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ノート:平井信号場

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出典の明記

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この記事に{{出典の明記}}を付けました。現在ある記述への出典の明記を求めるとともに、検証可能性を満たさない加筆はなさらないようお願いします。いずれ自分でも整理します。--継之助 2011年2月3日 (木) 03:25 (UTC)[返信]

半年たっても出典が明記されない記述が多いので、自分で出典をつけた箇所以外はすべて除去しました。復帰は出典明記が必須ですよ。--継之助 2011年8月3日 (水) 04:25 (UTC)[返信]

名鉄に所属?

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色々と調べなおしていますが、平井信号場が名鉄に所属していたということを裏付けるものが出てこないです。『名鉄百年史』に駅一覧が載っていて、他の信号場は書かれているのに平井だけ書かれていないですね。それに、年表でも触れていません。国鉄単独の信号場という扱いだったのかもしれません。--継之助 2011年2月15日 (火) 02:43 (UTC)[返信]

とか言っていたのですが、『日本鉄道旅行地図帳』7号(今尾恵介監修、新潮社ISBN 978-4-10-790025-8)を見てみると.......名鉄にも所属しており(豊橋から3.8km)、しかも名鉄に関しては廃止されていないらしい。これだけを出典として定義部分を書き直しても、構わないのですが、どうしようか...。--継之助 2011年4月17日 (日) 16:04 (UTC)[返信]
鉄道ピクトリアル』2006年1月臨時増刊号p.29掲載の2005年1月29日改正名古屋本線列車ダイヤにおいては、豊橋起点3.8kmの地点は「小坂井」とされ、舞木信号場枇杷島分岐点同様、信号場を示す×印が添えられています。この時点で、名鉄においても平井信号場は存在していなかったようです。--Cauli.会話2014年9月16日 (火) 15:02 (UTC)[返信]
『鉄道ピクトリアル』2006年1月臨時増刊号(以下No.771)に掲載されている形式のダイヤなら他の特集号にも掲載されています。古い順に並べると
  • 2009年3月臨時増刊号(以下No.816)のp.138(1957.10.1改正)では「平井」
  • 2006年1月臨時増刊号(以下No.771)のp.125(1968.8.25改正)およびNo.771のp.127(1970.12.15改正)では「小坂井<平井>」
  • 1986年12月臨時増刊号(以下No.473)のp.15(1985.3.14改正)では「小坂井(平井)」
  • 1996年6月臨時増刊号(以下No.624)のp.27(1996.4.8改正)では「小坂井<平井>」
  • No.771のp.29(2005.1.29改正)およびNo.816のp.44(2008.12.27改正)では「小坂井」
です。また、No.473、No.771、No.816には配線図がついていますが、No.473のみ「平井(信)」と記載されています。このことから、少なくとも名鉄の信号場が国鉄と同時に廃止されたわけではない事までは確かです。
で、問題はいつ廃止されたか(そもそも廃止したか)ということですが、上記以外の箇所を見ると現在も存続しているかのような文章も散見され(ex.No.816のp.37「平井信号場―豊橋間はJR飯田線と線路設備等を共用しており」。筆者は名鉄運転保安部所属)、井堀信号場の件で取り上げられた『鉄道ピクトリアル』2013年11月号(No.882)に至っては平井信号場の件について「JR(国鉄)側から見たら信号場ではなく、名鉄側から見たら信号場である分岐点」であることを解説しています。Cauli.さんが提示した「小坂井」の件については見過ごせないとは思うのですが、これらを覆せるのかと言われたら微妙です。ダイヤ以外でモロに「(名鉄側の)信号場が廃止された」という記録なり文面なりが見つかれば良いのですが…。
もっとも、もし名鉄側の「平井信号場」が井堀信号場のような「実務上の通称」であると仮定するなら、資料によって表記があったりなかったりするのも説明がつくかもしれません(まだそれを証明する出典を持っていませんが…。ただ、枇杷島分岐点だって「実務上の通称」(本来は西枇杷島駅構内扱いだからJR側の「平井」と同じ類)なのにあれだけまかり通っていることを考えるとあり得る気はします)。--ButuCC+Mtp 2014年9月16日 (火) 16:41 (UTC)[返信]
平井の話から若干外れますが、場内信号機の配置を捉えて、「『A信号場』はB駅構内扱いだから正式な信号場じゃない」(例1:A=飯田線平井、B=飯田線小坂井、例2:A=東北本線矢野目、B=東福島)という判断は、信号場以外の停車場でも同一構内(上下線の最外方の場内信号機間)を共有した例があるので、あまりあてにならないかもしれません。
《「駅」が絡む同一構内共有例》
もっとも、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻掲載の各停車場の変遷でも信号場の出典は国鉄時代の『停車場一覧』のみというものが多く、民営化後に設置された矢野目は同書上「信号場」である典拠が示されていなかったりします。まして、私鉄ともなれば確認が困難なケースも多いでしょうね--Cauli.会話2014年9月17日 (水) 09:41 (UTC)[返信]
コメント - とりあえず『鉄道ピクトリアル』2013年11月号(No.882)の内容をもとに加筆しました。(蛇足)なお、同雑誌の別項にある信号場一覧ではJR東日本側のみ矢野目信号場の記載がありました(阿武隈急行は項目自体ないです)。--ButuCC+Mtp 2014年9月17日 (水) 16:14 (UTC)[返信]