ノート:山本幡男
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この「山本幡男」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2015年9月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
重労働25年か20年か
[編集]2022年4月2日 (土) 04:02 (UTC)の編集で「重労働25年」が「重労働20年」に修正されましたが、出典を再確認したところ、確かに「25年」でした。しかしこちらのブログによれば、テレビ『知ってるつもり?!』で紹介されたときは「20年」だったらしいです。さすがに個人ブログのテレビのキャプチャでは出典になり得ませんが、どこかには「20年」とする資料もあるのかもしれません。こちらでも引き続き捜してみますが、どなたかご存じでしたらお教えいただければと思います。よろしくお願いいたします(もっとも25年でも20年でも記事内容の大筋には大差ないかとも思いますが……)。--逃亡者(会話) 2022年4月17日 (日) 22:47 (UTC)
- 自己解決しました。山本幡男氏のご子息である山本顕一氏(立教大学名誉教授)が2022年12月に発行された『寒い国のラーゲリで父は死んだ』(ISBN 978-4-86238-253-5)p207によれば、「従来は25年とされていたが、ペレストロイカ後の情報公開で判明したソ連の裁判記録では20年である(要約)」と述べられていました。--逃亡者(会話) 2022年12月29日 (木) 02:01 (UTC)
山本幡男の出生地
[編集]本文では、「西ノ島町」となっていますが、その町の成立日は山本幡男の誕生日「1908年〈明治41年〉9月10日」よりも後の「1957年(昭和32年)2月11日」成立です。「西ノ島町」成立以前の島にあった知夫郡の浦郷村町・黒木村のどちらかが山本幡男の出生地であるといえます。山本幡男のドキュメンタリートを執筆した辺見じゅんの「ラーゲリからの遺書配達人」(1987年)『収容所から来た遺書』(1989年)を読んでも判別がつかないので、辺見じゅんの誤認が原因であります。よって「西ノ島町」ではなく「西ノ島」といたします。--BY7679(会話) 2022年12月18日 (日) 15:16 (UTC)
- 上記の「浦郷町」は山本幡男の出生当時は村でした。浦郷村が町制施行して浦郷町になったのは1946年(昭和21年)11月3日でした。--BY7679(会話) 2022年12月18日 (日) 15:29 (UTC) 誤記修正--BY7679(会話) 2022年12月18日 (日) 20:32 (UTC)
- 山本幡男の出生地は「山本幡男の遺品展示室 | 西ノ島ふるさと館」[1]の記述で「西ノ島・大山地区にて生まれ」とありました。この記述から、黒木村であることが判明いたしました。--BY7679(会話) 2022年12月19日 (月) 04:14 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。再調査を行っておりましたので、返信が遅れ、申しわけありません。「黒木村」と明記されている資料が無いかと捜しておりましたところ、運良く上節の書籍『寒い国のラーゲリで父は死んだ』p199に「黒木村」と明記されていました。ちなみに、ご修正前の脚注1で示しました通り、『収容所から来た遺書』(文春文庫版、ISBN 978-4-16-734203-6)p59では確かに「西ノ島町」との表記でした。また、Google Booksによれば、現在の記事にも示しております辺見氏の『ダモイ 遥かに』(ISBN 978-4-89610-083-9)には「黒木村」とあるらしいので、恐らく『収容所から来た遺書』発行後の再調査で黒木村と判明したと考えています。ただ『ダモイ 遥かに』は小説仕立てあり、著者の辺見じゅん氏ご自身が「自分なりのフィクションを交えて書いた」と何かで読んだ記憶があり、直接の出典に用いるには難があるかと存じます(現在の出典では小説本文ではなく、辺見氏による執筆経緯の後書きのみ用いております)。--逃亡者(会話) 2022年12月29日 (木) 02:01 (UTC)【誤字訂正--逃亡者(会話) 2022年12月29日 (木) 06:57 (UTC)】
- 逃亡者さん、ありがとうございます。3月7日ノート:高橋貞子 (作家)いらいですね。緻密な調査で加筆・執筆、感謝いたします。--BY7679(会話) 2022年12月29日 (木) 06:23 (UTC)