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ノート:寝殿造

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寝殿造を全面リライトしました

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寝殿造を全面リライトしました。

【追記】: 寝殿造の歴史index、及び 建築史・古建築 indexは本稿の為の下調べで、本稿で使用した画像の多くは「建築史・古建築 index」のとき撮影したものです。

しかし2分後にInception2010さんが差し戻されました。その中に「カテゴリの除去」がありましたので、カテゴリは追加しました。以前に下書きにカテゴリを付けたまま長い間編集していたら注意されたことがあって下書には付けないようにしていたのですが、ウィキペディアは何年ぶりかの更新でしたのでカテゴリは忘れていました。しかし差し戻しとは「荒らし」に対する防衛策、あるいは「荒らし」が使う手法だと思います。「不適切な編集+百科事典的ではない編集」ともありましたが、2分で読めたとは思いませんが。

追記:なお、以前にウィキペディアの執筆者から「手が回らないのでそちらでリライトしてくれない?」と依頼された項目を自分のサイトで勉強しながらまとめて、後にアップしたとき、月間強化記事賞かなにかの選考中に「著作権法侵害の疑い」とかで削除されたことがあります。数名のウィキペディアの執筆者から「それは本人のサイトです」と即刻RESが付き、削除依頼者自身もそれを確認したものの、管理者の皆さんが多忙のため復帰に時間がかかり月間強化記事賞を逃したことがあります。そのために今回は外部リンクに自分のサイトのURLを挙げています。 自分のサイトでの寝殿造記事のあとに再度まとめ直す形でウィキペディア内で下書を始めたので、記述の違うところがあれば、現時点でのウィキペディア記事の方が最新です。----Ktmchi会話2017年6月18日 (日) 14:03 (UTC)[返信]

こんにちは。Inception2010と申します。最近の更新のページを偶然アクセスしたら、Ktmchiさんが30万バイト超の加筆編集を行っていたのが目に留まり、ページ「寝殿造」にアクセスしました。私は速読を得意としておりますので、2分でもこの記事が問題があるという事は理解できました。以下のような助長な文章がたくさん追加されていたこと、さらにカテゴリの除去が行われていたため、勝手ながら差し戻させていただきました。
次ぎの段階は吊り天井である。吊り天井で梁が隠れるようになると、ちょうど桔木のように荒々しい未成形の太く長い梁を構造材として使えるようになる。もちろん長さも太さも桔木よりも長く太い。 そして桔木同様に多少曲がっていても無骨でも構わない。なにしろ見えないのだから。 これが野梁で、その野梁を連続させて屋根を支える新しい構造が採用できるようになる。
などと書かれていますが、このような文章はどう見ても百科事典の文章ではありません。私はこれ以上偶然発見しただけのこの記事にはかかわりませんので、Wikipedia:大言壮語をしないWikipedia:表記ガイドをお読みの上、記事の改善をお願いいたします。Inception2010会話 | 投稿記録 2017年6月18日 (日) 15:13 (UTC)[返信]
Ga10:奈良・元興寺小子房の天井吹き抜け部分。
G230:屋根を支える構造。

「荒々しい未成形の太く長い梁を構造材として」とか、使いませんでしたが(と思いましたが使ってましたね)「大蛇のような」というような表現は建築史の本の表現です。まだ確認していませんが「大蛇のような」は原田多加司氏、「荒々しい未成形の太く長い梁を構造材として」は確か藤田盟児先生(奈良女子大)か藤井恵介先生(東大)が書かれていたと思います。最終文責は私ですが建築史の世界で「桔木」(はねぎ)や「野梁」の形状を表現するのに普通に使われる言葉だと思います。これを図面にすると他と同じ普通の加工済み木材のように見えてしまいます。図面の画像や人様の本や解体修理報告書のwikiにはアップ出来ませんが、その代わりに自分が撮った元興寺小子房の天井吹き抜け部分の画像を付けてありました。Ga10とG230を見比べて下さい。Ga10の梁をG230の梁と比べて「荒々しい未成形の太く長い梁」と云うことが「大言壮語的な記述」ということになるのでしょうか。Ga10の下から見える屋根の垂木や、それを直接支える母屋桁や棟桁との成形の違いを文章で説明するにはどう書いたら良いのでしょうか。お答え下さい。

記事に「この記事は大言壮語的な記述になっています」との貼付をなされたようですが。調べて、あるいは元の記述を出典付きで書きましょうか? この程度の問題なら「差し戻し」や「ラベル貼り」などではなく、ノートで指摘する方が角も立たずに生産的に会話が成立すると思いますが如何でしょうか。もっととてつもない恨みを買ったのかと思いましたよ。リライト前の主執筆者だったとか、ここ20~30年の建築史の発展を全否定し、物語の世界の寝殿造イメージしか頑なに認めない人とか。----Ktmchi会話2017年6月18日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

寝殿造#吊り天井と野梁にて、「なにしろ見えないのだから。」などと書かれていますが、このような文章はどう見ても百科事典の文章ではありません(ほかの記事にはこのような表現はないでしょう?。ウィキペディアの利用者のうち10人中9人は「おかしい」と思うはずですよ。)。私はこれ以上偶然発見しただけのこの記事にかかわりませんので、何度も言いますが、Wikipedia:大言壮語をしないWikipedia:表記ガイドをお読みの上、記事の改善をお願いいたします。
ここはウィキペディアですので、記事を書く際は百科事典的な表現でお願いします。私が言いたいのはそれだけです。
お答え下さい。とのことですが、そのくらいは自分で考えてください。Inception2010会話 | 投稿記録 2017年6月18日 (日) 16:16 (UTC)[返信]
「桔木」(はねぎ)や「野梁」は化粧屋根裏や吊り天井で見えないスペースだからこそ奔放に使えたというのは重要なポイントです。そうではないと仰るのでしょうか。----Ktmchi会話2017年6月18日 (日) 16:38 (UTC)[返信]
なにも貴方の編集のうち100%が悪かったとは言っていませんし、あなたの記事を改善させようという真意は理解していますよ。Wikipedia:大言壮語をしないWikipedia:表記ガイドなど各種方針は読まれたのでしょうか。ここはウィキペディアですので、記事を書く際は「なにしろ見えないのだから。」みたいな表現ではなく、百科事典的な表現でお願いします。あなたがこれだけのことも理解できないのであれば何度言っても無駄かもしれませんが。Inception2010会話 | 投稿記録 2017年6月18日 (日) 16:52 (UTC)[返信]
投稿した記事を「差し戻し」されたらそれは誰かが「100%が悪かった」と思ったということではないですか?
これまで「差し戻し」、あるいはそう通告されたことは、相手の方が「そうは思いたくない」と頑なに思い込んでいる方だったので。
「通告」は紳士的ですよね、「反論」の余裕を与えてもらえてますから。実際そのときは「差し戻し」の強行にはならずに先方が引き下がりましたが。
「私はこれ以上偶然発見しただけのこの記事にはかかわりませんので」と書かれた時刻は6月18日 (日) 15:13 (UTC)。「この記事は大言壮語的な記述になっています」とのラベル貼付は3分後の6月18日 (日) 15:16‎。関わっているではありませんか。「記事を改善させようという真意」が互いにあるなら、ここノートでの指摘で十分だと思いますが如何でしょうか。
「追記」:何なら「査読依頼」に出しますのでそちらで「記事を改善させる」という観点で細かくご指摘を頂いても。それならば大歓迎です。----Ktmchi会話2017年6月18日 (日) 18:19 (UTC)[返信]


これまでにInception2010さんが記事の冒頭に貼られたレッテルは3種類です。

  • この記事は言葉を濁した曖昧な記述になっています。
  • この記事は大言壮語的な記述になっています。
  • この記事は、論調や文体が百科事典にふさわしくない可能性が指摘されています。

2番目の「大言壮語」とは「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」とあります。例として「重要な……」なと20にも及ぶ言い回しが挙げられていますが、基本的に「記事の話題を正当化をするような修飾語」です。それによって読む者の判断を誤らせるようなものとも云えます。

Inception2010さんは私が何を「正当化」していると仰るのでしょうか。「寝殿造」ですか? ところがこの部分は「寝殿造」が徐々に変質して書院造に近づいて行く過程での建築工法の変化について述べている部分です。「寝殿造」の「正当化」には当たらないでしょう。

「荒々しい未成形の太く長い梁を構造材として」云々は事実そのものです。それによって読む者の判断を誤らせることはありません。また「事実としての情報なしに」については、具体例として元興寺小子房の天井吹き抜け部分の画像を付けています。 また「なにしろ見えないのだから」が「大言壮語」でしょうか。これが「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」「記事の話題を正当化をするような修飾語」とおっしゃるのですか? それとも野梁が見えているから事実と違うとでも。この元・元興寺小子房の建物は何度も移築され、ときには厨房あるいは台所になったり庫裏になったり、保育園だったこともあります。そのどの段階かでこの部分だけ吊り天井が無くなったのでしょう。この奥の座敷の部分には天井があり、野梁は見えません。

「ほとんど丸太の、大蛇のような梁や桔木(はねぎ)や野梁が姿を現すはずである」が根拠の無い想像とでも仰るのでしょうか。桔木は古建築の解体修理のときにしかお目にかかれませんが、その実例を桔木にリンクさせています。御覧になっていないんじゃありませんか? 「大阪府貝塚市サイトにある古建築の解体修理の模様」です。 書いたことの証拠はきちんとあげています。ただしそれは「証拠物件提出」というより、読まれた読者の方にリアルに感じてもらう為です。がいずれにせよ「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」ではありません。

3番目の「Wikipedia:素晴らしい記事を書くには」の中の「専門用語には解説を」には「一般にあまり馴染みない専門用語(特に法律用語、科学技術の用語など)を使う際はできるだけわかりやすい表現にするか・・・」とあります。「桔木」も「野梁」も建築、あるいは建築史のある意味専門用語ですので「できるだけわかりやすい(イメージしやすい)表現」を用いています。

1番目の「Wikipedia:言葉を濁さない」の中の「改善を求める場合」には「表面上曖昧な言い方の典型例のようになっているというだけで機械的にテンプレート類を貼り付けていくような編集はしないでください」。とあります。更に

特に、曖昧な表現だが出典が備わっているものに対しては、曖昧な表現を支持する出典を添える改善例のように出典との整合性を優先してそのような表現にしてある場合もあります。このような文章に修正を求める場合は、出典の内容を確認して妥当性を検討した上で改善を求めるか、自分がその主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える場合のみ改善を求めるようにしてください。

とあります。お読みになっていないとは思えませんが。「出典の内容を確認」なさいましたか? 2分では出来ないと私は思います。 「なにしろ見えないのだから」の「なにしろ」とか「大蛇のような」ぐらいは削除しても良いですが。出典はあります。ただ原田さんは何冊もお書きになっているので全部読み返すには時間がかかります。

ちなみに原田さんは檜皮師で、古建築の屋根の修復・復元に携わっている方です。野地板を一部剥がして、狭く暗いい化粧屋根裏に潜り込んだときに、目の前に現れる桔木(はねぎ)を「大蛇のような」と表現することは実にリアルだと私は思います。

ウィキペディアの基本理念は議論により合意をはかり、なによりも記事を良いものに改善してゆくことと理解していますが、投稿してからたった2分で「差し戻し」(事実上削除)したり、ここで議論をしている間に、それも「この記事にはかかわりませんので」と仰った後に記事の信頼性を全否定するようなレッテル(テンプレート)を貼ることが「記事を良いものに改善してゆくこと」とは思えませんが。なにしろ私はここに出てきているのですから。----Ktmchi会話) 2017年6月19日 (月) 12:42 (UTC) (追記)----Ktmchi会話2017年6月19日 (月) 17:49 (UTC)[返信]

「強化記事」にエントリーされていましたのでテンプレートはこちらで剥がします。その理由は昨日既に述べてあります。---Ktmchi会話2017年6月20日 (火) 13:30 (UTC)[返信]


Inception2010さんはまたレッテル(テンプレート)を貼られましたが、議論は放棄ですか? 私はここに出てきているのですから何処がどのようにと具体的に指摘するのが「記事をより良いものにする」という方向なのではありませんか? テンプレートには「百科事典にふさわしくない可能性が指摘されています」とありますがどの指摘でしょうか。貴方が唯一具体的に指摘した「なにしろ見えないのだから」の記述はもうありませんよ。 今「Wikipedia:礼儀を忘れない」を読んでいるのですが、「礼儀を守るためのヒント」には

単純に差し戻しをしない。たとえ個人的に気に入らない編集をされても、まず参考文献を求めたり、記事内容を改善したり、またノートページで議論をする。差し戻し前には熟慮し第三者から見ても明らかな荒らし行為にとどめる。

とあります。リライト投稿の2分後に「差し戻し」をするのはこれに反しているのではありませんか? 選考期間中に投票者に悪印象を与えるレッテル(テンプレート)を貼ることも同様な行為なのではと思いますが。こちらは「査読依頼に出すのでそちらで」とも云っているのですから。何年も前に一度やったきりなので出し方を調べているところですが。---Ktmchi会話2017年6月20日 (火) 17:05 (UTC)[返信]

査読依頼を出しました。--Ktmchi会話2017年6月20日 (火) 18:19 (UTC)[返信]

査読依頼での議論の続き

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2017年6月27日 (火) 19:35 (UTC)

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査読依頼でのジャム・パンナさんとの議論の場をこちらに移します。

この記事は寝殿造に関する私の知識の全てを書いた訳ではありまあせん。私の本籍地を御覧いただけれお解りになると思いますが、必要と思う部分に絞っています。私がこれだけは必要と思った範囲をジャム・パンナさんは不要に長いと思われるようですが、しかし「工法と工具の変化」のような当時の製材や木材加工を知らないと理解出来ないことが沢山あります。例えば「障子」の記事の中の「子持ち障子」には「技巧的な遊び」と書かれています(要出典を貼りましたが)。私が「遣戸障子」に書いた「遣戸を閉じたときに重なる部分に方立(ほうだて)、つまり細い柱を立ててその隙間を埋める」ことも「技巧的な遊び」なのでしょうか。 と云ってもジャム・パンナさんが「技巧的な遊び」と云っている訳ではないですが。

書院造」には、太田博太郎先生が約半世紀も前に「その亡霊にとりつかれてしまっている人は、一刻も早くそれを忘れてしまってもらいたいものである」と書かれた戦前の学説・武家造の亡霊がちらちらと見え隠れしています。「武家造」の記事には「現在では、この語は使用されず、一般に書院造の中に含めて説明される」とあるので全く問題は無いのですが、「ノート:武家造」には「誰が使い始めたのだろうか?」とのつぶやきもあり、古代中世住宅史関連の項目の中で研究史の流れも簡単にでも紹介しておく必要を感じました。もっとも今は「家屋雑考」に移してあります。

なお前述の「一般に書院造の中に含めて説明される」とは、正確には「書院造関連の書籍で、書院造の前段階についての学説の変化の中で説明されている」ということです。その「書院造の前段階」が、分離した「中世の寝殿造」です。

分割提案の件ですが、私がリライトする以前の版には中世の寝殿造に関する節も記述もありません。複数の人が長年築きあげてきた記事を分割するなら複数の人の合意が必要と思いますが、今回は私が書き加えた部分を短期間で切り離しただけです。これで分割提案を出したらマッチポンプなお騒がせ野郎じゃありませんか?

記事名ですが、「ノート:中世の寝殿造」にも書きましたが、厳密には 「日本中世上層住宅」がもっとも内容を正しく伝えると思います。ただ普通の人にはなんのことだか判らない。「主殿造」も良いのですが、既にその記事があって、短いながら良くまとまっている。それに「日本中世上層住宅」を「主殿造」と云っているのは藤田盟児先生だけ。書院造前史なんだから書院造に入れても良いのだけどあの記事には手を出したくない。だいたい私の守備範囲は平安・鎌倉時代だし。という苦肉のネーミングが「中世の寝殿造」です。「寝殿造のその後」みたいな感じですね。--Ktmchi会話2017年6月27日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

追記:記事中で赤字になっている『類聚雑要抄』などはその内私が記事を書こうと思っているものです。--Ktmchi会話2017年6月27日 (火) 14:46 (UTC)[返信]

Wikipedia:査読依頼でジャム・パンナさんは「小学校の歴史の教科書にもでてくるテーマだと思いますけど、小中学生が読めると思えないし」と書かれましたが、小中学生に合わせることはお断りします。そもそも「良質」だの「秀逸」だのの長さの記事の全文を読むとは思えません。ただし小中学生を無視している訳ではありません。「概要」の手前の頭書きを読んで、スクロールしながら画像を見ていくだけでもおおよそのイメージは理解出来るように構成しているつもりです。「この図(あるいは画像)はなに?」と思ってくれればその項を読めば良いのです。

それよりも重要なのは記事の信頼性です。私がウイキペディアに長文記事を最初に書いた(リライトした)のは2007年末頃の源義家だったと思います。その当時は反応を伺いながらおそろおそろ少しずつ差替ましたが。その動機はこちらのページの末尾に書いた通りです。「源義家」でも「寝殿造」でもネット上で検索するとトップに出てきます。そこに嘘が書いてあると一気にネット上に拡散します。つまり毒を流すことになる。これ以上問題なことって有ります? あの当時「天下第一武勇の士」と評したのは白河法皇と書いてあるサイトが実に沢山有りました。今ではだいぶ少なくはなりましたが、その毒消しにはほぼ10年かかっています。何年か前に同じキーワードで検索したら、少なくはなっていましたがまだまだ有りました。--Ktmchi会話2017年6月27日 (火) 19:35 (UTC)[返信]

追加で節を分ける必要はないんですが・・・。「中世の寝殿造」の分割ですが、自分が書いたものだから合意は必要ない、というのはおかしくて、寝殿造というテーマは、「寝殿造」と、下部記事の「中世の寝殿造」に分けるのは妥当かどうか、「中世の寝殿造」が寝殿造に含まれないなら、「中世の寝殿造」という記事名は妥当か説明と合意が必要、ということです。ウィキペディアの記事は、書いた人のものにはならないので、自分が書いたから合意はいらないということにはなりません。
たくさんの記事があって相互にリンクされているので、一つの記事で全部理解できるようにする必要はありません。それに、そもそも百科事典の記事は、全部理解できるようには書きません。百科事典は入り口みたいなもので、専門書じゃありません。ブリタニカを読んだって、概要、さわりしかわからないですよね。でもそれが百科事典の役目です。「これだけは必要」の範囲が広すぎ、詳細すぎと思います。この詳しさでやりたいなら、個人サイトかウィキブックスでの活動をおすすめします。
「小中学生に合わせることはお断りします。」とおっしゃっていますが、普通の記事なら小学生も理解できます(本好きの小学生は、むずかしい文章も意外と読みますよ?)ウィキペディアのようなフリーのネット上の百科事典は、どんな環境の子にも、親が本に興味なくても家に本がなくても、子どもたちみんなに学びの入り口として開かれている大切なもので、それを「お断り」っておっしゃるのは、ショックです・・・。むずかしくなりすぎないよう、長くなりすぎないよう、気を付けて書いている人は多いと思いますよ。記事の信頼性とわかりやすさへ並立すると思いますけど。
嘘を書かないのは当たり前のことです。それと記事の長さや専門をおさえることは、別の問題です。どうか少し落ち着いてください。--ジャム・パンナ会話2017年6月28日 (水) 06:18 (UTC)[返信]


ちょっと熱くなってしまいました。相手はジャム・パンナさんではありません。申し訳ありませんでした。
私が持っている辞典は参考文献にもあげている 『建築大辞典』に 『日本史広辞典』、あとは参考文献にはあげていませんが『有職故実大辞典』です。例えば「几帳」をそれぞれで見てみると、『日本史広辞典』は本稿の「几帳」よりも短い、まあ広辞典は小辞典よりは詳しいですが大辞典ではないので。『建築大辞典』は本稿の「几帳」と同じぐらいですが『有職故実大辞典』では本稿の倍ぐらいあります。文体は本稿の「几帳」とたいしてかわりません。もちろん文章の上手い下手では私が一番下手かもしれませんが。
ちなみにWikipediaの中にも「几帳」という項目があります。本稿の「几帳」よりも長いですね。詳しさも詳しいですね。ただこちらでは寝殿造の「室礼」の説明なので、室内に限り、 『春日権現験記絵』 のワンシーン(画像440)もリンクして使われ方を実感してもらおうとしています。
ついでに普段はほとんど見ない『広辞苑』も開いてみました。「几帳」の記述は非常に短いですが、小中学生向きの文体とは思えません。
ちなみに最初に「小中学生が読める」を見たときに思ったのは「『マンガ日本の歴史』みたいなもの? そりゃ勘弁!」です。大昔にコンビニでハラハラめくって「なんじゃこりゃ!」と思った記憶しかありませんが。もっとも「なんじゃこりゃ!」と思ったのは文体ではなくて書かれている内容についてだったとは思いますが。
たしか映画の「ビリギャル」で全く勉強の出来ない高校生(有村架純)に小学校のドリルから始めて歴史は「マンガ日本の歴史」で大まかな流れを理解させるというのがあったと思いますが、それはありかもとは思います。
だだ、詳しすぎる、難しい、長すぎる、と思われてしまうのは私の文章能力の至らなさなのかもしれません。というかそうだと思っています。その練習のためにこの項目を書いたようなところもあるのですが。「良質」とか「秀逸」などの選考では厳しいことを沢山指摘されますので。今回はそこに行く前に、このノート冒頭の事情により早まりましたが、ジャム・パンナさんが「査読」に続いてこちらでもコメントして下さったことを非常に感謝しております。いや、本心です。
「「中世の寝殿造」という記事名は妥当か」ということについては苦肉の策です。「武家造」の記事に「一般に書院造の中に含めて説明される」とあるように、川上貢先生や藤田勝也先生のような 「日本中世上層住宅」でなければ太田博太郎先生の著書『書院造』や、堀口捨己先生の『書院造りと数寄屋造りの研究』のように書院造に含めて論じるのがもっともあり得べき事、とは思うのですが、二つ同時に全面リライトでなおかつ炎上というのでは私の体力が持ちません。寝殿造だけでも2年以上根をつめているので。「日本中世上層住宅」への改名提案でも、「書院造」との合併提案でも、ジャム・パンナさんがして下さるのなら歓迎します。--Ktmchi会話2017年6月28日 (水) 15:41 (UTC)[返信]
「中世の寝殿造」ですが、わたしの判断には余るので、わたしからはなにもしません。あとから面倒になるから、事前に話し合ってほしいんです・・・
小中学生が読めるというのは、新聞程度のイメージです。文章が整理されていて流れがあり、むずかしい言葉をあえて使わないようにすれば十分です。
どのくらい整理するかイメージしにくいと思うので、とりあえず概要だけ簡単に整理しました。たくさん文章が削られていやな気持ちがすると思いますが、百科事典の限界ということで、ご理解ください。文中に画像を直接リンクされるのは、読みにくいのでやめた方がいいです。あと出典ですが、文章に逐一つけてください。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2017年6月29日 (木) 01:26 (UTC)[返信]

2017年6月29日 (木) 03:32 (UTC)

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章名とか節名の変更・削除の際には少なくとも記事中や関連項目の中でリンク先として参照されていないかどうかをご確認下さい。ジャム・パンナさんは記事を壊しています。「間面記法」は「中世の寝殿造」の中で参照されています。古い記事ならそれ以外の項目からも参照されている可能性があります。 冒頭から「概要」の章の終わりまでの中に出典は34、全体では245ありました。それを 15、全体で232。出典を削除したのは貴方の編集です。 次ぎに貴方の改変後は「注記」に

  • 引用エラー: <references> で定義されている name "01-05" の <ref> タグは、先行するテキスト内で使用されていません。
  • 引用エラー: <references> で定義されている name "01-06" の <ref> タグは、先行するテキスト内で使用されていません。
  • 引用エラー: <references> で定義されている name "01-08" の <ref> タグは、先行するテキスト内で使用されていません。
  • 引用エラー: <references> で定義されている name "01-10" の <ref> タグは、先行するテキスト内で使用されていません。

と赤字で4件も表示されています。 そもそも編集後に確認をなさっていないんじゃありませんか? 記事を壊すのはご遠慮下さい。 自分で削除しておいて「この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。」とのレッテルを貼るのは如何なものでしょうか。

この記事は今日からメインページで紹介されています。メインページから見に来た人は「ウイキペディアはこんな壊れた記事を紹介するのか!」と思うでしょうね。 「強化記事」選考で投票して下さった方々はメインページでの紹介に値すると思われたということで、かつその方々が読んだときには、いや「強化記事」としてメインページで紹介された時点でも壊れていなかったのですが。 ジャム・パンナさんは議論の最中に「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか・・」他のラベルを貼ることで一方的にこの記事の評判を落としましたが、現状ではそれだけでなく、ウイキペディア全体の評判も落としているのではありませんか?

せめて一旦元に戻し、作業エリア等で十分に確認の上、メインページでの紹介が終わった後に壊れていないものを投稿してください。--Ktmchi会話2017年6月29日 (木) 03:32 (UTC)[返信]

2017年6月29日 (木) 07:49 (UTC)

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上記は致命的な編集ミスですが、それ以外にも記事を壊している部分が数カ所あります。 画面サイズ横幅1280は1024と同様に比較的一般的なディスプレイですが、それで表示すると目次の右の画像が「概要」の記述位置に食い込みます。 「概要」の説明画像110~160は横幅1280と1024のどちらで表示しても該当する記述の横に来るようになっていました。

例えば「母屋と庇からなる建物」の脇にはそれを視覚的に理解出来る画像110を。「母屋(もや)」の項まで読み進んでも画像110は画面内にあります。 「庇・孫庇・弘庇」の項の脇には画像120:孫庇・弘庇が。 「間面記法」の項の脇には画像130:間面記法の例が。 「単廊」の項の脇には画像140:法隆寺の単廊。 「複廊」の項の脇には画像150:薬師寺の複廊。 「寝殿の屋根」の項の脇には画像160:春日大社・着到殿の屋根がくるようになっています。 画面サイズ横幅1024未満、例えば800でもこれは変わりません。

ところがジャム・パンナさんの改変では画像130:間面記法の例以下が下にズレ、「単廊」「複廊」「寝殿の屋根」では参考例の画像は探さないと判らない。リンクが貼ってある(画像130)等をクリックすることで画像を探す手間を省くようにしてありますが、ところがジャム・パンナさんは「文中に画像を直接リンクされるのは、読みにくいのでやめた方がいい」と仰る。こういう説明は図、ないし写真と見比べて始めて理解出来ます。印刷書籍ではこうは行きません。「図10のように」とあっても数ページめくって探すとか、あるいはその本の先頭にあるようなことまで。印刷物ではしかたがありませんが、Webページならリンクでその手間を省くことが出来ます。がそれよりも横にあればなお良い。

ジャム・パンナさんの改変は「読者の読みやすさ」「理解しやすさ」を犠牲にしています。 「読者の読みやすさ」は「概要」章の節を無くしたことでも損なわれています。 「以上の三つの建造物[どれ?]の組み合わせ」と「どれ?」を挟んでおられますが、「概要」章の節を無くしたことでジャム・パンナさん御自身が迷子になっているんじゃありませんか?  ジャム・パンナさんが消した節の名は

1.2 寝殿造の建築構成
   1.2.1 母屋と庇からなる建物
   1.2.2 母屋(もや)
   1.2.3 庇・孫庇・弘庇
   1.2.4 間面記法
   1.2.5 単廊
   1.2.6 複廊
   1.2.7 寝殿の屋根
1.3 寝殿造の規模

です。 「母屋と庇からなる建物」の中の説明が「母屋(もや)」「庇・孫庇・弘庇」「間面記法」、それと「単廊」「複廊」の三つであることはそれが「複廊」の項の説明の最後であることが判れば迷子になることなく、「母屋と庇からなる建物」「単廊」「複廊」の三つとすぐに気がつきます。そもそも冒頭に「寝殿造は、中心となる建物が母屋と庇の構造を持ち、其の他は複廊、単廊で構成された時代の建築様式」と書いてありますが。実は中身を理解しようとはなさっていないんじゃありませんか? 「どれ?」を挟むことで記事の品質に不信を抱かせようとなさっていますが、不審な記事に改変しているのはジャム・パンナさんです。 なお、「1.2.2 母屋」が「1.2.1 母屋と庇からなる建物」の下のレベルになっていないとおっしゃるかもしれません。これは1レベル下げても良いです。ただしそれで階層が明らかになるのは目次だけで、記事中の見出し表示は3レベル目も4レベル目も見た目は全く変わりません。ただし項目を区切って読んでいけば自分が何処にいるのかはちゃんと判ります。ジャム・パンナさんが改変されたベタな概要ではそれを見失います。

なお「概要」の章に「この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」とのテンプレートを貼られましたが、「概要」の章を書き直した以上「検証可能な参考文献や出典」を示す責任をもつのは他ならぬジャム・パンナさんです。

1番目の話題の中でも書きましたが、「Wikipedia:言葉を濁さない」の中の「改善を求める場合」には「表面上曖昧な言い方の典型例のようになっているというだけで機械的にテンプレート類を貼り付けていくような編集はしないでください」。とあります。更に

特に、曖昧な表現だが出典が備わっているものに対しては、曖昧な表現を支持する出典を添える改善例のように出典との整合性を優先してそのような表現にしてある場合もあります。このような文章に修正を求める場合は、出典の内容を確認して妥当性を検討した上で改善を求めるか、自分がその主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える場合のみ改善を求めるようにしてください。

とあります。「出典の内容を確認」なさいましたか?  それをお読みになった上で具体的に「こう書く根拠は?」とおっしゃるなら回答もするし、必要と思えば出典を追加します。

メインページの「強化記事」欄からこちらを見にこられる一般の方々にウイキペディアのみっともない姿を曝したくはありませんので一旦元に戻します。上記「改善を求める場合」の要件を満たした上で、記事を発展させる方向で生産的な議論をお願いします。 Inception2010さんのときにも書きましたが、私はここに出てきているのですから何処がどのようにと具体的にここで指摘するのが「記事をより良いものにする」という方向なのではありませんか? --Ktmchi会話2017年6月29日 (木) 07:49 (UTC)[返信]

大分ヒートアップされているようですが、このままで議論を求めてもよい結果にはならないと思います。「百科事典として過剰な内容になっている」という指摘に対して「専門書にこう書かれているから問題ない、専門書を読んでから加筆しろ」という答えになっていませんか?百科事典に採録する上で専門書の内容全てが適当であるとは思えないのですが。加筆者に対して「読む気があるのか」と反論されているようですが、むしろ「門外漢に読ませる気が感じられない」というのは百科事典として大きな問題でしょう。冷静になってからWikipedia:善意にとるに則って議論できませんか? -- ktns会話2017年6月29日 (木) 11:39 (UTC)[返信]
了解しました。--Ktmchi会話2017年6月29日 (木) 18:08 (UTC)[返信]


査読依頼【その他】 ──表記・文体などの続き

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査読依頼・【その他】 ──表記・文体など」での218.33.160.94さんとの話が長くなってきましたのでこちらに移ります。
218.33.160.94さんがあちらで続ける場合にはこちらを消しますが。

【以下再録】

町屋」ですか。これは良い記事を紹介して頂きました。有り難う御座います♪
2017年7月2日 (日) 13:54 (UTC)の私の書き込みはソナーの意味もありました。潜水艦が相手の位置を知るために打つ「ピコーン」というあれです。アカウントを持たれている方はその方の「ノートページ」を見ればどういう方かおおよそは読めるのですが、IPの方だとそれが判らないので。しかしおちついてお話出来る方と判り安心しました。
法務については今では本など一冊も持っていないので注文したところです。少々お待ち下さい。単に言葉を正確に使わなければというだけですが。

ところで、絵巻など「オリジナルのソースの作成された日」なんて絶対に判らないですよ。学者さんが研究して12世紀の前半ではないかと云うぐらい。それも複数の説があったり。『吾妻鏡』なんか何年何月何日条とか書いてあっても、その日に書かれたものではなくて「その何年何月何日から1300年前後に編纂されるまでの間のいつか」でしかないですし。

それと、「参考文献」と「著作権の保護期間」は全く関係ありません。「著作権の保護期間内のものは参考文献にあげてはならない」などと云ったらウィキペディアから参考文献が99.9%ぐらい消えるんじゃないでしょうか。「寝殿造」の記事は古文書とか絵巻も参考文献にあるのでそこまでは消えませんが、でも「この記事は出典が不十分です」とのテンプレートを間違いなく貼られます。

File:G213-kawabasira.pngは「5.書籍の説明を元にEXCELで作図したもの」で「参考文献」にあげた近藤豊『古建築の細部意匠』にこの図はありません。あるのは側柱と入側柱の文字による説明です。
File:G030-hsjd.pngは「4.最近(70年以内)に出版された書籍の図面を元に自分でEXCELで作成した図面」で「この文献に載っていた図に着色したもの」ではありません。この図は文章でも書くことが出来ます。すごく長くなりますが。例えば「町尻小路に開く四脚門から下に3コマ、左に1コマの位置を随身所の東北端として東西棟で2×4コマ。北は蔀で南は遣戸。右端1コマは1コマ四方の小部屋が上下二つ。その間は遣戸。その左の部屋との間のも遣戸」というのを延々と続けていけば良いのです。で、これは著作権法には引っかかりません。「参考文献」は示していますし。元の図をそうやって読み上げ(言語化し)ながらそれをEXCEL上に落としていったのがこの図です。というか、1コマ1コマ言語化していかないと、こういう図面は書けもしないし、検証もできません。

別に法律の網の目をかいくぐっているのではありません。著作権法は「事実」は対象としないんです。では何を対象としているのかについてはまた後日。--Ktmchi会話2017年7月4日 (火) 15:52 (UTC)[返信]

>「参考文献」と「著作権の保護期間」は全く関係ありません。
はい、その通りです。これには同意します。また、画像を引用することも、何ら問題ありません。
>「著作権の保護期間内のものは参考文献にあげてはならない」などと云ったら
私が指摘しているのは、「著作権の保護期間内にある画像をアップロードしている」点についてです。アップロードされた画像は、改変・再配布・商用利用が可能なコンテンツとして、記事の内容とは独立して公開されます。そのため、記事内での使用が引用の要件を満たしているだけではだめなのです。結果的にウィキペディアで画像が使用できないとしても、それは「著作権の保護期間内のものは参考文献にあげてはならない」からではありません。
>絵巻など「オリジナルのソースの作成された日」なんて絶対に判らないですよ。学者さんが研究して12世紀の前半ではないかと云うぐらい。それも複数の説があったり。
アナログな著作物をスキャンしたものはただの複製なので、もとの作製日をちゃんと明記しましょうという意味合いだと思います(例としてあげられていた写真の撮影日がまさにこれ。)。実務的には著作権の保護期間内かどうかが重要なので、そういう場合はdateに「12世紀前半」と書いておけば良いです。実際、古い写真なんかだと「1920年代」とか「1945年以前」みなたいな曖昧な書き方をしている画像を見かけます。正確な日付が必要なのは、著作権の保護期間内かどうか微妙な時だけなので、そんなに神経質になる必要はないと思います。
>File:G213-kawabasira.pngは「5.書籍の説明を元にEXCELで作図したもの」で「参考文献」にあげた近藤豊『古建築の細部意匠』にこの図はありません。あるのは側柱と入側柱の文字による説明です。
文章から図に翻訳したということですね。しかしですね、この翻訳が適切かどうかを検証しようとしても、寝殿造が現存しないので確認できないわけですよ。じゃあ、なにかの文献に同じ図があるという話になると、翻訳が正しかったとしても今度は著作権侵害になってしまう。町屋の構造図を書こうとしたときも同じやり方で図を書こうとしましたが、この点が払拭できず断念しました。
ところで、図の下の文章にある「その構造は奈良時代の唐招提寺講堂や平安時代の法隆寺大講堂と変わらない。」の部分に出典はありますか。出典があるのなら、これらの建物の平面図を代替として使用してみてはどうでしょう。壁のあるなしに違いはありますが、柱の説明をするだけなら問題ないはずです。実物の建物から写し取った平面図なら、独自研究の恐れを回避できると思います。
>File:G030-hsjd.pngは「4.最近(70年以内)に出版された書籍の図面を元に自分でEXCELで作成した図面」で「この文献に載っていた図に着色したもの」ではありません。
実はですね、東三条殿を画像検索するとKtmchiさんが作成した画像と非常によく似たものが見つかるのです(例1例2など。色合いからして、紙の文献からスキャンしたものと思われます。)。作り方はどうであれ、ここまで似ていると第三者には複製にしか見えません。少なくとも、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを付与して、ご自分の著作物として発表するのはさすがに無理があると思います。おそらく、削除依頼に出されたら削除されてしまうのではないでしょうか。


話の流れから上記は218.33.160.94さんの投稿かと思いますが、それでよろしいですか? 時間が無いので最後の部分についてのみコメントします。
例1例2はK案ではなく、太田静六案ベースです。「ベース」という点の説明ははぶきますが、その違いは西中門廊の梁行です。太田静六案では二間(2コマ)に描いています(私はここが二間なのはおかしいと思います。私がどう思おうがこの話題には関係ありませんが)。K復元案ではここを一間(1コマ)に修正しています。私にとっては「別話題」を含めてかなりキツいご指摘がテンコ盛りですが、ウィキペディアを法的リスクから守る為、記事をより良い方向に導く為と理解しておりますので歓迎致します。なお、法務の書籍はまだ届いておりませんのでご容赦下さい。--Ktmchi(会話) 2017年7月6日 (木) 20:19 (UTC) 追記--Ktmchi会話2017年7月6日 (木) 21:11 (UTC)[返信]

7月11日17:07 (UTC) ktmchi

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1点目と2点目はお互いに誤解は無かったということですね。

3点目のdateって、画像をアップロードするときに画像に埋め込まれた撮影日だか更新日をデフォルトで表示するあの部分ですよね。デフォルト表示の左にカレンダーがあって、そこで日にちを指定出来る。あそこに「12世紀前半」とか「1945年以前」とか書けるとは知りませんでした。「date=2017-06-26 23:54:08」「date=2017-06-26」のような書式チェックがあるとばかり。試しにひとつ「500年以上前」に変更したらエラーにもならずにそのまま表示されました。絵巻の画像の作者欄には「そんなこと判るか」というので一律に「不明、500年以上前に死亡」と書いていたのですがそれと同じでも良いのですね。

4点目File:G213-kawabasira.pngの件で検証が必要なのは「側柱」と「入側柱」と言う言葉があり、母屋を囲む内側の柱を「入側柱」、庇の外側の柱を「側柱」と云い逆では無いということだけだと思います。実は近藤豊『古建築の細部意匠』を取り寄せなくともネット上で検索すればわんさと出てきます。「コトバンク」とか「建築用語.net」とか。 ただしどちらの記事を読んでも、それでG213-kawabasira.pngの図に示した位置の柱列を頭に描ける人はそんなにはいないとおもうのでこの図を付けました。五間四面例の概念図ですが、実際の寝殿造の復元図を沢山あげていますので、母屋と庇の建物は単純化すればまあこんな感じということはお解りになると思います。 図の下の文章にある「その構造は奈良時代の唐招提寺講堂や平安時代の法隆寺大講堂と変わらない」の部分は唐招提寺講堂と法隆寺大講堂の画像で説明しています。寝殿造の記事なので寺院建築の図面まで書くのはちょっと。


5点目ですが、ご存じの通り著作権は財産権です。そして保護する「著作物」は記述や図全般ではなく「思想又は感情を創作的に表現したもの」(「著作権法」2条1項)です。「事実」や「データ」は除外されます。

もうひとつは公益と財産権のバランスもあります。何でもかんでも財産権を認めて要許可としたら極端に言うと文章が書けなくなる。議論も出来なくなる。なので文中での主従関係が明確な「引用」は可としている。 最近の改正(2010年施行)ではネット販売などで商品の画像を出すのは著作権違反にはならないとなっています。その改正以前にも競売にかけられた有名画家の絵画の競売リスト上の画像に対して画家の親族が「許可も求めず掲載したのは違法だ」と国税庁(?)に申し入れたら「この程度の画像では財産権の侵害にはあたらない」と回答したことがありました。

建築や建築図面では「著作権法」10条1項「著作物の例示」の5号に「建築の著作物」が挙げられていますが、建築や建築図面の全てが保護の対象にはなりません。あくまでも「思想又は感情を創作的に表現したもの」です。判例でもこれで「建築の著作物」はかなり狭められます(日向野弘毅 『建築家の著作権』、あるいは弁護士のこちらの記事こちらも)。 「復元図」や「概念図」が「思想又は感情を創作的に表現したもの」になりますかね? 「思想又は感情を創作的に表現したもの」なら「復元図」じゃないのでは? 書いた人は判明した「事実」(同時代史料)によって合理的に判断出来る「事実」はこうだと思って図を書いているのですから。

「概念図」の方は「思想又は感情を創作的に表現したもの」になり得るかもしれませんが、しかしそれではよっぽど突拍子もない「概念図」でないと無理なんじゃないでしょうか。いくつかの類例を平均化しただけでは「思想又は感情を創作的に表現したもの」にはなりません。 この概念図は「思想又は感情を創作的に表現したもの」になると思います。事実とは違う思想又は感情による創作的ですから。ただ著作権法による保護期間は切れています。 「事実」を表示しただけの地図でも「見やすいように表現を工夫した」ものであれば「創作的な表現」で「著作物」(「著作権法」2条1項)となる可能性はありますが(『著作権の基本と仕組みがよ~くわかる本』p.54)、常にではありません。 そういう点では建築図面は「著作物」と成りにくいんです。表現に使う記号は建築の世界では共通言語だからです。それは復元図でも変わりません。たいがいは千年近く前に指図の中で使われた記号を使っていますから。

査読依頼で町屋に「図(構造図)の追加を検討してみたことがあるのですが、著作権を侵害せず独自研究にも抵触しない方法が思いつかず断念したことが」とおっしゃっていましたが、残念なことをと思います。もちろんどのような図を考えておられたのかは判りません。しかし少なくとも複数の事例を類型化した図なら「著作権を侵害せず独自研究にも抵触しない」と思いますが。「完璧に一致しなければ独自研究!」などと云う人はいないと思います。だいたいそれではどんな参考文献を挙げてもアウト。引用の切り貼りでしか記事は書けなくなりますし、本当にそれをやったら著作権法違反です。

「東三条殿を画像検索するとKtmchiさんが作成した画像と非常によく似たものが見つかるのです」という件は先に述べましたようにK案ベースではなく、太田静六案ベースのものです。K案ベースの私の配置図と太田静六案ベースの配置図が「非常によく似たもの」と見られるのは、それだけ東三条殿は史料が豊富だということです。 K先生は『寝殿造の空間と儀式』の第二章「東三条殿復元図の再検討」で根拠となる同時代文献中の指図(図面)は20ぐらいをあげながらそう作図した理由を詳しく書かれています。もちろん私もそれらの指図を確認しています。なお太田静六案でもほぼ同じ史料を使っています。 私がK案をベースとした一番の理由は、先にも書きましたが、太田静六案の西中門廊で、平安時代の中門廊の梁間が二間などあり得ないと思うからです。K先生も同意見のようですからこれは「独自見解」ではありません。他にもあります。[1]のこの 太田静六案1では上客料理廊と書かれ、太田静六案2では左上の蔵人所の文字の右側は東西棟で梁間三間に見えます。蔵人所が内部に柱の無い梁間二間というのも見たことないですが、上客料理廊で梁間三間というのも見たことありません。K案ではその部分を梁間基本二間の西蔵人所と梁間二間の上客料理廊と別棟に描いています。こちらは納得出来る。なのでK案ベースの配置図を自作しました。ところがK案と私の作成した配置図でも違うところがあります。私が「いや~、ここって確たる証拠は無いでしょ」と思った部分、あるいは細かい点の省略です。K先生はちゃんとCADを使っていますが、私にはEXCELしか無いので。

と、このまま続けても他の方には黒ではないにしてもグレーゾーンと思われるかもしれません。なのでK先生にメールしてご了解を頂きました。二次著作物としてですが。ところが「一番気になるのは、西北隅にあった2棟の神殿を省略されている点」と。「侍廊の東端の柱じゃなくて、そこですかー!」と思わず叫んでしまいましたが。なので図を修正して2棟の神殿を書き加えました。私が「そこまでは判らない」と思ったものを先生の柔らかいご指摘で書き加えたのですからこれはもう間違いなく二次著作物です。 最近の論文などもご紹介頂きましたのでそのうち参考文献が増えるかもしれません。--Ktmchi会話2017年7月11日 (火) 17:09 (UTC)[返信]

東三条殿の復元平面図でK案にあるのに私が描かなかった侍廊の東端の柱は『年中行事絵巻』で確認しました。屋根だけの土間のようです。平面図はあとで修正します。--Ktmchi会話2017年7月16日 (日) 02:06 (UTC)[返信]

7月15日 (土) 15:31 (UTC) ktmchi

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K先生には最新の「寝殿造の柱間寸法~変化とその意味~」『日本建築学会計画系論文集』713号、2015年と「寝殿造の成立と正月大饗」『日本建築学会計画系論文集』729号、2016年を教えて頂いたのですが「寝殿造の柱間寸法」に思わず「なんだってー!」声をあげてしましました。『山槐記』は持っておりますので早速確認したところ仰る通りでした。 ショックだったのは柱間寸法の平均が10尺を切るのは鎌倉時代に入って以降と思っていたのが平安時代末期から始まっていたということです。そのため「寝殿造#寝殿の柱間寸法」他を修正しました。--Ktmchi会話2017年7月15日 (土) 15:32 (UTC)[返信]

内容過剰のテンプレートについて

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内容過剰のテンプレートですが、内容が整理されるまで取らないでください。自分にとっては過剰ではないと思っても、過剰と指摘されているわけなので、消したいのならノートで他の方の意見を聞いてください。わたしの仕事が急に忙しくなったので、これ以上こちらでコメントしませんが、読む人の立場で記事を直していただければと思います。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2017年7月6日 (木) 12:53 (UTC)[返信]

7月16日 ktmchi

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査読依頼においてジャム・パンナさんは「百科事典の記事として書きすぎです。節の多さにびっくりしました」とおっしゃいましたので「秀逸な記事」で確認しました。 そう仰った時点では320KBも有りましたが、現時点では214KBです。 それ以上のものは「秀逸な記事」にこれだけあります。

現状でも、目次(節)の多さでは確かに関門トンネル (山陽本線)以上ですが、それがウィキペディアにあるまじきこととは思えません。むしろ「読む人の立場」です。長い目次のスペースを利用して5つの寝殿造の平面図をあげて利用し、レイアウト的にも違和感は無いと思いますが如何でしょうか。 「急に忙しくなった」お仕事はまだ続いているのでしょうか。「過剰」と思われた部分を具体的に指摘して下さい。忠太さんのご指摘は既に解消済みです。 --Ktmchi会話2017年7月15日 (土) 16:17 (UTC)[返信]

7月25日 ktmchi

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記事を広範に修正しましたので記事冒頭のテンプレートは今回で削除します。理由は

  • 作業中とはいえ大幅に改善したこと。
  • テンプレートが貼られて以降に誰も「ノート」に発言が無いこと。
  • テンプレートが貼られて以降に5名の方の投票を頂き、月間強化記事賞を頂いていること。
  • 良質な記事の選考でおそらくはテンプレートが貼られた以上に注目を集めているだろうこと。
  • こちらの質問に対して1週間以上お答えが無いこと。

以上5点です。--Ktmchi会話2017年7月25日 (火) 00:13 (UTC)[返信]

忠太さんコメント 2017年7月6日 (木) 15:06 (UTC)

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ざっと見たところ、やはり記事が長すぎますね。筆者の熱意には敬服いたしますが、Wikipediaの中に置くと違和感があります。一例ですが、法隆寺大講堂と寝殿造で規模が違うことなど、くどくど書く必要はないと思いますし、建築史家同士のマニアックな議論なども不要なものが多いと感じます。時間があればじっくり読ませて頂きます。 --忠太(会話) 2017年7月6日 (木) 15:06 (UTC)

ktmchiお返事

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コメント有り難う御座います。話題として独立させて頂きました。法隆寺大講堂はですねぇ、関東に居て平安時代の建造物を見たことがなかったときに、寝殿造のスケール感を知るためにこの写真を見て「この屋根が檜皮葺になったものか?」と。でも建物と人の背丈から「何か変」と思ったんですよね。それで去年奈良に行って実物を見たのですが。法隆寺の西伽藍では三経院や聖霊院。東伽藍では伝法堂礼堂、そして舎利殿・絵殿。そして春日大社では着到殿参拝所・幣殿と舞殿、そして直会殿などの方が寝殿造のスケール感に一致すると思いました。法隆寺大講堂を見て「この屋根が檜皮葺になったものか?」などと思わない人には関係無いですね。それに「寝殿造のスケール感に一致しないんなら書かなきゃいいじゃん」と云われればそれは仰る通りで、少し考えてみます。

あと「建築史家同士のマニアックな議論」と仰る部分については、その議論の過程を書かずに結論だけ書いたのでは「独自見解!」とか云われかねませんし、出典を明記しても古い説で勉強された方には「偏った見解!」と思われかねませんので議論の経緯を書かせてもらいました。

「寝殿造」の理解には二つあります。ひとつは雅な光源氏の住まい。いわば文学的な「寝殿造」とも云えます。しかしながらそれは「家屋雑考」にも書いたように史料的根拠の無いものです。本項では史料的裏付けのある建築史的観点からの「寝殿造」を解説することに専念しています。従って(忠太さんのことでは無いですが)文学的な「寝殿造」になれた普通の方には、それまでのイメージにプラス何パーセントの情報追加ではなく、100%差替のようにも感じられるかもしれません。それで「長すぎる」「難しすぎる」とのコメントも頂いています。しかしイメージとしての「寝殿造」ではなく、実像としての「寝殿造」ということでご理解頂ければ幸いです。

「時間があればじっくり読ませて頂きます」
よろしくお願いします。--Ktmchi会話2017年7月6日 (木) 16:48 (UTC)[返信]

ktmchiお返事(2) 7/14

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法隆寺大講堂云々は削除しました。直接の理由は某先生からやんわりと「それ違うよ」と教えて頂いたからです。太田静六先生は確かにそう書いているのですが、原史料である『山槐記』の同日条を確認したら太田静六先生の間違いでした。というか、前後の分脈を無視している。「何で五条東洞院殿だけが14尺? 何で法隆寺大講堂と同じなの?」と疑問には思っていたのですが、謎が解けました。平安時代末期というか鎌倉時代と云うか、ともかくその時代には母屋の柱間で10尺を超えるものは大炊御門亭以外にありません(大炊御門亭も10尺以下のようです)。東三条殿の母屋が10尺であることは私の試算でも某先生の説でも一致しているのですが、あれは摂関家の儀式用施設ですから。この記事ではないですが「中世の寝殿造」の方を見直さなければならなくなりました。--Ktmchi会話) 2017年7月13日 (木) 23:30 (UTC) 追記--Ktmchi会話2017年7月15日 (土) 16:08 (UTC)[返信]

国立歴史民俗博物館の復元模型の写真について

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東三条殿復元模型の写真(File:G020-rekihaku.jpg)について確認です。国立歴史民俗博物館のホームページを見ると、「常設展示室では個人的な利用目的に限り撮影が可能です」「公開(出版・番組等)を目的とした撮影は申請が必要です」とあります。Wikipedia:画像利用の方針#他人の施設内で撮影された写真によれば、このような制約のある写真は許可を受けていなければアップロードできません。ウィキペディアに写真を公開する許可を受けているかお答えください。(過去に、このルールによって写真が削除された実例があります。)許可を受けていない場合は写真を削除する必要があります。--218.33.160.94 2017年7月6日 (木) 18:31 (UTC)[返信]

画像の差替の件 ktmchi 7/12-7/18

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国立の博物館でも様々なんですね。承認依頼の返事待ちですが「ダメ」とか、いつまで待っても返事の無い場合は削除します。代わりの画像をどう探すかですね。帳台や几帳は「類聚雑要抄」に図があり、大鋸の昔の絵もひとつ見つけましたが、長押の裏側の現物は多分あそこにしか無いでしょう。私も始めて現物を見ましたから。復元模型の写真は以前の版に使われていたものは説明用の番号が追加されていてその説明が間違ってるし。その画像の旧版なら使えるのですが、同じ様な問題は無いのでしょうか? 8つの画像が無くなる、あるいは差替になると2つの記事に渡ってそうとう文章も直さなければなりません。しばらくお待ち下さい。--Ktmchi会話2017年7月12日 (水) 16:27 (UTC)[返信]
まだ国立歴史民俗博物館からはダメとも良いとも返事はありません。黙認のつもりなのか、館内の調整にとまどっているのかは判りませんが、この記事内での国立歴史民俗博物館で撮影した画像は「帳台」を除いて削除しました。「帳台」は『宮殿調度図解』を使うか『類聚雑要抄』を使うか、それとも絵巻の画像を使うか検討中のためまだ差替ていません。東三条殿の模型にしても、几帳、帳台にしてもウィキペディア内にある画像で安全なものはどれでしょうか。--Ktmchi会話2017年7月13日 (木) 23:00 (UTC)[返信]
残っていた国立歴史民俗博物館の「帳台」の画像を絵巻のものに差替ました。また、かつて東三条殿復元模型の画像で説明していた中門廊についても絵巻のものを使いました。歴史民俗博物館はまだ何にも云ってきません。黙認のつもりかもしれませんがハッキリしてくれないと困りますね。--Ktmchi会話2017年7月16日 (日) 01:44 (UTC)[返信]
几帳と壁代の画像を関根正直『宮殿調度図解』(明治33年)のものに差替ました。私の蔵書の中で唯一和綴じの本。買っといて良かったです。昭和7年(1932年)死去なので日本の著作権法でもアメリカの著作権法でももう著作権は失効しています。--Ktmchi会話2017年7月17日 (月) 15:54 (UTC)[返信]

冒頭・概要について

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中世の寝殿造の良質な記事の選考で、この記事の冒頭と概要のわかりにくさについて触れたので、ここでコメントしておきます。寝殿造ってどういうもの?というのが抜けている面があって、冒頭で「建物の構造は大陸伝来だが、床があり、外に向かっては開放的で、内部は柱だけの大部屋であるところが大陸とは異なる」とありますが、これだと寝殿造がどんな建物なのかわかりません。いきなり大陸のものとの違いを冒頭で列挙するのは、寝殿造と大陸の建築様式の知識がある人向けになってしまっています。でもこれは百科事典です・・・。(あと、「床があり」って、大陸では床がなかったの?どういうこと?・・・という気持ちになります)図書館でコピーしてきた百科事典だと、冒頭で「配置」として「寝殿造の住宅の建物配置は、中央に主屋として南面する寝殿を建て、その東西には寝殿に向き合うようにして東対あるいは西対の対屋、北には北対を置き、寝殿と対屋は渡殿と呼ばれる廊でつながれる。・・・」という風に、誰でもわかるように典型的な配置が説明され、そのあとで「原型」「寝殿」「対屋」「変遷」と説明されています。今の状態だと、冒頭と概要を読んでも「寝殿造ってどんな建築様式?」という質問に読んだ人が答えられないと思います。図書館で見た専門書は基本の説明を飛ばしているものが多かったので(そういうのは必要ない読者が想定されてますので)、百科事典とか、一般人向けの本を確認して、基本事項に漏れがないようにしてください。

節分けはだいぶ良くなったと思います。ただ、重要で基本的な説明の配置を上げて、細かくなりすぎることは削除した方がいいと思います。細かすぎ、分量多すぎになると百科事典としては過剰なので。ここは専門書でも論文でもありません・・・。目次を見て「わけわかんない」と思われてしまったら、せっかくしっかり書いても読んでもらえません。どうぞよろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2017年9月3日 (日) 12:36 (UTC)[返信]

コメント有り難う御座います

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コメント有り難う御座います。特に色々と調べて下さったこともとても感謝しております。

これまでは「ザッと知りたい」という方は「概要」だけ読んで頂けば良い、と言うような書き方を心がけていたのですが、今回は肩に力が入り過ぎていたようです。「中世の寝殿造」でご意見を頂いた直後から下書きを始めています。ただ「概要」だけではなく、画像の差替とか、関連項目の内容充実とかも合わせてやっていますので、更新は少し遅くなりますが。

関連項目というのは、例えば「室礼」にはかつて「はれの儀式の日に、寝殿の母屋および廂に調度を立て、室内を装飾すること」と書いてありましたが、それではリンクする訳にはいきません。「障子」もかつてはとんでもないことが書いてありました。

基本的に私がWikipediaの既存記事を書き換えるのは自分が関心のあるテーマについて「大間違い」なことが書かれている場合だけです。百科事典に「寝殿造の住宅の建物配置は、中央に主屋として南面する寝殿を建て、その東西には寝殿に向き合うようにして東対あるいは西対の対屋、北には北対を置き、寝殿と対屋は渡殿と呼ばれる廊でつながれる」とあったそうですが、それは旧説です。私は『百科事典』は持っていませんが、1974年版の『建築大辞典』には似たようなことが書かれています(参考文献の『建築大辞典』は出版年を間違えてますね。次の更新で訂正します)。「地位によって規模・形式を異にする」と断った上で公卿の上級寝殿造に限定した記述ですが。1997年版の『日本史広事典』は現在の学説の通りで『建築大辞典』にあるような「寝殿および対屋の構造はいずれも同じで(云々)」の記述はありません。内郭がコの字型ということを強調しています。本項で言えば寝殿造#左右対称の理解の変化に該当します。

Wikipediaに「間違い」を書かれるとその「間違い」はネット上に拡散するんですよ。検索で大抵はトップになりますから。 「寝殿造」の旧稿は「源義家」の2007年当時の旧稿ほどの「大間違い」は有りませんでしたがあれでは寝殿造は判りません。より正しい情報は提示出来たと思いますが、次の課題はより多くの方に理解して頂ける記事にということですね。 その点でジャム・パンナさんのこれまでの厳しいご指摘は骨身に染みています。次回更新は時期未定ではありますが、より良い記事にしていくための辛口批評をお待ちしております。--Ktmchi会話2017年9月4日 (月) 16:04 (UTC)[返信]

「概要」を更新しました

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「'床があり'って、大陸では床がなかったの?どういうこと?・・・という気持ちになります」というご指摘は痛かったです。確かにそうかもしれません。「玄関で靴をぬいで上がる床」と「地面の延長としての床」と二種類ありますからね。レストランや、ホテルならロビーから宿泊する部屋まで何階であろうが「地面の延長としての床」です。だから椅子がありベッドがある。 それをサラリと簡潔に説明するにはどうしたらと考えていたのですが、頭書の「床があり」を「床が張られ」に変えて、「大陸の宮殿建築との相違」の最後に3行追記しました。

仰る通り建築史関係者には「床の有無」と云っただけで話が通じます。私は歴史でも一般書より専門書を読む方が多いのですが、確かに単語がわからなくて前に進めないことが良くあります。特に新しいテーマに移ったときには。2~3年前に建築史に取り組んだときもそうでした。

他にも気づかれた点をご指摘頂ければ幸いです。 「せっかくしっかり書いても読んでもらえません」状態を脱却して、より多くの方に理解して頂く方がウイキペディアに出張ってきた甲斐があるというものですので。--Ktmchi会話) 2017年9月8日 (金) 14:03 (UTC)、追記--Ktmchi会話2017年9月9日 (土) 12:08 (UTC)[返信]

冒頭と概要とても分かりやすくなっていました。気になるところが少しあるので、そこだけコメントしておきます。「カーテン状の障子」が具体的にイメージできないので、説明を足すか(文中でも注記でもどちらでもいいと思います)、詳しく説明しているところに「#」をつけた内部リンクで誘導してください。あとひとつは、これも注記でいいので「ハレ」と「ケ」という用語の意味の簡単な説明を入れてください。一度ハレが表で南、ケが私的空間で北面だと説明すれば、あとは同じ記述を繰り返す必要はないと思います。わたしからは他に冒頭と概要で気になるところはありません。細かいところはわたしのレベルでは判断できないので、今後はあまりコメントすることはないと思います。整理ありがとうございました。--ジャム・パンナ会話2017年9月18日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
すみません。もうひとつありました。冒頭の「 寝殿造は中世に様々な技術の進歩や社会生活の変化の影響を受け、室町時代末から桃山時代に書院造へと変化し、現在の和風住宅の源流ともなっている。」に出典を付けてください。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2017年9月18日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
有り難う御座います。ジャム・パンナさんの厳しいご指導のおかげです(笑)。でも本当に感謝しています。ご指摘の点了解しました。でも「ハレ」と「ケ」は昔からなんとなく使っているので改めて考えるとうまく説明出来ないですね。「ハレ」は「晴れ舞台」とか「ハレの場」とか普通に使いますが、「ケ」(褻)の方が。厳密な定義までは必要ないでしょうから、軽くこんなものという程度の説明を考えてみます。--Ktmchi会話2017年9月18日 (月) 14:06 (UTC)[返信]
【追記】「褻」で検索したら「褻衣」に「ふだん着」と有りました。「晴れ着」と「ふだん着」を建物の中に当てはめると云々で解りやすく説明出来そうです。--Ktmchi会話2017年9月18日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
ご対応ありがとうございました。口うるさくいろいろ言って申し訳なかったですが、読みやすくなって良かったです。知識のある人がない人に向けて書くのはむずかしいと思いますが、今後も意識していただけるとありがたいです。お疲れさまでした。--ジャム・パンナ会話2017年9月21日 (木) 13:39 (UTC)[返信]