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ノート:形天

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記事名について

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どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがないので刑天に改名すべきだと思います。--Greif会話2020年4月7日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

反対
>どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがない
嘘です 平凡社中国古典文学大系「山海経」は「形天」です。底本の郝懿行「山海経笺疏」も当然「形天」です ネットで拾った限りだと欽定四庫全書本も四部叢刊初編本も正統道蔵本も摛藻堂四庫全書薈要本も古今逸史本も龍溪精舍叢書本も「山海経」は全て「形天」なのです『山海経』の記事ですよね もともとどうだったかはもはや分かりませんが今のテキストだと「形天」が妥当です 「どの書籍でも」って例えばどの書籍ですか? 誤情報にもとずいた改名は認めたくありません--210.224.49.18 2020年4月9日 (木) 00:30 (UTC)[返信]
コメント 勘違いさせてしまったようですが、「形天」表記が存在しないと言っているわけではありません。勿論確かに「形天」という表記は存在するでしょうけど、この場合重要なのはどちらが現在一般的かということです。「『山海経』の記事ですよね」とおっしゃいますが、この記事は刑天について述べた記事であり山海経の記事ではありません。記事のタイトルが刑天でもこの記事は成立します。文献によって表記が違うなんてのはよくあることで、引用、参考にしている文献での表記と記事名が違うなんてよくあることでしょう。例えばすう虞は山海経だと騶吾ですが記事名は「すう虞」になってます。刑天も記事内で様々な表記が紹介されてますが、現在最も一般的な表記は中国語版記事名にもなっている「刑天」でしょう。私がどの書籍でもといったのは中国神話関連や妖怪図鑑の類ですね。新紀元社の『幻想世界の住人たちⅢ』、『幻想動物事典』や東京堂出版の『水木しげるの中国妖怪事典』等です。山海経の様な原典ではありませんが刑天表記が人口に膾炙していることは理解できると思います。--Greif会話2020年4月9日 (木) 17:24 (UTC)[返信]
改名しました。--Greif会話2020年4月15日 (水) 13:18 (UTC)[返信]
コメント いやいや改名されましても・・・まだ終わてないのでさしもどします. ページ名ももどしてください.
>刑天について述べた記事であり山海経の記事ではありません。記事のタイトルが刑天でもこの記事は成立します
その通りでした,山海経の記事でねは山海経に登場する人物の記事ですね?て確認の意味で山海経で表記されているかが大事なのではないでか?という意味した.
>文献によって表記が違うなんてのはよくあることで(中略)例えばすう虞は山海経だと騶吾です
形天の出てくる他の文献てありますか? 路史に出てくるようですがそこでは「邢夭」だそうです. 「形」でも「刑」でもない上に「天」ですらないそうです. それ以外だと我は見ませんが出てくるとしてそこで表記はどうなていますか? 出てこないなら山海経に出てくる「形天」で良いではないか? あと騶虞は山海経の騶吾がそれではないかてだけですね.
以下は意地悪な指摘ですがおゆるしをください
>現在最も一般的な表記は中国語版記事名にもなっている「刑天」でしょう
は一般の定義が曖昧です.
  1. 形天なり刑天を何人が知ていますか?(広義)
  2. 次に,1の中で刑天と表記する人は何人いますか?(中義)
  3. 最後に,2の中で『幻想世界の住人たちⅢ』や『幻想動物事典』や『水木しげるの中国妖怪事典』を目にした人は何人いますか? (狭義)
  4. そもそも人口の何割以上が「最も一般的」なのですか?(最広義)
がデータは示されませんから広義から狭義まで「最も一般的」な基準かわかりません.特に3の人はたまたま目に触れたから深く調べないまま乗かりましたな人ではないですか? そしてその事典は信頼に足りますか? 御器齧を誤植した図鑑ほど影響力ありますか? ちなみに我はテキストにおける「最も一般的」を示しました. 刊本ですが四庫全書や四部叢刊や道蔵といた主要テキストや邦訳の中国古典文学大系が採用しているは一般的ではないか? 主要テキストでの一般をさしおいて「最も一般的な表記」と豪語できますか? 主要テキストをさしおく理由になりますか? ちなみに中国古典文学大系で高馬三良氏は小川琢治氏が南葵文庫本を諸本中最良のものとしている言ってます. 国会図書館のデジコレで蔵書目録をみますが,刊年不明本と光緒3年本とがあってどちらかわかりません,そもそも我に目にする手段がありません.手段あれば調べてください.お願いします.
それから中文版記事は,中文版は間違いなく五毛党の手が入ってます(邪推),連中を信じるですか? 連中の表記が主要テキストと違っているなら連中の方こそ疑うべけれではないですか? (暴論)
最後に,百歩譲て興味もない人も含めた一般性を重要度するなら同じ理由でたとえばアポローンはアポロンに, アテーナーはアテナに,ポセイドーンは「ポセ~イドンは海をゆけー♪」て水木氏も歌ていますからポセ~イドンにすべしではないですか? そちらは良いですか?
参考に諸橋大漢和も調べましたが両方乗っていましたが「形天」は絵入りなので我の目が曇っているせいで「形天」押しのように見ます.学術論文も調べますがサイニーはひっかかりません. さらに国会デジコレで検索しました. 「形天」で1武井満幹「陶淵明「読山海経」詩について」(広大「中国中世文学研究」),2先坊幸子「六朝「再生説話」の研究」(広大「中国中世文学研究」),3松岡正子「形天--『山海經』における「尸」と「舞」について」(早大「中国詩文論叢」)の3件がヒット, 「刑天」だと①袁珂「中国古代神話.上」(みすずぶっくす),②郝懿行「模糊集」(生活社),③1の武井論文の3件ヒットでした.
1は陶淵明の二次創作が対象で詩文引用では「形天」,逆に形天に言及した地の文では「刑天」
2は山海経引用で「形天」, 地の文でも「形天」
3は我の環境では見れませんが論文タイトルから形天押し?
①と②も見れませんでしたが,①は袁氏は刑天押しなのでバイアス表記といえませんか? ②は郝氏《山海経笺疏》からみて改竄されている?と邪推します.
でした. なんともいえません.それはそれとしてまとめると, 山海経そのものに出てくる「形天」で妥当なのではないですか?--210.224.49.18 2020年4月15日 (水) 23:40 (UTC)[返信]
コメント 一週間近くも返答せずに議論を放置したのはあなたでしょう。議論を途中で放棄する人はよくいるので議論終了したと見做しました。刑天の出てくる文献なら他にもありますよ。記事の中でも脚注でいくつか挙げられていて、その中でも『玄中記』では刑天の表記だと書いてありますし、『淮南子』でも「刑天」です。あなたが挙げた四庫全書、四部叢刊、道蔵、邦訳の中国古典文学大系は皆一番初めにあなたが言った通り全て同じ山海経の記述が載っているだけでしょう。しかもあなたが調べた国会デジコレの論文も1の武井満幹「陶淵明「読山海経」詩について」(広大「中国中世文学研究」)が地の文では「刑天」なら「刑天」表記の方が多数派ということではないですか。何がバイアス表記だの「改竄されている?と邪推します」ですか、自分の意見に反するものを勝手にバイアス呼ばわりしたり邪推したりしないで下さい。
それに、中国語版記事に五毛党の手が入っているとはどういうことですか?政治関連の記事ですらないのに何故五毛党の手が入っていると言えるんですか?ここはあなたの邪推や暴論を述べる場ではありません。そもそも自分で邪推や暴論だと解っていながら書き込むのが理解不能です。真面目に議論して下さい。
ギリシア神話関連の記事名はプロジェクト:ギリシア神話において「長母音を表記する」と規定されているためこれでよいのです。「ポセ~イドンは海をゆけー♪」は曲の中でそう発音されているだけでバビル2世の中で「ポセ~イドン」という名前で呼ばれているわけですらないでしょう。
「我の目が曇てるせいで「形天」押しのように見えいます」ってどういうことですか?意味不明です。両方載っているなら形天推しではないでしょう。
あなたの意見から「形天」の記事名が妥当とは言えないと思います。--Greif会話2020年4月16日 (木) 17:16 (UTC)[返信]
コメント そうやってダンマリを決め込むならまた議論放棄と見做しますがよろしいですか?議論停止から1ヶ月経過で議論終了と規定されているのでそれまでには改名させて頂きます。もう記事名戻しませんからね。--Greif会話2020年4月22日 (水) 12:23 (UTC)[返信]
取り戻しありがとう. 言い忘れでごめんなさいだが, 言い訳めきますが, 我は基本週に1回くらいしか触れらない人もいる. コロナ禍で休業するかもしれませんで使えなくなるかもしらないから次はいつになるか不安です. できるだけ努力しますだからじっくりとかまえてお願いします. 次は議論放棄してるの?改名する?と確認ください. 我が悪いでその点はとかく言いませんが, 言っているけど.
>刑天の出てくる文献なら他にもありますよ。記事の中でも脚注でいくつか挙げられていて、その中でも『玄中記』では刑天の表記だと書いてあります
それ微妙です, 玄中記は郭璞の書いたとも言われていますなのでそれだと山海経から拾った可能性も多いです. それから太平御覧に”(山海経)又曰,~元中記又載”とあって魯迅はこれは元中記の逸文と認めましたが, これは元中記にも載ってるよて言っているだけで元中記の原文かわかりませんしどう活躍してるか内容もわかりません. それから刑天の表記は説明が足りず正しいと言いません. 正しく言えば魯迅が見た御覧(鮑崇城校光緒18年重刊本?)に「刑天」とあっただけなようで鈎沈は本人が必要な校正できずと言って未定稿で終わったそうです(これ[1]読んで), その下に四部叢刊三編御覧には「邢天」とあると書いてます, なのでネットで調べましたが鮑氏校本は魯迅が見たと同じかわかりませんが四部叢刊本は三編本とあるは多分同じだろ, 確かに「刑天」と「邢天」とありました. だが箋疏見ると郝氏は見た御覧だと「形天」とあったそうだ. つまりだからこの場合は御覧が本によって形天と刑天と邢天と3種類あったことほぼわかるだけで決して玄中記, 正しくは御覧の山海経に「刑天」とあるまでは口が裂けても断言できないです.
>『淮南子』でも「刑天」です
マジですか? 検証してみますからどこ訓に出てくるかくやしく教えてください. このご時世でも淮南子ならネットで見ますから検証します. もしも思うが地形訓の「形残之尸」だったらがっかりします.
>国会デジコレの論文も1の武井満幹(中略)が地の文では「刑天」なら「刑天」表記の方が多数派ということではないですか
我も見れたのだから見れますか国会デジコレ? たまたまヒットしたから紹介しだが, 「形天」も「刑天」も武井論文で出てくるはそれぞれほんの1か所だけ(厳密だと「形天」×2「刑天」×1). それより読山海経詩が主題だからはあれ読んで「刑天」表記の方が多数派は言いすぎ.
後に続く部分には我の非が大なので2か所を除いて触れませんが.気になった1か所は「ギリシア神話関連の記事名はプロジェクト:ギリシア神話において「長母音を表記する」と規定されているためこれでよいのです」どうして「最も一般的」に反して長母音的表記が「これでよい」か? あなたは「「最も一般的」にこだわるのね. だったら多いに問題すべき. 2か所目は「何がバイアス表記だの「改竄されている?と邪推します」ですか」の部分. だからだよ, 袁氏は「刑天」はふさわしいと主張してる. 自説に則ったわけだからそこは当然だけどテキストは「形天」なのだから客観的に見たら自説のごり押して言われておかしくない, それをバイアスと言ったよ? それと郝氏は箋疏では「形天」なの(先日も言ったけど見た?) だから「形天」だったのを邦訳に当たてって「刑天」にしたかもと思ったの. でも我はその本見てないから何を書いているか中身もわからないから邪推て言ったよ.
追加資料が明治書院から出た中国古典小説選の山海経に形天の部分が載ってて「形天」だったわ.コロのせいでじっくり見なかったで底本が何かまで見なかったですが. コロナ禍が収まったら全釈漢文大系も見てみるがテキストは一般に「形天」でないか?
ところが根本的で最重要はあなたは「刑天」が最も一般的と豪語しながらその証拠となる客観的データをまるで出していません. 我はテキストでは「形天」が一般的だと客観的データを示して反証を試みました. ことの本質は「一番初めにあなた(つまり我)が言った通り全て同じ山海経の記述が載っているだけでしょう」で. だってそうだろ. 我は山海経の登場人物だから山海経そのものに出てくる「形天」で妥当と主張します. ところがシメは「あなた(つまり我)の意見から「形天」の記事名が妥当とは言えないと思います」はどうしてそうなる? 我の意見の山海経そのものの表記重要が妥当と見えない理由は何ぞ? ひとつ言えるところは山海経に古本も善本もない点だ, だが本来のテキストは誰も知らないよ, だから今あるテキストで我慢だ.
ところがお互いに罵りあっても無毛なので2点に絞って議論進めましょう. 我は
1すべての形天は山海経に通ずと思っていてそれなら山海経の「形天」で良いでないか
そして山海経以外に登場するかです. 淮南子に出てくるなら我は50歩くらい後退してします. どこに出るか教えて. あなたは
2「刑天」が最も一般的とします
そして一般的は統計データが不足してるで. テキストと違う「刑天」に何人が支持しているかの提出がないから一般的か言えません, 統計出せなければ1000歩くらい後退と思います.
そしてこれは謝りですが『幻想世界の住人たちⅢ』や『幻想動物事典』や『水木しげるの中国妖怪事典』はこのご時世で見てません. ごめんなさい. [2][3][4]で良いですか? コロナ禍が納まったら見ます. だからあなたもネットで見れる分は文献には当たってみて議論しよう, お願いだからお願いします. --210.224.49.18 2020年4月23日 (木) 01:01 (UTC)[返信]
コメント Wikipediaの記事名の付け方についてWikipedia:記事名の付け方に「認知度が高い」「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とあります。つまり古典のテキストや最古の記述がどうだったかではなく、今日どの表記が最も一般的かが重要だと思います。だから中国語版記事において「原名形天」と冒頭に書きながらも記事名は「刑天」なんですよ。これが日本語版記事名がおかしいと決定的に感じた理由の一つです(一般向け書籍で皆刑天なのもそうですが)。中国語版記事名についてはどう思われますか?例え刑天の文献上の初出が山海経で、そこでの表記が「形天」でもWikipedia記事名として相応しくないわけです。よって「1すべての形天は山海経に通ずと思っていてそれなら山海経の「形天」で良いでないか」というのは通りません。中国語版記事によると元は形天だったが陶淵明が「刑天」と改めこれが定着したとあります。それ以降本場中国でも刑天表記が一般化したということでしょう。
『淮南子』についてなんですが、ネットで「《淮南子》中刑天也叫天殘之屍」というのを拾ったので淮南子もこの表記かと思ったのですが、淮南子は陶淵明より前の時代の文献なのでどうやら勘違いだったようです。失礼しました。
ギリシア神話の記事名につてはWikipedia:記事名の付け方にある「最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」よりプロジェクト:ギリシア神話の方針が優先されるためこちらに従っているだけです。別に「「最も一般的」にこだわる」のではなくWikipediaのルールに従っているだけなので何も矛盾はありません。あなたの言うバイアス表記に関してはテキストでは「形天」でも「袁氏は「刑天」はふさわしいと主張してる」ならここの記事名を「刑天」とするのが相応しいとする根拠の一つになります。原典ではどうなってるかが問題ではありません。国会デジコレの武井論文にも同じことが言えます。私とあなたで大分論点がずれていたんだと思います。
「統計データが不足してるで. テキストと違う「刑天」に何人が支持しているかの提出しないから一般的か言えません」についてはそちらも同じでしょう。原典の山海経で形天と載っていてもそれをどれだけの人が支持しているんですか?統計データが無いのはそちらも同じでしょう。現在、「刑天」表記が支持されているから中国語版記事名は「刑天」なんじゃないんですか?『幻想世界の住人たちⅢ』や『幻想動物事典』や『水木しげるの中国妖怪事典』についてはそれであってます。ただし、『幻想世界の住人たちⅢ』については私が持ってるのはその文庫版ではなく1989年に出た[5]こっちの方ですね。正確な統計データはさすがに出せないので探せる限りの資料を当たってみるだけになりますが、日本語の文献については他にも色々こちらで探してみます。それで結論が出ると思います。--Greif会話2020年4月23日 (木) 16:59 (UTC)[返信]
コメント 公立図書館から『中国神話・伝説大事典』(袁珂著、大修館書店刊)という書籍を送って頂いたんですが、そこに「「刑天」はもともと「形夭(けいよう)」と書き表していたが、意味からみると「形夭」はふさわしくない。「形天」とは断首の意味にほかならない。」とあり、事典の項目名も「刑天」になっています。あなたは袁珂の表記をバイアス表記だと勝手にレッテル貼りして否定していますが、この本でも陶淵明が「刑天」と表記したことに触れていますし、やはり中国語記事からみても陶淵明以降「刑天」の表記が定着したということではないでしょうか?例えば中国泰山の神も本来は「泰山府君」と呼ばれていたのが後代に「東嶽大帝」の神号が付いて定着したので中国語版wikiの記事名もそちらになっていますし、古ギリシア語で本来はグリュプス、スピンクス(エジプトではシェセプ・アンク)と呼ばれていてもwikipediaの記事名は現在一般的なグリフォンスフィンクスです(どちらもギリシア神話固有の存在ではないのでプロジェクト:ギリシア神話の規定からは外れています)。ならばこの記事名も「刑天」が妥当ではないでしょうか?
それと、ネットで見られない文献は私みたいに近くの図書館問い合わせてに送ってもらうなりして読んで下さい(図書館に無かったら他の図書館から取り寄せてくれるよう依頼することも出来ます)。上にネット通販サイトのリンクもあるのでそこで購入するのもいいですね。このご時世だからは言い訳になりませんよ。--Greif会話2020年4月27日 (月) 19:28 (UTC)[返信]
コメント わずらしいでしょうが逐条的に反論試みます.
>「認知度が高い」「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とあります(略) 今日どの表記が最も一般的かが重要だと思います
>ギリシア神話の記事名につてはWikipedia:記事名の付け方にある「最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」よりプロジェクト:ギリシア神話の方針が優先されるためこちらに従っているだけです。別に「「最も一般的」にこだわる」のではなくWikipediaのルールに従っているだけなので何も矛盾はありません
Wikipediaのルールに矛盾はなかろがあなた自身の方針に矛盾ありまくりでおかしいと気づきます? あなたは「今日どの表記が最も一般的かが重要」と言っているは「「最も一般的」にこだわる」なのでない? ダボルスタンダードな意見は信用できません. ところが「今日どの表記が最も一般的か」なにかより優先あるを認めているだから「今日どの表記が最も一般的か」の論点を自分で無効化してます. つまり論点ではないとなるが良いです?
>古典のテキストや最古の記述がどうだったかではなく(略)だから中国語版記事において「原名形天」と冒頭に書きながらも記事名は「刑天」なんですよ。これが日本語版記事名がおかしいと決定的に感じた理由の一つです(一般向け書籍で皆刑天なのもそうですが)
「日本語版記事名がおかしいと決定的に感じた」だったならプロジェクト:ギリシア神話の方針も決定的におかしいとならないか? 「古典のテキストや最古の記述がどうだったかではなく」なら長母音表記がどうだったかもないわ. そしてその論法でいくなら我は中文版記事名がどうだったかではなくだからテキストにおいて形天だから記事名は形天なんですよと言う. 「原名形天」は原名は昔の名前という意味? それより本来の名前という意味? よくわからない. 昔の名前なら形天がいつ改名届けを出した? 彼の所属事務所が芸名を改めますとでも広報した? 我は知らないだから改名した言うソースを求めます. 本来の名前なら本来の名前が記事名で良いでは? そして「一般向け書籍で皆刑天」は事実? あなたは昔「どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがない」と言う, 「『玄中記』では刑天の表記だと書いてありますし(御覧見る限り書いてるは邢天)、『淮南子』でも「刑天」です(淮南子には出ない)」と言った. また盛ってませんか? 中国古典文学大系も一般向けと思いますが(平凡社ライブラリー版もある).
>中国語版記事によると元は形天だったが陶淵明が「刑天」と改めこれが定着したとあります
>この本でも陶淵明が「刑天」と表記したことに触れていますし、やはり中国語記事からみても陶淵明以降「刑天」の表記が定着したということではないでしょうか?
中文版見ましたが陶淵明が「刑天」と改めたはありますが怪しいし定着したまでは書いてないです. ところが”根据《太平御览》引用《陶靖节集读山海经诗》”はよくわかりませぬ. そして”刑天”意为“形体夭残”も刑も天もどこから来たか意味わからない. ところが陶潜は絶対に改めたはない, 改めたは曽纮だから. そして陶潜の詩に刑天と形夭の2種類テキストがあったようでことはわかるが出典が御覧はおかしい(検索したが御覧には読山海経はヒットしない), ところが陶靖節集を見たら曽氏が見た読山海経に形夭とあったそうだそれを山海経を取り寄せて刑天に直したとある, これだと曽氏が見た読山海経は形夭だったで陶潜は改名はないわ, 改名していたら曽氏は刑天を見たはずだ. つまり「陶淵明が「刑天」と表記した」事実は確認できぬし「陶淵明以降(曽氏以前に)「刑天」の表記が定着した」事実も確認できぬはずですわ. 中文版もその後の文は曽氏は刑天は正しいとした, ところが周必大は形夭は正しいを反駁した,ところが2説できた, ところが陶澍や魯迅や郭沫若が曽氏を正しいとして使ったとあるのみで定着とは言ってない. その部分も出典を見るは向良と言う人のどうも個人ブログぽい?し, そこでは郭氏は逆に周氏の形夭を支持してると書いてて結論は刑天か形夭かわからないし決着もついてないと結論してる. だから出典が出典になってないレベルだし, 記事の内容も怪しい上に出典の内容が正確かわからないレベルだし出展のやりなおしが必要レベル. 我は常に教官からWikipediaは信用するな言われているがこの中文版は輪をかけた信用ないレベル, だからあなたも中文版記事を「おかしいと決定的に感じた」なさいでは? その記事名を「おかしい」と思うのでないか? ちなみにお互いに見た中文版が違うかもしれないだから我は最新版だが. ちなみに曽氏が正しいとなら曽氏の見た山海経に刑天とあって読山海経の方に形夭とあっただけでどちらが正しいか未決着なるし(曽氏が刑天押しなだけ), 周氏が正しいとなら陶潜は形天の詩を作っていないになるから形天も刑天も無関係だ. ちなみに淮南子で思いついたが箋疏で郝氏は天と残は通音だと言ってます. だったら郝氏は形天は形残と言っていますと同じと邪推できします. ところがそれより淮南子の時代は天と残は違うだけど形は形だったと考えます. あなたは本来の表記はどうでもいいと立場ですからどうでもいいだろけど.
>「袁氏は「刑天」はふさわしいと主張してる」ならここの記事名を「刑天」とするのが相応しいとする根拠の一つになります
>あなたは袁珂の表記をバイアス表記だと勝手にレッテル貼りして否定していますが
いやいや全然根拠なりませんことわかりませんか? 袁氏がふさわしいと”主張してるだけ”なですから. 事実としては形天, 刑天, 邢天, 形夭, 刑夭, 邢夭と複数候補がある事実しか残ります. 曽氏や陶澍や魯迅を出しても同じだ. 複数の表現があってだれだれがどれどれ押しだったら「原典ではどうなってるかが問題ではありません」でなくいやいや「原典ではどうなってるか」を問題でしょう?決着はついてないわけだから. そして誰も認めないをえないテキストを取るは良い思う. だから中文版記事名は偏った意見に偏ったと断罪です, 上で言ったよおにレベルもおかしが.
>原典の山海経で形天と載っていてもそれをどれだけの人が支持しているんですか?統計データが無いのはそちらも同じでしょう
いやいや興味あるなら山海経読むだろ普通? 読まないなら読め言うだろ普通? だから形天と刑天と違たら信頼できるテキストを手にするだろ普通? だから支持しない人も形天しか目にしないだろ普通? 統計データはないが必然的は想定できないか? 興味あってテキストに当たる人が目にするは形天しかないです. 「一般向け書籍」を目にして満足しないくてWikipediaで調べて形天かとなれば良いでない?
>現在、「刑天」表記が支持されているから中国語版記事名は「刑天」なんじゃないんですか?
中文版の事情知らないです, 中文版ではそうなのだとしか言えないです. 支持されているかはそれこそアンケートでもとった?だしどれだけ支持あってもテキストがそうなんだらそれこそ関係ないわです. ところがあのひどい状態放置みたら支持どころかだれ一人見向いてない危険性もあるでは? 「日本語版記事名がおかしいと決定的に感じた」はかまわない, 我もおかしいと思ったわ. 疑問持つは大事ですね. ところがどおしてテキストに当たらないですか? 我はテキストに当たって理解よ. あなたもテキストに当たって中文版記事名の方を決定的におかしいと感じるべきでないか?
>ネット通販サイトのリンクもあるのでそこで購入するのもいいですね。このご時世だからは言い訳になりませんよ
我の近所的図書館はロックダウン中だから取り寄せも受け付けない, 立ち入りもできないです. そしてごめんなさいですが購入してまで目通そう本とは思いえません.
ところが冒頭に戻るますがあなたは「認知度が高い」は大事と言います. ところが認知度は信頼できる情報源において最も一般的に使われておが大事とある. ところが”信頼できる情報源”見たが、事実確認や正確さに定評のある情報源に基づくべきとある. 我は中国古典文学大系本や四部叢刊初編本を上げた, あなたは「一般向け書籍」を上げる. どちらが事実確認や正確さに定評のあると言いますか? 我は今の信頼できるテキストを重視する. ところがあなたは一般的な利用者の関心を重視を言います. ところがこれは断言しるが一般的な利用者にとって形天だろが刑天だろがどちらでも良いわ. テキストにこだわってこのままで良いのでは言う我も「一般向け書籍」?にこだわって刑天にしろ言うあなたもどちらもむしろ編集者の関心だ. 再び断言しるが読者の関心重視ならどちらでも良いにつきる思う. あえてなら記事名は形天なのだ, ところがテキストも形天なのだ, ところが刑天と書く人もいるだがわかればそれで良いでは?
ところでわかる限りで事実のみを時系列まとめみたから参考になれば良いな.
  • 『山海経』できる – ケイ字がどうだったか不明, ケイ天が登場するかも不明
  • 『淮南子』できる - 形残(之尸)登場
  • 郭璞, 『山海経』注釈する - ケイ天登場が確認される. 表記不明
  • 郭璞, 『玄中記』書く? – 作中にケイ天登場, 「刑天」と「邢天」と本で少なくとも2種表記あるらしいが確認できるが原文ではないから厳密にわからない
  • 陶潜「読山海経」作る - 詩中に「形夭」の詩句. ケイ天を題材にしたかわかってない
  • 顔師古「等慈寺碑」書く – 「念刑夭之魂」とある. ケイ天のことか未調査, ケイ天ならば多分最古の確かな表記. だったらケイは刑, 天は夭になる?
  • 『太平御覧』できる - 郭璞注『山海経』と『玄中記』引用. 「形天」「刑天」「刑夭」「邢天」と各種表記
  • 『路史』できる - 「邢夭」登場(四庫全書本)
  • 曽紘,「読山海経」と『山海経』見る - 「読山海経」に「形夭」,『山海経』に「刑天」とあったらしい. 形夭は『山海経』のケイ天でしかも「刑天」が正しいと断定
  • 周必大『二老堂詩話』 - 曽氏説否定, 陶潜詩はケイ天を題材にしていない「形夭」で正しい主張(未確認)
  • 道蔵できる - 『山海経』収録, ケイ天は「形天」
  • 欽定四庫全書できる - 『山海経』収録, ケイ天は「形天」
  • 郝懿行『山海経笺疏』書く - ケイ天は「形天」
  • 四部叢刊できる - 『山海経』収録, ケイ天は「形天」
  • 魯迅『且介亭雑文二集』書く - 曽氏「刑天」説支持(未確認)
  • 郭沫若『読詩劄記四則』書く - 周氏「形夭」説(陶潜詩はケイ天を題材にしていない)支持(未確認)
  • 袁珂登場 - 「刑天」を主張
  • あなた「一般向け書籍で皆刑天」報告 - 一般向けの定義あやふやで統計データが添付されてないで真偽不明
こんなところですか. これ見ただけだと「刑天」確定も定着もは言えませんように思うわ.
今日は何とか時間できますが個人的事情ですがこのご時世で我的に返事が早くなるかわからないから申し訳なくですが次は間が空くでしょう.来週むりです. そのつぎ週も難儀です. それまで図書館的ロックダウン解除すると良いね. それではこのご時世くれぐれもご自愛願います. --210.224.49.18 2020年4月30日 (木) 01:37 (UTC)[返信]
コメント >Wikipediaのルールに矛盾はなかろがあなた自身の方針に矛盾ありまくりだおかしいが気づきます?
私の方針に何も矛盾はありませんよ。ダブルスタンダードではありません。中国神話にはプロジェクト:ギリシア神話の様な方針が無いので「今日どの表記が最も一般的かが重要」になるんですよ。私はプロジェクト:ギリシア神話の方針に異を唱えるつもりはありません。それだけです。貴方が矛盾していると感じても私はそう感じません。「我は常に教官からWikipediaは信用するな言われている」のにwikipediaに深く関わっている貴方も余程矛盾していますしね。
>「陶淵明が「刑天」と表記した」事実は確認できぬし
『中国神話・伝説大事典』には「陶潜〔三六五-四二七〕は「山海経を読む十三首 其の十」で「刑天は干と戚とを舞わして、猛志は故(もと)より常に在り」〔刑天は殺されてからも盾と斧を手にして舞い続ける。激しい意思はいついつまでも消え失せぬ〕と詠じ、まさに「刑天」を採っている。」とありますよ?それに、「陶澍や魯迅や郭沫若が曽氏を正しいとして使ったとある」ならそれが一般に普及して定着したのは容易に想像出来るのでは?私は中文版記事名が偏っているとは思えません。
>いやいや興味あるなら山海経読むだろ普通? 読まないなら読め言うだろ普通? だから形天と刑天と違たら信頼できるテキストを手にするだろ普通? だから支持しない人も形天しか目にしないだろ普通? 統計データだないが必然的は想定できないでか?
そんなことありませんよ。それは貴方の思い込みです。余程の専門家でもない限り原典系資料なんか手にしません。普通の人は一般向け書籍を読むかそれこそwikipedia読んで終わりです。そんなもんです。中国古典文学大系本や四部叢刊初編本なんてどれだけの人が読むんですか?私の挙げた水木しげるの本の方がよっぽど読まれているでしょう。
>我の近所的図書館はロックダウン中だから取り寄せも受け付けない, 立ち入りもできないです
最寄りの図書館でやってないなら別のどこか遠くの図書館にネットなり電話で申し込めば届けてくれますよ。そういうことを受け付けている場所を探して下さい。
>これは断言しるが一般的な利用者にとって形天だろが刑天だろがどちらでも良いわ
私はそうは思いません。一般向け書籍どころかかなり専門的な書籍でも「刑天」なのにwikipediaの記事名だけ「形天」なのに違和感を持ちます。中国語版記事どころかそれ以外の言語版でも中国語版に倣って「刑天」なのに日本語版だけ「形天」ですからね。ギリシア神話の長音表記なら一般向け書籍で表記しているものも結構ありますし然程違和感無いんですけどね。--Greif会話2020年4月30日 (木) 17:50 (UTC)[返信]
コメント 我的事情で議論中断申しわけありませんでした. IDが違っているかですが上のIDの人です。ところが本題にいる前に2つ言います.
> 『中国神話・伝説大事典』には「陶潜(中略)まさに「刑天」を採っている。」とありますよ?それに、「陶澍や魯迅や郭沫若が曽氏を正しいとして使ったとある」ならそれが一般に普及して定着したのは容易に想像出来るのでは?
陶潜が「刑天」を採ったならなぜ2種の解釈が発生しますか? (2説あるは中文版に書いている) 理解してもらえなかったようで繰り返すますが曽氏が見ました読山海経には「形夭」とあったのだ. ところが袁氏は別説あるを言わないは公平ではないくない? 反証のあなたは2説あるをちきんと説明しよう. そして中文版に「郭沫若が曽氏を正しいとして使ったとある」は出典見ると郭氏は逆に違う言ってるらしいと指摘したが(そしてだから中文版は信用できないと指摘した. ところが出典が正しいかは確認してないが) 確認もらえなかったですか? ところが一般に普及して定着したかどうかは容易に想像でなくデータで示そう.
>余程の専門家でもない限り原典系資料なんか手にしません。普通の人は一般向け書籍を読むかそれこそwikipedia読んで終わりです。
繰り返しだがそのような人は形天だろが刑天だろが問題なかろではないです? wikipedia読んで終わらないくせに”wikipediaの記事名だけ「形天」なのに違和感を持ちます”で原典系資料に当たろうしない人がいるならやれやれだ, そんな人いたらその一般向け書籍やかなり専門的な書籍だけで満足してろ, wikipediaも読んだけで終わってろ, あれこれ口出すなと叱りなさい. ところがその中にあれこれ口出そうしたら原典は調べるだろ? 余程の専門家でないからとか言って目を通そうしない人いたら, 甘えるな目を通せ, それで違和感が無くならなかったらそこではじめて口も出せと叱りつけなさい. ところが昔言った中国古典文学大系は訳本に過ぎないからどこまで行っても一般向けだ. ところが”かなり専門的な書籍”は『中国神話・伝説大事典』のことです? ところが袁氏は「刑天」を主張と昔何回も言ったんだ. 自説を主張は悪い意味でない. ところが客観から偏っていると言われてしかたないでないか?
いやいや, 少し待とう. 山海経に出てくるよて言われていきなり『幻想世界の住人たち』とか『幻想動物事典』とか見るか? 出てくるかわからないに? 山海経に出てくるよ言われたら山海経見るでない? 出てくるかわからない書籍よりさきに見るは山海経に出てくるよて言われたなら山海経的テキストでない? 忠告だが山海経に出てくるよて言われてるに”一般向け書籍どころかかなり専門的な書籍”は見るだけど山海経そのもの見ない人は相手にしないほうが良いです, 時間的無駄.
ところが本題は論点整理で論点を記事名の付け方にある”認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの”に論点を絞って信頼できる情報源はどれが良いかに絞りませか?
我が情報源とするは
  • 中国古典文学大系(今買えるはライブラリ版)
  • 中国古典小説選 (確認したところ高芝麻子・竹田晃訳で底本は袁氏《山海経校注》だそうだ)
  • 欽定四庫全書と四部叢刊初編と正統道蔵と摛藻堂四庫全書薈要と古今逸史と龍溪精舍叢書の《山海経》と郝氏《山海経笺疏》(ネットで確認)
あなた言う的” 原典系資料”です.(ロック解除後に前野直彬全釈漢文大系の確認予定)
対するあなたは
  • 篠田耕一『幻想世界の住人たちⅢ』
  • 草野巧『幻想動物事典』
  • 『水木しげるの中国妖怪事典』
  • 袁氏『中国神話・伝説大事典』
を信頼できるとするで良いですか? そしてどちらがより”信頼できる情報源―事実確認や正確さに定評のある情報源”とするか優劣を決めようで良いです?
ところが本日は幸で連絡できますたが, 努力しますが業界的つぎどうなるかわかりません. その間にあなた的公立図書館は幸に優れてて幸に取り寄せできるから古典文学大系や古典小説選は取り寄せて見てください? そして全釈漢文大系も. ところが我ところはもうすぐゆるむ思いますがまだ取り寄せできぬし十分資料当てられないままだからあなた的資料確認できませんから申し分けありません. それよりもあなたの方からくやしく情報開示願います, どういった内容だとかもっと. --61.45.203.245 2020年5月22日 (金) 01:28 (UTC) 下でID変わったで署名取り消し--210.224.49.18 2020年6月15日 (月) 00:09 (UTC)[返信]

コメント 外部より失礼します。プロジェクト:中国史関連で見に来ました(ケイ天は伝説上の存在ですが、それも含めて中国史なので)。HWTOFです。(個人的には)改名賛成です(∵後述2)が、それが正しいか確かめられていない(後述3)のと、そこが本旨ではないのでコメントにしておいて、本旨である疑問のみ述べさせて頂きます。

  1. まず、記事名についてのガイドラインとして、WP:COMMONNAMEがあります。ここで、様々な言語版(中文版、英語版など)を見ると、『刑天』となっています。「日本語における正式名称」のみが『形天』で、「他言語版の正式名称」は『刑天』なんでしょうか?現状、私にはどちらが正しいか分かりません。高次資料がないからです。
  2. 日本で一般に広く浸透している名称は『形天』なのでしょうか?検索エンジンで『形天』、『刑天』を検索すると、前者はWikipediaを除くとコトバンクと出典に利用可能とは思えないpixivしか出てきませんでした(他は空調など関係ないもの)。コトバンクでは山海経の記述が含まれますが、残るpixivでは「詳しくは『刑天』へ」です。コトバンクにも十分な記述があるとはいえず、単一の貧弱な出典に基づく名称ではないかと思いました。後者で検索すると、百度やプロメテウスブログさん(山海経などを訳されていらっしゃるブログ)などが出てきました。(特にブログは出典に用いてはいけませんが、)日本語でだけ『形天』が広く浸透しているという事はないように思われます。

3.お二方には失礼極まりないですが、今一度出典を明示して頂きたいです(読みにくいのもありますが、確認の為です。繰り返し挙げて下さっているので誤解を招きかねませんが)。

少なくとも検証できないので、現状ではどちらが正しいとも正しくないともいえません。Wikibooksでも出版済の本のページでも、検証可能(高次資料、出典として利用可能)ならば何でも構いません。但し山海経などを直接持ち出すと、それは一次資料なので、今回のような表記揺れなどについてはWikipedianは何も言えませんのでご注意をお願いします。

また、既に提示されているものの一部において、(学位を持つ)研究者・専門家による研究書・専門書のみですよね?また、出典として利用するには書籍名、著者、出版社、何ページ目か、が必要です。(Wikipedia:出典を明記するを参考)

長文になり、分かりにくい所もあるかと思うので一応。

  1. 「どの書籍でも」→書籍名は何ですか?
  2. 「○○も△△も」→何ページ目ですか?

これを、一次資料抜きで明記して頂きたいのです。そうすれば、『形天』と『刑天』のどちらが適切かが自明なものとなるでしょう。このご時世、図書館に頼るには限界がありますが、ご協力お願い申し上げます。HWTOF会話2020年5月22日 (金) 15:55 (UTC)[返信]

コメント コメントありがとうございます。まず、「日本語における正式名称」のみが『形天』で、「他言語版の正式名称」は『刑天』なんでしょうか?についてですが、文献によって表記が異なるのでどちらかが正式名称ということではないと思います。なので、どちらが記事名としてより適切かを議論しています。
次に、「日本で一般に広く浸透している名称は『形天』なのでしょうか?」についてですが、『形天』の表記を採用しているのは一次資料の山海経の原文を引用した書籍や論文ぐらいでそれ以外の中国神話の研究書籍等では皆『刑天』です。なので「一般に広く浸透している」とは思えません。
それと、研究者・専門家による研究書・専門書の出典は以下になります(上で挙げていてここに書いてないのは専門書ではないので割愛しました)。
  • 袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店、P170
  • 袁珂『中国の神話伝説(上)』青土社、P229
  • 篠田知和基・丸山顯德『世界神話伝説大事典』勉誠出版、P614
下の二つはここで初めて挙げますが、先日図書館で見つけました。『世界神話伝説大事典』は何ページ目に載っていたかまでは覚えてないので今度また確認してきます(館内閲覧のみの書籍でしたので)。--Greif会話2020年5月22日 (金) 17:34 (UTC)[返信]

コメント 賛成 Greifさん、2点に関する返答と出典の明示、ありがとうございます。出典元も2種以上あり、出典としての検証可能性も十分満たしていると思いますので、正式に『刑天』への改名に賛成したいと思います。 HWTOF会話2020年5月23日 (土) 05:10 (UTC)[返信]

コメント 『世界神話伝説大事典』のページを追加しました。--Greif会話2020年5月27日 (水) 12:43 (UTC)[返信]
コメント 長くおまたせしました. 我の言いがかりにお返答がないでしばらく待ちましたが, ”認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの”に絞って, この場合の”信頼できる情報源”は”事実確認や正確さに定評のある情報源”なのでそれに絞ってお互いの出典を上げましょうで良いですか?
その前に整理しましょう.
  • 形天は《山海経》に登場.
  • ”形”は”刑”と”邢”にも, ”天”は”夭”にも作る本もある.
  • 信頼性は知りませんが中文的ウィキソース《太平御覧》だと371巻人事部12と574巻楽部12に”形天”, 887巻妖異部3変化上に”刑天”, 496巻人事部137闘争に”刑夭”, 555巻礼儀部34葬送3に”邢天”とあります.
  • そして我は”形天”をGreifさんとHWTOFさんは”刑天”を押してます.
そして繰り返しですが”形天”が良い我的出展は少したして
*郭璞注《山海経》―欽定四庫全書本[6],四部叢刊本[7]( 元本は四庫全書と同じかもしれない), 道蔵本[8] ( 元本は四庫全書と同じかもしれない) ―郭璞が《山海経》を研究して注釈しただからwikipedia的二次資料と言えなくない. 言えないならせめて1.5次資料
  • 蒋応鎬絵図《山海経》の明治35 年和刻早稲田大学図書館本[9]―二次資料と言えなくないが1.6次ぐらい資料?
  • 郝懿行《山海経笺疏》[10][11][12]=二次資料
  • 高馬三良訳中国古典文学大系本《山海経》[13]―郝氏《笺疏》の本文の邦訳=二次資料
  • 前野直彬訳注全釈漢文大系本《山海経》―郝氏《笺疏》の本文邦訳と注釈=二次資料
  • 瀧本弘之編《中国歴史人物大図典神話・伝説編》―蒋氏《山海経》が底本=三次資料
  • 高芝麻子・竹田晃訳注中国古典小説選1《山海経》[14] ―袁珂《山海経校注》の本文邦訳と注釈=二次資料
ところが”刑天”が良いGreifさん的出典は
  • 篠田耕一《幻想世界の住人たちⅢ》[15]=三次資料
  • 草野巧《幻想動物事典》[16]=三次資料
  • 水木しげる《水木しげるの中国妖怪事典》[17]
  • 袁氏の本2冊―《中国の神話伝説(上)》[18]=二次資料と《中国神話・伝説大事典》[19]=三次資料
  • 篠田知和基・丸山顯德編《世界神話伝説大事典》[20]=三次資料
ところが《幻想世界の住人たち》と《幻想動物事典》見ましたが刑天部分しか見てないですが中身は間違ってないですがなにと言うか信頼できる情報源的残念すぎるな感想でこれ出典は残念なので取り下げましょう. 変わりに
  • 孟慶遠主編《中国文史詞典》中国青年出版社―邦訳は《中国歴史文化事典》[21]=三次資料
をお進めです. ところが水木氏中国妖怪事典は苦情です. 時間的制限でこれも刑天のぺージだけしか見たですが, なにですかこれ. 北京で目撃? 犬に足を噛まれた? 銃で射殺された? 我たちが話題にしている形天とも刑天とも別ものでないか. 水木しげるの本の方がよっぽど読まれている? どれだけ読まれてもぜんぜんお役立ちません. それなら《宇宙戦艦ヤマト》出展に[[大和 (戦艦)]]を[[ヤマト (戦艦)]]へ改名だレベルです. ところが違うページへ出てくるですか? ところがもしもこれを出典に改名しようと我をだましたですか? 改名ために都合良い資料を”よっぽど読まれている”とあおり付けて都合良く持ち出したなら厳重に抗議です. 我的時間返せです, 謝罪と賠償です. ところが賠償は言い過ぎでした. ところが謝罪はください.
ところがあなた的《世界神話伝説大事典》の富田美智江は袁氏説の紹介で《中国歴史文化事典》は袁氏《中国神話・伝説大事典》とだいたい同じでつまり袁氏説系なので我はテキスト系となので, 袁氏説系とテキスト系とどちらが認知度が高いくて信頼できる情報源かの勝負なります.
ところが提案です. 袁氏説とテキストとどちらが優劣わかりません. 《中国歴史文化事典》見ると訳者はイデオロギッシュじゃないかと少しだけ眉をひそめてますがこのあと我たちは学術的倫理感なんて持ってないでこのあと袁氏説に染められかもしれないので, テキストを書きかえて”刑天”を決定的に正しいとするかもしれない. だからこのあとの動きの動きを見る言うことで今の段階での改名は取り下げんませか? ところが水木本の謝罪だけはください.--210.224.49.18 2020年6月15日 (月) 00:09 (UTC)[返信]
コメント あなたが挙げた出典ですがどれも山海経の原文ないし訳が載ってるだけの一次資料ですよね?上で利用者:HWTOF会話 / 投稿記録 / 記録さんが一次資料抜きで明記して頂きたいと仰ってますがどれもその要件を満たしてませんよね?どれも二次資料ではないでしょう。瀧本弘之編『中国歴史人物大図典神話・伝説編』も「蒋氏《山海経》が底本」とあなたが書いた通り山海経の原典の図像と名前表記が載ってるだけですよね?それと『中国歴史文化事典』はページ数が書いてませんが本当に自分で読んで確認しましたか?
それと、『水木しげるの中国妖怪事典』についてですが、上で私は「研究者・専門家による研究書・専門書の出典は以下になります(上で挙げていてここに書いてないのは専門書ではないので割愛しました)」とはっきり書きましたよね?私が既に取り下げた書籍を今更勝手に読んでおいて謝罪しろとはどういうことですか?意味不明です。議論の流れをちゃんと読んで下さい。議論の焦点が周回遅れになってます。--Greif会話2020年6月15日 (月) 19:30 (UTC)[返信]
それに、その本に載ってる刑天は私達が今話題にしている刑天とは別物ではないですよ。載っている話は神話ではなく後代の伝承でしょう(北京の菜市口の刑場と言っているので清代でしょうか?)。一次出典が何かは分かりませんが、巻末に挙げられている参考文献のどれかに載っていると思われます。--Greif会話2020年6月16日 (火) 00:17 (UTC)[返信]
コメント
  1. お久しぶりです。顔を出さぬ間、「形天」表記の高次資料を探してみました。一応、参考書で『プレミアムカラー国語便覧』(数研出版社、足立直子・二宮美那子・本廣陽子・森田貴之監修、P398)には「形天」を見つけられました(コラムに補足としてでした)が、やはり殆ど山海経の翻訳といって良いもので、他の高次資料にもあたってみたのですが(そもそもケイ天についての記述も少ないためか)、「形天」の記述は見つけられませんでした。210.224.49.18さんの主張されていることの一部(「どの書籍でも『刑天』の表記で逆に『形天』という表記を見たことがない」は誤り)は裏付けられたと思いますが、私はGreifさんの出典で2種以上示されているため、これで十分だと考えます。
  2. また袁氏系・テキスト系の区分については存じ上げないのでよく分かりませんが、示されている出典の限りでは「単に認知度が高い」というのであれば「刑天」ということになりますし、「信頼できる(=高次資料かつ専門書)」というのであっても「刑天」となると考えます。そこで210.224.49.18さんには、数多くの出典や中文版Wikisourceの提示は有り難いのですが、書籍に関してはページの明記と、その資料が何次資料にあたるのかの再検討をお願いします。
  3. なお、和書での出典の書き方何次資料かについての情報源の分類一次資料を載せない理由あたりを参考にされると、この問題を解決できるかと思います。
  4. また(こちらは本旨ではありませんが)そもそもWikiは謝罪の場ではないという点と、こちらは提案ですが「『刑天』に改名」+「『形天』と表記する書籍も複数ある(出典付記)」という書き方では駄目なのでしょうか?HWTOF会話2020年6月17日 (水) 13:50 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございますHWTOFさん。『中国歴史人物大図典 神話・伝説編』を読んでみましたが、やはり蒋本山海経の図像と表記をそのまま載せてあるだけでした。それと、【孟慶遠『中国歴史文化事典』新潮社】も読みましたが、こちらは「刑天」になってますね(P234)。形天とも書くとありますが項目名は「刑天」です。--Greif会話2020年6月17日 (水) 18:49 (UTC)[返信]
コメント 確認です
>3.和書での出典の書き方や何次資料かについての情報源の分類、一次資料を載せない理由あたりを参考にされると、この問題を解決できるかと思います。
ひと通り読みしました. Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料にこう書いている.(Wikipedia:信頼できる情報源もだいたい同じ)
>一次資料は、ある事象について、それに密接したところにある独自の資料であり、多くの場合はそれに直接参加した人によって作成されます
>二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。二次資料は必ずしも、独立した情報源あるいは第三者による資料ではありません。作成者は作成にあたって一次資料を使い、それらについての分析・評価を行っています
郭璞が黄帝の時代に生きていましたか? 形天の首がはねられる現場を目撃しましたか? または伝聞でも良いから証言を聞きましたか? 違います. 過去の証言をコピペしただけならともかく郭氏は500年以上前的”一次資料=《山海経》”を”解釈・分析”して我たちが今見る《山海経》との形で”自身の考察を提供する”しているだから立派な二次資料だ思えませんか? 思わないなら思わないで良いですがその郭氏本を一次資料にしたとしてもかまいません. そしてところが郝懿行は1000年以上前的その”一次資料=郭氏注《山海経》”を更に”解釈・分析”して自身の考察をテキストといっしょに《箋疏》として提供しているだから立派な二次資料です. ところが, その《箋疏》テキストを”信頼できる情報源”として高馬氏や前野氏は邦訳してるわけです. そして実は邦訳する時は訳者は”解釈・分析”して日本語に変換するだから実は邦訳だけで二次資料だ言えなくもありませんが言いません. ところが一次も二次も資料の性質が違うだけで, 数字が大きいほど優れているわけでないを勘違いしていけません. 時と場合によりけりです. 時と場合には一次資料だけで十分お役立ち場合はあります. ところが今回のような個有名詞的記事名がそれ時です. 個有名詞が問題なったら一次資料抜きはお話にならないから普通は一次資料に当たります, 出発点だし. だから一次資料抜きの要件なんて出されたらそれはおかしいと決定的に感じないとおかしいです. そもそもWikipedia的”独自研究は載せない”も”信頼できる情報源”もそれは記事を書く時注意で, 記事的文章と記事名は出典の位置ずけは違うだろうでないですか? “独自研究は載せない#一次資料と二次資料”に
>二次資料や三次資料は、記事の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。
とありますは, つまり主題の特筆性を立証する必要も一次資料の新規な解釈を避ける必要もない個有名詞的記事名な場合は二次資料や三次資料は必要ないと言えます. 一次資料が一定しない時は三次資料は認知をはかるお役に立ちの場合はありますが, 今度の場合はテキストは全部”形天”なのでした. 現物を見ていないなので断言できませんが中国古典小説選を見たなら袁氏さえも《校注》のテキストでは”形天”を採用しているようです. これはとても大事でありませんか? ところが逆に意地悪で言えば”刑天”の方が”新規な解釈”に当てはまるでないですか? もちろん袁氏には十分な理由がありますは. だからテキストが書き変わるかもしれませんし, 未来に《山海経事典》が出版されるかもしれませんからその時までおあずけしましょうと言います. だから4だと「『形天』のまま」+「『刑天』と表記する書籍も複数ある(出典付記)」という書き方は良いのでは?
ところが書いていて気ずきですが, Wikipediaは“二次資料は、一次資料に基づいて(略)提供するもの”言ってます. 信頼できる情報源―分野ごとのアドバイス―歴史にも
>歴史についての調査は、独自または「一次」資料の収集物や、文書の精読、より大きな歴史上の論点からの解釈を伴います。検証可能であるには、研究は一次資料に基づいていなければなりません。
とあります. 一次資料に基づいていない資料は二次資料失格の可能性があります. 検証してみたいですので教えてください, 記事名”刑天”の一次資料はなにですか?
(追伸)
>その本に載ってる刑天は私達が今話題にしている刑天とは別物ではないですよ。載っている話は神話ではなく後代の伝承でしょう
取り下げたのにまだ語りますか. でしたらお付き合いしますが我にはとても後代の伝承とは思いえませんが, 一次出典はお指摘とおり清代的点石斎画報だようです. ところが出典には刑天とは書いていないそうです. 訳者が刑天に類する妖怪と説明したを水木氏が勝手に刑天に断定したようです. それは”一次資料の新規な解釈”です. ところが同じ出典的別な号にイタリアの監獄で女囚人が刑天を産んだという記事も掲載されたそうです. とても創作臭しかしませんがもちろん後代の伝承かもしれません. 取り上げるならこちらでしょう. 立ち読みだけでくやしく確認していませんしする時間もありませんでしたしする気もありませんが確かに刑天を産んだと書いているらしいです.--210.224.49.18 2020年6月21日 (日) 23:48 (UTC)[返信]
コメント 山海経の原典に「形天」と書かれているのが載っているだけなので、あなたが挙げているのは皆一次資料になります。それと、記事の文章と記事名における出典の位置付けは同じはずです。それに、袁珂が「刑天」の表記を採用したのが「新規な解釈」即ち独自研究でも問題は無いんですよ。Wikipediaで禁じられているのは我々編集者の独自研究です。言ってみれば二次資料なんて全て著者の独自研究な訳ですからね。あなたが「刑天」表記の一次資料を検証した所でそれこそ独自研究にしかなりません。どの高次資料でも「刑天」の表記を採用していて、「形天」を優先するものが見当たらない以上今の記事名は不適切と言えます。
>訳者が刑天に類する妖怪と説明したを水木氏が勝手に刑天に断定したようです
そうでしたか、わざわざ調査ありがとうございます。--Greif会話2020年6月23日 (火) 02:12 (UTC)[返信]
コメント内容はGreifさんの仰る事と重複する点もあるのですが、一応。①独自研究とは、wikipedianによる出典なき解釈・記述のこと。②出典には高次資料を用いるべきである(一次資料を使うことにより独自研究を誘発するため)。ここで一次資料と高次資料の違いについてなのですが、原典(山海経)を一次資料として書かれた文献は確かに二次資料といえるでしょう(補足: しかし山海経の翻訳は山海経でしかない=山海経として一次資料である)。ですが、それについての現代の専門家による解釈でなければ、結果的に独自研究に繋がるのではないでしょうか。その資料が「山海経に対して」二次資料であったとしても、(古すぎて)その資料にも「解釈」が必要となってはいないでしょうか。以上、個人的な意見なので聞き流して頂いても良いのですが、1000年以上前の資料(箋疏など)を二次資料と言うのは、ある意味では(山海経に対しては)正しいけれども、それ自体が原典化(一次資料化)してないか、ということです。なので、現代の専門家による出典を高次資料として用いて頂きたいと(個人的には)思います。HWTOF会話) 2020年6月23日 (火) 12:29 (UTC)補足しました。補足部は下線を引いて示しました。--HWTOF会話2020年6月24日 (水) 12:16 (UTC)[返信]
コメント もう議論停止から一ヶ月以上経つんですがどうしましょう?あと一週間以内に返答が無かったら議論放棄と見做して改名しましょうか?--Greif会話2020年7月25日 (土) 14:14 (UTC)[返信]
コメント 改名賛成に今の所変わりはありませんし、返事が無い場合についてもそれで良いかと思います。(補足: 一応Template:表記揺れ案内を貼っておけば、考えうる問題は回避できると思います。)HWTOF会話2020年7月27日 (月) 07:14 (UTC)[返信]
コメント 面白い。本来、中国の経典の中に真似な字を混用されている。かまわぬと思います。ただ、今の中国で「刑」を使う場合は、より多いです。----松照庵会話2020年7月27日 (月) 07:30 (UTC)[返信]
コメント 我が放棄でしたか, すまないだった. 形天か刑天かは未来におあずけしましょうと提案で終わった議論でお反応ないので受け入れられて終わった議論と考えました.
ところが, どういう場合に何次資料をどう使うかなTPO無視してかたくテキストを拒否しますか. 我は今度な記事名に資料の次元は関係ないと再三言っていますが, いやいやですが高次資料大事に付き合うなら, “ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません”(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料) なので, 大事な高次資料は信頼できる二次資料ですわな. ところがサイニーで拾いました.
  • ”『山海経』に見る王者の戦い―蚩尤像を中心に―”尹 青青, 《中央大学大学院研究年報文学研究科編》 (46), 2017年[22]―形天でした.
  • ”山海経研究序説”吉本 道雅, 《京都大學文學部研究紀要》(46),2007,pp27-68[23] ―形天でしたが形天そのもの的直接言及でありませんが内外海経の成立に重要な意味を持つ的間接言及で形天でした. そしてところが形天に関係なく興味深かった論文なのでおすすめです. と言ってもどうせ読まないだろうな.
昔言った国会図書館デジタルコレクションです.
  • ”六朝「再生説話」の研究”先坊 幸子,《中国中世文学研究》(34),1998,pp19-66―形天でした.
その他
  • ”『山海経』--幻想の力”井波 律子,《月刊しにか》7(12), 1996,pp12-17(《月刊しにか》11(2),2000,pp6-9の”中国怪異ものがたり”にも出ます) ―井波1996は7か所あって, 最初は”形(刑)天”, 最後は陶潜詩引用なので”刑(形)天”と逆になっていますが形天でしたと言ってOKでしょう. 井波2000は形天でした.
ところが我が見たかぎり大事な大事な高次=二次資料は袁氏的1個以外すべて形天でしたをお報告でした. 三次資料は”特に複数の一次資料や二次資料が互いに矛盾している場合にそうですが、観点について重み付けをするのに役立つかもしれません”なので, 記事名的”矛盾”は今度に当てはまるか疑問でしょうし,(記事名の観点とは何?) 袁氏的二次資料以外すべて形天な今度は重み付けでは明らかでしょうから, そしてところがそれも”役立つかもしれません”だけ存在でしかありますから今度は記事名に三次的利用は無用でしょう. ところが
>どの高次資料でも「刑天」の表記を採用していて、「形天」を優先するものが見当たらない以上
もうですね, 昔から言っていますがそう言った虚言は簡単に反証できるからやめください言います. もう満腹なので盛るのはやめてください. 我の見た限り袁氏以外はWikipediaで大事な大事な二次資料は真逆ですべて形天ですから, 大事な大事な二次資料すべて形天と言っても良い今度は三次が割り込む余地もない.
(まとめ)あらためて, 袁氏説がまだ学界制覇している言えない今度は改名は時期早々なので袁氏説が制覇する未来=テキストが書き変わる未来を待ちましょうが最適でないでしょうか? 松照庵さん的お報告が真だとて,
>今の中国で「刑」を使う場合は、より多いです。
だそうですから, 尖閣諸島や沖ノ鳥島の状況から見ても我達的悪貨が良貨を駆逐する期待的未来はそう遠くない未来です. ムネ熱です.
知るかははは、諸君の未来、政治などと僕の関係は薄い。。。。胸寒いです。。。。----松照庵会話2020年7月29日 (水) 00:36 (UTC)[返信]
コメント 提案 ところがどうしても改名をしたいなならせっかく失効したですからもう一度改名提案に報告は必要です. そして読み返し的嫌になるし無理だしぐらいもう十分長くなったしせっかく失効したですからセクションも改めて, どう言う理由で改名が必要か, 根拠は何か, 改めて整理して改めて再び提出しよう.(その場合, 《~事典》と言う一見高次資料で実は質的低次でした資料は控えるのが好です)
ところが, 個人的時勢ですがシフト的不安定なので今後もすぐにお返事できるか約束はできませんでしたをあらかじめ言います.--210.224.49.18 2020年7月28日 (火) 23:09 (UTC)[返信]
コメント 今回の議論に三次資料は無用ではありません。あなたの勝手な都合で資料を無視しないで下さい。したがって高次資料で「刑天」表記を採用しているのは袁珂だけではありません。あなたが以前挙げた資料を含めると以下の様になります。
  • 袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店、P170
  • 袁珂『中国の神話伝説(上)』青土社、P229
  • 篠田知和基・丸山顯德『世界神話伝説大事典』勉誠出版、P614
  • 孟慶遠『中国歴史文化事典』新潮社、P234
  • 袁珂『中国古代神話.上』みすず書房
  • 武井満幹『陶淵明「読山海経」詩について』(広島大学『中国中世文学研究』掲載論文)P7
みすず書房の本はこれからページ数を確認します。それとさらに出典を探してみる予定です。それでどちらが多数派が明らかになるでしょう(既にこちらの方が多いですが)。それと、資料を挙げるならHWTOFさんが言った通り資料の何ページに「形天」が載っているかページ番号を付けて下さい。吉本道雅の『山海経研究序説』を読みましたが形天が載っているというのはP53の図4のことですか?地の文ではなく図に載ってるだけの様ですがこれは二次資料で形天を採用している例と言えるのでしょうか?そして、改名は時期尚早なので袁氏説が制覇する未来=テキストが書き変わる未来を待ちましょう、とか、形天か刑天かは未来におあずけしましょうといった提案は当然ながら拒否します。二度と提案して下さらなくて結構です。改名提案は提出しておきました。出典も新たにまとめましたし新しいセクションにしなくてよいでしょう。このまま議論を続けましょう。--Greif会話2020年7月30日 (木) 01:21 (UTC)[返信]
コメント >新しいセクションにしなくてよいでしょう。このまま議論を続けましょう。
いやいや,せっかく再提案なだから,後から来る人用に論点整理と出典整理しましょう言いました.後から来る人も上からたどるは嫌でしょう.我はもう読み返す嫌です.
>既にこちらの方が多いですが
いやいや,その数え方はおかしいです.袁氏が3個は1個だろ?同じ人がころころ変わったらそれこそおかしい.ところが『中国の神話伝説(上)』は”「中国古代神話」(商務印書館, 1950) の改題・増補改訂版「中国神話伝説」(中国民間文芸出版社, 1984) の全訳”(サイニー)なそうだから『中国古代神話.上』は旧版じゃないですか?それしたら別に数えるのはズルいではないですか?そしてところが『中国古代神話』とかをまとめが『中国神話・伝説大事典』でしょ?3個を別に数えるはズルいです.
武井氏論文は形天ともあるでしょう.(最初の方で言いました)ところが陶潜詩引用が《形天》で解説文が《刑天》はおかしいです.(井波氏のように逆ならおかしいくない) だからどちらか判断分からない.ところが陶潜詩的テキスト問題もさんざん言ったですが,これも忘れました?
そして篠田知和基・丸山顯德『世界神話伝説大事典』は富田美智江氏はほとんどが袁氏説の紹介と指摘したからそこは公平に紹介しましよう.
>資料の何ページに「形天」が載っているかページ番号を付けて下さい
尹論文以外付けています.(尹論文は記載無いから分からなかった) ところが,見落としがないか検証してもらうためにピンポイントしていません.ところが今後にも見落としがないか検証してもらうためにページ番号付けません.付けたらそこだけで満足な人がいるでしょう?ページ番号乗っているだけで実に見ない人もいるでしょ?メンドくさいからでありません,実際に検証してくれるためです,検証する人にも力を借りるためです.
>吉本~地の文ではなく図に載ってるだけの様ですがこれは二次資料で形天を採用している例と言えるのでしょうか?
言えるでしょう.ところが直接言及ないとことわってはました.それでも内外海経の成立に重大な意味を持つな言及だったでしょう?
今さらですが心配だから,昔言った”郝懿行「模糊集」(生活社)~は郝氏《山海経笺疏》からみて改竄されている?と邪推します.”は取り下げます.「曬書堂筆録」で確かめました.[24]ところが刑天的解説でありません.名前が顔を出すだけです.そしてこれこそ一次資料です. そして「筆録」は平凡社中国古典文学大系56も入ってます.
議論を続けるはかまいませんが,次週分からないから急いで書きましたがさっきに言ったように書き込み不安定ですはお承知ください.(チェックはしています)そして続けるならセクション分けて今まで議論無化して論点整理と出典整理しましょう.読み返すメンドくさいですとこれから来る人に刻薄です.そして次週は分からないから我の反対は書いておきます.--210.224.49.18 2020年7月30日 (木) 22:39 (UTC)[返信]
コメントあくまで私の意見に過ぎないのですが、履歴が却って見辛くなる(辿れりにくい)ので、また出典に関してはここでも整理できると思うので、改名提案の節を新たに作る必要性はないと思います(議論無化するとこれまでの議論は無駄になりますし)。では本論に入ります。①まず「改竄」というのはこちら(wiki編集者)が使うべき表現でないように感じられます。誤解があれば申し訳無いのですが、この言い回しだと「改竄されている」という事を出典も無しに言っているように見えます。210.224.49.18さんは出典を沢山持ち出されておられるので、この表現についての出典を提示して頂けると有り難いです。②次に、「整理する」のであれば、書名、著者、出版年、ページ数の、出典として完全な形で見やすくしませんか? A.「形天」表記(翻訳、一次資料)、B.「形天」表記(二次資料)、C.「刑天」表記、のような感じでまとめる事を考えていますがいかがでしょうか。③最後にささいな事ですが、「整理する」のであれば、リンクは「ウィキペディア[25]」という形よりは「ウィキペディア」にしないと、「整理する」観点からも「リンクを開かないと何の項目か分からない」ようになってしまうのでご配慮お願いします(少なくとも私はそうでしたが、聞き流して頂いても構わない程度の些細な事です)。--HWTOF会話2020年8月2日 (日) 03:14 (UTC)[返信]
コメント お待たせしました。出典探してきたので議論再開します。セクションは分けなくていいと言ったでしょう?今までの議論を無かったことにするなど認めません。あなたの単なるわがままは聴きませんよ。これから来る方にも上から全部読んで頂いて理解して貰った方がいいですしね。それに、そもそもセクション分けたのはこうやって一度引っ込めた一次資料を復活させるためですね。随分姑息な手ですね。上で一次資料は使えないと言われたでしょう?あなたが引用した文にも「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。」と書いてあります。「その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。」といってもこの議論で一次資料を用いねばならないとは思えません。おまけにあなたは上で模糊集について「そしてこれこそ一次資料です.」と言っているくせに自分は一次資料を挙げるんですね。「ダボルスタンダードな意見は信用できません.」と言っておきながらあなた自身がダブルスタンダードですね。
要のするにあなたが挙げた出典は以下のみになります。
  • 先坊 幸子,”六朝「再生説話」の研究”『中国中世文学研究』(34),1998[26]
  • 吉本 道雅,”山海経研究序説”『京都大學文學部研究紀要』(46),2007 [27] ―形天に直接言及はしていないでが内外海経成立に大事的言及はありました.
  • 尹 青青,”『山海経』に見る王者の戦い―蚩尤像を中心に―”『中央大学大学院研究年報文学研究科編』 (46), 2017年[28]―《刑天》とも言う注釈ある.
  • 諸橋 轍次『大漢和辞典』(修訂版)大修館書店1984.4-1986.7[29]―《刑天》と《形天》あります.(邢や夭はない)
    • 《刑天》―”一に形天に作る”と《形天》誘導文あります.
    • 《形天》―《刑天》誘導文ありません,言及もない,『広注』的山海経図から『形天』図乗せる,ところが陶潜詩引用あってそこでは『刑天』.
  • 井波 律子,”『山海経』--幻想の力”『月刊しにか』7(12), 1996,大修館書店[30]と,”中国怪異ものがたり”『月刊しにか』11(2),2000[31]―《刑天》とも言う注釈ある.


そして私が挙げる出典は以下の通りです。
  • 袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店、P170
  • 袁珂『中国の神話伝説(上)』青土社、P229
  • 篠田知和基・丸山顯德『世界神話伝説大事典』勉誠出版、P614
  • 孟慶遠『中国歴史文化事典』新潮社、P234
  • 武井満幹『陶淵明「読山海経」詩について』(広島大学『中国中世文学研究』掲載論文)P7
  • 東アジアにおける水の呪力と水の女-「洗濯する女」の文学史- 金鳳齢 P12
  • 現代タイにおける餓鬼の図像:異形化される餓鬼のイメージ(早稲田大学大学院文学研究科紀要(64))椋橋彩香 P572-573
  • 陶淵明「讀山海經」詩の西王母像(中國文學報2008)興膳宏 P33
  • 中国「怪獣文化」の研究:現代メディアの中で増殖する異形の動物たち(北海学園大学学園論集141)中根研一 P93
  • 俑の濫觴期:原始〜殷周時代(日本女子大学紀要人間社会学部第28号)于保田 P115
  • 中国文学エネルギー論(高知大学学術研究報告第15巻人文科学第13号)荒木修 P174
  • 中国文明における帝と天の観念の展開-その思想史的考察-(秋田中国学会50周年記念論集)吉永慎二郎 P105
まだ図書館に取り寄せて貰っている書籍が何冊かあるのでここから更に増えるかもしれません。みすず書房の『中国古代神話.上』はやはり青土社の『中国の神話伝説(上)』の旧版の様なので割愛します。『世界神話伝説大事典』についてですが、袁珂の著作を直接引用しただけで、その中にのみ刑天の表記があるならともかく、これは事典の項目名が刑天になっているので篠田知和基・丸山顯德が刑天表記を採用したと見做してよいはずです。袁珂の刑天表記を支持している書籍があるという点で意義深いと言えます。武井満幹の論文に関しても詩の内容はどうあれ地の文で刑天表記を用いているのが重要です。形天より刑天を優先した例として申し分無いはずです。そもそもHWTOFさんも似た様なことを仰っていますが出典を否定するならそれにも出典が必要です。いい加減な書籍ならともかく、学位を持った研究者の著作をあなたが勝手に批判してその結果をWikipediaに反映させるなど到底許されることではありません。そして、私の挙げた刑天表記の出典の方が多いですよね?同じ著者の書籍をまとめてもこちらの方が多数派ですね。学者や専門家の共通認識になっていなくても刑天への改名が妥当です。時期尚早ですから新しい証拠が現れる未来を待ちましょうという提案も当然拒否します。もう二度と提案して下さらなくて結構ですと言いましたよね?--Greif会話2020年8月15日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
    • コメント 久々に見ましたが、全体を見返すと言ってる事はずっと一緒で、質問に答えているといえるのでしょうか。それはさておき、210.224.49.18さんが言ってる事がよく分からないのですが、Greifさんの提示する出典を否定する出典はどこの何ページですか? その出典は何次資料ですか? ②議論を無化したり、議論を停止したりする提案の意図が分かりません。これまでの議論が無駄になる、議論の停止は無意味と考える、と言いました。ですが、後者については説明してなかったようなので説明します。まず、議論を停止するという事は思考停止ではないですか? 停止するにしても「取り敢えずの」「仮の」「現状での」結論は出す必要があると思う、というのが私の意見だからです。③1次資料では「形天」表記である、というのは分かりました。では、2次、3次資料では、現代の専門家が書いた資料ならば、どうなのでしょうか。高次資料に基づく意見を期待します。また、Greifさんの仰る事には、Greifさんの示す「学位を持つ専門家による出典」を、完全に否定する、210.224.49.18さんの「学位を持つ専門家による出典」が現れない限りは、全面的に支持します。最後になりましたが、Greifさん、出典の整理に協力して頂きありがとうございます。HWTOF会話2020年8月16日 (日) 05:25 (UTC)[返信]
コメント>Greifさん.
>セクションは分けなくていいと言ったでしょう?
それは”あなたの単なるわがまま“でないですか?中身はどうあれ,形式から言うますとこれセクション議論は1回失効しています,再び提案的形式ですから形式的再び提案文は必要と思いました,そしてだからこれ機械に新に来る人に分かってくれようセクション分けてはどうですか?と言いました.今まで参加する人は前的主張に反論を消化してあらためて論点整理して主張言えば好ですし,ところが新に来る人がはじまりからたどらなくて良いようにと言う意味で無化言いました.ここセクションだけでもう10万バイトありますからセクション分けないと読むは苦労です.たとえば我が新に参加するとしてはじめから読むはウンザリするだろうと言ってます.実際に読み返すはウンザリです.そんな時間あったら違う本を読む方がよほど益があります.ところがそもそもここは
>どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがない
と言う誤認を疑われる根拠からはじまりました.そこから議論はじまりました.中には誤解か0が1個多く書いただけ誤記か知りませぬが”1000年以上前の資料(箋疏など)”と言った驚き発言も出ました.だから前から参加人は誤解とか誤記は無化しような意味でした.そしてお気ずきですか,はじまりはあなたは広い意味的一般性にこだわっていましたが,今では学者的専門家的一般性=専門性に根拠が変わっています.だから“これまでの議論は無駄になります”ではないくて,そうした変化もあるから誤解は除いて反論は消化してあらためて前議論が無駄でないような論点整理で新に来る人にも分かりやすく1から出なおそうな意味で無化と言いました.
>セクション分けた~随分姑息な手ですね。
上で言うよおに,あなたが後から来る人用まとめを書くと思ったから,それ用に出典再び提示しましただけです.(そして必要ないになったから消しました)ところが我から資料を引っ込めたはないはずです.長いから忘れているかもしれませんでしたが,あるならば資料名をどこで引っ込めたをお指摘ください.
>上で一次資料は使えないと言われたでしょう?
あなた(とHWTOFさん)がかってに言っているだけですよね?そう言ったわがままになぜ付き合わないとダメなですか?いやですよ.だから我が従わないといけないは無理です.そして我が引用した文は(必要ないになったから消しましたが)「一般に、ウィキペディアの記事は」です.目をこすって大字部分を凝視してください,そして記事名に一次資料使えないはどれ方針に書いているか,すっきりはっきり断言ください.
>自分は一次資料を挙げるんですね。
挙げますよ.一次だろう何次だろうと,必要なったら挙げます.挙げませんは言った覚えはありませんから.あなた(とHWTOFさん)がかってに一次資料は使えない言っているからこれはあなた達的使えない資料です,残念ですねな意味だけです.もおね,あなた的意見を我的意見に勘違いするほど錯乱しているようですから,議論長すぎと判断できます.お本人が議論たどれていないレベルですから.
>出典を否定するならそれにも出典が必要です
いやいや,必要は無いでしょう.おかしい点をおかしい思うは天然ですから,おかしい根拠を言ってここがおかしいと指摘しているだけです.そしてはじまり頃は出典否定したかもしれませんが,(根拠も言っているはずです)今はおかしいと言っているだけで否定はしていませんなはずです.そして
>学位を持った研究者~到底許されることではありません
学位を持ったが持ったないようが,おかしい点はおかしいと思うは人間的天然です.そして学位を持った研究者的著書でも誤字脱字はありますから,だから誤字脱字を疑うこともあります.それをふくめておかしいと言うはノートでは自由です.おかしいないならおかしいないと反証すれば良いだけです.おかしい思った根拠に出典は必要と思った時にだけ出典出せば十分です.(実に出しているはずです)ところが常識の判断でおかしいと指摘したにまで学位を持った研究者的出典出せは,もおね言いがかりにもほどがあるですよ.そして学位を持った研究者を疑わないは,誰かが言いましたが思考停止でないですか?学位を持った研究者2人で意見が分かれたらどうするですか?意見が分かれた2人ともいっしょに盲信しますか?分かれているにどうやって?それぞれ根拠を考えてどちらがより良いか判断するが一般態度でしょう.それが今度的記事名です.ところが我は《形天》と《刑天》どちらも有理だから判断分からないから「取り敢えずの」「仮の」「現状での」結論でテキスト的《形天》ままで良いではとかなりはじめに近いところから言い続けています.ところが
>時期尚早ですから新しい証拠が現れる未来を待ちましょうという提案も当然拒否します。もう二度と提案して下さらなくて結構ですと言いましたよね?
は提案するは自由でしょ?あなた的言い方を借りたら我から”あなた的改名提案は当然拒否します。もう二度と提案して下さらなくて結構です”と言ったらあなた従ってくれますか?我的提案は切り捨てしてあなた的提案だけしか認めないようなわがまま議論は当然拒否します.
>HWTOFさんへ.①我がどこでGreifさん的出典を否定しましたか?上でGreifさんへ回信で言いましたがおかしいを根拠言っておかしいと指摘しているだけですよ.例を言ってください.実は否定していたら反省しますから.②も上で言いました.③上にGreifさんが書いてありますが見落としですか?全体を見返したあなたも見落としですね. 議論長いからウンザリしてしっかり議論たどっていない証拠です.そう言った見落としや誤解を防ぐために無化してセクション分けましょうは必要と思います.そして追加します.
  • 伊藤清司『中国の神話・伝説』19”異族・異形民の起源―首なし族”,東方書店,1996[32]
  • 矢島明希子「五蔵山経における舞」(伊藤清司著、慶應義塾大学古代中国研究会編『中国の神獣・悪鬼たち』(増補改訂版)補論2)、東方書店、2013年[33] (記事に乗っていました)
  • 松岡正子「形天 - 『山海經』における「尸」と「舞」について」『中國詩文論叢』2、中國詩文硏究會、1983年(これも記事に乗っていました.ところが端末環境で読めませんから確認できませんでした.ところがタイトルから判断します)
ところが《刑天》も追加です.
  • 中野美代子・武田雅哉『世紀末中国のかわら版』福武書店,1989もこれがほとんど議論的出発本と言えますから《刑天》的例に加えると良いでしょう(大幅加筆本が中公文庫にあるそうです).
  • ツイッターで教えらましたが『岩波世界人名大辞典』[34]に《刑天》で乗っているそうです.《形天》とも言うの注意書きはいっさいないようですが,序文に”人名を正確に表記することに努めた”言ってますが,項目的必要文献に『海外西経』を書いていますが,西経を実に見て正確に書くなら《形天》になるはずだから,(今的テキストは全て《形天》だから)誰が何出典でどう正確に書いたか怪しいです.
そして,Greifさん的資料について,急いで見たただけでじっくり読んでいないですが,8月いっぱい時間くださいですが,気ずいた点だけ言って置きます.
  • 金論文は《刑天》注釈を加えていますが,根本はテキスト翻訳なだけです.これOKなら高馬氏訳他もOKでないか?資料の扱いがわがまますぎです.
  • 荒木論文,興膳論文は陶潜詩を紹介だけですね?陶潜詩テキスト問題にはそろそろ目を傾けてあなた的意見を答えください.袁氏が言っているからはもお思考停止そのものです.形夭が良い言う意見をここがおかしいと批判してください.呉任臣『山海経広注』(欽定四庫全書本[35]と早稲田大学図書本[36])に陶潜詩テキスト問題まとまってあるから意見言ってください.
  • 吉永論文は白川静『説文新義』”一部天”(昭和49年 ・1975年、五典書院)を引用しているだけだから白川氏本(たとえば[37])に差し替えるが王道です.(追加でもかまいません)
最期に,我から議論まとめて,そしてWikipedia:コメント依頼プロジェクト‐ノート:神話プロジェクト‐ノート:中国とコメント依頼出しました.(プロジェクト‐ノート:人物伝も出そう考えましたが微妙なのでやめました)まとめの不十分は補ってください.--210.224.49.18 2020年8月18日 (火) 00:11 (UTC)[返信]

『山海経』に海外西経に《形天》が出ます.それ表記に《形天》と《刑天》他がありますが,ここでは《形天》と《刑天》どちらが記事名に良いか議論しています.(見分けやすいために刑は大字にします)論点にコメントお願いします.

事実1, 『山海経』はWikipediaによれば戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものだそうですが,今ある『山海経』は晋の郭璞が『山海経』を研究した注釈本です
事実2,誰でも見やすい主のテキスト(=一次資料?)は全て《形天》になっている
事実3,ところが今あるテキストは全て明以後で,《形》と《》どちらが正しいかったかは分からない.(明代に覆刻された宋本はあるみたいようですが)宋以前により確かなテキストが発見さる可能性はあって実は《天》が正しい可能性あります.(それでもたどれるはせいぜい郭璞までだが,それ以前も発見される可能性もないわけない)
事実4,ところが《天》表記が正しいと言う学者もいて,人によって《形天》と《天》分かれます.参考に今分かっているところで形(刑)天を主題にした論文だけを代表に出します.これを論文かどうかは意見が分かれるかもしれませんが,形(刑)天をじっくりたっぷり論しているは今出ているところはこれだけです.(その他非主題的論文は別人なお方がまとめてくれるでしょう)
  • 袁珂『中国の神話伝説』です
事実5,そして現代の中文でも言及する人は《天》が主だそうだと報告がありました.(真偽は分かりませんが,報告ありましたが事実です)

上事実5個を前提に論点ですが,

  • 論点1,《形天》と《天》はどちらが信頼できる情報源において最も一般的か?
Wikipedia:信頼できる情報源―用語の定義―情報源―一次資料に
ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです
とあるが,大字部分を根拠に記事名に一次資料は絶対のダメと主張人がありますが,一次資料=テキストを記事名はホントにダメか?そもそも記事と記事名は扱いは同で,これ条件は記事名にもあてはまるか?(記事名はWikipedia:信頼できる情報源的方針にどこまで縛られるか?)
  • 論点2,そして結論に《形天》と《天》どちらが良いか?

でした.どちら論点でもかまいませんからどうかコメントください.--210.224.49.18 2020年8月18日 (火) 00:11 (UTC)下で再まとめましたので消します.--210.224.49.18 2020年9月13日 (日) 23:00 (UTC)[返信]

コメント どっちでもいいです。Wikipedia:ウィキペディアは勝ち負けの場ではないWikipedia:議論が白熱しても冷静に蝸牛角上の争い名の名とすべきは常の名にあらず。形と刑、どちらがいいか?どっちでもいいです。つまりただの表記ゆれです。以下詳細。--Vetalapancavimsatika会話2020年8月18日 (火) 10:35 (UTC)[返信]
 まず大前提として、東アジアの神や妖怪は俗語方言の要素が強いので、シノニムが起こりやすいです。それにもかかわらず、命名規約学術用語集があるわけじゃないので、正式名称なんてものはありません。ギリシア語の長音のようにガイドライン化するのもたぶん無理ですし、「一般的」を定義するのも無理です。そういうわけで、「ろくろ首」と「ろくろっ首」、「陰摩羅鬼」と「陰魔羅鬼」などと同様に、「形天」でも「刑天」でもどっちでもいいです。これがもし「河童」と「河伯」、「産女」と「姑獲鳥」みたいに表記の差が指示対象の差に関わるなら、どっちでもよくないですけど、「形天」と「刑天」はどっちも同じ指示対象なんだから、どっちでもいいでしょう。
 ここまでに挙げられた情報源から読み取れることも、「どちらが一般的か」ということではなく、「歴史的にも学者的にも表記が定まっていない」ということだけでしょう。むしろ、歴史的にも学者的にも定まっていないことを、Wikipediaが勝手に裁定しちゃダメでしょう。その上で、袁珂の主張、用例の歴史、表記の変遷過程、音通以上の差etcあるのなら、このノートではなく「形天#余説:名義に就いて」に加筆してほしいです。せっかく調べていただいた知識を、こんなどうでもいい議論のためだけに使うのはもったいないです。
 結論: 私としては、どっちでもいいので現状保持。つまり、改名提案に対しては 中立 です。実質的には「反対」になりますが、もし多数決になっても票数には数えないでください。多数決でも何でもいいですが、この議論がさっさと終了・解散・お蔵入りになってくれるのが一番良いです。Greifさんのおっしゃる「違和感」も分かりますが、それは改名せずともTemplate:表記揺れ案内を貼れば済む話でしょう。議論を続けるにしても、「一般的」以外の別の論点で進めてほしいです。「形天#余説:名義に就いて」には加筆したい人が加筆してください。どっちでもいいです。以上。--Vetalapancavimsatika会話2020年8月18日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

コメント Vetalapancavimsatikaさんコメントありがとうございます。確かに言ってしまえば表記ゆれなんですけど、この場合単なる字体の変化等と違って全く別の漢字なので明確に名前が変わってしまうと思うんですよ。wikiの他の言語版では皆刑天なのに日本語版だけ形天で浮いてますし。既に提示された高次資料を見ても、形天表記が山海経関連の書籍、論文が殆どなのに対し刑天表記は比較的広範囲で使われており、「歴史的にも学者的にも定まっていないことを、Wikipediaが勝手に裁定」には当たらないと思います。袁珂は中国神話研究の第一人者であり、多くの論文や書籍で彼の説が取り上げられていますからね。
>210.224.49.18さん
改名提案で一ヶ月の議論停止により消されたとしてもこのノートでの議論は変わらず続いているんですからセクションを分ける必要はないと判断しました。新しく来る人にもこれまでの議論を把握した上で参加して欲しいです。Vetalapancavimsatikaさんもどうやら全部読んでくれた様ですしね。一次資料をあなたが取り下げたと判断したのは、あなたが「いやいやですが高次資料大事に付き合うなら, “ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません”(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料) なので, 大事な高次資料は信頼できる二次資料ですわな. 」と言ったあたりですね。その後あなたは三次資料は無用だとか言い出して、二次資料で刑天表記を採用しているのは袁珂のみだから形天表記が高次資料でも多数派だという流れに持って行こうとしましたからね。それと、一次資料についてですが、逆に記事内容に使えないのに記事名に使っていい理由が解りません。あなたがルールを都合良く解釈している様にしか見えません。そして、あなたが資料をおかしいと思うのは勝手です。ですがそれをwikipediaの記述に反映させてはならないと言っているんです。それはただの独自研究ですからね。それを思考停止と言われてもそれがWikipediaのルールとしか言いようがありません。
>今はおかしいと言っているだけで否定はしていませんなはずです
だったら武井満幹の論文は刑天表記の例の一つとして認めてくれるんですね?
研究者二人で意見が分かれたら両論併記となります。ただし記事名の場合はどちらか一つしか設定できないので、こうしてより多くの出典で用いられているのがどちらかを決めることになります。だから「改名しないという結論を出す」のと、「新しい証拠が現れる未来を待ちましょうという提案」をするのは別なんです。故に後者の提案は必要無いと言っているんです。
最後に各論文についてですが、金鳳齢の論文は山海経の原文を引用しているにも関わらず指示語の部分の解説に敢えて「刑天」表記を用いているのが重要です。形天表記より刑天表記を優先した例と言えるはずです。一次資料である原典の単なる翻訳ではあり得ないことなので高馬三良訳とは別です。陶潜詩テキスト問題については既に言った様に我々編集者が勝手に解釈するのは単なる独自研究でありWikipediaにおいて許されることではありません。それが思考停止だとか間違ってると仰るならWikipediaのルール改正のために動いて頂くか編集に関わるのをやめて頂くしかありません。以前武井満幹の論文について「詩の内容はどうあれ」と言ったのはそういうことです。あなたの独自の判断で荒木修の論文と興膳宏の論文を数に入れないなんて事は出来ません。白川静の著書は引用されている吉永慎二郎の論文を挙げれば問題無いと思い割愛しました。それと、既に言った様に議論全体を読んで欲しいのでまとめの不十分は補いません。--Greif会話2020年8月18日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
Greifさん、お返事ありがとうございます。私としては、私の言いたかったことがGreifさんに一つも伝わっていないということが分かりました。一点だけ指摘させていただきますと、「刑」字と「形」字に関しては、両字が「通」[38][39]の関係にある典型的な例だと私は認知しています。(もちろん、私の勉強不足による誤った認知かもしれませんが。)ですので、私としては「全く別の漢字」だとは思いません。このコメントに対しては返信不要です。--Vetalapancavimsatika会話2020年8月18日 (火) 14:56 (UTC)[返信]

コメント はじめまして。Greifさんによれば、「wikiの他の言語版では皆刑天なのに日本語版だけ形天で浮いてますし」とありましたが、英語版とフランス語版は「Xingtian」、ロシア語版は「Син-тянь」、ウクライナ語版は「Сін Тянь」でした。記事名が「刑天」なのは中文版だけではないでしょうか? ちょっと気になりました。--ねこざめ会話2020年8月21日 (金) 20:18 (UTC)[返信]

コメント コメントありがとうございます。勿論、記事名は各国の言語表記なんですけど、フランス語版以外は記事内に「刑天」と書いてあるでしょう?--Greif会話2020年8月21日 (金) 21:28 (UTC)[返信]
コメント はい。そして日本語版の記事内にも「刑天」と書いてあるので、日本語版だけ浮いているということは無いと思います。--ねこざめ会話2020年8月22日 (土) 17:00 (UTC)[返信]
コメント 中野美代子・武田雅哉『世紀末中国のかわら版 絵入新聞『点石斎画報』の世界』福武書店はP118、岩波書店辞典編集部『岩波世界人名大辞典』第一分冊ア-テはP893にはっきり「刑天」と載っていますね。現在刑天表記が普及しているのは袁珂の影響の様なので『世紀末中国のかわら版』は「これがほとんど議論的出発本」ではないですね。水木しげるの図鑑は一般向け妖怪図鑑の一例として紹介したに過ぎませんし。『岩波世界人名大辞典』は辞典なので様々な資料を参照したのでしょう。決して怪しくはないと思います。あと、Vetalapancavimsatikaさんの意見ですが、形天#余説:名義に就いてからしてどうやら「通」は関係ありませんね。--Greif会話2020年8月22日 (土) 13:10 (UTC)[返信]
コメント >ねこざめさん
そうですか。私は中国語版以外の外国語版には「形天」の表記が無く、刑天より形天が優先されているのは日本語版だけなので浮いていると感じたまでです。所で、このノートは一番上から全部読んでくれましたか?議論に参加するなら全部読んで頂いて流れを把握して欲しいです。--Greif会話2020年8月22日 (土) 23:05 (UTC)[返信]
コメント 個別の出典に当たることはしていませんが、議論はだいたい読んでいます。流れとしては、最初の“どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがない”がとにかく衝撃的で(もちろんその後すぐに補足されているのは承知しておりますが)、その後、反対意見があったにも関わらず一度は改名を強行したことがずっと尾を引いている感じですかね。初動を間違えさえしなければ実のところあっさり改名できていた案件だったのではないでしょうか。ちなみに「すう虞」は現在、「騶虞」に変更されています。問題の解決に向けてどうすべきかは、Greifさんにとっては「改名すること」が目的である以上、改名しなければ解決しないわけですよね。私個人的には、Wikipedia:移動合戦になるおそれが無いのであれば、「刑天」に改名することには反対ではありません。--ねこざめ会話2020年8月25日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
コメント 「だいたい」じゃなくてちゃんと全部読まないと、その内、前に出た意見を踏まえてないことによる話の食い違い等が出てくると思うので全て読んで頂かないと困ります(流石に個別の出典までは読まなくていいですが)。
>初動を間違えさえしなければ実のところあっさり改名できていた案件だったのではないでしょうか。
それは私も感じています。議論放棄とみなして一度改名したのが尾を引いているかはともかく、初めはボタンの掛け違いみたいな所から始まったのが、いつの間にか向こうも引っ込みがつかなくなって今に至っている気がします。あと、こうして合意形成のために議論しているので移動合戦にはなりませんよ。--Greif会話2020年8月25日 (火) 19:09 (UTC)[返信]
コメント 暫く見ておりませんでしたが、210.224.49.18さんが私に質問を出されておられていたので、この場を借りてお答えしようと思います。
1.「①我がどこでGreifさん的出典を否定しましたか?上でGreifさんへ回信で言いましたがおかしいを根拠言っておかしいと指摘しているだけですよ.例を言ってください.実は否定していたら反省しますから.」→誤解を招いたようですね。すみません。Greifさんの出典は専門家によるもので、これを否定するのならば根拠が必要である、その根拠は高次資料なのか、と疑問を書いたつもりでした。誤解を招いたようなので、当該部には今後の議論のためにも取り消し線を引いておきます。
2.「一次資料がいけないと言っている」と仰っているのは、一次資料に解釈が必要な場合、一次資料をWikipedianが勝手に解釈してはいけない。解釈は専門家による高次資料に基づかねばならないという意です。これについても誤解を招きかねないので補足しておきます(何個も補足してすみません)。
3. 移動については(議論が平行線な感じも否めませんが)合意形成によるものが望ましいと思います(どうしても決まらないなら投票に頼らざるを得ないかもしれませんが)。
4. 最後に、(最初期に言った気もしますが)出典については「刑天」「形天」とも否定する材料は無いので、他言語版に合わせて「刑天」というのが今の私の意見です。--HWTOF会話2020年9月2日 (水) 12:27 (UTC)[返信]
(私が)「刑天」が適すると考える理由は、上記の通り「刑天」と「形天」の優劣を付ける資料は無いので、他言語版や使用度に合わせて「刑天」が適すると考えるからです。ですが、正直言って強い意見(「絶対そうすべき」等というもの)ではないので、Vetalapancavimsatikaさんの仰る、「現状維持」というのも、合意形成や投票においては検討すべきかと思います(改名に拘る必要性の有無)。--HWTOF会話2020年9月2日 (水) 13:01 (UTC)[返信]
コメント Go toと選挙工作がかさなってなかなかの時間がとられないでした.ところが,いろいろ言いたいでしたが,ほとんどどおでも良いくなったので結論だけ言います.
反対理由は,はじまりからテキストが《形天》なだから不要だろと言う理由でした.だから,今でもテキストが書き変わらない限り無変です.だから,初動がずっと尾を引いている分けでもGreifさんが言う引っ込みがつかなくなって分けでもありません.ところが,はじめは攻撃性だったは反省ですが,だから,あっさり戻してくれて気長に待ってくれるGreifさんには感謝しています.ところが,引っ込みがつかなくなってはテキストに目も通さずに『かわら版』を根拠な水木氏図鑑で記事名議論をはじめたGreifさんの法ではないか思いますが,それは言わないでおきます.
そしてコメント依頼読み返したらいきなりどちらが良いかを求めていて,確かにセクション分ける意味ない失敗と気ずきましたから,そしてコメント見て気ずいた論点も思い出しましたから,そしてそろそひとく切りつけたいでしたから,そして上から全部読まないで良いでしょうよにしたっかたから論点にまとめなおしました.ところがそれためにやっぱりセクション分けます.そしてだから,これのセクションに取りこみするはやめてください.(金氏論文が見たは袁氏『山海経校譯』上海古籍出版社一九八五年九月)なよですから,『校訳』テキストが《刑天》でしたら下事実2は修理が必要されるかもしれませぬ) --210.224.49.18 2020年9月13日 (日) 23:00 (UTC)[返信]

これのセクションは今まで議論の論点をまとめました.本セクションを一番上から全部読むは苦痛でしょうから, 流れを把握する必要ないよにしましたから, 一番上から全部読む時間は他に有効活用して,論点に限ってコメントください.興味とよっぽどな暇がある時は上から全部読んでお参加ください.

大前提,『山海経』に海外西経に《形天》が出ます.それ表記に《形天》と《天》他がありますが,上議論では《形天》と《天》どちらが記事名に良いか議論していますが,(見分けやすいために刑は大字にします)下的事実を前提に下的論点が論点になりました.
  • 事実1, 『山海経』はWikipediaによれば戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものだそうですが,今ある『山海経』は晋の郭璞が『山海経』を研究した注釈本です.
  • 事実2,誰でも見やすい主なテキスト=郭璞注釈本(=一次資料?)は全て《形天》になっている.
主のテキストは下です.(時間順)
  • 明,道蔵本(上海版)[40]
  • 明,蒋応鎬絵図本(早稲田大学図書館本)[41](キャプションないから形天図 [42]は紹介しません)
  • 清,呉任臣『山海経広注』[43](欽定四庫全書本),[44](早稲田大学図書館本),“山海経図”[45](金閶書業堂本),[46](早稲田大学図書館本)―郭璞本をテキストに注釈している.
  • 清,欽定四庫全書[47](维基文库版)
  • 清,郝懿行『山海経箋疏』[48] ―郭璞本テキストに更に注釈本です.今なところ, 最も信頼できるテキストなよです.
  • 清,汪紱『山海経存』[49]と形天図[50](ホントは『広注』と『四庫全書』の間ですが,海外西経は郝氏『箋疏』より後に畢沅『山海経新校正』から補っただそうで,同時に形天図も加えたそですからここにはめます)
  • 四部叢刊初編[51](维基文库版)
  • 袁珂『山海経校注』上海古籍出版社 1980.7[52] ―郭璞本テキストに更に注釈本ですが,ネット拾いなので正確かどおかは分かりませぬ.
  • 日本訳
    • 高馬三良,平凡社中国古典文学大系,1969.9―底本は郝氏『箋疏』(中国の古典シリーズ本1973と平凡社ライブラリ本1994/01もあります)
    • 前野直彬,集英社全釈漢文大系,1975.10―底本は郝氏『箋疏』,《天》とも言うと注釈ある.
    • 高芝麻子・竹田晃,明治書院中国古典小説選,2007/07―底本は袁氏『校注』,《天》とも言う注釈ある.
以上は朴斎大野圭介氏HP[53]を参考しました.
  • 事実3,ところが今あるテキストは全て明以後で,《形》と《》どちらが正しいかったかは分からない.(明代に覆刻された宋本はあるみたいですが)宋以前により確かなテキストが発見さる可能性はあって,真実は《天》が正しい可能性あります.(それでもたどれるはせいぜい郭璞までだが,それ以前も発見される可能性もないわけない)
  • 事実4,ところが《天》表記が正しいと主張学者もいて,人によって《形天》と《天》に分かれています.参考に議論中に出てきた中で形(刑)天を主題にした論文だけを代表に出します.これを論文かどうかは意見が分かれるかもしれませんが,形(刑)天をじっくりたっぷり説明しているは議論で出ているところはこれだけです.
  • 袁珂『中国の神話伝説』,青土社1993,黄炎篇第7章(元は「中国神話伝説」(中国民間文芸出版社, 1984)です) ―袁氏は《天》が良いと主張しますが《形》かみしれないとも言います.
  • 事実5, 中文版wikipediaや百度百科[54]では《天》になっている.(百度では《形天》は茅盾にredirect)そして,维基文库はもともと《形天》だったが,2011年5月22日 (日) 05:57に楊錫彭『新譯山海經』(三民書局,2004)を根拠に《(形とも)天》言う形に書き変わっている.(実物を見ていないから『新譯』が《天》だかは確認していません)そして,現代の中文でも言及する人は《天》が主だそうだと報告がありました.(真偽は分かりませんが)

上大前提と事実5個を前提に論点ですが,

  • 論点1,事実2の主的テキスト(=一次資料?)は信頼できないか?
Wikipedia:信頼できる情報源―用語の定義―情報源―一次資料に
ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです
とあるが,テキストは一次資料だから大字部分を根拠に記事名にするのは絶対のダメと主張人がありますが,テキストを一次資料とするとして,それを記事名とするはホントにダメか?そもそも記事と記事名は扱いは同なのか?(これ条件は記事名にもあてはまるか?記事名はWikipedia:信頼できる情報源の方針にどこまで縛られるか?)そして,今的テキストを一次資料とするとして,”一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです”に当てはまらないか?
  • 論点2,《形天》か《天》かどちらが正しいとも言えない今段階で,記事名はテキスト通り《形天》にして,記事中で《天》とも言ってそれを妥当とする説があると書く今的構成ではダメなのか?
  • 論点3,中文版と記事名が違っていて良いはずがないと意見があるが,ホントに良いはずないのか?
  • 論点4,そして結論に《形天》と《天》どちらが良いか?

でした. --210.224.49.18 2020年9月13日 (日) 23:00 (UTC) 少し変えました--210.224.49.18 2020年10月13日 (火) 00:20 (UTC)[返信]

コメント >引っ込みがつかなくなってはテキストに目も通さずに『かわら版』を根拠な水木氏図鑑で記事名議論をはじめたGreifさんの法ではないか思いますが,それは言わないでおきます
だから水木しげるの図鑑は一般向け書籍の一例として紹介したに過ぎないとすぐ上で言ったでしょう?テキストが元々どうなっていたかは問題ではないと散々言ってますし。それと、前にも言いましたが、新規参加者が来た場合、これまでの議論を知った上で判断して欲しいのでセクションはやはり分けないで下さい。それに、こうやってセクションを分けて自分の賛同者が来るのを待っているようですが、多分もう誰も来ないと思います。コメント依頼には私が4月の時点で既に依頼を出していて今に至りますし(あなたが先月依頼を出した後、私が出した古い方は重複なので削除されました)、プロジェクト‐ノート:神話、中国でコメント依頼出してからもそろそろ一ヶ月近く経ちますから、今更セクション分けても新しく議論に参加する人がこれ以上増えるかは疑問です。ただし、これまでの議論を無かったことにしたくないというのもあるので、やはりセクションは分けません。それと、HWTOFさんが仰る通り、議論は平行線の様なのでWikipedia:論争の解決に基きステップ4の投票を行いたいと思います。それでよろしいですね?でないと議論は永遠に終わりません。--Greif会話2020年9月14日 (月) 16:24 (UTC)[返信]
コメント 返信遅れました。私は構いません。--HWTOF会話2020年9月21日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
コメント 回信 議論が止まっていますが,もしもして我の返信を待ているでしたら悪いだったよ.我も投票はかまいません.正し,我はIDユーザーなだから投票できませぬから,投票にあたっては上野論点整理についてのお意見は付けてほしいだけは希望します.そしてところが,投票ためになおさらら論点整理ためのセクション分けるは必要だと考いますが,どおせ消されるだからもおどおでも良い思いました.ところが,上の論点まとめが”賛同者が来るのを待って”つごう良いくまとめているだけのものだたらお指摘して正しいくまとめなおしてください.足りないだったら付けたしてください.ところが,今段階の論点整理で好なら,我の考いですが,
  • 論点1:記事名と記事は扱いは別だろと考いますが,それ別にして,高馬氏訳も前野氏訳も,そして底本の郝氏『箋疏』もじゅうぶん信頼できる考います,むしろ今段階で確かさで言えば,テキストが《形天》なだから,”記事名《形天》”が解釈が入るすき間ないくいちばん信頼できる記事名とと考います.
  • 論点2:だから,今構成で良い考います.
  • 論点3: これは別議論になるでしょうが,中文版は盲従して好か疑問ですから,むしろ違って良い考います.
  • 論点4:だから, ”記事名《形天》”で良い考います.
と考いましたが,投票前に論点に対するGreifさんとHWTOFさん的結論的お意見ください. --210.224.49.18 2020年10月6日 (火) 00:10 (UTC) 少し変えました--210.224.49.18 2020年10月13日 (火) 00:20 (UTC)[返信]
コメント IPユーザーでも投票はできるでしょう?不正防止のために参加資格はログインユーザーのみにする予定ですが例外的に貴方だけ参加を認めます。論点まとめのためのセクション分けは投票開始時になってからやらなければならないと思っていたので議論継続中は差し戻ししました。論点整理の節には私と貴方の両方の意見を書けばいいと思います。セクションを作ったら貴方が今書いた論点1〜4をそのまま載せておきます。付け足したいことがあったら書き直して下さい。
それから投票のルールについてですが、
  • 投票の選択肢は「形天」と「刑天」の二つ。
  • 投票場所はこのノート。
  • 投票の期間は二週間(ルールの合意が得られ次第開始します)。
  • 投票の結果一票でも多い方を記事名とする。
  • 投票の参加資格は初回編集から一年以上経過したログインユーザー(それだとVetalapancavimsatikaさんが参加出来なくなりますがあの方は「もし多数決になっても票数には数えないでください」と仰っているので問題は無いでしょう)。
これでよろしいですね?何かご意見はありますか?
それと最後に、この投票が論争解決の最後の手段になりますので、投票結果には必ず従って下さい。後から「こんな投票は無効だ」とか「この投票のここがおかしい」とか言い出してごねられると永遠に議論が終わらなくなります。ここではっきり約束して下さい。--Greif会話2020年10月6日 (火) 20:23 (UTC)[返信]
コメント 以前少し発言した者です。確認ですが、もし将来的に「形天」表記が有名になりうる事態が起きた場合は再検討することは認めていただきたいと思います。たとえば今年の「アマビエ」みたいに急に「形天」がブームになることだってあるかも知れませんので。それにしても郭璞の『山海経』で親しんでいた人にとっては「形天」表記が自明(なにしろ「形天」と書かれている)だったのに、袁珂のおかげか「刑天」表記がここまで広まるとは驚きですね。私も1980年代にこの存在を知ったときは「形天」だったので、なんか最近は「刑天」表記が増えてきたなぁと漠然と感じていました。ちなみに二階堂善弘『中国妖怪伝』(平凡社新書、2003年)では「形天」表記でした(p.42)。その本のなかで『中国神秘文化辞典』という本を紹介しており、さまざまな「妖怪」なども取り上げられているそうです。面白そうですね。最後に、以前書きましたが、この改名議論が収束してくれるのなら改名に反対はしません。もし無事に改名されましたら、Greifさんや皆さんの手によって記事内容が充実されることを願っています。--ねこざめ会話2020年10月12日 (月) 15:16 (UTC)[返信]
コメント 貴方はもう二度と来ないかと思ってましたよ。勿論、将来「形天」ブームが来たとしたら再検討しますよ(カオスな世の中ですね)。私が初めて知ったのは恐らく90年代あたりで色んな妖怪図鑑で自然に知ったんですが、その時既に「刑天」表記が普及してましたね。松照庵さんの言う様に中国でも「刑天」表記の方が多くなったからでしょうか?後、『中国神秘文化辞典』は日本語訳版が出てない様なのでどちらの表記でも数には入れられませんね。--Greif会話2020年10月12日 (月) 20:47 (UTC)[返信]
返信 状況が変われば再検討することはお約束していただけましたので、私はこれにて失礼いたします。形天Tシャツなんてあったら面白そうですが、たぶんマイブームで終わるでしょう。90年代に「刑天」表記が増えたのは、1993年に出版された袁珂の『中国の神話伝説』(青土社)の影響かも知れませんね。それでは。--ねこざめ会話2020年10月15日 (木) 16:05 (UTC)[返信]
コメント 出来ればこの後の投票にも参加して頂きたいのですが。--Greif会話2020年10月16日 (金) 05:18 (UTC)[返信]
コメント 回信 できましたら,「投票の選択肢は「形天」と「刑天」の二つ。」は,「選択肢は「刑天」に改名は賛成か反対か」に変えませんぬか?投票的目的が絶妙に違てくる気がしますから.
ところが,ルールですが,要望が1個.投票では理由を書くするようしてください.それためにあなたもセクション分けようをかたくなに拒みで,はじまりからちゃんと議論読もうにこだわったですよね?我もそれために論点整理したですしコメント依頼もしたですよ.それぞれ的論点についてのお意見がないで,ふいんきで記事名を決めては,wikipediaの信頼性にかかります.そして,認識な間違いあったり,そもそも理が無い投票は必ず「この投票のここがおかしい」につながる考います.ですから,投票はできませぬが,「こんな投票は無効だ」まで言いつもりませんが,理由に疑問が出るときにこれはおかしいでわ?は言いたいいです.
そして,疑問が2個.投票が成立する人数が書いてませぬが,全員で何人がいるかで投票的正統性が変わると考いますが,多いにこしたはありませんが,賛成反対あわせで全員で何人で投票成立と設定するつもりですか?そして,一票差は誤差範囲で正統性に疑問出ませんか?
最期に,確認されますと,我は改名なしな現状維持な主張だから,議論終わらないでもいいのですよ.それだから,議論終わらせるには,テキストは無視して記事名「刑天」でなければならない正統的理由を出したら終わりますよ.--210.224.49.18 2020年10月13日 (火) 00:20 (UTC)[返信]
コメント 投票目的は変わりませんが、投票の選択肢は仰る通り「改名に賛成」か「改名に反対」でいいでしょう。投票者に投票理由を書いてもらうのもいいと思います。投票成立人数を決めなかったのは投票の参加者が恐らくかなり少ないだろうと思ったからです。まず、この議論に参加した人からして少ないですし、松照庵さんは8月末を最後に編集をされていないので参加してくれるかどうか不明瞭です。そうすると最悪参加者がたった4人になるかもしれません。投票の告知を見て集まってくれる人が多ければいいんですが、そこまで期待出来ないので投票成立人数をはっきり設定するのは難しいと思います。一票でも多い方を記事名とするとしたのもそのためです。別に一票差を誤差の範囲とは思いません。散々議論して来て全く平行線なんですからこうやって機械的に結論を出すしか解決法は無いと思います。ここがこうだから正当性が無いなんていい出したらきりが無いでしょう?難癖付ける理由なんて考え様によって幾らでも出てきますからね。それと、「テキストは無視して記事名「刑天」でなければならない正統的理由を出したら終わりますよ」と仰いますが、仮に大勢の人が改名賛成に投票した所で本当に従う気があるんですか?一次資料ではなく高次資料の多数派に従うべきという理由を大勢の人が支持したとしたら貴方はそれが正しいと認めるんですか?頑なに「一次資料の表記を優先すべき」と言って認めないんじゃないですか?それでは投票の意味がありませんよ?--Greif会話2020年10月13日 (火) 21:25 (UTC)[返信]
お久しぶりです。210.224.49.18さんが「投票前に論点に対するGreifさんとHWTOFさん的結論的お意見ください.」とのことですので、意見を述べさせて頂きます。"結論的(=結論の?)意見"というのがよく分かりませんが、論点についてはGreifさんが言いたい事を全て仰ってしまった感じです。投票の意義については「現時点でのケイ天の表記について」であり、ブームになる等、また改名が論議されるようなら、その時のためにこの場で少しでも有意義な意見を残しておくのが得策でしょう。つまり、改名が再論されるならその時はその時であって、現時点での合意を作りましょう、という意見です。
②また投票はそもそも「結論が出ないから」行われるものなので、投票で決定した事については異論は言えないでしょう(異論が言えるならば再論すべき時だと思います)。
③横槍を刺すようですが、『「刑天」でなければならない正統的(=正な?)理由』とありますが、それは既に示された出典の通りです。また、Greifさんも私も、「なければならない」とは一言も書いていません。あくまで望ましいのではないかと述べただけです。
④また、次の部分を読んで疑問に思ったのですが、『我も…(略)…ふいんき(=雰囲気?)で記事名を決めては,wikipediaの信頼性にかかります.そして,認識な間違いあったり,そもそも理が無い投票は必ず「この投票のここがおかしい」につながる考います.ですから…(略)…理由に疑問が出るときにこれはおかしいでわ?は言いたいいです.』とありますが、少なくとも、ここにいる/これから参加する人の誰が雰囲気で決めるでしょうか。しかし一応保険として、賛否だけ述べて理由を述べないのは票としてカウントされない、で良いとは思います(WP:BEANSもあるため)。また認識の間違いがあるなら、それを然るべき出典を以て証明するのがWikipediaではないのですか? 理由に疑問があるなら、とありますが、それを今議論しているのではないのですか? また、それぞれの意見に関しては他の場での投票では返信がなされているので、210.224.49.18さんの仰る事は現状でも十分可能だと思います。
⑤引用部括弧内については勝手に解釈した部分です。間違いあれば教えて下さい。--HWTOF会話2020年10月16日 (金) 12:46 (UTC)[返信]
コメント 回信 「仮に大勢の人が改名賛成に投票した所で」で,「多数派に従うべきという理由を大勢の人が支持したとしたら」正しくないと考えても従うしかないでしょう.正し,「大勢の人が」ですから,少ないでしたら,全員賛成でも「大勢の人」とは言えません思い納得も少ないくなりますから,ですから,投票の正統性を担保するために大勢の人はどれぐらいを考ええてますか?をおたずねし,1票でも多いは「大勢の人」になるかは疑問でないか?をおたずねでした.ですから,1票でも多いはまあまあ良いですが,人数はおまかせですから,投票成立はなん人以上だけは決めてください,そしてところが,それにみたさなかったり,賛成反対同数だったりなら改名はお見おくりですね.--210.224.49.18 2020年10月19日 (月) 23:30 (UTC)[返信]
コメント 過去に実施された投票の例を見ると参加者が何十人もいるのはWikipedia全体に関わるような影響力の大きい投票がほとんどで、大抵の投票は参加者が5〜10人程度で中には参加者1〜3人のものさえあります。投票成立人数を設定していない投票も多く、やはりこの投票でも投票成立人数をあらかじめ設定しなくて良いと思います。ねこざめさんも参加してくれるか不透明になりましたからね。設定するとしたら貴方含めてせいぜい5人と言った所でしょうか?その程度なら設定する意味が無いでしょう?「仮に大勢の」と言ったのは、投票結果に従う気があるか確認したかったからです。それに、投票人数が少なくても正当性が無いなんて事はありません。そんなルールどこにもありませんので。それと、参加者を増やすために参加資格を緩和して、初回編集から半年以上経過した編集回数100回以上のログインユーザーとします。--Greif会話2020年10月20日 (火) 20:07 (UTC)[返信]
コメント 通知が届いたのでまた来ました。私は投票は辞退いたします。改名提案に反対しないとは言っていますが、諸手を挙げて賛成というわけでもありませんので。なにより、いちばん重要そうな袁珂の著作を全く読んでいませんし、手元には「形天」表記の本しかありません。余談ですが、1989年に出版された『幻想世界の住人たちⅢ』は読んでいませんが、Truth In Fantasyシリーズなら巻末に参考文献のリストが載っていると思いますので、そこをみれば「刑天」表記となった資料が判明するかも知れません。--ねこざめ会話2020年10月24日 (土) 20:42 (UTC)[返信]
コメント 210.224.49.18さんへ、Greifさんの、“どの書籍でも「刑天」の表記で逆に「形天」という表記を見たことがない”という最初の改名提案理由に反対し、『山海経』に出てくる「形天」の記事なのになぜ「刑天」にしなくてはならないのかと反発した気持ちはよくわかります。私も初期の段階でなら反対していたと思います。でもその後、話しの流れが変わり(HWTOFさん登場以降ですかね)、『山海経』およびそれ以外の資料からこの存在について調べた、「刑天」と表記するのが妥当であろうという袁珂らの研究が文献によって示され、また私自身にも「刑天」表記を多く目にするようになってきた実感もありましたので、改名に反対はしないという立場を取ることにしました。そもそも記事名はWikipediaの仕様により一つをメインに据えているだけであって、それによって「形天」「邢天」「形夭」「刑夭」「邢夭」が否定されるわけでもありません。話しは変わりますが、有島武郎という作家に『生れ出づる悩み』という小説があります。これは大正時代に最初に出版されたときは『生れ出る悩み』という表記でした(厳密には「悩」は旧字体)。この本が1940年に岩波文庫に収録されたときは、題名は『生れ出づる悩み』となりました。この文庫は1962年に改版され、『生まれいずる悩み』となりました。そして2004年にまた改版され、今度は『生れ出ずる悩み』となりました。悩みましたが、記事内に“題名の表記については「生れ出る悩み」「生れ出づる悩み」「生まれ出づる悩み」「生まれ出ずる悩み」「生まれいずる悩み」など、一定していない”と書いて済ませました。読者の立場から考えると、Wikipediaの記事名にこだわるよりも、さまざまな表記があることを伝えることのほうが大事だと思ったからです。最後に、いまさらですが、アカウントの取得をお願いしたいです。210.224.49.18さんは困っていないのでしょうが、私は非常に話しがしにくいです。--ねこざめ会話2020年10月24日 (土) 21:32 (UTC)[返信]
コメント あ、いまアカウント取得すると投票資格失っちゃうとかありますかね? もしそうでしたら投票が終わるまではそのままで。--ねこざめ会話2020年10月24日 (土) 21:36 (UTC)[返信]
コメント 210.224.49.18さんは唯一の反対者ですし、特別に投票参加を認めるつもりですが参加してくれないでしょうね。参加を認めると言っているのに「投票はできませぬが」なんて言ってますし、投票参加人数を少なくして投票不成立を狙っているのでしょう。--Greif会話2020年10月25日 (日) 00:22 (UTC)[返信]
コメント 210.224.49.18さんが投票するのかしないのか分かりませんが、まず投票については「ある一定の合意がとれた」ならば実施してよいと思います。また210.224.49.18さんが忙しいようで投票に参加できない、または無投票だった場合は、これまでの主張が変わっていないものと見做し、反対としてカウントする、という旨を210.224.49.18さんに了解を取っては如何でしょうか(無投票の場合は、通常、反対理由の説明ができていない事になりますが、これまでに述べていらっしゃる事を反対理由とする、というのが仮案です)。
2. 投票については改名提案者のGreifさん、そして210.224.49.18さん、私が参加するとして、他にもこれまで議論に参加して下さっているねこざめさんが棄権(間違っていれば指摘お願いします)、Vetalapancavimsatikaさんと松照庵さんは不明(棄権?)という事で、既に4〜6人が関わっています。結果的に投票参加者数としては3になるかもしれませんが、これまでの議論は決して無駄なものではなかったと思いますし、これからの議論もそうでしょう。ですからここまでの議論を踏まえ、現状でも投票は成立するのではないでしょうか。
3. また、他人事ですが、私もねこざめさん同様、アカウント取得をお薦めします。アカウント制度に抵抗ある方でも、例えば(ここでは概要を述べるだけにしますが)、元々使っていたIPアドレスをアラビア数字にしたユーザー名で活躍していらっしゃる方もいます。その方など利用者の一部は、①IPは変わる事があり本人確認ができない、②責任の所在を明らかにできる、等の理由で取得しています。210.224.49.18さんは既にWikipediaにかなり貢献されていますが、アカウントを取得することにより、①・②ができるようになりますのでお薦めします。最後になってしまいましたが、ねこざめさんには「生れ出づる悩み」について参考例を示して頂き感謝します。--HWTOF会話) 2020年10月26日 (月) 13:10 (UTC)読み易さを考え間違えた部分を修正--HWTOF会話) 2020年10月26日 (月) 13:14 (UTC) 再修正(何度もすみません)--HWTOF会話2020年10月26日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
コメント そろそろ議論停止から一ヶ月経つんですが、お返事はまだですか?210.224.49.18さん。一ヶ月経過する26日までに返答が無かったら議論放棄と見做して改名しますよ?後から何を言っても聴きませんからね。--Greif会話2020年11月19日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
コメント いつまで待っても来ない上にこのままだと議論停止から一か月経過してしまうので改名しました。何故来ないのか存じ上げませんが、仕事が忙しいのは言い訳にはなりません。それでは、今まで長らく議論に参加して下さった皆さん本当にありがとうございました。--Greif会話2020年12月18日 (金) 16:30 (UTC)[返信]