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ノート:折田先生像/過去ログ1

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「能の隈取」っていうのはどんなんでしょうか? 能装束に歌舞伎の筋隈とかいうのかなぁ? 全く想像が付かないので是非説明をお願いします。martin 2004年7月22日 (木) 13:20 (UTC)

「お願い」の文笑いました。ただ、わかりづらいので説明を下に書いておきます。無粋ですが。

お願い: 項目「折田先生像」の記事の冒頭の「お願い」は折田先生像に必ずつけられるお願いの文のパロディです。どうかこのお願いを削除しないでください。

それから、写真を撮ったのでアップロードしました。Habu 2005年2月27日 (日) 12:02 (UTC)

項目が存在することへの疑問

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面白い部分もないことはないが、百科事典にふさわしい項目ではない。近日中に削除依頼します。 --Eroro 2005年4月9日 (土) 17:25 (UTC)
枕投げなんていう項目も存続していることですし、この項目もあっていいのではないでしょうか。一般の百科事典とは、Wikipediaは少し違うようです。 --くしなだ 2005年4月10日 (日) 14:45 (UTC)
枕投げとは本質的に異なります。まず、折田先生像を散々に愚弄した行為は器物破損罪に該当します。また、銅像が撤去されてからは、「折田先生像」とは程遠いまったくデタラメなものに成り果てており、大学敷地の不法占拠などに該当すると思われます。これらの行為を肯定するが如き記述はとうてい看過すべきでないと考えるものであります。記事の重要性を鑑みるに、記事の存在する意義について考えるに、一部の学生(?)が面白半分に繰り広げている行為に過ぎず、何ら社会性のない現象です。大変不愉快な記事でありますので、すみやかな削除が望まれます。 --Eroro 2005年4月11日 (月) 16:42 (UTC)
削除依頼を出す前に、ここで意見を聞いてくださったことは感謝します。ですが、現段階で第三高等学校 (旧制)京都大学からこの記事へのlinkをはずすのは早まりすぎですので、revertさせていただきました。そのようなことをなさるのであれば、削除すべきであるというコミュニティの合意が形成された後にお願いします。 --くしなだ 2005年4月11日 (月) 17:17 (UTC)
まず社会性ですが、京大の受験シーズンから新入学の季節までの風物詩であり、一部の学生のみならず全国にファンがいることは検索するとうかがえます[1]。京都新聞も記事にしています[2]。また、京大当局も芸術作品と認めています[3]。これだけ広範に取り上げられているのですから、社会性は十分にあるでしょう。次に倫理面ですが、場所の占拠について、京大当局はなんら警告等していません([4]さっきと同じ画像)。京大は安全性に問題がある構築物以外は黙認する傾向があり、折田先生像もそれに該当するようです。過去においては確かに像を汚しており、問題があったでしょうが、現在のものについては、元の像が撤去されている以上あらたな被害を誘発するわけではなく、問題ないでしょう。不愉快に感じられたのなら残念に思いますが、記事を削除する根拠に乏しいと私は考えます。Habu 2005年4月11日 (月) 17:42 (UTC)
下記のサイトを見ると、大学も迷惑に感じているようです(芸術作品なんて本気で思う訳がないでしょうが)。仮に「相手が文句を行ってこないのだから、問題ないのだ」という発想だとすればとんでもない間違いです。削除依頼というのも無粋だとは思いますが、Wikiには必要のない記事です。[5] --Eroro 2005年4月12日 (火) 14:38 (UTC) (追記)
話題性は十分にあるので、一事象として記述されてよい項目だと思います。確かにいたずらではありますが、Wikipediaとしてそれに批判的でなければいけない、ということはないでしょう。逆にファンサイトでもないので、冒頭の注意書きは取り外すべきだと考えます(笑ったけど)。たらこ 2005年4月12日 (火) 15:11 (UTC)
記事には批判精神が必要である。かといって「不法行為である」旨を注記したら、たぶんとてもつまらない記事になると思う。従って、百科事典にはふさわしくないのである。 --Eroro 2005年4月13日 (水) 14:28 (UTC)

わざわざ不法行為と明示しなくとも、見ればわかると個人的には考えます。現状の記事内容でも特に落書きを推奨しているようには思えません。批判は、そういう声があれば、大学側の意見などを併記すればよいのではないでしょうか。

ただこれ以上は議論が平行線になるような気がするので、細かい表現でなく項目自体に疑問を持たれるなら一度削除依頼を出されたほうが良いと思います。たらこ 2005年4月13日 (水) 14:40 (UTC)

平行線じゃなくて、全然反論にもなってないと思いますが。とはいえ、削除の賛成者が少ないようなので、淋しい・・・ --Eroro 2005年4月13日 (水) 15:14 (UTC)

正直なところ、私もEroroさんが何を主眼としているのかが今ひとつわからないのです(申し訳ないです)。まず、「Wikiには必要のない記事」というのは、記事内容に問題があるのか、それともそもそも項目の存在に問題があると考えておられるのか、どちらでしょうか? お手数をおかけしますが、回答いただければ幸いです。 たらこ 2005年4月13日 (水) 15:21 (UTC)

上記に書いてありますが、どこがわからないのでしょうか? 面白半分とはいえ(まさか芸術活動だと主張するのでしょうか?)違法な行為を、そのままWikiに肯定的な立場で掲載するのは、違法行為を推奨していることになりませんか? (個人的に非常に不愉快です) もし、違法性はないと主張するのでしたら、その論拠を示してください --Eroro 2005年4月13日 (水) 16:17 (UTC) 

いや、違法性が無いと主張したいわけではないのですが・・・。

もし、現在の記事が違法行為を推奨しているというならば、それは記事内容を修正するかどうかで議論されるべきで、項目の存続議論はその次になると思うのです。Eroroさんは「百科事典にはふさわしくない」と述べられているのでその点を疑問に思ったのです。それとも、この話題に触れること自体けしからぬ事とお考えでしょうか?

私の読解力不足でご迷惑をおかけしているかもしれませんが、まずこの部分を解決しないと先には進めないので。たらこ 2005年4月13日 (水) 16:33 (UTC)

この記事に意味があるとすればパロディであり面白い、という理由のみではないですか? 仮に違法行為である、と記述すれば単に面白くない記事になるだけだと思います(何でしたらそのように修正してみましょうか?)。意味のない記事は不要でしょう。 --Eroro 2005年4月14日 (木) 13:35 (UTC)

そのあたりについて、Eroroさんのノートにも書きましたので、ご参照ください。また、折田先生像にまつわるアート化(Eroroさんにとっては承服しかねる言い方でしょうけれど)が、これほど発展したのは、大学側の温かい対応があったからであることには異論はございません。 --くしなだ 2005年4月13日 (水) 16:43 (UTC)

くしなださんから「当初の銅像に対する落書きが器物損壊罪に当たるとのお考えかもしれませんが、同罪は親告罪であり、大学側が告訴していない以上、同罪には該当しません。よって記事が器物損壊罪を奨励しているというようなこともそもそもありません。」というメッセージがありましたが、親告罪(親告がなければ公訴することができない犯罪)は、「訴えられていないから正当だ」という筋合いのものではありません。被害者が訴えないのをいいことに開き直っているレイプ犯の理屈と同じようなものではないでしょうか。 --Eroro 2005年4月14日 (木) 13:20 (UTC)
レイプの事例とは少し違います。レイプの場合は、被害を受けた女性のことを偏見の目で見る不届き者が存在するので被害者が告訴しにくいという側面があります。被害意識は十分に持っていても告訴しないことがあるわけです。折田先生像に対する落書きの場合は、大学側がその気になれば告訴することができたはずです。少なくともそこまで大ごとにするつもりは大学側には無かったわけです。大学側が犯罪の被害を受けているとまでは認識していなかったということに違いありません。 そもそも、なぜ親告罪が存在するかといえば、行為そのものではなく、行為を受けた側が被害を受けたと感じた場合に、それを呼んだ行為を罪とするという思想があると思われます。強姦が親告罪であるのは、理不尽に見えますが、強姦と和姦の峻別を客観的基準に基づいて第三者が正確に行うことが困難であることが理由なのでしょう。レイプの被害者が被害意識を持ちながら泣き寝入りを強いられている状態は、顕在化していないだけで親告罪といえど本質的には犯罪です。でも、行為を受けた側(この場合は京都大学)が犯罪の被害を受けたとまで思っていないがゆえに告訴しない親告罪の場合は、本質的な意味でも犯罪ではありません。 
すべてにお返事を返せていないのが、申し訳ないのですが、他の記事や投票のこともありますので、とりあえず以上の点にお答えさせていただき、残りは後ほどお返事させていただきますことをお許しください。m(__)m --くしなだ 2005年4月14日 (木) 13:51 (UTC)
違法か否かについては、下の方にまとめました。 --Eroro 2005年4月17日 (日) 14:29 (UTC)
銅像への落書きはさすがに問題がありますが、現在の像製作は私の知る限り違法行為だと京大内で認識されていません。表現の自由の一貫です。京大を構成する一員である学生が京大内で表現活動を行って一体なんの問題があるのでしょうか?天下の往来ではないのですよ。不法占拠だと京大の事務が思っているのなら撤去するなりすればいいわけで、そうせずにあのビラのように婉曲的表現を使うのは、像を容認しつつしかるべき場所に置きたいといった理由からでしょう(この部分は私の憶測です。昨年以前は別の場所に設置されていました)。表現の自由は最大限尊重されており、それが京大の魅力にもなっています。違法占拠だと断定して撤去するのは簡単でしょうが、そうせずに包容しているのが京大の学風になっていると思います。--Habu 2005年4月13日 (水) 16:52 (UTC)
銅像に落書きする自由や、粗大ゴミをアートと称する自由、でしょうか? --Eroro 2005年4月14日 (木) 13:35 (UTC)
「銅像に落書きする自由」だれがそんなこと言ってるんですか?私は現在行われている像の製作は表現の自由の範疇だと言ったまでです。落書きについては表現の自由を逸脱した行為でしょう。ただし、像自体が撤去されている以上、今後問題を誘発する(Eroroさんの言葉を借りれば「違法行為を推奨」です)恐れはないと上でも言っています。それから「粗大ゴミをアートと称する自由」は個人の価値観の問題でEroroさんがそう思うならそう思っていればいいと思います。「これはアートです」と権威者が認定しなければアートではない、なんてことはありえないですよね?ここで議論するには馴染まない話題だと思いますが。--Habu 2005年4月14日 (木) 14:08 (UTC)
アートの定義についてはここでは議論いたしませんが、落書きと粗大ゴミを置く行為は一連のものと考えられるので、「今は違法でないからいい」という理屈は通用しないのではないでしょうか。仮に折田先生像の項目から落書きの部分を削除したら全く意味をなさないことは明らかでしょう。 --Eroro 2005年4月17日 (日) 14:29 (UTC)
「違法行為を推奨」だから記事を消すべきだと最初に主張されて、違法行為を誘発する恐れはないと反論したら、「『今は違法でないからいい』という理屈は通用しない」と言われては議論になりませんが・・・。--Habu 2005年4月18日 (月) 01:18 (UTC)

一連の議論を読みましたが、私は存続派の方に理があると思いますね。確かに悪戯についての記事ではあるが、悪戯・違法行為を推奨しているようにはどうしても読めないし、削除すべき積極的な理由も感じられません。とはいえ「違法行為性についての考察に欠ける」という指摘はもっともだと思います。これは加筆で解決できることなので、削除という非常手段よりも加筆で対応すべきでしょう。Eroroさんが会話ページでおっしゃったように、現に違法行為が行われているソープランド記事であっても、違法な営業であることを明記し、それが受け入れられている背景について考察を加えればOKというのであれば、折田先生像についても、「法的な問題性」とでも章を立てて、法律に照らした問題性――下手すると器物破損に問われかねず、京大側の寛容さから警察沙汰になっていないだけともとれる……とでも記述し、同時にそれがかなりの人気をもって受け入れられている背景についても考察すれば、削除すべき理由は消失するのでは。ちょうどノートでの議論に、擁護派の意見がこの方向でまとまっているので本記事に生かして、こともできるでしょう。

付け加えると、Eroroさんの言動についても、編集合戦を引き起こして京都大学を保護に追い込んだり、自分の利用者ページに、

ふざけ半分の記事、独りよがりで下らない記事、その他気にくわない記事などには反対したいと考えています。

などと書き込んでいるのも問題ありだと考えます。自分の気に入らない記事を潰すために、「違法行為を推奨」だの直接関係ないレイプ、いじめまで持ち出して結びつけるというのはさすがに言いがかりに近いと思います。議論がいたずらに放散し、雰囲気が険悪になるだけなので、そういう挑発は謹んでいただきたいものです。--Charon 2005年4月18日 (月) 14:39 (UTC)

挑発と受け取られるとは残念ですが、悪戯行為を万人が肯定しており、誰も傷ついていないとは限らないと思いますよ。雰囲気が険悪になっているとすれば反省します。なお、加筆で対応する件については思案中ですが、そもそもが悪戯を面白がる立場で立てられた項目だと思うので、違法行為云々を書くのでは、そもそも存在意義を失うと考えています。 --Eroro 2005年4月18日 (月) 15:27 (UTC)

違法行為か否か(整理)

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  • たらこさん「違法性が無いと主張したいわけではないのですが(以下略)」
  • Habuさん「銅像への落書きはさすがに問題がありますが(以下略)」
  • くしなださん「行為を受けた側(この場合は京都大学)が犯罪の被害を受けたとまで思っていないがゆえに告訴しない」

大学側の見解は必ずしも明確でありませんが、推測するに「告訴して校内から逮捕者を出すのも大人げない」と考えているのでしょう。別に自由の気風だからといって許容している訳ではありません。むしろ、おとがめが無いのをいいことに執拗に悪戯を繰り返す犯人の行為にうそ寒さを感じます。クラスの中の弱い子や反抗しない子を狙って執拗にいじめている光景を連想させます。(本当に自由の校風であれば、構内のあらゆる銅像がいたずらされるはずですが、そうではないので、「折田先生像なら何をやっても許される」と勘違いしているようです)

もし違法行為でなければ、白昼堂々と芸術行為を行えばいいのではないでしょうか。深夜に実行しているようですので、さすがに違法行為であること位は犯人も認識しているようです。--Eroro 2005年4月17日 (日) 14:29 (UTC) 言葉足らずのため加筆

前半、おおむねおっしゃる通りです。像への落書きに対して大学はやめるようにという看板を立てたりしています。自由の象徴の折田先生像だから何をやっても許されるという風潮はあったのではないかと思います。私は実行者ではないのでわかりませんが。そして、繰り返し言いますが、像は撤去され今後同様の行為が行われる可能性はありません。折田先生以外の像が標的になることはほとんどなくて、折田先生像を製作するという方向が定着しているようです。
後半、落書きは見る人をびっくりさせるためにやるわけで、行動が目立ってしまう日中にやっては意味ないでしょう。違法行為云々とは関係ないと思いますが。--Habu 2005年4月18日 (月) 01:18 (UTC)

自由とは?

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京都大学の項目には「何事も学生の自主性に任せるという「自由の気風」を標榜しており、(中略)折田先生像をめぐる落書きなどにもその一端を垣間見ることができる。」と書かれており、「折田先生像への落書きは京大が自由であることの証し」という解釈が一部にあるようです。折田先生は三高の自由な校風を築いたとされる方のようですが、なぜ折田先生の銅像に悪戯を繰り返すことが自由になるのか、全くもって理解できません。こうしたことが自由だとすれば、全く「自由」も地に落ちたものです。 --Eroro 2005年4月17日 (日) 14:29 (UTC)

京大では、校舎の外壁に実物大のキリンの絵が描かれたり(校舎改築で消滅)、大学当局のあずかり知らぬところでコンサートが開かれたり、屋根に星の絵が描かれたり(現存)、構内の一角でゲリラ的にカフェが開店したり(現存)、バーが開店したり(たぶん現存)と、信じられないことがけっこう起きています。理解の範囲を超えてしまうのもしょうがないかもしれませんね。こういった行為と同列的な行為として折田先生像への落書きがあったのだと思います。像に対するアートを行った人たちは見る人をびっくりさせるためにやるのであって、折田先生を毀損したりする目的はないでしょう。京大で日常的に存在するこれらの出来事と同じ文脈で考えれば、折田先生像への落書きが「自由の気風」の一種であると理解できるかもしれませんね。[6]--Habu 2005年4月18日 (月) 01:18 (UTC)
コンサートやカフェは(もしかすると食品衛生法か何かにひっかかるのかな?)目くじら立てる程のことも無いように思いますが、「自由」の発現の仕方が折田先生像への落書き、では余りに侘しいとは思いませんか? また、実行者はもしかすると自由を表現するためではなく、金はない、単位は取れない、彼女にふられた、といった状況に追い詰められ、うっぷんを晴らすために落書きに及んだ、のかもしれません(可能性としては様々な動機が考えられます)。従って「自由の気風」と結びつけることには論理的に無理があると思います。 --Eroro 2005年4月18日 (月) 15:16 (UTC)

この記事の成立初期に関わった者です。このエピソードをインターネット上で知って、さすがバンカラ京大らしいな!と思ったものでした。落書きされる程に愛されている折田先生に絡む大学当局と学生の攻防戦は「下らない新左翼の団交(私個人の主観です)」とかではなく、はるかに意味のある(当人が意識しないかもしれないが)芸術行為としての熱意を感じます。(美術とは違い、芸術はキレイであることだけが要件ではありません) 違法行為は決して奨められることではないですが、'60年代ハイレッドセンターが行った街頭ハプニングイベントは芸術に間違い有りません。認めない=嫌いな人は居るにせよ。さらに紙幣について芸術的に考察したあまり、偽札犯として裁判に掛けられた赤瀬川源平氏の行為は、法により裁かれようとも、意図した芸術性が損なわれるものではありません。 最初の落書き犯の行為も、単に赤く塗っただけならば、反●で在外公館にペンキをぶちまけるような、下劣な行為と同じかもしれません。 しかしそこに「怒る人」と書いた事が図らずも、それを芸術(表現行為)にしてしまったのが面白い。これが大学当局に対する非難檄文ではないことに注意を払われよ。だからこそ当局も「しばらく放置」していたのだろうし、その流れを汲む作品を芸術として(笑)丁重に扱っているのだろう。 そういったそこにある事象をフラットな視点で記録するのも、いいのではないでしょうか? Eroro氏の主張も理解できなくないものの、正義に偏った個人的主張も感じます。
(以上は2005年4月18日 (月) 16:27 219.108.137.155氏、2005年4月19日 (火) 04:50  61.198.255.191氏の書き込みでした。注記:Eroro 2005年4月26日 (火) 15:33 (UTC)

赤瀬川氏と折田先生像の落書きを行った人物が同レベルの存在とは知りませんでした。赤瀬川氏も夜中にコソコソ偽千円札をばらまいてたのでしょうか。 --Eroro 2005年4月20日 (水) 16:13 (UTC)

客観的な表現への提案

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削除依頼ということで始めに書き込みましたが、「違法云々については加筆すれば足りるので、削除するまでもないではないか」といったご意見が多いように見受けられます。仮に加筆するとすれば、どのようになるか、ということでいちおう下記のように提案させていただきます。

(以下、2005年4月2日 (土) 05:50 の版より適宜引用)
  • 冒頭の「この項目「折田先生像」はウィキペディア日本語版の一ページとしてウィキペディアの創設に尽力し」という事実はまったくないので削除。(事実だと主張する方はその根拠をお示しください)
  • 「近所の住民にも「京大の『怒る人』」として親しまれていた。」・・・実際に「親しまれていた」かどうかは不明である。従って「近所の住民にも「京大の『怒る人』」として知られていた。」に訂正。。(事実だと主張する方はその根拠をお示しください)
  • 「製作者の一人に取材したところによれば」とあるが、なぜ記述者が製作者を知りえたのか(あるいは本人なのか、それとも他サイトの転載なのか)、経緯を明記する必要はないか。
  • 次の一章を追加する、ということではいかがでしょうか。(私案)

一連の事件についての一考察

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  • 上記のような一連の事件に対しては、器物損壊罪、また(漢の生き様バージョン以降は)大学敷地の不法占拠に該当するのではないか、という指摘もあるが、「京大の自由な学風を象徴している」「アートの領域に高められている」という意見もある。
  • 仮定の話であるが、早稲田大学の大隈重信像が同様の悪戯をされた場合を考えてみる。その場合に同じような経過をたどることは想像しにくい。これを「早稲田には自由の学風がなく、京大には自由の学風があるから」と説明することはできないであろう。また、京大構内には他にも銅像は多数あるが、折田先生像のような扱いは受けていないようである。なぜ、このような現象が生じたか、以下に考察してみたい。
  • 「折田先生」は創立者初代校長とはいっても、戦後の多くの京大生にとって忘れられた人物であったと考えられる。また、功労者の銅像を建てる、ということ自体が権威主義的な時代遅れの行為で、銅像は過去の遺物と見られる要素があったと考えられる。つまり、折田先生像自体がキャンパスで浮いた存在、どうでもいい存在になっていたのではないだろうか。こうした風潮を背景にして、何らかのきっかけで折田先生像に何者かが悪戯を行ったところ、予想外に評判がよく、カタルシスを覚えた実行者は次々と悪戯を繰り返したのではないだろうか。大学の毅然とした態度が不足していたことが事件を助長した、という指摘もあてはまるかもしれない。

以上です。 --Eroro 2005年4月20日 (水) 16:13 (UTC)

Eroroさんからこのような提案をがでたことをまずは歓迎します。さて、本題に入りましょう。
  • 冒頭のお願いですが、これについては上にも書いたのですが、折田先生像に必ずセットになっているお願い文のパロディになっています。あったほうが記事がぐっと引き立つと思い、ネタバレの意味でノートにその説明を書いておきました。削除するのは惜しい気がしますが、元の像を知らない人にはパロディだと気づかれないので削除もしょうがないという気もします。
  • 「近所の住民にも怒る人として親しまれていた」については「知られていた」にしたところで事実かどうか確認できないでしょう。主語を省いて曖昧化するのも手だと思います。京都新聞あたりのデータベースを調べれば、もしかしたら「知られていた」とする根拠になるかもしれませんが。
  • 「製作者の一人に取材したところによれば」については書きこみの際に要約欄で「初期の製作者グループの内情を知る者」[7]とあります。大学内には誰かしら製作者がいたわけで、その関係者がWikipediaに書き込んだとしても不思議ではありません。
  • 考察について。「像にたいする落書きとそれを撤去して掃除する大学とのイタチゴッコが続いた」等と書けばいいのではないかと思います。器物破損罪や不法占拠罪というのは被害届がでて警察が捜査して起訴されてはじめてそう呼ばれるものです。被害届がでていないものを「それは犯罪だ」と記事で指摘するのは新聞などの役目であって百科事典の役目ではありません。
  • 「仮定の話ではあるが~」の段落と「『折田先生像』は」の段落はEroroさんの考察であって、個人サイトでお願いします。それから一応指摘しておくと折田先生像以外の像にもいたずらはありました(私も一回見ました)。しかしながら、二番煎じは評価されません。--Habu 2005年4月21日 (木) 13:06 (UTC)
  • 「仮定の話~」についてはご指摘のとおりかも。
  • 親告罪といっても、刑法に定める要件に当てはまれば罪ではあります。ただ、被害者が訴えないから捕まらない、というだけの話で。大学が訴えた場合、捕まる可能性は残っている訳ですから、少なくとも時効が成立するまでは、ビクビクして暮らすことになりますね。
    --Eroro 2005年4月21日 (木) 14:18 (UTC)
  • 「初期の製作者グループの内情を知る者」ことRabbitson氏は、この書き込み1回しかされてないようなので、捨てハンと思われます。後ろめたい気持ちがあったのか、出身校を公表することになりそうなので避けたのか、は断定できません? --Eroro 2005年4月23日 (土) 17:56 (UTC)

勝手ながら「お願い」の一文ははずしました。個人的にはこういう冗談はすきなのですが、百科事典の項目としては不適切であり、事実の伝達などには資さないとも考えました。百科事典の項目というのは、折田先生像のパフォーマンスがそうであるような、狭義の表現活動には適さないものと考えます。Habuさんにはご不満がおありかもしれませんが、これをみてこうした冗談を項目としてすることが許容されているという誤解を読者に与えることは好ましくないと考えました。「お願い」は4月1日だけふっとわくくらいが適切なところではないでしょうか。--Aphaea* 2005年4月21日 (木) 14:37 (UTC)

私も冒頭のお願いは惜しいと思いますがね、さすがに悪ノリが過ぎるとも思うので外すのも仕方ありません。像に対する落書きの道義的なあるいは法的な問題については、上で私も案を出していますが、こういうのはどうでしょう。--Charon 2005年4月21日 (木) 14:42 (UTC)

議論が停滞しているようですが、もうこれ以上話すことはないということでしょうか?京都大学の項の保護が長引きすぎているので(それも私の目から見れば些細なことで)、できればそろそろ何らかの結論を出して解除していただきたいのですが・・・。211.9.41.119 2005年5月1日 (日) 23:29 (UTC)

連休を取ってました。どういう収束がよいのかわかりませんが、議論は大体出たような気がするので、異論のなさそうな部分を書き直させていただき、その後は通常の編集に戻ってはどうかと思います。 --Eroro 2005年5月9日 (月) 11:36 (UTC)
書き直してみましたが、後は通常の編集でお願いします。意見があればまたノートでご指摘ください。 --Eroro 2005年5月11日 (水) 14:39 (UTC)
編集ありがとうございます。言いたいことを言い切って、ちょっと様子見していて長引いてしまいました。議論の落としどころとして、妥当なのではないかと思います。--Habu 2005年5月12日 (木) 17:51 (UTC)