ノート:太平洋戦争/過去ログ2
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:太平洋戦争で行ってください。 |
開戦と終戦の放送
[編集]開戦時と終戦時のNHKの放送のファイルをコモンズで見つけました。Monaneko氏のアップロードしたファイルです。保護が解けたときに自分の手で追加できればなと思ったのですが、私は忘れてしまっている可能性が高いように思います。ですが重要なファイルと思いますので、保護解除時にどなたかが音声ファイルを追加できる形にしておこう、と考え、ここにソースを貼らせていただくことにいたしました。
ちなみにこれらの音声は旧著作権法11条により、パブリックドメインの資料として扱われます。Was a bee 2007年1月9日 (火) 12:40 (UTC)
- 平成19年3月をもっておおよそ一年に及ぶの保護が解除されていたので、追加しました。--Qoo 2008年2月18日 (月) 21:42 (UTC)
呼称に関する議論の転記を提案
[編集]太平洋戦争#呼称に関する議論の節は、大東亜戦争と重複となっています。呼称に関する議論は大東亜戦争でまとめて論じればよく、太平洋戦争にはそちらへの誘導があればよいと思います。もう少し様子を見た後に項目一部転記を提案します。--Cave cattum 2007年8月26日 (日) 04:19 (UTC)
交戦勢力について
[編集]ベトナム帝国やビルマ国といった傀儡的性格が強く戦闘にも殆ど未参加の国まで、羅列する必要はないのではありませんか。
英語版表記にあるくらいの数を載せておけば、それで十分ではないでしょうか。
もし主権の有無や、戦闘参加の有無に関らず、戦争に参加の宣言をした国を機械的に載せる、というスタンスを取るならば、公平性を期すため、連合国側からも例えば、南ア連邦、コロンビア、エルサルバドル、コスタリカ、ドミニカ、ニカラグア、ハイチ、グァテマラ、ホンジュラス、パナマ、キューバ、ベルギー、メキシコ、イラク、ノルウェー、ボリビア 、リベリア、フィンランド、ルーマニア、ブルガリア、エクアドル、ペルー、パラグアイ、ベネズエラ、ウルグアイ、トルコ、エジプト、シリア、レバノン、イラン、サウジアラビア、アルゼンチン、といった国々を掲載してもいいことになります。でも、そうなるとページは言い様もないほど煩雑になるうえ、表記されているうちの大半が太平洋戦争での戦闘に未参加ですし、この戦争についてはじめて知るためにこのページを覗いたような人には誤解を与えやすくもなるでしょう。主な「交戦国」については、幾つかの国は省いて、英語版他、他言語版表記程度の掲載に留めたほうがいいと思います。--希望 2007年8月30日 (木) 03:31 (UTC)
- 賛成します。対処はお任せします。--Cave cattum 2007年8月30日 (木) 03:59 (UTC)
- あくまで主要参戦国というなら、戦闘には殆ど不参加のタイは外すべきだと思います。一方、数千人の戦死者を出しているインド国民軍の自由インド仮政府はタイよりよほど資格があると思いますが。あと、満洲国も、こんにち傀儡国家とされているとはいえ当時20ヶ国が承認しており、交戦もしており載せてもおかしくはないと思います。--KASAGI 2008年8月15日 (金) 11:24 (UTC)
評価の記載
[編集]戦争に対して評価することは非常に不適切である。評価というのは個人的な意見にすぎない。他の言語も「評価」というものを乗せてないのに、日本語版はちょっとおかしいではないでしょうか—以上の署名の無いコメントは、220.29.214.170(会話/whois)さんが[2007年9月9日 (日) 04:45 (UTC)]に投稿したものです(Cave cattumによる付記)。
改めて違う言葉のページ(英語、フランス語、中国語、韓国語、ドイツ語、スペイン語、インドネシア語、イタリア語)を確認したが戦争の評価を記載したバージョンなんかひとつもなかった。そもそも中立性が必要とするような文章の中には、評価(COMMENT)を含むのはタブーであるはず。事件後の状況を述べるのなら、スペイン版のように、数字データ二次資料などに基づいた分析の上で、結果(英:consequence 西:consecuencias)や影響(influence)を書くのが一般的である。三次資料を書く者としての心構えが欠けていると思う。日本語版のレベルを下げないでください。—以上の署名の無いコメントは、220.29.214.170(会話/whois)さんが[2007年9月12日 (水) 15:40]に投稿したものです(Cave cattumによる付記)。
若干表現を修正したが、この項目の存在自体が意味不明。しかも日本軍に肯定的な意見を述べた識者だけを取り上げている。意味不明 この太平洋戦争の記述自体おかしいところが多数見受けられる。 再考を求める--以上の署名のないコメントは、113.41.49.142(会話/Whois)さんが 2014年10月13日 (月) 12:12 (UTC) に投稿したものです(Isamit(会話)による付記)。
原爆の死亡者数
[編集]「最終局面(1945年)」節で、
>8月6日に広島へ投下、次いで8月9日に長崎への投下が行われ、投下直後に死亡した百万人弱にあわせ、
とありますが、多すぎます。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page013.html
によりますと、「90(平成2)年5月15日に厚生省は、被爆者の死没を両市あわせて29万5956人と発表している。」 らしいです。 Ibm 111 2007年9月15日 (土) 16:12 (UTC)
- http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/kusyu-atmic.htm
- かの残虐なる爆弾の被害者の数が即死なのか、被爆による後の死者数なのか気になったので検索したところ、29万は即死者など(終戦間際の死者)を含んではいない数値のようです。併せて33万5千人程度のようです。なんにせよ恐ろしい限りです。ただ、当時の廣嶋市の人口が百万人もあったとは思えませんね。--Qoo 2008年2月18日 (月) 21:51 (UTC)
呼称に関する議論の転記を改めて提案
[編集]これまでも提案している通り、太平洋戦争#呼称に関する議論の節の転記を改めて提案します。この節は「大東亜戦争」の内容と完全に重複となっています。呼称に関する議論は大東亜戦争でまとめて論じればよく、太平洋戦争にはそちらへの誘導があれば十分です。反対がなければ2週間後に一部転記を実施します。--Cave cattum 2008年1月8日 (火) 02:47 (UTC)
- 一部転記を実施しました。また、本ノートの関連する議論もノート:大東亜戦争へ転記しました。--Cave cattum 2008年1月22日 (火) 01:07 (UTC)
改善すべき点
[編集]この「太平洋戦争」の記事の信憑性は低いです。よりさまざまな観点からの太平洋戦争にしてください。もっと高いレベルの記事にしてくださることを強く願います。--以上の署名のないコメントは、124.96.90.103(会話・投稿記録)さんが 2008年7月15日 (火) 08:28 に投稿したものです(GFによる付記)。
太平洋戦争の期間の初め、1937年説、。日本以外では?他の言語、英語、ドイツ語、 http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/93ae1f04b407e0fd2cb5b1755705b173 中文、ハングル版 http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/27e2ce5c77d1781eea1c5841e814ba2d をみるといずれも、、。 呼称とも関連するのかもしれませんが 「http://de.wikipedia.org/wiki/Pazifikkrieg#Japan war Dai tōa sensō (大東亜戦争), Großer Ostasiatischer Krieg.」 --Raycy 2008年9月13日 (土) 00:47 (UTC)
事実の説明や先学の成果と執筆者の意見・感想・主張がごっちゃになってしまっている(一部には意図的に混同させている編集もあるのではないか)印象が強いです。--彩華1226 2009年6月2日 (火) 04:56 (UTC)
「大日本帝国」の一律書き換えについて
[編集]百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。的外れな出典です。インフォボックス内の表記は殆どの国が国号なので、それに統一しました。その他の部分でも、他国が国号のヶ所は日本も当時の国号にしました。この場合の出典とは「大日本帝国と言う表記は使ってはいけない」ということが理由と共に示された資料であり、いくら百科事典や学術書を並べ立てても「使用例がない」とする根拠にはなりません。「使用例がない」と100%言い切れますか?--uaa 2009年10月2日 (金) 19:17 (UTC)
「大日本帝国」の語の使用が百科事典などに一般的ではないことの証明にはなっております。存在しないとまでは言わなくともマイナーな表記をあえて優先する理由はありません。--Omaemona1982 2009年10月3日 (土) 06:25 (UTC)
今後この提案に関する意見は現在大きな合意を形成中であるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で表明して下さい。 |
外部リンクについて
[編集]独自研究のホームページは、掲載すべきでない外部リンクです。--Brackcandy 2010年1月21日 (木) 19:04 (UTC)
一部記述の根拠と中立性について
[編集]以下の記述には根拠が未提示で、中立性に疑問を感じます。 少なくとも根拠を提示すべきでは? 「アメリカは日本による中国大陸の平定とそれに伴う中国の覚醒(日本式精神・教育)が欧米諸国が支配していたインドやアジア・アフリカなどの植民地世界に影響を及ぼすことを恐れ」 日本式精神・教育とは何か?それがどのように中国に影響を及ぼしたか? 根拠を示す必要があると思います--123.221.91.254 2009年10月5日 (月) 07:18 (UTC)
呼称に関する議論(太平洋戦争・大東亜戦争・アジア太平洋戦争)
[編集]- ノート:大東亜戦争へ転記しました。--以上の署名のないコメントは、Cave cattum(会話・投稿記録)さんが 2008年1月22日 (火) 01:07 (UTC) に投稿したものです(Isamit(会話)による付記)。
アメリカ本土に対する空爆で「工場地帯の壊滅」
[編集]リンク先の「アメリカ本土空襲」にもそういった記述は見られませんが、どのような根拠からでしょうか。--以上の署名のないコメントは、Paperdoll~jawiki(会話・投稿記録)さんが 2010年6月19日 (土) 12:39 (UTC) に投稿したものです(Isamit(会話)による付記)。
- 虚偽ですので直しました。--Los688 2011年3月2日 (水) 11:56 (UTC)
画像過剰
[編集]画像数が多く、閲覧するさいの可読性を損ねていると思われます。また、本項目は、項目の性質上、情報量が多いので、各画像は、できるかぎり、各項目に委ねるべきかと思われます(たとえば、原爆の画像は、原爆投下の項目などへ)。--西方 2011年3月2日 (水) 07:24 (UTC)
- とりあえず戻します。こういうのを個人的感覚でやられるのは如何なものかと思います。過剰とも思えませんが、不要として削除した判断基準も理解できません。整理するなら、テンプレの「交戦勢力」と「関与した国家・勢力 」が重複していて見苦しいように思えるのですが。--uaa 2011年3月2日 (水) 11:38 (UTC)
- 可読性に影響しないギャラリーまで削除するのはどういうお考えなのでしょうか?--uaa 2011年3月2日 (水) 11:49 (UTC)
- 「とりあえず」の編集はおやめください。可読性というのは、画像データその他を多数掲載することにより、読み込みが困難になることをここではいっています。ちなみに私個人は、画像がすきなので、画像が多い方がよいのです。したがって、これは個人的な判断ではなく、あくまで可読性に準じて編集したのです。資料・ギャラリーの編集についても同一の理由からです。あと、資料は、本文に組み込む方が好ましいです。ウィキペディアは、画像の倉庫ではありません。--西方 2011年3月2日 (水) 12:31 (UTC)
- なお、テンプレの「交戦勢力」と「関与した国家・勢力 」の重複の件ですが、これは別件です。私もこれは圧縮した方がいいとは思っています。--西方 2011年3月2日 (水) 12:37 (UTC)
- 画像の選定については、戦局や経緯をよりよく示すものがそうでないものより優先されるべきこと、またあまりにも著名な画像(たとえばキノコ雲)などは本項目に組み込むことは、容量をいたずらに増やすだけではないか、と考えました。それゆえ、編集の要約欄においても、各項目において記載される方が好ましいと記したのです(たとえばキノコ雲は広島・長崎への原爆投下の項目へ移行するなど)。むろん、画像の掲載数の上限を厳密に決めることなどはできませんし、可読性といっても、閲覧者のPC環境によって異なるのはたしかです。しかし、ネット環境のあまりよくない閲覧者のことにも配慮されるべきだと思います。--西方 2011年3月2日 (水) 12:50 (UTC)
- 合意無き大量削除だから「とりあえず差し戻し」なんですよ。削除基準もあなたの独善でしかありません。削除したい画像それぞれについて理由を示して合意を図るべきでしょう。同意できない理由としては、例えば、キノコ雲は太平洋戦争を象徴する画像であって欠くべきではないと考えます。あまりにも著名な画像こそ抜けていたらおかしいでしょう--uaa 2011年3月2日 (水) 13:19 (UTC)
- それと、「各項目に委ねるべき」と言うなら、画像説明にあったリンクは何らかの形で残すべきではないでしょうか?音声を本文へ移すのには賛成ですが、終戦の詔書へのリンクが無くなったのでそのまま戻しました。
- 様々な環境で見る人への考慮は私も必要だと思っていますが、このような大きな記事で画像を多少削ってもあまり意味がないように思います。要領の肥大化に対する根本的な解決法は分割でしょうね。それならば、携帯等の小さな画面で見た場合、価値のないデータが冒頭に延々と続くテンプレや、その次に現れる無意味に装飾された「関与した国家・勢力」の節の方が邪魔だと思います。それと気になるのは、左側にある画像ですね。文章が見にくくなります。これこそPC環境によってかなり変な状況になるようです。--uaa 2011年3月2日 (水) 14:00 (UTC)
- 「削除基準もあなたの独善でしかありません。」という発言についてが、私を罵倒するものです。そういう発言はおやめください。私は編集理由を提示したうえで、議論しましょう、といっているのですから、「合意をとらずに」なんて、思っていませんよ。
- 「削除したい画像それぞれについて理由を示して合意を図るべきでしょう。」という提案についてですが、私がいっているのは、全体の量のことをいっているのであり、一枚一枚の記載価値が問題ではないのですが、、、、。むろん、一枚一枚合意をとっていくのは、その要請があれば、確かに必要であるとは思います。たとえば、キノコ雲についてUaaさんがどうしても掲載したいのであれば、私は異論はありません。ただし、原爆関連の写真が二枚もあるのは、私としては、ちょっと過剰であろうと思うのです。理由は、本項目があくまで「太平洋戦争」であるからで、「原爆投下」の項目ではないからです。「太平洋戦争」という項目はその項目の性質上、多様な局面を持ちます。そのため、記述は膨大になります。しかし、本項目は、あくまで、太平洋戦争の局面全体が、記述の本貫です。つまり、原爆は、いわば枝葉といえるのです。ご了解いただけませんか?あ、あと、もちろん、最大の編集理由は、量の過剰による可読性です。この点については了承いただけるのですか?あなたは「過剰ではない」とすでに書いておられますが、その根拠はどこにあるのですか?可読性を損ねてまで、掲載する理由はどこにありますか?私の編集後に残存している画像でも、十分、太平洋戦争の様々な局面を想起するに足ると思いますが、、、、。
- えーと、まあ、携帯のことをいいだしたら、もう終わりになりますよね(笑)。左側の画像とは?画像の位置のことですか?私はその点については、なにも思いません。--西方 2011年3月2日 (水) 14:07 (UTC)
- ウィキメディアコモンズ[1]の利用を検討してみてはどうでしょうか。「4.資料」の項目は、さすがにやりすぎだと感じました。太平洋戦争の場合、版権フリーの画像資料は山のようにあるわけでして、ある編集者の画像投稿は良くて、おれの画像投稿はなぜダメなんだ、なんて議論になれば収拾がつかなくなります。本文解説に織り込まれている画像処理はナカナカ良く按配されており、たとえばノートブック型(液晶画面が小さいので標準の拡大倍率が大きいです)でも可読性に響かない程度に処置されているようです。一般に画像を右においたり左に置いたりすれば「百科事典らしく」見えるのですが、WebブラウザなどPCの環境によって著しく可読性に響くのでホドホドがよいと思います。また画像の大きさ(ピクセル表示)は可能なかぎり大きくないほうがブラウズ環境に響きません。--大和屋敷 2011年3月2日 (水) 14:15 (UTC)
- 大和屋敷さん、ご意見ありがとうございます。全く賛同いたします。--西方 2011年3月2日 (水) 14:18 (UTC)
- 私が言った「過剰ではない」とは、この記事に不要な画像ではないという意味ですが、あなたの言う「量の過剰」というのには何らかの基準があるのでしょうか?画像を削る理由が「量の過剰」という抽象的なもの(本来は具体的な数値があってしかるべきものなんだが)であり、画像の要不要の判断基準も意味不明ですね。それで「理由を提示したうえで議論しましょう」では他者の納得は得られませんよ。
- 左側に画像があると行頭が凸凹して読みづらいです。また、右側に画像やテンプレがあると、小さな画面だと1行の文字数が異様に少なくなりますし、ブラウザによってはかち合って変な表示のされ方になるようです。
- ところで、西方さんが懸念される、「量の過剰」による可読性の低下とはどういう現象を想定しておられるのでしょうか?--uaa 2011年3月2日 (水) 14:35 (UTC)
- すでに私は説明しております。「可読性というのは、画像データその他を多数掲載することにより、読み込みが困難になること」、です。大和屋敷さんも「太平洋戦争の場合、版権フリーの画像資料は山のようにあるわけでして、ある編集者の画像投稿は良くて、おれの画像投稿はなぜダメなんだ、なんて議論になれば収拾がつかなくなります」とおっしゃってますが、一枚一枚の有意性(必要/不要の基準)については、水掛け論になります。私は大和屋敷さんのいわば折衷案といいますか、中間の案で解決できないかな、といまは思っています。すなわち、「4.資料」の節にある画像は、ウィキメディアコモンズに移行する。音声資料は、すでにUaaさんも合意されたかとは思いますが、本文中に組み込む。--西方 2011年3月2日 (水) 15:08 (UTC)
- 今回のケースについては手順として自分では画像が過剰と思えるが他のみなさんはどう思われますかといった提案をコメント依頼などで周知し合意が形成された場合に編集を実施というのが適切なやり方であったように思います。Template:画像過剰の貼り付けについても西方さんお一人だけの判断で決めつけて果たして妥当であるかといった問題があるように思います。画像が過剰と思えるがノートで議論をしているので参加者を求むというような告知テンプレートの方が適切であるように思います。原爆の画像は原爆投下の記事にあれば十分というご意見には反対です。仮に画像の量を絞る場合には文章を削減した場合に欠かすことのできない説明については画像が必要であると思います。--Tiyoringo 2011年3月2日 (水) 16:01 (UTC)
- Tiyoringoさん、コメントありがとうございます。告知テンプレートについては今一度調べてみます。原爆画像については、一例にすぎないのですが、あえてこの例でいえば、「一枚か二枚か」という問題であり、画像掲載そのものについては、私は反対しておりません。私は一枚で十分だと考えますが。むろん、あくまで私は本項の全体の画像の総量についていっています。また、「仮に画像の量を絞る場合には文章を削減した場合に欠かすことのできない説明については画像が必要である」という発言についてですが、おっしゃる事態が本件にあてはまることなのか、いまいち了解できません。本文(「通史概略」)の文章そのものについては私は特に削減してはおりませんが、、、。--西方 2011年3月2日 (水) 16:28 (UTC)
- 「読み込みが困難」とはどういう現象か聞きたいんですよ。表示が重くなると言うことですか?その場合、どのくらい重くなることを以て「読み込みが困難」とされるのでしょうか?そして、現在の記事が画像が多いことによってどのくらい「読み込みが困難」になっているのですか?「これは個人的な判断ではなく、あくまで可読性に準じて編集したのです」と仰っていますが、具体的にどのような客観的な根拠あるのですか?ちなみに、私が以前プロジェクト‐ノート:軍事/話題/自衛隊関係の組織テンプレートにて可読性に文句を付けたときは、パソコン画面のコピーをアップして、具体的にどういう現象が起こるか示しましたけど。
- それと、読み込みが困難だとして、果たしてそれが本当に画像が多いからなのですか?どのくらい画像を減らせばそれが解消するのですか?
- ところで、「コモンズへ移行」というのはどういうことでしょうか?提案されても理解できないのですが。「4.資料」の節にある画像にも欠かせないものがあると思います。詔書や降伏文書、その署名式の写真をバッサリ削るのには反対です。節は不要だと思いますが、各画像は該当する記事に納めるべきだと思います。収まりきらないものや左側にある画像は該当する各節や段落の末尾に<gallery></gallery>を作って納めればいいと思います。
- 最後に原爆画像についての私の考えですが、仮にこの記事の画像を2枚にしなければならないとした場合、残るのは真珠湾攻撃とキノコ雲だと思っています。--uaa 2011年3月2日 (水) 16:58 (UTC)
Wikipedia:ウィキメディア・コモンズという記事があります。正義の女神という記事にはそうとう余計な写真画像がUPされていて、ちょっとやりすぎなんじゃないかという感じになっていますが、ページ下のほうに「ウィキメディア・コモンズには、正義の女神に関連するマルチメディアがあります。」というボックスがあり、ここの「正義の女神」をクリックするとページが移動し[2]、やっぱり大量の画像があります。こういった場合、コモンズに移動させると記事のギャラリー化が回避できます。ちなみにWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに「ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません」があり、百科事典をめざすWikipediaとしては、あからさまなギャラリー化は回避すべきだとの方針が提示されています。--大和屋敷 2011年3月2日 (水) 17:58 (UTC)たとえば英語版のPacific War[3]は大半の画像をcommons[4]に保蔵させており、本文記述に直接関係のあるものにしぼられスッキリした感があります(英語版の編集方針が優れているということではけっしてないですが)。正義の女神程度の記述のページですとさほど重くないのですが、当ページ(太平洋戦争)だとNTT光回線+Windows7+IE8の閲覧環境でけっこう重たいです。このあたりは本当にバランス調整の問題ですのでなかなか難しいところです。--大和屋敷 2011年3月2日 (水) 18:07 (UTC)
- 西方さんは独立した他の記事があるものについては文章による説明があれば十分とお考えなのだと思いますが画像もある方がより閲覧者にとって理解度は高められるように思います。特にこの画像は不要であるという意味で原爆投下を取り上げたのではないようですが。大和屋敷さんの言われるに全ての画像を入れ込む必要はありませんがCommonsへ画像があってもそれらには日本語でキャプションがついているわけではなく有用な画像であれば日本語版の記事に取り込むべきと思います。どうしても画像を絞る場合ですがUaaさんが示した真珠湾と原爆以外でも日本による占領地の拡大やミッドウェー海戦、太平洋上の拠点を失う日本、B29、戦艦大和、降伏文書への調印あたりは特に必要だと思います。ドーセットシャー(攻撃を受けている写真ではない。)やフランス領内を進軍するアメリカ軍日系人部隊(関連は多少ありますが太平洋戦争に参加したわけではない)あたりはなくても良いとは思いますが(積極的に除去するべきだといっているわけではありません。)。--Tiyoringo 2011年3月2日 (水) 23:49 (UTC)
- Tiyoringoさん。繰り返しになりますが、私とて画像の価値を認めるのですよ。で、「どうしても画像を絞る場合ですがUaaさんが示した真珠湾と原爆以外でも日本による占領地の拡大やミッドウェー海戦、太平洋上の拠点を失う日本、B29、戦艦大和、降伏文書への調印あたりは特に必要だと思います。ドーセットシャー(攻撃を受けている写真ではない。)やフランス領内を進軍するアメリカ軍日系人部隊(関連は多少ありますが太平洋戦争に参加したわけではない)あたりはなくても良い」という判断については、まったく合意します。
- uaaさん、大和屋敷さんが私より明確に答えられておりますが、私の環境はADSL/MacOs10.4/SafariないしWinVista/IE8ですが、特に後者では開くのに重いです。ちなみに私が資料の節を削除し、音声資料を組こんだ版では、軽くなったのは、たしかです。あと、画像データがテキストデータより重いということは、説明するまでもないと思いますが。「客観的基準」とおっしゃいますが、こういう編集を巡る議論は、基本、議論による合意形成をはかるしかないと思います。すでにuaaさんは節「4.資料」の圧縮には合意されておりますが、かりに、その節をそのままにしておいたとして、さらにかりに更なる画像を掲載したいひとが現れたとしたら、いかがでしょうか?ウィキペディアを「リンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所」と錯覚する方も多くなると思います。これは懸念にすぎないですが、「画像の倉庫」化は避けられるべきだし、また情報量の重い画像資料を、ある程度選定し、減らす(「なくす」ではありませんよ!)ことで、閲覧の可読性を高めた方が、より適切である、と私は考えるのです。
- かなり合意点がみえてきたかと思いますので、まとめます。uaaさんは「節は不要だと思いますが、各画像は該当する記事に納めるべきだと思います。収まりきらないものや左側にある画像は該当する各節や段落の末尾に<gallery></gallery>を作って納めればいいと思います。」とおっしゃってます。つまり、私がはじめに提案した、「4.資料」の画像・音声資料の本文への組み込み、という提案については、合意できたかと思います。
- 次に、では、組み込んだあとの状態について。すでに本文「3.通史概略」には画像資料がかなりございます。uaaさんは「4.資料」の全画像を一定程度削減することなしに、「収まりきらないものや左側にある画像は該当する各節や段落の末尾に<gallery></gallery>を作って納めればいい」とおっしゃっていますが、それでは、データの重さを軽くするという私の提案(この提案に関しては大和屋敷さんからも賛同を得られています)について、却下の一点張りに他なりません。uaaさんは、本記事の全画像が等価だとお考えなのですか?だとすれば、Tiyoringoさんも書いておられるような、たとえばドーセットシャーの画像とキノコ雲も等価になりますか?そうではないことはすでにuaaさんが「仮にこの記事の画像を2枚にしなければならないとした場合、残るのは真珠湾攻撃とキノコ雲だ」と書いておられます。私はなにも本記事の画像を二枚に減らせなどと要求はしていません。現在の本文には画像約40枚。資料の節には10枚ございます。私は最初、資料節にある10枚は削除し、さらに本文画像も数枚減らす編集を行いました。これはいわば提案です。これについて、みなさまのコメントをいただき、たとえば大和屋敷さんは本文画像40枚にとどめておくこと、Tiyoringoさんは、書かれた発言だけからいえば、本文画像をさらに二枚削減すること(資料節の画像については具体的な言及はなされておられません)も示唆されております。現在、私は、資料節画像を本文に埋め込むとしても、画像総数は40枚程度に納める方が適切であると思っております。(本当は30枚くらいでも十分だとは今でも思いますが)--西方 2011年3月3日 (木) 01:48 (UTC)
- 「コモンズへ移行」ってコモンズのカテゴリへのリンクを貼り付けることだったんですか。話になりませんね。コモンズへ投稿される画像のファイル名やカテゴライズは投稿者が適当に付けるので、無茶苦茶です。カテゴリの表示順序はファイル名順なので、系統だった説明にはなってませんし、キャプションの出鱈目さもかなりのものが見られます。その点で当記事の「写真資料」とは全く次元の違うものですし、「ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません」を持ち出すのも的外れです。但し、今後のギャラリー化を防ぐためには「4.資料」の節を無くした方がいいでしょうね。
- 表示を軽くする件ですが、西方さんの環境では、例えば軍服 (大日本帝国陸軍) とかはどう表示されるのでしょうか?この他Category:軍服には画像の多い記事が多数ありますが、この辺も重いのでしょうか?私の経験では、画像が大きい場合は表示速度が遅くなることがありますが、<gallery></gallery>に納められたものは数が多くても速度の低下を招かないように感じます。画像サイズについては、PCの処理速度との関係が大きいのかも知れませんが、通信速度の問題で、コモンズからの画像データ呼び出しに時間がかかっているのなら、画像の数が問題になるかも知れませんね。もしそうなら、先ずは参加各国の頭に付いている国旗を削ってみては如何でしょうか。それだけで画像が100枚以上ありまし、必要性も感じられません。
- ところで、どこから40枚とか出てきたんでしょうか?--uaa 2011年3月3日 (木) 11:44 (UTC)
- コモンズ移行への反対理由は了解できます。とはいえ、コモンズはうまい具合に利用できればよいと思いますが。あれ、もう少し系統化するなり整理して利用できないものですかね?いずれにせよ、私の懸念は、「ギャラリー化」「画像資料の無際限な増殖」にあったので、節「4.資料」を削除できれば、かなり解決されるだろうと私も思います。
- さて、重さの件ですが。軍服 (大日本帝国陸軍)はたしかに重いのですが、太平洋戦争の方が重いように思います。不思議です、、、。たしかに、uaaさんのおっしゃるように、国旗の問題があるかもしれません。重い理由が、画像か国旗か、については私の方で判断できないので、uaaさんの指摘に従い、国旗を削減するのもいいですね。たしかに、国旗は、いわば二重記述ですし。。。ただ、交戦・戦争関係では、国旗画像が付与されているのが一般的なので、なかなか難しいところですが、、、。まあ、問題があれば、また別の方が異論を唱えてくださればいいわけですしね。
- 40枚は、単に数えただけです(笑)。国旗は数に入れていませんでした。頭から通史概略までの写真画像の数です。しかし、この枚数問題も、uaaさんのおっしゃるように、国旗の画像を減らすことで、容量の軽量化が実現できるとすれば、解決しますが。--西方 2011年3月3日 (木) 12:36 (UTC)
- 現時点でのポイントをまとめます。合意点になっていない場合は、ご意見ください。(コモンズについては私は現在判断できないので、私は保留します。)
- データ量が重くて、可読性を損ねていた。それゆえ、閲覧を妨げる原因となっているデータを特定し、その量を削除ないし削減する。
- 重さの要因となっているのは、写真画像ないし国旗画像ファイルのいずれか、またはその双方であるが、uaaさんの写真画像保存の意向もあり、国旗画像ファイルの縮減を試みる。その作業後、変化のない場合は、改めて協議する。
- 節「4.資料」は削除。理由は、「ギャラリー化」「画像資料の無際限な増殖」が懸念されるため。節「4.資料」に存する資料は、本文(「通史概略」他)に組み込む。もし、組み込んだ時点で、あらたに問題が発生した場合は改めて協議する。--西方 2011年3月3日 (木) 13:57 (UTC)
- 現時点でのポイントをまとめます。合意点になっていない場合は、ご意見ください。(コモンズについては私は現在判断できないので、私は保留します。)
- とりあえずそれで試してみる価値はあると思います。ついでに、テンプレの交戦勢力は重複だから全部削っちゃってもいいと思います。--uaa 2011年3月3日 (木) 16:30 (UTC)
- 国旗画像を削除しました。結果、軽量化はかなり実現されたと思います。節「4.資料」の組み込みや微調整は時間をみて、行います。--西方 2011年3月4日 (金) 04:18 (UTC)
- 節「関与した国家・勢力」ですが、トップ右側にある戦争概要テンプレのなかに組み込むと、さらにすっきりしますね(uaaさんのおっしゃる「全部削る」とはそういう意味ですよね?)。たしかに、内容は重複してますし、概要テンプレで充分なので、節としては不要かと思われます。問題は義勇軍ですが。ま、義勇軍も概要テンプレのなかに組み込むのもいいかと思われますが。--西方 2011年3月4日 (金) 04:24 (UTC)
- おー。国旗だけでもずいぶん違うんですねえι(^o^)--大和屋敷 2011年3月4日 (金) 04:48 (UTC)
- 戦争関係の記事には国旗の画像が大量に使われているものがかなりありますね。効果があるようなら、プロジェクト‐ノート:軍事史に提案して、削っていってもいいと思います。
- 参戦国の重複の件ですが、言葉が足りませんでした。逆に、テンプレの方を削った方がいいと思います。参戦国の中には抜けたり転んだりした国があったりするし、参加の度合いも様々なので、このような複雑な経緯はテンプレに納めきれないでしょうから、不正確なものになると思います。それに、テンプレ内の国旗も削れます。異論がなければ、時間を見て処理したいと思います。--uaa 2011年3月4日 (金) 06:22 (UTC)
- 逆でしたか。なるほど。ただ、テンプレの方にも、概要の一覧・概要の表という意味では、一定程度以上の主要関与国名はあった方がいいと私は思います。テンプレ内部の国旗削除の件ですが、すでに軽量化は実現できたかとは思われますので、私としては特に要求も異論もございません。あと、画像過剰のテンプレですが、協議の結果、解決したかと思いますので、外しておきます。--西方 2011年3月4日 (金) 06:45 (UTC)
術語の統一について
[編集]過去にある術語を統一するかどうかという課題で編集合戦が発生した経緯がありますので、慎重におねがいします。参考[5]あるいは#「大日本帝国」の一律書き換えについて。--大和屋敷(会話) 2012年12月1日 (土) 01:09 (UTC)
この項自体の信憑性について
[編集]太平洋戦争関連の日本版のウィキを見て非常に驚いています 確かにどこの国も自国には甘い裁定をするものですが 日本版は酷すぎます。 連合国の悪事を書く一方で日本側の戦争犯罪については濁したり あいまいな表現にしています。 自国人が執筆する以上わたくしを含め甘い表現を書きたくなるのかもしれませんが なつべく公正に中立な立場にとって評価してもらいたいです。 このようなこと言いたくありませんが、旧日本軍の国際的な評価はナチスに次ぐ犯罪国家です。--以上の署名のないコメントは、113.41.49.142(会話/Whois)さんが 2014年10月27日 (月) 16:34 (UTC) に投稿したものです(Isamit(会話)による付記)。
- ウィキペディアは個人的な思想を主張する場ではありません。あなたの個人的な感想など聞くつもりはありません。--uaa(会話) 2014年10月27日 (月) 17:47 (UTC)
あなたの発言取り消しや記述自体自体個人的な思想に満ち溢れていると思うのですが違うのですか?--以上の署名のないコメントは、113.41.49.142(会話/Whois)さんが 2014年10月29日 (水) 14:23 (UTC) に投稿したものです(Isamit(会話)による付記)。
アメリカの爆撃計画とやらについて
[編集]仏印進駐時にアメリカによる日本中枢への爆撃計画が承認されたの言を書きたい方がいるようですが、機体が無く、戦闘半径内に位置していないのでは、適切な内容とは言えません。誰かが言ったからといって直ちにWPに書けるわけではありません。何らかの計画があっとしても、中枢への攻撃は物理的に不能である以上、計画に関する条件や実行可能性に関する注釈無しでは記載に値しないと言えます。なお、中華民国の爆撃機が台湾や九州への飛来事例があることから、それと同様の可能性があることまでは否定はいたしません。--Los688(会話) 2017年8月6日 (日) 16:44 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「太平洋戦争」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://sankei.jp.msn.com/world/news/111207/amr11120722410009-n1.htmにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20130415022616/http://sankei.jp.msn.com/world/news/111207/amr11120722410009-n1.htm)を追加
- http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090724/erp0907240115000-n1.htmにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20090726100909/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090724/erp0907240115000-n1.htm)を追加
- http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312302014-n1.htmにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20100203090304/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312302014-n1.htm)を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月1日 (日) 01:49 (UTC)
山崎雅弘の作品
[編集]当該節は、山崎雅弘『戦前回帰 「大日本病」の再発』2015年9月15日 第1刷発行、ISBN 978-4-05-406285-6 からのチェリーピッキングであり、山崎は「エスノセントリズム」 (自民族中心主義、自文化中心主義) という用語を使用していませんので、利用者による独自研究ということになります。
当該箇所の第一パラグラフ (「日清戦争と日露戦争の戦間期だった頃の日本では」~の箇所は、同書「4 重要な転機となった「天皇機関説」事件」のうち108頁からの引用)、第二パラグラフ (「しかし、昭和になると、国体明徴運動の高まりにより」~の箇所、同書「7 国体思想の高まりがもたらした弊害」のうち162頁からの引用)、第三パラグラフ (また、「日本精神」「万邦無比の国体」「天壌無窮の皇運」「八紘一宇」など~の箇所、同書「9 敗戦の時、日本に何が起こったのか」のうち237頁からの引用)のどの箇所においても「エスノセントリズム」という用語は使用されていません。また、山崎は「自国や自国中心の現実認識」という表現を用いますが、これはエスノセントリズムとはイーコールではありません。
そもそも、山崎個人の見解をチェリーピッキングしただけの当該箇所をリード文の直後にもってくるのはレイアウト的に不適切ですし、日本の状況についての個人的見解をWP:JPOV違反にもなってしまいます。この書籍そのものが信頼できる情報源であるかには議論の余地がありますが、本項は歴史記事ですのでWikipedia:信頼できる情報源#歴史に従うのが望ましいでしょう。山崎雅弘はWikipedia的には「専門家」とは見なせませんから、仮に使用可能な情報源として認められた場合においても、メインの文で断定的に書くのは不適切で、断定的に書いてしまうのはWP:NPOV違反になります。これは竹田恒泰の作品でメインの文を断定的に書くのが不適切であるのと同様です。私個人は、非「専門家」の見解であっても、「評価」や「諸説」の項目に、「山崎雅弘によれば」という形で帰属化しかつ控えめに書くのは許容されるのではないかと考えています。実際、日中戦争には、田母神俊雄や中川八洋の見解が書かれています。もっと優先して書かれるべきものがあるのではないかと思いますが。。。当該箇所の場合、第三パラグラフだけは「先の大戦」に関連しているように思われますが、太平洋戦争そのものやその趨勢とどのように関係しているのかよくわからないものとなってしまっています。どうしても山崎の太平洋戦争に関する見解を、というのであれば、より適切な箇所をもってくる必要があると思います。ただ、そうした場合、倉山満など非「専門家」の見解の記述も許容することになること、また、より厳格にWikipedia:信頼できる情報源#歴史を適用して非「専門家」のソースを完全に排除すべきであるという意見も存在していることも忘れてはなりません。
Wikipedia:信頼できる情報源#歴史を厳密に適用しなかったとしても、WP:NPOV及びWP:NOR違反であることには変わりませんから、当該箇所は除去されてしかるべきです。「ルール違反は明白なので敢えて書くまでもない」と考える利用者もいるでしょうが、保険としてノートでルール違反を指摘しておけば、利用者:Wilkinson777さんのブロックは免れることができないとしても、利用者:Anaxさんのブロックはなかったのではないかと考えています。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wilkinson777を参照していただければわかるかと思いますが、利用者が「ブロック上等」で臨んでいる可能性も考慮して注意深く対処したほうがよいと思います。-- Takabeg(会話) 2021年9月9日 (木) 13:18 (UTC)
- 山崎の言説を要約すると、エスノセントリズムですよ。日本民族中心主義です。まさしく、エスノセントリズムです。他の記事でも山崎の記事を削除されていますが、ノートでの合意を得てから編集された方が良いと思います。記事を削除するのではなく、編集をどうしたら適切な形にもっていけるかという意識をもっていただけるとより良いのではないでしょうか。まず、記事を元に戻していただいて、ノートで議論で合意を得てから編集されませんか?--Wilkinson777(会話) 2021年9月13日 (月) 07:40 (UTC)
日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ 人間宣言で昭和天皇はこのように言及されてますよね。日本国民が他の民族に優越する民族で、世界を支配する運命があるのではない、と。これは、エスノセントリズムを明確に否定しているでしょう。人間宣言の記事でも、私の編集をノートでの合意を得ずに削除されていますね?チェリーピッキングと言われますが、昭和天皇が人間宣言でエスノセントリズムに触れているではありませんか。--Wilkinson777(会話) 2021年9月13日 (月) 07:45 (UTC)
「山崎の言説を要約すると、エスノセントリズムですよ」「日本国民が他の民族に優越する民族で、世界を支配する運命があるのではない、と。これは、エスノセントリズムを明確に否定しているでしょう。」Wikipediaにおいて利用者が勝手な解釈で要約したり考察したりすることを独自研究と言います。そしてWikipediaにおいて独自研究を載せないというルールがございます。 Koyasanfish(会話) 2021年9月14日 (火) 07:46 (UTC)
- [6]で山崎氏が自著『戦前回帰』について語っていますが、そこで「自民族優越思想」という表現がなされています。これは一般的に「エスノセントリズム」と同義でしょう。少なくとも山崎氏が『戦前回帰』でエスノセントリズムを論じている(当時あった思想をエスノセントリズムと見なして批判している)つもりであった、というのは確かだと思います。 --2001:268:C085:275C:6DF8:2C74:3403:DBA5 2021年9月23日 (木) 01:45 (UTC)
- Takabegさんの上記の「エスノセントリズムについての記述ではなかった」論に基づいてTakabegさんが一括でこの記事と他記事の編集をなさっていましたが[7][8]、誤解だったということでよろしいでしょうか。 --2001:268:C085:8D8F:C11B:AADE:78C7:42E0 2021年10月22日 (金) 11:48 (UTC)
「帝国政府ノ対米通牒覚書」と「宣戦布告」
[編集]「帝国政府ノ対米通牒覚書」が「宣戦布告」であるかのようなミスリード的な文が書かれておりましたので、修正しました。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は日米交渉を打ち切る通告なだけであり、「宣戦布告」ではありません。
詳しくは「真珠湾攻撃」のページに記載してありますので、そちらをご参照ください。
なお、「真珠湾攻撃陰謀説」が宣戦布告の項目に書かれておりましたが、「帝国政府ノ対米通牒覚書」が「宣戦布告」であることを論拠として書かれていたことと、そもそもこの「太平洋戦争」のページで扱うべきではない内容でしたので、削除いたしました。--にもの(会話) 2022年5月15日 (日) 07:20 (UTC)