが)。

むしろ、151系と0系の関連性を考えると、分散動力方式と低重心の軽量車体、空調装置完備による気密構造(151系ではまだ不完全でしたが)という「長距離高速列車としての基礎的な思想面」での継承が大きいと判断できます。特急形電車の開発にあたり、3000形SE車の「軽量低重心の高速車両」という着想を援用しつつ、既存の101系の電装機器類・台車構造を利用する形で国鉄なりに具体化したのが151系であるように思われます。

そして1957年の101系に取り入れられた基幹技術を検証してみると、現実には多くが大手私鉄の後追いです。

  • プレス部材をベースに構築されるセミモノコックの軽量車体は、既に1953年に近鉄が近畿車輌製の2250系で試行を始めていました。国鉄は遅れて1955年の10系客車からです。
  • 中空軸平行カルダン駆動はスイスでの先例をベースに東洋電気が1953年に実用化、京阪電鉄を手始めに大手私鉄や富山地方鉄道などに導入されています(1955年の富山地鉄14770形では国鉄MT46を上回る110kWの強力モーターが使われました)。国鉄での導入はその後です。
  • 電磁直通ブレーキはウエスティングハウスのシステムを営団地下鉄丸ノ内線300形が1954年に導入、MM'ユニット方式は小田急と近鉄が1954年に初導入したものです(着想は三菱電機によるものだったかと記憶します)。
  • 両開き扉も実用品と言えるのは丸ノ内線300形が最初です。

これらの私鉄・地下鉄での実用例は、いずれもポシャることなくその後に引き継がれています。戦前の国鉄電車の両開き扉は、試作車だけで終わってしまい、後が続きませんでした。

  • 101系の制御器CS12形は、東芝がジェネラル・エレクトリックから導入した技術を元に東急5000系用に開発した電動カム軸制御器の設計に多くを負いつつ、三菱と東洋電気の設計によるメリットも取り入れたうえで1C8M仕様とした、いわば折衷の設計です。

これらの技術を、国鉄が従来から標準としてきた20m4扉の通勤電車フォーマットと折衷したことで(直接的には72系全金属車がベースと考えられます)、101系が完成したとみるべきでしょう。

80系の場合、客車並みの接客設備、かつ電気機関車牽引列車を凌駕する高速性能の電車なら、それ以前にも前例がありました。しかし80系は、それまで不可能だった電車16両編成を、ブレーキ機構の改良で可能とし、これによって東海道本線の客車普通列車を電車に置き換えるという大転換を実現したわけです。

151系の場合はどうでしょうか。全車冷暖房完備など接客グレードが高く、高速性能にも優れた電車列車を、特急列車として東京-大阪間500km以上を直通という未曾有の長距離運用に充てたことが、151系の出現時における画期的なポイントです。

双方に共通するのは、それまで客車列車が必然と考えられていた長距離列車の分野において、電車のポテンシャルの高さを立証したことです。これらは新幹線における動力分散方式の採用に影響を与えた事例として取り上げられるべきでしょう。

101系は完成すると、従来から20m4扉の72系が運用されていた最混雑線区の中央線に投入された――それは国鉄に新しく高性能な電車が入ったと言うだけの話で、101系自体の運用は在来型電車から大きく飛躍したわけでもありません。

101系は手堅く設計されて技術的応用の利く電車に仕上がったとは言えるでしょうし、性能も(変電所容量問題によるM比抑制がなければ)一定の水準は満たしていた(だからこそ速度試験ではギア比変更で135km/hを出すことができたのでもありますが……とはいえ80系はギア比を変えることなく125km/h出しているのですが)。その後の国鉄在来線電車の基礎となったことはまぎれもない事実であり、国鉄在来線電車「のみの」技術発達を語るなら欠かせない存在です。

しかし上記のように、日本国内全体における電車技術の発達過程からその出自を検討すると、現実にはさしたる特記事項はない存在とも言えます。「初の20m4扉カルダン車」という記録は、同年登場の近鉄6800系(2代、いわゆるラビットカー)と分け合っていますね。日本の鉄道技術史について書かれた文献が、しばしば国鉄中心の記述になりすぎ、特に電車の分野における私鉄やメーカーの重要性が看過されているのは否めないと思います。

>101系は通勤電車というイメージがありますが、登場当時中央快速は電車としてはかなりのロングランで、明らかにこれ以上となると身内の80系、70系と東武日光・鬼怒川ロマンスカーぐらいしかないかと思います(名阪特急はまだ名古屋線改軌前)。

中央線の件ですが、東京-高尾で53kmぐらいですね。残念ながらさほど特記するような運転ではないと思われます。

日本国内において、電車による50km以上の長距離運転の事例を古い時代から代表的なところで挙げていきます。距離はおおよそですが目安として理解してください(誤りがあればどなたでも指摘していただければ幸いです)。

  • 1911年 南海鉄道 難波-和歌山 64km(1924年からは喫茶室・便所付きの特急用電車を導入)
  • 1927年 小田急電鉄 新宿-小田原 82km(長距離形・通勤形混在)
  • 1927年 愛知電気鉄道 神宮前-吉田(豊橋) 62km(長距離形・通勤形混在。超特急を運転。のちの名鉄名古屋線)
  • 1928年 宮城電気鉄道 仙台-石巻 50km(長距離形・通勤形混在。のちの仙石線)
  • 1928年 富士身延鉄道 富士-甲府 88km(長距離形。のちの身延線)
  • 1930年 鉄道省 東京-横須賀 62km(当初通勤形。1931年からクロスシートの長距離形車両に置き換え)
  • 1930年 大阪電気軌道・参宮急行電鉄 上本町-山田 136km(当初からクロスシート、便所付きの長距離形車両を導入。直通は長距離形専従。特急は表定速度70km/h近い高速)
  • 1930年 伊勢電気鉄道 桑名-大神宮前 82km(長距離形・通勤形混在)
  • 1930年 阪和電気鉄道 天王寺-東和歌山 61km(長距離形・通勤形混在。のちの阪和線。ノンストップ特急は1933年、表定速度81.6km/hの定期列車速度を達成。当時の日本記録)
  • 1930年 国鉄 東京-浅川(現・高尾) 53km(通勤形)
  • 1931年 東武鉄道 浅草-日光 135km(長距離形・通勤形混在。特急運転)
  • 1934年 鉄道省 吹田-須磨 48km
  • 1937年 鉄道省 京都-明石 95km(京阪神間電化完成。急行・緩行それぞれに専用車充当)
  • 1948年 名古屋鉄道 豊橋-新岐阜 99km(東西直通運転開始。長距離形・通勤形混在の運行。1950年から特急運行)
  • 1950年 国鉄 東京-沼津 120km(80系湘南電車)
  • 1957年 国鉄 東京-名古屋 366km(80系準急「東海」)
  • 1958年 国鉄 東京-大阪 556km(151系特急「こだま」)

これをみればわかりますが、電車で長距離運転を行う事例自体は非常に昔から多数あります。国鉄自身、横須賀線や京阪神間、それに買収線の阪和線や仙石線で長距離運転の経験はあったのです。京阪神間や阪和線で高速運転の「急電」が活躍していたのは有名です(200km級の飯田線は特殊事例ですので脇に置いておきます)。何より、中央線の東京-高尾間を直通する電車列車は、101系以前の大昔から存在していたわけです。

極端な表現ですが、モーターや抵抗器が過熱して火を噴きさえしなければ、あるいは車軸の軸受けが摩擦で過熱して危険な状態にならなければ、大抵の電車は100kmでも200kmでも長距離の連続走行ができます。出力とギア比が適切で、90~100km/h程度を保って連続走行できる電車は、101系以前から多数存在しました。それに戦後は発熱を押さえられるローラーベアリングが急速に普及してもいました。

>日本の交流電化開発に当たって両者の間でどのようなやり取りがあったか調べてから反論することをお勧めします。

交流電化の実用化に際してのエピソードは、確かこんな所だったように記憶します。

1950年代、既にドイツからの接収技術によって交流電化の実用化を進めていたフランスに、日本の国鉄が技術導入の打診をしたところ、フランス側から交流機関車の大量購入を吹っかけられ、とても無理だと断って、国産技術で独自に開発、実用化した。後日フランス側から「剽窃だ」と抗議があったが、経緯を説明して誤解を解いた。

これは、結局日仏両国がそれぞれ別々に交流電化方式を実用化したという事実を示すだけの結果ではないのでしょうか。更に何か新たな事実があるということでしょうか。

>フランスのTGVが日本の技術の模写だけでつくられたというのは単純にそれ以前以後のフランス国鉄と日本国鉄の動向を見れば判ることです。

フランスが超高速列車として先んじた新幹線を横目にしてTGV開発に当たったことは確かでしょう。あのようなお国柄ですし、ライバル心を燃やしていたことは想像に難くありません。しかし、模写と言われてもいささか首を傾げざるを得ません。新幹線以前の1955年に電気機関車で331km/hのレコードを叩き出した国が、自国技術で集中動力のTGVを作り上げたことは、さほど驚くべきことではないと思われます。

「単純にそれ以前以後のフランス国鉄と日本国鉄の動向を見れば判ること」とおっしゃいますが、模写したという箇所と論拠をわかりやすく具体的に指摘していただけますでしょうか。

私は「101系に採用された技術の私鉄における技術先行例」を列記しましたが、これらは日本国内の車両・重電メーカーが関わった事例で、それらの企業は国鉄にも車両を納品していましたし、また同じ日本国内での事例ですから、調査・研究も容易だったでしょう。他の投稿者の方にも、ご理解いただけることと思います。金沢 2005年7月12日 (火) 11:46 (UTC)


まず101系の件に関してですが、

  1. 在来車との連結を考慮しない(80系は他の旧型国電と混用可能。101系も正確には可能ではありますが)
  2. 制御車-中間車-制御車という編成美の統一(私鉄の初期のカルダン車の多くはこの点、80系よりも古い概念でつくられています)
  3. 交流MGの採用、蛍光灯の装備(72系は直流MGなので新製車は最後まですべて白熱灯です。一部改造により装備)、空調設備(扇風機)の徹底(私鉄の特急車にも冷房がついていなかった時代です)、窓の開口面積の拡大(72系全金は従前)。

等々。これらの要素については私鉄では保守的な会社も多く(代表選手が東武と西武であることは言うまでもないかと思いますが)、またPT-11(1C4M)の5000系を採用した東急にしても、自社で本格的に1C8Mを採用したのはずーっとくだって38年の7000系からで、このときには国鉄は103系を開発していました。
101系のキモはこれらの要素すべてを集約したという点にあり、CS12主制御器の熟成という意味合いでも重要です。また、「先行していた」はずの私鉄では、1067mm軌間の会社は次々とWNドライブを断念し中空軸方式に切り替えていることも見逃せないでしょう。近鉄は標準軌なので、この苦労がなかったのです。新幹線も同じです。しかし、151系の運用実績があって初めて新幹線が成立する、という考え方ならば、101系の実績なく151系には至らないわけですから、重要なターニングポイントであったことは間違いないかと思います。 また、80系をよく上げておられますが80系はメカの面ではほとんど72系と同じです。ブレーキに電磁中継を使用して応答性を高めたのは確かですがこれこそまさに戦前からあった技術で、ついでに言うならば72系も装備しています(63系からの改造時)。

それと151系が空力的に洗練され、というのは良く見かけますし頷けますが(101系の食パン顔で空気抵抗が少ないはずないので)、153系とほぼ変わらない床下機器なのに低重心とはいったいいかなる文献に基づくものでしょうか? というより冷房ついてる分どうやっても高重心だと思いますが。そういえば151系が事故った時の「こだま」の代走って153系でしたよね

TGVが新幹線を、というよりフランスが日本を模写した点

  1. フランスの開発した交流機関車は回転式変換機による三相交流で誘導電動機を駆動させるというものでした。剽窃も何も、日本の方式とまったく異なったのです。
  2. 2軸台車連接長大編成。これは西鉄が先鞭を付けて小田急SE車で開花したものです。スペインにはTargoがありましたが1軸台車の特殊形態で他には波及していません。
  3. 複数電源。これそのものはヨーロッパにも古くから存在していましたが、極端に電源の電圧・周波数が異なる場合、別々の集電装置を備え使い分けるという方式が多いかと思います。高圧直流と特高圧交流を同一の集電装置で取り入れるという形態を実現したのは401系・421系です(だから日本では車上切替方式が主流なのです)。この技術は空力的に制約の多いTGVでは欠かすことのできない要素です。
  4. TGVは動力集中式と言われますが正確には「動力準集中方式」でしょう。2Mで動力集中であればサンライズも119系も動力集中です。従来の保守的な機関車+客車という概念を消したという意味では101系と変わりありません。--210.147.134.233 2005年7月14日 (木) 15:44(署名補完金沢 2005年7月20日 (水) 10:31 (UTC)

だいぶん遅れ失礼しました。編集履歴や発言内容から、222.13.112.81さんイコール 210.147.134.233さんと判断して発言させていただきます。「新幹線」を論じ、説明するのに必須か、またどこまで記述するのが適当か、の認識が相互に異なっているということかと思います。

新幹線という記事は、鉄道に詳しくない一般の方々も目を通すことの多い記事ですから、素人でも一読して意味が読み取れるようなレベルの記述にできるだけ押さえたい、というのが私自身の考えです。従って、101系のスペックにまであまり微に入り細に入り記述するのは、さしづめ枝道に当たり、望ましくないと思います。一般の方には、電空併用電磁直通ブレーキやら補助電源やらといきなり並べられても意味不明でしょう(1C8M方式や交流補助電源は一般の方に説明するにも煩雑になりそうなので追記する際には避けておきました)。

また、「101系の特記要素」=「151系の特記要素」であっても、「101系の特記要素」すべてが「新幹線の記事に載せるべき特記要素」とは限らないのではないでしょうか。

80系も当初は他の旧型国電との混用は考慮していませんでした。ギア比も、貫通幌の規格も異なっていたのです。後になってから例外的に80系T車+旧型他形式M車orT車や、旧型他形式Tc車+80系M車という編成を組んだケースはありますが、それも余剰や車両不足などに伴う例外的なものです。80系はその運用の歴史において、概して他系列との混用が少なかった方だと思われます。

私は80系の省形国電の系譜上にあるメカニズムを云々するより(確かにあの下回りは63系の親類で、16連対応ブレーキも既存のAMAに手を加えただけでしょう)、「電車で(長距離の)客車列車を代替できる」可能性を強く実証し、国鉄自身に電車への認識を根本的に改めさせた存在であることが重要であると思っています。そもそも、電車で長距離の高速運転をする気になれば十分できるという事実は、参宮急行電鉄や東武鉄道などが戦前から実証していたわけですから。

狭軌WNは断念と言うより、1956、7年の時点で狭軌カルダンを求めればまず中空軸か直角かしかなかったわけで、それはやむを得ない選択でしょう(やっと75kWができるかどうかという時点でしたから)。もっとも1960年代以降はWNの制約も克服されたわけですが。1C8M方式はABFM系制御器とはいえ小田急が2200形以降本格的に使用していましたから、着想自体はキャッチアップと見るべきでしょう。

101系の扇風機云々は、通勤車としては重要なトピックであったでしょうが、優等列車用としては同じ1957年に近鉄が2250・6421系の冷房化改造に踏み切っていた史実があります。国鉄はやはり1957年にサロ85でユニットクーラーをテストしているのですし、オシ17形でディーゼル電源冷房に踏み切ってもいます。200km/h超の超高速運転では気密構造が必要になる以上、その前提としての冷暖房は必須で、「あじあ号」などの早期の先例を鑑みても、扇風機よりはむしろ本格的なエアコンディショニングシステムを取り上げるのが適切ではないでしょうか(これは通勤形電車の記事ではなく、「新幹線」の記事であることを考えてください)。窓の開口面積は、国鉄内部で通勤電車の窓面積を云々した場合に問題になる話かと思います。通勤電車の窓の大きさが、長距離列車用電車の窓面積に直接関係してくるものでしょうか。客車でなら戦前形優等客車で1.3m幅の広幅大窓が出現していました。

いずれにせよこのあたりの101系に関する記述は、国鉄101系電車の項目でおこなえばよいかと考えます。私も長距離用車両としての80系出現の意義をもう少し掘り下げたいところですが、新幹線の項目でそれを説いても一般の方にはくどくなるだけなので避けておいて、そのうち80系自体の項目で書いてみようと思います。

TGVの件ですが、ご回答に以下の通りコメントさせていただきます。

  • 1.これは、日仏が別々の技術でそれぞれ独自に交流電気機関車を実用化した、という事実認識に、相違はないということでよいと思います。
  • 2.これは異論があります。

日本の鉄道技術の系統では、南満州鉄道の電気式気動車ジテ1形(1934)は客車部分が3車体4台車の連接車で、長編成としては最初の例と言えるでしょう。高速電車では西鉄で、大牟田線に1942年に登場した500形2車体連接車が最初ですね(軌道線の連接より先です)。戦後中間車体を増やして3車体連接になりましたが。路面電車の連接なら、「びわこ号」を除けば、1941年の名古屋市電が日本最初でしょう。

アメリカのシカゴ・ノース・ショア鉄道が1941年に開発した電車のエレクトロライナーは「WNカルダン駆動の流線型・4車体連接車」で空調を装備し、最高速度も130km/h以上を出しました。1963年まで営業運転に使われた実績があります。のちの小田急取締役・山本利三郎は鉄道省在籍中の1935年に既に連接電車のメリットに着目したレポートを書いていましたからSE車の根元的着想自体は古いものですが、実際のSE車開発においては日本にも戦後に文献で紹介されていたエレクトロライナーが強い影響を与えたと言われています。

また先日、図書館で小島英俊著『流線型列車の時代』を借りてきましたが、これを読むと戦前から欧米の鉄道における高速車両の連接構造の採用例は少なくないようです(一渡り目を通しましたが、少なくともこの本の著者はいっぱしの鉄道ファンで、「連結」と「連接」の明確な区別が付くだけの分別はあると判断できます)。この本に書かれている高速運転可能な「連接車」を主なところで抜き出してみますと、

    • 1933年 米ユニオン・パシフィック鉄道M10000ディーゼル列車、米バーリントン鉄道「ゼファー」ディーゼル列車 3車体連接(何れものち6車体連接まで出現)ただし一部はエンジン車と連接客車が別体 最高速度120~170km/h
    • 1934年 米ニューヘブン鉄道「コメット」(気動車) 3車体連接 最高速度約150km/h
    • 1935年 英LNER鉄道「シルバー・ジュビリー」用流線型客車 7車体連接
    • 1936年 イタリア国鉄ETR200型電車 3車体連接 最高速度約200km/h
    • 1937年 フランスETAT鉄道 Z3700型電車 2車体連接 営業最高速度130km/h(アメリカ・バッド社製大型ステンレス車)
    • 1938年 ドイツ国鉄クロッケン型気動車 3車体連接 最高速度215km/h  
    • 1941年 米シカゴ・ノース・ショア鉄道「エレクトロライナー」(電車) 4車体連接 最高速度135km/h

このように、路面電車でない、高速運転能力のある3~4車体の2軸ボギー連接車なら、古くからけっこう存在したと言えます。連接車の先例がこれだけあった以上、SE車がTGVの着想のルーツという説には、確実な根拠が欠けてしまうわけです。M10000やゼファーなどは、流線型鉄道車両の古典として著名な存在でしょう。フランスにはSE車より身近なタルゴの存在もあり、日本からアイデアを引っ張ってこなくても、着想の材料は十分にあったように感じられます。連接車も鉄道車両ですから、伸ばす気になれば6車体にも8車体にもできるわけで、他国でそれをしなかったのは、極端に長大な連接固定編成は輸送力調整等でフレキシビリティを欠くからでしょう。また小田急は集客の見込みがあったからあれだけ長い編成を組みもしたということでしょう(現に初期車の減車可能仕様を増備車では取りやめたわけですから)。TGVのご編集を拝見しましたが、ノート化学屋さん氏が指摘しておられる疑問点は、どうお考えでしょうか。もしTGVを開発した側が「小田急連接車から構想を得た」と明言したのなら、確かにその通りということになるかも知れませんが。

  • 3.401・421系が世界初の車上切り替え方式車であるむねのお話はどのような方面からお調べになりましたか?
  • 4.サンライズのような特異例や、短編成の普通列車用電車を引き合いに持ち出すのは、長大編成の新幹線やTGVの話をしている場合、いささか不適切な喩えに感じられます。そもそもTGVの両端動力車は客車ではありませんし、プッシュプルでは推進時の高速安定性に不安があると考えられた場合に両端動力車としてバランスさせる発想は、さほど奇異なものではないと思います。それに、着想のネタ元を探すなら、1930年代の欧米における初期ディーゼル列車には、編成両端を床上機関方式の動力車とする「準集中動力式」は既に存在しました。この手法は戦後も東西ドイツ国鉄のディーゼル列車などに見られましたから(TEEなどで有名です)、「新幹線の動力分散式」よりはよほどダイレクトな引用先かと思われます。

結論として2~4は、「210.147.134.233さんが個人的に剽窃ではないかと疑うポイント」ではあり得ても、それらを論拠に「TGVの日本からの剽窃」という記述を「事実・史実」として百科事典に掲載するのには、いささか論拠として弱いと言わざるを得ないのではないか、と考える次第です。金沢 2005年7月20日 (水) 10:31 (UTC)

ギア比も、貫通幌の規格も異なっていたのです。>国鉄でも旧型国電には80系以前から複数のギア比があり、新製後改造によって変更した例がいくつもあります。また、国鉄はCS5以降すべて互換の自動進段なのですから、混用に際してギア比は重要ではありません。ブレーキシステムが互換している以上、端から混用は可能です。実際に中央東線用71系と中央急電73系の例が現実にあります。また、昭和26年に80系の製造が開始されたとき他の国鉄電車には関西国電以外、そもそも貫通幌などついてません。同年の桜木町列車火災事故がきっかけで取り付けが始まったのですから。そして、関西国電にしろ、その後の改造車にしろ、幌は旧型客車用の片持ち式幌を転用したのですから、80系と互換してます

国鉄自身に電車への認識を根本的に改めさせた存在であることが重要である>80系の段階では、せいぜい戦前製オハ35の代替車程度の認識ですよ。実際、80系は「いでゆ」と「東海」に使用されましたが、これはいずれも現在の「新特急」や「フレッシュひたち」あたりと同格の近距離準急です。実際「踊り子」がその現在の姿ですからね。電車にとっては「長距離」でも、国鉄全体からすれば、東京発下関行きとか、上野発青森行きローカル列車として存在していた時代ですから、刺身のツマ程度の規模に過ぎません。花形である東海道特急・急行に使うなんてとんでもない話でしたし、実際使われませんでした。101系の静粛性・居住性の高さによって151系、153系が生まれ、思想的にも新幹線につながっていったのです。

電車で長距離の高速運転をする気になれば十分できるという事実は、参宮急行電鉄や東武鉄道などが戦前から実証していたわけですから。>あの、その東武との戦いに国鉄は電車どころか国鉄キハ55系気動車を投入しているんですが。そう考えると、80系が国鉄自身に与えた影響ってかなり小さいように思えますねぇ。そもそも電車長距離運転が検討され始めたきっかけって昭和22年の石炭事情悪化が原点ですし。

国鉄はやはり1957年にサロ85でユニットクーラーをテストしているのですし、オシ17形でディーゼル電源冷房に踏み切ってもいます。>編成単位でMGを装備して、空調設備を標準としたのはモハ90系量産車が最初です(試作車は当初母線引き通しが無かったのでユニット単位)。151系のみならず、20系客車やキハ80系気動車にも影響を与えているといっていいと思います。車両単位でもいいから本格的な冷暖房装備を搭載というのなら「あじあ号」の例を出すまでも無く「富士」「燕」の食堂車など戦前からいくらでもありますよところで151系が低重心というのはどうなったんでしょうか?

「あじあ号」などの早期の先例を鑑みても>「あじあ号」の最大速度は120km/hで、戦後で言えば117系と変わりありません。って言うか私鉄電車なら戦前から貴方が言ったとおりこれぐらいの速度出してましたよ。まぁ確かに117系にも冷房はついてますけどね。

通勤電車の窓の大きさが、長距離列車用電車の窓面積に直接関係してくるものでしょうか。>ぶっちゃけた話、窓問題も含めて101系は当時の特急の3等車よりも豪華だったんですが。シートの問題もありますが、スハ44系のシートピッチの狭い固定ロマンスシートが必ずしもロングシートに比べてアドバンテージだったかどうかは一考が必要かと思います。

いずれにせよこのあたりの101系に関する記述は、国鉄101系電車の項目でおこなえばよいかと考えます。>私は、「80系から151系までの過程の間に101系を飛ばすな」と言っただけで、本項でもっと掘り下げろ、等とは一言もいっとりはしませんが。

「210.147.134.233さんが個人的に剽窃ではないかと疑うポイント」>同じく、新幹線に対する否定的な輩(特に中越地震の際の事故に対して攻撃的な編集者)に対しコメントアウトで煽っただけですが。

このように、路面電車でない、高速運転能力のある3~4車体の2軸ボギー連接車なら、古くからけっこう存在したと言えます。>貴方はSSE時代しか知らない若い世代ですか? SE車は8車体9台車ですが。エレクトロライナーの影響は存じ上げていますが、同時に長大編成に対応しうるかは前例が無いため不安だったということも当時の開発者は述べているはずですが(号数は失念いたしましたが、SE車引退の際の鉄道ファン誌での記述だったはずです)。
初代Targoの資料は残念ながら入手困難で実際何連接かはわかりません。ただ、我々日本人になじみの深い16連接のTargoIIIは戦後の開発で、AVE規格線での高速運転は7代目の現行Targo、というのははっきりしてます。

401・421系が世界初の車上切り替え方式車であるむねのお話はどのような方面からお調べになりましたか?>これまた「車上切替方式の世界初」とは一言もいっとりゃしませんが。大体、日本初はED92でしょ? ちなみに、貴方が連接車の例としてあげた「びわこ号」は、軌道線600Vと鉄道線1500V(1200Vかも)の使い分けにポールとひし形パンタグラフを使い分けていましたが。ただ、実用化された車両として 同 一 の 集 電 装 置 で極端に違う電源を扱うという例は昭和35年以前の高速運転を前提とした車両には記憶がありません。例があるのでしたら、いつものように無意味に羅列してみたらどうでしょう?

サンライズのような特異例や、短編成の普通列車用電車を引き合いに持ち出すのは、>なら、209系でいきますか? 4M6T、雨の日に一方のユニットが故障したら起動できないとゆー代物ですが。機関車の上が客室ではない、というのが別格として上げられるのならフランスの技術は当時日本には到底及ばなかったという紛れも無い証拠じゃないんですか? スイスの「セッテベロ」やソ連のETRシリーズも電車だったんですから。

追記。関西急電は80系が足りなくて70系で代用してたんですが。早速、前提が崩れてますね。

敦賀市-名古屋市

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基本計画線の箇所で「敦賀市~名古屋市間 約50km」とありますが、そんなに近くはないと思います。正しい距離が分からなくて修正できないので、どなたか修正お願いいたします。--汲平 2005年9月29日 (木) 01:47 (UTC)

地図を見たところ、直線距離だと90kmくらいでしょうか。ただし米原ないし関ヶ原で東海道新幹線と接続するとすれば、新規建設区間は「約50km」になりますね(北陸・中京新幹線参照)。West 2005年9月29日 (木) 10:05 (UTC)

なるほど。名古屋までの距離ではないのですね。ありがとうございました。--汲平 2005年9月29日 (木) 11:28 (UTC)

「新幹線と政治」または「鉄道と政治」に分割しては?

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新幹線#政治家の影響の部分が大きくなってきました。分割して新幹線にはその概要/要約のみ書いてはどうでしょう? 現在、新幹線は87,823bytesあります。

将来の必要性を見越した政治的判断といわゆる「我田引鉄」は異なること、需要と供給の原理を無視した「政治家の介入」が国鉄の衰退を招いたことなど、書くべき事は沢山あると思われます。独立項目に分割する値打ちが十分あるのではないでしょうか?

今すぐとはいいません。ご検討いただければ幸いです。--miya 2006年1月1日 (日) 12:01 (UTC)

「あさぎり」・371系について

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新幹線の項目で、「あさぎり」用JR東海371系電車に関する記述を行うことが適切かどうか提議します。関係と言えば、「あさぎり」用の置き換え前の在来車が新幹線の開発過程で高速運転研究の参考とされた小田急3000形SE車であること、371系の塗色が「新幹線をモチーフにしているらしい」という点に過ぎません。JR各社の新幹線分野における新しい取り組みを記述しているくだりにおいて、敢えて触れるべき事項かといえば、私には疑問です。金沢 2006年3月12日 (日) 06:10 (UTC)

新幹線のところに記述するべき内容でないということで、自分も賛同いたします。--Shinkansen 2006年3月12日 (日) 14:11 (UTC)

先の編集をした時点ではこちらを読んでいませんでした。「どうしても書くならこちらに」というつもりで高性能電車の節に移動しましたが、書くべきではないというのでしたら反対はしません。West 2006年3月12日 (日) 14:50 (UTC)

私もこの記述をこの編集で見たときに、新形態の一つとして同列に挙げるのは違和感を感じたので、ひとまず文章を分離しました。新幹線の項目に書くには余談的で敢えて触れることでもないと思います。210. 2006年3月12日 (日) 19:48 (UTC)