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Wikipedia‐ノート:著作権/ログ/2006年7月20日まで

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投稿とGFDL

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簡単にまとめると、ウィキペディアへ投稿することは、

  1. 著作権を保持したまま、GFDLの下で改変・複製・再配布を許諾するもの。
  2. ただし、ウィキペディア内での改変・複製に関する限りは、GFDLが適用されない(=履歴が欠落する)場合がある。
  3. しかし、そのような場合でもできうる限り、欠落した履歴を補うように努める。

という点については問題ないですよね。

GFDLの下で、履歴を保存することの意味は、以下の2点です。

  • 投稿者の名を保持することで、投稿意欲を確保する。
  • 外部利用者へ履歴情報を提供する。

ですから、履歴が消えてしまった場合は、ノートあるいはサブページに記録して、該当記事の履歴ページから要約欄を通じてリンクする。事後的なものであっても、その旨の注記があればOKとする。とするのが良いのでは。また、著作権者が再投稿し直したいと希望するのであれば、履歴の不完全な記事を削除して再投稿するという方法もありえます(その後に誤字の訂正等を超えるような大幅な加筆がある場合は、その加筆者の同意が必要になるかと思いますが)。GFDLとの適合性の理屈としては、このようにすることでGFDLの趣旨を実現することができるから、で十分に思います。

ノートページから別のノートページへの引用は、どこのページの誰の発言であるかを併記すれば、OKというのが実際的なルールだと思います。厳密にはノートページへの投稿もGFDLで許諾してるわけですが、ノートの外部利用って考慮しないといけないのでしょうか? ノートの場合は、履歴保存の意味の1. は履歴ページに残されるよりも、文中で明示してくれた方が満たされると思うのです。ですから後は、外部利用者の便宜をどう捉えるかです。 oxhop 2005年2月18日 (金) 22:30 (UTC)

GFDL1.2への移行

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  • 日本語版は、GFDL 1.1以降の適用となっているので、1.2へ移行してもこれまでの投稿は何ら影響を受けない。
  • GFDL 1.2 では、「免責事項」をつけることができる。→Wikipedia:免責事項またはWikipedia:利用規約を完成させる必要がある。
  • 他言語版は、GFDL 1.2以降での利用を許諾しているので、日本語版が1.2へ移行する前に他言語版から持ち込まれた記事や画像は、GFDLに反するのではないか?
要点のみまとめてみました。3点目は、該当するものをすべて削除するのも大変ですし、その後、同じものを再アップするとなるとそれも無駄な労力となりますので、まずは、GFDLに反しないという結論を出すための理屈を考えてみるのが良いのではないでしょうか? --oxhop 2005年2月18日 (金) 22:36 (UTC)
3番目ですが、反応が全くない以上現在は他言語版からの転載となってる物は削除していかないとだめなんじゃないでしょうかね。--en:Template:If defined call1およびen:Template:Template call1をja.wpでも使いたいがGFDLバージョンの問題があり使えないと悩んでいる横でWikipedia:バベルが整備されていったことに憤慨しているPiaCarrot 2005年8月5日 (金) 11:15 (UTC)
追伸:原文を含まない翻訳記事については「元にした記事も参考にはしている」程度で考えれば救済は可能ではないかと。--PiaCarrot 2005年8月5日 (金) 11:33 (UTC)

日本語版のGFDLバージョンは1.2です。確か2004年5月に変わってます。Modeha 2005年8月5日 (金) 12:17 (UTC)

MediaWiki:Copyrightの履歴は2004年5月で始まっているようですが、Wikipedia:著作権はそれ以降も1.1以降になってました。--PiaCarrot 2005年8月5日 (金) 12:46 (UTC)

……ところで、GFDL1.2は2002年11月に出たことになってるのですが、なぜja.wpは1.1を採用したのでしょうか?--PiaCarrot 2005年8月5日 (金) 12:46 (UTC)

ウィキペディア日本語版。まだGFDL1.2は出てないよ。
……あ、分割された当時は1.1だったようです。--PiaCarrot 2005年8月5日 (金) 14:03 (UTC)

本文とメディアのcopyright宣言の分離

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Wikipedia‐ノート:Wikimedia Commonsに画像をアップしようの方で、フッタに表示される「Content is available under GNU Free Documentation License.」を「Text is available under GNU Free Documentation License.」なり何なりと、フッタでの宣言対象をテキストに限定するよう修正した方がいいという結論になりそうです。後、その際にWikipedia:著作権へのリンクも入れた方がいいという意見もあるようです。--PiaCarrot 2005年3月29日 (火) 13:41 (UTC)

  • (賛成)現状で"Content"が"Text"のみを指していることは、ある程度ウィキペディアに慣れた方には、当然のことで、この文言を変更しても、何も影響はないと思いますが、いらぬ混乱を避けるためには、よりはっきりとしておいた方が適切だと思いますので賛成します。--oxhop 2005年4月14日 (木) 16:23 (UTC)
  • (賛成)同じく賛成です。--Ligar 2005年4月14日 (木) 16:31 (UTC)
  • (基本賛成)フッタに表示されるライセンスが文章のみをさす、という点については賛成です。しかしそれだけでは文章からメディアが切り離されて、見た目ではライセンスが明示されていますがメディアのライセンスが不明になってしまいます。そこで補強として、「メディアのライセンスはメディアが付随するテキストの最新版に拠るものとする」と明記することを提案します。(Wikipedia上ではメディアの扱いは文章に付随するものです)また、commonsのメディアを利用している際にそのライセンスをより明確にするために「commonsのメディアのライセンスはcommonsのページにあるライセンスに拠る」と明記したほうがよりよいように思われます。--Suisui 2005年4月14日 (木) 16:35 (UTC)
  • Wikipedia:著作権もそうなのですが、Wikipedia:免責事項en:Wikipedia:General disclaimerを翻訳しなおして、フッタの「利用規約」を「免責事項」に直すのが先決ではないかと思います。あと、"Text" に直す際はライセンスの定義されていない画像を洗い出してタグ付けする作業が必要になるでしょう(そうするとライセンスの無い画像が溢れてしまう)。Tietew 2005年4月15日 (金) 07:07 (UTC)
  • 免責事項の件賛成します。以前調べ出してどうにも理解できないまま放置してあるのですが、Wikipedia:利用規約は主として内部コミュニティに対する利用規約の意味合いが強く(言葉の上でも規定内容も)、GFDLの利用許諾に付随する制限事項としての免責事項とは性格が異なるというのが現時点での私の理解です。準拠法などの明示もWIkipedia:著作権か、あるいは免責事項とはべつな規定としての利用規約を定めることで対応できるのではないでしょうか。そうすればGFDLとは切り離して利用規約を整備することが可能です。あと、ライセンス表示無しの画像の件ですが、以前はアップロードする際に「GFDLでライセンスする」ことをチェックボックスにチェックすることで求めていましたので、当面はWikipedia:著作権のなかで「2004年○月○日以前に投稿された画像でライセンス宣言のないものはGFDLとみなす」、というような断りを入れる、という対応でどうでしょうか。投稿者以外がGFDLをあらためて宣言するよりは問題がなさそうに思います。sphl 2005年4月15日 (金) 09:24 (UTC)
  • sphlさんの意見にほぼ賛成です。現状でもチェックボックスでGFDLであることを求める点は変わっていませんので、変更後であってもライセンス表示の無いものはGFDLであるとみなす、ということでかまわないように思います。ただ、投稿者本人が改めてライセンスを記入した場合はそちらが優先される、ということでよいでしょう。テキストに限定することよりもメディアファイルを別扱いすることで文案を作成してみました。

メディアファイルのライセンス

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ウィキペディアにアップロードされる画像、音声、ビデオなどのライセンスの扱いは文章と異なります。メディアファイルは、それと同名の文章に付随するものであり、フッタにあるGFDLの宣言は文章には適用されますがメディアファイルには必ずしも適用されません。メディアファイルが付随する文章にライセンスが明示されている場合、メディアファイルのライセンスはそれに従うものとします。明示されていない場合は原則としてフッタに示されたGFDLとみなされます。明示されていない場合、アップロードした本人が新たに文章にライセンスを書き込むことでリライセンスが可能なものとします。

また、ウィキメディア・コモンズにアップロードされたファイルの場合はウィキメディア・コモンズのページに記されたライセンスに従うものとします。コモンズのファイルの場合日本語版ローカルに書かれたライセンスは有効ではありません。

  • アップロードした本人以外にもリライセンスをする余地を残したほうがよさそうなこと、アップロード後改変されて再アップロードされた元画像のリライセンスをどうするか、GFDL,PD以外のライセンスを受け入れるかどうかが残りの課題かと思います。後ろ二つについては先送りでまずは切り離しだけ行うでよいとおもいますが。--Suisui 2005年5月14日 (土) 13:49 (UTC)
  • 基本的に大賛成です。しかし、大切なことは、ひとつのページとしてライセンスが明らかであることです。つまり、ページに表示されたすべての画像などについて、著作権が何らかの形で言及されている必要があると思います。従って、Content is available 〜と同時に、「明示のない画像の著作権はGFDLまたはPDである」と書いて、そのほかのファイルについては著作権を明示する(Cc-by-saとか)か、「すべてのメディアファイルについての著作権の表示は説明ページにあります」と書くか、どちらかが必要と思います。一方で、現在著作権が明示されていないメディアについて、どのように対処するのかも考える必要がありそうです。-- [Café] [Album] 2005年5月14日 (土) 14:48 (UTC)

表現を微修正してみました。

メディアファイルのライセンス

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ウィキペディアにアップロードされる画像、音声、動画といったメディアファイルのライセンスの扱いは文章と異なります。各メディアファイルには、「画像: + ファイル名」と題された画像説明ページがあります(例えば、Wiki.png という画像ファイルには、画像:Wiki.pngという画像説明ページがあります)。メディアファイルのライセンスは、それぞれの画像説明ページ本文に明記されたものが適用されます。各ページのフッタに表示されているGFDLの宣言は、そのページ上の文章のみに適用されるものであり、ページ上に表示またはページからリンクされているメディアファイルには適用されないことに注意して下さい。つまり、記事中に表示されている画像のライセンスは、記事本文とは別個のライセンスということです。ライセンスがGFDLの場合は、画像説明ページ上に表示されているメディアファイルの投稿履歴とGFDL宣言とメディアファイルは一体のものとして取り扱われる必要があります。

画像説明ページにライセンスが明記されていない場合は、GFDLとみなされます。ただし、アップロードした本人が後からライセンスを追記することも可能であり、それ以降はそのライセンスにしたがって下さい。

また、ウィキメディア・コモンズから呼び出されたメディアファイルの場合は、そのファイルがアップロードされているウィキメディア・コモンズの「画像ページ(Image page)」上に記されたライセンスが適用されます。「画像:」から始まる日本語版の画像説明ページ上にライセンスが書かれていたとしても、それは何ら効力はありません。

--oxhop 2005年6月9日 (木) 13:06 (UTC)

>画像説明ページにライセンスが明記されていない場合は、GFDLとみなされます。
ですが、「画像説明ページにライセンスが明記されていない場合は、投稿者自身に著作権がある限りGFDLとみなされます。」もしくは、「画像説明ページにライセンスが明記されていない場合(これは投稿者自身に著作権がある場合に限り許されることであり、そうでない場合には違法行為です)は、GFDLとみなされます。」ですよね.....-- [Café] [Album] 2005年6月14日 (火) 01:14 (UTC)

草案起草ありがとうございます。「ライセンス未記入の場合にはアップロード画面変更後も一律GFDLとみなす」というのは、選択肢が他にある以上(現状PDのみですが)ちょっと根拠としては弱いように思えます。これを採用するなら「画像説明ページにライセンスが明記されていない場合はGFDLと解釈しますが、二次使用に際しては使用者の責任でライセンスを確認してください」などと書き加えておきたい気がします。また、実際にライセンス記入無しの画像にタグを付加してもらうキャンペーンなども実施しておいたほうがよさそうですね(勿論網羅は不可能だと思いますが)。あと、っさんの補足ですが、これは項目のテキストについても言えることで、自明なため特に追記はいらないような気がします。もしかしたら、被写体が撮影者以外の人の著作物である写真のことをおっしゃているのかもしれませんが、それならばライセンス記入ありの場合も含めて宣言すべきではないかと思います。いずれにしてもこのページ(主として解釈や定義が目的)でなく、アップロードのページ(アップロードする人に対する手引きが目的)などで注意喚起するほうがよいのではないでしょうか。sphl 2005年6月14日 (火) 03:59 (UTC)

確かに理屈はそうなんですが、ライセンス記入が義務づけ(?)される前の物を別として、ライセンス未記入の画像は、ライセンス的に問題の多い物の割合が多いように思うのです。それを、GFDLと見なす言ってしまうのは、危険な気がします。-- [Café] [Album] 2005年6月14日 (火) 07:15 (UTC)
その不安は私も持っているんで、4月の意見だったのですが..。今の話ですが、投稿者が著作権者であることが明白ならばGFDLと解釈する旨宣言してもWikipediaでは受け入れられるでしょうが、ライセンス未記入の場合は誰が著作権者かそもそも不明なのではないでしょうか? 通常我々が心配なのは、自分でスナップしたと思しき風景や駅の写真ではなく、いかにも専門カメラマンが撮影したような画像ですよね?sphl 2005年6月14日 (火) 09:00 (UTC)--余談ながらタイムリーな話題がITMediaに→[1]sphl 2005年6月18日 (土) 14:13 (UTC)

それでは、っさんの「投稿者自身に著作権がある場合に限り」と、sphlさんの「二次使用に際しては使用者の責任でライセンスを確認してください」を両方とも入れるということにしましょう。

その代わりと言ってはなんですが、メディアファイルのライセンスのみ、サブノートに切り離していいでしょうか? 本ページには、

画像、音声、動画といったメディアファイルのライセンスの扱いは文章と異なります。

とだけ書いて。--oxhop 2005年6月18日 (土) 13:34 (UTC)

そうすると、2番目のパラグラフは

画像説明ページにライセンスが明記されていない場合は、GFDLとみなされます。ただし、これはアップロードした本人に著作権があるか、GFDLでの公開を著作者に許諾されている場合に限られます。したがって二次使用に際しては使用者の責任でライセンスを確認してください。なおアップロードした本人が後からライセンスを追記することも可能であり、それ以降はそのライセンスにしたがって下さい。

というような案でどうでしょうか。少し文章がこなれないので修正してみてください。ご提案の説明を別ページに切り離すのは、明確に誘導できていれば特に問題はないと思います。次の段階としてCCライセンスの追加ができるようにするなど、改訂の要望は残っていますので議論の場を絞れます。sphl 2005年6月18日 (土) 14:13 (UTC)

一読したところでは、sphlさんの文案のままでOKだと感じました。ちなみに、前回投稿の「その代わりと言ってはなんですが、」の後に、「説明文が長くなりそうなので」という理由を補足させてください。ちょっと変な感じだったので。--oxhop 2005年6月18日 (土) 18:11 (UTC)
OKです。-- [Café] [Album] 2005年6月19日 (日) 10:48 (UTC)

Wikipedia:メディアファイルのライセンスを作成しました。以後、この件に関連する議論の場は、Wikipedia‐ノート:メディアファイルのライセンスへ引っ越しということにしましょう。--oxhop 2005年6月19日 (日) 14:17 (UTC)

此処での議論を受けて、MediaWiki:Copyrightを書換えました。一応報告まで。--kahusi - (會話) 2005年7月1日 (金) 15:09 (UTC)

MediaWiki:Copyrightについては、他言語版でも該当言語で書かれている場合が多く見受けられるので日本語にしたほうがいいのではないかと思います。--Toto-tarou 2005年7月2日 (土) 05:50 (UTC)

著作権法上の用語について

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ウィキペディア日本語版の著作権関連のガイドラインには一貫して「著作権」の用語が使われていますが、「広義の著作権」(著作権法に言う著作権、著作者人格権および著作隣接権を含む)と言う解釈で良いものとは思いますが、その点を明記しておいた方が良いのではないでしょうか。それはウィキペディアが関わるGFDLの日本語訳ほかにおいても同様と思われます。また、著作権関連国際条約上の用語についても同様の検討を加える必要があるかもしれません(が、それはその方面の識者にご検討おねがいします)--Willpo 2005年5月21日 (土) 11:45 (UTC)

  • 明記したほうがよいというのはそうかもしれませんね。冒頭で注記するとよいのでしょう。それよりも機会あって見直してみて、冒頭がなんだかすっきりしないようなのが気になりました。一瞥して「GFDLの条件に従う限りで再利用可能」ということがわからない方がいるというのも仕方ないのかなと思えました。ウィキペディアが何であるかというような話は別項に譲って、次のようにはじめたほうがよいのかもしれません。

この文書の目的

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この文書では

  • ウィキペディアの項目を外部で再配布・再利用するための利用許諾条件について案内します。原則として指定されたバージョンのGFDLに従う限り、自由にかつ無料で、商用目的を含め、再利用することができます。
  • ウィキペディアで用いるライセンス(原文は英文)について、日本語版ウィキペディアでの解釈について解説します。
  • ウィキペディアへの投稿に関係する著作権法上の概念について解説します。

みたいな。 --Aphaia 2005年5月29日 (日) 05:35 (UTC)

subst:~のGFDL上の解釈の問題

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{{subst:○○}}でTemplateを貼ると本文が展開されることになりますが、これにより元のTemplateからの履歴情報のないコピペとなるためGFDL違反となるのですがどうでしょうか? --しかも最も多く行われている{{subst:copyrights}}に至っては2重GFDL違反ということに気づいたPiaCarrot 2005年7月5日 (火) 13:54 (UTC)

要約欄に{{subst:copyrights}}と書けば履歴情報となると思いますがどうでしょう。--60.47.46.108 2005年7月13日 (水) 15:48 (UTC)

公式サイトからのプロフィール転載

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公式サイトからのコピペが疑われる記事(Wikipedia:削除依頼/鳥肌実)がありますが、今のところ「著作権侵害には当たらない」という意見が多いようです。この意見を一般化して「公式サイトからプロフィール部分のみを転載しても著作権侵害には当たらない」と解釈してよろしいでしょうか。 --忠太 2005年8月4日 (木) 15:38 (UTC)

正式に外部サイトからの引用の方法が決まっていないので今のところはあまりお勧めできないと思います。たね 2005年8月4日 (木) 15:41 (UTC)
文体そのままの転載は著作権の侵害に相当する可能性があります。プロフィールに記載された「情報」を掲載することは、事実の記述にあたり著作権を侵害しないと主張することは可能ですが、やはりケースバイケースといわざるを得ないと思います。--Tamago915 2005年8月4日 (木) 15:44 (UTC)
ちょっと調べてみましたが、[2]にあるように転載は駄目そうですね。このサイトさんでは、転載は著作権侵害みたいですね。たね 2005年8月4日 (木) 15:49 (UTC)
プロフィール部分の内容に創作性が感じられ、それをそのまま転載していれば、著作権侵害と感じます。項目の抽出内容と順列がある程度一致している場合は、事実列挙なのか、著作物なのかを個別に判断することになると思います。(とりあえず、文化庁のHP内「著作権Q&A」の関連用語のタ行:「著作物」が参考になるかもしれません。)
また、プロフィール部分を仮に引用として掲載する場合、プロフィール部分を記載するためにプロフィール部分の引用を行うのであれば、主従関係から引用として認められるかどうかも注意が必要です。--toto-tarou 2005年8月4日 (木) 17:23 (UTC)
著作権関連は一般化をするのは危険です。へたに一般化すると勝手に拡張解釈をするやつがぞろぞろ出てくる分野ですから。「プロフィールは転載可」とすると、文章によるプロフィールをそのまま持ってくるコピペ厨が登場するのは火を見るより明らかなんじゃないでしょうか。削除要請に出されている当該プロフィールは「文章によるものではなく箇条書きによるものである」という特徴的な事例であり、内容はともかく表現に独創性があるとは言いにくいこと、主従関係が成り立つことから最悪引用という主張が可能であること、などから「問題なし」と判断し「存続」に投票しました。Nekosuki600 2005年8月4日 (木) 17:30 (UTC)
まず「公式サイトのプロフィール転載は著作権侵害にあたらない」という命題についてですが、これが正しくないことは明らかと言えるでしょう(プロフィールにも創作性を有しているものが少なからずあり、全てが「侵害ではない」となることはあり得ません)。次に、提案者の主張の中の「当該削除依頼において著作権侵害ではないとする意見は、一般化すれば『公式サイトのプロフィール転載は著作権侵害にあたらない』という解釈になる」という旨の部分についてですが、この論には無理があるといえます。当該削除議論において論じられているのは「転載元が公式サイトであるか否か」ではなく、「転載元の公式サイトのプロフィールが創作性を有するか否か」であるためです。「一般化」が(意図してかどうかは分かりませんが)正しく行われていない以上、この命題について結論を出しても個別議論へのフィードバックは不可能で、この議論の持つ意味は非常に小さいのではないかと考えます。
本筋からそれて申し訳ありませんが、ちょっと違う話を。「著作権侵害に当たらなければ転載が許されるか」という議題が与えられたとすれば、個人的には「否」と主張します。創作性を有しないからといってそれを無闇に引き写す行為は、道徳的によろしくありません。ただしそれは不正確な情報を書いたり、悪戯をしたりというのと同レベルの不適切な編集であり、編集での除去で十分であると考えています。Birdman 2005年8月12日 (金) 02:53 (UTC)
著作権法第12条1項や、それに関する判例によれば、このプロフィールのように、単に事実を並べたのみのように見えるものでも、編集著作物として著作権の保護の対象となり、転載は許されません。もしこのプロフィールに示された事実の情報を利用してWikipediaを記述する場合は、これらの事実の分類、収集、配列などに編集者自身の独自性がなければ、著作権法ないしは裁判所の解釈に抵触する可能性があります。藤井三方 2005年10月3日 (月) 16:28 (UTC)
プロフィールをそのまま複写するのは転載ですが、そのデータを使ってウィキペディアスタイルで記述するのは問題ないです。Wikipedia:作品リストにも書きましたが、この種の事実の列挙で著作権違反に問われないためにも、「Wikipedia:プロフィールのスタイル」あたりを作成し、ウィキペディア日本語版の標準書式を作っておけばリスクが減るのではないかと思います。--Ligar 2005年10月4日 (火) 06:31 (UTC)
プロフィールは公式サイトから引用した方が、百科事典としての信頼性も担保されるわけですし、引用条件を満たせば構わないと思うわけですが。

その点は皆様どのようにお考えですか?

「詠み人知らず」の著作権

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問題提起みたいなもんですが。

「詠み人知らず」系のもの、典型例を簡単に言っちゃうと匿名掲示板に記載されたテキストのたぐいは、もともと著作権放棄モノなわけで、そういうものについては「パブリックドメインなもの」と理解しちゃっていいんじゃないかなーと思ったり。誰かが権利主張をしようにも、それが自らの著作物であると証明できない(あるいはきわめて証明が困難)なものについては、事実上著作権侵害のそしりを受ける可能性はないも同然なわけだし。

念のためですが、たとえばにちゃんねるあたりからの転載であっても、それがトリップつきユーザによるものだったりした場合には、比較的容易に著作権主張ができますので、同一視はできません。

--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 15:36 (UTC)

匿名の著作物についてはベルヌ条約等に定めがあり、発表後一定期間は保護されます。匿名の場合日本法を適応できるかもあやしいところがあり(投稿者が日本法による保護を要求するかどうかは不明)、サーバがアメリカにあることを考えれば70年を適応すべきではないかとも思います。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 15:39 (UTC)
...2ちゃんねるも全ての匿名発言に著作権が存在します。[3]。2ちゃんねるからの転載は間違いなく著作権に引っかかります。たね 2005年8月9日 (火) 15:50 (UTC)
あ、そーか。ひろゆきが代行として主張するか。んじゃむずかしいな。Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 16:01 (UTC)
代行して主張しているって分けじゃなくて、解説してるだけかと。正確には東京地裁 平成13年(ワ)第22066号 著作権侵害差止等請求事件を根拠に匿名掲示板での匿名発言にも著作権が存在すると指摘してる。だから他の掲示板でも判例にあるように問題が生じる。たね 2005年8月9日 (火) 16:14 (UTC)
「被告森拓之事務所及び同Lは、本件掲示板への書き込みは匿名ですることも可能であるが、匿名で書き込みをした者は、自らが書き込んだ文章に対して責任を負うことはないのであるから、上記文章についての著作権を認める合理性はない旨主張する。匿名による著作物の公表であっても、著作物性を肯定する妨げにならないことは、著作権法上明らかであるから、同被告の上記主張は失当である。」(東京地裁平成13年(ワ)第22066号)。なお、実際に告訴される可能性の有無に関わりなく、著作権を侵害する行為はそれ自体違法である。
Falcosapiens 2005年8月9日 (火) 16:16 (UTC)
まあすでに問題提起分については終わったからあとは余談だけど。
著作権は積極的に主張しないと尊重されない権利であり、積極的な主張はまああるまいと判断してもいい状況ってのはある。まーそのあたりの判断を各自にまかせたら何やらかすかわらからんやつがいるから一律禁止の方が安全だ、という判断はあり得るし積極的に反対するつもりもないのだが(ゆえに問題提起にすぎぬと冒頭に書いた)。
それから、匿名だろうがなんだろうが著作権が生じるという点には争いはない(著作物の要件を満たしていれば)。ただし、法的手段にひろゆきが主体として出るという宣言は、その原則部分についての言及ではなく、代行として行使する可能性があるということだと思います。
なお、当該判決では、判決文から見る限りでは原告らが著作権者かどうかについての認定が甘いんだが、著作権者以外には訴える権原や告訴権がないんで、これはけっこうでっかい争点が積み残されたように判断してます。このあたりはまあ、インターネット政策の世界では「匿名許さじ」の方向に来ているんで、近い将来問題視する余地すらなくなるかもしれないんだけどね(それはそれでかなりいやな気分ではある)。
--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 16:31 (UTC)

一律安全だとかいう以前の問題で、WMFは著作権を尊重することを公に標榜しています。社会の福利厚生を標榜し、もって免税措置を受けている非営利団体の運営するサイトが公然と著作権を無視する政策を打ち出すということがありえるのかどうか、冷静に考えていただくことをおすすめします。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 16:36 (UTC)

すみません。反論ちゅうか、著作権概念に関する理解のための助言です。
著作権という概念は2面性を持っています。ひとつは、一般的な理解はこっちの方だと思うんですが、「著作者の権利」です。もうひとつは、それとはしばしば対立する「著作物利用者の権利」です。もともと「著作者の権利」というのは歴史的には「存在しない権利」でしたから、一般的には著作権概念の進展は「著作者の権利範囲を拡張し、著作物利用者の権利を制限する」方向で動いてきました。それでも、「著作物利用者の権利」についてもかなりの配慮が払われており、たとえば日本の著作権法の条文を仔細に眺めて数えればすぐにわかることですが、「著作権者の利益を守る条項」よりは「著作物利用者の権利を守る条項」の方が多いのです。更に最近では、著作物の利権化の進展に伴い、もっぱら著作権者の利益を増進するというこれまでの方向についての異議も申し立てられています(たとえばCCCDの失敗などを、そういった観点から分析することは可能です。CCCDの失敗は、著作物利用者側だけではなく著作権者側の利益をも損なうというかたちで表面化しただけに、ケースとしてはたいへん注目されています)。
で、だ。「著作権を守る」という場合、それは「著作権者の利益を守る」ということをストレートに意味するわけじゃないのです。「著作権者の利益と、著作物利用者の利益との、適切なバランスを考える」ということが「著作権を守る」ということなんですね。ゴリゴリに著作権者側の利益を擁護することは、バーターとして、著作物利用者に不利益を与えることになる。それは望ましいことではない。著作権の尊重における2面性は、著作権を考える上での前提的合意事項ではないかと思います(なお、「著作権者の利益を守ること=著作権を守ること」という誤解は洋の東西を問わず蔓延しているため、WMFの理解について法務担当者と話をするチャンスとかがあり把握できるまでは、評価を留保させてください)。
念のためですが、ぼくは一方的に著作物利用者なわけではなく、それなりの数の商業著作物も持っている著作権者側の立場も併せ持っています。だからといって後者の立場から著作権者の側の利益をゴリゴリ押そうとは思っておらず、適切なバランスをどう作り上げ合意としていくかということをメインに考えております。
--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 17:49 (UTC)

バージョンを指定しての画像の著作権

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もう一件。

GFDLに基づいた画像ライセンスの件なんすけど、これって画像のバージョンを指定しての提供とかってできるんですかね。具体的には、「縮小されたサイズのもののみをGFDLに基づいて提供する」といったケース。

それなりに著作権についてはお勉強してきたつもりなんだが、サイズ違いの異本について、特定のバージョンについてのみ利用を許諾するということが可能かどうかってあたりで頭を抱えてしまったわけ。縮小版の写真を提供したとして、その写真そのものが全面的にGFDL扱いになるとすると、別のところで出している大サイズのものにまでGFDLが及んでしまう。それはいやというか、困るわけね。ま、GFDLがどーのって問題ではなく、世の中には驚嘆すべき身勝手な解釈を平然とやらかす馬鹿者がいるわけで、そういう問題かもしんないんだが。

このあたりについてはなんか過去に問題になったケースとか、ないだろうか。あるいは、解釈基準とか。

--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 15:36 (UTC)

GFDLを画像に適応可能だと考える限りで、リサイズを禁じる理由はGFDL的には存在しないと考えられます(加工を禁じる理由もその再配布を禁じる理由もない)。またDB上の画像を本サイト等で表示させる場合、サイズ指定により縮小・拡大画像をもともとの画像データからサーバが生成しますので、これを禁止することは仕様上多大な困難を生じると思います。
ただし、GFDLは画像に適応できない、とする解釈を取れば、当然画像をGFDLで配布することはできません、そうでなくても加工されることがいやな素材または加工の仕方に指定をしたいものを配布するのにGFDLは適しません。CCで加工を許さないバージョンを選択したほうがよいのではないでしょうか。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 15:44 (UTC)
なお付言しておきますが、WMFの方針としては、非商用指定は許さない、加工に制限のある素材はできるだけ用いないということが再三指定されています。とくに非商用についてはWikinewsから希望があったときにJimmy Wales自身が却下したという経緯があります。このあたりはFoundation-lのライセンス関係の議論が参考になるのではないでしょうか。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 15:47 (UTC)
うーん、説明が悪かったのかな。ちょっと違うので改めて説明しなおしてみる。
ひっじょーに具体的に言うと、たとえば「800×600dots」の画像ファイルがあり、これは商売モノだとする(仮に「商売バージョン」と呼ぶ)。その縮小版サブセットに「400×300dots」の画像ファイルがあり、それについてはGFDLで提供してもいいと思ったとする(仮に「縮小バージョン」と呼ぶ)。400×300のものを加工して800×600にして使うのはご自由になさってかまわない(仮に「縮小拡大バージョン」と呼ぶ)。いずれにせよこの「縮小拡大バージョン」は、データとしては「縮小バージョン」のものを上回ることはないからである。しかし同じ絵柄だからって、GFDLが写真全体に及ぶんだとすると、即座に「商売バージョン」もGFDLの支配下に置かれる。それは困るっちゅう話です。
とりあえずわりと矮小な話にしてるし、当面のおれの悩みはこの範囲なんだが、モメゴトを広めたくはないにせよ実はけっこう波及する範囲が広いかもしんない。「WikipediaにGFDLライセンスで提供されたものは、他ルートから流れたものについてまで及んでしまうのか(区別が可能なのか)」みたいな話につながりかねないことだからね。
--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 15:59 (UTC)
なにを心配しておられるのか正直わかりませんが、仮にこれが権利侵害だったとして(で、たぶんそうなるだろうと思いますが)
  • 「縮小拡大バージョン」と「商売バージョン」はMD5などを調べれば同一でないことが証明でき、権利者はそれをもって権利の侵害を指摘できるのではないですか。
でしたら、「商売バージョン」についての権利侵害は著作権者と侵害を行った人との間であって、縮小バージョンがどこにリリースされたかとは関係ないように思います。WMFは別に投稿されたメディアファイルの著作権管理をするわけではないので、WMFのプロジェクトに投稿することが自己の権利を侵害する可能性があると考える方は投稿を控えるほうがよいでしょうね。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 16:23 (UTC)
うーん。申し訳ないのだが、おれとしては何を心配しているのかがわかるそれなりの専門家からのコメントを期待しつつ待ちたいと思います。話としては逆のケースなんだが、たとえば「写真の使用について著作権者から許諾を受けて使ったのだが、たまたま著作権者からの提供が間に合わず、書籍に掲載されている写真を使った。そしたらその書籍の出版社から版面権に基づいて訴えをくらった」という事例くらいに話はややこしいんだな。
ついでなんだが、おれとしては「特定のバージョンについては提供するにやぶさかではないが、それが全権の放棄と受け取られては困る」という意味で警戒しつつ提供が可能かどうかを検討しているんで、「写真の提供なんかしなきゃ絶対安全」というコメントを求めてるわけじゃないです。そんなことは最初からわかってる話だと思う。
--Nekosuki600 2005年8月9日 (火) 16:40 (UTC)
専門家じゃないけどコメント。個人的な解釈としては、GFDLで明示的にライセンスされた縮小版に直接さかのぼれるもの以外には、ライセンスは波及しないと思ってます。縮小拡大もGFDLによって許諾された改変に含むと考えられる(と思ってる。ここが崩されると商用版にもライセンスが波及しちゃうかも)ので、GFDLで保存が義務付けられている改変履歴上の不整合が起こるような編集をも許諾していると解釈するのは無理があると思います。縮小版から商用版を作り上げるような編集は商用版そのものを利用しない限りどのような手段を用いても不可能であると考えます。
ようするに、商用版と縮小版が法律上、またGFDL上区別できるか否かが問題とされていると考えられます。これ以上の考察は、門外漢の僕にはまるっきり不可能ですし、裁判をしてみるまでわからないことなのかもしれないという気さえします。
ただこの場合、法的にはともかく、現実問題として区別することが可能なんだろうかというのが僕の気になった点。まあ、内容をみて、区別がつかないような加工であれば取り立てて騒ぐこともないかとは思うのですが…。
AphaiaさんのおっしゃるMD5等は、商用版からの改変版が縮小版からの改変でないことを証明できないのでこの場合関係ありませんし、Nekosuki600さんが懸念されているのは、商用版画像を改変・利用した人が、縮小版がGFDLリリースされていることを根拠に自らの行為を正当化しようとする場合なので頓珍漢な解答であると思います。yhr 2005年8月9日 (火) 18:14 (UTC)

引用について

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過去に何度も話題になっていることと思いますが、Wikipedia:削除依頼/『雪国』からの引用においてウィキペディア日本語版における引用の是非について議論になりました。そこでの結論としては引用についての削除規定が明確でないことから当該記事については存続となりましたが、一般論としての引用の是非については結論が出ていません。そこで、この場所で議論のつづきを行いたいと思います。

尚、ここでのテーマはあくまでも「著作権法上は合法であるような引用について」です。著作権法上でも違法であるような引用については、既にWikipedia:削除の方針のケースBにおいて削除の要件に該当することが明確になっています。

この件の今後の進め方についてですが、私は過去の議論に参加していないので詳しいことはわかりませんが、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用利用者:Tomos/引用の公式な導入の可能性などの文書から推測する限り、この問題に完全な決着を付けることは容易ではなさそうだとの感触を得ました。

この前提を踏まえ、以下の通り提案させて頂きます。

  1. GFDLとの整合性の観点からの引用の是非や引用を是とする条件については、別途議論を進める。(その場所として利用者:Tomos/引用の公式な導入の可能性でつづきを行うのが良いのかは要検討)
  2. 当面の対策として以下の2つを行う。
    1. 著作権法に違反しない引用であってもGFDLの観点から問題になり得るという指摘をもっと目立たせて、新たな引用が減るように誘導する(例えば、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用に対して他のプロジェクト文書やウェルカム・メッセージからリンクを張るなど)
    2. 本質的な議論が完了するまでに誰かが著作権法に違反しない引用を行った場合の対処を決め、Wikipedia:削除の方針に書く(「どういう引用ならOK」という決め方は本質的な議論に該当し、時間がかかることが予想されるので、「結論が出るまで引用は削除」か「結論が出るまで引用は容認」のいずれかが適切だと思います)

尚、「ある引用が著作権法に違反しているかどうかは裁判をしてみなければわからない」というご意見がありますが、最終的には裁判をしなければわからないのは名誉毀損などの他の法律問題についても同様なので、ここでは、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用に書かれている「引用が引用である為の4つの条件」を満たしているものは著作権法に違反していないと仮定して話を進めても差し支えないと考えます。 Minoru223 2005年8月15日 (月) 01:22 (UTC)

GFDLの整合性の観点からも引用は問題なく、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用における解釈がおかしい点はWikipedia:削除依頼/『雪国』からの引用にて指摘しました。つまり、引用を自粛または制限する理由はなにもなく、必要なのは引用に関するWikipedia日本語版での運用のガイドラインだけでしょう。--Ligar 2005年8月15日 (月) 05:47 (UTC)
引用の件ですが、『雪国』ではさまざまな面で皆様にお手数かけ、申し訳ございませんでした。さて引用の件ですが、問題としては解決が難しい本質的なものだということは理解できました。しかし「引用」の是非を認めるのか否か、認めるのならばどこら辺までを「是」とするのかということは、明確にしておかないと自分が犯した愚と同じ事が以後続出するように思えます。この件に関して自分としては、「引用はGFDL上問題があるというのならば出来るだけ避けるべきではあるが、それでもやむをえない場合が存在するのではないか」という意見です。また「結論が出るまで引用は削除」とした場合、引用した事が書かれた記事を全て消さねばならず、今まで認められていた分を発見するにも消去にも手間がかかり、場合によっては履歴に大きな穴を開けることも予想できますので、「存続」扱いにした方がいいのではないかと思うのですが。Shinkansen 2005年8月15日 (月) 06:00 (UTC)
雪国の時も話が出ていたと思いますが、執筆者が自分の記述に責任を持てる人ばかりであれば、基本的に引用の問題は生じないと思います(学問の世界では先人の業績を発展させるために引用することが認められている。それでも無断引用などのトラブルもありますが、基本的には各自の名誉に関わることなので、自制が働く)。しかし、コピペ厨房が多数跋扈するWikiでは危険性の方が大きい、というのが実態かと思われます。個人的には誰でも知っている有名なフレーズなどはいいんではないか、と思いますが(歌詞は除く)。とりあえず、できるだけ引用は避ける方向がよいと思います。 --忠太 2005年8月15日 (月) 14:13 (UTC)
「引用を、やっていい」と大声で言うとコピペ厨がいい気になるだけだということには同意しますし、ガイドラインとして「引用は推奨しない」「著作権法をちゃんと学び、安全圏に収められるという自信がある者以外は、引用すべきではない」というあたりを掲げておくのはいいと思います。しかし「他と同一の記載がある」という理由だけでの削除要請がちょくちょく出るのもちょっとかなわんのです。「他との同一の記載を理由とする削除要請については、引用にあてはまるか・偶然ではないか・著作物の流用といえるかどうか、などを個別具体的に判断すべきである」「他と同一の記載があるという理由を削除を行うためのオールマイティの理由とはしない」というあたりの最低限のところを確認しておくことはできないものかと思います(念のためですが。忠太さんの削除提起に疑問が多々あることを否定しませんけれども、これは別にイヤミで言ってるわけじゃありません)。Nekosuki600 2005年8月15日 (月) 14:39 (UTC)
「削除提起に疑問が多々ある」とは失礼な(爆)。個人的には削除依頼はしない方針だったのですが、結局、問題が再燃することもあったので、放置するのは為にならないような気がしています。 --忠太 2005年8月15日 (月) 15:02 (UTC)
失礼なって、おれが疑問を持つのはおれの自由だろーが。基本的な著作権の枠組み理解あたりに疑問があるわけだし、なんでしたらそのあたりについて議論をするにやぶさかではありません。なんか面倒なことになりそうなんで、できればそんなことはやりたくないが(「被害の申し立てがあってはじめて犯罪や権利侵害が確立する」ものなんてのは、強行法規を除外するならば、まあまあ一般的なことなのである。比喩にすぎず同列に論じることの是非はいろいろだろうが、たとえばセックスなんかも同じ。誰かがセックスしたとして、「相手の合意や容認が確認できないからそれは強姦or強制猥褻の可能性があり容認されるべきではない」なんて主張は一般論として成立しないのである。なぜ刑法犯としての著作権侵害が原則として親告罪とされているのかを考えよ)(ブツギかもしたかなぁ)。
んでだ。「放置するのはためにならんから一括禁止」というのは、Wikipediaの根本理念との調整をかなり真剣にやらなければまずい主張のように思います。前述の通り、おれは「コピペ厨」には全く好感を抱いていないし、「わかってないやつは引用なんかやるんじゃねえ」とも思っていますが、それと「他と同一の表現を一律禁止していいかどうか」てのは別の問題だ。もちろん安全側に倒す政策としてそういう方針はあり得るが、そういう合意は存在しないと思う。Nekosuki600 2005年8月15日 (月) 15:57 (UTC)
現状における引用には賛成していないのですが、もし引用が正式導入されるとしたら、運用を考え引用部分を独立させて組み込み形式にしてみてはどうでしょうか。具体的にはテンプレート(もしくは引用部分のみの記事)を使用ということです。対象量が多いかもしれませんが、以下の点が解消されるように感じます。
  • 改変を行えない、又は抑制や対応しやすい。 - 引用部分を独立させることで保護も出来、また、保護しない場合でも改変されたことが明確に分かる。
  • 削除の軽減。 - この作成方法以外は引用と認めないとすると判断はしやすい。
最低限、引用が認められる条件として基本的に改変しないように運用レベルで対応が必要と感じたので、一つの対応案として書きました。--toto-tarou 2005年8月15日 (月) 18:14 (UTC)
現状でも引用は常識にそった範囲で自由に行われており、問題のある形での引用の改変は行われていません。引用部分だけ独立文書とすると、また別の問題のほうがより多く発生しそうです。(現状でも分割の手順に従ってないからという、どうでもいい理由での削除依頼が絶えませんし。履歴の継承さえされていればどんな方法でもいいのです。余談ですが。)--Ligar 2005年8月15日 (月) 19:23 (UTC)
「現状でも引用は常識にそった範囲で自由に行われており」というのは事実でしょうか。例えばどこの項目ですか? --忠太 2005年8月17日 (水) 12:07 (UTC)
秀逸な記事でしたらJ・R・R・トールキンアイザック・アジモフ国立国会図書館などにありますし、その他広宣流布などの宗教記事、人生、宇宙、すべての答えなどの翻訳記事とか。私が執筆した項目なら馬鹿などがそうですね。探せばもっとあるかと。--Ligar 2005年8月17日 (水) 15:22 (UTC)
国立国会図書館は公的機関のキャッチフレーズらしいので、まあ訴えられることはないでしょう。広宣流布馬鹿は著作権の消滅した文の引用らしいので問題なしか? J・R・R・トールキンアイザック・アジモフ人生、宇宙、すべての答えはどうでしょう。「引用する必然性」が今ひとつ乏しいようにも思います。一度削除依頼してみようかな?(秀逸な記事になったかどうかはこの際無関係でしょう) --忠太 2005年8月17日 (水) 15:35 (UTC)
Wikiquoteは著作権の切れた文章が対象ということでよいのですが、著作権のある文を「引用部分のみの記事」にしたら、著作権侵害になるのでは。 --忠太 2005年8月16日 (火) 11:54 (UTC)
確かに。としたら機能的に改変を保護することは出来ないということですし、引用を含む章などを独立させるのも著作権での引用をクリアしてもGFDLをクリアできない。ダメですね。失礼しました。
画像にするのも同じ理由でダメでしょうから、、、現状では改変を防ぐ手はないということですね。現システム内で「記事の特定部分への保護」が出来ない、現時点では引用の公式的導入には反対です。現状のままであえて公式的に引用が導入されれば、改変がらみの削除依頼が増えると感じます。導入の場合は引用の改変が不可能である仕組みをお願いします。--toto-tarou 2005年8月16日 (火) 13:16 (UTC)
なぜ改変を防ぐ仕組みが必要なのかさっぱりわかりません。法に抵触する改変をされたら削除でいいのです。また、公式に引用を導入するというのも意味不明です。今でも引用は認められており、なにを改まって公式に宣言しないとならないのでしょうか。--Ligar 2005年8月16日 (火) 15:28 (UTC)

(インデントを戻します)toto-tarouさんのおっしゃる、改変が不可能になる形で記事に引用を含めようとするのは、それ以降も編集を可能にしなければならないために不可能です。引用が不適切であると判断すれば、随時削除(特定版削除)にて対処するしかないでしょうね…。
また、Ligarさんは引用の改変は行われていないと断言なされていらっしゃいますが、後から引用部分を修正していた履歴を見たことがあります(削除されたので証拠を出せといわれても無理なのと、それまであった文章が正しかったのか後からのほうが正しかったのかは私は判断できないのであまり参考にはならないですが)。利用者の良識に全てを任せて運営できるのであればとても素晴らしいと思いますが、現実はそうではありません。改変を妨げるものがないのであれば、される可能性はあると考えたほうがいいでしょう。
あわせて、引用がOKであるのならば、引用に対する方針を明確化するのでもこの議論を行う意味はあると考えます。引用は駄目であったという結論がでる可能性もないとはいえません(改変が行われるから引用は不可能という論には私も太刀打ちできなかったです)。もし、Ligarさんが法的責任まで背負って、永久にWikipedia日本語版の全ての引用が行われた記事に対して判断してくれる、というのであれば話は別ですが、Ligarさんが裁判所と直結していない限り無理でしょう。意味不明と無下に終わらせようとする発言が私にはよくわからないです。Tekune 2005年8月16日 (火) 16:20 (UTC)

「引用に対する方針を明確化するのでもこの議論を行う意味はあると考えます。」という意見には賛成です。(しかし、改変が行われるから引用は不可能という論には私はナンセンスとしかいいようがありませんけど。)私は引用について慎重派ではありませんが、それはこの手の百科事典では引用がないと論の正当性を主張するのが難しいためです。音楽の定義という項目があるとして、そこで音楽とはなにかと色々書いてもそれはただのエッセイです。音楽学者や音楽家の論を引用しながら定義について執筆して、初めて百科事典の項目たりうるものになるかと思います。引用と称して転載を行う輩やアニメのセリフマニアの存在は知っていますが、それは「Wikipedia:引用のガイドライン」で方向性、基準を示すのが良いかと思います。--Ligar 2005年8月17日 (水) 06:05 (UTC)
Ligarさん、提案した際には改変の対応が運用上大変に感じたので、事前に引用へ対処すれば、いいかと感じてのことでしたが、すこし置いて考えると改変を防ぐ仕組みの必要性としては、ボケていたようです。いらないですね。特定版削除を頑張ればいい話でした。
公式に引用を導入されていないと感じたのは、Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときに個人責任として判断を委ねる主旨、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用にて現時点での引用を推奨していない主旨、によるものです。ただ、削除の方針に引用への記載もあるので、これもボケていたのかと思います。(ということは、「個人責任として判断を委ねる主旨」の個人責任を、「現時点での引用を推奨していない主旨」を削除されるということで合意されていると考えますが、それでいいでしょうか。)
Tekuneさん、要約に「?」をつけて書いてすみません。改変は不可能であるからその機能が出来るのであれば、それを待ちましょうとの主旨で書きました。現行では無理なことは理解しています。提案自体がボケていたので失礼しました。--toto-tarou 2005年8月16日 (火) 17:23 (UTC)(修正)--toto-tarou 2005年8月16日 (火) 17:26 (UTC)(修正)--toto-tarou 2005年8月16日 (火) 17:54 (UTC)

やはりこの話題を始めると際限がなくなりそうな雰囲気ですねえ。取りあえず合意形成が簡単そうなところから潰していくのが良いと思うのですが、いかがでしょうか?

この件の今後の進め方には次の4通りが考えられると思います。

  1. 抜本対策のみに集中して議論を行う。
  2. 抜本対策と暫定対策を別立てで議論を行う。
  3. 暫定対策のみに集中して議論を行う。
  4. 何もしない。

まず、ここでの議論に参加している人たちが議論に参加している以上、上記4という選択肢はないのだろうと思います。次に、「抜本対策についての合意形成には時間がかかりそうだ(あるいは全くできないかも知れない)」という感触はおそらくはたいていの人が共有できると思いますので、早期になんらかの対策が行われることが望ましいとするならば、上記1が現実的でないことも合意できるのではないでしょうか。

残るは上記2と上記3です。私が2005年8月15日 (月) 01:22 (UTC)に書かせて頂いた案は上記2に該当しますが、私が3を選ばずに2を選んだのには大した理由はありません。まずは上記2を選んでおいて、途中で抜本対策についての議論が頓挫したら自然に上記3になるのだから、2と3をあまり区別しなくてもいいんじゃないかという程度の理由です。

「過去の議論に懲りたので抜本対策の議論は絶対にやりたくない」という人もいるかも知れませんが、その場合にはご自分が暫定対策の議論だけに参加すれば済むことなので、上記3を好む人も上記2を真っ向から否定する必然性はないように思います。

ということで、当面の進め方として上記2を採ることにはさしたる困難なく合意事項にできると思うのですが、いかがでしょうか?このことに異論がある方は今のうちに述べて頂けると今後がスムーズかと思います。

また、上記2を採ることに賛成して頂ける方は、次の点についてご意見を頂けますか?

  • 抜本対策の議論はどこで行うのが適切でしょうか?
  • 暫定対策として私は「引用にリスクがあることを周知する活動を行う」「抜本対策ができるまでの間に誰かが引用をした場合に削除対象とするか否かを決める」の2点を挙げさせて頂きましたが、この2つで過不足はないでしょうか?
  • 引用にリスクがあることを周知する活動として、具体的にはどんなことが考えられますでしょうか?
  • 抜本対策ができるまでの間に誰かが引用をした場合に削除対象とするか否かについてどう考えますか?

自分は著作権に大して詳しくもないくせに僭越にも仕切っているようで申し訳ありません。おかしなことを言っているようでしたらご指摘下さい。 --Minoru223 2005年8月16日 (火) 07:54 (UTC)

Wikipedia:引用のガイドラインを作成してそこで議論を行うのがいいんじゃないでしょうか。--Ligar 2005年8月16日 (火) 15:28 (UTC)
時間が無くてちょっと本質的なところに立ち入れないのですが、引用を含む記事の追跡と、編集者への注意喚起、およびWikipedia:著作権なりWikipedia:引用のガイドラインなりへの誘導を目的として、Template:引用を含む項目などといったものを付加するというのはどうでしょう。内容は、
「このページは著作権法に基づく引用を含みます。編集あるいは二次利用される方はWikipedia:引用のガイドラインを熟読理解の上、合法的な引用形態が損なわれることが無いようご注意願います。」
といったものを想定しています(文章はあくまで思いつきの例です)。カテゴリを併用してもいいでしょうか。私自身は目立つテンプレートをべたべた貼るのを好きではないのですが、これと引き換えに引用が適正に使われるのなら喜んで受け入れます(^^;; もっとも正しい引用の方法がかなりの人において会得されていないことも事実です。例に挙げて悪いですがWikipedia:削除依頼/サン=フェリペ号事件などは典型的な例ですし、歌詞や台詞の「引用」が乱発される可能性はあり、結果としてそれらが正当な引用であるかどうかを判定する手数が激増する恐れがあります。我々素人にとっては負担が重いものです。反面、問題があるとわかった場合の削除は、特定版削除機能の実装のおかげでだいぶ楽になりました(早期に発見できないと道連れになる編集が増えますので限界はありますが)。これは以前の大きな制約事項だったので、少し引用許容の敷居は下がったと思います。なお、注意喚起のため、せめて投稿時の注意書き(■投稿する前に以下を確認して下さい■以下)にも説明を入れたほうがいいですね。sphl 2005年8月16日 (火) 15:51 (UTC)
Minoru223さんの上記の提案には、基本的に賛成します。
  • 抜本対策の議論の場は、必要であるならあらたに議論の場所をつくるといいと思います。個人的にはサブページ(Wikipedia:著作権/引用~~ 等)を想定していましたが妥当な記事名であればどこでも大丈夫でしょう。
  • 暫定対策については頭が回らないですが今はそれで十分ではと考えます。必要ならそれに関しても(確認もしくは明確化のため)別立てで議論の場を設けた方がいいかもしれません。
  • 引用に関する事を、「法律を読んで自分で解釈しろ」ではなく、具体例を交えたテキストを作ってもらえると助かるかもしれません(記事「引用」の充実も望ましい事だと思います)。Wikipedia上で引用が適切かどうかを判断するための基準とか、簡易のチェックシートとか?
  • 私は個人的に、削除依頼をした方なので消していった方がいいんじゃないかとも思うのですが、これからみなさんは引用を可能とするために議論を行おうとしている事、それと、正しく引用がなされていないものは発見したら削除する事が、後々作成される方針にきっちりした形で盛り込まれるのは明らかですから、後で確認する事を前提に、現状は削除対象とするのを凍結させても構わないと思います。ただし引用が行われている事を示すテンプレかカテゴリを作成して、たとえ過去版であっても発見したらそこに放り込んでおいて方針ができたときにあらためて確認に使う、ということはやっていいのではないかと思います(この部分はsphlさんとほとんど同じでしたね)。ただし、外部からクレームを突きつけられた場合に削除を視野に入れて検討するのは了承してもらいたいです。こればっかりはどうしようもないので。
ちょっと求められてる事と話がずれているかもしれませんが。Tekune 2005年8月16日 (火) 16:59 (UTC)
瑣末なことですが、引用カテゴリとかテンプレートってうまくいくのでしょうか。削除テンプレート+カテゴリはがしの二の舞になりそうな気がしますが。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 17:09 (UTC)

著作権法で認められる引用について、引用の項目に加筆してみましたので、ご覧ください(理解が不十分で間違っているかもしれません)。改めて著作権法を読んでみると、かなり限定的な規定のようにも思われます。 --忠太 2005年8月16日 (火) 16:12 (UTC) ←不適切な点があり、撤回させていただきます。 --忠太 2005年8月19日 (金) 13:22 (UTC)

Tekuneさんのおっしゃるように、暫定対策についても新たな場所を作った方が便利そうですね。他に異論がないようでしたら、抜本対策用と暫定対策用にそれぞれ新たなページを作ることにしましょうか。ただ、私はプロジェクト文書を作った経験がないのでいまひとつわからないのですが、例えばWikipedia:引用のガイドラインWikipedia:引用についての暫定対策という2つのページを作るとして、議論は各々のノートで行うのですよね?ノートしか存在しないようなページというのは許されるのでしょうか?あるいは本文上で議論を行うということでしょうか?私としてはこの辺が気になったので、このノートのサブページの方が適切なのかなと思ったのですがどうなんでしょう?どなたかご教示頂ければ幸いです。Minoru223 2005年8月17日 (水) 04:24 (UTC)
Ligarさんからノートしか使っていないようなページがあっても構わない旨教えて頂きましたが、その方法に固執しているわけでもないように理解致しましたので、勝手ながらこのページのサブページでの議論とさせて頂きたいと思います。今後の議論の場所についてはこの節の一番下をご覧下さい。--Minoru223 2005年8月19日 (金) 02:28 (UTC)

私は、基本的に引用は慎重であるべきだと思っています。ウィキペディア日本語版は基本的には日本の国内法に準拠するという考え方になってきていると思いますが、だから日本の国内法に沿っていればいい、とはいえないと思います。ウィキペディア日本語版は日本でのみ使われるとは限らず、特に他言語版への翻訳を考えると、なるべく著作権的にクリアな方がいいのではないかと思うのです。また仮に、日本の国内法に基づけばいい、としたとしても、いつどの編集で日本の著作権法に合致しなくならないとも限らず、それを常時見張っているのは至難のことではないでしょうか。-- [Café] [Album] 2005年8月17日 (水) 07:32 (UTC)

御説ごもっともですが、それは引用以外のことにも当てはまります。転載、名誉毀損、個人プライバシー等々。Wikipediaの危険性は数えるときりがありません。転載の危険性が高いからといって記事の投稿は中止できないでしょう。引用は常識の範囲で利用していくことが必要です。--Ligar 2005年8月17日 (水) 15:43 (UTC)
引用するには慎重さが必要だと私も思います。引用されている記事をカテゴリなどで管理(監視)対象として区分し、規定外の引用のものは排除(削除)できる枠組みは必須だと思います。Monami 2005年8月18日 (木) 15:28 (UTC)
最初に書いた人が、著作権法に基づき正しく「引用」したとしても、後からの編集で「引用」の用件を満たさなくなることがある、という点がネックかと思います。(この点で名誉毀損などとも異なります。)書籍や雑誌と同様の常識は通用しにくいのかも。常時監視するのも現実的ではないのでは。「それほどの手間をかけるよりは引用しないで済ませるほうがマシ」と思います。 --忠太 2005年8月18日 (木) 15:51 (UTC)

法的根拠が正しいかどうかは国際法に詳しい方にお任せしたいのですが、古い本を読んでいたときに「韓国は著作権条約に加盟していないので引用は云々――」といった記述を後書きで見たことがあります。そこまで行かないにしても、国によって著作権の保護期間は違うわけで、単純に日本法に準拠云々ではなく相当に慎重にならざるを得ません(なお、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約参照。現段階では原文をきっちりチェックできていません)。ただ、これは「雪国」の方でも書きましたし今までの議論でも指摘されていますが、「必要不可欠」までは至らなくとも、引用によって(読者に説明しやすいという意味で)よりよい記事になる可能性は充分にあります。それをなるべく排除せずに上手くできないかなぁ、と思うのですが。Nukkie 2005年8月18日 (木) 03:01 (UTC)

議論が盛り上がっているところ申し訳ありませんが、若干拡散しているようでもありますので、勝手ながら議論の場所を分けさせて頂きました。今後の議論は以下の2つのサブページで行いましょう。--Minoru223 2005年8月19日 (金) 02:28 (UTC)

Wikipedia側が著作権を侵害された場合は

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Wikipedia側が著作権を侵害した場合の対応については多くの議論がされていますが、逆にWikipediaに載っている文章が他者に無断転載された場合はどのように対処するのでしょうか? 211.1.193.110 2005年9月6日 (火) 22:56 (UTC)

GFDL を読んでいただければわかると思いますが、Wikipedia に掲載された文書は他への自由な利用を許可するという前提で掲載されています。GFDL に従っていない利用方法がとられているということで注意や警告を行うことはできますが、著作権侵害を訴えることはできないという認識です。--Tamago915 2005年9月6日 (火) 23:11 (UTC)
回答ありがとうございます。もうひとつ気になるのが、Wikipediaに載っている文章が他者に無断転載されたのに、逆にWikipedia側が無断転載したと誤解された場合はどうするのでしょうか? 著作権侵害で削除依頼に出されているページはたくさん見かけますが、なかには冤罪のものもあるかもしれない?と思うことがあります。211.1.193.110 2005年9月7日 (水) 00:10 (UTC)
こんにちは 211.1.193.110 さん。Toki-hoと申します。ご質問の件ですが、もし「誤解」と認識されたら、ただちに削除依頼にそのむねをお書きになるとよいと思います。削除依頼はWikipedia:削除の方針をふまえて行われます。そのページの「Wikipedia:削除の方針#ケース B-1:著作権問題に関して」にも書いてございますとおり、前後関係に関して削除依頼者は十分に、留意しているはずですが、なんらかの思い違いもありえます。もし、そのようなケースをみつけられたら、wikipediaの投稿のほうが前であるという証拠とともに、当該削除依頼のページに書き込まれるとよろしいかと存じます。なおやや余談になりますが、「冤罪」というお言葉は「〇〇を罪に問う」という意味にうけとられます。著作権侵害のおそれを理由にした削除依頼は決してどなたかを罪に問うためになされるものでなく、あくまでwikipediaのGFDLをまもるためになされるものと理解しております。その点にご留意いただければ幸いでございます。Toki-ho 2005年9月7日 (水) 02:07 (UTC)

回答ありがとうございます。「冤罪」という言葉についてですが、言葉というのは人の数だけ解釈があるものです。冤罪という言葉には法律違反以外も含まれますし、人を指しているとも行為を指しているとも解釈できます。別に間違った用法ではありません。211.1.193.110 2005年9月9日 (金) 07:18 (UTC)

逆転載を疑われないように、ウィキペディアを利用しているサイトをリストアップし始めました。該当するケースを見つけた場合はとりあえずWikipedia:ウィキペディアの仲間/Wikipediaを情報源とするサイトに加えていただくようお願いいたします。--miya 2005年9月26日 (月) 11:43 (UTC)
いまリストをみたらコピーライトマークを出してAll right reservedとしているサイトが多いですね。これはウィキペディアのミラーである限り違法な主張ですので、余裕があれば交渉してこのような表示を撤去していただくのがよいでしょう。あとGFDLでないものもあるようですね。
英語版などでは一部の有志がこうした問い合わせを行っています。なお悪質なもの(コンテンツの製作者を「従業員」と形容するなど)には財団が交渉しています。--Aphaia 2005年9月26日 (月) 11:49 (UTC)

GFDL1.2への正式な移行

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移行に必要な作業

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Wikipedia:免責事項も正式化されましたので、あらためて、GFDL 1.2 へ正式に移行することとし、以下の文面の変更を提案します。

上の2つは、「1.1」とあるのを「1.2」とするだけです。3つ目は、1.2の公式文書(英語)に差し替えます。#GFDL1.2への移行において述べたように、1.2 に移行したとしてもウィキペディアの参加者が不利益を受けるということはあり得ませんので、投票等はせずに、1週間程度の間に異論がなければ、管理者にお願いして作業に取りかかってもらうことにしたいと思います。

また、#GFDL1.2への移行に書いてある疑義、すなわち、「他言語版は、GFDL 1.2以降での利用を許諾しているので、日本語版が1.2へ移行する前に他言語版から持ち込まれた記事や画像は、GFDLに反するのではないか?」という点について念のため確認をとっておきたいと思います。日本語版が1.2に移行した場合は、それ以前に投稿された記事や画像も全て、遡って1.2以降での許諾となると解釈することで、この問題は解決しますよね。

それから、GFDLの1.2には、日本語訳がありませんので、「非公式な日本語訳」を作成していただける方を募集します。以上、3点よろしくご検討ください。--oxhop 2005年10月27日 (木) 13:43 (UTC)

途中に割り込んで済みません。。。以下にある議論とだいぶ違う話なのでこちらに書くことにしました。
移行に際しては、ライセンスノーティスにあたる部分に、Warranty Disclaimer(免責事項)への言及を含めることも必要だろうと思います。サイトの利用者に対する免責事項は既にあるリンクだけで有効かも知れませんが、GFDL上の免責事項は、ライセンスノーティスと併せて言及することによって有効なものとなるように思いますので。(その旨の説明は、"1. APPLICABILITY AND DEFINITIONS"の一番最後の段落にあります。)
ただ、GFDL上の免責事項は、一度導入すると修正したり、削除したりしてはいけないもののようです。(追加はいいような気がしますが、ライセンスに明言されてはいなかったような気がします。)Tomos 2005年11月27日 (日) 09:51 (UTC)

日本語版のライセンス状況と移行の意味

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>日本語版が1.2に移行した場合は、それ以前に投稿された記事や画像も全て、遡って1.2以降での許諾となると解釈することで、この問題は解決しますよね。
それが可能かどうかがわかればいいのですが。そう言えばWikinewsのライセンスが変更された時は「2005年9月25日以降の投稿についてはcc-by-2.5」という形になっていて、遡及適用はされていないようです。--PiaCarrot 2005年10月27日 (木) 14:09 (UTC)
そんなことをいっても、英語版で1.2だったものを翻訳した文章は1.2以降でしかライセンスできないんだから、翻訳記事については実際には1.2でライセンスされていたにもかかわらず、周辺文章の整備不備によって1.1でライセンスされていたかのような状態であったって考えるしかないんじゃないですかね。で、日本語版ぜんたいが1.2に移行することによって正常化すると。英語版が1.2に移行してから日本語版が移行するまでの期間に翻訳された文章を全部捨てるなんていう解は無いんだし。yhr 2005年10月28日 (金) 14:36 (UTC)
原文を含まない翻訳は救済する方法がありそうですが、原文が貼られた場合は問題があるような気も。--PiaCarrot 2005年10月29日 (土) 13:02 (UTC)

Wikipedia日本語版のGFDLのバージョンは、Wikipedia:著作権の初版の時代からずっと「Version 1.1 or any later version」です。つまり、事実上全部のページが「1.1かそれ以降」のバージョンが適用されることに同意した上で投稿されています。さらに、GFDLには、このような条件をつけておけば、更新された新しいGFDLをその文書に適用させることができるとも書いてありますので、1.2の移行には何の問題も生じません。というより、Wikipedia日本語版は、2004年5月からGFDLバージョン1.2に既に移行しています。現在存在する「1.1」という表記は単なる書き換え忘れです。さかのぼって適用といっておられる方がいますが、投稿時の過去に遡って、1.2なり1.3なり後続の新バージョンが適用されることに同意が既にされていますので何の問題もありません。もし1.2への移行に同意できないのでしたら、2004年5月までに異議を唱えてください。(移行の時期は月末だったように記憶しているので、2004年6月第1週くらいまでならいいです。)もし心配なら、英語版で1.1から1.2に移行したときの議論とかが出てくれば参考になると思います。cc-by-2.5について言及している方がいらっしゃいますが、GFDLとは異なるライセンスのため全然関係ありません。Modeha 2005年10月29日 (土) 12:36 (UTC)

利用者:Tamago915/GFDL1.2試訳を作ってみました。誤訳の指摘などお願いします。というか、英語には自信がないので、誰かに引き取っていただきたいのですが。--Tamago915 2005年10月29日 (土) 12:44 (UTC)
cc-by云々は「Wikinewsでライセンスが変更された際に、変更以前の物に対してまで遡っての適用がされなかった」というだけの話で出したのですが……。
で、「GFDL1.1以降」の環境に「GFDL1.2以降」のコンテンツが貼られると、それは本来GFDL1.1の元で使えないはずの物をGFDL1.1で使うことも認めてしまうので問題になる、という話なのです。1.1時代の物に対してライセンスを1.2以降に変更すること自体は不要("以降"という表現の元でデフォルト)ですが、1.1時代に1.2環境から転載された物は問題になるという話です。--PiaCarrot 2005年10月29日 (土) 13:02 (UTC)

ですから、そのような主張は2004年6月までに行ってください。Modeha 2005年10月29日 (土) 13:07 (UTC)

PiaCarrotさんはGFDL1.2以降でリリースされたコンテンツをGFDL1.1に戻すことはできない、という考えですよね。私もそう思います。またModehaさんもそう考えていると思います。ですから「GFDL1.1以降のところにGFDL1.2以降のコンテンツを持ってきた場合、そのライセンスはGFDL1.2以降で変わらない」というのがModehaさんの意見で、私もこの解釈で良いのではないかと思います。要するに実は1.1以降と1.2以降が混在していると。それでこの場合何が問題かというと、実際は1.2以降のコンテンツもあるのに、一律1.1以降と言っていることですね。ですから、逆に考えて、できるだけ早く移行してしまうのが良いのではないでしょうか?バージョンを上げることには問題はなく、むしろ現状が問題である訳ですから。電気山羊 2005年10月29日 (土) 13:14 (UTC)
>PiaCarrotさんはGFDL1.2以降でリリースされたコンテンツをGFDL1.1に戻すことはできない、という考えですよね。
ちょっと違ってて、「GFDL1.2以降でライセンスされている物をGFDL1.1以降という環境に転載する」ことに対して問題ではないかと思っています。
参考までに、en:Wikipedia:Copyrightsに掲載されているライセンス宣言は
Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, with no Front-Cover Texts, and with no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License". Content on Wikipedia is covered by disclaimers.
となっており、これを訳すると
この文書のコピー・変更・配布はFree Software Foundationが発行したGNU Free Documentation Licenseのバージョン1.2以降の下に、不可変更部分なし・表表紙テキストなし・裏表紙テキストなしで許諾されています。ライセンスの原文は"GNU Free Documentation License"にあります。また、"disclaimers"の対象となっています。
となるわけですが、ここで私が問題にしているただ1つのポイントは「バージョン1.2以降の下に(中略)許諾されています」という部分なのです。1.2以降の下で許諾しているはずの物を1.1の下で使っていいのか、という問題と考えてくれればいいでしょう。--PiaCarrot 2005年10月29日 (土) 14:13 (UTC)
「1.2以降の下で許諾しているはずの物を1.1の下で使っている」んですか?私は、1.1以降と書いてあるけど、実は中には1.2以降のものがまざっているのが現状だと思いますけど。1.1以降と書いてあるからには1.2以降が入っていることは問題ではないですよね。PiaCarrotさんに質問ですが、ライセンスをバージョンアップすることによって起こる問題は何ですか?PiaCarrotさんの懸念はライセンスを上げていない現状にこそあてはまるように思うのですが。電気山羊 2005年10月29日 (土) 14:37 (UTC)
>「1.2以降の下で許諾しているはずの物を1.1の下で使っている」んですか?私は、1.1以降と書いてあるけど、実は中には1.2以降のものがまざっているのが現状だと思いますけど。
あくまで私が問題にしているのは「1.2以降でライセンスされているはずの他言語版の本文や画像が、jaにコピーされると1.1の下での利用も可能とされてしまうが、これは元の方の著作権を侵害していることになるのではないか」という点です。先述した「バージョン1.2以降の下に(中略)許諾されています」というのは、暗に「バージョン1.1までの元での利用は許諾されていません」とも取れると思うのです(1.2以降という条件でカバーされてるので、1.1はカバーされてないという感じ)。
>PiaCarrotさんの懸念はライセンスを上げていない現状にこそあてはまるように思うのですが。
いや、上げたことで解決するのか?という方の問題ですね。元々そういう形で著作権侵害とも取れるはずの物が、変更した時点から適用バージョンを1.2にしたところで、その変更前の時点での投稿におけるその辺の問題が解消されるわけではないと思うのです。--PiaCarrot 2005年10月29日 (土) 22:40 (UTC)

(インデント戻します;このセクションを別ページに分割した方がよければお願いします)単純に論理のみで考えていますので、法解釈的な落とし穴がある可能性がありますが、それに気づきましたらご指摘ください。

1.2「環境」から 1.1「環境」にもってきたもののライセンスの解釈は、2通りあります。(1) 1.2 から持ってきたから 1.2 である、(2) 1.2 から持ってきたのに 1.1 にしてしまった。この二つの解釈は相互に排他的で、両立できません。PiaCarrot さんの心配はこのどちらかを安易に決めてよいものなのか?ということかと思いました。しかし、どちらを選択するにせよ、バージョンアップは可能であり、むしろできるだけすみやかに行うべき、というのが私の考えです。

まずバージョンアップが可能であることについての考えを述べさせていただきます。前者 (1) の解釈の場合、我々のあやまちは、あたかも一律に 1.1 ライセンスであるかのように説明していることです。しかし著作権侵害はしていません。これを解決するためには早急にライセンスバージョンをあげることです。それだけで解決します。次に後者 (2) に従い 1.1 にしていると解釈した場合、我々のあやまちは GFDL 違反です。すでに行われてしまった翻訳などはバージョンアップの有無にかかわらず、事実として残り続けます。さらに、バージョンアップしないことによって新たな GFDL 違反が生じ続けることになります。これらのことから、ライセンスの解釈は二通りできるが、そのいずれの選択をするにしても、ライセンスのバージョンアップをすみやかに行うべきであると結論しました。つまり、ライセンス解釈問題と今回のバージョンアップは関係なく行うことができると言い換えることもできるかと思います。

次に、解釈の問題ですが、(1), (2) の両立できない選択肢があり、どちらも解釈としては妥当です。繰り返しますが (1) の解釈をした場合、我々のあやまちはライセンスの説明が正しくないことで、著作権侵害ではありません。これは oxhop さんが冒頭に書かれている作業を行うことで解決(正常化)します。(2) の解釈をすると GFDL 違反をしてきたことになり、調査や削除といった莫大なコストを払うことになります。この選択をするならコミュニティを説得する必要もでてくるでしょう。(1) の解釈も十分に妥当であり選択可能であるのに (2) の選択を納得させることは事実上不可能ではないでしょうか。それでも敢えて (2) の解釈をしたいという人がいるなら、そのメリットを示さなければ受け入れられることはないでしょう。

最後に、我々が (1) の解釈を選択したけれども (2) の解釈をする者がいる場合と、その対処についてです。この件について翻訳元となったウィキメディアプロジェクトからGFDL違反で訴えられるということは、まず考えなくてよいでしょう。(ここからちょっとあやふやなところがあります)また GNU/FSF が介入することもまずないと思います。それから、GFDL 違反は親告罪でしょうから、悪意・善意の第三者が GFDL 違反で訴えることもない(できない)でしょう。いずれにしても、「我々は (1) と解釈しており、バージョンアップによってその問題は解決された」と説明・主張できます。むしろ (2) の解釈を可能なまま、あやふやなにしておくことの方がリスクがあると考えます。

結論を繰り返しますと、a) 我々はすみやかに GFDL 1.2 へ移行すべきである b) 今までのライセンスは GFDL 1.1 と GFDL 1.2 が混在していたと解釈すべきである、となります。電気山羊 2005年10月30日 (日) 07:36 (UTC)

将来的にも1.2への以降の経緯を残したほうが良いと思いますので、コメント依頼でも良いので別ページで集中的に議論したほうが良いのではないかと思います。たね 2005年10月29日 (土) 14:41 (UTC)

既に別の場所でも指摘しましたが、GNUプロジェクトのウェブサイトで更新があり、それに伴ってWikipedia日本語版の投稿時の警告「GFDLの非公式な日本語訳は、」のリンク先のGFDLの日本語訳が既に1.2に変更されています。(外部リンク[4])。つまり、現段階では、投稿時に表示されるGFDL原文は1.1、誘導先の日本語訳は1.2になっているという非常にまずい状態になっているので、その他の部分も早急に1.2に変える必要があります。

PiaCarrot氏が何を心配しているのか未だによくわかりませんが、氏の心配は1.2になったからといって解消されるものではなく、そのかわりに1.2になっても心配の内容が増大するものでもないと判断しました。私の判断が誤りなら指摘してください。問題が解消も増大もしないのだったら、それは別に1.2への書き換えの妨げにはならないと考えます。書き換えたあとに別個に問題提起してください。

なお、私の解釈は上で指摘されたとおりです。投稿時は1.1以降に同意と表示されるのでそれに同意して投稿すると、閲覧時には1.2に従えとあるので実質的に1.2で運営されているという考えです。この場合1.2は1.1以降なので何の問題も生じてはいませんが、1.1以降といいつつ実際には1.2以降でしか利用できないのなら投稿時の警告も1.2にするべきだと考えます。Modeha 2005年11月10日 (木) 12:45 (UTC)

現状のまとめ

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停滞してますが、とりあえずまとめてみます。

まず現状の問題点は

  • 現在ja.wpのライセンスは「GFDL1.1以降」となっている。
  • しかし他言語版(や他プロジェクト)のライセンスは「GFDL1.2以降」
  • そのため、他言語版からの画像や本文の転載は(たとえソースの記述があっても)GFDLバージョン非互換による著作権侵害と解釈される可能性がある

で、ja.wpのライセンスをGFDL1.2以降に変更すると、

  • それ以降における他言語版からのコピーについては、ソース記述さえあればGFDLバージョンに関しても問題ない。
    もっとも、画像についてはローカルに上げるよりもcommonsに上げた方が効率的だが。
  • それ以前の他言語版からのコピーについては依然としてGFDLバージョン非互換による著作権侵害を引きずっているはず。
    いくら「2005年6月に既にGFDL1.2以降になっている」と言っても、それ以前は引きずっているのではないか、と。後この解釈は表が変更されていない&投稿時の注意事項でリンクされているライセンス原文がローカルに持っている1.1なので無理がありそう。

こんな所でしょうか。--PiaCarrot 2005年12月30日 (金) 13:19 (UTC)

全然まとめてない上にそれはPiaCarrot氏の主張の単なる繰り返しにすぎないですね。いずれにしても、前述したとおり、PiaCarrot氏の主張はGFDL1.2に書き換えたからといって解消するものでもないし、GFDL1.2に書き換えたからといって問題がさらに増大するというものではないので、それについては書き換えとは別に問題提起を行ってください。また、GFDL1.1からGFDL1.2への移行は、それぞれの言語ごとにいくらか差異があります。どんなに早い言語でも、数分から数日以上の差があったと思います。PiaCarrot氏は、英語版のほうが移行が早かったという理由でスペイン語版での移行までに移入された記事に関して問題があると主張されているようですが、そういう問題はWikipedia日本語版ではなくメタでやってください。スペイン語版やインドネシア語版の問題を、日本語版で議論すべきではありませんし、またここでどんな合意が得られたとしても、スペイン語版とインドネシア語版の合意がなければ何の効力もありませんので。Modeha 2006年1月3日 (火) 14:42 (UTC)

Modehaさんの感想と同感です。主張の繰り返しであり、他の人の意見がほとんど反映されていませんので、まとめとは見なせません。PiaCarrot さんがご自分の主張を通したいのであれば、私が示した解釈の妥当性とそれを採用したときの作業量よりも、PiaCarrot さんの意見の方がより良いことを説明してください。この「まとめ」であげている PiaCarrot さんの懸念に対して、私は既に回答したつもりです。それで納得していないのであれば、その理由を説明、またはさらに質問してください。または私の解釈に致命的な欠点があるならそれを指摘してください。質問や説明をしないで同じ主張を繰り返されるのは非建設的行為です。電気山羊 2006年1月5日 (木) 06:52 (UTC)

特に異議も唱えられていませんし、PiaCarrot氏からの返答もありませんので、1.2への書き換えを提案します。既に議論は出尽くしたと思いますし。1.2への書き換えに明確に不同意の意見を出されていたのはPiaCarrot氏だけで、しかも氏は返答されておりませんので、暗黙の同意を頂いたと考えてもさしつかえないと思います。今から72時間経過後にポータルに告知を出し、そこから7日後に書き換えということでどうでしょう。ただし、Wikipedia:著作権ページは私も書き換えられますが、保護のかかっているページもありますので、全部の書き換えには少々時間もかかりそうです。Modeha 2006年1月24日 (火) 13:04 (UTC)

1.2への以降の目的が「新たなバージョン非互換の発生を防ぐ」であればいいのですが、そうでなく「過去の非互換によるcopyvioをもみ消す」というのであれば反対です(ここが重要)。あくまで「2006年○月○日以降についてはGFDL1.2以降」であれば反対はしないのですが……--PiaCarrot 2006年1月24日 (火) 13:26 (UTC)

もちろん、そんなつもりはありません。それに、ノートの議論を見れば誰でも分かるでしょう。PiaCarrot氏がインドネシア語版とスペイン語版(と、2004年5月時点で存在したすべての言語版)での同意をとった時点で、PiaCarrot氏の指摘した問題への議論は再開する、ということでかまいません。というわけでタイムカウンターは止めずにそのまま進行いたします。Modeha 2006年1月24日 (火) 14:33 (UTC)

少し考えてみました。Modehaさんの他言語版の同意をとらなければならない、という点はよくわからないのですが、上記の電気羊さんの説明とおおよそ同じようなことを感じました。

ただ、著作権侵害があったという解釈が成り立たないかというと、そういうことはないのではないでしょうか? 英語版の項目を翻訳して、それを日本語版に投稿する場合には、英語版のライセンス切り換え以前の版の文章を使っている、別途許諾をとっているなどの事情がなければv.1.2のライセンスに基づいて利用しなければならないのだと思うのですが、そうだとしたら、日本語版にv.1.1でライセンスされている文書としてリリースするのは違反ということになると思います。(これは、翻訳・投稿を行った方が違反したということです。)(1.1でリリースしているのか、1.2でリリースしているのかについてはいろいろ解釈の余地があるようですが、1.1でリリースしたのだとしたら、という仮定で考えています。)

ですが、GFDLのTerminationの部分(第9章)にあるように、仮にAさんの文書を(ライセンスのバージョンにまつわる問題に気がつかないままに)Bさんがライセンスに違反して作成した文書であっても、第3者のCさんは本来従うべきライセンスに従って利用することは妨げられていません。ここから、仮に著作侵害があったという解釈を採用する場合であっても、そのような侵害状態にある文書は依然として1.2で第3者が利用することはできるものだし、ウィキペディア日本語版内の説明文などを修正することで、問題が解消する、例えば過去の版に遡って削除をする必要性もない、という風に考えてよいのではないかと僕は思いました。

というわけで、結論としては迅速な切り換えが望ましいという風に思いました。唯一懸念材料があるとすれば、(僕にとっては)免責事項がどうもあれでいいのかどうか不安に思う部分がありますが、GFDLを未高桐ではどうやら免責事項は削除・除去はできないけれども追加はできるもののようなので、後からよりしっかりしたものを追加する、とりあえずは切り換えを優先させる、ということでいいのかなと思いました。Tomos 2006年1月24日 (火) 15:30 (UTC)

あ、Tomosさん。
>英語版の項目を翻訳して、それを日本語版に投稿する場合には、英語版のライセンス切り換え以前の版の文章を使っている、別途許諾をとっているなどの事情がなければv.1.2のライセンスに基づいて利用しなければならないのだと思うのですが
私としては問題にしてるのはそこです。ただ、翻訳と言っても基本的な要旨だけ元の文を見てそれっぽくしたのか、それとも本格的に訳したのかは難しい部分があり、他にも「記事の対象そのもの」を見て自分で説明を組み立て、それを元の文で補正した、というケースもあったりするので、とりあえず私自身は「他言語版からの原文もしくはメディアファイル自体のコピー」についてのみ問題視してます。(個人的なこぼれ話ですが、スクラブルを書いたのはボードの画像がPDだったからなんです。GFDLだったらボード画像をコピーできず書く気になれませんでした)
それを踏まえて、迅速な切り替えについては、私は「新たな、GFDLバージョン問題を理由とする著作権侵害の発生を防ぐ」という目的の下では賛成できるのですが、「過去のGFDLバージョン問題による著作権侵害をもみ消す」というのであれば賛成しかねる、というのが私の考えです。--PiaCarrot 2006年1月25日 (水) 10:45 (UTC)

どうもご無沙汰していました。。

PiaCarrotさんとIRCでお話してみて、この件で直感的にわかりにくいのは、ひとつには、通常の削除依頼とは違って、過去に投稿されたものが著作権侵害にあたる(ライセンス違反にあたる)としても、それを削除する必要はない、というところにあるような気がしました。

いろいろ説明の仕方を思いついたのですが、ひとつはこういう風に考えるとわかりやすいのではないかと思いました。

  • 通常の無断転載などの問題は、過去の版にあるものでも削除しなければ閲覧できる状態にあることになりますし、誰かがそれを閲覧する度に、無断転載からなる文章が読者の元へ複製・送信されるので、放置すると被害を拡大させることになります。そこで削除が可能なのに削除しないと、不作為責任を問われる可能性が出てくるのだと思います。
  • これに対して、例えば、誰かが無断転載をした後に、無断で文章を転載された著作者の人が、その文章をウィキペディアから削除する必要はありません、という有効な許諾を出す場合を考えてみると、この場合には、過去の問題も含めて後から問題を解消することになっています。許諾が得られた以上、放置することによって著作権侵害などの被害が拡大するということもないわけですから、削除も不要になります。(すぐに思い出せる例として、ノート:加藤文にある理由から削除しないことになった「加藤文」がこれにあてはまります。)
  • ところで、GFDLの場合には、上記の9条から「ライセンスに違反して作成された文書であっても他の人は正しくライセンスに従って利用できる」という許諾が与えられているように思います。
  • そこで、今回のライセンスバージョンの問題については、仮にそのような問題がある(違反がある)という立場を採用したとしても、ライセンスのバージョンを正しいものにすればそれでそのコンテンツを表示したり改変したり送信したりすることには問題がなくなるように思います。
  • これに対して、例えば、本当はv.1.2でリリースしなければいけない画像に、v.1.1 or later というような文字をインポーズしてアップロードした、というようなケースがあると、それはライセンスのバージョンを変更するための措置をとった後も画像にインポーズされたままになっているので、別途対処が必要とになると思います。ですが、各種画像や項目のライセンスになっているGFDLのバージョンは、画像や項目の内部で説明されているわけではなく、Wikipedia:著作権のライセンスノーティスやフッタのリンクなどから特定されるものだと思います。
  • そこで、今からでもそれらの情報を書き換えてv.1.2以降で利用可能なものであるということを明記すれば、削除しなくても問題がないと言えるように思いました。そのような変更後も削除しなければ解決できない問題は基本的に存在しない、という風に言ったらよいでしょうか。。

というわけで、もみ消すというと言葉が悪いですが、ライセンスの仕組み上、またウィキペディアの仕組み上、後からの修正で問題を解消でき、削除しなければ解消できない問題というのはなくなるのではないかと思いました。もちろん、この考え方に絶対の自信があるというわけではないのですが。。Tomos 2006年1月25日 (水) 13:14 (UTC)

発言を見る限りPiaCarrot氏は1.2への書き換えそのものには反対しておらず、しばらく返答もないことから1.2への書き換えが氏の考える懸念を増大も減少もさせないという点については同意してくださったものと考えておりましたが、告知はもう1,2日待ったほうがよいでしょうかね? とりあえず、告知は明日ではなく明後日に延期しようと思います。Modeha 2006年1月26日 (木) 11:27 (UTC)

とりあえずGNUのGFDLページから9条を引用しますと、
You may not copy, modify, sublicense, or distribute the Document except as expressly provided for under this License. Any other attempt to copy, modify, sublicense or distribute the Document is void, and will automatically terminate your rights under this License. However, parties who have received copies, or rights, from you under this License will not have their licenses terminated so long as such parties remain in full compliance.
--- 「Free Documentation License」 Free Software Foundation, Inc. 2005/05/05 19:37:12
あなたは「文書」を、このライセンスで定められた以外の形式でコピー・変更・配布・サブライセンスすることはできません。このライセンスによらないコピー・変更・配布・サブライセンスは自動的に無効となり、あなたに対するこのライセンスでの許諾は打ち切られます。しかし、そのようにして配布されてしまった物を受け取ってしまった人たちにおけるライセンスは、その問題が修正されこのライセンスを遵守している限り有効です。
と、前半は「GFDLが求めている形式を満たせない配布行為は著作権侵害であり、そのような配布行為は許諾できない」という形ですが、後半は「GFDL形式上問題がある状態で受け取ってしまった物を破棄するまでしなくても、自分で問題箇所を訂正して使えばよい」ということのようです。
……とここまで訳して気づいてしまったのですが、この字面だと「GFDLバージョン非互換によるcopyvio→バージョンを修正しないことによるcopyvio→(copyvioの無限ループ)」にja.wpが陥っているという解釈も可能な気が(汗)。これも適用バージョンを修正すれば解決する話なのでしょうか?でも一度許諾を取り消されてるはずの人がまた同じ記事を再編集している場合など、不安要素が増えてしまってます。
--この辺の議論とは無関係に、移行後でも他言語版からコピーされた画像はいずれ一掃したいと思ってる(今はcommonsがありますしね)PiaCarrot 2006年1月26日 (木) 12:34 (UTC)(引用形式修正して投稿し直し 2006年1月28日 (土) 14:06 (UTC))

PiaCarrotさんのお返事が2006年1月26日 (木) 12:34(UTC)づけで投稿されていたのですが、著作権法上適法と言えるかどうかちょっとよくわからない引用が入っているようなので、失礼してその前の版に書き継ぐことにします。

PiaCarrotさんの提起された疑問について僕もその後気がついて考えてみたのですが、いかがおおよその僕の考えです。

  • まず、前提として、英語版なら英語版から、GFDLv.1.2以降でのみ利用可能なものを翻訳、投稿する例を考えてみます。
  • これを日本語版に投稿することが問題になるのかどうかというのは、今のところの僕の感触では、解釈の余地があるというか、複数の考え方が成り立つように思います。ですが、仮にPiaCarrotさんが案じられているように、これを日本語版に投稿することは、すなわち翻訳したものをGFDLv.1.1以降の版でライセンスして投稿する行為になる、と考えてみます。(1.1以降による提供説、と呼ぶことにします。)そうすると、これはライセンス違反であることに間違いないと思います。(翻訳投稿の問題、とします。)
  • その後にその日本語版のページを、翻訳したのと同じ人が編集したらどうなるかというと、その人に対するGFDL許諾は終了しているので、その行為は許可なく他人の著作物を編集する行為、つまり翻案権や同一性保持権を侵害する行為になるかと思います。(翻訳者による編集の問題、とします。)あるいは、ちょっとした手直し程度だったら翻案権などには関係がなく、複製権になるかも知れませんが、著作権上問題がありそうなことには変わりがないという風に思います。
  • 同じページを、他の日本語版ウィキペディアンが編集したらどうなるかというと、1.1以降による提供説の立場を採用するなら、この行為もやっぱり同じような侵害行為になります。元々の文書は1.2以降で利用するように、とあるのに、日本語版ウィキペディアンが編集・投稿ボタンを押すことで、それを再び1.1以降のライセンスで提供してしまうことになっているからです。(その他のウィキペディアンによる編集の問題、とします。)
  • いずれの行為についても、問題はライセンスのバージョン表示が適当でないということのみが問題のようですから、それを修正すれば、修正以降、それら全ての版について、問題はなくなります。
  • 第9条の規定により、それまでにライセンス違反などをしていない方がそれらのページを編集したり、文章を外部サイトで利用したりすることも自由だということになります。
  • 削除が必要かどうか、という点について考えてみても、これまでと同じく、ライセンスバージョン情報を修正した後は、過去の版も含めて全てが問題無く利用できる版となりますから、削除する必要はないように思いました。
  • ただ、(これもこれまでと同じですが)過去にそうした侵害があったという事実は削除をするとしないとに関わらず変わりませんし、また、バージョン情報を修正したとしても、過去に不適切なバージョン情報によって提供されたことには変わりがない、と言えそうです。ここはどうにもならない部分です。これはフリーライセンスなどで提供されていない外部サイトから転載投稿を行った場合を考えてみても同じで、そのような投稿が削除されたところで転載行為自体がなかったことにはならないし、侵害行為が起こらなかったことにはならない、ということと同じだと思いました。

以上がひとつの、比較的安直な解釈のひとつだと僕は思います。そして、これはある意味一番二次利用者に厳しい解釈だと思うのですが、結論としては、このような問題があるとしてもライセンス情報の修正だけ行えばよく、削除を行う必要はなさそうな気がしました。

また、これは前回考えた時にも思ったことなのですが、仮に削除をしなければいけない何らかの理由があるとしても、ライセンスまわりの修正をした方がよいことには変わりがないですし、その点ではPiaCarrotさんを含めここで意見を述べている全員の方の意見が一致しているようです。そこで、削除をしなければならないのかどうかの議論は今後に持ち越してとりあえずライセンスバージョンまわりの修正を行う、ということでも問題ないような気がしました。

最後に(といってもやや長くなりますが)、やや予備的な考察として(そもそも1.1以降による提供説が正しいのかどうかという点以外に、)、上に述べたような「比較的安直な解釈」が疑問の余地のない解釈でもなさそうだということを書いておきます。

これは少し前にクリエイティブコモンズのライセンスについてよそで議論をした際に気がついたことなのですが、そもそもGFDLによる「許諾」が得られるのはどのような条件が成立した時で、具体的にどの文書についての許諾になるのでしょうか?

  1. あるウェブサイトでウィキペディアに投稿されたと記されている文章を読み、ウィキペディアでは投稿された文章がGFDLで提供される仕組みであるということを知っていた場合、実際にウィキペディア上の当該文章にアクセスしなくても、ウェブサイトの文章をGFDLで利用してもよいという許諾があったと考えてよいでしょうか? それとも、全く同一の作品であっても、実際にライセンスによって提供されているファイルにアクセスしなければ、許諾は得られていないと考えるべきでしょうか?
  2. ウィキペディア日本語版で提供されている文章にアクセスした場合には、その文章は基本的にGFDLで利用できると思います(外部サイトからの転載などが含まれている場合など、例外はいろいろ思いつきますが)。では、一度ライセンスに違反して、9条による許諾の終了を受けた人が、後日、別のミラーサイトで全く同じ文書にアクセスした場合はどうでしょうか?
  3. 一度あるGFDL文書を印刷物の形で受け取って、それを山羊に食べられてしまったら、その同じ文書を別のライセンス(CC-BYなど)で許諾されて所持している人から借りて、GFDLの条件にしたがって利用しても構わないでしょうか? (これはやや突飛な例ですが、ウィキペディアと関係のない文脈で議論していた時に挙がった例と似たものなので一応書いておきます。)

何だか詭弁のように思えるかも知れませんが、いずれも、ライセンスが作品に付随しているのか、それとも個々のファイルなり物(印刷された文書)に付随しているのか、という点についての疑問です。

  • もしも作品に付随しているのであれば、ウェブサイト上でアクセスした文書もGFDLで利用可能です。手持ちのコピーを山羊に食べられてしまっても、同じ作品を別の人から借りればそれをGFDLで利用できます。この場合、ウィキペディア上のあるページについて許諾が終了すれば、他のサイトの同じ作品の別ファイルについても一斉に許諾が終了することになります。
  • 逆に、個々のファイルに個別にライセンスがついているのであれば、ライセンスがついたファイルにアクセスすることが必要になりますが、この場合には、ウィキペディア上であるファイルにアクセスして、それをライセンスに従わずに利用して許諾が終了した場合であっても、同じ作品の別のファイルにアクセスしたらそのファイルについては許諾が得られたことになります。
    • ということは、そのファイルを改変したものをウィキペディアに投稿することもGFDLに従っているなら問題ないことになりそうです。つまり、実質的にミラーサイトで同じ文書にアクセスしさえすれば問題ないことになりそうです。

こうした具体例を離れて、そもそも9条の終了の規定が何を意味しているかということを考えてみると、「一度でもあなたがこのライセンスに違反したら、あなたは2度とこの文書を利用してはいけない」という意図による規定であるともとれますが(PiaCarrotさんはそう解釈されたのだと思います)、そうではなくて「ここに提供された許諾は、あなたが各種の要求事項を満たしている場合に限って提供されるもので、要求事項に反する場合には許諾は撤回される」という、単にこの手のライセンスの基本的な仕組みを終了の条件という形で述べているに過ぎないと見ることもできます。実際、ライセンスの主旨に照らして、一度でも違反した人に対しては2度と許諾を与えないという意図が込められていると考えるのが妥当かというと、ちょっとそうでもないような気もします。ただ、他方では、「正しく利用するなら、一度ライセンスに違反してもそれ以降も利用してもいい」と明記していないという点は気にかかります。そこで、どちらかの解釈が正しいとは僕には今のところ言えないように思えました。

ちなみに、この終了の部分は読み方によっては、こんな風にも解釈できそうです(具体例を想定して、それに対する適用の形で述べます)「あなたがこの文書を3通りに改変して3つの文書を作成し、その1年後に4つめのまた異なる文書を作成したとして、4つめの文書だけがGFDLについての違反が含まれていたとしたら、これまでの文書全てについての許諾が取り消される」こういう条項があるというのは考えてみると結構おかしなことだという気がしますし、それよりもむしろ「許諾が与えられるのは要求事項を満たした場合のみです」というライセンスの基本的な仕組みのみを述べているのだという解釈の方が正しいのかも知れない、という風に感じさせる理由のひとつでもあります。

大変長くなってしまいましたが以上です。Tomos 2006年1月26日 (木) 21:55 (UTC)

Wikipedia:出典を明記するの出典表示を付けて投稿し直し……てみたら、9条にもう1つの解釈が考えられそうです。
「あなたがこのライセンスの要求する形を満たす形で配布したものを、その後あなたがライセンス違反で許諾を打ち切られても、以前あなたから受け取った人が更に使用する際はその人がこのライセンスの要求を満たしているればよい」と、簡単に言えばTomosさんが「可能と明記されていない」とした「一度ライセンスに違反しても、ライセンスに適合するように修正して使用する」という行為を禁止しているという解釈も可能なようです。--PiaCarrot 2006年1月28日 (土) 14:06 (UTC)

特に異議を唱える意見がありませんので、予告したとおり明日、書き換えに関する告知を出します。Modeha 2006年1月27日 (金) 10:23 (UTC)

2月4日に書き換えを開始しましょう

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特に異議が唱えられていないので、告知を行いました。このページで重要な問題点が指摘されない限り、2月4日22時05分ごろをめどに、GFDLバージョンに関する記述を1.1から1.2に変更することを提案します。ひとまず、oxhop氏の指摘した3つの文書のうち、保護がかかっていないものについては上記時間に書き換えます。それ以外の文書については、管理者権限を持っておられる方にお任せします。Modeha 2006年1月28日 (土) 13:06 (UTC)

別の方向で疑問が発生しましたので、次の節に書いておきます。--PiaCarrot 2006年1月28日 (土) 14:06 (UTC)

バージョン番号指定無しGFDLって?

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前回の問い合わせに対し、en.wbのKernighさんから意見が出ていたので、ちょっとここで要約します。

  • (私の予想通り、)ja.wpにen.wp等他言語版の記事や画像をコピー(原文では「翻訳」としていたが、単純なコピーも含むはず)することはできない。
  • Kernighさんも以前en.wikisourceとen.wikiquoteで同様の提案をしたことがある。現在は(「この2つ+sep11」?それとも「wqとsourceを除く全プロジェクト」?ここだけ解釈が割れそう)はバージョン番号指定無しのGFDLとなっている(ただ、一部のプロジェクト文書がwikipediaからコピーされたものらしいが)。

この「バージョン番号指定無しGFDL」が「バージョン番号指定ありGFDL環境からのコピー」を受け入れられるのか疑問なのですが、もし受け入れられるのであれば1.2以降ではなくバージョン番号指定なしにすれば、将来GFDLの新版が出た際に、GFDL10条により「自動的に」新版の下での提供および新版の下で提供されているものの受け入れが可能になるような気がします。--PiaCarrot 2006年1月28日 (土) 14:06 (UTC)

何故ここにセクションを立てられたのかわかりませんが、それは今回GFDL1.2に書き換える話とは別個の話ですね。発言を拝見しましたが、それは1.2へ書き換えた後に議論しても十分間に合う話だと解釈しました。というわけで、書き換えのスケジュールはタイムカウンターを停止せずにそのまま進行いたします。Modeha 2006年1月29日 (日) 07:56 (UTC)


考えてみました。

バージョン指定をしないというのは、GFDLのライセンスの使い方のところで説明がある、2通りのライセンスノーティスの内のひとつのことを指しているのではないかと思いました。(他に特に思い当たらないので)

ライセンスノーティスでバージョンを指定しない場合は、文書は、GFDLの過去・未来どのバージョンによっても利用可能になるというのが基本的なところだと思います。

Wikisource のhttp://en.wikisource.org/wiki/Wikisource:Copyright をチェックしてみましたが、そもそもライセンスノーティスにあたるものが存在していないようでした。(外部サイトなどで利用する場合にどのようなライセンスノーティスをつけるとよいかについての解説はありましたが。)そこで、フッタに表示されているものがライセンスノーティスに一番近い物になるのでそういう風に解釈すると、確かにバージョン表示はありませんから、どのバージョンで利用してもいいという意味にとれます。

ですが、英語版がv.1.2 or laterでリリースしているので、それを日本語版に持ち込んでバージョン指定なしでリリースすると、v.1.1では使ってはいけないはずのものを使っていいものとしてリリースしてしまうことになるので、GFDL違反になってしまうように思いました。

ただ、これも異なる解釈が全く考え付かないというわけでもありません。また少し長くなってしまいますが一応書いておきます。

v.1.2 or later で提供されている文書の改変版を作成して、ライセンスのバージョンをv.1.2へ変更した場合を考えてみます。この場合、ライセンスノーティスはどのようなものをつけることが適当でしょうか?

  • (A) 元の文書がv.1.2 or later であるなら、改変版は、v.1.2 or later で提供するしか選択肢がないので、そのようなノーティスをつける。
  • (B) 元の文書はv.1.2 or later で提供されているが、ライセンスノーティスについては、4.Fで規定されているところによると、「this License」であればよく、これはバージョンの指定などがあるわけではない。そこで、元の文書を1.2の規定に沿って利用しつつも、改変版のライセンスノーティスはバージョンなしという形で、他の利用者(三次利用者、という言い方だとわかりやすいでしょうか)にはv.1.1でも利用できるようにしてしまうということも許されている。
    • (GFDLの用語法では、this License= GFDL で、 a specific version of this License などとあると、GFDLの特定のバージョンという意味になっているようです。つまり同じこのライセンスの違うバージョン、と。ちなみに、CCもほぼ同じようにthis License というのをバージョンが異なるものまで含めて指示する形で使っていたように思います。)

僕の素朴な読みは、GFDLがこうした細部に注意を払わずに書かれているだけで、解釈としては(A)が適切なのではないかというものです。また、(A)と(B)とを比べると、(A)だと思って使っている場合に実は正しい解釈が(B)であったとしてもその誤解がライセンス違反につながることはありません。それに対して(A)が正しく(B)が間違っている解釈であるにも関わらず(B)が正しいと思って使っていると、ライセンス違反が生じてしまうことがあります。そこで、(A)の方が安全という風に言っていいかと思います。

また、Modehaさんと同じく、もしもバージョン無指定へのつけかえが可能なら、とりあえず1.2へ移行して当面の問題を解消した後で無指定へ移行することができるということにもなるので、今回の移行とは別件のように考えていいのではないかな、と思いました。

Tomos 2006年1月29日 (日) 15:42 (UTC)

1つ気になったこと

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全く反応がなくて皆さんがどう思ってるのかが気になったのもそうなのですが、もう1つ重要な疑問が浮かんできたのです。それは「なぜ移行と過去におけるGFDLバージョン非互換による著作権侵害の疑いに対する対処の必要性を分けてるのか」ということです。私としてはこの2点は切り離せないと思うのですが、どうも最近の議論はこの2つを切り離してさっさと移行し、過去のGFDLバージョン非互換による著作権侵害をもみ消そうとしているようにしか見えないのです。--PiaCarrot 2006年2月4日 (土) 11:42 (UTC)

それについては私は別の問題だと判断したということです。PiaCarrot氏もそう述べた私の意見には特にコメントはくださいませんでしたよね? ほかの方は特に理由がないのでしょう。Modeha 2006年2月4日 (土) 11:54 (UTC)

私が切り離せないと思った理由は、もし著作権侵害とされて削除しなければならない状況になった場合の損失が、先にその辺の解釈を決めておいた場合よりも先に移行して後で扱いを決めたときの方が大きいと思うからです。過去にGFDLバージョン非互換で著作権侵害という版があって、移行後にいじられるとすると、
  • 先に扱いを決めておいた場合:問題があり一度削除するのであれば、削除された後改めて元の記述を付けてやり直せる。
  • 移行だけ急いで後で扱いを決めた場合、移行後の編集も含めて全て対処方法が決まった時点で水の泡になる。
というわけで、議論を分離せずに先にその辺の扱いを決めておくべきだと思うのです。--PiaCarrot 2006年2月4日 (土) 12:10 (UTC)

そうはいっても、PiaCarrot氏にはそれを主張するのに十分すぎるほどの時間があったはずですが。それに、同じようなことはPiaCarrot氏が既におっしゃっているのに同意される方がいらっしゃらなかっただけなのではないですかね。どうして1時間前になってそういうことをおっしゃるのかはよくわかりません。そこまでおっしゃるのでしたら、書き換えをもう24時間待って、PiaCarrot氏への意見がある方がいらっしゃるか待ってから書き換えることにしましょう。ただし、よけいな引き延ばし策と疑われるのは問題ですから、そこでそれ以上進展がなければそこで書き換えることにいたしましょう。今度は1時間前になってもう一つ思いついたけれどとか言い出さずに、思うことがおありでしたら今のうちに意見してくださるようPiaCarrot氏にはお願いいたします。Modeha 2006年2月4日 (土) 12:33 (UTC)

追記。それに、分離して進行することには当時異議を唱えられなかったのに今になってやっぱりというのはほかの利用者が納得してくれないんじゃないですかね。理由付けも私から見るとたいして替わっているようには見えませんし。Modeha 2006年2月4日 (土) 12:36 (UTC)

考えてみました。

  • 繰り返しになってしまいますが、僕は、削除でしか解決できない問題はどうやらなさそうだという風に思ったので、別問題として考えるというよりも、削除は不要のようだと考えました。
  • ちなみに、PiaCarrotさんは、削除するとしたら複製にあたるものだけを削除の対象として、翻案にあたるものは対象としない、という風に考えているようにもとれるのですが、僕は削除するとしたら複製も翻案もどちらも対象にするべきということになるように思います。翻案にもあたらないようなものであれば、そもそもGFDLとは関係ありませんから、その場合には削除は不要になるでしょうが。。例えば、翻訳の際に多少構成や主旨を変えたが元の記事に多くを負っている、というようなものは、個別には判断が難しいケースはあるにせよ、GFDLに従わなければ利用できない(翻案権侵害になる)というケースが多くあると思います。
  • それから、バージョン変更とは別の問題として「切り離し」て考えていいかな、と思ったのは僕の場合は、「免責事項の追加」と「バージョン無指定化」の2つです。
  • ところで、ざっとあれこれ考えなおしてみてひとつ気がついたのですが、「Wikipedia:著作権」を改訂しても過去の版は依然としてv.1.1 or laer で提供されているままの状態にある、という説がもしも正しいなら、単にライセンスをつけかえるだけではだめだということになりそうな気がします。
    • ただ、各ページのフッタからWikipedia:著作権へリンクが張られていた時には、特定の版に張られていたわけではありませんし、Wikipedia:著作権を書き換えればその内容が過去の版にも適用される、と考えるのがより自然な感じもします。
    • 慎重を期すために「一部の記事の一部または全部の版は、GFDLのバージョン1.2以降で提供されなければならないところが1.1以降で当初提供されている場合があります。それらをGFDLのバージョン1.1で利用されるとライセンス違反になってしまいますので、バージョン1.2以降のライセンスでご利用下さい」といった類の注記をしておくというのでもいいように思いました。
  • とりあえず考えたことは以上です。Tomos 2006年2月4日 (土) 15:08 (UTC)
確かに、「原文を含めない翻訳記事」については依存度の判定が難しいですね。「明らかに問題がある場合」として「原文がコピーされている場合」を挙げました。
で、私は「GFDL1.1以降当時にGFDL1.2からコピーされたものの扱い」を決めずに適用ライセンスだけ変更するのは、後で過去の非互換問題に対する扱いを決めた結果著作権侵害とした場合に損失が大きいので、先に過去の非互換問題に対する扱いを決めておくべきと考えてます。
で、Tomosさんの注記案に関して妙に思ったことなのですが、それだと「自分たちは違反をやってるということを承知している」ように読めなくもないです。--PiaCarrot 2006年2月5日 (日) 10:27 (UTC)

24時間待ちましたが、延長の条件にした「PiaCarrot氏への意見がある方」で、積極的に書き換えの延期を求める意見がありませんでしたので書き換えました。なお、この書き換えは、2006年2月5日まで、日本語版ウィキペディアがGFDL1.1で運用されていた、ということを意味するものではありません。以後の議論は、それぞれの主張をしている方におまかせします。Modeha 2006年2月5日 (日) 13:11 (UTC)

追記。私は管理者権限を持っていませんので、保護のかかっている2つの記事については編集ができません。これら2つの記事については、管理者が可及的すみやかに書き換えを行ってください。議論に参加していたTomos氏とPiaCarrot氏が適任と思いますが、そのほかの管理者が書き換えることに異議を唱えるものではありません。書き換えが遅れますと、「書き換えのタイムラグの間に執筆された記事に関してGFDLバージョンに関して問題が生じる可能性がある」という主張をする利用者が現れないとも限りませんので、管理者権限をお持ちの方はすみやかに書き換えをお願いします。Modeha 2006年2月5日 (日) 13:25 (UTC)

ここだけを書き換えてもあまり意味がありません。少なくともライセンス文書本文の書き換えが先に必要でしょう。無理に変更して不一致を起こす必要はありません。部分的に完遂できずに論理的穴となりうることを起こし、他人に任せたり多くの人に迷惑をかけるのであれば全部任せてください。無理してあなたが変更しなければいけない理由はどこにもありません。--Suisui 2006年2月5日 (日) 15:48 (UTC)

そういう議論はタイムカウンターを回す前にいってください。書き換えの方式を変えるという要求はそのときにできたはずです。Suisui氏はいつも全部終わってからやり方に問題があるなどと主張して元に戻そうとしますが、それではSuisui氏も書き換え担当者に指定します。REVERTする余裕があるのでしたら、当然、書き換えをSuisui氏が行うべきです。Modeha 2006年2月6日 (月) 10:10 (UTC)

常識的に考えれば、わざわざ不整合を起こすことに何の価値もないことが分かると思うのでその点についてはご自分で考えてみていただきたいと思います。やり方に問題が有ると指摘したのではありません。中途半端にやってしまったことデ問題を引き起こしていることが問題なのです。それと、ウィキメディア財団の行っているプロジェクトは全てボランティアによるものです。どなたにも あなたにも 誰に対しても何かするように指定したり命令したりする権利はありません。勘違いのないようお願いいたします。--Suisui 2006年2月6日 (月) 16:09 (UTC)
というかですね。やるべきことの順番が違うでしょう。まず何を差し置いても「どこを書き換えるなければならないか」を列挙すべきなのではないですか。>Modeha氏
そう言うことを全くやらずに「担当者に指定します」ですか。Tietew 2006年2月6日 (月) 17:01 (UTC)

私はoxhop氏の指定した3つの文書という書き方をしました。てっきりこれで、oxhop氏の2005年10月27日 (木) 13:43 (UTC)の発言で指定した3つの文書だと理解していただけたものと思っておりました。書き方が分かりにくかった点については謝罪いたします。どこをどう書き換えなければならないと指定しなかった点についても謝罪します。ご存じのとおり、うっかりライセンス文書の一部をノートページで引用してそれがトラブルの元にならないとも限らないので(実際似たことはこのページで起きています)、指定しませんでした。これについてもあらかじめ指定しない理由を提示しなかったことについて謝罪いたします。Modeha 2006年2月7日 (火) 10:12 (UTC)

GFDL1.2移行のまとめ

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以前提示された1.2移行手続きと、あわせてチェックを行い、以下4ページについて変更を行いました。

普通に用いることができる検索を使った限りでは漏れはないのですが、もしあれば指摘のほうお願いいたします。メインの変更は免責事項や画像のライセンスなどすでに行われていたもので今回はある意味儀式的な変更ではありますが。これまで様々な議論に参加された皆さん、ひとまずお疲れ様でした。--Suisui 2006年2月6日 (月) 18:23 (UTC)

要約はどういう扱いになるのでしょうか

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ノート:敬語を書いていて思ったのですが、引用でない要約に関してはウィキペディアとしての方針があるのでしょうか。敬語の項目に関しては疑惑の段階なのであくまでも一般論ですが、要約ならば可ということだと市販の本のダイジェスト版のような記事(敬語の項目がこれに当たるかはまだ分からない)を容認することになってしまうので、何らかの線引きが必要だと思いますが。mononohazumi 2006年2月5日 (日) 12:25 (UTC)

(追記)敬語の項目については私の思い過ごしでした。mononohazumi 2006年2月10日 (金) 10:05 (UTC)

ページの保護について

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かなり昔に議論したことがあると思うのですが、昔過ぎて忘れているので再度提起します。改めて説明するのも気が引けますが、Wikipedia:著作権はWikipedia日本語版におけるGFDLの解釈について説明した文章であり、GFDLでライセンスを行う(契約 となるかならないかは解釈が分かれていますが)ことの確認文章です。そのため、度々変更されるのは望ましいことではありません。なので保護を提案します。(英語版ではその昔議論した当時すでに保護されていたような記憶があります)私自身、現在の内容に問題がないと思っているわけではありませんが、直接編集するのはやめましょう、という提案です。--Suisui 2006年2月5日 (日) 17:19 (UTC)

保護に賛成します。容易に改変する必要がある記事ではないですし、荒らされるのを直すのも面倒です。ただ、ライセンスのバージョンアップについての議論中なので、その話がひと段落してから保護すれば良いと思います。たね 2006年2月5日 (日) 18:42 (UTC)
同じく保護に賛成します。正式にライセンスのバージョンアップが決定したときには管理者が編集すればいいだけなので即時保護を。--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年2月6日 (月) 00:29 (UTC)

Template空間およびsubstの扱い

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Template‐ノート:Vfd topWikipedia‐ノート:あいさつ同好会 (仮)で同じような事を言ったこともあり、ここでまとめて議論することにします。

{{subst:○○}}と記述すると理論上"Template:○○"のコピペになるわけですが、これを元のTemplateの履歴を書かなくてもGFDL違反にならない解釈を作れないでしょうか。私としては、

  • Template空間からのsubstに限り、履歴記述がなくてもGFDL違反としない。
  • 他の空間からのsubstは従来通り履歴記述がない場合GFDL違反とする。

の2点で。いい文面はないでしょうか?--PiaCarrot 2006年2月24日 (金) 13:32 (UTC)

そんな好き勝手に決めるだけで解決できるような問題なら、そもそもGFDL違反など屁理屈こねればどうにでもなる瑣末な問題なように思えてきますが。--222.3.72.117 2006年2月24日 (金) 13:38 (UTC)

……そんなややこしいことに見えますかね?私としては、本来

  • (差分) (履歴) . . ノート:萬Z(量産型); 23:15:20 . . PiaCarrot (ノート) (そー言えばコイツは特定版削除済み案件だったのでTemplate:削除済みノート 2006-02-10 13:41:50(JST)を貼っておく。)
    (これは特別:Recentchangesからの引用です。太字部分が重要。)

と元のTemplateとその最新版の日時を書かなければならないと言えるのを、Template空間からのsubstだけ除外しよう、つまり

  • (差分) (履歴) . . ノート:萬Z(量産型); 23:15:20 . . PiaCarrot (ノート) (過去の削除関係ログへのリンクを追加)

程度(元のTemplate自体の記述がない)にしてもいいようにできないか、という意味です。

削除依頼に出すときだって本来は「Template:sakujo 2006-02-03 00:16:20(JST)を貼る」とか書かないとダメだという解釈もあるはずで、そう言った手間を省けるだけでも十分この規定を入れる価値はあると思います。--以前マジでこの方式で削除依頼タグを貼ったことがあるPiaCarrot 2006年3月2日 (木) 14:43 (UTC)

subst展開で使用するような、Templeteについては、著作物に該当しない、全く創作性のないものにとどめておけば問題ありません。例えば、「この記事は削除依頼にだされています。」これだけなら、100%著作物には該当しないのでsubst展開しても全く問題ありません。kaz 2006年3月2日 (木) 14:58 (UTC)

確かに、文の内容自体で考えればここまで心配する必要はないという見方もありえますね。
しかし、Wikipedia‐ノート:あいさつ同好会 (仮)で「挨拶でさえもその文章のタイムスタンプを要約に書かなければGFDL違反だ」という話が出ていたので、各種Templateにもこの理論を適用されたら「削除依頼に対し、その削除依頼のタグを貼ったことに対する削除依頼」で削除依頼があふれかえるという恐ろしい事態が目に浮かんでしまってます。本件の提案はその対策として付ける文言を決める物なので、「そもそもTemplateに用意される物は著作物に該当しないもの」ということが可能ならそれでもいいでしょうが、著作物に該当してしまいそうな物もあるかもしれない気も。--PiaCarrot 2006年3月2日 (木) 15:26 (UTC)
実際にはtemplateには色々なタグなどのソースが含まれているので、著作物には該当しないと言う事はできない気がします。(日本では創作者の個性が出てれば足りるので、kazさん提示の例文面だけなら確かに該当しないでしょうが、その例文面にいろんな色を付けたり囲ったり中央に置いたりdivタグで囲んだり・・・となると必ず編集者の個性が出るはずなので、著作物である事は回避しがたいと考えます。)もっとも、コピーペーストの際の履歴欄への記入事項も、最新版からコピペして来た場合には、版の日時を書く事を免除する方針のようですから(コピペした時点から書き込みした時点までの間に新たな版が元記事において作られた場合は想定外?)、templateについてもtemplateへのwikiリンクを貼るか、いっその事{{subst:なにがし}}をそのまま履歴欄に貼ってしまうだけ、で済ませても良いかも知れません(勿論、本文に単純にsubstした場合限定)。いずれにせよウィキペディアは現状はGFDL準拠であってGFDL合致ではないのですから、そのようにすることで、GFDL準拠ではない、とは言えないでしょう。--222.1.238.138 2006年3月7日 (火) 10:39 (UTC)
「GFDL準拠」であっても「コピーレフト合致」ならば、FSFには怒られないような気もします。[5]の「10. FUTURE REVISIONS OF THIS LICENSE」の第1段落を参照。ウィキメディア財団からがどうかは知りませんが。--210.196.38.54 2006年3月7日 (火) 11:09 (UTC)
現状はウィキペディアは「GFDL準拠」で(∵他に現実的な手段が無い為)、1.3以降の版のGFDLでは合致するよう祈る(将来的には)。これしか無いかも?問題先送りの批判は敢えて甘受。--222.8.116.99 2006年3月8日 (水) 04:13 (UTC)
センタリングなどの位置調整や、色程度では、著作物性はないと思います。kaz 2006年3月7日 (火) 13:28 (UTC)
templateの「単にセンタリング・色つけなどのみがされた」表示による表現自体には、無い可能性もありますが、そのようなtemplateのソースには、著作物該当性はあると考えます。--211.18.180.41 2006年3月8日 (水) 04:07 (UTC)
問題はそこですよね。文章自体は著作物性はなくても、配置とか枠の組み方とかそう言ったところを表現するソースにはあるのではないでしょうか。そうすると、削除依頼標識を貼るにしてもTemplate:sakujoの履歴をチェックし記述しないといけないわけで、それこそsubst:sakujoをGFDL違反として削除依頼に出しまくる人が現れる可能性があります。私がここで提案してるのは、それを防ぐためにここで出すTemplate空間からのsubstに対する規定です。--PiaCarrot 2006年3月9日 (木) 13:52 (UTC)
「単にセンタリング・色つけなどのみがされた」表示を実現するソースの場合ですが、HTMLやWikiの文法に従うと必然的にそうなってしまうような創作性のないソースの場合は著作物性はありません。HTMLやWikiのマークアップは、ある表現を行うための決まりごとにすぎないからです。「単にセンタリング・色つけなどのみがされた」表示を実現するのに、著作物性のある書き方をするほうが難しいですし、Wikiの本質に反しています。kaz 2006年3月10日 (金) 14:58 (UTC)

2006年4月の編集保護

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某アーティストの身長の記載に固執する荒らしがIPユーザーからされ、編集保護になる。--経済準学士 2006年6月13日 (火) 16:42 (UTC)