ノート:富士門流
とりあえず、記事をたてましたが、「日蓮正宗」にはない情報、「日蓮正宗」の記事とはことなる切り口の情報を提示できないなら、別記事として存在する意味がありません。がんばってみます。--Dalaibaatur 2005年8月14日 (日) 12:10 (UTC)
疑問のある記述
[編集]IP「220.109.159.69」氏が「2006年2月13日 (月) 09:17」の版に投稿された一説について、疑問があるので、本文からいったん外し、こちらにピックアップしました。私が疑問に思う記述は以下の2節です。
- 上記2点は、現在、四つの宗派にわかれている富士門流の本山・末寺の全てに共通する特徴であるのか?
- 日蓮正宗以外の三派の本山・末寺において、「日蓮大聖人」という用語がはたして用いられているのか?
- 現在、四つの宗派にわかれている富士門流各派の本山末寺が、罰論、死相観を「キリスト教から採り入れた」ことを立証した研究が果たして実在するのか?
以上です。以上各点の典拠をご紹介いただけたなら、これらの各節を本文に復帰させることに依存はありません。--210.155.207.247 2006年4月15日 (土) 13:12 (UTC)
下記の記述に疑問があるので、本文からいったんはずし、こちらにピックアップしました。
- 通称「板曼荼羅」を本尊とする(一致派では中央に題目を記した宝塔、左右に釈尊・多宝如来を配置し、これを本尊とする)
- 富士門流の全本山、末寺、檀信徒の家庭で「板曼荼羅を本尊としている」のか疑問。
- 一致派の「大曼荼羅御本尊」は「中央に題目を記した法塔」ではない。各家庭の仏壇においても、大曼荼羅御本尊の前に日蓮聖人座像を配置するが、「釈尊、多宝如来」の像は配置しない。
以上です。--58.70.23.142 2006年6月7日 (水) 00:11 (UTC)
疑問のある図版
[編集]Sariputra2010さんが2010年11月14日 (日) 14:09 に付加された上記の図版に誤りがあるので、コメントアウトさせていただきます。富士門流部分の訂正箇所としては
- 富士門流全体の右側に「本門宗」を置く
- 本門宗から日蓮正宗を分離させる
- 本門宗の右側に興統法縁会を置く
- 興統法縁会から日蓮本宗、法華宗興門流を分岐させる
- 日尊門流は「日蓮本宗」50ヶ寺と「興統法縁会」35ヶ寺にわかれている。双方に表記するか、いずれにも記載すべきではない。
となります。--Dalaibaatur 2010年12月8日 (水) 17:05 (UTC)
地涌の眷属さんのご編集について
[編集]- 検証可能性を満たす典拠のご提示がありません。私が依拠した典拠とは食い違っている箇所もあります。特に気になる部分に「要出典」タグをつけておきますので、典拠の提示をお願いします。
- 敬称や用語、教義についての記述で、中立的でない箇所が見られます。百科辞典的にご修正いただくか、私による修正をご了解ください。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月23日 (土) 21:13 (UTC)
- 地湧の眷属さんによるこの編集のうち、
- 1.【実質的には末寺数が多かった日蓮宗身延派への吸収合併だった】なる記述
- 2.宗祖日蓮に対する【大聖人】なる継承
- の2点は、百科事典にふさわしくない文面であるので、ご編集前の記述にもどします(すなわち削除)。
- 補足しますと、三派合同について、上条大石寺のほうでは地湧さんがお書きになったような「実質的には(中略)だった」と評価しているのかもしれませんが、興統法縁会のほうではそのようには評価していないので、、上条大石寺の価値観をWikipediaという百科事典の名義で書くのはみとめられない、ということです。--Dalaibaatur(会話) 2012年8月19日 (日) 22:04 (UTC)
Dalaibaatur氏の編集について
[編集]まず私はWikipediaの記述が、ルールに基づき、検証可能性を満たし、中立であることに同意するものであり、私の記述の中に何らかの不備があり得、それを他読者から指摘され、その指摘の客観性・論理性・整合性・公平性・検証可能性がある程度満たされ、誇張・瑕疵・悪意の中傷ではないと確認された場合には、訂正することに一切やぶさかではないことにも完全に同意していることを改めてお断りしておきます。
その上でDalaibaatur氏に質問および要望があります。
疑問点1:「地涌の眷属さんのご編集について」の中で、「私による修正をご了解ください。」「Wikipediaという百科事典の名義で書くのはみとめられない」との記述があり、これは明らかに一般ユーザーを超えた管理者の言葉であるが、あなたはそういう立場の人なのか?利用規約にあるウィキメディア財団の管理者なのか?それとも一般ユーザーなのか?この点を明らかにしていただきたい。もしも一般ユーザーの場合、明確なルール違反を除き、Dalaibaatur氏に従う理由はないということになります。
疑問点2:敬称について。
Dalaibaatur氏は「継承」と誤記している所の「敬称」及び、「尊称・呼称・肩書き・組織内部の名称」等の記述には難しい問題があると当方は認識している。
例えば、カトリック教会のローマ教皇(ローマ法王)の「教皇(法王)」は宗教的意義を持った、第一義的には組織内部の尊称のはずだが、Wikipedia上では「ローマ教皇○○△世」という記述がされている。これをわざわざ尊称を外して「カトリック教の高位聖職者である○○△世」と言い換えたりしない。
またチベット仏教の「ダライ・ラマ」の「ラマ」は「指導者(定まった日本語訳はないが、法王・猊下・上人などが該当するかと思われる)」という教義上の意義を持った尊称であり、中国政府などはこれを嫌い、「ダライ一派」と呼んでいるほどだが、やはりWikipedia上では「ダライ・ラマ」と記述されている。
これらの記述に対し、日本の仏教の開祖・門祖・派祖に対する上人・聖人などの敬称・尊称・呼称はDalaibaatur氏が言う所の「百科事典にふさわしくない文面」だとし、かつDalaibaatur氏がウィキメディア財団の管理者である場合、他項目の記述間の整合性、判断の妥当性に対する説明が求められると思うが如何か?
要望点:同じく敬称について。
ある集団に属する人物に関して、一般的(と思われる)呼称と、その組織・集団内部での尊称・敬称・肩書き、との関係は微妙であると同時に、当該組織・集団を知る上で貴重な一次情報であり、まさに百科事典としての機能を発揮すべき要素だと当方は認識している。
例えば、創価学会内部では名誉会長職にある池田を「池田先生」と呼称する。もちろん一般には「創価学会の池田」で通用していると思うが、その比較ができる貴重な情報である。百科事典としては
「組織内部の敬称・役職名+個人名」→「名誉会長の池田氏」ぐらいが妥当であり、組織内部の呼称も何らかの項目内で一次情報として提供されるべきであると考える。
ところで、日本の仏教宗派の項目を見ると、「宗祖○○」「開祖○○」と言う記述で統一されている印象を受けるが、「宗祖」「開祖」は「始めた人」という一般用語で、敬称の意味は、あるとしても薄い。Wikipediaが百科事典として有用な情報提供源たらんとするならば、かつ、Dalaibaatur氏がウィキメディア財団の管理者であるならば、日本の仏教宗派の項目または細目中で、記述者が「この項目・細目では、この宗派・組織内の敬称を使用する」と注意書きをすれば、その範囲内において、「組織内部の敬称・役職名」の記述(例えば「開祖○○聖人」など)が許されるよう、要望するものである。
--地涌の眷属(会話) 2012年10月20日 (土) 04:36 (UTC)
- 2年ほど前のお尋ねですが、名指しのご質問なのでお答えします。
- 地涌の眷属さんとは「編集方針をめぐる対立」が生じています。合意形成をめざすため、同意できる条件を提示しています。
- 「ダライラマ」や「ローマ教皇・法王」は、役職名でしょ?「上人」、「大聖人」、「猊下」などの敬称と同列に扱うのが誤り。
- 「ウィキメディア財団の管理者」ではありません。
--Dalaibaatur(会話) 2014年8月23日 (土) 17:52 (UTC)
「(真偽未決)」について
[編集]「鎌倉時代」の中の「弘安二年の大御本尊」が「(真偽未決である)」という記述は、興統法縁会または日蓮宗またはその他団体のほうでは「真偽未決」と評価しているのかもしれませんが、上条大石寺のほうではそのようには評価しておらず、その根拠となる出典が明示されています。興統法縁会または日蓮宗またはその他団体が「真偽未決である」と主張するならば、これらの出典に対する反証がなされなければなりませんが、それなくしてこれら諸団体の価値観をWikipediaという百科事典の名義で書くのはみとめられない、はずなので、中立の観点から削除します。--地涌の眷属(会話) 2012年10月20日 (土) 04:36 (UTC)
「鎌倉時代」の一部記述削除について
[編集]以下の問題のある記述について
『この時代は未だ自ら日蓮宗との意識は皆無であり、日興上人の日蓮筆「立正安国論」の写本にも天台沙門日蓮と書かれている文献が現存するように、天台宗の法華一乗思想を深化させたものであった。そういう僧侶としての自負があったものであろうと推測される。本朝沙門日蓮と記したのは日興を嚆矢と看做してよい。』
→「この時代は未だ自ら日蓮宗との意識は皆無であり」との記述に対し、
■弘安2年(1279年)10月12日、宗祖大聖人は駿河国熱原の信徒が日興上人の指導のもと、身命に及ぶ迫害のなか、不退転の信仰を貫いたことに対し、出世の本懐として本門戒壇の大御本尊を建立された。その脇書には、願主名として「法華講衆等敬白」と認められている。
■日興上人の手紙の中にも、「佐渡国法華講衆御返事」と記されているように、宗開両祖の時代から、信徒は「法華講」と呼ばれている。(日蓮正宗法道院HP)
■「哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん、一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(如説修行抄 平成新編御書P674)
■「我並びに我が弟子」(開目抄)
▼その他、宗開両祖による多数の類文から、宗祖御在世当時、すでに信徒集団としての名称と意識があったことは明らかである。
→「日興上人の日蓮筆「立正安国論」の写本にも天台沙門日蓮と書かれている文献が現存するように、天台宗の法華一乗思想を深化させたものであった。そういう僧侶としての自負があったものであろうと推測される。本朝沙門日蓮と記したのは日興を嚆矢と看做してよい。」との記述に対し、
■「恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是(=宗祖大聖人)は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頚の座・頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ篭に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず」(如説修行抄 平成新編御書P673)
■「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(開目抄)
▼その他、宗祖による多数の類文から、宗祖が天台を超えた存在である御自覚を持てれていたことが分かる。
以上の文献資料から、当該記述は信憑性に重大な疑問が存するので削除する。
--地涌の眷属(会話) 2012年11月24日 (土) 16:09 (UTC)
保田妙本寺について
[編集]こちらのページの教義では、保田妙本寺は釈迦本仏論を採用しているとあります。しかし、当のページでは冒頭に日蓮本仏論とあります。どうやら日蓮本仏論を採用しているのが正しいようですが、今一確証が持てません。ご存知の方、統一頂けませんでしょうか。--1000dai(会話) 2014年6月1日 (日) 13:12 (UTC)
要出典と望中立的観点
[編集](ノート:日蓮正宗でも似たようなことを書かせて頂きましたが、)このページは、一読すると特定の宗派とそれを信じる方が認める事実を中心に紹介しているように見えます。信仰心を持って教えを弘めようとする志は、個人的には特筆すべき事項と認識し、敬意を表するところです。しかし、あいにく、ウィキペディアは演説台ではありませんし、個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。現状は、出典に乏しく、ウィキペディアンの知見なのか、信頼できる情報源があるのにも関わらず示されていないだけなのか、分からない状態です。ウィキペディアで大事なのは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にあります。
偉そうに申し上げ恐縮ですが、このままですと書いて下さったことを大幅に削除せざるを得ず、その苦労が水泡に帰すかと思うと、心苦しい限りです。誰だって自分が書いたことを消されるのは嫌なものです。むろん私自身もそうですから、できれば削除することなく、出典を明記して残したいと思っております。
ことに、この一つ前の節でもお願いしているところですが、各寺院が本迹や本仏について現在どう判断しているかを明記した書籍が見つけられません。 ウィキペディア内でも、西山本門寺や保田妙本寺は本仏論について複数説があります。また、「宗派・日蓮宗は一致派と勝劣派が混在している」という趣旨の記述が占めておりますが、旧本門宗や旧顕本法華宗が合同する際その教判を変更したのか、はたまた、ご指摘の通りなのか、分からない状態です。すなわち、宗派・日蓮宗が一致勝劣を含有するか否かを明記した出典も見つけられません。
日蓮門下の高次資料がなかなか見つけられず苦労しているだけにお願いしにくいところもありますが、むしろそれ故に、願わくば出典を明記した編集を、せめて良書(富士門流各派の主張を書いた本)のご紹介を頂きたく、お願い申し上げます。--1000dai(会話) 2014年12月5日 (金) 01:11 (UTC)
- 報告ノート:富士門流#2014年12月30日05:47(UTC)の編集のように、編集させて頂きました。--1000dai(会話) 2014年12月30日 (火) 05:46 (UTC)
2014年12月30日05:47(UTC)の編集
[編集]報告編集内容の要約欄に入りきらないので、こちらに書かせて頂きます。なお、ノートですから充分文字数に余裕がありますが、要約欄に書くつもりでいたため大分省略しております。リンクだけは変更しましたが、他はそのまま記載しますこと、ご容赦願います。
-中立的観点メッセージ,+出典,+要出典,cl(初出のみlk),-富士門流に直接関係の無いこと(熱原法難,御遷化記録),-要出典タグ付記述の一部,-無出典記述の一部,-大言壮語,-重複する記述の一部,see 冒頭の段落は明確で簡潔に,-ヶ+か,富士門流#参考文献新しい節,富士門流#関連項目-本文重複∵本文中で説明しきれない(略)項目について列挙する
--1000dai(会話) 2014年12月30日 (火) 05:46 (UTC)
2015年7月9日08:50(UTC)の編集
[編集]報告編集内容の要約欄に入りきらないので、こちらに書かせて頂きます。なお、ノートですから充分文字数に余裕がありますが、要約欄に書くつもりでいたため大分省略しております。リンクだけは変更しましたが、他はそのまま記載しますこと、ご容赦願います。
+一部転記テンプレ,導入部:-出典にない記述,富士門流#鎌倉時代・建武の新政+要出典,rev(後述),-避けたい言葉,+疑問点,富士門流#室町・安土桃山時代+WP:NPOV,cl,+疑問点富士門流#太平洋戦争前+要出典,+出典富士門流#太平洋戦争後+疑問点
rev理由
[編集]日蓮宗辞典には「日興が院主、日向が学頭」と記されているが、なぜか日蓮宗は血脈相承を認めていない
報告確かに、日蓮宗事典にはそう書いてあります[1]。しかし、発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなこと〔は〕排除されます。そもそも、(日蓮宗現代宗教研究所 2006, pp. 48–59)を出典としたかつての記述「これを認めていない」の「これ」は、「血脈相承」ではなく、狭義には『日興跡条々事』を、広義には直前の一文全てをそれぞれ指します。従って、狭義広義いずれにせよ、「日興が院主であったか否か」は、ここでは論点となりえませんし、出典とされている(日蓮宗現代宗教研究所 2006, pp. 48–59)には、日蓮宗が(日興に全てが譲られたとする)血脈相承を認めていないことは、一文も書かれていません。以上の理由により、上記記述をrevします。
出典
[編集]脚注
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 544.
参考文献
[編集]- 日蓮宗現代宗教研究所 編『創価学会批判』(復刻版)日蓮宗宗務院、2006年10月13日(原著1955年7月28日)。 NCID BA78909030。OCLC 676415868。
- 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日。ASIN B000J7QTDQ。 NCID BA61075492。OCLC 17071163。
--1000dai(会話) 2015年7月9日 (木) 08:50 (UTC)
一部転記提案
[編集]提案 以下のように、本文から転記することを提案します。理由は、ウィキペディアは紙製の百科事典ではなく、また、これらは門流(集団)に関することではないから。
富士門流#鎌倉時代・建武の新政にある、
身延離山に関することを日興#略歴の新節:身延離山へ。
二箇相承に関することを二箇相承へ。 --1000dai(会話) 2015年7月9日 (木) 08:50 (UTC)
- 報告提案から二週間、Wikipedia:分割提案への書き込みから一週間経つも、反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月23日 (木) 12:49 (UTC)
疑問点1
[編集]さらに、五老僧が『天台沙門』と自ら名乗り、「念仏者追放宣旨御教書事」にある宗祖と異なる精神で布教しているため、宗祖とは完全に異なる路線を日蓮宗は歩み始める。
理由
[編集]出典が明記されていないので如何ともし難いところですが、いずれにせよ、富士門流のことではないので、富士門流に書くのは不適当と愚考するため。--1000dai(会話) 2015年7月9日 (木) 08:50 (UTC)
Zitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは、2015年7月11日 (土) 07:34時点におけるにて、「五老僧が『天台沙門』と自ら名乗」ったことの出典と、「念仏者追放宣旨御教書事」が『平成新編日蓮大聖人御書』に掲載されていることをお示し下さいました。ありがとうございます。しかし、一読頂ければ自明ですが、これをもって「富士門流門祖を除く五老僧が宗祖と異なる精神で布教し、(結果)日蓮宗が宗祖と異なる路線を歩んでいること」の出典とすることは出来ません。また、もし出典を示すことが出来たとしても、富士門流のことではないことは変わりがありません。よって、引き続きみなさまのご意見を伺いたく存じます。--1000dai(会話) 2015年7月11日 (土) 12:09 (UTC)追記
- 報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月16日 (木) 08:42 (UTC)
疑問点2
[編集]〔日蓮正宗では、日蓮本仏論はこの時期の成立ではなく、〕「法華初心成仏抄」により〔宗祖が明かした、としている。〕
理由
[編集]確かに、出典にもそう明記されています。しかし、当該御遺文は「この南無妙法蓮華経によって、インド応誕の釈尊を含む三世十方の一切諸仏が成仏を遂げている」[1]ことへの文証に過ぎません。すなわち、『法華初心成仏抄』だけでは不十分であり、他の根拠も示す必要が生じます。しかしながら、本節は日蓮本仏論ではなく、富士門流の歴史に関する節なので詳述は不適当であり、上記編集前の概略に留めるのが妥当と考えるから。
出典
[編集]脚注
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 123.
参考文献
[編集]- 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 編『日蓮正宗入門』阿部日顕(監修)(第2版)、大石寺、2002年10月12日。ISBN 978-4904429778。 NCID BA56841964。OCLC 675627893 。2014年12月5日閲覧。(ISBNは、改訂版のもの。)
--1000dai(会話) 2015年7月9日 (木) 08:50 (UTC)
- 報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月16日 (木) 08:42 (UTC)
疑問点3
[編集]〔富士大石寺は、〕日興の時代〔より継続し〕、開基檀那南条時光の寺院である〔日蓮正宗総本山として〕その伝統を相承している。
理由
[編集]大石寺が、日興の時代より継続していたり、開基檀那南条時光の寺院であったり、その伝統を相承していたりすることに関しては、全面的に賛意を表します(出典はありませんが)。しかし、「日興の時代より継続して〔略〕日蓮正宗総本山として」いるという記述はいかがなものでしょう。ここで言うまでもなく、日蓮正宗という名称が歴史に登場するのは明治末のことです[1]。それ以前は、日蓮宗や日蓮宗勝劣派などにも属し、総本山でない時期もありました[2]。以上の理由により、上記提案致します。
出典
[編集]脚注
--1000dai(会話) 2015年7月9日 (木) 08:50 (UTC)
- 報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月16日 (木) 08:42 (UTC)
疑問点4
[編集]この二箇相承書については、徳川家康が駿府城で実物を見たと複数記録されており、『駿府政事』にも記録されている。
理由
[編集]同出典P.550(コマ番号284)に於ける関連する記述は「駿州富士郡本門寺の什寶宗祖日蓮の真蹟二幅。後藤庄三郎光次持参してご御覧に備ふ。」(下段3-5行目)しか管見の限りでは見つけられないから。
なお、現在、一部転記提案中のため、転記先にて話題にしようと思っておりましたが、Greatsmallredcat(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが2015年7月11日 (土) 07:00時点における版にて出典を提示下さいましたので、こちらにてご提案申し上げます。また、見落としの可能性も否定できないのですぐに出典無効とはしませんでした。 --1000dai(会話) 2015年7月11日 (土) 12:09 (UTC)
- 報告提案から一週間以上経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月20日 (月) 06:10 (UTC)
- 誤字訂正--1000dai(会話) 2015年7月20日 (月) 21:37 (UTC)
疑問点5
[編集]ただし、日蓮宗では、「日興が院主、日向が学頭」としている。
理由
[編集]この記述は、ノート:富士門流#rev理由を以て削除したものです。今回の記述は、前回のそれとは字面は同じでもその趣旨が異なりますから、削除したからと言って復活に即反対ということはなく、如何によってはやぶさかではありません。しかしながら、当該記述は、身延離山にも富士門流にも直接の関わりはなく、愚見を申し上げるならば、二箇相承を根拠とする門祖身延久遠寺別当説を否定する日蓮宗の自己矛盾を突く程度です(とは言え、私には「別当」「住職」「院主」の違いがわかりませんし、日蓮宗は門祖在山自体は否定していませんので、このことは的外れかも知れませんが)。従って、本記述が掲載される可能性のあるページは、少なくとも(身延離山の転記先として提案中の日興のページや)富士門流のページではないから。 --1000dai(会話) 2015年7月11日 (土) 12:09 (UTC)
- 報告提案から一週間以上経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年7月20日 (月) 06:10 (UTC)
2015年7月16日08:43(UTC)の編集
[編集]報告編集内容の要約欄に入りきらないので、こちらに書かせて頂きます。
富士門流#鎌倉時代・建武の新政 ce,rv(提案を実行。)富士門流#室町・安土桃山時代 rv(提案を実行。)富士門流#太平洋戦争後 rv(提案を実行。)富士門流#参考文献 -不参照出典
--1000dai(会話) 2015年7月16日 (木) 08:42 (UTC)
疑問点6(再提案)
[編集]〔日蓮正宗では、日蓮本仏論はこの時期の成立ではなく、〕法華初心成仏抄により〔宗祖が明かした、としている。〕
理由
[編集]疑問点2をご覧下さい。
蛇足:疑問点2(提案)を7月16日 (木)に実行してから一ヶ月経たない8月12日 (水) 、それとほぼ同一な加筆(上記)がZitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さんによってなされました。合理的な期間〔を経て〕決定事項となっていると判断し8月13日 (木)に差し戻しましたが、ご納得頂けなかったようで8月16日 (日)に再差し戻しされました[注釈 1]。提案が決定されたからといってそれを金科玉条とするな、といった趣旨の方針もしくはガイドラインがあったように記憶しております[注釈 2]。また、編集合戦入口の様相を呈しているようです。よって、再度提案致します。
注釈
[編集]--1000dai(会話) 2015年8月16日 (日) 22:10 (UTC)
- 報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai(会話) 2015年8月24日 (月) 23:30 (UTC)
2015年8月25日09:04(UTC)の編集
[編集]報告編集内容の要約欄に入りきらないので、こちらに書かせて頂きます。
富士門流#室町・安土桃山時代 記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識化,rv(-「法華初心成仏抄」により,see #疑問点6(再提案),#日蓮本仏論根拠としての「法華初心成仏抄」),WP:NPOV(+としている),cl,+要ページ番号
--1000dai(会話) 2015年8月25日 (火) 09:06 (UTC)
日蓮本仏論根拠としての「法華初心成仏抄」
[編集]#2015年8月25日09:04(UTC)の編集によってrvされた記述(「法華初心成仏抄」により)の、編集経緯は次のとおりです。
2015年7月6日 (月) 08:23、This is a mobile phone(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより加筆。
2015年7月9日 (木) 08:50、疑問点2にてVice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)により削除提案。
2015年7月16日 (木) 08:43、反対意見がなかったため、Vice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)は削除を実行し、疑問点2にてその旨報告。
2015年8月12日 (水) 23:56、Zitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより再加筆。
2015年8月13日 (木) 07:14、疑問点2を根拠として、Vice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)により再削除。
2015年8月16日 (日) 07:11、Zitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより再々加筆。
2015年8月16日 (日) 22:10、疑問点6(再提案)にてVice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)により削除再提案。
2015年8月24日 (月) 23:29、反対意見がなかったため、Vice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)は再々削除を実行し、疑問点6(再提案)にてその旨報告。
2015年8月25日 (火) 00:17、Zitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより再々々加筆。
2015年8月25日09:04(UTC)の編集、疑問点6(再提案)を根拠として、Vice-priest(会話 / 投稿記録 / 記録)により再々々削除。
誠に恐縮ですが、本編集にご異議ある場合は、まずは本ノートへご意見をお寄せ願いたく存じます。
--1000dai(会話) 2015年8月25日 (火) 09:06 (UTC)
「御義口伝」を熟読
[編集]この求めに対しては平成新編日蓮大聖人御書の「御義口伝」を熟読することで展開されていることが自明となる。
これは、室町・安土桃山時代にある記述「日興の著した『五人所破抄』では日蓮が上行菩薩の再誕であることが明記され、日蓮本仏論が展開されている」への出典を求めた際、コメントとして付記した「『五人所破抄』の出典(ex.平成新編日蓮大聖人御書)ではなく、「日蓮正宗が、『五人所破抄』に日蓮が上行菩薩の再誕であることが明記され・日蓮本仏論が展開されている、としている出典」を求めています。」への回答です(Zitsujonoichizen(会話 / 投稿記録 / 記録)さん、もし違う場合は、恐れ入りますがご指摘下さいませ)。
一読すると、「『御義口伝』を熟読することで、『五人所破抄』に上行菩薩の再誕であることが明記され・日蓮本仏論が展開されている、と日蓮正宗が主張していることがわかる」と解せますが、果たして、このようなことはあり得るのでしょうか。日蓮本仏論が正しいか否かはおいておいて(ここ、重要です)、少なくとも『御義口伝』にこのような記述はなされていないようです。
とは申せ、文意としては「日蓮本仏論は正しく、実際、『御義口伝』を熟読すればそれが理解でき、『五人所破抄』にも示されている」というところでしょうか。しかしながら、かねてから申しておりますように、あいにくWikipediaは自己宣伝の場ではありません。今後は、出典がないために一旦COした記述に対して、出典を加えることなく再度表示することのないよう、お願い申し上げます。
なお、話は逸れますが、「八品が…」への出典の追加に関して、感謝申し上げます。ありがとうございました。