ノート:引用/過去ログ1
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記事への要望
[編集]ニュークリティシズムにおけるT.S.エリオットの引用と伝統についての議論や、昭和40年代以降の日本文学と引用の関係についての議論への言及を希望します。--以上の署名のないコメントは、218.228.246.243(会話/Whois)さんが 2004年4月14日 (水) 07:35 (UTC) に投稿したものです。
外部リンク
[編集]- [ネットJ「くらしの法律相談」 http://www.houtal.com/journal/netj/01_3_15.html]
- 引用について:引用する際の3つの心構え(なるべく引用しない、など)を参照。ただし、MLの投稿が例として挙げられているが、この点については異論があるかもしれない(限定された参加者のみが読むMLの投稿は公表された著作物と言えるのかどうか?MLの規定で禁転載となっている場合はどうか?など)--忠太 2005年8月19日 (金) 12:43 (UTC)
引用の具体例
[編集]いったん本文に書いてみたのですが、一般化することの困難な事例が多数あり、かえって誤解を招くおそれもあると考え、ノートに移すことにしました。
(以下、引用2005年8月19日 (金) 07:33 の版からカット&ペースト)その後、加筆 --忠太 2005年8月19日 (金) 17:00 (UTC)
補足
[編集]- 法令、通達、判決などは非保護著作物であり(法第13条)、
上記のように自由に転載することができる(従って自由に引用も可能)。また、官公署の広報誌などで、禁転載の表示がないものは、広く制度の周知などを図るためのものであり、転載が可能と解される(法第32条第2項)。ただし、広報誌に寄稿された作家の署名記事や、学術的意義を有するもの(例:自治体史)などは法第32条第2項に該当しないと考えられるので注意。 - JASRACでは、歌詞について引用する必要がある場合は、直接問い合わせるよう呼びかけている。(4小節以内なら引用してもよい、などというのは誤解であると注意を促している)[1]
- 例えば美術書に、本文を補足するための小さな図版を掲載することはおおむね引用と認められているようである。図版そのものが鑑賞できる状態で掲載されている、として著作権侵害とした判例がある。参考:[藤田嗣治絵画複製事件 http://kida.biz/law/court601017ne2293.html]
- 公表されていない著作物(未発表の手記、日記など)を引用する場合は、法第32条には該当しない(正当な引用とは認められないため、著作権者の許可が必要)。
- 「事実の伝達に過ぎない雑報及び時事の報道」は著作物ではない(法第10条)とされるため、新聞記事は自由に転載・引用できると誤解される場合があるが、新聞社では著作権を主張しているため注意。(例えば著作権に関する読売新聞の見解についてはトップページの文末にある「著作権」を参照)
- 翻訳された著作物にも著作権がある。例えば古事記の現代語訳では、原書の著作権が消滅していても、翻訳者の著作権が存在している(没後50年保護される)。
- 日本語訳聖書の引用について、次のような見解が示されている。ネット上の引用についての説明は、教会や個人サイトなどでの引用を想定していると考えられ、Wikipediaに適用できるかどうかは不明である。
- 俳句・短歌(スタブ)
- マンガ(スタブ) サザエさん、小林よしのりの例
- Wikipediaにおける引用の是非については議論が行われている。Wikipedia‐ノート:著作権/ログ/2006年7月20日まで#引用について
2005年8月16日に加えられた節 趣旨 について質問
[編集]引用についての 議論 の最中に、その議論の参加者によって加えられた節 趣旨 とその 内容 について質問します。
著作権法第一条 と 引用 を結びつけて 「著作権法の目的の一つに『文化の発展に寄与すること』(法第1条)がある。自己の論説を展開するうえなどで、他者の著作権を不当に侵害しない範囲において、引用することが認められる。さしたる必要性もないのに、むやみに引用することは許されないと解される。」と解釈・理解する出典の提示をお願いします。
Uryah 2006年8月19日 (土) 08:51 (UTC)
- 個々の条文は法律の目的に立ち返って解釈するのはごく自然だと思われますが…。『著作権法の解説』(一橋出版)P81を参考にしましたので、是非図書館か書店でご参照ください。 --忠太 2006年8月19日 (土) 13:35 (UTC)
引用は、
語の意味は、「他人の著作を自己の作品のなかで紹介する行為」(福井健策『著作権とは何か 文化と創造のゆくえ』集英社新書、2005年 ISBN 4087202941 P176)のことです。
法の条文の規定では、
第五款 著作権の制限
- (引用)第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
と扱われています。著作権法(社団法人 著作権情報センター)参照。
北村行夫、雪丸真吾編『Q&A 引用・転載の実務と著作権法』中央経済社、2005年 ISBN 4-502-92680-9 の P10 “12 引用規定はなぜ定められたか”“QUESTON そもそも引用の規定がある理由は何でしょう”によれば、引用の趣旨は、
- 「文化の発展のために必要とされる」著作物の「無断利用の許容」の規定であるとしています。
『著作権法の解説』一橋出版 ISBN 4-8348-360-7 六訂版 第1刷 2005年11月10日 を読みました。設問24 引用 P70 に、「著作権法の目的の一つは、文化の発展に寄与することである。そのため、公表された著作物につき、利益を不当に侵害しない範囲で使用できる、とされている。その一つとして、『引用』がある。」とあります。これを私は、“「著作権法の目的の一つは、文化の発展に寄与することである。」だから、「公表された著作物」を使用できる。ただし、著作者・著作権者の「利益を不当に侵害しない範囲で」”と読みます。その言わんとするところは、上記と同じ、と理解します。
いっぽう現状の本記事の趣旨の節の記述は、“「著作権法の目的の一つに「文化の発展に寄与すること」(法第1条)がある。」だから「むやみに引用することは許されないと解される。」”と読めます。
法律の引用規定の趣旨 は、著作権の制限 であると考えます。引用の趣旨 の文面は、下記を提案します。
==引用(法律)の趣旨==
人間の文化活動のなかでは、批評・批判や、自由な言論のために、著作者・著作権者に断りなく公表された著作物を用いる要請が生じることがある。法文上の引用は、その要請を満たすために用意された「著作権の制限」「無断利用の許容」の規定である。著作権の保護と調和するように、条件が定められている。
Uryah 2006年8月20日 (日) 13:32 (UTC)
- 異論はないので、変更します。Uryah 2006年9月20日 (水) 13:38 (UTC)
- 前の版は何やらよくわからない解釈でしたので(「文化の発展に寄与すること」がどうしてそういう意味に発展するのか)良いと思います。--210.250.110.227 2007年2月22日 (木) 21:55 (UTC)
記事の構成について
[編集]当記事の構成について、法律の条文を先に判例を後に記述した構成に変えることを提案します。Uryah 2006年10月5日 (木) 10:51 (UTC)
- 異論はないので、法の条文を先にします。Uryah 2006年10月8日 (日) 01:54 (UTC)
引用先が自分の作成した文章であること
[編集]条件の中の「引用先が自分の作成した文章であること」についてですが条文の中にそういった意味の記述はありませんし、多人数で記事を作るWikipediaにおいてこういった条件は判断がし辛くなると思われます。最高裁昭和55年3月28日の判決は正確には「自己の著作物を創作するにあたり、他人の著作物を素材として利用することは勿論許されないことではないが・・・」[4]というもので、これは「自分の作成した文章でないと引用してはならない」というのとは意味が違います。--2007年2月22日 (木) 22:36 (UTC) ← 210.250.110.227さんの発言です
- 引用先は、少なくとも、自分が関与した文章でないと、どうやって引用するのでしょうか? たとえば、 210.250.110.227 さんが書いた文章に、どうやって Uryah が(他の誰かの文章を引用して)持ち込むのでしょうか?Uryah 2007年2月25日 (日) 00:01 (UTC)
キャッチコピーと図書館での複製について
[編集]2007年2月22日 (木) 22:56 時点に在る記述「条件を満たさない場合でも以下のものは保護の対象にはならない」の中の下記について、知りたいので、典拠をお願いできますか?もしくは、どなたかご教示をいただけるとありがたいです。
- キャッチコピー
- 例えば図書館での複製 ← 経験上、図書館ではコピーは管理下に置かれる、と感じているのですが、コピー部数で法的・法解釈的に制限がかけられているのですか?それとも、自主的な安全対策、いわゆる自粛なのでしょうか?あるいは、限られた範囲内での私的利用であることを保証(?)するために、図書館の判断でたとえば1部とか、制限するのでしょうか?Uryah 2007年2月25日 (日) 00:06 (UTC) Uryah 2007年2月25日 (日) 00:59 (UTC)
- キャッチコピーは著作物ではないと一般的に解されていることについて、Wikipedia:削除依頼/魔女の宅急便を見つけました。なるほどです。
- “法律上の引用”は、 “(批評・批判や、自由な言論のために、)著作者・著作権者に断りなく公表された著作物を紹介するための「著作権の制限」「無断利用の許容」の規定である(ただし著作権の保護と調和するように、条件が定められている)” ので、もともと著作権の保護の対象にならないものをどう紹介しても“法文上の引用”とは関係ない、公に紹介する行為でない私的利用のための複製と“法文上の引用”とは関係ない、と理解しています。Uryah 2007年2月25日 (日) 12:04 (UTC)
著作権法30条の「私的使用のための複製」が該当すると思われます。内容は「個人的に又は家庭内、或いはこれに準ずる限られた範囲内において使用する場合は、権利者の承諾を得なくても複製を行うことが出来る。」というものです。図書館での複製はこれに当たると思われます。--Luilz 2007年3月7日 (水) 12:27 (UTC)
- 図書館でもし何十部もコピーをとったら、それは「私的使用のための複製」であるとみなされないのではないでしょうか?「私的使用のための複製」であることを担保するために、図書館ではコピーは管理下におかれる場合が多いと感じています。試しに、お近くの公立図書館で蔵書のコピーをとってみていただけませんか?
- 「私的使用のための複製」と「引用」とは、関係が薄いと思うのですが、いかがでしょうか?Uryah 2007年3月7日 (水) 13:12 (UTC)
何十部もコピーを取っても限られた範囲内なら違反にはならないでしょう。30条が言っているのは量じゃなくて使用範囲の問題でしょう。「限られた使用範囲内なら引用は違反にはならない」というのは引用に関係してると思います。--122.209.112.163 2007年3月9日 (金) 06:38 (UTC)
- 「何十部もコピーを取っても限られた範囲内なら違反にはならないでしょう」
- 「30条が言っているのは量じゃなくて使用範囲の問題でしょう」
- それは本当ですか?もう一度、質問させてもらいます(再確認させてください)。
- 122.209.112.163 さんは、「引用」を「どういう行為」と考えているか、教えていただけますか?Uryah 2007年3月9日 (金) 12:02 (UTC)
- 122.209.112.163さんの言っている通り私的使用のための複製において引用量は関係ないと思います。限られた範囲内であれば権利者の承諾を得なくても複製を行うことが出来る とあるのですから部数まで考慮する必要はない。--Luilz 2007年3月9日 (金) 16:35 (UTC)
- >私的使用のための複製において引用量は関係ないと思います
- 122.209.112.163 さんへの質問と重なりますが、「私的使用のための複製」と「引用」はどう関係するのか、Luilzさんの考えるところを教えていただけませんでしょうか?Uryah 2007年3月10日 (土) 08:32 (UTC)
著作権法で保護されないのですから条件を満たさない引用でも法に触れない点が関係あるのでは?--220.211.155.57 2007年3月13日 (火) 16:00 (UTC)
引用を巡る最近の情勢
[編集]この記述についてですが、これは「(フェアユースの考え方を使って)自由な転載を認めよう」という主張と「フリーライド(ただ乗り)は認めない」という主張の対峙なのじゃないでしょうか。
引用として認めようという主張なら、動画共有サービスで見ることの出来る動画には、一般に評価や感想や批評やが付いて流れているのでしょうか。個人的に何を望んでいるかは別にして、私見では、これは「引用として認めよう」vs「フリーライド(ただ乗り)は認めない」という対峙ではなく、「(フェアユースの考え方を使って)自由な転載を認めよう」vs「フリーライド(ただ乗り)は認めない」だと思うのですが、どんなもんなんでしょう?Uryah 2008年4月3日 (木) 14:14 (UTC)
- 該当の事例に対しての我々の解釈を議論するのではなく、信頼できる情報源の出典を探すか、信頼できる情報源を基に書き換えるかを行うべきでしょう。--iwaim 2008年4月3日 (木) 14:58 (UTC)
- YouTube 2008年4月3日 (木) 11:32の版 引用としての動画と放送局の対応に「放送局の不適切放送や虚偽の放送などを検証するためにYouTubeなどに動画をアップロードする行為は「引用」行為と解釈できるため」とあるのが、私見では、腑に落ちないので。
- 完全な私見では、批評などをくっつけて、その批評部分をこそ見て欲しいという意図でアップロードするなら、それは精神としては引用だと思いますが。
- 誰かが批評や検証をするために素材そのものをぽんと出すだけ、というのは、なんというのだろう?貸し借り?やっぱりこの場合は、転載じゃないだろうか。
- 転載は悪、と切りたいわけではなく、「フェアユースとしてこの種類の転載 2008年1月19日 (土) 16:37の版>は認めよう」という主張だと思うのです。
- でもまずは、向こうに典拠を募ってみます。Uryah 2008年4月3日 (木) 15:11 (UTC)
- 思うところについて、もう少し書いてみます。2点書きます。
- “動画共有サービスに画像をアップロードすることの是非”に引っかかっているのではなくて、「引用」と「転載」の字義そのものにまつわって、腑に落ちないのです。
- 「転載」とは、誰かが公開した著作物を他の誰かが別の場所に公開すること。
- 「引用」とは、「自分が公開する著作物」のなかに、他人の(他の誰かが公開した)著作物を含めること。
- だと思っているので、理由に関係なく、「自分の著作物」が不在なら、その行為を“「引用」行為と解釈できる”というのが腑に落ちないのです(“YouTubeなどに動画をアップロードする行為”について善悪とか賛成・反対とか言いたいのではありません)。
- かつて、「パロディ」は著作権侵害にあたらない、と主張するのに、法律の条文にパロディを支持する記述が無かったために、戦術として「これは引用として許される」と主張して、結果、引用の立場(?)・存在を弱くしたことがあります(最高裁判所昭和55年3月28日判決。六訂版『著作権法の解説』千野直邦、尾中普子 一橋出版 2005年 ISBN 4-8348-3620-7 P15 - 18 写真の著作物、『著作権とは何か』福井健策 集英社新書 2005年 ISBN 4-08-720294-1 P148 - 153 パロディモンタージュ写真事件、『Q&A 引用・転載の実務と著作権法』北村行夫、雪丸真吾編 中央経済社 2005年 ISBN 4-502-92680-9 P177 - 182 「主従関係」の要件で躓くのはなぜか 参照)。
- 今回の件は、その再来を想起させるのです。「社会的にフェアなやり方として(フェアユースとして)この種類の『転載』は許される」と主張するのが筋としてまっすぐのところを、現在の法律の条文では転載はほとんど認められていないから、という理由で戦術として「引用」を持ち出されたら、またぞろ「では、『引用』として正当と認められる場合を定義しましょう」として、「引用」の自由度がさらに狭めらる結果に陥るのではないか、と危惧するのです。Uryah 2008年4月4日 (金) 13:32 (UTC)
- Uryahさんの主張は解りました。しかし、ウィキペディアは演説をする場所ではありません。仮にYouTubeの該当箇所に適切な出典が付与された場合は、Uryahさんの主義主張に関わらず、ウィキペディア日本語版に該当の記述が掲載されることを妨げることはできません。(もちろん、適切な出典があれば何を書いてもいいということではありませんが、あの記述なら適切な出典があれば掲載しておくべきでしょう)--iwaim 2008年4月4日 (金) 13:51 (UTC)
- その通り。人によると思いますが、私は、「記述を急いで削除」したりはしません。2008年に、どんな典拠が付くかが楽しみであり、どんな典拠が付くかがポイントです。今回の場合は、この後社会がどう動くかが、注視してやがては記事に載せていくことになるのであろうという意味で、要注目ですね。Uryah 2008年4月4日 (金) 14:04 (UTC)
- 出典がない記述を除去するか否かは、その事例ごとに各個人が判断することになりますね。私は(引用が成立していると断言している)あの内容は明らかに問題があると考えていますので、一旦除去しました。付与される典拠を楽しみになさってたようですが、申し訳ない。--iwaim 2008年4月4日 (金) 14:26 (UTC)
- この問いが、なんで慌てて削除されなければならないのか(1)が、わからない。2008年にみる、わからない事象ですね。数年でも置いといて、推移を見守ればいいことだと私は思う。Uryah 2008年4月4日 (金) 14:44 (UTC)
- 何が言いたいのかさっぱり理解できません。《この問い》とありますが、どの問いでしょうか? また、私の投稿履歴へもリンクしていますが、どのような意図でリンクしたのでしょうか。--iwaim 2008年4月4日 (金) 15:10 (UTC)
- 申し訳ない、この言い方には賛(?)否両論けんけんがくがく在るし、自分自身はWikipediaに向かって感じたことはあまりなかったのだけど、本日の挙には心から実感した。ー>(ためいき)。Uryah 2008年4月4日 (金) 15:16 (UTC)
- 《この言い方》が何を指しているのかもさっぱり解りませんので、私の行動等に改善して欲しいことがあるならもっと表現をかえて会話ページ等への連絡をお願いします。--iwaim 2008年4月4日 (金) 15:26 (UTC)
- 申し訳ない、この言い方には賛(?)否両論けんけんがくがく在るし、自分自身はWikipediaに向かって感じたことはあまりなかったのだけど、本日の挙には心から実感した。ー>(ためいき)。Uryah 2008年4月4日 (金) 15:16 (UTC)
- 何が言いたいのかさっぱり理解できません。《この問い》とありますが、どの問いでしょうか? また、私の投稿履歴へもリンクしていますが、どのような意図でリンクしたのでしょうか。--iwaim 2008年4月4日 (金) 15:10 (UTC)
- この問いが、なんで慌てて削除されなければならないのか(1)が、わからない。2008年にみる、わからない事象ですね。数年でも置いといて、推移を見守ればいいことだと私は思う。Uryah 2008年4月4日 (金) 14:44 (UTC)
- 出典がない記述を除去するか否かは、その事例ごとに各個人が判断することになりますね。私は(引用が成立していると断言している)あの内容は明らかに問題があると考えていますので、一旦除去しました。付与される典拠を楽しみになさってたようですが、申し訳ない。--iwaim 2008年4月4日 (金) 14:26 (UTC)
- その通り。人によると思いますが、私は、「記述を急いで削除」したりはしません。2008年に、どんな典拠が付くかが楽しみであり、どんな典拠が付くかがポイントです。今回の場合は、この後社会がどう動くかが、注視してやがては記事に載せていくことになるのであろうという意味で、要注目ですね。Uryah 2008年4月4日 (金) 14:04 (UTC)
- Uryahさんの主張は解りました。しかし、ウィキペディアは演説をする場所ではありません。仮にYouTubeの該当箇所に適切な出典が付与された場合は、Uryahさんの主義主張に関わらず、ウィキペディア日本語版に該当の記述が掲載されることを妨げることはできません。(もちろん、適切な出典があれば何を書いてもいいということではありませんが、あの記述なら適切な出典があれば掲載しておくべきでしょう)--iwaim 2008年4月4日 (金) 13:51 (UTC)
- 思うところについて、もう少し書いてみます。2点書きます。
広くお伺い。
- 引用 2008年4月3日 (木) 11:29の版 引用を巡る最近の情勢に、「検証動画は引用の範囲内」とあるけれど、一般に、その検証動画にはそれを動画共有サービスに公開した人の著作物が入っているのでしょうか?
- 「自己の著作物」が入っていないのだとすると、その行為がどうして「引用」と関係があるのかが、素朴にわからない。
- ので、どうして「動画共有サービスに公開すること」と「引用」が関係があるのか、教えてください。
- なお、動画共有サービスにアップロードする行為についての善悪・賛成反対を言いたいのではありません。
Uryah 2008年4月4日 (金) 20:48 (UTC)
- その記述を記載した人に聞けばいいんじゃないでしょうか。また、あなたのその質問は、あなたの知的欲求を満たすための質問であって、(現状では)ウィキペディア日本語版の編集のために必要なことではないと判断します。ウィキペディア日本語版はそのような議論を行う場所ではありません。--iwaim 2008年4月4日 (金) 21:03 (UTC)
- >その記述を記載した人に聞けばいい
- ので、ここノートに書いています。
- >ウィキペディア日本語版の編集のために必要なことではない
- とiwaimさんは判断するのですね?
- 「引用」と「動画共有サービスに公開すること」が関係がないのであれば、記事「引用」に動画共有サービスの記述は要らないですよね?と私は判断します。ので、ここノートに書いています。
- 念のためまた書いておきますが、動画共有サービスに公開することの是非を言いたいのではありません。それと、もっと広く意見を知りたいと思いませんか?Uryah 2008年4月4日 (金) 21:26 (UTC)
- 《ので、ここノートに書いています。》とのことですが、記述した方の会話ページを使えばいいのではないでしょうか。
- 《「引用」と「動画共有サービスに公開すること」が関係がないのであれば、記事「引用」に動画共有サービスの記述は要らないですよね?と私は判断します》ですが、記述した人は関係あるとしている情報源があるからあのように書いているのではないでしょうか。もしくは独自研究かも知れませんが、その場合でも記述した人が関係あると考えているからあのように記述しているのではないでしょうか。とすれば、いずれにせよ「関係がある」という判断があったと想像できます。そのような状況化でその質問をしてどうしたいのでしょうか?
- 《もっと広く意見を知りたいと思いませんか?》については、私にとっても興味深い内容ですが、それがウィキペディア日本語版の目的外利用を行う理由にしてはならないと考えています。--iwaim 2008年4月4日 (金) 21:51 (UTC)
- >記述した方の会話ページを使えばいい
- 記事の記述をどうするかについて話し合うのが記事のノートだと私は思っているのですが、違いますか?
- >「関係がある」という判断があったと想像できます と >質問をしてどうしたいのでしょうか?
- そう、そう想像できます。その根拠を知りたい。
- >記述した人は関係あるとしている情報源があるからあのように書いているのでは
- では、該当箇所に典拠を募ってみますね?Uryah 2008年4月4日 (金) 22:10 (UTC)
- もちろん、《記事の記述をどうするかについて話し合うのが記事のノート》です。そして、私は、これまでのあなたの行動は、どのように記述するのかではなく、あなた自身の知的欲求を満たすために行っていると判断しています。該当部分の記述をどのようにするのかについては、2008-04-03T14:14:37(UTC)の版(差分)のように自説を述べるのではなく、出典の確認をすべきでしょう。それ以降の発言についても同様です。--iwaim 2008年4月4日 (金) 22:35 (UTC)
- ああ、なるほど。記事本文に{{要出典}}を入れたり、いきなり削除してノートへ持って行くのは「気がひける」ので、{{求む出典}}と書いてみたり、質問をまずノートに書いてみたりするのだけど、それは、書いた人への礼を失しない態度のつもりだったのだけれど、それだと、“記事の記述について共同作業として検討を提案している”本来の意は伝わらず、“自説を述べる状態”に見えることがあるんですね。以後、方法を検討します。Uryah 2008年4月4日 (金) 22:39 (UTC)
- 誤解であったのであれば失礼しました。そこに出典が必要と判断した上で、いきなり{{要出典}}を付与したり削除したりすることを避けたいと考えているのであれば、ノートに「(略)という理由で出典が必要だと考えています」などと書いておけばよいのではないでしょうか。--iwaim 2008年4月4日 (金) 22:50 (UTC)
- ああ、なるほど。以後、方法を検討します。コミュニケーションというのは難しいですね。Uryah 2008年4月4日 (金) 23:02 (UTC)
- 誤解であったのであれば失礼しました。そこに出典が必要と判断した上で、いきなり{{要出典}}を付与したり削除したりすることを避けたいと考えているのであれば、ノートに「(略)という理由で出典が必要だと考えています」などと書いておけばよいのではないでしょうか。--iwaim 2008年4月4日 (金) 22:50 (UTC)
- ああ、なるほど。記事本文に{{要出典}}を入れたり、いきなり削除してノートへ持って行くのは「気がひける」ので、{{求む出典}}と書いてみたり、質問をまずノートに書いてみたりするのだけど、それは、書いた人への礼を失しない態度のつもりだったのだけれど、それだと、“記事の記述について共同作業として検討を提案している”本来の意は伝わらず、“自説を述べる状態”に見えることがあるんですね。以後、方法を検討します。Uryah 2008年4月4日 (金) 22:39 (UTC)
- もちろん、《記事の記述をどうするかについて話し合うのが記事のノート》です。そして、私は、これまでのあなたの行動は、どのように記述するのかではなく、あなた自身の知的欲求を満たすために行っていると判断しています。該当部分の記述をどのようにするのかについては、2008-04-03T14:14:37(UTC)の版(差分)のように自説を述べるのではなく、出典の確認をすべきでしょう。それ以降の発言についても同様です。--iwaim 2008年4月4日 (金) 22:35 (UTC)
- では、該当箇所に典拠を募ってみますね?Uryah 2008年4月4日 (金) 22:10 (UTC)
- >記述した方の会話ページを使えばいい
- >その記述を記載した人に聞けばいい
典拠が付かないので、下記をここに移動しました。引き続き、広く、典拠を求めます。
- ===引用を巡る最近の情勢===
- ニコニコ動画やYouTubeといった動画共有サービスにアップロードされたテレビ番組が著作権を侵害しているとして削除されることが多いが番組の検証動画は引用の範囲内であって削除すべきではないという意見も多い。[要出典]
Uryah 2008年4月12日 (土) 23:18 (UTC)
(インデント戻します) この節の当初のテーマは次の部分です。「引用」2008-04-04T22:13:28(UTC)の版より引用します。
「 | ニコニコ動画やYouTubeといった動画共有サービスにアップロードされたテレビ番組が著作権を侵害しているとして削除されることが多いが番組の検証動画は引用の範囲内であって削除すべきではないという意見も多い。[要出典]
このように引用の規定はインターネット時代に対応しきれなくなっており日本でも正当な理由であれば著作物を自由に利用できるフェアユース規定を設けるべきだとする意見がある。[要出典] |
」 |
この部分ですが、著作権法の法解釈として引用と見做すことができると主張している方がいるならば、それが明確になるように出典が必要だと思います。2つめの文章についても同様です。これらの意見は、著作権法に詳しい人の法解釈なのかそうでない人の法解釈なのかによって、この部分の読者の解釈が大きく変わってくるからです。(そういう意味では{{誰}}の付与の方が的確かも知れませんが、どっちでもいいとは思う) --iwaim 2008年4月13日 (日) 11:05 (UTC)
- ご参照。Uryah 2008年4月13日 (日) 12:16 (UTC) 訂正Uryah 2008年4月13日 (日) 12:28 (UTC)。こちらもご参照。Uryah 2008年4月13日 (日) 12:26 (UTC)
この項目を書いた者なのですがここまで議論になるとは驚きました。2ちゃんねるでは報道の動画まで削除するのはおかしいと言う意見が多いので書いたのですが。出典を探しているのですが中々見つかりませんね。G7gh8t 2008年4月14日 (月) 05:27 (UTC)
- コメントありがとうございます。特定状況下に関しては引用が成立するという主張はあってもおかしくないとは思っていますので、私もどこかで出典となりそうな記述があればそれを基に復帰か執筆を行いたいとは考えています。--iwaim 2008年4月14日 (月) 05:43 (UTC)
情報源求む
[編集]この問い から半年経ちましたが、引き続き、典拠になる情報源を、ご存知の方、よろしくお知らせください。
- 検証可能性を満たしたうえで世の中に複数論在る場合は、誰々によるとこう、何某によればこう、と並べて挙げておくのが百科事典だと思う(2007年11月15日 (木) 23:46 の版)ので。Uryah 2008年10月3日 (金) 21:48 (UTC)
引用にあたると理解する考え方
[編集]- 考え
- 典拠
(ここに情報を下さい)
引用にあたらないと理解する考え方
[編集]- 考え
- 1(引用と転載の違い)
- 典拠
- ※「転載とは」
- 転載 - Wikipedia 2008年1月19日 (土) 16:37 の版(←Wikipediaの記事なのでなんですが)
- 「引用とは」
- 六訂版『著作権法の解説』千野直邦、尾中普子 一橋出版 2005年 ISBN 4-8348-3620-7 P70 用語解説 引用
- 『著作権とは何か』福井健策 集英社新書 2005年 ISBN 4-08-720294-1 P176 引用
- 「はじめての著作権講座」の引用の項 と 引用するときの注意点についての記述 2008年10月4日再閲覧(社団法人 著作権情報センター)
- 『詳解 著作権法』第3版5刷 作花文雄 ぎょうせい 2007年8月10日 ISBN 978-4-324-07517-3 P334 第4節 引用(第32条) 1.引用 (1)引用の要件
Uryah 2008年10月3日 (金) 21:48 (UTC)
引用(citation)の定義への疑問とcitation定義の追加の提案
[編集]日本語で使われている「引用」の意味につてはご記載のとおりではないかと思えますが、英語のCitation、特に、Wikpediaのシステム上の文脈でのcitationの説明としては不十分であると思います。Wikipediaではcitationを次のように説明しています。
- "A citation, or reference, is a line of text that uniquely identifies a source:" (Wikipedia:Wikipedia:Citing sources (出典を明記する 英語版 oldid=517268870 2012/10/14現在の最新版) )
つまり、 「出典情報を他と区別して特定するための一行のテキスト」 というわけです。 そこで、Wikipediaにおけるcitation、英語のcitationについて正確に説明を追加することを提案します。 なお、先のen:Wikipedia:Citing_sourcesによれば、この定義はWikipediaのローカル定義ではないことがその出典情報から推察されます。--Kanehiro(会話) 2012年10月14日 (日) 08:23 (UTC)
「無断」と言う言葉を無理に変える必要があるのか
[編集]「整合性を取るために当該箇所の「無断」という語を削除または「権利者に無許可」に置換」と言う行為をする必要があるのか? --Gorgo 13(会話) 2012年11月4日 (日) 15:36 (UTC)
- 「社会通念上において現在も使われている」「無断」と言う言葉の辞書的な意味参考資料を参考とし「相手に断らないこと。承諾や許可を得ない」を「現在おいても使われている「無断」と言う言葉」の出発点とします。そのうえで、「整合性を取るために当該箇所の「無断」という語を削除または「権利者に無許可」に置換」と言う行為をする必要性」を説明します。
- まず『「無断」という語の「削除」』についてですが、本項のページのはじめに記述された「この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。」に従い日本の著作権法を適用すると、その後の記述「権利者が拒否できるのは、著作権法の引用の要件を満たさない違法な無断転載等に限られる。」のように「権利者が拒否できる違法性の有無の判断」が問題とされている箇所については、「無断」行為のみに限定するのではなく、「違法な「無断」行為以外の違法な行為」に対しても「権利者が拒否できる」と読み取れる記述に変更するべきだと考えられます。よって、同様に「権利者が拒否できる違法性の有無の判断」が問題とされている他の箇所についても「合法/違法な無断」の「無断」という語を削除し「合法/違法な」としています。
- 次に『「無断」という語を「権利者に無許可」に置換』についてですが、無許可とは「権利者に連絡や許可申請をせずに」の意であり、この中で使われている言葉の辞書的な意味に連絡 2(デジタル大辞泉)、許可 1(デジタル大辞泉)、申請(デジタル大辞泉)を用いると、本項の「(合法となるための)要件」の節と「引用以外の合法な無断利用」の節においては 「権利者が拒否できない合法性の有無の判断」が問題とされていると考えられます。よって、これらの節では「合法とされる例外」について日本の著作権法および本項で引用されている文化庁からの文章内で使われている意味での「引用」「転載」を言葉の意味として扱い、「権利者が拒否できる違法性の有無の判断」の根拠としては不適当な「無断」という言葉を削除しつつ、社会通念上事前に成されておくべきだと考えられる「権利者に連絡や許可申請をせずに」の意として「権利者に無許可」を挿入しています。--Ym1234(会話) 2012年11月4日 (日) 17:44 (UTC)
- こちらについて異論や新たな議題の提案が無いようでしたら、編集します。--Ym1234(会話) 2012年11月5日 (月) 16:12 (UTC)
無断と言う言葉を文字数を増やしてまで変える必要があるのかとお聞きしているのですよ?「権利者に無許可」と言う言葉は無断と言う意味合いでも十分にくみ取れる問題と判断していますが? そして、私とあなたの議論における合意だけでは不足と思われます。他の方の判断も仰ぐべきじゃないでしょうか?従来から問題なく書かれているのを独自の判断と主観で変更するのはどうなのでしょうかね?あなたはここを百科事典から国語辞典にでも変えたいのでしょうか? --Gorgo 13(会話) 2012年11月6日 (火) 02:56 (UTC)
- 『「権利者が拒否できる違法性の有無の判断」が問題とされている他の箇所について「合法/違法な無断」の「無断」という語を削除し「合法/違法な」とすることについて、異論や新たな議題の提案が無いようでしたら、その部分は編集します。
- 「合法とされる例外」について日本の著作権法および本項で引用されている文化庁からの文章内で使われている意味での「引用」「転載」を言葉の意味として扱い、「権利者が拒否できる違法性の有無の判断」の根拠としては不適当な「無断」という言葉を削除することについては、異論や新たな議題の提案を待ちます。
- 2文字を7文字に増やすことの必要性については、議論があると考えられます。
- 本項では、「無断」という言葉を「現在の社会慣行」の観点から見ていくのが良いと考えられます。
- 本項で「辞書的な意味を超え」て【無断】という言葉が使われているとしたら、『「辞書的な意味よりも幅広い意味で『無断』という語が用いられている」という主旨の説明を付与』したり『特定の単語の「語釈」についての説明を過度に供給』することについては議論のあるところだと考えられます。--Ym1234(会話) 2012年11月6日 (火) 05:44 (UTC)
- コメント えと、文字数は数字程度なら気にすることはないです。
- 慣習として、著作権法関係の世界では、無断や無許可よりも「無許諾」のほうが一般的でしょう。「許可/無許可」にしても「無断」にしても、条文に現れる表現ではないです。
- 「無断」という表現は、著作権に基づくところで一般的に多用されています。通常、「無断転載を禁止する」という表現は、39条の時事的論説に限るものではありません。無断「相手に断らないこと。承諾や許可を得ないこと。」の転載「既刊の印刷物の文章などを写し取って、そのまま他の刊行物に載せること。」(いずれもコトバンク/デジタル大辞泉)は、複製権の侵害となりますから、そのことを喚起しているわけです。39条を扱う部分で注意しなければならないのは「無断」ではなく、「転載」のほうですね。
- 引用の文脈では、「無断」が不適切だとも思いませんが、無理に使う必要もありません。「無許可」も同様です。修正するなら「無許諾」「許諾なく」といった表現でしょう。より丁寧に言えば、権利が制限されるので、許諾の有無に関わらず利用できる、ですけれども。--Ks aka 98(会話) 2012年11月6日 (火) 08:09 (UTC)
- では、本項で日本の著作権法と関係付けて記述される箇所については「許諾」の意味を「著作権法(著作物の利用の許諾)第六十三条 著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。」に基づき使用します。
- しかし、この条文には「著作権者が他人に対し利用を許諾する」場合についての記述がされていますが、「利用者が著作権者から利用を許諾される」場合については記述されていないため、「利用者が著作権者から利用を許諾される」場合についての説明には「許諾」という言葉は使用せず、「権利者に申請」という言葉で表現するのが良いと考えられます。
- 日本の著作権法39条を扱う部分では、「無断な」行為かどうかに関わらず、「転載」行為についての違法性のみについて記述するのが良いと考えられます。--Ym1234(会話) 2012年11月6日 (火) 09:57 (UTC)
- 条文に「著作権者が他人に対し利用を許諾する」場合についての記述はあるけれど、「利用者が著作権者から利用を許諾される」場合については記述されていないからといって、「利用者が著作権者から利用を許諾される」場合についての説明に「許諾」という言葉ではなく「権利者に申請」という言葉を用いる事について、もう少し具体的な説明をお願いします。記事本文の、どの部分にそのような用語の使用が適切と判断される箇所があるのでしょうか?--Rienzi(会話) 2012年11月11日 (日) 02:28 (UTC)
- 情報源のお知らせ。「無断利用の許容」の出典は、北村行夫、雪丸真吾編『Q&A 引用・転載の実務と著作権法』中央経済社、2005年 ISBN 4-502-92680-9 の pp.10-11 “12 引用規定はなぜ定められたか”“QUESTON そもそも引用の規定がある理由は何でしょう” です。出典のお知らせでした。Uryah(会話) 2012年11月18日 (日) 09:14 (UTC)
出典が明示されていない編集を分離記述または除去します
[編集]現在、別の節で行われている議論と混同することを避けるため、新たに節を追加します。 本項「引用」の記事本文において、Wikipedia:検証可能性を満たしていない記述がありますので、これを除去または一部を分離して記述することを事前に告知します。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 13:44 (UTC)
無断リンクの二の舞になることを避けるため、具体的に、記事本文のどの部分がWikipedia:検証可能性を満たしていないのかを、このノートページ上で明示し、合意形成がなされてから編集してください。編集合戦を招く可能性もありますので、ご注意ください。--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 14:14 (UTC)
「Wikipedia:方針とガイドラインの一覧#方針」にあるような「方針とガイドラインですらコミュニティ内の広範な合意を持ったもの」であると考えられます。それに不満があるのであれば、合意形成を行ってください。 ただし、その議論を行う意味のある場所は本項「引用」のノートページではありません。 面倒くさがらず、「Wikipedia‐ノート:検証可能性」等、適切な議論の場へと足を運んでください。 ここは「Wikipediaコミュニティの内側」です。「Wikipedia方針に異論がある」のならば、「Wikipedia内の用意された場で」議論を行ってください。 「ノートページをいたずらに長大化させる」ことを防ぐためにも、ご協力をお願いします。 なお、「Wikipedia方針」を無視したコメントには、じゅうぶんご注意ください。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 14:21 (UTC)
話をそらさないでください。『無断リンクの二の舞になることを避けるため、具体的に、記事本文のどの部分がWikipedia:検証可能性を満たしていないのかを、このノートページ上で明示し、合意形成がなされてから編集してください。』という私のお願いに対し、どのように対処なさるおつもりかを簡潔にお答えください。--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 14:29 (UTC) 修正--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 14:29 (UTC)
「Wikipedia方針」とは、多くの方には言うまでもなく「Wikipedia:方針とガイドラインの一覧#方針」にあるものです。一刻も早く、一人でも多くの執筆者に「方針」と「ガイドライン」の違いが理解されることを期待します。なお、「Wikipedia方針」を無視したコメントは、一切するつもりはありません。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 14:44 (UTC)
ノート:無断リンクからのコピペ[5]程度のコメントしかいただけないとはがっかりです。『無断リンクの二の舞になることを避けるため、具体的に、記事本文のどの部分がWikipedia:検証可能性を満たしていないのかを、このノートページ上で明示し、合意形成がなされてから編集してください。』という私のお願いに対してどのように対処なさるのか、コメントをいただけませんでしょうか?
また、Ym1234さんはWikipedia:方針とガイドラインの一覧#ガイドラインをお読みになられたことはありますか?署名補完--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 15:07 (UTC)
各所で同様の質問を繰り返す方がいるため、どうしてもコピーアンドペーストに近いものとなりますが、 Wikipediaコミュ二ティ内において、「Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけ」を読んだ初心者が、一人でも多く「方針」と「ガイドライン」が「Category分け」されている意味を理解することを期待します。また、そのような初心者の方たちにこそ、『「Category分け」されている意味」とそれらの「違い」』、『「個別の事情に応じて例外を適用」してもいいかどうかの「違い」』について冷静に考える能力が身に付くものと期待しています。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 15:02 (UTC)
「同様の質問」との仰せですが、質問文をきちんとお読みになられていますか?もし、質問の内容がわからない、質問に答える気がない、という事でしたら、不用意に発言することをお控えください。あなたの主張や読解力はよくわかりましたので、もう同じことを書いていただかなくても結構ですよ。--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 15:07 (UTC)
現状でYm1234さんによって編集が行われることは反対します。具体的な「Wikipedia:検証可能性を満たしていない記述」について言及できず、そのためYm1234さんさんのなさりたい編集について合意形成をはかることもできません。いくらYm1234さんが、「方針とガイドラインですらコミュニティ内の広範な合意を持ったもの」を行うとおっしゃられても、これまでのYm1234さんの編集履歴は編集合戦に直結するものであり、再び編集合戦にならないか危惧されるのは必然のことです。また、一連の議論におけるRienziさんへの返答も不誠実なものであり、編集合戦の要因となる他者の対話能力の不足を自ら証明し、強い不安を覚えます。そのため、現状のままYm1234さんが編集することを賛同することはできません。一端、現在提出されているWikipedia:投稿ブロック依頼/Ym1234の結果をお待ち下さい。自分の行おうとしている編集や対話姿勢がコミュニティに問題ないと受け入れられるか、判断を委ねて下さい。もちろん、同様の提案がなされている他の項目も今は編集を強行しない方がいいでしょう。--Sikemoku(会話) 2012年11月14日 (水) 15:30 (UTC)
私には「Wikipedia方針」に従わずに加筆修正する意志はありませんので、出典の無い記述について合意を求めるようなことはいたしません。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 17:02 (UTC)
Ym1234さん、「Wikipediaの方針に従わない加筆修正」を行なわないのは、記事の品質を守るという意味でも、妥当だと思います。ところで、「出典の無い記述について合意を求めるようなことはいたしません」との仰せですが、「出典の無い記述を、ノートでの意見交換なしに削除する」ことについては、どのようにお考えでしょうか?(単に「告知」を行なっただけでは意見交換が行なわれたとは見なされません)--Rienzi(会話) 2012年11月14日 (水) 17:20 (UTC)
「Wikipediaの方針」「Wikipedia:ガイドブック 編集方針」に従います。--Ym1234(会話) 2012年11月14日 (水) 17:44 (UTC)
- 第三者の執筆者の方に、本項「引用」記事本文の内容充実のために、「記事本文に出典明記」へのご協力をお願いします。
- 記事本文で表示されているように、
- 『この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年11月)』
- 『この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2012年11月)』
- について、第三者の協力を求めます。
- 「記事本文に出典明記」された情報源については、このノートページにて検証した後、合意形成を行います。
- できる限り多くの執筆者が参加されることを期待します。--Ym1234(会話) 2012年11月15日 (木) 04:46 (UTC)
コメント 議題の発議者たる、Ym1234氏が無期限ブロックを受けた(→Wikipedia:投稿ブロック依頼/Ym1234)ため、本議題についてはクローズを提案いたします。--Rienzi(会話) 2012年12月6日 (木) 13:53 (UTC)
要約による引用
[編集]「内容の同一性が保たれた要約による引用は翻案ではなく複製であり」 というのは “「血液型と性格」要約引用事件”の判決とは合わないので、独立の出典を見つけるか削除の必要があると思います。 “「血液型と性格」要約引用事件”では翻案であると認めた上で、ぎりぎり正当な引用なので権利侵害にならないという判決であるように読めますから、 「翻案ではなく」とはむしろ逆の立場になります。 --T6n8(会話) 2013年6月18日 (火) 22:16 (UTC)
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