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ノート:女流名人戦 (将棋)

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番勝負の一局ごと速報について

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番勝負が決着する前に、一局ごと勝敗(途中経過)の記入はしないようにお願いします。この件につきましては、2010年10月21日から11月2日までノート:竜王戦#タイトル戦の番勝負の一局ごと速報 にて、13個の記事一括の議論を行い、ひとまず完結しています。13個の記事とは、竜王戦名人戦 (将棋)王位戦王座戦 (将棋)棋王戦棋聖戦 (将棋)王将戦新人王戦 (将棋)マイナビ女子オープン女流名人戦女流王将戦女流王位戦大山名人杯倉敷藤花戦のことです。本件について何かありましたら、このノートではなくノート:竜王戦#タイトル戦の番勝負の一局ごと速報 に記入願います。--Jbg 2010年11月2日 (火) 15:02 (UTC)[返信]

本文への削除提案

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同じことを2つの記事に重複して記載すべきか

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本記事の主題である「女流名人戦」は、記事「女流棋士_(将棋)#歴史」に記載しているように、「女流名人位戦(当時)の創設により、将棋の女流棋士の制度が整備された」という事実があります。

よって、記事「女流棋士_(将棋)#歴史」に「女流棋士の制度ができた経緯」を記述すると、そのまま「本棋戦の創設の経緯」を書くことになりますため、本棋戦の創設の経緯については「女流棋士_(将棋)#歴史」の下の「女流棋士_(将棋)#レッスンプロ時代」、それに続く「女流棋士_(将棋)#女流プロ誕生」に詳細な記述を行い、本記事においては、「[[女流棋士_(将棋)」に誘導する編集を行いました(差分

その後、本記事の「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」であった。」という記述があることに気づき、これは「創設の経緯」の一部であり、「女流棋士_(将棋)#女流プロ誕生」に記載するのが適当であると考え、「概説」節:「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」であった。」を除去。本記事から誘導している「女流棋士_(将棋)#女流プロ誕生」に出典を付して記述していることと重複するため。」という編集内容の要約を付して編集を行いました(差分)。

すると、当該編集について、「Pooh456 (会話) による ID:69291873 の版を取り消し 除去はおかしい。このページは女流名人戦の単体の説明であって、最初にどう呼ばれていたのかがこのページ内だけで知るのが重要。リンクを飛ばなければ知ることができないのはおかしい。記載がなければ最初から女流名人位戦であったと勘違いする。結局はどちらにも書けばいいだけの話。」という編集内容の要約を付して、Alterness氏が差し戻しを行いました(差分)。

本件で問題となっている「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」であった。」という記述については、下記の理由により、「女流棋士_(将棋)#女流プロ誕生」に記載するのが妥当であり、本記事への二重記載は不要と考えます。

  • 本記事の主題である「女流名人位戦」が、創設時は「女流プロ名人位戦」という名称であった、ということは、限られた出典(例:「古川徹雄「特集1 写真で見る女流棋界の40年 - 女流棋士たちの足跡 -」、『将棋世界』(2014年9月号)、日本将棋連盟 pp. 22-29」)でのみ言及されていること。
  • 女流名人戦の創設時のことについて言及した、「WP:RS」を満たす出典としては、
(1)当事者である関根紀代子氏のインタビュー記事(「古川徹雄「引退・関根紀代子女流六段 "女流棋士第1期生" 将棋と共に歩んできた人生」、『将棋世界』(2011年11月号)、日本将棋連盟 pp. 114-117」)
(2)同じく当事者である蛸島彰子氏のインタビュー記事(「“【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(4) 初の女性棋戦でタイトル獲得” (日本語). 産経新聞. (2018年4月5日). オリジナルの2018年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716104858/https://www.sankei.com/life/news/180405/lif1804050018-n1.html 2018年7月16日閲覧。 」)
(3)本棋戦が「女流名人位戦」から「女流名人戦」に名称変更された際の、日本将棋連盟の公式発表(「女流名人戦、冠名変更のお知らせ 新名称「岡田美術館杯女流名人戦」へ”. 日本将棋連盟 (2015年3月19日). 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月14日閲覧。」)
などがあるが、いずれにも「本棋戦の創設時の名称は『女流プロ名人位戦』であった」という言及はない。
  • すなわち、女流名人位戦の創設時の当事者である関根氏と蛸島氏、日本将棋連盟、いずれも「本棋戦の創設時の名称は『女流プロ名人位戦』であった」ことを重要と考えていない、と判断できる。
  • 「本棋戦の創設時の名称は『女流プロ名人位戦』であった」ことについて、「WP:RS」を満たす出典を提示できる以上は、「WP:V」に照らし、ウィキペディアの記事に書くことができる。
  • しかし、Alterness氏の「記載がなければ最初から女流名人位戦であったと勘違いする。結局はどちらにも書けばいいだけの話。」という主張には賛同できない。前述のように、本棋戦の創設の経緯に言及した3つの「WP:RS」を満たす出典において「本棋戦の創設時の名称は『女流プロ名人位戦』であった」ことは無視されているのが現実であるから。

--Pooh456会話2018年7月20日 (金) 13:08 (UTC)[返信]

情報
「女流プロ名人位戦」という表現ですが、蛸島氏の引退を報じる「産経新聞記事」「日経記事」などで使用されています。ただし「棋戦名変更」についての言及がなく、ポツンと「女流プロ名人位戦」と記載されています。
一方、女流名人戦の主催社であるスポーツ報知の、蛸島氏の引退について報じた2017年から2018年にかけての一連の記事では「74年に初の女流棋戦として始まった女流名人位戦(現・女流名人戦)」という要領の表現で統一されております。
初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも-2017年12月7日」※「蛸島彰子初代女流名人誕生を伝える報知新聞(1974年11月27日付)」の画像が掲載されており、「報知新聞社・日本将棋連盟主催の『第一回将棋女流プロ名人位戦』名人位決定三番勝負の…」と記載されているのが読めます。
強豪撃破引退表明の71歳・蛸島女流六段が最年長勝利-2018年1月16日
【王手報知】引退決めた蛸島女流六段の願い…女流棋界をもう一度一つに-2018年1月22日
引退表明の蛸島女流六段が敗れる…残るは女流名人戦のみにー2018年1月24日
女流棋界のレジェンド・蛸島女流六段の引退決まる-2018年2月16日
将棋の蛸島女流六段が現役引退報告 今後はLPSA特別相談役に-2018年2月28日
--Pooh456会話2018年7月20日 (金) 13:52 (UTC)[返信]

せっかく長文書いたのに、追加されたから書いたのに消えちゃった。 書き直します

--alterness 2018年7月20日 (金) 14:29 (UTC)

まず上記について出典ですが

創設時の当事者の田丸九段ブログ http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/36-a6b4.html
将棋世界 2014年8月 女流棋士制度発足の経緯 田丸昇
女流棋士の本(女流棋士会発行 2003)p142 木村泰二
女流棋士名鑑2014 女流棋界のあゆみ p13

上記はいずれも女流プロ名人位戦と記載されている。私がこれを出典にすればすべて言及されていることになる。

いずれも公式本もしくは将棋世界の記事や創設時にかかわった当事者のものなので、観戦記者が書いたよりも信頼性は高いと考えている。私か貴殿こちらを出典に追加すればそれで解決しますがそれでいいのでしょうか?

なお、こちらは女流棋戦創設前後での大山副会長の動きや二上専務の尽力も言及しています。本来はこちらも使うべきと考えていますが。

そもそもプレイヤーだった蛸島氏や関根氏や報知の北野記者が女流名人戦の当初の棋戦名と誤認しているのと、それを根拠に女流名人戦のページに書く必要がないのは全く別の話である。

歴史は歴史として創設の経緯としての「女流プロ名人位戦」であった事を書けばいいですが、あくまでも私が書くべきと考えているのは女流名人戦のページとしての概要として、 当初の棋戦名が女流プロ名人位戦→アルゼ杯→ユニバーサル杯→岡田美術館杯の流れは必要と考える。

もちろん、おっしゃってることはわかりまして 女流名人創設の経緯、女流王将の棋戦中止、LPSAの対立みたいに大量の文言であれば、同じ内容を二つ書くのは無駄なので誘導させて一つにするべきなのも手ですが、今回はたかだか10数文字である。

もしこれがダメなら棋士・女流関係でかなりの記事がダブっているので消すことになりますが。

--alterness 2018年7月20日 (金) 15:03 (UTC)

(1) 議論が噛み合っていないようですが、私は「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」と「プロ」が入っていた(古川徹雄「特集1 写真で見る女流棋界の40年 - 女流棋士たちの足跡 -」、『将棋世界』(2014年9月号)、日本将棋連盟 pp. 22-29)」とウィキペディアに書くことは何ら問題ないと考えております。
貴殿には何度も申し上げておりますが、「WP:V」に
ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability) と呼んでいます。
と示されております。
「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」と「プロ」が入っていた」は、出典を提示できますので、「WP:V」に照らし、ウィキペディアに記述できます。
付言しますと「WP:V]」に従って「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」と「プロ」が入っていた」とウィキペディアに書くための出典は一つで十分です。貴殿は「出典は沢山ある」と言いたいようですが、それは全て「なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」と「プロ」が入っていた」に言及したものではないですか?
ひとつのことについて、複数の出典を並べて記述しようとすると、いわゆる「脚注過剰」の状態に陥り、「WP:SYN」で禁じられている「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」を行ってしまうことになりがちです。
Wikipedia:井戸端/subj/過剰な脚注は読者に対して不親切なのか」で、ベテランの編集者の方が「脚注が多ければ信頼性が高いということにはならないです。5以上あったら、私はまず情報の合成か、孫引きの問題を疑います。」と述べておられます。
私は、「WP:SYN」に抵触してしまうことを避けるため、「ひとつの句読点について、複数の脚注をつけることは極力しない」ように自戒しております。


(2) 貴殿は「女流名人戦のページとしての概要として、当初の棋戦名が女流プロ名人位戦→アルゼ杯→ユニバーサル杯→岡田美術館杯の流れは必要と考える。」と述べておられますが、現状、本記事の「概要」節には
男性棋戦の「名人」に敬意を表し、「女流名人戦」とせず、「女流名人戦」という名称で創設されたが、本棋戦創設から40年が経過したのを機に、2014年度の第41期から「女流名人戦」に名称変更した(女流棋戦名称変更のお知らせ 新名称「ユニバーサル杯女流名人戦」”. 日本将棋連盟 (2014年3月17日). 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月14日閲覧。)。1993年度開催の第20期より、アルゼ(2009年11月1日にユニバーサルエンターテインメントに社名変更)が特別協賛として、アルゼ杯女流名人位戦となり、2015年度の第42期からはユニバーサルエンターテインメント系列の美術館である岡田美術館の名前を冠することになり、名称も「岡田美術館杯女流名人戦」となった(女流名人戦、冠名変更のお知らせ 新名称「岡田美術館杯女流名人戦」へ”. 日本将棋連盟 (2015年3月19日). 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月14日閲覧。)。
と記述されており、概ね「WP:V」に照らして適切な記述が既になされているものと思われます。
(3) 貴殿も、同じことを複数の記事に書くのは避けるべき、という点では意見が一致しておられるようですね。「もしこれがダメなら棋士・女流関係でかなりの記事がダブっているので消すことになりますが。」とのことですが、実際に、棋士・女流棋士関係の記事で、複数の記事に同じことが書いてある事例が多い、ということであれば、そうした事例は放置せずに解消していくべきでしょう。
同じことを複数の記事に書くのは避けるべき、というのは、「字数」にはあまり関係ないと思われます。
貴殿は「今回はたかだか10数文字である。」と述べておられますが、貴殿は記事「女流棋士 (将棋)」における編集で、「注釈で十分の内容(文字量過多になりすぎて読みにくいので注釈を活用したい)。」という編集内容の要約を付しておられますが(差分)、読者から見ますと、貴殿の編集の前後での違いは下記のようになります。
貴殿の編集前の文章:スポーツ報知は、1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった蛸島彰子が、「(19)67年に初の女流棋士になった」としている。
貴殿の編集後の文章:蛸島彰子は1966年に奨励会を退会すると同時に初段になったが(注釈)、(略)
貴殿は、「スポーツ報知は『(19)67年に初の女流棋士になった』としている」という短い文章を「文字量過多」であると発言しておられる訳で、上記の「今回はたかだか10数文字である。」(だから複数の記事に同じことを書いても許容範囲だろう)という発言と矛盾するようですが、如何でしょうか。
--Pooh456会話2018年7月20日 (金) 23:06 (UTC)[返信]


(1)例えばマイナビのページでLOP→マイナビと発展的解消から新棋戦になった件、十段戦→竜王戦の件も、そのほかもそうですが、棋戦や女流棋士のその記載が詳しくあるから、そちらに寄せてこの対象棋戦での経緯や概要に言及する必要はないとお考えでしょうか?問題なければ対応しますが、確実に戻されると思います。第三者の意見が欲しいところ。
出典については複数がダメならより詳細に書かれているほうを記載するべきではないでしょうか?私が今の出典をすべて消して、内容は変わらないがより詳細な別の出典(2011年の記事ではなくより新しい記事)に一方的に変えれば納得しますか?問題なければしますが。
(2)最初の棋戦名が女流プロ名人位戦があったということは読み取れない。こちらについても平行線だと思うので、第三者の意見が欲しいところ。それで圧倒的大多数でいらないというのなら納得する。
(3)ここも議論かみ合っていない。一方的に消したようですが、1967年プロデビューは報知が書いているのは事実だが、ただし本文で記載するべき内容ではなく報知ではこう書いていますよっていう明らかに注釈にするべきって内容であるって事。さらに他にも私が提示した通り週刊将棋の関係者の記事では1966年プロデビューの認識である。(つまり誰かが誤認しているか、そもそも後付けで定義がないからバラバラである)。どうしてもプロデビューの記載が必要であれば、より正確な出典が望ましいし、記載するなら1967年二段でプロデビューとだけ書いて(注釈として報知、ただし1966年といってるものもある)とやるべき箇所。
貴殿の記載を追加することで、文字数過多になって、かなり読みづらくなってるので、注釈にするべきところは注釈にしましょうと言ってるだけの話。
大量の文章になかにこれが挿入されていて、センテンスとして説明過多になりすぎて、正直読みづらい。
「1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった蛸島彰子について[2]、スポーツ報知は「(19)67年に初の女流棋士になった」としている」
「蛸島彰子は1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった。」で以降は注釈として扱えばよろしいのでは?できるだけシンプルに。他はないのにここだけ突然出典名が文章中にでてくるのも見づらい要因。


なお、1967年デビューはほかに言及しているところはあるのでしょうか?
出典の報知はたしかにスポンサーではあるが、出版物ならかなりの校閲がありますが、所属の一記者(たしか北野記者のはず)がネットにニュース記事を書くのはどうしても誤記も発生しうると考えています。
要約書くまでもないのならいいが、私の改訂を消すのであればちゃんと理由をつけてほしい。
この辺はずっと考えは変わらないので、第三者の意見が欲しいですね。


ついでに言うとあったまる杯について
https://www.shogi.or.jp/event/2017/01/43_4.html
こちらではまず開催の1か月以上前の1月初頭に開催を明記している。
「※第四局が開催されない場合、湯原温泉杯あったまるオープン戦の単独開催となります。」
こう書いている。
しかし貴殿は「そのため「岡山県湯原温泉杯湯原あったまるオープン戦」も2017年度は開催されなかった。」
今年は5局目が開催されなかった事が、本イベントを開催しない理由としている。出典はないのでどういう根拠で言っているのでしょうか?
これは非公式なので無視してほしいですが、今年の女流名人戦の時にとある連盟関係者に今年はしないんですか?って言ったら、しないって言ってたので今年は最初から予定はなかったと認識しています(だが関係者に聞いただけなので、書くべきではないのですが)。イベントなんて告知もそうだし、急に女流6人を集めるのは難しく、私はそもそも開催予定はなかったと考えている。
憶測ではなく、今年もちゃんと開催する予定があったが、女流名人戦がなくなったから流れたとわかる記事があれば提示してください。はっきりとしたものがあればこちらも納得します。
これは個人的な考えなので無視していいですが、これ連盟サイトの棋戦にも一切載っていないし、関西女流フェスタのように単なるオープン戦以上のものはないので、そもそもに特段記事を割いて載せるものでもないのでは?とちょっとだけ思っています。来年も行われなかったらすべて消そうかなと考えています。

--alterness 2018年7月21日 (土) 01:17 (UTC)


(1) 女流名人戦の創設は、女流棋士という制度の発足と深く関わっております。なので、1974年の女流名人戦の創設について書こうとすると、それ以前のことにも必然的に触れることになります。
なので「女流棋士 (将棋)#歴史」の冒頭にまとめて書いた方が収まりが良いでしょう、という話です。
これは「女流名人戦 (将棋)」だけの特殊な事情と思います。
貴殿は「例えばマイナビのページでLOP→マイナビと発展的解消から新棋戦になった件、十段戦→竜王戦の件も、そのほかもそうですが、」などと具体的に「どの記事と度の記事が、どのように記述が重複しているのか」を示さずに仮定で話しておられますが、仮定の話をされても何も言えません。
(2) 女流名人位戦が、設立当初は「女流プロ名人位戦」であったこと、これは「WP:V」に照らしてウィキペディアの記事に記載できます。
さらに言うと、「初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも-2017年12月7日」には「蛸島彰子初代女流名人誕生を伝える報知新聞(1974年11月27日付)」の画像が掲載されております。「報知新聞社・日本将棋連盟主催の『第一回将棋女流プロ名人位戦』名人位決定三番勝負の…」と記載されているのが読めます。
「女流名人位戦は、1974年の創設時には『第一回将棋女流プロ名人位戦』として開催された(「1974年11月27日付 報知新聞」。「初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも-2017年12月7日」」に掲載された記事画像)」
と書くことも、「WP:V」に照らして可能です。1974年の開催当時の主催社の報道ですから、これほど確かな出典はありません。
ただし、名称の変遷について書くには、しかるべき出典が必要です。
私も古いことは良く分かりませんが、本棋戦の名称が
(1)「将棋女流プロ名人位戦」(「1974年11月27日付 報知新聞」。「初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも-2017年12月7日」」に掲載された記事画像)→
(2)「女流プロ名人位戦」(出典)→
(3)「女流名人位戦」(出典)→
(4)「アルゼ杯女流名人位戦」(出典)→
(5)「ユニバーサル杯女流名人位戦」(出典)→
(6)「ユニバーサル杯女流名人戦」(「女流棋戦名称変更のお知らせ 新名称「ユニバーサル杯女流名人戦」-2014年03月17日」)→
(7)2018年現在の名称「岡田美術館杯女流名人戦」(「女流名人戦、冠名変更のお知らせ 新名称「岡田美術館杯女流名人戦」へ-2015年03月19日」)
というように変遷してきた、と、きちんと出典をつけて書くのは、「WP:V」に照らして可能です。1974年から現在までの『将棋世界』を閲覧すれば、連盟の公式発表なり、「WP:RS」を満たす出典が見いだせるでしょう。
私としては「差分」に記載したように、「2015年現在の連盟、及び女流名人位戦創設時の当事者である蛸島氏・関根氏の両名が、いずれも1974年に創設された当時の本棋戦を『女流名人位戦』と呼んでいる」ことを考えると、そこまで名称の変遷にこだわる必要はないと考えます。
ですが、貴殿が国会図書館に行くなりして、1974年から現在までの『将棋世界』を閲覧し、「WP:RS」を満たす出典を添えて、本棋戦の名称の変遷について、現在以上の記述を整備したいというのであれば「頑張ってください」と申し上げます。
(3)「WP:V」には下記のように示されております。
この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。
貴殿は「その種の調査」を一生懸命やっておられるようですが、ウィキペディアの方針文書で明確に禁じられていることですのでお止めください
私は、貴殿が本記事において私の編集を差し戻したので(差分)、それ以上の編集を行って「Wikipedia:編集合戦」を起こすことはせず、「WP:DR」に従って今回の議論を提起しました。議論を提起した後は、本記事は編集しておりません。
貴殿は、記事「女流棋士 (将棋)」の編集について論じておられるようですが、そういうことでしたら、貴殿の会話「利用者‐会話:Alterness#ウィキペディアの方針文書を熟読して下さい」で私がお伺いしたこと(差分)に返事をしてから、しかるべき場所で議論して下さい。
(3 補足)「あったまる杯」についてですが、「「第43期岡田美術館杯女流名人戦」イベント情報-2017年01月05日」に言及しておられますが、これは第2回「あったまる杯」が開催された2016年度の話ですね。将棋界の年度は4月から3月までですが、ご存じないのでしょうか?
2017年度の「あったまる杯」については「開催されたと言及した出典」「開催しないと言及した出典」のいずれも存在しない状況です。ただ、2017年度について何も書かないのはどうかと考え、
「なお、2017年度は、第44期女流名人戦五番勝負の第5局が湯原温泉対局と予定されていたが、番勝負が第3局で決着したため、第5局の湯原温泉対局は実施されなかった(出典)。そのため「岡山県湯原温泉杯湯原あったまるオープン戦」も2017年度は開催されなかった。」
と書きました。
しかし「2017年度のあったまる杯については何も出典がない」状況ですから、「上記の記述を全て除去し、本記事においては、2017年度のあったまる杯については一切触れない」とする方が「WP:V」に沿っている、というご指摘であれば、「その通りでしょう」と申し上げます。
--Pooh456会話2018年7月21日 (土) 11:54 (UTC)[返信]


(1)最初から女流棋士のページに書くのを一連の流れの中に女流プロ名人戦の記載を入れるのを否定していませんし、むしろ賛成してるぐらい。その上での「今回の記事の表題」のつもりですが…。そちらを消すべきとか書きましたっけ?
ちなみに例に出したのは
・女流棋士のページの女流棋戦の拡大および清水・中井の二強時代
→1987年に公式棋戦レディースオープントーナメント(2007年に、タイトル戦「マイナビ女子オープン」へ発展移行)
・マイナビ女子オープンの概要
→2006年度まで行われていたレディースオープントーナメントを発展拡大し、5つ目の女流タイトル戦として創設された。
記載は当然違いますが、同じことが二つ書かれていますね。両方とも出典がないので今のままでは間違いなくアウトですね。今回の一連のやり取りだと、どちらかに出典つけて、どちらかを出典なしになるから消すべきよね?と言いました。
今回の話と同じになりますね。それで言うと私の意見は棋戦拡大の経緯と、マイナビの概要とどちらにもそれとなく記載はあったほうが良いと考えているが、
貴殿は女流棋士のページだけをだけ出典つけて、概要のほうを出典なしでかつ同じ記事なので女流棋士ページ(あるいはその逆)にリンク貼ってすべて除去すべきって認識で間違いないですか?と貴殿の意見を聞きたかったという事です。
他方では、今回に近いケースで言えば、YAMADA杯のページを見ても「2016年に新設され、2017年の第2回までは「上州YAMADAチャレンジ杯」の名称で開催された。 」が出典なしで追加されていますが、同じことを女流棋士の棋戦拡大の箇所で無視するわけにはいかず、いずれ誰かが書かざるを得ないと思いますので、そこで出典ありで書くのであれば、リンクを誘導してここでは消す必要がありますよね。そこまでする必要があるのかって話です。
今回の議論はそのつもりでしたが………。
(2)「2015年現在の連盟、及び女流名人位戦創設時の当事者である蛸島氏・関根氏の両名が、いずれも1974年に創設された当時の本棋戦を『女流名人位戦』と呼んでいる」ことを考えると、
そこまで名称の変遷にこだわる必要はないと考えます。 → この根拠は何でしょう?貴殿がそう思ってるだけの話でしょうか?。その上で私はそう思わないと述べています。
「そもそもプレイヤーだった蛸島氏や関根氏や報知の北野記者が女流名人戦の当初の棋戦名と誤認しているのと、それを根拠に女流名人戦のページに書く必要がないのは全く別の話である。」
ようするにそこの認識だけの話になりますね。
こう考えるのはWikipediaに抵触しているのでしょうか?
例えば女流や棋士はインタビューなんかでリコー杯、ヤマダ杯、マイナビと略称で呼ぶことが多いわけですが(まりか三段の6月7日ツィートとか)、だからといって正式名称がさほど重要ではないのでページに書く必要性は感じないと考えるのはおかしいと思いますが。男性棋戦でもNHK杯や朝日杯も当初棋戦名は違ってまし、正式名称で呼ばれることは少ないですが、棋戦名の変換は重要ですよね。
最後は皮肉のようですが、そこまでするほど暇ではないとだけ回答します。ただ他人からすればどうでもいいような話題で議論めいたことを時間使ってどこの誰とも知らない人物としてるだけの話。
(3)言及したから答えただけです。女流棋士のページは追記はいずれ。
ただ一言だけ。相変わらず話がずれている。多分北野記者の誤記の可能性云々の書き込みで「WP:V」を強調してますが、本質はそこではない。他にも1966年とあるってソースもあるよって、それも追加したほうがいいんではって事。貴殿も同じセンテンスに出典二つ入れてる場合もありますよね。
それと読み辛いので工夫しましょうというのもそうですが、なぜ他にはないのにそこだけ突然「スポーツ報知によると」に違和感があったまでの話。それが記事でどうしても必要ならいいですがね。そうは思わなかったので。
(3 補足) 私が聞いたのはどういう根拠があって書いたのかってだけで、再確認ですが、つまりはここに関しては特に個人の考えだけで追記したという認識で問題ないですか?
「将棋界の年度は4月から3月までですが、ご存じないのでしょうか?」
何が言いたいのよくわかりません。もちろん前々期のイベント情報のリンクを貼り付けて
「※第四局が開催されない場合、湯原温泉杯あったまるオープン戦の単独開催となります。」
前々期は女流名人戦がなくても単独開催しますよって告知があったのに前期はなかったといったつもりなんですが。


--alterness 2018年7月21日 (土) 14:47 (UTC)


(1)他の記事の話に波及させたいのなら、その記事のノートに議論を立てて、具体的に問題提起をしてください。具体的な問題提起があって、はじめて意見を述べることができます。
貴殿「最初から女流棋士のページに書くのを一連の流れの中に女流プロ名人戦の記載を入れるのを否定していませんし、むしろ賛成してるぐらい。」
とのことですが、そういうことでしたら、女流名人戦(現)の創設の経緯については記事「女流棋士_(将棋)#女流棋士の誕生」に書き、本記事から誘導しているのですから、「女流名人位戦は、1974年の創設時には『第一回将棋女流プロ名人位戦』として開催された(「1974年11月27日付 報知新聞」。「初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも-2017年12月7日」」に掲載された記事画像)」と「女流棋士_(将棋)#女流棋士の誕生」に書けば済むのではないですか?
そもそも本記事では、「本棋戦の正式な棋戦名」について詳述していません。40年以上前に始まった本棋戦の「正式な棋戦名の変遷」について詳述しようとすれば、貴殿が「最後は皮肉のようですが、そこまでするほど暇ではないとだけ回答します。ただ他人からすればどうでもいいような話題で議論めいたことを時間使ってどこの誰とも知らない人物としてるだけの話。」と言いたくなるような膨大な努力が必要になるというのは、(2)で示しているとおりです。
(2)
貴殿「そもそもプレイヤーだった蛸島氏や関根氏や報知の北野記者が女流名人戦の当初の棋戦名と誤認している」
貴殿「こう考えるのはWikipediaに抵触しているのでしょうか?」
WP:V」をよく読んでください。貴殿がやっているのは「例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する」行為です。
貴殿「最後は皮肉のようですが、そこまでするほど暇ではないとだけ回答します。ただ他人からすればどうでもいいような話題で議論めいたことを時間使ってどこの誰とも知らない人物としてるだけの話。」
そういう発言は「WP:CIV」に抵触しますので警告します。
貴殿が言うような編集をするには、適正な出典を付すための努力が要りますよ、と申し上げた訳で、皮肉でも何でもありません。
なお、ウィキペディアの編集者の中には、容易に入手できない資料を大量に読み込み、現地に行って写真撮影をするなどの努力を重ねて、高く評価される記事を書いている方も実際におられます。
例「八丈小島のマレー糸状虫症」。
そういう方の真似をしろなどとは一言も申しませんが、私が言ったことを「皮肉」と解釈なさるのであれば、「ウィキペディアの方針文書を良く読んでください」と申し上げておきます。
(3)
記事「女流棋士 (将棋)」で「1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった蛸島彰子について(出典)、スポーツ報知は「(19)67年に初の女流棋士になった」としている(出典)。」と帰属化(WP:SUBSTANTIATE)を行っているのは、その後に「日本将棋連盟は、女流名人位戦が開始された1974年に女流棋士が誕生したとしており、2014年6月28日に女流棋士会の主催で「女流棋士発足40周年記念パーティー」が開かれた(出典)。」という記述があるからです。「WP:POV」を良くお読みください。
貴殿「貴殿も同じセンテンスに出典二つ入れてる場合もありますよね。」
私は「私は、「WP:SYN」に抵触してしまうことを避けるため、「ひとつの句読点について、複数の脚注をつけることは極力しない」ように自戒しております。」と申し上げておりますが。「AはBであり(出典1)、CはDである(出典2)」とするようにしており、「AはBであり(出典1)(出典2)、CはDである(出典3)(出典4)」とはしないよう自戒している、ということです。揚げ足取りは止めて下さい。
(4)「あったまる杯」の件については、「なお、2017年度は、第44期女流名人戦五番勝負の第5局が湯原温泉対局と予定されていたが、番勝負が第3局で決着したため、第5局の湯原温泉対局は実施されなかった(出典)。そのため「岡山県湯原温泉杯湯原あったまるオープン戦」も2017年度は開催されなかった。」を全て除去し、2017年度の「あったまる杯」については何も記載しない、とするのは構いません。「出典がないことは記述しない」のがウィキペディアの原則ですので。これは先に申し上げた通りです。
--Pooh456会話2018年7月21日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

話がかみ合わず、結局ブロック依頼されたようですね。 では最後かもしれませんが、一応申し上げますが

(1)書けば済むのではないですか?
→だから、思わないといっています(この議論のテーマ)。理由は上記(1)にあげた通り。
(2)「2015年現在の連盟、及び女流名人位戦創設時の当事者である蛸島氏・関根氏の両名が、いずれも1974年に創設された当時の本棋戦を『女流名人位戦』と呼んでいる」ことを考えると、そこまで名称の変遷にこだわる必要はないと考えます
→私はそうは思わないと言っている。
そもそも出典内容から貴殿はいらないと判断と考えるが、私はそうは思わないと考える。それは出展内容を論じているのではない。根拠は事例の上記(1)(2)にあげた通り。事例は別のページなので今回はかまわない。
それについて私の考えは決定的に間違っていますか?と言っているだけである。
WP:V」を適用する箇所がずっと間違っている。検証などもとめていない。
確かにWikiの方針をすべて把握しているわけではないので、貴殿が正しくて、私が反しているというのであれば教えていただきたい。と言っている。
(3)貴殿の出典だけ見ればそうですが
「さらに他にも私が提示した通り週刊将棋の関係者の記事では1966年プロデビューの認識である。(つまり誰かが誤認しているか、そもそも後付けで定義がないからバラバラである)。」
私はとある理由から、ある種の確証をもって、蛸島氏がデビューの記載が書かれた出典を勝手に別のに差し替えたら貴殿の出典はすべて間違いになりますよ?差し替えますが問題ないですか?と言っている。(もちろん検証は可能、ソースも信頼できる範囲)
そういうやり方はダメで、貴殿が正しくて、私が反しているというのであれば仕方ないが、そういう認識はないので。

--alterness 2018年7月22日 (日) 07:27 (UTC)

本棋戦の創設について

[編集]

標記の件について、編集合戦になることを防ぐために、私の編集(差分)の根拠を述べておきます。

(1) 創設時の名称:本棋戦が創設された際の、主催社である報知新聞(現:スポーツ報知)の1974年11月27日付の報道(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。)に「第一期将棋女流プロ名人位戦」とあります。「本棋戦の創設時の名称」について、これ以上に確実な出典はありません。

(2) 2019年現在の言及:記事で示しておりますように、主催社であるスポーツ報知(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。)(女流棋士、5年に1度の節目に59人が大集結…発足45周年の宴”. スポーツ報知 (2019年6月25日). 2019年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月9日閲覧。)、マイナビ出版(将棋年鑑、若手女流の気になるアンケート回答|将棋情報局”. 将棋情報局. マイナビ出版. 2019年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月9日閲覧。)、産経新聞(【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(4) 初の女性棋戦でタイトル獲得”. 産経新聞. 2018年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月9日閲覧。)とWP:Vを満たす4件の出典において、「1974年に報知新聞社が女流名人位戦(現・女流名人戦)を創設」という要領で、「女流名人位戦」という棋戦名で明確な言及がなされております。

2017年12月に蛸島彰子が引退を発表した際に共同通信が配信した記事(例:2017年12月7日-日経)で「女流プロ名人位戦」と言及されていますが、表記揺れと考えてもよさそうです。

2019年現在は「女流名人位戦が1974年に創設された」と広く言及されていると判断できますので、本記事において、「報知新聞の1974年11月27日付の報道で確認できる創設時の名称」は注釈で言及するに留めるのが妥当と考えます。 --Pooh456会話2019年7月9日 (火) 13:58 (UTC)[返信]


まず1年前に、同じ話題で議論になった時に途中で一方的に議論を打ち切ってブロックしようとしたのはあなたで、こうして蒸し返してきたのもあなたです。またかという感じなのは記載しておきます。

改めて私の考えを述べると、上記編集者はご存じないのかもしれませんが、1970年代より当の報知や近代将棋、将棋マガジン、将棋世界などでは、女流名人位戦は女流プロ名人戦の略称としてずっと使われていた経緯があります。基本的には当事者は女流名人位戦(もっと言えば女流名人戦)と言う事が多かった。当の蛸島名人、山下名人(こちらも女流名人ではなく蛸島名人、山下名人と称されることが多かった)、関根三段などの女流棋士のインタビューも女流プロ名人戦を女流名人戦と呼ぶことが多かった。よって上記のすべて表記はそれが定着しているだけの話です。手元にはないのでいちいち出典は出しませんが。

同じようにニュース記事で霧島酒造杯女流王将戦が「女流王将戦」(例:[1])、リコー杯女流王座戦がリコー杯、あるいは女流王座戦(例:[2])と呼ばれるのも同じです。倉敷藤花戦、マイナビ、清麗戦、レディース、YAMADA杯なんかも同じ。しかしこの記事にこう書かれているからこの棋戦名は「女流王将戦」「女流王座戦」であるとは言えません。要するに略称、通称を記載しているかどうかの話なだけです。

ちょうど同じ報知で例えると、今年は巨人創設85年だが、ミスターはこう言っているが([3]) 巨人を代表する人が巨人が出来て85年としか言及していないからこの出典を元に、巨人の創設時の経緯ことを書くときに「大日本東京野球倶楽部」はウィキペディアでは注釈で言いというのはおかしな話。

上記でいくらネットを探して来てもそれだけの話です。私の考えはこの棋戦は最初は女流名人位戦として創設されたわけではありませんという事です。

概要なので経緯を書くにあたり正式な名称を書くべきと考える。ネット記事は速報性が問われるので執筆者に認識に任されるが、推敲を重ねたと予測される女流棋士の香川女流三段の著書、「職業、女流棋士」(マイナビ出版)ではこの棋戦について女流プロ名人位戦となっている。同じく、理事であった田丸九段の「将棋界の事件簿」でも女流プロ名人位戦となっている。なのでここは正式な名称として女流プロ名人位戦としてスタートしたとするべきです。その他にも過去の将棋世界や報知などの記事を探せばいくらでもあるでしょうがキリがないので上記二つで十分です。

議論の要旨はつまり、あなたは女流名人位戦という通称のこと言っている、私はあくまでも女流プロ名人位戦という正式名称のことを言っている。それだけの話です。

私の編集に誤字脱字があるとかWP:Vに反しているとか出典がないとかならともかく、あなたが上記で書いている内容は、どれも概要に私が記載した元の出典を消してまで、自分の主張に固執する根拠としてはどれも薄弱です。そもそもあなたが出典としているスポーツ報知は、デッドリンクな上に、WP:NOTRSは違反していないのか?当然ながらスポーツ報知は将棋専門誌ではありません。ここにしか載っていない情報でもありません。

なお、一応この議論はあくまでも記載の有無ではなく注釈にするか、普通に書くかそれだけの単純な話の認識です。

--alterness 2019年7月9日 (火) 15:49 (UTC)

本件で問題となるのは、貴殿が除去(差分)した、出典のある記述
「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。))。」
です。
私は、この記述は除去すべきではなく、かつ、本文ではなく注釈に記載すべきであると考えます。
(1) 先に述べたことの繰り返しになりますが、本棋戦が1974年に創設された際の名称に言及する際に、「1974年当時の主催社(報知新聞)の報道」より確かな出典はない。
(2) 貴殿は「報知新聞(スポーツ報知)はWP:V#NRに抵触する」と言いたいようですが、少なくとも将棋分野の記事を編集する際には、スポーツ報知はWP:V#NRに抵触せず、WP:Vを満たす出典として使用できると思料します。根拠は、「(1)スポーツ報知は、将棋大賞選考委員会のメンバーである(『第46回将棋大賞選考会』「将棋世界」2019年6月号、119-121頁)。将棋大賞の選考に参加しているメディアは、少なくとも将棋分野の記事を編集するに当たっては、「信頼できない情報源」にあたる訳がありません。」「(2)私は今までに将棋分野の記事を編集する際に、スポーツ報知の記事を出典として何度も提示しておりますが、一度も異議を頂いたことはありません。」の2点です。なお井戸端での議論「Wikipedia:井戸端/subj/スポーツ新聞は「信頼できる出典」となりうるのか」では「スポーツ紙がWP:Vを満たすか否かは状況によって判断すべき」という結論が出ているようですのでご参照願います。
(3) この記述を注釈とするか、本文に出すかについてですが、「1974年に女流名人位戦が創設された」という旨の言及を行っている、主催社であるスポーツ報知を含めた「WP:Vを満たす4つ(3社)の出典」が提示されている以上、WP:NPOVに鑑み、本記事の本文においては「「女流名人位戦」として1974年度に創設されて以来(出典)」とし、創設時の棋戦名については注釈で述べるに留めるべきです。WP:Vを満たす多数の出典で「1974年度に創設された「将棋女流プロ名人位戦」が(出典)、何年度に「女流名人位戦」に改称され(出典)、2014年度に「女流名人戦」に改称されて(出典)、現在に至る」と言及されているのであれば、「将棋女流プロ名人位戦」を本文に記載すべきでしょうが、現状はそうなっておりません(貴殿が例示している「大日本東京野球倶楽部」は、巨人軍の創設について述べる際に必ず言及されているでしょうし、記事「読売ジャイアンツ」では「大日本東京野球倶楽部」に本文で言及しています)。貴殿は「2点の書籍で、創設時の名称に言及している」から、本文で創設時の名称に言及すべき、と仰りたいようですが、「Wikipedia:中立的な観点#対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」をご参照願います。
(4) 貴殿は、スポーツ報知の記事がリンク切れになっているからWP:Vに抵触する、という主張もしておられるようですが、Internet Archiveで検証できる以上、リンク切れであってもWP:Vを満たします。「リンク切れとなった時点でWP:Vを満たさなくなる」という主張の根拠は何でしょうか?なお、リンク切れであればWP:Vを満たさないのであれば、多数の記事において使用されているテンプレート{{Cite Web}}の変数に「アーカイブURL」「アーカイブ日付」「リンク切れ確認日付」があることの説明がつきません。
--Pooh456会話2019年7月14日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
あなたが注釈にするべきと思うのはどうぞ自由です。しかしながら私が外に出すべきと考えるのも自由です。前回の編集から1年近く経って、現在の女流名人戦の記事の全体像を見計らって複数の出典を出して直しました。それをあなたは自分の考えが金科玉条のごとく即座に消去したのでこういう事になっています。ちなみに元の出典は1年前に入れる入れないで議論になった後、議論停止になってその後あなたが勝手に注釈として追加したのがそのままになっているだけです。決して議論の結果ではない[4]
誤字脱字やウィキの違反や荒らしでなければ、手当り次第直すのは編集合戦につながる行為になるのでやめてください[5]。と何度も注意されているのはずです。理解はされていないのですか?
(1)(2)そこは論点ではない。しかしながらスポーツ報知出典を金科玉条にするのなら、相対的に産経やマイナビ情報局は出典としては二流という話になるがその認識でしょうか?もっと言えば過去のスポーツ報知ならばその出典じゃなくてもOKという事になるがと言っているようなものだが。
(3) 4つの出典というが、思い出しましょう。あなたが修正する前の版では[6]は出典は注釈とリンク切れの一つでした。それを私が二つ提示して記事を作成しました。ここからあなたがネットで必死になって出典らしきものを探して来ただけです。「Wikipedia:中立的な観点#対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」で自分が多数派だといいたいようですが、それならば1975年3月報知新聞の連載をはじめ、将世2014年9月号23ページ、近将1975年1月号40ぺージ、将棋マガジン、将棋ジャーナル、2004年の将世の女流の連載、1989年女流アマ名人戦に正式に変わった時の経緯の記事、過去の報知の女流プロ名人位戦の連載の記事を相当数出せば納得するというのでしょうか?いずれも主催者はじめ信頼できる最高レベルの出典になります。そういえば上記では共同通信でも女流プロと書かれているものを出していましたよね。そうなると女流名人位戦は少数派になる。そもそも前に書いた通り何度も言っているように女流名人位戦は女流プロ名人位戦の通称であり、そもそも注釈化するか本文化するかの話であって、中立云々のこれに当てはめるのは見当違いです。
WP:Vを満たす多数の出典で「1974年度に創設された「将棋女流プロ名人位戦」が(出典)、何年度に「女流名人位戦」に改称され(出典)、2014年度に「女流名人戦」に改称されて(出典)、現在に至る」と言及されているのであれば、「将棋女流プロ名人位戦」を本文に記載すべきでしょうが、現状はそうなっておりません。」
→こちらも同じで、自分の出典だけをもって話を進めているだけです。こちらも最初に私の出した出典の香川女流の著書の88ページでは「女流プロ名人位戦」でしたが40年を期に「女流名人戦」と名称が変更されました。と。それこそあなたが書いたとおりに書かれている。上記以外でも先に挙げたものも全て女流プロ名人位戦として創設されたとある。ではこれで納得するのですか?ここでは女流プロ名人位戦として創設されたかどうかであって、2014年変更云々は関係ない。
ジャイアンツの件は、だから注釈ではなく本文に書かれている、だからそうしましょうと言っている。誕生のところで、「12月26日に全日本代表チームの選手を中心にした選手19名で、後に巨人軍の前身となる大日本東京野球倶楽部が結成された。」とある。[7]。最初から「巨人が創設されました。」で「当時は大日本~と呼ばれていたと」注釈が書かれているわけではないと指摘しているのだが。
それにしても、王将戦棋聖戦なども正式名称を注釈ではなく本文として書かれている。それと同じように倣って当時は女流名人戦は女流アマ名人戦のことで女流プロ名人位戦として創設したんだからそれがわかるように、ちゃんとした出典がある形にして自然にそう書こうとしているだけです。注釈というのはあくまでもセンテンスに対して補足としての意味のためにあると思うが、私の出典付きの記事を即座に消してまで、本文に書きたくない理由はあるのですか?

--alterness 2019年7月14日 (日) 13:27 (UTC)

  • 貴殿は「(1)(2)そこは論点ではない。」とおっしゃっておられます。ということは、本記事に「「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞(“初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。))。」と記載することに異議はないということですね。
  • 現状の「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞。以下省略)。」という注釈について、貴殿が「「1974年度の創設時は「将棋女流プロ名人位戦」が正式名称であった(1974年11月27日付 報知新聞。以下省略)。****年度から****年度まで「女流プロ名人位戦」が正式名称であり(出典)、****年度に「女流名人位戦」が正式名称となった(出典)。」という注釈に変更すべきだ、と主張なさるのであれば、特に反対いたしません。
  • 貴殿にお願いしたいのですが、書籍を出典として使用する場合は、WP:CITEに従って書誌情報を正確に記載して下さい。貴殿がそれを怠ると、他の利用者が参考文献節の脱漏を補正する([8])ようなことになります。--Pooh456会話2019年7月15日 (月) 23:08 (UTC)[返信]
うーん、一旦まとめます。論点を知るうえでの女流名人戦のこれまでの年表です。もちろんすべて出典に言及されています。
1、1968年、女性アマチュアを対象にした女流名人戦(正式名称)が創設された。
2、1974年、史上初の女流プロ棋戦として現在の女流名人戦が報知新聞主催で女流プロ名人位戦(正式名称)として創設された。名人戦とあるのは、将棋界の最高権威であった名人戦に敬意を表してあえて区別するため。またにこれに伴って1968年創設された女流名人戦は女流プロ名人位戦に対して区別するために通称で女流アマ名人戦と呼ばれるようになった。この時点では1968年に作られた棋戦の正式名称はあくまでも女流名人戦のまま。
3、1989年、1968年にできた女流名人戦が正式に女流アマ名人戦と改称された。ただしこの時点では女流プロ名人位戦は正式に改称されず。
4、1974から2014まで女流プロ名人位戦は通称・略称として女流名人位戦(もしくは女流名人戦)として言われていた。
5、2014年、1974年の女流(プロ)名人位戦が女流名人戦と正式に改称された。
そして1年前にこれを踏まえてPooh456とAlternessでこの記事を追加するのかしないのかで議論になったが、結局議論が終結せず未了。その後、特に議論の再開する呼びかけも第三者に意見を求めることもなく、Pooh456が「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であったことを、スポーツ報知に掲載された当時の報知新聞記事画像を出典として追加[9]として独自の判断で追加。議論の結果ではない。
  • Pooh456の主張
    • 自身があげた出典でいずれも「女流名人位戦」として創設されたと記載している。だから女流名人位戦と書くのが正しい。(※ただし女流プロ名人位戦として創設されたと書かれているものも散見するが表記ゆれの範囲なので無視してよい)
    • 主催である報知新聞の当時の画像にそう書いているんだからそれが絶対的に正しい。だから注釈が正しい。
    • 先日引退した女流プロ第1号である蛸島彰子氏のインタビューで、当棋戦について女流名人位戦と言っている。当事者がそう言っているのだからそのことからプロが重要とは考えていないと推測。
  • Alternessの主張
    • 私があげた出典では、将棋連盟の当時の理事、さらに2018年に出版された現役の女流棋士が書いた書籍で女流棋界の歴史を振り返る箇所で女流プロ名人位戦として創設されたと記載している。
    • 1974年から1975年での将棋連盟が発行している将棋専門誌で将棋世界近代将棋、そして主催者である報知新聞の当時の記事を見ると何よりも、女流プロ名人位戦が創設されたと記載している。また2003年に出された女流棋士のオフィシャル本でも、当棋戦の経緯として女流プロ名人位戦が創設されたと記載している。
    • Pooh456が挙げた出典では確かに、蛸島氏などは女流名人位戦としているが、当棋戦については1975年の記事やインタビューなどで蛸島氏や棋譜の解説などでもすでに当初から女流プロ名人戦のことを女流名人位戦もしくは女流名人戦と略称で言う傾向があり、それが45年にわたって慣例化している状況は無視できない
    • 1974年に女流名人戦ができた当初は、すでに1968年に現在の女流アマ名人戦が女流名人戦として存在していたので、ちゃんとそれが書いてある出典もあるので、それがわかるように書きましょうと。1974年に女流名人位戦として創設されたとなるとそれは誤解を与える要素になる。
    • その他の将棋の棋戦のページを見ても、だいたい現在からみて違う棋戦名でも当時の正式名称を注釈化せずにそのまま記載している[10][11][12]。だからせっかくそれに言及している出典が複数あるので、他の棋戦のページに倣って、女流名人戦も同じ書き方でいいんじゃないのかと。
    • Pooh456のいうとおり、主催である報知新聞の当時の記事がそう書いているんだから絶対的に正しいというのはわかるので、そんなトリッキーな画像じゃなくて山のようにある過去の報知新聞の文章を出典にして注釈化せずにちゃんと書きましょうと。
Pooh456の主張 → 差分
棋戦名については当初は大山康晴の提案もあり、男性棋戦の「名人」に敬意を表し、「女流名人戦」とせず「女流名人位戦」という名称となった[6]。
「女流名人位戦」として1974年度に創設されて以来[7][8][9][1][注釈 2]
Alternessの主張 → 差分
棋戦名については当初は大山康晴の提案もあり、男性棋戦の「名人」に敬意を表し、「女流名人戦」とせず「女流名人位戦」という名称となった[5]。なお現在の女流アマ名人戦が「女流名人戦」としてすでに存在していたので、「女流プロ名人位戦」として創設された[1][6]。
違いは上記だけの話です。要するにどっちが正しいどっちが間違っているのではなくどちらがより文章としてツッコミがないかだけの話です。 --alterness 2019年7月28日 (日) 10:23 (UTC)
ついては、本記事の概要での創設当初の名称をなぜそう名付けられたのかを含めてより正確を記す必要があると考え、「女流名人位戦」という単なる通称名ではなく、数多くの出典(この棋戦の主催である将棋連盟が発行している出版物)を根拠に「女流プロ名人位戦」とし、差分の編集にすることを提案します。「差分の24行目」。ご意見をよろしくお願いします。なお大前提として、議論になっているPooh456氏の該当の編集は「Wikipedia:合意形成」に基づいて合意を形成した結果では全くありません。--alterness会話2019年8月11日 (日) 02:41 (UTC)[返信]

(インデント戻します)

(1) alterness氏の提案は、根拠を示さずに「自分の編集に復帰させたい」としているものです。「第三者が容易に理解できるように、極力簡潔に、提案の根拠を示す」ことをしないと、その提案に意見を述べることなどできません。それまでこの件に関わっていない第三者であればなおさらです。よって、 alterness氏の2019年8月11日 (日) 02:41 (UTC)の提案は、そもそも提案として成立していないと考えます。[返信]

(2)WP:CONLIMITEDには「いずれの場合でもコミュニティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができます。」と示されており、WP:TALKDONTREVERTには「コミュニティの議論はお知らせ、コメント依頼などのページで告知されます。」と示されております。一方、alterness氏は「Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼」を行っておりません。

「(1)提案に必須の「根拠」が示されていず、そもそも提案として成立していない」「(2)WP:CONに沿っていない」ことにより、alterness氏の2019年8月11日 (日) 02:41 (UTC)の提案の実行に反対いたします。alterness氏におかれては、提案をする前に、WP:CONを熟読願います。[返信]

また、ウィキペディアでは、ノートページで他の利用者に言及する場合は、「alterness氏」「alternessさん」などの最小限の敬称をつけるのが慣例です。様々な記事のノートページ、あるいは利用者の会話ページを参照すればすぐに分かるはずです。

WP:CIVでは

一方、「礼儀を忘れない」のルールは簡潔で明確です。つまり、ほかの人に対して丁寧にふるまわなければならないというだけのことです。

と示されております。

慣例に従って、ノートページで他の利用者に言及する場合は敬称をつけるようにして下さい。--Pooh456会話2019年8月18日 (日) 17:27 (UTC)[返信]

上記については修正・追加しました。これでよろしいか。--alterness会話2019年8月18日 (日) 18:58 (UTC)[返信]


<編集競合しましたので、alterness氏の2019年8月18日 (日) 18:58 (UTC)の発言は反映しておりません。>[返信]
alterness氏は、「Alternessの主張」として、「私があげた出典では、将棋連盟の当時の理事、さらに2018年に出版された現役の女流棋士が書いた書籍で女流棋界の歴史を振り返る箇所で女流プロ名人位戦として創設されたと記載している。」と発言しています(差分)。
それに先立ち、同じくalterness氏は、「推敲を重ねたと予測される女流棋士の香川女流三段の著書、「職業、女流棋士」(マイナビ出版)ではこの棋戦について女流プロ名人位戦となっている。」と発言しています(差分)。


alterness氏が典拠にしている香川愛生『職業、女流棋士』(マイナビ出版<マイナビ新書>、2018年)を確認した所、alterness氏の主張、及び方針文書の理解について疑義が生じましたので、指摘させて頂きます。


(1)『職業、女流棋士』で、alterness氏が言及している個所は、同書の88頁と思われます。その部分を引用します。
第1回のときは、歴史ある名人戦に敬意を払い「女流将棋プロ名人”位”戦」という名称でしたが、本棋戦創設から40年経過したとき、その歴史を認められ「女流名人戦」に名称が変更されます。
この一文を素直に読めば、この一文の主題が、「『位』という文字が挿入されていたのを40年後に外した」ことを述べているのは一目瞭然です。
またalterness氏は、複数回の発言で、「香川女流の書籍に『女流プロ名人位戦』と書いてある」と述べておりますが、実際の同書には「女流将棋プロ名人位戦」と記載されております。私が「本棋戦の創設時の名称」について言及する際に典拠としている「本棋戦が創設された際の、主催社である報知新聞(現:スポーツ報知)の1974年11月27日付の報道(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。)」では棋戦の名称は「第一回将棋女流プロ名人位戦」と表記されており、香川女流が書いているのとは語順が違います。香川女流の写し間違い・推敲漏れでしょうか。
(2)さらに、『職業、女流棋士』で、「1974年度の女流名人位戦の創設」について述べているのは、88頁だけではありません。
私が同書をざっと参照したところ、alterness氏が言及していると思われる88頁の他に、
「19頁・23頁(記載内容は88頁と同様で、より詳細)・92頁・94頁の4か所」
で言及されています。
それぞれの記載を引用しますと、
19頁「(前略)、1974年10月31日、第1回目の女流名人位戦の開催のときにはじめて、(後略)」
23頁「もともと「女流名人戦」は、江戸時代から続く棋士の名人たちに敬意を表し、「女流名人”位”戦」という名称でした。」(以下、2014年に”位”を取ったことを記述)
92頁「(前略)、女流プロ棋界最初のタイトル「女流名人位戦」が誕生する運びとなりました。」※香川愛生女流の文章ではなく、関根紀代子女流が寄稿した小文の中での言及。
94頁「創設当時、ほかの女流棋戦としては女流名人位戦と女流王将戦があり、(後略)」※女流王位戦について説明する項目。
いずれも「女流名人位戦」となっております。「本棋戦が創設された際の、主催社である報知新聞(現:スポーツ報知)の1974年11月27日付の報道」とも語順を除いて一致する「女流将棋プロ名人位戦」が1か所(88頁)で使われているのに対し、「女流名人位戦」が4か所で使われております。
(3)alterness氏は、『職業、女流棋士』を何度も引き合いに出している以上、同書を実際にお読みのはずですが、同書の記述はalterness氏の主張と整合しないようです。
(4)むしろ、仮に本記事における「本棋戦の創設」について言及した部分を、『職業、女流棋士』と「本棋戦が創設された際の、主催社である報知新聞(現:スポーツ報知)の1974年11月27日付の報道(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。)」の2つの文献を出典として記述するのであれば、現時点の本記事の記述


「「女流名人位戦」として1974年度に創設されて以来(出典:香川 2018, p.19, p.23, p.92, p.94)[注釈: 創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(出典:1974年11月27日付 報知新聞)]、本棋戦の主催社は報知新聞社で一貫しているが、棋戦名は何度か変更されている。」


を維持すべき、という結論になるように思料します。
(5)WP:YESPOVでは「ウィキペディアのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。」と示されております(太字は引用者による)。alterness氏におかれては、三大方針の一つであるWP:NPOVをいま一度ご確認ください。--Pooh456会話2019年8月18日 (日) 19:11 (UTC)[返信]
調べてもらうのはありがたいのですが上記については私が言っているのは、最初から言っているように棋戦が創設された内容が載っている88ページについてのみです。
この一文を素直に読めば、この一文の主題が、「『位』という文字が挿入されていたのを40年後に外した」ことを述べているのは一目瞭然です。→文意ではそうですが、私が言っているのはそこでなく、「第1回のときは、歴史ある名人戦に敬意を払い「女流将棋プロ名人”位”戦」という名称でした」と言及しているということです。
後、あげられている19、23、94ページについても知っていますが、あくまでも女流名人位戦が創設された時の話を直接的に言っている個所ではありません。だからあえて言及しないだけです。あとその他出典記事でも文章で最初だけ女流プロ名人位戦、二回目からは女流名人戦(位がない)記事も多数見受けられます。だからと言って正式名称が女流プロ名人位戦ではないとは言えません。女流王将やリコー杯と同じですよね。ある文章で棋戦名を書くときに一つの記事で全部が全部、正式名称を描くケースは少ない。例えばこれ。[13]。女流王将戦と女流王座戦はタイトルだけ正式名称で本文は略称で言及している。だからと言って略称の箇所だけを出典として、この棋戦の正式名称は「女流王座戦」であるといわないよね。なお、これは例なので、将棋世界など漁れば多数そういう個所はあります。
92ページについても議論の最初から蛸島氏や関根氏は1975年当時から女流名人位戦と略称でいう傾向があるといっています。二人が女流プロ名人位戦と言っていないから他のページ(88ページ)で書かれているにもかかわらずそれを無視して、この棋戦名の正式名称が女流プロ名人位戦ではないとは当然言えません。
ここで重要なのは少なくとも同書については88ページで第1回のときは、歴史ある名人戦に敬意を払い「女流将棋プロ名人”位”戦」という名称と言及していることが重要と考えています。
「「女流名人位戦」として1974年度に創設されて以来(出典:香川 2018, p.19, p.23, p.92, p.94)[注釈: 創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(出典:1974年11月27日付 報知新聞)]、本棋戦の主催社は報知新聞社で一貫しているが、棋戦名は何度か変更されている。」
→私は88ページ以外に上記の観点で重要性はないといいましたが、あなたはわざわざ女流プロ名人位戦と言及している88ページだけを意図的に除外して恣意的で強引に進めようとするのはなぜですか?意味不明です。
なお、あなたが女流プロ名人位戦と女流名人位戦で表記ゆれがあるではないかというのならばこの出典を使わないようにする事はやぶさかではありません。代わりに将棋年鑑や1975年時点の将棋世界や報知新聞の記事など最高レベルの精度の高い他の出典を使うことは可能です。しかしながらそうなると出典は山のようにあるので、結局のところ最終的には答えなどなく、記載を本文にするのか注釈にするか、どっちのほうがいいのかという単純な話になります。--alterness会話2019年8月18日 (日) 19:48 (UTC)[返信]
上記のようにこれまでの議論のように女流プロ名人位戦という名称で創設されたというのはPooh456氏も認めてくれているようです。
それをもとにどちらで書くかがお互いに譲らず、結論ありきで、そこからお互い自分の都合のいい情報だけを出典を抜き出して自己の主張をしている状況です。もちろんどちらの言い分も方法としては自分の出典ではこうなっていると言っている、恣意的に相手の出典を無視している形をとっているので正解でしょう。しかしそれでは最初から恣意的な判断が入るので、中立的な視点になりえません。そこで、私はこれまでPooh456氏の主張について、なぜ注釈ではだめなのか、なぜ普通に本文に記載するべきか、なぜみんな女流名人位戦と言っているのかだから本文に記載するべきと具体例をもって詳しく書いていたつもりですが、残念ながら先方はそういう反論はせずに自己主張するだけです。
Pooh456氏にお願いしたいのは、なぜ本文に書くことがダメな理由、注釈に頑なにこだわる理由など、その理由をあなたに対する反論に反論する形で書いてください。自分の都合のいい情報だけを持ってきてこうだから、こうするべきはもういらないです。 一応言っておきますが、あなたは「「1974年当時の主催社(報知新聞)の報道」より確かな出典はない。なので本文ではなく注釈に記載すべきであると考えます。」しか言われないのでその根拠が意味不明です。どこかに1974年当時の主催社(報知新聞)の報道より確かな出典って書かれているのですか?それはあなたの単なる個人的な思いでしかありません。仮にそうであればWP:YESPOVの信頼できる情報であれば1974年の将棋連盟の機関紙の記事もまた同じぐらい信頼できるはずです。と言っておきます。あと議論に関係ない話はできるだけ私のノートに書いて下さい。 --alterness会話2019年8月19日 (月) 02:52 (UTC)[返信]


本件について、コメント依頼を提出していますので[14]、ここまで再度まとめます。
Alterness、Pooh456氏ともに、この棋戦の当初の棋戦名が「女流プロ名人位戦」であることに異論を持っているわけではない
つまり本文中に女流プロ名人位戦を記載することでは一致しています。ではそれをどう記載するべきかという事です。
Pooh456氏はあくまでも「女流名人位戦として創設された」を記載して、「女流プロ名人位戦」の記載を注釈に収めることにこだわっているようです。ちなみにPooh456の出典は[15]の本文でなく、上から3つ目の画像を抜き出してそこに書かれている記載の事です。また「女流名人位戦」というのは「女流プロ名人位戦」の略称の事です。
私としてはこの棋戦に主催者である1974年に創設された当時にの「報知新聞」「将棋連盟が発行している将棋関連」のそれそれの記事に「女流プロ名人位戦」とあるので、出典をそちらにして1974年の記事をもとに、本文に正式名称を書きましょうと言っているだけの話です。
しかし出典によっては「女流名人位戦として創設された(これは女流名人位戦という名称として創設されたということを言いたいわけではなく、女流名人ではなく女流名人「位」であることを強調している)」「女流プロ名人位戦として創設された」の2パターンが書かれている場合が多く、結局のところ自分の都合のいい出典を出しているだけにすぎません。なのでどこまで行っても平行線です。結局ひたすら自分の主張をいうだけで話が進みません。


では、次の段階としては、ではなぜ本文に書くべきかを議論しようと試みまして
  • 1993年度(第20期)「アルゼ杯女流名人位戦」(第20期よりアルゼが特別協賛となったため)
  • 2010年度(第37期)「ユニバーサル杯女流名人位戦」(アルゼの「ユニバーサルエンターテインメント」への社名変更(2009年11月1日)による)
私Alternessとしては上記のように本文中にこの棋戦名称の正式名称の遍歴を記載しているので、一番最初の正式名称だけなぜか略称して、わざざわ注釈で正式名称を出すのはバランスが悪いので、だったら注釈なんか使わず(注釈にするべき事由がない)に同じように正式名称を本文に書きましょうと何度か書かせていただきました。本当にそれだけの単純な話です
それを踏まえて、Pooh456氏が注釈にするべき理由として「「1974年当時の主催社(報知新聞)の報道」より確かな出典はない。なので本文ではなく注釈に記載すべきであると考えます。」というよくわからない理由で注釈することに固執しているようです。日本語として「1974年当時の主催社(報知新聞)の報道」より確かな出典はない」と「注釈にするべき」は関連性はあまりありません。
しかしながら私としては「1974年当時の主催社(報知新聞)の報道」より確かな出典はない。」には同意できるところもあるので、だから画像なんかではなく、当時の文章を手元に持っているので、それを出典として用いることには反対していません。
その回答を含めて、現在Pooh456氏が、なぜ注釈なけがればいけないのかの詳しい回答を待っている段階になります。注釈するべきちゃんとした理由をがあればいいのですが、そうでなければ私としては引けないでしょう。 --alterness会話2019年8月20日 (火) 12:25 (UTC)[返信]

(インデント戻します)

  • alterness氏におかれては、第三者にも分かりやすいように議論することを心がけて下さい。現時点で既に、この件について最初から関わっている私でも、alterness氏の発言はあまりにも長く、あまりにも複雑で、何を言いたいのか理解できません。alterness氏が「議論活性化のためのコメント依頼」(差分)を行っても、第三者様が議論に参加して頂けないのは、「議論の内容が理解できないから」であると思料します。
  • 本棋戦の創設時の名称については、「将棋女流プロ名人位戦」(出典:1974年11月27日付 報知新聞)または「女流将棋プロ名人位戦」(出典:香川 2018, p.88)の2つで語順が相違しておりますが、「1974年の棋戦創立当時の主催社の報道の表記」と、「1974年には生まれてもいない女流棋士が2018年に書いた本の表記」とでは、前者の「将棋女流プロ名人位戦」を採用すべきでしょう。
  • alterness氏は「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった」を、注釈ではなく本文に記載すべき、と主張しておられます。私がそれに反対するのは、alterness氏が自己の主張の根拠としてきた香川愛生『職業、女流棋士』(マイナビ出版<マイナビ新書>、2018年)、その他あらゆる「2019年現在のWP:Vを満たす出典」が一致して「1974年に『女流名人位戦』が創設された」としているからです。
  • 2019年に百科事典を編集する以上、「2019年現在、社会で認識されていること」を本文に記載すべきです。その上で、1974年の棋戦創設当時の出典を提示して、「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった」と注釈で書けば必要十分です。--Pooh456会話2019年8月22日 (木) 19:38 (UTC)[返信]
  • Pooh456氏は上記の主張は本文に女流名人位戦、女流プロ名人位戦の出典については「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった」を注釈に記載すべき、と固執しておられます。私がそれに反対するのは、その他複数のWP:Vを満たす出典[16][17]、および香川愛生『職業、女流棋士』(マイナビ出版<マイナビ新書>、2018年、p88)で「将棋女流プロ名人位戦」「女流プロ名人位戦」という存在しているにもかかわらず、自己の主張にこだわるために他者の意図を理解を示そうともせず、意図的にその出典を無視しているように思えるからです。この姿勢は不誠実で対話拒否と感じます。
  • なぜ注釈にするべきではないのかというかと、この棋戦が創設されたときにはアマチュア棋戦「女流名人戦」がすでにそれ以前の1968年に創設されていた事実があり、1974年に創設された当棋戦は「女流プロ名人位戦」はそれと区別するために「プロ」と入れられました。(出典:田丸昇九段の「将棋界の事件簿」、2005年、p123)他。その場合にここに「女流名人位戦として創設された」だとどうしても事実としておかしくなるのです。なので読者の混乱を防ぐために区別するためWP:Vを満たす形で出典(前述の田丸昇九段の「将棋界の事件簿」)をつけて差分のように書こうとしているだけの話です。
  • Pooh456氏がどうしても頑なに自己主張に固執するのなら、現在提起されているWikipedia:コメント依頼/Pooh456 3回目のMiraburuさんの助言「差分」を受けて、私なりの妥協点として注釈に「(Pooh456氏のあげた)出典では女流名人位戦として創設されたとある」「ただし開始当初から現在に至るまで関係者の間では文字数の制限もあり女流プロ名人位戦を女流名人位戦と略称で呼ぶことが多くそれが定着していった」と「WP:Vを満たす形で出典をつけて入れることには反対しません。--alterness会話2019年8月24日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
報告 alterness氏の行った「議論活性化のためのコメント依頼(差分)」では議論の所在場所が不明確でしたので、修正しました(差分)。--Pooh456会話2019年9月1日 (日) 00:17 (UTC)[返信]
(1)この棋戦の創設時の正式名称は「将棋女流プロ名人位戦」(出典:1974年11月27日付 報知新聞)であったと考えるしかないと思料します。alterness氏は、この棋戦の創設時の正式名称について、最初の「将棋」を取った「女流プロ名人位戦」という表記に拘っておられるようですが、理由が分かりません。
(2)alterness氏は「将棋女流プロ名人位戦(女流プロ名人位戦)」が正式名称、「女流名人位戦」は略称、ということに拘っておられるようですが、「女流名人位戦」はいつ正式名称になったのでしょうか?あるいは「アルゼ杯」と冠名がつくまで、ずっと「将棋女流プロ名人位戦(女流プロ名人位戦)」が正式名称で、「女流名人位戦」は略称だったのでしょうか?「正式名称の変遷」について出典を提示して明らかにして頂かないと「ただし開始当初から現在に至るまで関係者の間では文字数の制限もあり女流プロ名人位戦を女流名人位戦と略称で呼ぶことが多くそれが定着していった」というのは不正確な記述になると思料します。
(3)alterness氏が2019年8月24日 (土) 13:04 (UTC)に妥協案を提示して下さった(差分)のは大変結構なことですが、上記(1)(2)についてご確認下さい。--Pooh456会話2019年9月1日 (日) 01:03 (UTC)[返信]
(1)近代将棋1975年1月号の40pのこの棋戦開始を特集したレポートでは『11月4日の報知新聞に「女流プロ名人位戦」と銘打って公式戦がしてスタートした』を含めて4回も「女流プロ名人位戦」と書かれている。前述の田丸本もそう書いている。これら出典を提示したうえで、その事実を踏まえて前述の報知の画像や香川本については「将棋女流プロ名人位戦」は「(将棋)女流プロ名人位戦」と括弧付で考えるのが自然では?そうでないと整合性が合いません。これ両論併記するレベルの話ですか?なお手元にある1988年8月の報知の将棋欄の記事では「第15期女流プロ名人位戦」とこの時点で「将棋」の文字はなくなっています。
(2)平成の歩みの1995年の箇所、27期28期29期、これらを見るとそれまでは一貫して女流プロ名人位戦だったが、29期(2002年)を機に明確に「女流プロ名人位戦」から「アルゼ杯女流名人位戦」になっている(なので概要で「1993年アルゼ杯になった」のと書かれているのは間違い、ちなみに2002年以前は正確にはセタ杯争奪第~期女流プロ名人位戦)。この時点でプロが取れて「女流名人位戦」が正式名称になったと言える。その上で、一例として将棋世界1988年年5月号116pの「特集、女流棋界」、あるいは近代将棋1998年3月号106pの「蛸島彰子と女流棋界の歩み」などを確認すると、文章が全面的に「女流名人位戦が…」と棋戦名が「女流プロ名人位戦」であるこの時点ですでに普通にプロを略称した形で普通に使われていたよう。よって「女流プロ名人位戦」を早い段階から「女流名人位戦」と通称で呼ばれていたことはこれで証明できる。なお言うまでもないですが「女流プロ名人位戦」と正式に書いてる文献ももちろんあります。--alterness会話2019年9月1日 (日) 16:01 (UTC)[返信]
(1)本棋戦が創設された際の、主催社である報知新聞(現:スポーツ報知)の1974年11月27日付の報道(初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。)が検証可能な状態で存在します。それを出典として提示して「創設時は「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞)。」と記載するのがどうしても気に入らないようですね。わざわざ他の出典を持ち出して話を複雑な方向に持って行く必要はないと思料します。
(2)本棋戦の正式名称の変遷については、alterness氏も確実な出典はお持ちでないことが分かりました。ウィキペディアでは「WP:Vを満たす出典を提示できないことは書かない」のがルールですので、正式名称の変遷については言及しないのが妥当と思料します。
(3)私もこの記事で「1993年度(第20期)「アルゼ杯女流名人位戦」(第20期よりアルゼが特別協賛となったため)」が無出典であるのは気になっておりました。なお、この一文の記述は「明白な誤り」であることが判明しました。(6)で説明します。
(4)本棋戦の正式名称が、2009年度に行われた第36期で「ユニバーサル杯女流名人位戦」であったことには出典を提示できます(「ユニバーサル杯第36期女流名人位戦五番勝負、開幕(女流名人戦中継ブログの2010年1月19日の記事)」)。その1期前の2009年度に行われた第35期で本棋戦の正式名称が「アルゼ杯女流名人位戦」であったことは、連盟公式の「第35期女流名人位戦表彰式・祝賀パーティー」の「集合写真画像」に「アルゼ杯第35期女流名人位戦表彰式」とあることで出典を一応提示できます。なお、この記事の本文では「第35期女流名人位戦」という表記しかしていず、34期や33期の開催当時の連盟公式(34期)(33期)でも「第34期女流名人位戦」「第33期女流名人位戦」と表記しているのが確認できます。
(5)現状「2010年度(第37期)「ユニバーサル杯女流名人位戦」(アルゼの「ユニバーサルエンターテインメント」への社名変更(2009年11月1日)による)」と記述している部分は、「2009年度(第36期) 『ユニバーサル杯女流名人位戦』(出典)」と正しい情報に修正した上で、注釈で「2009年度の第36期の表彰式・祝賀パーティーでは『アルゼ杯第35期女流名人位戦表彰式』と掲示されていた(出典)。「アルゼ株式会社」は、2009年11月に「株式会社ユニバーサルエンターテインメント」に社名を変更した(出典)」と、WP:Vを満たす出典で検証できる事実のみを記載するのが妥当と思料します。
(6)なお、現在の「株式会社ユニバーサルエンターテインメント」の源流となる会社が「「アルゼ株式会社」となったのは1998年4月ですので(株式会社ユニバーサルエンターテインメント 有価証券報告書 第46期 2018年1月1日から2018年12月31日)、現状の本記事の記述「1993年度(第20期)「アルゼ杯女流名人位戦」(第20期よりアルゼが特別協賛となったため)」は、無出典かつ明確な誤りですので、除去すべきです。
(7)以上、現時点でWP:Vを満たす出典で検証できたことを述べました。
(8)以上で述べたことを反映した修正案「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」を作成しましたalterness氏が2019年8月24日 (土) 13:04 (UTC)に言及なさった(差分)「ただし開始当初から現在に至るまで関係者の間では文字数の制限もあり女流プロ名人位戦を女流名人位戦と略称で呼ぶことが多くそれが定着していった」といった形の注釈は含んでおりませんが、そのような注釈の設置を否定するわけではありませんので誤解なきよう願います。--Pooh456会話2019年9月2日 (月) 01:06 (UTC)[返信]
修正案「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」に、わかりやすくするための便宜上、注釈「ただし開始当初から現在に至るまで関係者の間では文字数の制限もあり「将棋女流プロ名人位戦」を「女流名人位戦」と略称で呼ぶことが多くそれが定着していった。」を設置しておきました。--Pooh456会話2019年9月2日 (月) 07:28 (UTC)[返信]
(1)WP:YESPOVでは「ウィキペディアのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。」と示されております。論争はないが違うことが書いてある出典が複数あるのなら、その情報を照らし合わせるべきです。
もともとは、より詳細に書かれた正確性の高い出典に置き換えた上で文意を変えずに編集をしたのですが「編集」、Pooh456氏が1時間で即座にリバート「編集」してきたので、Pooh456氏の主張の欠点を「差分」および、なぜ注釈ではダメなのかを私としての考え「差分」を具体的な例を踏まえてすでに述べています。再度お読みください。それに対して「差分」の(1)のように気にいらないからという回答しかできないのであればそれは対話拒否に当たります。対話拒否はおやめください。
私は利用者:Miraburuさんの助言「差分」もあり、それなりの歩み寄りをしました。Pooh456氏は何をしてくれるのですか?この不毛ともいえるやり取りを永遠にやり続けたいという事なら私としては今後何年でも付き合いますが、収束させたいと思っているのなら、自己の主張に固執するのではなく、相手の意図を理解して、何かしらの妥協点を示してください。でないといつまでたっても終わりません。 WP:CIVには礼儀を守るためのヒントとしてこう書かれています。「単純に差し戻しをしない。たとえ個人的に気に入らない編集をされても、まず参考文献を求めたり、記事内容を改善したり、またノートページで議論をする。差し戻し前には熟慮し第三者から見ても明らかな荒らし行為にとどめる。」「争いの根本を解決したり、妥協を見出すようにする」。これらについて少なくとも今回はこれに明確に違反しています。
Wikipedia:コメント依頼/硫黄島でPooh456氏は7月30日に利用者:Bellcricketさんとの会話でWP:CIVについてこう差分やりとしています。これを忘れずにいられたい。
(2)ユニバーサルの事業内容ではこう書かれています[18]「当社グループは、1993年(第20期)より、女流棋界の発展、ひいては日本文化振興への貢献という意味も込めて、この「女流名人戦」に特別協賛しています」。つまり1993年から特別協賛はしているけど、その上で冠名になったのは2002年からという話です(ちなみに将棋年鑑でも2002年に初めて「アルゼ杯」が登場しています)。冠名の遍歴は件は以前に私が編集しましたが勘違いしていたようです。しかしこうなると、あなたのサンドボックスみたいに、中途半端に抜けた状態でアクロバティックな出典にしてまでここに載せるほどの重要性があるわけではないので、遍歴を全部やめてセタもアルゼもユニバーサルも岡田美術館も冠名は一切言及しないのが無難だと思います。つまり上記の理由でWP:Vを満たす記載を同意のもとに除去した上で、1974年に女流プロ名人位戦ができた。1993年にユニバーサルが特別協賛になった。2014年に40年を期に女流名人位戦から女流名人戦となったとだけ書けばいいと思う。--alterness会話2019年9月2日 (月) 12:34 (UTC)[返信]

(インデント戻します) alterness氏の2019年9月2日 (月) 12:34 (UTC)のコメントを反映して、「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」に修正を加えました。「冠」について一切触れないのはさすがにどうかと思われますので、青野照市の文章(夕刊フジ)を出典として提示し、最小限の記述を行いました。--Pooh456会話2019年9月2日 (月) 21:43 (UTC)[返信]

報告
この議論については、「議論活性化のためのコメント依頼」がなされております(差分)。また本記事において議論の告知がなされております(差分)。
alternessの2019年9月2日 (月) 12:34(UTC)のコメント(差分)を受けて、改めて2019年9月2日 (月) 21:43 (UTC)に修正案「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」を提示してから(差分)、1週間が経過しましたが、どなたからもコメントがありません。[返信]
Wikipedia:合意形成#合意形成の定めにより合意が形成されたと看做し、修正案「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」の「2019年9月2日 (月) 22:20(UTC)の版」による編集を実施します。--Pooh456会話2019年9月10日 (火) 00:49 (UTC)[返信]

女流棋士の編集でAlterness氏の編集履歴を見てここにたどり着きました。確かにWikipedia:合意形成#合意形成には「異論がなければ、提案がそのまま決定事項」と書かれていますが、本件の場合は論点がわかりにくいがために(論争以外の第三者から)誰からもコメントが付かなかったとしか思えません。よって、この場合は合意形成は満たしていないと思います。もしも「誰からもコメントがつかない=異論が無い」→「提案がそのまま決定事項」とお考えならWikipedia:規則の悪用に該当すると思います。--夕焼けの贅肉会話) 2019年9月22日 (日) 17:54 (UTC)少し言葉足らずなので補足しますが、一般論としては「異論がないのでわざわざコメントしない」というケースは多々あるでしょう。その場合は別にそのまま決定してもいいと思います。しかし、今回の場合は「読んでも論点がよくわからずコメントできない」に近い気がします(私も女流棋士には多少興味があり努力して本節を読んだのですがよくわかりませんでした)。--夕焼けの贅肉会話2019年9月22日 (日) 18:03 (UTC)[返信]


夕焼けの贅肉さん、コメントありがとうございます。

夕焼けの贅肉さんのコメントを拝見して、Wikipedia:合意形成#合意形成には「異論がなければ、提案がそのまま決定事項」とあるが、「提案の論点が提案者以外に分からない状況なので、第三者からコメントがつかなかった」と判断できる場合には、前記を適用すべきでない(適用すれば、「Wikipedia:規則の悪用に該当する」)と仰っておられると理解しました。

その場合に、提案者が自主的に提案を取り下げれば、そこで議論は収束します。しかし、提案者であるalterness氏にその意思は全くなかったと思われますので、その可能性は無視して良いでしょう。

夕焼けの贅肉さんは、『議論活性化のためのコメント依頼』を2019年8月18日 (日) 18:08(UTC)に行っても(差分)、2019年9月22日 (日) 17:54 (UTC)に夕焼けの贅肉さんがコメントをして頂けるまで、1か月以上、第三者様からのコメントがなかった今回の件について、「どのような対処であればWikipedia:規則の悪用に該当せず、適切であった」とお考えでしょうか?--Pooh456会話2019年9月22日 (日) 21:38 (UTC)[返信]

色々な場所でコメントを依頼されているのは存じています。必要なのは、事情を知らない第三者にもわかるようPooh456氏の提案内容とAlterness氏との対立している論点を主要なものだけでも良いので明確にすることかと思います。現在の当節の文面では、すでに論争に入っていて事情を知っている人にしか理解できないような書き方としか思えません。「修正案「利用者:Pooh456/sandbox女流名人戦_(将棋)」の「2019年9月2日 (月) 22:20(UTC)の版」」と最後に示されていますが、差分もわかりません。記事本文の編集履歴を見ただけでは対立点が多岐にわたっており理解できる「きっかけ」がつかめないです。--夕焼けの贅肉会話) 2019年9月22日 (日) 23:23 (UTC) 最三者にも理解できるように努力されているのはわかりました。少し査読が必要なので、それまでは上記発言の一部を取り消します。--夕焼けの贅肉会話2019年9月22日 (日) 23:50 (UTC)[返信]

"女流プロ名人位戦"の記載については、1974年11月27日付 報知新聞の現物が有り、さらに将棋連盟の公式サイトに冠がつく直前の27、28大会において、"女流プロ名人位戦"と明記されている以上、信頼性のある情報源で検証できるのは明らかです。1990年と1989年の将棋世界でも「特集 第16期女流プロ名人位戦」「最終局までもつれ込んだ第15期女流プロ名人位戦を振り返る」 の記載を確認できました。よって脚注部分のみに"女流プロ名人位戦"を記載する編集方針には疑問を感じます。よって、"女流プロ名人位戦"の記載方法についてはAlterness氏寄りです。メディアによって表記揺れがあるのであれば、普遍的な二者択一的に近い記載ではなく表記ゆれがあるのを示してもいいと思います。ただし「棋譜解説や記事で文字数の制限もあり」といった注釈は独自研究にあたるので不要だと思います。夕焼けの贅肉会話2019年9月23日 (月) 01:51 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。コンフリクトしている対立者がヒートアップして説明過多なり、余計に第三者の参加を阻んでいたことは反省しています。私の考えでは、この棋戦の概要を語るうえで、名称が「女流プロ名人位戦」だったのは決して最初だけではなく、その後28年にも渡って維持し続け、29年目を機に変わったことはどうしても書くべき事柄だと思うので、こちらが「差分」一番オーソドックスな書き方なのではと思います。メディアでの表記ゆれは妙案は思いつきませんが、独自研究にならない形としては、複数出典を示して『ただし「女流名人位戦として創設された」などと書かれている物もあり、表記にバラつきがある。』ぐらいでしょうか --alterness会話2019年9月23日 (月) 04:23 (UTC)[返信]
最新のAlterness氏の編集については基本的に支持致します。「表記にバラつきがある。」は改良の余地はあるかもしれませんが暫定的にはいいと思います。こちらの議論について、さらに考えを述べようと思ったのですが、直前で私が理解不足している点を見つけるなど下書き部分を書いては消しての繰り返しで、結果的に意見を述べられずにすみませんでした。--夕焼けの贅肉会話2019年10月6日 (日) 16:53 (UTC)[返信]